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                   24番 中古42ftピーターソン修理回航記

9月27日 今回 帰国の第一番の親父の仕事も無事おわりそうだ。
       今回購入した船の名前は ”ノミV”とかいてあった様で、歴代船長の写真が貼ってある。
       船名はどこからもクレームがなければ、そのままにしておくかと思っている。
       しかしながら 船名の由来位は知っておきたい所だ。
       10月1日から この船を陸揚げして 船底 マスト デッキ 船内の修理を始める予定だ。
       船齢は20年以上だろう。レース仕様でクルージングには向かないが、この老船を再度磨いて働いてもらおうと思った。
       船体 エンジン等に問題はなさそうで、外洋にも強そうだし、スピードも出そうな船だ。
       ただ、あまりにも 古いので見栄えが悪いが時間とお金をかければ そこそこになると思う。
       いつもカタマランに乗って怠け者クルージングの私にとって セーリング技術を磨くには面白い船だ。
       修理が終われば、韓国釜山ヨットハーバーまで 行き慣れた航路なので遊びながら回航する。
       遊帆 UFO はフィリッピンクルージング中なので、この船は釜山においておけば、BCYCクラブの方々も
       遊びに使っていただけるだろう。
       最新鋭で大型のレース艇が多数参加する来年の五月アリランレースに、この老船に乗って韓国組で挑戦してみるか?
       或いは 釜山ーウラジオストック日本海レースを走ってみるか?
       等と もうはや夢の中で船はセールを揚げて荒れる玄海灘と日本海を走っている。

  29日  ”るる”鈴木さんから この船の歴史を詳しくメールで戴いた。
       何よりも お元気な様子で大変嬉しかった。
       内容は 歴代 日本のヨットの発展と一緒に歩いてこられた有名な方々のお名前が出てきた。
       私のような プータローが手にいれていい加減に走らすわけにはいかない気がしてきた。 
       出きるだけ オリジナルに近い形に戻すような修理にしようと思うが オリジナルの時を見た事がないのが残念だ。
       
  30日  鈴木さんからこの船の かっての勇姿が乗っているホームページアドレスを教えて戴いた。
        メールにて関係者の方に 船名使用許可を問い合わせする。

         http://homepage2.nifty.com/arumukos/yachting/nomi/dflt.html

              以下 本文一部とトランバックレース出場時の写真を抜粋させていただきました。

        ”ノミ二世 徳島県椿泊 湾内にて   
         三世は同じくチタ製ダグラス・ピーターソン設計の42フィートでした(セールナンバー2235)。 

         この艇は帆走性能がよく本格的なオーシャン・レースに出場しました。
         筆おろしはオレンジ・カップ・レースと鳥羽パール・レース、次は阿波踊りレースや別府洲本レースでした。
         別府洲本レースはファースト・ホームで優勝、鳥羽パール・レースはセカンド・ホームで準優勝でした。 
         ファースト・ホームで優勝というのはゴルフで言えばベスグロ優勝みたいなものです
             
      ロスアンゼルスからハワイまでトランバックレースでの勇姿 写真を見る


         
 10月1日  家村ヨットワークの家村さんに修理依頼する。
        私は船に関してだけ(家村さんから”だけ”は必要ないとのクレーム)彼の腕に全幅の信頼をしている。
        メンテナンスの技術と知識 航海技術は一番だ?(他の人とあまりお付き合いが無いので知らない為)
        私とスモーキーマウンテン号に引続きマタマタ奴隷1号の鍵さんで 彼の補助をしながら修理を進めていく。
        修理終了予定 10月10日頃
   10日  奴隷1号の鍵さんは風邪を引いてダウンの為、福井さん ユキさんが手助けに来てくれる。
        デッキ マスト 船底塗装 エンジン 船内とこの10日間大変なハードワークだった。
        明日 船を海に降ろして 伊勢志摩 和歌山 徳島 大坂湾 瀬戸内海を通って27日頃小倉から
        釜山へ向かう予定だ。
    12日 出港しようと船をクレーンで海に降ろした時 タグボートのプロペラ水流に煽られてラダーを叩かれワイヤーを
        サポートしているブロックの溶接が取れる。
        溶接部分は鉄板に真鍮との溶接の為今まで付いていたのが不思議なくらいだ。
        大橋造船の社長に頼んで、新しい鉄板に穴を開けボルト締めにする。
        これで 絶対にブロックがとれる事はない。明日 出港だ。
    13日 朝7時出港するが プロペラシャフトのブレが大きく 船体が振動する。
         またまた、再度 帰港して点検。
         シャフトの芯が出ていないので 前オーナーがフレキシブルカップリングを間に取りつけているが、
         これでは 問題解決しないので、芯だしの為 エンジンの前を上げる。
         本当は 後ろも5mm位下げたいのだが構造上できない。
         フレキシブルカップリングを外して直接シャフトをエンジン側に付ける。
         少し 軸振れは少なくなった。これで我慢するしかない。
     14日 トラブル続きだったが 今日いよいよ出港する。
         セーリングに入ると、実に速く走る。
         15ノット位の風で 6.5ノット位は出ているかもしれない。
         今日は 的矢湾で碇泊する。
         
      15日 7時出港  追手の風でセーリングで6ノット 順調に帆走する。
           16時 風が弱まるので セールを降ろし機走に変更する。
           20時 再度 風が出てきたので メインを2ポイントリーフとNo.3ジブで機帆走する。
           バッテリーが不安の為だ。
      16日  2時 潮の岬沖を回る。波は4m。
           潮の岬を回ると 波は2m位になる。
           ジブシートがはずれてフォアーステイに3回程巻きつく。
           何とか絡まりを戻しジブを降ろすが、今度は ジブハリヤードのスナップシャックルがはずれて
           マストの上部に絡まる。
           出港時から 気になっていた船底からの水漏れがひどくなっている。
           10時 田辺港内にあるタイガーマリンのポンツーンに係留する。
           この港は 遊帆 UFO で日本一周したときに寄港した事がある。
      17日  雨の為 出港中止 台風21号接近の為、文里漁港へ避難
           この港は一番東奥にあり波は全く入ってこない。
      18日  雨で再度出港中止 少し海側よりの湊漁港ヘ移動する。
           遊帆 UFO の時もそうだったが、ヨットハーバーへ係留するほどの余裕がない為、
           いつも漁港の端に泊めさせて頂く。
           私も、そのほうが何か落ち着くのだ。
           せっかく白浜まで来ているので福井さんとユキさんは白浜露天風呂に行く。
           私は、近くの中島温泉へ入りお好み焼きの準備をして皆さんの帰りを待つ。
      19日  出港して最初は和歌の浦を目指すが向かい風の為、1ヶ月前に沖縄からの帰りに寄った徳島へ向かう。
           途中、風波とも強く30度位 ヒール(船が傾く)する。
           夜は、これまた 前回立ち寄った居酒屋(うお座)で食事をする。
           この店は、料理の味より、女主人のオバチャンが売り物の様で、一人で愛想を振り撒き、
           全員を叱咤する声が喧しい。
           徳島の繁華街をブラブラ歩いていると、福島内海ヨットハーバーでえびす丸修理中らしい袖岡さんから電話が入る。
           ”このヨットハーバーのポンツーンを蛸が歩いとったから、掴まえて刺身にして食べたけど、食べきれん。
            いつ こっちへ来るねん。”
           ”ほんまに 蛸が歩いとったんか?ひょっとしたら鉢巻もしてたんちゃうか?
            ところで 多分 24〜25日位やけど、袖岡さん居てるんやったら 行ってもええけどな。”
           ”平日は あかん。 仕事でおらへんねん。”
           袖岡さんも 仕事ヤメルヤメルという割には、忙しそうで結構な事だ。
      20日  朝4時徳島出港し 9時半頃 何度もタックして友ヶ島水道に至る。
           ”仕事が忙しいて、船を見に行けんようになりましてん。 
           そのかわり フグを鍵さんに預けますので、てっちりにして食べて下さい。”
           との、嬉しい電話が横尾さんから入る。
           15時 泉大津入港
      21日  船底からの浸水は修理しなければならない。このまま韓国まで航行は心配だ。
           北港ヨットハーバーは上架できるので、何とかお願いしてここで修理するしかない。
           フグは、久しぶりに会う種谷さんを入れて 5人で頂くが雑炊をしてダシの一滴まで食べてしまった。
           鍵さんは、今回 このクルージングには参加できないとの事で残念だ。
      22日  北港ヨットハーバー事務所の方に緊急避難の懇願をして上架して修理にかかる。
           まずは、工具から買い揃えなくてはならない。
           福井さんとユキさんは、近くのホームセンターへ、私は、キールのナットを外す特別な41mmデイープソケットを
           探しに行く。
           事務所の方の自動車に便乗させてもらって、野田橋の方へ向かう。
           3軒 工具屋さんへ行っても在庫が無い。
           4軒目の工具屋のオヤジさんが、
           ”うちには 今 無いけど30分程待っとり。ワシが車乗って立売堀の問屋まで行ってくるさかい。”
           と、親切に言ってくれる。
           夕食中に、カトチャンから電話が入る。
           ”今、明石港にいるけど どこにいるんや?”
           ”まだ 北港で船揚げて修理してんねん。明日 明石着いたら、オイシイたこ焼おごるさかいおいで。”
           ”けど 明日は 朝から姫路、岡山へ行かなあかんし、ムニャムニャ ゴチャゴチャ。。。。。。(この間何言うてるかわからん)
            けど、明石港へ行くわ。”
           と、いつものカトチャン調子だ。
      23日  13時北港を出て17:30明石入港
            明石港の砂利荷揚げの岸壁に着岸し、たこ焼を食べに魚の棚へ行く。
            福井さんは 初めての経験のようで ”旨い”という事だ。
            私は、子供の頃からたこ焼は食べているが、フワッ〜とした卵の感触が何とも言えない。
            食べ方は色々だが、私はソースをチョットつけてダシで食べるのが好きだ。
            私は、子供の頃、オバアチャンの家が魚の棚にあったので、この辺は遊び場であり、明石の海で腰にソラマメを
            入れた袋をぶら下げて毎日泳いでいた。
            私の子供の頃の水泳スタイルは海水パンツは無く褌を締めていた。
            少しもぐると蛸がいて 触ると蛸が手に吸いついてくるのでそのまま岸にあがって取って食べた。
            キス  べラ カレイ等 モリで突いて良く取れた。
            今は、浜は全て埋め立てられ、水泳禁止となり、市役所やらマンションやらができて、その頃の綺麗な浜は残っていない。
            食後、たこ焼屋のオネエチャンに風呂屋(三光湯)を教えてもらう。
            ”今、明石港にいるけど、どこに居てるンや? 探しながら行くけど、
             大体どこらへんや。飯はゴチャゴチャ。。ムニャムニャ。。。”
            と、仕事帰りのカトチャン。
            ”風呂に、はいるとこや”
            風呂に入って後、再度 明石駅前に1杯飲みに行く。
      24日  05:00 カトチャンは一人で起きて仕事に出かける。
            ”朝飯食って行きな”
            と、言っても、ガンコ者(良く言えば仕事熱心)のカトチャンは、車に乗って行ってしまった。
            魚の棚で、鯛の塩焼きと穴子の串焼きを買ってきて、穴子茶漬けをして食べる。
            穴子を熱いご飯に乗せ、チョットの醤油にわさびをのせ熱い湯をかけて食べるのだがもっとも贅沢な大名茶漬けだ。
            ”こんな茶漬けは、普通の食堂で食べられますか?”
            と、福井さんが気に入られた様子。
            ”いや、これは家庭料理で、所詮、お茶漬けでは値段をとれへんから メニュウにはあらへんね。穴子丼ならあるけど。” 
            塩焼き鯛も身を食べた後は鍋に入れて、頭まで綺麗に食べてしまった。
            08:30 明石出港
            16:00 小豆島草壁さんばし入港
            この桟橋は草壁港の奥にあり、町営だそうで、着岸するとすぐにさんばし食堂のオバチャンが200円徴収に来た。
            ”オバチャン お風呂はどこにある?”
            ”ここから 20分位歩いて高橋旅館で風呂は入れてもらえるよ。”
            と、いう事で3人はブラブラ歩いて風呂に行く。
            途中、島金醤油が工場直売りしているのを 髭の主夫ユキさんが親切なオネエチャンの相手になりながら醤油を買いこむ。
      25日   今日は 1日休みでレンタカーを借りて 小豆島観光をしようという事になった。
            見所は寒霞渓という事らしく、800m位の山を登って行く。
            今日は 少しもやがかかっていて、見晴らしは良くない。
            季節は少し早く、紅葉が始ると綺麗らしい。
            次ぎに、二十四の瞳で撮影場所になった 岬の分校を見学に行く。
            最初の撮影現場は、そのまま保存されていて、木の机と椅子があり 今にも子供達が入ってきて授業が始りそうだ。
            2回目の撮影現場は新しく作って映画村のようになっていた。
            
            岬の分校撮影現場
      26日   07:30草壁出港
            ”今 何処ですか?”
            と、横尾さん。
            ”今日は、岩城島辺りまで行こうかと思てますが、チョット無理かもしれません。”
            ”それやったら 魚島は どうでっか?”
            と、魚島の観光センターの電話番号を教えてくれる。
            17:00 魚島入港。
            ここは 4〜5年前に 入港した事がある港だった。
            風呂も観光センターの2階で入れてもらい、下の食堂で夕飯を済ます。
            ”あんた、前に来た事あるやろ。”
            食堂のオジサンは私の顔を覚えていた。
       27日  07;30魚島出港。
            来島海峡を2ノット位の連れ潮で抜ける。
            予定より速いので帆走する。
            微風でも良く走る。
            松山港は奥の船ダマリに漁船に混じって後ろへアンカーを落とし鼻付けで係船する。
            隣の夫婦船は、広島からフグ漁にきていて、オカアチャンが船を係船した後も、
            洗濯したりご飯の準備やらで忙しく働いている。
            漁師の奥さんは体も丈夫 気も強くなかったら勤まらんなと感心する。
            折角松山に来たから、道後温泉へ行こうと三津駅から松山市駅まで電車に乗り、市電に乗り替えて
            坊ちゃんで有名な温泉(300円)で入浴。
            中は芋の子を洗う様に人が沢山いる。
            この頃は、テロの為、海外旅行が敬遠され国内旅行に人気があるらしい。
            この風呂は大学時代に旅行して入った事があるはずだが、どうも 思い出せない。
            勿論 昨日の事も忘れてしまうほどボケてきているのに30年前以上の事は覚えていないのは
            当然かも知れない。
            風呂上りは、又又 讃岐うどんの旨い所を探してうどん屋へ行く。
            しかし、ここも 納得する味でない。
            市電に乗って 松山市内の繁華街に口直しに再度挑戦する。
            ”これから 何を食べるかは 毎日順番に決定権を回していこ。そやから 今日はユキさんが決めな。"
            ユキさんは イタリアンの店を選ぶ。
            私は イカ墨のスパゲッテイを食べたが 次ぎの日のうんこは当然真っ黒だった。
            食後は、明日のパンを買いに商店街を探すが、お買い物になるとユキさんの独壇場だ。
            福井さんと私は、見失わない様に金魚の糞の様について行くだけだ。
       28日  天気が悪いので、松山港から出て少し南の帝人の港の奥の船ダマリに移動する。
            港内に入ると漁師サンが手を振ってここへ泊めろと合図してくれる。
            鼻付けして上陸するが近所に商店らしきものは全く無い。
            ユキさん一人で 午後から松山市までバスに乗って松山城見学とお買い物に行く。
            19:30 ユキさんがお買い物をして戻ってきてくれた。
            今夜は鳥豚豪華寄せ鍋だ。
       29日  少し天候は悪いが、出港する。
            風はアビーム15〜20ノット、波は2m。 メインセールを2ポイントリーフ ジブはNo.3で平均9ノットで走る。
            12時まで帆走し 午後から風は前に回った為、機帆走で宇部港をあきらめ姫島に向かう。
            国東半島側のフェリー乗り場の奥の船ダマリの浮き桟橋に係留する。
            桟橋では 地元の中年の夫婦2組が釣りをしている。
            見せてもらうと 70cmほどのりっぱな穴子を2匹釣っていた。
            ”ア〜ア。 折角 こんなにいつも海にいて何で私は釣が下手なんかな〜。潜って取るのは自身歩けど。。。”
            お風呂屋は、村営の温泉があるが、火木金土曜日 午後5時までだそうで、結局今日は風呂無しである。
            夕飯は昨日の残りの材料で鍋をする。
       30日  関門海峡の潮にあわせて、姫島出港08:30。
            昨日と違って今日は穏やかポカポカ天気だ。
            15:30少し早く関門海峡の入口に到着すると、東流(逆潮)7ノットと電光板にある。
            スピードを落とし ゆっくりと進んで行く。
            16:30 未だ逆潮3ノットだが、全セールを降ろして、突っ込んで行く。
            前後から、大型船にすれ違い引き波に煽られながら、18:00海峡を抜ける。
            前回 遊帆 UFO で泊めた小倉港の奥の船ダマリに向かうが、水深がなく泥にキールが刺さって動かなくなる。
            水深のあると思われるほうに、船首を周しながらゆっくりと脱出し、小倉駅の東側にある関西汽船フェリー乗り場の方に、
            係留する。
            2日ぶりの風呂で気持ちがよくなった所で、夕食だ。
            今夜は福井さんがメニューの決定権を持っている。
            ”今夜は 和食です。
            と、いう事で小倉駅の2階のレストランで食べる。
       31日  お昼頃 家村さんが新幹線で到着予定だ。
            彼が到着すれば、出国手続きを済まして、15:00頃釜山ヨットハーバーへ向かう。
            小倉は税関と入出国管理事務所が離れていて不便な所だ。
            これからは、門司で手続きするのが良いだろう。
            天気も良く、お月さんも満月で気持ちの良いナイトセーリングになるだろう。
            到着予定は 1日 12:00〜15:00の間だろう。
            出港して8時間位は波も静で風も12〜15ノットで順調だ。
            ”こんな玄海灘もあるねんな。”
            ”いつも、僕が行く時はこんなんやで”
            と、家村さん。しかし この後6時間位、前線の通過で風は20ノット以上 波は3〜4m位荒れて対馬の遥か東へ流される。
            メインセールを2ポイントにして、朝6時ごろ韓国沿岸が見えてくるが、釜山港から東へ30マイルは流されている。
            途中 韓国海上警察の船が寄って来て、何処へ行くか聞いているようなので、大きな声で釜山港と叫ぶと手を振って
            行けと合図してくれる。
     11月1日  海雲台のビーチが見えてくると、もう、上陸した後の食べる物の予定を話しする。
            ”海雲台のカルビ、絶対 食べなあかんな。”
            と、家村さん
            ”カルビに焼酎は、はずせんな。”
            ”う〜ん、腹減った。考えたら もう 口の中に涎が出てくるな。”
            結局、ヨットハーバーへ13時到着。
            全さんの奥さん スーオクさんが手を振って向かえてくれる。
            上陸して、皆さん希望の 海雲台カルビの店でビールと真露焼酎でカルビにむしゃぶりつく。
            この店は、私が25年前に韓国へ行き出す頃からあり、典型的韓国式作りになっていて、真ん中に庭を囲む様に建っている。
            小さな部屋に分かれていて、床はオンドルになっている。
            冬になると、オンドルは床暖房になり部屋中ポカポカお尻もホカホカ気持ちが良くて外へ行きたくなくなる。
            食後、皆さんはサウナ温泉でゆっくりしてもらい、私は、スーオクさんの車に乗せてもらって、入国手続きを済ます。
        2日  朝は、ハルモニクッパ(オバアチャン自慢、牛肉の煮こみスープの中にご飯のはいったもの)という、
            安くて旨いものを食べに行く。
            この店も 古くて小さく(約五坪)店の前にテントを張り出しテーブルと椅子をだしてひっきりなしに来る客をさばいている。
            メニューはクッパの1種類だけ それに 牛の血を固めたものをトッピングにいれるかどうかだけだ。
            ハルモニはオバアチャンという意味だが、店の看板によく使われる。勿論 オバアチャンは居なくて、オバチャンばかりでもだ。
            もう一つよく使われるのは、ウヲンジョ(元祖)で、同じ料理で軒を並べて隣同士で元祖の看板を出して競っているのが面白い。
            帰りは近くの市場で、皆さんそれぞれお土産になるものを探す。
            昼からは、チャガルチ(魚市場)で刺身を食べ、国際市場へ買い物に行く。
            チャガルチは魚市場で、そこで魚を買って2階へ持って行くとレストランがあり魚を料理して食べさせてくれる。
            国際市場は、その近くにありブロックごとに売り物の種類ごとに固まっている。
            歩いていると、客引きのお兄ちゃんが声を掛けてくれる。
            ”シャッチョサン、ニセモノ時計いらない?”
            ”シャッチョサンとちゃうけど、なんぼや?”
            等と、全然買う気はないが値切り練習の為ヒヤカシながら見物して行く。
            ”奥さんに、頼まれたもん 沢山あるねん。海苔に塩辛、キムチ、口紅。。。”
            と、奥さん孝行?の家村さん。
            福井さんも、”海苔がええな”という事で買いこむ。
            髭の主夫 ユキさんは、お買い物になれば、一日中ブラブラしている。
            夜は、全さんの家で御馳走になる。
        3日  午前中、船のセールをたたみ、細かい修理をする。
            お昼は カルコクス(あさりのうどん)。
            ”この うどんの方が讃岐うどんに近いな。”
            ”あさりの味だけでシンプルで旨いな。”
            と、辛さとニンニクが必ずついているのが韓国料理の定番なのに、全く使っていないので、福井さんは御機嫌だ。
            夜は参鶏湯(鶏のお腹に朝鮮人参とご飯を詰め長い間焚いたスープ)。
            鶏は地鳥で大きくないので身は適当に固く、それでいて長時間焚いているので箸で身をほぐすとバラバラになる。
            別の皿に塩胡椒をつけて、食べるので、これも全く辛くない。
            鳥を骨ごとしゃぶって食べるのだが、その豪快で単純な味、後の スープとおかゆが相性抜群である。
        4日  福井さんとユキさんは、釜関フェリーで帰国する為、昼頃乗り場へ行く。
            時間があるので 再度 国際市場をブラブラする。
            フェリーは18時出港だ。
            お二人は、本当に長い間、ご苦労様でした。
        5日  ”ヨットは、やっぱりカタマランやな。
            モノハルは、ヒールして寝てられへんし、ご飯も作れへん。
            私は、1回 寝てて落ちて耳を打ったし、いつもヒールして腰が未だ痛いわ。”
            ”ご飯も片手で食べられるもんだけや。ビールの缶を足で挟んで食べなアカンもんな。”
            ”ここ2カ月程、モノハルに乗りっぱなしやったけど、やっぱりモノハルはいややな。”
            ”なんで 皆さんはヨットというたら モノハルなんかな?”
            と、カタマラン党の二人は サンザン、自己満足&納得しあう。
            家村さんは、12時の飛行機で帰国。
            家村さんも大変ご苦労様でした。
            これで、1ヶ月間の ノミ3との お付き合いも一旦無事終了だ。
            係留費は1ヶ月 18000円弱だった。
            6ヶ月まとめて支払うといくらか(3%or6%?銀行金利位)割り引きになる。
            
        7日  釜山ヨットハーバーにいる韓国人夫婦が”イサック(Isaac)"という自作鉄製のヨットに乗ってフィリッピンへ向かって
            今月中に出港するという。
            私の遊帆 UFO 航海記を訳して読みましたとの事だ。
            ”急がずに ボンボノンへ来てください。何かあったらメールを下さい。あちらで会いましょう。”
            これで又 知り合いの船が1隻増える事になるかもしれない。
            
    11月14日  京都に帰りメールチェックをすると、フィリッピンのラーV金田さんから近況報告が入っていた。
            今は、ボンボノンは大部分の人が帰国していて、いるのは5〜6人だけで寂しい状態らしい。
            エンリケもスペインから帰っているが、彼女のいないボンボノンにはいなくて、いつもドマグエッテイかセブに行っているらしい。
            エンリケの事だから、そんな所だろう。
            私も、フィリッピン航空へ予約の電話をする。
            ”今は、テロの影響で関空-セブ間は運休で再開の目途はたっていません”
            ”え〜。私の切符有効期限は来年1月4日までやけど、どうなるねん?”
            ”ハイ。有効期間内でしたら関空ーマニラ 国内線乗り換えセブでお取りいたします。”
            ”運休中は、 有効期間も延びるのと違うの?”
            ”残念ですが、有効期間は伸びません。国内線乗り継ぎか、無効になるだけです。”
            ”ヘッ? ムコウて切符がパア〜でっか?”
            フィリッピンの定期船並、自分の都合で運休などへっちゃらだ。
            ”まあ しょうがないか。。。”
            最近は、状況に逆らわないスナオなヒトになってしまった。
            ミンダナオ島の西のモロ諸島には、ビンラデーン氏の子分かお友達か知らないけれど、アブサヤフ君という
            テロ(海賊?)が、ウロチョロしていて結構危険地帯なのだ。
            今年の始め頃、パラワン島のリゾートホテルを襲撃して、アメリカ人3人とフィリッピン人多数を人質に取って帰った。
            アメリカ人3人は首を切って送りつけ、フィリッピン人は身代金と交換に開放した。
            アブサヤフ君の活躍地域のパラワン島とモロ諸島の間を通らないと マレーシアに行けないので私は躊躇しているのである。
            その為、来年は西行きはやめて、東へ向かってカロリン諸島からニューカレドニアの方へ先に回って見ようかと考えている所である。
            もうすぐ 正月の為、新しい家族が増えた今年はやはりいないと、オヤジの価値が益々下がるかな?
            それやと、短期間だけフィリッピンの船に戻るのは、飛行機代が勿体無いしな。。。
            けど、この日本の寒さと物価の高さは 嫌やな。。。。
            いろいろと物思いに耽る秋でした。

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