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    88番 旧正月 IN  ペナン   2008年2月

2月始め マレーシア携帯電話は、大西さんかIsaacのファンさん位しか掛からないのに、
    珍しく、クアラルンプールのファンさんからの電話がある。
    ”オバタさん、2月8日旧正月に家族親戚団体でペナンに行きますからホテル予約お願いします
     どこもこの時期ホテル予約が難しいんです”
    ”ファンさんの方がマレーシアに住んでるんやから、あんたの方が確実やろ”
    と言いながらも、ペナンの人脈を思い起こす。
    先ずは、サムにコンドミニアムを探してもらうがこちらはダメ。
    次は、大西さんの酒飲みと競馬のお友達で、このハーバーにヨットを置いている中華系マレーシア人の
    チャンさんに頼んでみる。
    彼からは直ぐに連絡が入り、バツフェリンギのホテル3室を予約する事が出来た。
    日ごろあまり客の入っていない、ジャスコとテスコも混んでいる。
    正月用の特別食材、一寸見た所クワイのようなものを山積みにしてあるのが、たちまちにして
    売れていく。
    料理方法は薄く切って油で揚げるらしい。
    日本でいう新年の御挨拶にジュースやらお菓子を積み上げた篭を持っていくらしくこれも良く売れている。
    又、日本と同じお年玉もあり、やはり赤い派手なポチ袋に小額紙幣を入れてあげるのが習慣らしい。
    私の一存で6日7時から桟橋で新年パーテイをすると書いた紙をハーバーの入り口に貼り付ける。
    ヨットマンのパーテイは誰かがするといえばいいだけで、後は各自が勝手に食べるものと飲むものを
    用意して集まり、勝手に解散するというだけの事である。
    ヨットマンは暇人ばかりだから、適当に集まるだろう。

 6日 乾季のシーズンは日中は天気が良すぎて暑いので、何度も遊帆UFOに水を掛けて冷やしている。
    日が暮れると男連中があちらこちらで都合をつけてテーブルとイスを桟橋に並べ始める。
    こういう事はヨットマンはうまいもんである。
    各自作った料理を持ち寄り、ダラダラとパーテイが始まる。
    私はスモークサーモン入りバラ寿司を作る。
    スモークサーモンはサムと二人で対岸のバターワースの鮮魚冷凍工場で仕入れてきたものである。
    集まった人の中にベジタリアンやらモスリムの人がいたりするが、寿司は一応誰でも食べられる。
    遊帆UFOの繋留しているバースにいたサンライズ(52ft 台湾製)の新オーナーはシンガポール人
    (中華系)の若い夫婦で今日のパーテイを最後にシンガポールに向け初航海にでる予定である。
    5年後に世界1周を予定だそうである。
    夫婦で共に目的に向かって夢を語る姿は微笑ましい。
    このハーバーにも東洋人も次第に増えてきている。
    Isaac(李、黄さん) Little Star(中華香港系のカナダ人 ちょっとややこしい) サム(シンガポール)、
    ジェームス(マレーシア)、チャンさんグループ(マレーシア)、シンハー(インド系マレーシア)、ラー3(日本)と
    半分位は東洋系になりそうである。

    

 7日 朝に韓国の長年の友人の金社長に電話で新年の挨拶を兼ねて元気にしているか聞いてみる。
    確かもう75歳位になったはずである。
    ”この頃糖尿はどうですか?”
    ”まあ、まあ、ですわ。オバタさんはペナンで何をしているんですか?”
    ”毎日、船で寝起きして船でご飯を作って食べています”
    ”何が面白いんですか?一度韓国に遊びに来なさいよ”
    彼でなくても何が面白くて船で生活しているのか疑問に思うであろう。
    誰よりも自分が一番分からないのだから。。
    正月の朝ごはんはIsaacの黄さんがトック(韓国雑煮)ビンテット(えんどう豆で作ったお好み焼き)を
    ご馳走してくれる。
    昼からサムにバイクを借りて町に出てみると、やはりシャッターの降りた中華系の店が多い。
    モスリム系は営業している。
    車も少なく以外に道路はすいている。
    自炊をしないし食べる所の決まっている大西さんは食堂が閉まっているのでタイのHatyaiに行って正解だったろう。
    明日はクアラルンプールのファンさんがペナンにやってくる予定である。
 
 8日 ファンさんが家族親戚9人バンに乗ってやってきた。
    彼の弟一家、姉さんの一家が香港からクアラルンプールへ遊びに来てペナン観光という所である。
    弟の息子(ウインサム)は11歳で、ホテルまで私の後ろにバイクで行きたいとの希望である。
    香港では16歳まではバイクの後ろに乗る事も禁止なので生まれて初めて乗るらしい。
    ”オジサンの腹に手を回して離したら駄目よ”
    小さな腕なので手を伸ばしても一杯のようであるが、本人はご機嫌で後ろからついて来るファンさんの
    車に手を振っている。
    ホテルはバツフェリンギでくねくねと曲がった海岸道路を走っていくと看板が見えてきた。
    ここは2年前に私の娘と友達が泊まった所である。
    チェックインが終わると、ウインサムとプールへ泳ぎに行くが水が汚い。
    モスリムの女性は泳ぐときもマチ子巻にT-シャツ長いパッチと完全装備で肌を見せる事はない。
    ヨーロッパ系のビキニオネエチャンはハンカチよりも小さいパンツとブラジャー姿である。
    タイのバトンビーチでは流石にゼンプレスは無いがトップレスにTーバック姿で平気で歩いている。
    夕食はガーニープラザの前の東方海鮮舫で8時という事にする。
    ガーニー通りロータリーは大きなナイトマーケットがあり沢山の人で混んでいる。
    屋台も50軒以上はあるだろう。
    日が暮れると、何処からか花火が上がる。
    海鮮料理屋の最初のメニューは綺麗に盛り付けた前菜(くらげ、キュウリ、その他色々)である。
    皆立って箸を持ちその前菜を一斉に混ぜる事で新年の挨拶となるようである。
    私の横に座ったファンさんも今は54歳になるが、会っているときは28年位前の感じしかしないし
    私もその当時に戻っている。
    こういうのが古い友達と会うと良い所である。
    彼は仕事も順調に行き、親族の柱になり頼りにされるようになったのを見るのは嬉しい。
    こんなに長い家族ぐるみの付き合いなので弟の様に思うのである。

    

    ジョージタウンの中華街で各地域毎に、節句別の飾りつけをしパレードがあるらしいので、
    リタイヤー一人生活1ヶ月間試験飛行に来ておられる村田さんと中華料理を食べにがてら
    バイク二人乗りで出かける。
    ”今回は一人で生活できるかお互いやってみようと、家内に言ってきたんです”
    ”村田さん、料理はできるんですか?”
    ”冷奴にラーメン位できるよ”
    私から言わすと、料理ができるという所までいかない。
    ご本人には言えないが、勝負ありと言う感じである。
    中華街の中にある大東飯店という飲茶もやっている店だと、メニューが分からなくても
    ワゴンから見て取ればよいのでここに決めた。
    餡かけアゲそばにシュウマイ等を食べていると、村田さんの知り合いが偶然に隣の席に着く。
    しばし、挨拶し店をでるとパレードは終わって、警察官が沢山でている。
    結局、私は見学する事ができなかったので、Isaacの李さんに写真を貰ってアップする事にしたのである。
    
    

 21日 中国旧正月明けの日になる。
    つまり、7日が新月で満月までがお祝いの期間のようである。
    午後8時東の空に少し赤みがかった大きな丸い月が上がってくる。
    月の明かりで星は霞んでしまう。
    今夜はあちらこちらで花火があがる。
    今朝、サムが遊帆UFOにやってきて
    ”オバタ、ネズミがネズミ捕りに入っている”
    この間から桟橋をウロチョロしていたので、桟橋の舫のそばにネズミ捕りを仕掛けておいたのである。
    ネズミとの戦いは長い歴史があり、今まで遊帆UFOに攻め込まれ不利な戦いを強いられてきた。
    今回は、自陣に乗り込まれる橋頭堡で食止めたのであり大戦果を挙げる事ができたのである。
    ”海に漬けて殺すか”
    とサム。
    ”バーベキューはどうか?”
    と、タッチ(タイ人クルー)
    ”殺すんわカワイソウやな。ペットにしようかな”
    と、私
    ”こいつはボーイかガールか?”
    と、タッチが篭をひっくりかえしてみる。
    ”こいつはボーイや、大きなチンチンしてる”
    と、サム。
    ”ボーイなら、禁固刑1日後釈放する事にするわ”
    と、私の判決をくだす。
    ”今度、来たら水死刑やで”
    と、よく言い聞かせ、ハーバーの外で逃がしてやる。
    一目散にハッサンのレストランの方へ逃げていった。
    ハッサンは水撒きをしていて、私が手を上げると何も知らずに手を上げて寄こした。
    ハッサンの所で又活躍しに行くだろう。
    ”全く、懲りないヤツメ。 今年はネズミ年だし、しょうがないか。
     インド人はネズミが家に来ると福が来たと喜ぶらしいが、ハッサンはモスリムやからどうかな”
    と、空の籠を下げてブツブツ独り言を言いながら遊帆UFOに帰るのであった。

 22日 航空券の格安フェアーが3日間開催されるというので、李さん黄さん、サムと出かける。
    大西さんも誘うが一人で行くと言う。
    今回マレーシア入国が1月21日の為、3ヶ月の滞在期間があり、パスポートの有効期間の
    6ヶ月前までしか再入国許可が降りない為、4月19日に一度マカオから香港へ行き
    4月24日にマレーシアに戻り、7月20日帰国という航空券を買うことにした。
    空港税とサーチャージ(燃料代)全て込みで関空往復2150RM(約65000円)
    マカオ往復641RM(約2万円)であった。
    サムは日本に行きたいと言う事なので、私が保証人で日本領事館でビザを申請し
    一緒に京都に行き、何日かは琵琶湖の船でクルージングをする積りである。
    夜は昨日用意したタンの塩焼きパーテイである。
    大西さんの冷蔵庫に1日入れて少し硬くしたのを取り出し、大西さんをバイクに乗せてハーバーに戻る。
    Isaacの黄さんは、豚肉と肝臓を蒸してスライスして持ってきてくれるし、サムはスモークサーモンを
    用意してくれている。
    タッチはタイ人だが、モスリムなので、豚肉は食べられないが、タンは大丈夫である、
    日が落ちると、サムがタッチに酒を勧める。
    ”タッチ、ワインはジュースや。アルコールが9%で殆ど入ってない”
    ”日が暮れたから大丈夫”
    等、勝手な理屈をこねてワインをつぐ。
    一度、口にすると後は断る理由もないのでドンドン飲むのである。
    酔いが回り始めると、全員大きな声で無茶苦茶英語で喋るが意味は通じている。
    それにしても、タンの塩焼きはもう少し薄く切る事ができれば美味しかった。
    市場でタン1本、19RM(約700円)で、食べ切れなかったので、明日、黄さんに
    タンスープを作ってもらい再パーテイをする事にした。
    毎日、理由をつけて飲みパーテイをするのである。

 24日 遊帆UFOの前のパワーボートをメンテナンスしているアリの結婚披露パーテイに招待される。
    李さん黄さん、タッチ、私の5人がサムの車でバツマンの南、マレー式家屋の建っている町に行く。
    40坪程の土地に平屋建てで家の周りは全て庭になっていて、バナナ、ジャックフルーツ、
    沢山の種類の木が植えられている。
    アリが出迎えてくれて、奥さんに紹介してくれる。
    アリの従妹は未だ2歳だそうだが、マレー式の挨拶なのか、私の差し出す手を両手で
    包み、キスをし、額に持っていってお辞儀してくれる。
    黒目勝ちのこの可愛い少女に我が孫娘を重ね合わせて思い出し抱き上げてしまう。
    私の孫娘も、もう直ぐ1歳になるが、今度会った時にはこの少女のように顔見知りせず笑顔で
    受けて入れくれるだろうか?
    家の床はタイル張りで冷たくて気持ちが良い。
    自分の好きな場所で既に料理を囲んで食べている。
    10種類程の料理が用意されていて、来た人から順次、皿に取って食べて帰っていく。
    肩の凝らないアットホームで暖かい結婚披露である。
    日本の結婚式の様に、マニュアル化され時間単位で進行されビジネスになっている式とは
    大違いである。
    ユキさんの葬式の時もそうであったが、親戚、近所、総出で手伝って準備し、助け合うという
    習慣がこちらでは当たり前になっているのである。
    日本もかってはこのようであった。
    日本人は本当に幸せになっているんだろうか?

    

3月2日 村田さんと同じ所に住んでいる友人3人でハーバーまで遊帆UFO見学に来られる。
    今日、日本では孫娘の初ひな祭りでちらし寿司を作るらしいので、遠く離れたペナンで
    同じ様にちらし寿司と豚の各煮を作る事にした。
    この頃は夕方になると雨だが、パーテイの時は何とか晴れているので桟橋で車座で始める。
    お腹も膨れて酔いも回って、村田さんは尺八を取り出し良い音色を出し始めると、
    ハーバーのメンバーも負けてはいられない。
    と言うわけで、黄さんは韓国双鼓、アヴィンはサクスホーンで対抗する。
    私は何の芸もないので、アヴィンにサックスホーンを教えてもらおうかと思っている。
    60歳過ぎて始めるのも何か恥ずかしい気もするので、現在考慮中であるが。。。

    

 11日 最近は身内パーテイ続きである。
    というのも、私を含め、サム、タッチが独り者の為、Isaacの李さん黄さんを巻き込んで、
    ワイワイ言いながら食事をしようという魂胆である。
    今日はタッチがタイ料理を作るというので、市場とTescoに買出しに行く。
    新鮮さは市場の方が良い。
    ”タッチ、今夜は何を作ってくれるんや?”
    ”パパイヤボックンに手羽バーベキュー、牛肉バーべキュするよ。”
    これは青いパパイヤ、にんじん、ピーナッツ、アーモンド、エビなどを入れて、
    混ぜながら、レモン、フィシュソース、チリ等で味付けするのである。
    タッチも料理はうまい。
    サムはスイカにパイナップル等デザートを準備している。
    彼はここJabatanハーバーをアジア系ボートを増やして占領するというのが口癖である。
    ”昨日のマレーシア選挙は野党が大勝してペナンも変わると思う。
     以前はペナン島はフリーポートやったのに、今はランカウイ島だけがDuty Freeになっている。”
    ”ペナン島Duty Freeに大賛成ね、そしたら、ランカウイ島まで行かなくても、安いビールが飲めるもんな。
     ハーバーで署名集めしたらどうや?何処かで 選挙に使った野党の旗を盗ってきて遊帆UFOに揚げる事にするわ”
    と、無責任で酔っ払いの私はサムにいい加減な事をいうのであった。
    出きる限り毎日楽しくイージーに過ごすというのが私の生き方であるが、若いサムやタッチにとって
    良いか悪いかはわからない。
    
   

 16日 ユキさんのお骨をユキさんの遺言に従いペナンの海に散骨する事にした。
   クオさんの所の渡し船を借りて沖にでる。
   ペナン島の直ぐ東にJerajec島があり、ペナン大橋の南側は水深があり、水も綺麗な所である。
   このポイントを散骨の場所(5−17−447N, 100−19−770E)にした。
   船を止め船縁からお骨を海に流すとキラキラと光りながら流れていく。
   気持ちよく泳いでいるようである。
   ユキさんの事だから、急がずアチラコチラを見学しながら、今までクルージングをした海、
   プーケットからペナン、フィリッピン海域、日本の沖縄から北海道をまわって戻っていくだろう。

      

 17日 孫娘が川崎病の為に入院したので急遽帰国する事になった。

89番プータロージジイ&孫へ行く