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   87番 メモリー of ユキ (YUKI)    2008年1月

1月21日 ペナンからAIRASIAに乗ってバンコック新国際空港に到着する。
    市内までのアクセスは未だ整備中で北バスターミナルまでのタクシー料金の交渉から始まる。
    バンコックからナコンサワーンまではバスで3時間程らしい。
    バスに乗る前に、ソム(ユキさんの彼女)の携帯に電話を入れようと思うが、公衆電話が繋がらない。
    隣にいる女学生が親切に自分の携帯で電話をしてくれる。
    私はタイ語が全く分からないし、ソムは英語も日本語も全く分からないので大助かりである。
    ナコンサワーンの停留所に到着してソムを探すがそれらしき人はいない。
    さて、困った。どうしてソムを見つけるかだが、取りあえずホテルを探してそこから電話するしかない。
    停留所に屯しているタクシードライバー達に英語でホテルの場所を聞くが、殆ど英語が通じない。
    ふと、前を見るとTHE PIMARN HOTELという大きなホテルが見えるので取りあえずチェックインして
    作戦の建て直しである。
    部屋に入って電話を掛けようとすると誰かがドアーをノックする。
    ドアーを開けるとソムであった。
    今にも泣き出しそうな不安そうな顔である。
    どうして、私がここにいるのか分かったのが不思議であるが、多分、停留所で大きな声で英語で喋っていたのと、
    ツルツル頭が目印になったか、或いはユキさんが呼んでいるのかだろう。
    お互い、話が通じないままソムの車に乗り、お姉さんが運転して町から北方面に車を走らす。
    沈む赤い太陽を背にサトウキビ畑と水田が地平線まで続いている。
    ユキさんの好きそうな風景である。
    ”この道、ユキとバイクでよくナコンサワーンの町まで行った。”
    と、ソンがその時の光景を思い出しているようである。
    1時間程でユキ&ソムさんの家に到着する。
    300m程のメインストリートにマーケット、銀行、米屋、雑貨屋、コンビニと日常生活に支障はない。
    ロテイ(溶いた小麦粉を鉄板に乗せ、卵とバナナと砂糖とバニラをいれて焼いたもの)を売っている
    屋台があり、ユキさんはこれを気に入り毎日食べていたとソムが話すので私も食べる事にする。
    ケーキ好きなユキさんが好みそうな味である。
    小さな町のメインストリートに面して3階立ての並び家で1階は店舗が出来る形である。
    2階は台所と食堂、3階は寝室で、生活の匂が残った部屋はユキさんが未だそこに寝ているようである。
    ソンは最後の日の朝のユキさんの様子を身振りで教えてくれるが、涙を流し胸を押さえて辛そうである。
    屋上は蘭の鉢植えがいくつもあり、花の好きなユキさんが育てていたものらしい。
    部屋に飾ってあるユキさんの写真を見ると、私も思わず込み上げてくる涙を抑えられなくなった。
    そこから、遺体の置いてあるお寺まで車で15分、田んぼの中に建てかけのお寺があり、
    古いお寺に祭られていて、近所の人が常時20人位は食事をしたり、酒を飲んだりしている。
    ”ユキさん。あんたらしいええ所やないか。みんなにようしてもろうてよかったな。
     後は任せ心配無用。今夜は最後のパーテイしようか。”
    飾られている写真は笑顔である。
    近くに、イギリス人がいてその奥さんが英語とタイ語を話せるので、彼女に通訳を頼む事にする。
    ユキさんと息子さん達の事情を説明し、息子さんの意思を伝える。
    近所で酒を買ってきてもらう。
    今夜は、親戚、近所の村人みんなでお礼の酒盛りである。
    
    
    
  22日 午後1時 12人程のお坊さんが来て、葬式が始まる。
    午後2時、ユキさんは冷凍祭壇から降ろされ、棺の蓋を開ける。
    ユキさんの顔色は青くなく、生きている様で死んでいるのが信じられない。
    試しにアゴヒゲを引っ張り、胸を叩いてみるがやはり返事はなく体は冷たくなっている。
    よく着ていた縞のシャツを着せて貰っている。
    10人程のお坊さんが糸を棺に結び、お経を唱えながら200mほど離れた焼き場へ引導し、
    みんなで棺を担いでついて行く。
    焼き場は炭が敷き詰められ、その上に乗せられた棺に最後のお別れに線香、花を入れ、最後に
    ココナッツを割って、水を掛けて蓋をする。
    ソムは辛そうなので私が線香に火をつけお坊さんに渡して火葬が始まる。
    小さな火が燃盛るまで、焼き場の前でお坊さんがお経を唱えている。
    10m程の高さの煙突から、黒い煙と煤が舞い上がり、ユキさんが空を飛んでいくようである。
    一人になったソムは目を真っ赤にし、あふれる涙を抑えられず、トイレにかけていく。
    慰めの言葉もかけようが無い。
    私も今日はユキさんの火の番で、お寺で皆とごろ寝する積りである。
    夜は又近所の人達が集まり、飲み食いの振る舞いである。
    お腹が膨れると、日本でいうトランプのカブが始まり、子供達が小銭を賭けて儲けようとはしゃいでいる。
    夜中になると、子供たちも帰って静かになり、各自好きな所に蚊帳をかけて寝る態勢にはいる。
    外は、ほぼ満月で明るすぎて星が見えにくいが、それでも澄み切った空気と周りが田んぼで
    明かりがない為、沢山の星が輝いているのである。
    ユキさんの旅立ちを祝福しているようである。
    ユキさんと何度も一緒にクルージングをしたが、もう、こらあかんという台風の時も満月を背に浴びて
    気持ちよく遊帆UFOを走らせる時もあった。
    我々、ヨットマンは出来るだけの事をした後は自然の力の大きさに逆らいようも無く、
    運を天に任すしかしよう無い状態になる。
    誰にも平等にやってくる避けようの無い運命は受け入れるしか仕方が無いのである。

   

   

   

  23日 昨日、骨壷は2つ買ってきた。
    ステンレスと真鍮製で、蓋がネジになっていて、運搬に便利である。
    午前8時、お坊さんのお経が終わると、焼き場に行って骨拾いである。
    焼き場の蓋を開け、中から鉄製の台を引き出す。
    ユキさんはすっかり骨だけになっている。
    ユキさんの体は分子にほどけて自然に戻ったのであり、人格は思い出してくれる人々の中に生きているのである。
    素手で骨を拾い割りながら2つの骨壷に入れていく。
    骨は完全に焼けて軽く、少しの力で割れていく。
    骨壷に入らない残りの骨も丁寧に拾い、白い綿生地に入れていく。
    これは、ソムがユキさんの遺言に従い、川に流してくれる。
    1つの骨壷は、ユキさんの1組の服とパソコン、写真類、貴重品、メガネ、手帳、日記等と一緒に
    EMS(国際小包郵便)で、息子さんの所に送る。
    急いでおられる息子さん達の手元に無事届けばよし、もし、届かない時は私が残りの一つを帰国時持ち帰る為である。
    後の一つは、タイの死亡証明書と一緒にバンコックの在タイ日本大使館に持って行き、日本の
    死亡証明書を発行してもらうのである。
    ソムの親戚一同、近所の村人、お坊さんにお礼を言って、遺骨を持ってナコンサワーンの町まで行く。
    明日の朝9時のバンコック行きのバスの切符を買って、今日はナコンサワーンとまりにした。
    銀行に行き、お金を交換し、ユキさんの銀行口座解約の手続きをしようとするが、
    2行とも開設した銀行でなければ引き出し閉鎖できないと言う事である。
    残高を調べると、僅かであり、わざわざプーケットまで行く事もできない。
    ソムと相談し私が行く機会を見つけて解約し口座に振り込む事にした。
    ソムはお金にゆとりがある訳で無いのに、お金の事を最後まで口にせず、息子さんからの
    志を受け取るのも躊躇したが、私が無理に手渡す様な有様であった。
    ”ソム、あなたともこれで又会う日が永久に無いかもしれない。
     ユキさんも4年間あなたと共に暮らし、又あなたの親戚、友達、心優しい近所の人々に囲まれ
     楽しく後悔の無い日々を送ったと思う。
     ユキさんに成り代わり本当に有難う。
     コップンカップ。”
    彼は私と同じ年だが、誕生日を迎えた2日後に亡くなったのであり、思い出すと最初にソムと出会い
    私がユキさんの誕生パーテイをプーケットで主催してから4年経ったという事になるのである。
    二人がシャロン湾にアパートを借り生活を始めた時、ユキさんは日本語しか出来ないし、ソムは
    タイ語しか出来なくて、1日中日タイ辞書を引きお互いに指し示しながら意思を通じあうと言う有様であった。
    その頃、私、久保ちゃん、ウリズンのネッシーさん等もよくユキさんのアパートに行って、食事をしたものである。
    彼はプーケットのナイハンビーチが特に気に入っていて、ソムと2人でバイクでインド洋に沈む太陽を見に行ったり、
    海岸の林で弁当を持って食べたり、シュノーケリングを楽しんでいた。
    ソムの親戚がスラータニにありそこにも遊びに行ったようである。
    又、ビザの関係でチェンマイからミャンマー国境を越えるのに、ソムとバイクで行ったようで、
    写真を見ると私のバイクで走ったコースと同じであった。
    日本では北海道、沖縄、釜山等一緒にクルージングを楽しんだ思い出があり、思い出せばきりがなく、
    書ききれない。
    

    

    

 24日 最後の仕事であるバンコックの日本大使館に行く。
    面談室はガラス張り、マイクで話すようになっていて、何とも感じが悪い。
    ”友人が亡くなり、死亡証明書を持ってきました。私と友人の関係を示す為に戸籍謄本、息子さんの
     印鑑証明、委任状も用意してきました。”
    大使館職員は何か困った様子で難しい事を言う。
    ”こちらはこれだけ書類を揃えてきたのに何の問題があるねん。”
    ”大使館に届出をする順位というものがありまして、こういうケースは初めてなんです。あなたは死亡した友人と
     同居していた事にしてくれないと届けを受け付けられないのです。”
    現住所をユキさんと同じ場所にして届けてくれという、公文書偽造の薦めを言っているようである。
    ”別にそれでも私はかまいませんが、それでいつ死亡届が日本に届くんですか?”
    ”約、1ヶ月半位かかります。”
    ”息子さんは急いでいるようなのでもっと速くできないんですか?”
    ”それでは、死亡届は日本で息子さんが出してください。”
    ”そうするには、どうしたらよいのかをさっきから聞いているんでしょ。”
    ”タイの死亡証明書を翻訳し大使館から息子さんに郵送しますから、それを持って滋賀県で届出してください。”
    それなら、そうと始めから言えば良いのである。
    相変わらずマニュアル通り、自分達の処理しやすい都合に合わせて事を進めたいだけの事である。
    これで取りあえず全て手続きは終了である。
    大使館を出て、バンコック国際空港に行き、ペナン行きの航空便を探すが明日の朝まで無い。
    国内線でHatyaiまで行き明日マイクロバスでもう一つの骨壷と一緒にペナン遊帆UFOに戻る事にした。

    ユキさんへの別れの言葉は、関西弁があう。
    
     わしらは、長く続く時間と広い地球上の1点で奇跡的にうまい事でおうたもんやな。
     ”ほんなら、またな”と言う日がいつかくるやろ。けど、そのまたは、ほんまにまたかどうかはわからんわな。
     ”あの時 あんたに ああしとけばよかった”と後悔せんようにしてるんやけど。。。
     ほんなら、またな。ユキさん。

     "I meet you now only one chance crossing time and space.
     Someday I must say "See you again" but I don't know for certain.
     So, I do my best for you to not regrets."

ユキさんを知る人からメール大変有難うございます。

参考:ユキさんの事が書いてあるページ
   1番韓国航海記
   22番えびす回航記
   23番沖縄から境港回航記
   24番ピーターソン回航記
   29番タイNO1
   58番プータローツアコン
   69番ユキさんハッピバースデイいnプーケット
    
3月16日

   ユキさんのお骨をユキさんの遺言に従いペナンの海に散骨する事にした。
   クオさんの所の渡し船を借りて沖にでる。
   ペナン島の直ぐ東にJerajec島があり、ペナン大橋の南側は水深があり、水も綺麗な所である。
   このポイントを散骨の場所(5−17−447N, 100−19−770E)にした。
   船を止め船縁からお骨を海に流すとキラキラと光りながら流れていく。
   気持ちよく泳いでいるようである。
   ユキさんの事だから、急がずアチラコチラを見学しながら、今までクルージングをした海、
   プーケットからペナン、フィリッピン海域、日本の沖縄から北海道をまわって戻っていくだろう。

      

4月5日 (琵琶湖でユキさんの散骨)
   今回持ち帰ったユキさんの遺骨を友人と息子さん達の手で琵琶湖に散骨する為に集まる事にした。
   全員”しじみ”に乗り、大津マリーナの前辺りで、皆さんの手により花と一緒に流す。
   天気は良くて三井寺の桜は満開でピンクに染まり、遠く琵琶湖バレーには頂上に少しの残り雪がある。
   ユキさんの体は亡くなったが、これからは彼を思い出してくれる人のメモリーに行き続けるだろう。
   目を閉じて思い出せば笑顔のユキさんがそこにいる事を感じる事ができるのである。

    


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