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21番 ゑびす回航記 2001年
8月24日 同じBCYCのメンバー袖岡 長谷川 横尾氏がBeneteau38Firstを共同購入された。
現在の繋留場所は北九州小戸ヨットハーバーで そこから淡路島まで回航するのに同乗させていただく。
私とユキさんは 一足先に大阪南港から名門大洋フェリーで新門司へ行く事にした。
料金は2等席で5900円 夜8時出港して朝の8時に着く。
我々のような、時間たっぷりのプータローは料金の安いのが何より魅力だ。
私の今回ゑびす丸の同乗予定は長くても 8月30日までと決めている。
9月1日に姪とお友達が琵琶湖にセーリングに来る為に戻らなくてはならないからだ。
小戸ヨットハーバーは めったにヨットハーバーに入らない遊帆 UFO
が韓国から出港して最初に入港した懐かしい所だ。
今回の回航はスモーキーモウンテン号の回航時の様に、出港したが最期無事入港できるかどうかといった
零戦特別航空隊の如き心構えはしなくても大丈夫だ。
船は整備されているそうだし、ベテラン船長が3人もいるから、のんびりと玄海灘と関門海峡を抜けた辺りまで
セーリングを楽しめるだろう。
25日 ”オバタハ〜ン どこに いてる?”
”今は 南港ニュートラムに乗ってるからもう少しでフェリーターミナルにつくしな。ユキさん 先に乗っててか。”
ターミナルに着くと、フェリーのデッキでユキさんが手を振って待っていてくれる
乗船して席を貰うと ドライバー用船室をあてがわれた。
1部屋4人で なかなか快適だ。
船が出港して 缶ビールとユキさんが買ってきたブルーチーズを肴にチビリチビリと始める。
”この船は 風呂が2つもついてんねんで。一つは展望風呂やで。”
と 物知りのユキさんが教えてくれる。
”船旅は 遊びながら 風呂入りながら 横に寝ながら テレビを見ながら行けるし 安いし絶対これに限るな。”
二人は フェリーの営業宣伝マンの様に褒めちぎる。
26日 朝6時 もう一度 展望朝風呂&缶ビールで オハラショウスケさん状態だ。
8時新門司入港。
この港は 4年前 遊帆 UFO
で夜に入港して 真ん中でアンカーを降ろして寝ていたら 朝に警笛を鳴らされ
ビックリして飛び起きた所だ。
今 こうして大きなフェリーに乗って港内を見ると 成る程 邪魔な位置にアンカリングしていたなと反省する。
”オバタハン はよ 降りな バスに坐れへんで”
と 言われて あたふたと小走りにバス乗り場へ急ぐ。
無料送迎バスで 門司駅と小倉駅まで送ってくれる。
”ユキさん まだ 早いし 小倉の町を見物して行こか。”
二人で 小倉駅の路地裏の怪しげな所を選って見学する。
夜になると 酔っ払い客を吸い寄せる派手なネオンがつくのだ。
次ぎに天井のトタン板から日が差し込むバラック建ての市場へいくが、まだ開いていない。
私は、綺麗な商店街よりこういう日陰というか時の流れからおきざりにされたような所が好きだ。
朝に、大きなリュックを背負った怪しげな髭のオッサンが怪しげな通りを歩いているのだ。
しかし 我々よりもっと怪しげなオバチャンがいた。
そのオバチャンは 商店街の通りに坐りこみ 道行く人に話しているような感じで一人文句を言っている。
その前のパン屋で サツマイモ入りクロワッサンを買って味見する。
博多まで JR快速電車に乗ると1時間程で着いてしまった。
”やっぱり、昼は 博多ラーメンやで”
と、地下街のラーメン屋で 長浜ラーメンを注文する。
”なんじゃ 本場の割には、あんまり うまないな”
と、 気の弱い我々は、店を出てから小声でブツブツ言い合う。
”とりあえず 小戸ヨットハーバーへ行こか。”
オーナー3人様は まだ 新幹線の中らしい。
ヨットハーバーにつくと どの船か探しまわる。
ベネトウ ファースト 38 だけで 船名は分からない。
”あった 多分これやで。 あれ?。鍵も かかってないで。 暑いし中入ってよ。”
と、かってに 乗船してハッチを開けてオーナーさん達の到着を待つ。
中は 広く 傷んでいない。船体も大きな傷が無く綺麗だ。
ステイも堅牢だし ファーラーもハーケンの大きな物を使っている。
セールは端が少しほつれているが問題はない。
デッキのチークが減ってしまっているが、袖岡さんがその気になればすぐに新品になってしまう。
ただ エンジンのメンテナンスに問題ありそうだが、エンジンそのものはあまり使っていないようだ。
今回の新オーナーさん達の手にかかれば、今 以上に使いやすく、又、綺麗に修理改善されてしまうだろう。
午後3時オーナーさん達は 大きな荷物を持って到着。
早速 奴隷は買いだしに行くが ユキさんは 毎日主婦の仕事をこなしているから、買い物は間違い無しだ。
値段には厳しく 1円でも安いものを買ってくれるが、ケーキを見ると知らぬ間にフラフラとそばに寄って行くという
弱点がある。
もっとも ユキさんの事は言えない私だが、私の場合は 大福餅(あんこ系)に吸い寄せられる傾向がある
カップラーメン5個 レトルトカレー5個 米5Kgs 水2lリッターが20本 ビール24本 ワイン3本 その他 色々山盛り。
船まで 運ぶのが一苦労だ。
今日の所はこれくらいで 無罪放免で夜は小料理屋で 横尾オーナーのオゴリで出陣前夜宴会だ。
27日 朝4時半 博多は未だ夜が明けていないのに、このヨットハーバーは3艇帰港 1艇出港と皆さん元気に活動している。
我々も負けじと、5時出港の御触れがでる。
天気は晴れ。風はそんなに強くないが向かい風。玄海灘は2m位の波だ。
ゑびす丸は 2200エンジン回転で6ノットは走っているようだ。
沖に出ると少し波が出てきたが、乗り心地はなかなか良い。
遊帆 UFO なら バッタンバッタンしながら走るところだが向かい波に乗りながら走って行く。
10時 風力15ノット向かい風。 デッキに波が少し上がってくる。
皆さん1日目で 少し船酔い気味のようだが心配なさそうだ。
1時半頃 関門海峡の入口。 なんとか潮止まり位で抜ける。
抜けてから 風向き良くなったのでセールを揚げて帆走するが 6ノット位でよく走る。
今日は宇部港まで 足を伸ばす事ができた。
上陸して、漁師のオバチャンにここの潮位を聞きに行く。
”あんたら どっから 来なさった?”
”博多から あの船で来たねん。”
”天然の生きとる車エビ 安すうしといたるし買え。”
と 海から網を引き上げて見せてくれる。
”なんぼやねん”
”キロ 3000円や”
”う〜ん そうか。う〜ん。う〜ん。”
と、躊躇していると
”えい、 辛気臭いな。男やったら パーッと買わんかい。”
”ハイ スンマヘン。 ほんなら 半分 買わさせて戴きます。”
半分 恫喝入り 巧みな営業文句に負けてしまう。
”そのかわり イカをおまけにしといたるし 風呂屋もわての車で送っちゃる。”
口から出てくる言葉は怖いけど、気のやさしいオバチャンだった。
オバチャンの向かえを待つ。 操船するのに少し位置が低いか?
28日 朝5時 横尾さんが 昨日のエビを焼いてくれる。イカは塩茹でだ。
ご飯は 石釜で 松茸ご飯の元を入れて私が炊く。
岸壁で車座になって朝ご飯。
”なんて朝から贅沢な朝ご飯や。 こんな生活 ワシも はまりそうやわ。”
”そやろ、横尾さんも はよ 仕事やめ。ワシもオバタはん みなろうて、仕事ヤメてん。”
と、袖岡さんは しきりに横尾さんに”学問の薦め"ならぬ”リタイヤーの薦め”をしている。
どうも 私が元凶で BCYCメンバーの方々が 仕事をやめているような物言いだ。
私は 皆さんに仕事をヤメとは 言った積もりは無いけどな。
鍵さんも私のせいやと言うてるし。
”ただ いつまで 仕事すんねん?。”
と、 聞いた覚えはあるけどな。
とりあえず 腹ごしらえは終わり 出すものも出して元気に松山方面へ出港だ。
今日は 機帆走で平均7〜8ノットでていたようだ。快速ゑびす丸だ。
長谷川さんは 何度もビルジに水が溜まるのを点検している。
どこから 水がくるのか未だ原因は分からないそうだ。
今日は 皆さん船酔い無しでお昼にカレーライスを食べ、チーズとワインと冷蔵庫が減っていく。
午後5時半、松山和気町にある島ヨットハーバー入港。
タクシーを呼んで、チョット定員オーバー気味に5人全員乗って 権現湯で風呂&夕食。
29日 5時前薄明で出港。
全員年寄りばかりだし、おまけに慣れてきて だんだん 早起きになり出港時間が早くなる。
長谷川さんが来島海峡を通過せずに島々の間を抜けると潮流の影響が少ないと提案。
景色に変化があるし 全員賛成でコースを30度位に取る。
島々の間を抜けながら、人が近づけそうでないビーチを見つけると
”これはプライベートビーチになるで。ここで アンカー降ろして 遊んだらええな”
”横尾さん。男ばっかりやのうて、女性がいたらよろしいですな。”
”長谷川さん あんた 元気でてきたがな。”
大三島 高根島 尾道水道 松永湾 田島と抜けて 午後1時半頃、内海ヨットハーバーへ到着。
”ここは 舵に出てたヨットハーバーで穴場らしいで”
と、言う事で、ここで 暫らく預かってもらう事になったそうだ。
ポンツーンがあって設備もなかなかだが 未だヨットの数が少なくガラ開き状態である。
道に歩いている人に この辺で買い物出きるか聞くと この島は店も食堂も無く、内海大橋を渡って対岸へ
行かなければならないそうだ。
”成る程 こりゃ かなりの穴場らしい。ひょっとすると ずーっと穴場のままの可能性があるな。”
と、一人で納得する。
ということで、今回は西宮まで行かずに、ここにて無事終了という事になった。
無事到着記念撮影 穴場の内海ヨットハーバー
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