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ちょっと危ない色艶都々逸
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        江戸の絵師と都都逸風日記 2010年

12月5日
寒い朝に負けないように、地蔵院から苔寺の辺りまで散歩しました。
韓国はもっと緊張状態かと思いましたが、平常通りでした。
久しぶりの韓国、私にとっては、いつ行っても何かホッとする所です。

・ゆうべの主を 呼び戻そうと 双鼓(チャンコ)叩いて 舞う妓生

申潤福

インターネットで拝借した絵ですが、当時の風俗がよく書かれていると思います。
「申潤福は朝鮮王朝時代の宮廷画家。
妓生(キセン)の美人画ばかり描いていたため、宮廷を追い出された。」
韓国の浮世絵師と言ってよいと思います。

双鼓は鼓の大きいもので肩から掛けたりして舞いながら打ったり、置いて打ったりします。
読み方はチャンコと読んでください




12月6日
韓国旅行記釜山は今日で終わります。
テレビ放送をみると、ヨンピョン島砲撃ニュースより、FTA合意で韓国自動車が5年間無関税というのを主に流していました。
日本に帰り阪急電車の客は皆疲れた顔で、服も黒っぽい色ばかり、起きている人は耳にイヤホーン、携帯とにらめっこで、話し声ひとつ聞こえません。
車内アナウンスは、ああしろこうしろとお願いばかりですが、誰もが無関心。
どうした、日本人!
元気出せ!

申潤福

再度 彼の絵ですが、この絵は温陽温泉の壁に使われているようです。
川でのキーセン水浴びを描いています。
木に吊るしたブランコで遊んでいます。




12月9日
京都嵐山花灯路(はなとうろ)が、始まっているそうです。
今夜でも、銭湯の帰りに自転車に乗って見に行ってみます。

鈴木春信「見立半托迦」

丼から龍が出る晴信ならではの見立てです。
16羅漢のうちの半托迦(はんだか)が龍に姿を変えたのでしょうか。
帯を前に結んでいますが、帯は梵字が書いてあるようです。
膝の柔らな線と、丼をみつめる首を傾げた姿は女性の柔らかさを描いていると思います。



12月10日
今日も鈴虫寺まで散歩しました。
夜は孫と遊びます。
私のジジイと孫の関係は、遊び友達関係です。
今日は、将棋とけん玉勝負を挑まれていますが、手抜きはせずビシビシ負かしてやります。
ケン玉は自信ないな。
女の子は絵を描くのが好きなようで、こちらは楽です。
両方とも頑固、特に女の子は頑固です。
まあ、わが孫ですから、似ていて仕方ないですね。

鈴木晴信「恋矢文」

一筋縄でいかぬ晴信です。
絵の中に沢山のヒントを隠して見る者を
「分っかるかな〜?」
と、試されているように思います。
畑には蓑がさつけた案山子と茄子が描かれて、男は案山子の持っていたであろう弓矢をつがえ狙いを見定めています。
という事で那須与一の見立てという事らしい。



12月13日
帰国後初めて蕎麦を打ちました。
出来は、まあまあ、孫たちは私の蕎麦を喜んで食べてくれます。
食べるより、粉をこねることやら、ふるいをかけることのを喜んでいるようですが。。

上村松園「焔」

女性には足が無く、振り返る顔は嫉妬と執念がでています。
長い黒髪に絞りではないかと思いますが下がり藤と蜘蛛の巣の着物を着ています。
激しい情念を描きながら、全てを包見込んだ美しさは松園の傑作だと思います



12月14日
帰国しても、カミサマの運転手の仕事しかない私は自分の時間を沢山使えて幸せです。
寒いので外へ行かず、空想、仮想で時空を超えて旅をしています。
ひとつは仮想都々逸の旅で空間を飛んでどこにでも行きます。
ゆうほ仮想都々逸の旅(現在アップ準備中です。)
もうひとつは、時を越えて過去を旅するこちらの江戸の絵師と浮世絵日記です。


歌川国貞「白銀の清正公」

この絵の題の「白銀の清正公」と母子の絵のどこに関係があるのか、それは 母親の右上のコマ絵に描かれているのが覚林寺清正公らしい。
では清正公はなぜ?
怖い武将なので、子供が怖がって夜泣きをやめるという意味でしょうか。。
ナマハゲみたいなもんですね。



12月15日
京都嵐山、上桂に地下から温泉が出ていて昔からの銭湯があります。
私は3時半、開くのを待って、お兄ちゃんに挨拶して入ります。
ここの番台のお兄ちゃんは、青年協力隊でベネズエラに行っていて、ここの婿養子に入ったらしいのです。
世間話をしているうちに高校の後輩という事が分かりびっくりしました。
人の出遭いは不思議なものですね。

歌川国芳「諸鳥やすうりづくし」

奇想とと笑いを描いた国芳は、猫好きでいつも猫を懐にして、猫の仏壇も置いていました。
この絵は小さ過ぎて分からないので一部拡大しています。
後ろの暖簾には隅田川名物桜餅と書いてあり、桜餅を作っているのは隅田川の都鳥という事らしいです。
都鳥はゆりかもめの事ですが、それにしては嘴が短いですね。
そんな細かいこというなよと国芳に怒られそうです。
という事で私も国芳に見習い、こんな句を作ってみました。



12月16日
娘に頼まれ運転手になりお迎えに行ったところ、めずらしく
「ここ、ラーメンうまいし食べよか?」
店に入って、ラーメンと卵かけごはんセットというのがお勧めとの事。
ラーメンより、卵かけごはんが、何故か大変うまいのです。
熱いご飯に、塩コンブだけを入れかき混ぜ食べるだけなんです。
「私、千円しか財布にないわ。」
だって!
娘は看護師三十路は過ぎていてこの有様です。
わが娘です仕方がないですね。

上村松園「庭の雪」

胸に手をやり体を縮めた姿に雪降る寒さを感じ、
娘の下向き加減の顔に、唇をむすんで思いつめた意志の強さを感じます。



12月19日
皆さん おはようございます。

今日は朝から蕎麦打ち。
この趣味人の方が鈴虫まで来られます。
持って帰って味見してもらおうと思っています。

渓斎英泉「契情道中双六」

この東海道シリーズは、渓斎英泉と歌川広重が半分ずつ担当しています。
英泉は人の情を扱いましたが、広重は風景を追求したのではないかと思っています。
結果、このシリーズは英泉より広重の方が人気があったようです。
遊女が旅に出られぬ憂さ晴らしに道中双六で遊んでいるのではないかと思います。




12月22日
今晩は孫達をつれて柚子湯に行こうと思っています。
孫は私に似たのか風呂が大好きです。

喜多川歌麿「花扇」

花扇(はなおうぎ)は、吉原遊廓の遊女屋、扇屋の高級遊女の源氏名です。
花扇は、書をよくし、酒を好んだと伝えられていますが、客と駆け落ちしてしまいました。
すぐに連れ戻されます。
良い女で、艶があり、どこか寂しさを表情に表していて、さすがに歌麿の筆だと思います



12月26日
朝の散歩の華厳川に桜と紅葉の大ぶりの枝がすっかり葉を落とし、幹には苔が生えています。
ここは苔寺がありますから、湿気が多いのか、苔寺のこけが飛んできたのだと思います。
葉のない堂々とした枝ぶりも粋なものだと見ながら歩いています。
枝に雀が身を寄せ合って毛を立て膨らませてとまっていました。
今朝は随分冷え込みましたね。

喜多川歌麿「納涼美人」

バックを黄摺にシンプルにし女性と植木鉢の距離が絶妙です。
何と色っぽい女性なんでしょう。
こんな江戸時代に飛んでいきたい気持ちになります。




12月27日
7歳の男孫と私は友達関係ですが、叱る時は、もう言う事が分かるので閻魔さまより怖い顔でぴしゃりと説教します。
3歳の女孫は勿論叱りようもありませんが、大きくなっても、どうも、女の子は叱りにくいもんです。

歌川豊国「お富与三郎」

歌舞伎の場面は、お富に言っている与三郎の名せりふが聞こえてくるようです。
江戸時代の歌舞伎舞台装置も粋なものだったんですね。
子供の時に手回し蓄音器から流れる春日八郎のお富さんが、母の名前と同じだったのでよく覚えています。




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