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ちょっと危ない色艶都々逸
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江戸の絵師と都都逸風日記 2010年
4月26日
葛飾 北斎 「あやめにきりぎりす」
きりぎりすというとイソップ童話にでてくるきりぎりすを思い出してしまいます。
働き者のアリに比較され遊び暮らしたきりぎりすです。
しかし、きりぎりすにはきりぎりすの生き方があり悔いが無かったのではないかと思っています。
アヤメの色と葉の凛とした感じ流石に北斎の絵だなと感心します。
4月27日
喜多川 歌麿 「物思恋」 (歌撰恋之部)
美人画というと全身像を描くというのが常識だった頃、
歌麿は大首絵(上半身)を描くという手法でセンセーションを巻き起こします。
政府の取り締まり厳しい中をかいくぐりながら、何処までも女性の美の表現を追求した歌麿ですが、これが悲惨な結末に繋がっていきます。
現代アーチストでこれ程気骨のある人はいるでしょうか?
又、そのアーチストを支えた心に余裕のある一般江戸庶民が沢山いた事にも驚きます。
4月28日
喜多川 歌麿 「芸妓」
女性の微妙な心まで描きだすのは歌麿以外にはいません。目鼻口の配置と大きさは、今の肖像画のその人に似せて描く画法とは全く違っています。
写真と言うものが出てきた現在、絵の方向を改めて考えさせられます。
4月29日
東洲斎 写楽 「市川富右衛門の蟹坂藤馬と三世佐野川市松の祇園町の白人おなよ」
写楽も同じ人ではなくグループだったという説があります。
線一本を引いても描き癖と言うのがあります。
初代写楽は人物の線と着物の線を少し離して描き始める描き癖がありました。
4月30日
葛飾 北斎 「五島鯨突」
昔の鯨捕りは漁師も命がけで臨んだそうです。
そして取った鯨はすべて利用したという話を読みました。
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