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ランカウイ津波情報リンク(Isaac Mr.Leeがポンツーンに掴っている写真)


   69番 ユキさんハッピーバースデイ IN PHUKET  2005年1月15日〜28日

1月10日 遊帆UFOも安全になって、単調な船の生活に慣れてくる。
     太陽と競争しながら起き、太陽が沈むと寝る。
     その間、する事は食事と酒、インターネット、サウナ、本読みだけである。
     ユキさんのアパートをヨットクラブのようにして、暇があると寄ってダラダラする。
     皆さんが読み終わった本も、ユキさんのアパートを交換場所にしている。
     たまに、鍋料理、お好み焼き等を作って食べている。
     ユキさんは迷惑だろうが、利用させてもらっている我々海上生活者は便利である。
     最近は北東の強い風が吹いているので、シャロン湾は波が立って居心地は良くないので
     余計に、快適な居場所になっている。
     ゴロゴロ寝転んで、本を読んだり、酒を飲んだりしている。
     ”ブーゲンビリアをチョットパチリにカタビーチまで行く”
     と言ってユキさんは、ソムちゃんとバイクで出かける。
     何処でも育つこの木は、切って水に入れておくと根が伸びだすので挿し木も簡単な様である。
     花の色も色々あり、又、花の大きさ、咲き方にもバリエーションがある。
     1月15日土曜日がユキさんの50と何回目かの誕生日なので、それをダシにして
     面白い事ができないかと、暇にまかせて頭をひねるプータロージジイである。

 12日 ユキさんの誕生日が今週土曜日なので、ハッピーバースデイパーテイを企画する。
     今の所、参加メンバーがはっきりしているのは、ユキさんとソムちゃん、ウリズンのネッシーさん 
     雪風の久保さん、私と寂しい限りである。
     ”皆さん、誰でもええから、最低2人の女友達を呼んでくるように。
     ”そんな事が出来るんやったら、一人でこんな所でまで来んもんね。
     と、開き直られてしまう。
     皆さん、自称”シャイ”と自慢しているので、多分一人ぼっちでやってくるだろう。
     人数が確定できないので、どこを借りるかも決められない。
     ”まあ、しょうがない、集まってから考えるか”
     得意手のでたとこ勝負でいこうと、いい加減になってしまう私であった。
 
 13日 プーケットタウンのイミグレまで行って、遊帆UFOの預金20,000バーツを返してもらいに行く。
     割と愛想よく応対してくれて、小切手を貰うが考えてみれば当たり前である。
     利子は付いてないのかと聞いて、”無い”と言われるだけであった。
     嫌味ついでに、この預け金制度について、色んなケースを想定して質問した結果、
     プーケットのイミグレででチェックイン、チェックアウトする時だけ有効である。
     その為、例えば、違う場所 クラビーとか カンタンのイミグレで事を行う場合は
     そこのイミグレに20,000バーツを預けなければならないと言う事が分かった。
     それでは、プーケットで1ヶ月以上滞在する可能性がないなら返金してもらっておく方が良いだろう。
     イミグレに預けるのは、銀行の様に手数料500バーツ程も取られないで10バーツだけである。
     次に、ボートラグーンのネッシーさんの船ウリズンを見に行く。
     スタボー側のバウとスターンが先から30cm程破損されている。
     乗っていたネッシーさんには相当な衝撃だっただろう。
     ”いや、考えてたより凄い壊れようやな。それにしても、この船はよく当たられるな。
      津波に会うなんて、一生の内にめったに無い経験したな。
      私も一度見たかったような気がするな。”
     私も、人のことだと思って、えらく簡単、無責任なものいいようである。
     修理に1ヶ月程かかるらしく、その間にチェンマイまで足を延ばし、チェンライ、マエサイ、
     スコータイと、北部を旅行しに行くそうである。

 15日 毎日、午後2時から5時位までサウナで本を読んだり昼寝をして過ごして、ユキさんの
     アパートに行く。
     前の道でユキさんとソムちゃんがバドミントンをしている。
     ”ソムちゃんチョット代わってか。ユキさんとアイスクリームを賭けて勝負するし。”
     段々と気合が入ってきて、すっかり汗をかいてしまう。
     それでも10−9と僅差で私が勝ち、ユキさんはアイスクリームを買いにスーパーへ行く。
     ”今日のパーテイは、どうせお金を使うんやから旨いもんにしょうな。”
     と言う事で、ユキさんの誕生日パーテイの場所をシャロン湾の海鮮料理の店にする。
     津波の影響で観光客が、がた減りの為、浜に面した眺めの良い席を占領する。
     午後7時、風も波も無く、空には星のイルミネーションが輝いて舞台装置は整っている。
     ユキさんの自薦後見人でオーガナイザーの私は、彼を祝って呉れる人は全てウェルカムの
     フリーチャージパーテイにする。
     料理は蟹のカレーソース炒め、イカのリングフライ、グルーバ(白身魚)の醤油と生姜蒸、
     蝦と春雨炒め、豆腐と岩海苔のスープ、カイランと豚肉炒め、卵チャーハンと言ったメニューである。
     ワインとケーキはネッシーさんと、ソムちゃんが用意してくれる。
     ユキさんも一張羅に着替えて、久しぶりのオシャレをしている。
     お決まりのハッピーバースデイソングでローソクを吹き消して締めくくる。
     数え切れないほど、誕生日を繰り返してきただろうが、初めて海外で向かえる、
     今回のバースデイパーテイがユキさんのメモリアルノートに残ってくれれば満足である。
     今日を境に、ネッシーさん、久保ちゃん、ユキさん、KP チン、私とこの後バラバラに動いて
     次回会えるかどうか分からない。
     我々ヨッテイは、”マタネ。”と口で言っても本当に”マタネ。”かどうか分からない。
     何かを切り捨てながらアンカーを揚げて次の目的地へ向かわなければ
     根が生えそこで私の旅は終るのである。
     こんな生き方を選んだ、浮き草ヨッテイ、プータロージジイの宿命なのかもしれない。
     残り少ない人生、できる事は今する、しかも悔いの無いように、即ち、”一期一会”と、
     自分を納得させながら、いつか、その時が来るまで孤独な航海を続けるのである。

 16日 シャロン湾のメインストリートといっても1kmも無い道の両側に、店があるだけである。
     店といっても、雑貨屋、ダイビングショップ、洗濯屋、バー、レストラン、サウナ、土産物屋
     パン屋、レンタルームという程度である。
     津波が来るまでは、大型観光バスも常に何台か入ってきて観光客を運んでいたが、
     最近は、バスが1台も入ってこない。
     シャロン湾からは、ピーピー島へのスピードボートがでているし、シミラン島へのダイビングボートも
     出ているのだが、それも客は極端に減っている。
     観光産業で持っているプーケット島は、今年のハイシーズンは全滅である。
     メインストリートを歩いているのは、リュックを提げてスリッパで歩いている金を使わない
     ヨッテイーだけである。
     お昼は、ユキさんが得意料理のカルボナーラスパゲッテイを作ってくれる。
     玉ねぎとベーコンをバターで炒め、とき卵にパルメザンチーズをおろし、ミルクを加え、
     茹で上がったスパゲッテイをいれあわせて、黒胡椒をすりつぶしてふりかける。
     そこらのイタリアレストランよりずっと美味いのである。
     ネッシーさんは明日からチェンマイへ、久保ちゃんは明日、出国手続をして
     ランカウイへ向かうそうである。
     私は全て未定である。
     その時の風と気分まかせである。

 17日 ユキさんの帰りの航空便の予約の再確認をすると、プーケットからバンコック行きの
     便かキャンセルになっている。
     津波でお客が減った為だろう、その後の時間帯の便を予約し直す。
     ”ユキさん、予約確認しといてよかったな。”
     プーケット空港で慌てる所であった。
     遊帆UFOのデッキの塗料と船底塗料を買いに、ジョートンの代理店に行く。
     船底塗料は、3lが18000円程するので、買わずに、デッキのペイントだけ買う。
     遊帆UFOは何処でもビーチングできるので、安物の塗料でも問題無い。
     今日の夕食は韓国料理サンパブ(豚肉炒め)にする。
     ユキさんも私も、毎日食べたいものを食べ、したい事をし、その日を暮らす。
     ひょっとするとしたい事も無く、何もしないというライフスタイルである。
     誰から何と非難されようが、プータロウとしては、意味のある生活をせず、ダラダラと
     過ごすのがプータローの正しいライフスタイルと思い定めているのである。

 19日 私のデインギーは一度、ワイヤーが切れて行方不明迷子になってから、7m位のチェーンで、
     桟橋の支柱に鍵をつけて繋いでいる。
     チェーンの効用は防犯以外にも、遊帆UFOに繋いだ時、風で吹かれてもチェーンの重さで
     水中に放物線を描いて沈んでいるので、曳かれるショックが少ない。
     丁度良い距離を保っているのである。
     砂浜に上陸する時は、上陸用の車を降ろし、浜へ引き上げてチェーンで何処かに結んで
     鍵を掛けると安全である。
     シャロン湾の浜でKPチンと、友達のヨッテイが喋っている。
     ”今から、何処へ行くか?”
     ヨッテイの話題は、この事ばかりである。
     2月まで、北東風が吹いているので、インド洋を渡って、モルデイブーチャゴスー南アフリカ
     へ向かうのなら、今がベストシーズンである。
     今回の津波の影響で、スリランカ、モルデイブは酷い状態だそうで、その事で情報が
     飛び交っているのである。
     3月になると、風向きも変わりそうになるので、今出港しないと11月か12月まで
     待たなければならない。
     私は、この後ランカウイからペナンに戻り、ベトナム経由かインドネシア経由でフィリッピンへ
     戻る予定である。
     ここ2日前位から、強い北東風が止まり、シャロン湾も湖の様に静かな時が増えてきた。
     明日1月20日はモスリムの正月で、タイ南部に多くいるモスリム信者は、ファミリー毎に
     集まり、子供達にはお年玉を配り、先祖の墓参りをしてお祝いするそうである。
     2月の中頃は中国系のお正月があるし、ペナンではインド系ヒンズー教のお正月もあり、
     無宗教の私には何回もお正月で楽しい事なのである。

 22日 ビュービューと強い北東風が吹き、遊帆UFOは毎日揺られている。
     カタマランの船は両船体の為、波の影響を受け常時歪みが発生している。
     その為に船内にいても、あちらこちらでギーギーと木が軋む音がする。
     英語では、”Speak(話す)”という表現をするらしいが、私の感じでは
     ”Cry(鳴く)”の方がピッタリではないかと思っている。
     モノハルでもやはり同じ事が起こるがカタマラン程ではないだろう。
     乾季の為もう2ヶ月間は雨らしいものが降っていない。
     当然、両水タンクも底をつきかけている。
     水の使い方も非常事態宣言から戒厳令になり、食器類は最後水洗いと、
     歯磨きのみ使用許可にしている。
     毎日サウナへ行っているので、体の洗濯は問題なく、着ている物の洗濯はシャツと
     メンパンツだけなので、サウナで洗っている。
     クルージング当初は、T-シャツが多かったが、自分で洗濯をしてみると、T-シャツは
     洗濯が大変手間がかかることが分かった。
     今は、織物シャツにしているが、洗濯ははるかに簡単である。
     電気はソーラーパネルのお陰で、充分足りている。
     遊帆UFOは今の所何も手を掛けなくても良い健康状態であるが、出来れば
     船底塗装とコックピットの化粧をして、少し美人にしなければならない位である。

 23日 ランカウイ、テラガハーバーでも遊帆UFOの近くにアンカーを降ろしていた、40ft位の
     カタマランがここシャロン湾でも私のすぐ前にアンカーを降ろしている。
     30歳代白人系男2人で乗っている。
     テラガハーバーのパーテイで何度も顔を会わせていたが、一人はいつも車椅子に乗っていた。
     もう一人、世話をしている方は、007映画のボンドという名前が覚えやすく記憶に残っている。
     体のハンデイに拘らず、いつも明るく積極的な青年である。
     ボンドは、彼と同じ年頃で少し内気で、目はいつも彼の方を気にしているのが分かる。
     彼らの関係まで聞いていないので分からないが、只の雇われクルーではなく、
     彼に対して距離を置きながら目は話さない親友という感じである。
     朝、コックピットでパンとコーヒーで朝食をしていると、車椅子の青年がライフジャケットも
     つけずに、一人でデインギーで桟橋に向かっている。
     彼一人でどうやってデインギーに乗ったのか不思議に思っていると、5分程して
     ボンドを乗せて戻ってきた。
     ”オバタ、我々は今日もう一度ランカウイ、テラガハーバーに戻るよ。
      あなたはこの後どうするの?”
     ”私も来週にテラガへ向かうよ。又、あっちで会おう。”
     その後、自分の船に戻っていったが、車椅子の青年が一人でデインギーの
     乗り降りができるのか、興味を持って見続けた。
     ボンドが先に乗船すると、彼は一人でデインギーから乗船しようとしている。
     腕の力だけで、体を持ち上げ、自由の利かない足をあとで自分の手で引き上げている。
     暫くはジッと動かず休んでいるように見える。
     次は、そこからもう一段高いコックピットへの移動である。
     そこも時間を掛け、休みながら一人で動いているのである。
     勿論、ボンドは、筋骨逞しく彼を引き上げるのは造作も無い事に思える。
     コックピットに体を持ち上げると、首をうなだれジッとしている。
     断固自力でやるのだという意思が体から発散している。
     息があがったのか、体のどこかが痛いのか耐えている様にもみえる。
     ボンドが、飲み物を用意して彼に差し出す。
     海上生活は、健常者でも危険な上、不自由でツライ生活をしなければならない。
     ヨッテイはそんな事は百も承知の上、誰の為でもなく、これと言った理由もなくクルージングを
     続けているのである。
     下半身の不自由な彼が、海へ落ちたらどうなるのかと親切な一般常識人は言い、
     クルージングを諦めるように言う事だろう。
     日本でも片腕不自由な人が船舶免許を申請したところ、許可して貰えず、それではと、
     フランスでヨットを買い大阪まで無事帰ってきておられる。
     海と船にとりつかれたヨッテイは、どんな危険があり、人にやめるように言われようが、
     クルージングを諦める理由にならないのである。
     多分、クルージングそのものが人生になってしまっているのだろう。
     その事に意味があろうが無かろうがそれは、他人様から言われる筋合いで無い
     と思っているのである。

 24日 シャロン湾のジェッテイの袂にある事務所で出国手続を済ます。
     税関に200バーツ、ハーバーマスターに100バーツの手続手数料を支払う。
     食事の用意をし氷を買って、昼からアンカーを揚げて出て行く。
     どうも動きが重いがこれは遊帆UFOの腹に藤壺をつけて走っている為である。
     それを差し引いてもエンジンの回転数の割りにスピードが出ていない。
     冷却水をチェックすると、1400回転位だと普通だが1600回転以上あげると、
     もうもうと黒い煙を吐き出す。
     暫く走っていると、エンジンルームからゴムの焼けた臭いがする。
     フタを開けると、V-ベルトが焼きついて煙をあげている。
     エンジンを切り、熱さ冷ましにセーリングに切り替える。
     2時間程してベルトの交換を終え、エンジンを掛けると暫くして又、ストップである。
     燃料切れの状態であるが、正確には燃料は未だあるのだが、少なくなってくると
     波に揺られて時々燃料に空気が噛みストップするようである。
     次回、どこかで燃料タンク構造を改良する必要がある。
     問題は今からどうするかである。
     シャロン湾とピーピー島の中間地点で距離は約15マイルある。
     どちらに向けても風向きはアビームで2.5ノットのスピードは出そうである。
     ピーピー島は、津波の後は行っていないので、港の中が分からない。
     シャロン湾でも、船が沈んでいる場所が4箇所程あり、引き上げる事もせず、
     海底まで水深4〜5mの所に簡単なブイを浮かしているだけなので、知らないと
     船底に沈んだ船をひっかけるので大変危険である。
     又、アンカーロープが切れ、そのまま流れている所も3箇所程あるので、夜間入港は
     気をつけなければならない。
     シャロン湾は、今の風向きだと、真直ぐ入っていって、無理をせず入り口付近に
     アンカーを落とせば良い。
     今夜はほぼ満月、月明かりが綺麗で暑くなく、絶好のナイトセーリングとなったのである。
     シャロン湾の入ったところでアンカーを降ろすと、午前3時であった。

 26日 燃料も60l積み込み、食料も氷も買って仕切り直しで、午前7時シャロン湾を出港する。
     航海前は必ずバナナを一房買い、吊るしておき、おやつ代わりに皮をむいただけで
     食べられるのでクルージング必須アイテムの一つである。
     エンジン回転1800、船足4.5ノット、方位130度ランカウイテラガまで、約130マイル、
     快調に走り出す。
     午後7時、再度エンジン音が変わるので、チェックすると、冷却水のV-ベルトが又切れている。
     その為排気熱でエキゾーストパイプも破損している。
     冷却水ポンプを外して点検すると、プーリーの軸のベアリングが錆びてグラグラでインペラーも
     破損している。
     機走を諦め、残り約50マイルを帆走でテラガまで行くしかない。
     ランカウイの入港はエンジンで簡単に入れず、セーリングでの入港がこれで3回目である。
     どうも鬼門か、相性が悪い様である。
     ここ 2〜3日、風が弱まっているので、船足2ノットもでればよく走っている方である。
     27日中も相変わらず風が弱く、忍耐のセーリングとなるが、どこにいても、どこに寝ても
     食べる物があれば、ライフスタイルが変わるわけではなく、本を読んで過ごす。
     午後9時テラガまで、残り20マイル、相変わらず風は吹かない。
     海面は油を流した様なべた凪にほぼ満月で涼しく気持ちが良い。
     今夜はアンカーも降ろさず、セールだけ降ろして舵を一杯に切ってそのまま寝る事にする。
     28日 相変わらず風は弱いが日の出の時は東風が少し強く吹くので、それを待って
     テラガの防波堤の切れ目までたどり着く。
     昼頃、防波堤の中に入ったところでアンカーを降ろし無事到着である。
     デインギーでハーバーに体洗いと洗濯、昼飯に行くとハーバーのポンツーンが無くなっている。
     沈んだ船は引き上げられ、沈まなかった船も酷いダメージを受けている。
     Lha3も想像以上のダメージで、ハルは数箇所破損内部まで貫通し、パルピット、
     スタンション等曲がったり折れたりしている。
     Issacは大してダメージは無く、リーさんは元気に他の船の修理を手伝っている。
     Wayout ルイもスタンション、ウインドベーンは破損、ハルも破損している。
     皆、どこか放心状態で気が抜けた様に見えるのである。
     
      
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