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   58番 プータローツアーコン  5月18日〜30日

5月18日 プーケットに36fカタマランtヨット購入の下見に、石垣島からNさんがこちらに来る予定である。
    インターネットで探し出したのがプーケットのボートラグーンに事務所のあるLeeMarineで扱っているらしい。
    Nさんは、タイは始めてであまりヨットの事も知らないらしいので、プータローの私でも少しは役に立つかと思い、
    アドバイスを引き受けたのである。
    今、ボートラグーンにはペナンで会ったパウロとアンドレア、それにグラントとシンハーも多分いるだろう。
    20日にパウロとアンドレアには昼食を一緒に食べようとメールしておいた。

 19日 昨日から持病の痛風が左足親指関節に出始めた。
    これが出ると、歩く事ができない。
    氷で冷やしたりしながら日にちがたつのを待つより他無いのである。
    食事に町へ行くのも出来なくなる。
    去年も同じ頃、インド洋の真ん中で出て、カーニコバル島へ着いた時は足指を切り落としてもらいたい位に痛んだ。
    今回は氷で冷やしたのが良かったのかそこまで悪くはならないようである。

 20日 幸いにも痛風も治まりかけている。
    Nさんとレンタカーでボートラグーンに行きLee Marineで交渉を始める。
    36ft南アフリカ製カタマランは買い手がついたそうで、37ftプラウト1996年型を見る。
    遊帆UFOと違って、色んな所が改良されている。
    デインギー船外機、ゼネレーターもありエアーコンから熱交換温水器までついている。
    直ぐに必要なものと言えばアンカーチェーンの買い足し位であろう。
    昼食の為、パウロとアンドレアを呼び出しボートラグーン内のレストランでとり彼の船を見に行く。
    マストを降ろし、船内全て外に出し、内外オール大修理である。
    2人は港内にあるレンタルームで仮住まいをしている。
    金額は3万ドル以上かかって、いつ出来るのかも見当がつかないらしい。
    アンドレアの話では、パウロは船に大金が必要でしょげているらしい。
    ペナンで会った時は、酒を飲んでいたのに今は酒をやめているそうである。
    太って腹が出てきた為らしい。
    私と背丈も同じで体重も85Kgと同じなので私も少し注意が必要である。
    その警告が今回の痛風かもしれないのである。

 22日 午後7時半頃、団体さん到着である。
    早速、部屋を割り当て夕食にする。
    皆さん、プーケットの暑さに未だ慣れていないので暑いとか蒸し暑いとか大騒ぎである。
    始めて口にするタイフードは、旨い、旨いといっているので今後5日間、問題は無いだろう。
    明日は 遊帆UFOでピーピー島までセーリング、今の季節常時西風の為、追っての風となり行きはヨイヨイである。
    皆さんの希望は色々と沢山あり5日間では、寝ている暇が無いようである。

 23日 8人と荷物、食料、果物、氷を積み込むのにデインギーが大活躍で2回往復する。
    この季節インド洋からの西風が吹き波高3mだが、シャロン湾からピーピー島へは追手で走れる。
    辺り一面白波が立っているが、風は15ノットまでで快適なクルージングと言わなければならない。
    昨日まで、雨が降らなかったが今日から本格的雨季の天気に入りそうである。
    ”明日帰ってくるときは、もっと揺れるかな?大丈夫?”
    と、太田奥方がテンションの上がった顔で心配そうに尋ねられると、明日までいらぬ心配をしないように、
    ”ダイジョーブ、ダイジョーブ、ダイジョーブ。”
    と、口で安心させるしかない。
    蕎麦打ち名人とイッチャンが船酔い気味で、太田奥方は船酔い止めの薬を飲んできたので何とか大丈夫との事である。
    その他、オッサンは問題無しである。
    昼は近くで仕入れたオカズと御飯を、ビールで流し込む。
    果物は朝市で買ってきたらしく、マンゴー、マンゴースチン、ランゾニー、パイナップル、ドリアン
    もう一つは名前が分からない。
    ”ドリアンは臭いな。 頭が痛なるな。”
    との、太田主人のクレームにより早目に皆さんの胃袋の中に処分する。
    6時間後、鋸歯のように切り立ったピーピー島岩壁を回り込むと嘘の様に波静かになる。
    スペースが無い所にアンカーを打つがどうも危ない様なのでアンカーを引き上げる。
    ウインドラスはチェーンを噛む可能性があるので、奴隷1号(K先生)以下7号まで豊富な人力を使う事にする。
    ピーピー島上陸も2回に分けなければならない。
    ピーピー島のメインロードは幅3m長さ3Kmも無く両側にダイビングショップ、レストラン、土産物と並んでいる。
    両替を済まし、土産物屋をヒヤカシながら今日の宿を探しに行く。
    エアーコン、ホットシャワー付きバンガロー型ゲストハウス(850バーツ)に決めるが気が付くと一人行方不明である。
    蕎麦打ち名人がいない。
    ”チェックインして一息ついたらレストランまで来てか。”
    と、言い残し一人先に蕎麦打名人捜索である。
    道は3Km、他に道はそんなに無いからと思い、デインギー上陸場所まで戻るが見当たらない。
    もう一度レストランの方へ戻ってしばらくすると、不安そうな顔をしながら蕎麦打名人が歩いてくる。
    ”ああ、会えて良かった。どこか浜ででも寝なあかんか思ってた。”
    暫くして、本隊到着すると椰子の木陰に顔を隠す蕎麦打名人である。
    もう、皆さんから散々酒のつまみにされ、からかわれるはめになったのである。

 24日 天気は昨日と同じで悪いが今日シャロンへ帰らなければ後のスケジュールがこなせない。
    デインギーで先発隊(Nさん、イッちゃん、ユキさん)を遊帆UFOまで運び、残り4人を積み、デインギーで快調に
    走っているとガス欠でストップする。
    ”奴隷1号、2号、3号 オール持て。”
    オールは一つしかないので プラスチックの棒と掻い出し桶で漕ぐ事15分遊帆UFOに到着である。
    アンカーを引き上げ外海へ出ると、向かい風 向かい波の為、船足4ノットでない。
    進路を目的地シャロン湾より北へ向け、プーケット島影へ入り、波を避ける。
    約、3時間程走った所あたりから、何とかキツイ向かい波が治まってくる。
    午後5時シャロン湾に入るが、西の空に雨雲がでて今にも雨が降りそうである。
    ギリギリのタイミングで無事遊帆UFOクルージングを終えてホットする私であった。
    上陸すると、サウナとタイマッサージ、夕食に行かねばならない。
    ピックアップトラックの後部部屋にしたタクシーを見つけバトンビーチまで行く。
    8人で1台なので前4人、後部座席は4人の配置である。
    ”後は、どんだけ暑い。酸欠で死にそうやった。”
    ドライバーが後の窓を開けるのを忘れていたらしく、死ぬ程大したこと事はないが一応大変やったねと慰める事にする。
    オーシャンプラザのタイスキ屋へ行く。
    k先生は、タイスキウエートレスが注文を聞きにくると、玉じゃくしを目に当てる得意のポーズで笑わせている。
    味は、韓国コチュジャンタレでカラミが効いて旨い。
    k先生は私の説明を聞いていないので、具を直接タレにどっぷりつけて
    ”この料理、辛いな。辛いな。”
    と、涙目である。
    無事、食事終了、次はオカマショーである。
    入るとショーの間の繋ぎで、ムサクルシイ男が舞台の上で腰をくねらせて踊っている。
    ”k先生、あんたも服脱いでパンツだけで舞台に上がり。”
    そうこうすると、ショーが始まる。
    マイクを持って口パクで踊るのであるが、お客を惹きつけているオカマはオヒネリを貰えるのである。
    蕎麦打ち名人が歯抜けお化け化粧のオカマに50バーツのオヒネリを持っていくとオカマは大げさに手を合わせて
    目を大きく開き頭を何度も下げて喜ぶのである。
    こうして、今日も長い1日が無事終ったのである。

 25日 朝7時半、今日は象乗りとラフテイング、滝壺泳ぎツアーであるが約束の時間になっても迎えの車が来ない。
    1時間遅れ8時半にマイクロバスに乗って、プーケット島からマレー半島側の山の中へ行く。
    昨日からの雨で水量は増え、水は赤土の泥が混じって濁流となって絶好の川くだりとなるだろう。
    最初に象乗りでジャングルと川を越えていくのだが雨で下は滑り象も歩きにくいのか何度も立ち止まり思案している。
    像使いが耳の後を蹴るとイヤイヤながら足場を探りながら歩いて行く。
    象にバナナをやり、次はメインエベント ラフテイングである。
    1つのゴムボートに前後がインストラクターが乗り、真ん中に4人か3人が乗る。
    太田夫妻と蕎麦打ち名人が組み、k先生、ユキさん、イッちゃん私が1組である。
    ボートは、でるなり激流である。
    k先生恐れをなしてボートの内側に体を持ってこようとするので、私がオールで体を衝いて外に出してやる。
    出来るだけ乗り手は外へ体を出すとボートは安定しヒックリかえることは無い。
    距離は4kM程約20分、途中5箇所程落差のある所があり、なかなかスリル満点である。
    太田奥方、もうハイテンションを越えプッツン状態である。
    一人の行方不明者も無く、昼御飯である。
    皆さん、寒い。寒いと震えている。
    昼御飯後滝壺スイミングであるが、殆どの人が震えながら見てるだけの中オーストラリアから来た若い太った
    オネエチャン3人元気組がはしゃいでいた。
    夕食は海鮮レストランである。
    姿の立派なイセエビ風の刺身がメインで渡り蟹に、肉、野菜 焼き飯、焼きそば、仕上げにアイスクリームという
    メニューである。
    シャロン湾に帰ると午後10時、今日も長い1日であった。

 26日 シーカヤックで洞窟探検とジェームスボンド島巡りツアーは、太田夫妻、イッちゃん k先生 蕎麦打ち名人の
    5人だけ参加である。
    ”今日は船酔いせんやろか?”
    と、太田奥方の質問であるが、本当の事を言っても心配するだけなので、
    ”今日はバンハー湾の中やから大丈夫やろ。”
    と,気休めを言っておくがヒョットしたら、洞窟探検どころではないかもしれない。
    6時ごろ疲れた顔をして全員戻ってくる。
    夕食は屋台で食べようということで、プーケットタウンの市場まで行く。
    それぞれ自分の好きなものを注文し食べる。
    タイラーメンに人気が集まったようである。
    過密スケジュールツアーも明日帰国である。

 27日 午前中は自由時間にして、昼からバトンビーチに行く。
    昼食はユキさんの希望を入れてイタリアンレストランにする。
    ピザと各種ホームメイドパスタを注文し分け合って食べる。
    土産物屋をヒヤカシながらバトンビーチを歩く。
    この季節インド洋からの風と波で遠浅の浜は波が立って打ち寄せている。
    さすがに、泳いでいる客は少なく閑散としている。
    午後5時シャロンへ荷物を取りに帰り、7時空港へ向かって出発である。
    ユキさんだけ残り、今後行動を共にする。
    天気はは悪かったが、一応御希望通り済ませることができ、病気にもならず無事帰国する事ができたのである。
    
    
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