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               23番 沖縄から堺港回航記                            2001年

8月の終わり ”オバタハン 沖縄から堺港まで船運んだってほしいねん。”
         と、石垣島の辻仙人からの懐かしい声が電話から聞こえてくる。
         こちらプータロー 考える必要無しでOK。
         メンバーは 天下の素浪人 鍵さん。
         髭の主婦 ユキさん。(本人のクレームにより主夫に変更させて頂きます)
         時間制限無しメンバーだ。
         そこに、スモーキーマウンテンの木村さんが自分も連れて行けと言う。
         ”木村はん。今度は人の船を預かっての回航やから、我侭 言うてもあかんし 
         船酔いで途中で降りると駄々をこねても、港に寄らへんで。”
         と、一言釘を刺しておくが、馬の耳だろう。
         ”ダイジョウブ ダイジョウブ ダイジョウブ”
         例の得意技3回繰り返し早口言葉で 気楽なものだ。
         ”まあ しょうないか。”
         これで メンバー編成終わり、割引航空券の予約を入れる。
         今回は沖縄宜野湾を出たら徳島まで 黒潮に乗って 天候が無茶苦茶悪くならない限り、
         補給が必要でない限り船を走らす。
         距離 800マイル 7日間位だろう。
         勿論 各避難港は考えているが 屋久島を過ぎると四国沖は寄港するところが一応無いと考えている。
         沖縄についたら、3日間整備と補給をし 近くを走らせて船を点検し、又、 黒潮はうねりがある為人間の方も
         海仕様の体に変えなければ、船酔い続きで食事も食べられなくては、持たないだろう。
         9月5日は 沖縄のぎらつく太陽と群青色の黒潮だ。堺港入港予定9月22日。

9月4日 明日から沖縄だ。長い航海の前になると、体がしゃんとしてくる気がする。
      この時期中国大陸から発生した前線が沖縄諸島と四国沖を東へ移動する事が多い。
      3日に1回は時化に遭うことは覚悟しなければならない。
      今までもひどい時化に会った。
      津軽海峡 三陸沖 串木野沖 セールが破れた沖縄の手前、そしてデスマストしたビサヤ海と
      今でも風波の情景が浮かんでくる。
      大波に翻弄され 船のコントロールにも疲れてくると、もう 勝手にせい。なんぼでも荒れて見ろ。 と、
      諦めというか開き直りという心境になる。  
      その荒れた海を乗り切って次ぎの日になると、遠い日の事のように、その時化の事は忘れてしまっている。
      人間の事情等これぽっちも考慮されない自然の圧倒的な力に会って、生きていると感じる事が多々ある。

9月5日 伊丹空港で待ち合わせて飛行機にチェックイン。
      2時間足らずでもう到着だが ここを自転車より少し早いくらいのスピードで帰ってくるのだ。
  6日 買い物と船の点検に忙しい。
      潜って 船底の様子を確認するが 以外とキールが短く ラダーにスケグがないのが気にかかる。
   7日 台風16号が発生し 沖縄へ向かってきている。
      沖縄の台風の激しさは本土とはスケールが違っている。
   8日 昨夜の台風の為 ジブファーラーが解けて セールがボロボロになった船が2艇。
      マストが折れたのが1艇。。
      上架していて風で飛ばされずり落ちそうになった船1艇。
      台風に慣れている沖縄のセーラーでも油断するとこの有様だ
      おまけに宜野湾の入り口のアンカーの記念碑にデインギーが風に飛ばされ突き刺さって
      なかなかの芸術作品にしあがっていた。
      
      3年ぶりに 近くの料理屋(千房)のオカアサンに会うが覚えていてくれていて、私がフィリッピンから
      出した絵葉書を持ってきて見せてくれる。
      知名オートのオヤジさんも元気で頑張っておられた。
  9日 ユキさんも 遅れて到着して、
 10日 午前6時元気に4人で出港だ。
      例の如く 40分ほどで 木村さん ダウン 顔色は青くどうしようもない。
 12日 台風16号が反転して北上してきそうなニュースなので 奄美大島名瀬港に13日午前5時入港する。
      ラジオから台風情報を得ていた我々はアメリカ同時多発テロニュースが飛び込んできて、台風情報は
      吹っ飛んでしまった。
      港内を点検して回っていると、漁師らしきオッサンがいた。
      ”オハヨウサン ここらは何が釣れるのん”
      ”ウチは 料理屋やから 夜にうまいもん食べに来い。ムッチャンいうたら誰でもしっとる。”
      昼は 皆さん自由行動と言う事で 私は午前中図書館 昼飯は奄美名物鶏飯 午後サウナ。
      3人はレンタカーで島巡り
      夜に ”それじゃ ムッチャンへ行ってみよか”
      と、 探しながら行く。 
      名瀬の市内は大きくないので、すぐに見つかる。
      "オッサン 来たで.。 自慢やないけど貧乏やさかい よろしゅうね。”
      ”まかしとき 俺の釣ってきた魚の刺身と泡盛を飲め。”
      と 言いながら 魚を豪快に厚切りに出してくれる。
      ”うれしいね。こんな分厚い刺身など、今回始めてやな”
      ”鍵さん 沖縄名物 泡盛を飲まなあかんがな”
      ”わし あんまり 酒 強ないし チョットな”
      と、言いながらも、そのうち いつのまにか手酌で自分のコップにゴボゴボついで飲んでいる。
      その他 腹1杯 泡盛も しこたま飲んで計算してもらうと4人で3千円程だったらしい。
      ”ムチャクチャ 安いな〜。”
      ”オッサンが 伝票を線引いて消しとったで”と木村さん。
      ”ほんなら 明日 ナレズシを土産にオッサンとこへ届けとこ”
      ムッチャンを出て 船まで、鍵さんが酔っ払って道のコンクリートでヘナヘナと寝てしまう。
      急に ユキさんが
      ”タ〜テ ウエタルモ〜ノ〜ヨ”
      と 歌うと、鍵さんが直立するが 終わると またヘナヘナと坐りこむ。
      ”こりゃ おもしろい。 ユキさん もう一回 歌うてみ。”
      何度 やっても 直立する。
      最期は 力尽きた鍵さんを木村さんと二人で船に引きずり込み寝かす。
 14日 天候について見切り出港する。
      この日朝から 夜中1晩中 時化た。
      メインセールは2ポイント リーフ& インナーストームジブで 走るが風波で右に左に舵を取られる。
      コンパスだけを見ながら舵を取る真っ暗な夜。
      船はヒールし片舷が波に洗われる。
      風と波の音が、エンジン音をかき消している。
      勿論 木村さんは既にズッ〜ト船酔いで半病人状態だ。
 15日  結局 朝まで頑張り通したが燃料タンクの接続部が外れて船内が軽油で汚れているので午前11時屋久島へ寄る。
      ここからの帰るコースで 意見がまとまらない。
      私は屋久島から45度コース徳島直行案。
      皆さんは瀬戸内海を通る案。
      瀬戸内海を通れば 何日も掛かり時間が無い私は途中下船しなければならない。
      ここは 徳島直行案を強引に決定出港。
 16日  ここで 木村さんは下船。
      屋久島を出港するが 意外と天気は快晴 風も波も静で気持ちが良い。
      夜は、舵を持ち満天の星を見ながら、黒潮に乗って船を走らす。
      ”綺麗な星空やな。 あそこに人工衛星が見えるで。こんなんやったら なんぼでも行けるな。”
      と、3人は もう 2日前の時化等 すっかり忘れている。
      途中 いるかがバウの下を一緒に泳いでくれる。手を伸ばせば背中を触れそうな所だ。
      お腹に赤い斑点のあるいるかが 逆さまになり腹を見せて私の顔をじっと見ている気がした。
      室戸岬の沖に入ったとき 今度は、鯨の群れに出会う。
      こちらは ユッタリとセビレを出しながら泳いで逃げていく。
 18日 19時、徳島県チョピア入港。
      フィリッピンで出会った溝田夫妻が 電燈を振って合図してくれている。
 19日  休養と友が島水道の潮待ちの為1日中自由行動     
 20日 午前2時 出港して堺へ向かう。
      午前8時ごろ北流の潮に乗ってイッキに友が島水道を通過
      お昼12時 航海を終える。
      
     

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