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                 113番 ペナン風景3月                2010年
中華系の厄落とし
コミュの友人から、
「中華系の厄落としを見に来ないか?」
との誘いのメールがあり、今日朝7時にハーバーを出てバイクで50分ほど掛けて、まず、ニラ饅頭屋に行く。
朝から、ニラ饅頭2個、シャキシャキした芋を刻んだ饅頭を2個、シュウマイ3個、カニと豚肉詰め2個等を食べる。
ここのニラ饅頭はニラの味付けがうまい。
腹ごしらえが終り、少々のニラとシャキシャキ饅頭を包んで貰い友人の家にいく。
厄落としお寺は車で15分位の所である。
200人位の沢山の信者が紙袋に厄落としする人の衣類を持ってきている。
まずはお札を貰い、名前を書きテーブルの下に並べていく。
始まるまで、お粥とおかずはセルフサービスで食べ放題である。
銅鑼に太鼓が鳴り始めると、住職が僧衣を着て首に無線マイクをつけ、お経を歌を唄うように太鼓に合わせて読む。
茶髪の若いニイチャンも同じく僧衣をきて、決められた役割の小物を持って(例、デンデン太鼓、木魚、鉦、鈴、マニ車等鳴らしながら総勢8人)住職の跡に続いて境内を小走りに走る事30分。
準備が終わった所で信者200人がこの8人の後に続いて走る事1時間程。
最後は、お布施をして、スイカを割って食べさせてくれる。
これで厄落とし完了で今年一年無病息災という事になる。
京都の壬生寺は節分の時に陶器の皿に名前を書いて割るのが厄落としである。
何処の国でも厄を落として無病息災を願う心は同じである。
写真左:住職がお経で厄落とし中
中:虎の置物の下をくぐり厄落とし
右:お布施中


日本のヨット夫婦訪ペナン
昨日、日本のヨット夫婦がペナン、ランカウイ島の下見に来られた。
このご夫婦は、数年前に遊帆(UFO)航海記を見て連絡のあった方で、ハワイで40ftモノハル艇を購入され、タヒチ、ニュージランド、オーストラリア、インドネシアを経て、マレーシアのジョホバルにある Puteriヨットハーバーに係留し、ご本人のみ飛行機でハーバーの下見に来られたのである。
物知りサムも声を掛け一緒に夕食をした。
一度も合わなくても、友遠方より来るである。
日本のヨットも記録挑戦だけでなく、自分のクルージングライフとして海外に出てくる船が多くなった様である。
今回の様に夫婦ご一緒に船に乗られる人は奥様にゴールドメダルを差し上げたい。
旦那はご自分の趣味で苦労は承知の上、しかし、船上海上生活は女性にとってどれだけ厳しいものかよく分かっている為である。
私としては、仲間が増えて嬉しい限りである。
海外に出るヨットの役にたてれば嬉しいと思っている。
日本のクルージングとはまた違うファンタスチックワールドが待っているだろう。

マレー式結婚披露
昨日、マレークルーのアリにマレー式結婚貸衣装屋を探して貰っておいた。
アリは数年前に結婚し、その時自宅での結婚披露に呼ばれた事がある。
家族親戚知人が都合のよい時間に来て、食事して帰るというシンプルながら心のこもった暖かい雰囲気であった。
貸衣装屋はサンシャインスーパーの前にあり、行ってみるとオネエチャンが一人だけで英語がさっぱり通じない。
生憎アリの電話番号が分からないので、こういう時は物知りサムの出番で電話してここへ来た目的を通訳して貰う。
何とかオネエチャンに意味が通じると後は指さしで話ができる。
マレー式衣装は50着程色とりどり、ビーズの模様も色々であるので、4着程選んで試着しはじめる。
体型はマレー人も日本人もそう変わらないのと、仕立て方着方で着物の様に合うようにできている。
メイクアップまで含めて全てやってくれるらしい。
1週間ほど前に偶然出会った夕日の花嫁風スタイルの完成である。

マレー式結婚披露(2)
今日は、先程まで吹いていた風もやみ、夕日も西の空に落ちようとする頃、マレースタイルの新郎新婦のお出ましである。
グレーの衣装にビーズをあしらった花嫁衣装、頭にテイアラとレース。
同じ色と模様の花婿衣装は頭にマレー式冠と服を着て腰にナイフをさしている。
ハーバー長屋の連中も普段はTーシャツに半パンなのに今日は一張羅の格好で出てくる。
一応揃った所で、挨拶であるが、何故いつも最も英語の下手な私がしなければならないのか。
まあ、パーテイオーガナイザーだからしょうがないか。
今回、ジョセフ教会に結婚式の依頼をして見たが、クリスチャンでないので無理という事であった。
信者でないと式も執り行わないのが本当であろう。
ハワイ等で教会で式をあげるというのは、旅行会社と組んでのイベントとして商品化されたものかもしれない。
そんな訳で、ハーバー長屋参加してくれた全員がサインをし、結婚したのを見届けた証人という形をとる事にした。
長屋の連中が全員心から二人の結婚を祝福してくれた事に感謝するのであった。
参加証人:ケン&マユミ、Yuuji&家族(日本)、李&黄(韓国)、Yukee(香港),emeil(ノルウエ―)、Voivoi(ノルウエ―)、Famos(スエーデン)、サム(マレーシア)、アリ(マレーシア) RogueWaveファミリー(英国)、遊帆(UFO)
敬称略約15人

不思議な事に誰かスリッパ1足忘れて行ったようだが未だに分からない。
追記:7日朝、遊帆(UFO)の前をFamosのオイビンがキョロキョロウロウロしているので、
「スリッパ、探してるんやろ!」
と声を掛ける。
スリッパもやっと主人に会えて安心。
写真左:新婚さんとタコ坊主
写真中:一張羅の服に互いに照れて笑いあっているeva&
黄さんのスケッチ
右;証人のサインをする李&黄さん
 

60人前巻き寿司作り(3)
ケン&マユミ、Yuujiファミリー一緒に、ジョセフホームに行く。
子供達が元気で明るい顔で迎えてくれる。
午後3時、厚焼き卵から始める。
60個の卵を割り、ダシ醤油、砂糖を入れよく混ぜ、卵焼き器で焼いて行くが、エアコンも無いので汗だくで1時間程掛った。
他方で米3升を洗い、電気炊飯器に掛ける。
後は豆腐ワカメ味噌汁は量が多いのでこれも事前に作っておく事にする。
八宝菜だけYuujiさんの奥さんが直前に炒める事とした。
準備が終わると、巻く事になるがやはり60本はナカナカ手間のかかる事であった。
子供達職員も珍しそうに見にやってくるが、相手する余裕もない。
10本分位寿司飯が余り、カニかまぼこが足らなくなった。
ホームの職員がツナ缶を出してくれたので、マヨネーズで和え、キュウリと卵で巻いて行く。
午後7時夕食の時間で40人位の子供達が丸いテーブルに分かれて着席。
私達も一緒にという事で私も適当に空いているテーブルへ。
お祈りが終わると、寿司と味噌汁、八宝菜を子供達と貰いに行く。
巻き寿司をそのまま食べる子は少なく、スプーンでご飯をほじくって食べている子が多いので、私が全部口に入れ食べられる事を見せる。
やはり、海苔は包み紙と思っている子もいる様である。
ワイワイと喋りながら、笑いながら食べた後は、子供達が集まってくるので、日本の遊びジャンケンを教える。
次に、指相撲、腕相撲であるが中学生くらいの女の子は私より腕相撲が強い。
若い時、上海の飯店で暇に任せて、中国人とドイツ人と腕相撲をやり、中国人に全勝、ドイツ人に勝っていると、仲間の腕の太い奴を呼んで来られて負けた位で自信があったのに、情けない有様である。
「オジサン、またきてね」
と子供達に送られ本当に気持の良い楽しい1日であった。
次に、何かのチャンスを見て何度も何か作りたいと思っている。
私に算盤とか何か教える事の出来るものがあれば、やりたい子供を募集して教室でやるのだが、生憎そんな技能は無い。
遊ぶのは得意だが、何かないかな〜?


ホームの子供達と
手始めに折り紙をやってみようと思い、うまい具合に来週辺り娘がペナンに友人と遊びに来るので100均で20袋程持ってくるように頼んだ。
一方、ホーム管理者には子供の中で興味のある子に教室で一緒に折り紙をする許可を申請中である。
折り紙の折り方は鶴位しか知らない。
インターネットで調べれば色々出てくるだろうと楽観的である。
以前に子供の乗っている船に、沢山の鶴を折り糸を通してバランスをとり、ぶら下げるようにして風で動くようにしたので、これから始めよう。
材料だが糸はあるので棒になるものがいる。
マイロードの原っぱにすすきの様な草が生えているからあれを取ってくる事にしよう。

何故か古いヨットマン友達が来る日
昼ご飯を食べて遊帆(UFO)に帰ってくると、デッキで賑やかな声がする。
Isaacの李さん黄さんとランカウイテラガハーバーでパーテイオーガ ナイザーの2人(ドイツ人)である。
彼等は、ヨットを売りアパートに住んでいるのだが、海が恋しくてスモールボートを買って時々近くの島をクルー ジングしようと、船外機を買いにペナンにやってきた。
その当時は週に3日はパーテイで楽しい時を過ごしたそうであるが、彼等がいなくなった今テラ ガハーバーはパーテイを誰も開かないらしいので面白くないそうである。
それなら、自称ここのハーバーのパーテイオーガナイザーの私は頑張って企画 しなければならないと思いなおすのであった。
彼等も帰り昼寝をしていると、Isaacの黄さんから携帯電話である。
「何処にいる か?」
と言われても船の中よと答えるしかない。
「コンパスローズのウエインが来て李さんと船をノックしたけど出てこん」
「ゴメ ン、昼寝してた」
外に出て見ると私と同じスノーグース37ftが沖でアンカリングしている。
ウエインを呼んでヨットマンはまずは船の事か ら話である。
彼は遊帆(UFO)とジョホバルからランカウイ島まで並走した時つくづくカタマランが良いと思い同じメーカーの新型中古艇をプ―ケッ トで買ったのである。
自分の船を見てくれと言うのでテンダーで一緒に彼の船にいく。
装備はシンプルにして、セーリング用に色々と変えてい る。
私が教えた様にスピン装備もしてある。
カタマランは両ハルにブロックをつければ前に出なくても一人でスピン操作ができる。
イ ンナージブの装備もしてある。
これは荒れた時ジブは巻いてインナーをタックフリーにして置けばコントロールが簡単でよい。
装備を見るとこ の船で彼は走る気である。
そんな事を話していたのだが、前にはフィリッピンのガールフレンドがいたのに一人である。
「ウエイン、フィリッ ピンから逃げてきて、タイで又ガールフレンド探す積りとちゃうか?」
と、聞いてやると首を振る。
「フィリッピンのボンボノンはどうや?」
「あ そこは、今は家も沢山建ったし、アンカーを降ろしている船の連中も面白ない。
ワシ等いた時の様に仲良うに浜でパーテイする事もない」
との 事、フィリッピンで懲りたのかな?
というような訳で今日は古い友人が来る日のようであった。

チャンさん退院後始めてハーバーに
遊帆(UFO)の呼び鈴がチリリンと鳴る。
出るとゲッソリと痩せたチャンさんである。
「もう、歩いても大丈夫か?」
「カレーパン を持ってきた。」
「ありがとう、よう回復したな。
手術後集中治療室で見た時は顔が真っ青やったけどな。
まあ、もう顔色もようなっ たし大丈夫やな」
「2週間、何にも食べられんかった。
手術で摘出したワシの大腸見たか?」
医者は彼に何と言っているのか分からな いので答えは曖昧にしか言えない。
「何で、酷くなるまで我慢してた?」
「手術があと4時間遅れてたら腹の中で大腸がパンクし菌が体に回っ てあの世行きやったらしい」
「そうか、最後の所で運がよかったな。
これから、タバコと暴飲暴食やめて気をつけたら長生きできるで。
前 のVoiVoiのジイチャンも同じプラスチックバックつけてるもんな」
「このバックに溜まるのを1日5回替えなアカン。
一週間に一度ベー スを消毒して取り換えやけど20RMかかるから月に100RM程掛るねん」
早くも金の計算をするが
「トイレ行かんでええし楽やないか?」
と 冗談風に慰める。
しきりに快気祝いのパーテイをしようと言うが、6月頃にしようなと言い含める。
しかし、手術して未だ1カ月に少し足らな い筈だが、腹に30cmほどホッチキスの傷跡を残しながらも、自動車を運転して来る人間の生命力は大したもんだと感心する1日であった。

ペ ナンの夜明けは少し雲がかかって左手にペナン大橋(マレー半島につながる)が見え、太陽が真っ赤に輝きました。
  
 江戸の絵師と都都逸風

美味しい料理屋のメニューが無い
最近見つけた潮州料理の店、安くて美味いがメニューが無い。
それで、いつも暫く料理が出てくる所(調理場)にいて、うまそうなのが出てきたら、指 差し、
「それそれ!」
と言って注文する。
料理屋と言っても屋台だが女将にこの料理の名前を書いてくれと言っても、長い時間考えた 結果、例えばSpecial toufu というように書いてくる。
「そりゃ、豆腐料理でも沢山種類があるのだから、皆スペシャル豆腐だぜ」
と 思っても女将はこれだこれだというだけである。
という事で女将に今度来たら
「出てくる料理写真に撮ってメニューつくるわ」
という と、喜んでいた。
まあ、ローカルな屋台だから仕方ないか。

ハーバーの水が止まった!
今日1日中ハーバーポンツーンへ引いている水がでない。
水を送るのに圧力をかけるポンプが動いていない。
事務所のトイレの水は出るので私 は体を洗うのは問題ない。
船で食事は作らない生活スタイルだからコーヒーカップを洗う位である。
皆さんは、水タンクに入れててあるだろう から、普通は5日間位は大丈夫である。
ヨットマンは雨が降ればタンクに水を貯めて使うし、電気が無ければ早く寝る。
どうなってもどうにか する人達ばかりである。

日本クルージングの思い出
遊帆(UFO)が南へ行く前、今から15年程前に日本海を北上し北海道へクル―ジングをした。
5月頃北上しはじめイカ釣り船と同じ動きだった。
遊 帆(UFO)は魚が釣れないというジンクスがありながらも、イカ釣りに挑戦した。
煌々と海面を照らすイカ釣り船の下にはたくさん集まっている筈と そばによる。
それでも、1匹釣れただけである。
漁船のオッサンが呼ぶので近くによると、デッキにイカが降ってくる。
「これやるか ら、はよあっち行け!」
「おおきに!」

なおも北上し小樽へいき、函館に入港した。
冬シーズンを函館に係留したままにし て、次のシーズン出港した。
津軽海峡はやませが吹き海は大荒れで岸寄りを航行し避港した。
各地で漁師さんの世話になった。
納沙布 岬落石町のサンマ漁網元の家では、家に呼ばれ御馳走をふるまわれ、おまけに昆布まで貰った。
さすがに網元、スケールが大きいと思ったものだ。
夏 から秋に太平洋側を南下、今度はサンマ漁船と動きが同じになる。

日本海側から江差、函館は北前船の航路であるが、実際に航行して見て太平 洋側より、天然の港が多く夏のシーズンは海も穏やかであった。
太平洋側はリアス式で奥まで深く入港に不便であったろうし、黒潮の流れに乗ると遥か 太平洋に出されてしまう危険性があったのだろう。
北前船で栄えた為か、日本海側の街並みは落ち着いていて文化的な民家、文物が多くあった。

写 真:葛飾北斎「神奈川沖浪裏」
私が神奈川沖航行時は富士は見る事ができませんでした。

ヨットと人生
ヨットは、帆とエンジンの2つの動力を持っている。
帆をあげて風を受けて進むのだが、真向かいの風にまっすぐは進めない。
風性能の良い船 でも風の吹く右左45度位が限度である。
風に逆らって行こうとしても目的地に向かってジグザグに進む為、到着するのに時間と労力がかかる。
又、 風と波は同じ方向なので向かい波ともなり、船は上下に揺れる。
その為にヨットは風を横か後ろから受ける時に走らせるというのが楽な方法である。
ゆ えに風待ちもしなければならない。
これは、どこか人生に似ているように思える。
風向きの悪い時に幾らあせっても良くはならず却って危険な 事になる。
所がこの風を待つという辛抱ができるようでなかなか難しい。
私も、インド洋でドライブがスリップしエンジンが使えなくなり風待 ちをしなければならなくなった。
1日殆ど動かない。
3日も経つと焦りが出てくる。
しかしエンジンが使えないからじっと我慢でよう やくカーニコバル島という外国人上陸禁止の島に辿り着いた。
そこでエンジンの修理を試みるも部品を日本から送る事も出来ない。
港湾敷地か ら出る事も許されない軟禁生活が1カ月も続くと我慢できなくなってくる。
島の外はモンスーンとサイクロンが近づいているらしく荒れている日が1カ 月以上続いている。
現地島の人に訊くと、未だ3カ月は続くという。
とうとう、我慢しきれなくなって、少し風が弱くなった所で出港プーケッ トを目指すが向かい風で、近づけない。
そのうち、大荒れになってデスマストという最悪の状態に陥った。
悪い時に焦って動く無謀さを思い知 らされた訳である。
人生も同じで悪い時じっと我慢し風向きが変わるのを待つというのも大事な事の様に思うのである。

ヨットと人生(2)
船は不思議な乗り物だと思う時がある。
まるで船が自分の意思を持っていて、オーナーの性格、状態を表しているように感じる。
遊帆 (UFO)を買うまでに沢山の船を見てきた。
最初に、この船を見た時、陸揚げされ動くかどうかさえ分からない状態だった。
が、何故かこの 船は私の元に来るように思った。
私のプロフィールに船は最高の悪女と書いているがその通りだと思う。
一度魅入られると、時間、金、体まで 使わされ離してくれない。
しかし又最高の女神の様でもあり、その報酬は自由である。
海がある限り何処へでも自分の意思で行ける。
広 い海の上にいると、人間が作った法律、規則すべて遠く離れてしまう。
勿論全て自己責任である。
見渡す限り誰もいない世界は私だけの為にあ るように感じるのである。
所がこの時に不思議な幸福感があり、孤独感は全くない。
陸地が近づくと、まず埃っぽいゴミの匂いが風に乗って 匂ってくる。
人間の住む世界から離れ海原にいると鼻が臭いに敏感になるらしい。
港に入り、人を見ると、自由の女神は途端に孤独の顔を見せ るのである。
人は自然の中では幸福感を味わい、人との関係で孤独を感じるのは不思議である。
同じメーカーの船でもオーナーの考えで改造し たりしているので同じ船はひとつもない。
その為、船を見るとオーナーの考え方、価値観、状態が分かる。
船は「私はこんな人ですよ」と言い ながら航海しているプロフィールのようでもある。

ホームの子供達におみやげ
娘が友人2人とペナンにやってきた。
関空からクアラルンプール乗換時、時間を確認しなかったのだろう飛行機が出発してしまって置いてきぼりにされ たらしい。
電話をしてきたが英語ができないので代わりに聞いてくれと言う事で航空社員と話をする。
ペナン行きは最終午後11時10分発し か席が取れなくて、航空券一人230RM(7000円)程料金がかかる。
帰りの航空座席もキャンセルになる可能性があるので急いで確認して貰う。
娘 に替わって貰い、ホテルとHISペナン連絡場所の電話を聞き電話を掛けまくる事となった。
海外の空港は日本の空港の様に遅れている客を探して誘導 するような親切な所は無く、自己責任である。
私は今回折り紙を買ってくるように頼んでいた。
娘と2人の友人も看護士で病院の皆さんからプ レゼントされて、古着、おもちゃ、本等バッグに詰めて持ってきた。
早速、マユミ&ケンさんに連絡を取りホームで受け取って貰えるよう段取 りをして貰った。
それで、今日の昼にホームへ持って行くと、前回巻き寿司作りに逢っているので、子供達は顔を覚えていて私の名前をしきりに呼ぶ。
昼 を一緒のテーブルで食べようとお皿やコップを準備してくれる。
こんな事なら昼のインド料理を食べてくるんじゃなかった。
ホームのスタッフ ジャックに折り紙の話をすると、土曜日、日曜日は子供達は学校はなく一応ホームにいるからいつでもよいとの事だった。
では、最初の鶴から来週位に 始めるかと思っているが、先に自分が出来るかどうか心配である。
いくら一緒に遊ぶといっても初めから鶴も折れないのでは恰好がつかないので特訓し よう。

妹の世話をする姉のスケッチ               絵と川柳  パステルで描きました。

サッカーボールを蹴ったら!
私は原っぱに何故かいた。
サッカーボールがあって、遠くで子供が遊んでいるようである。
「よし、このボールをうまく蹴ってやろう」
と、 思って少しボールをチョンチョンと蹴って見る。
ビクともしない。
「気合い入れて、蹴るぞ〜 エイ!
イテテテ!!」
アイテ テ! 又やってしまった。
寝ぼけて狭い船の柱の角を蹴ったのである。
右足の甲が痛いので涙目で目をこする。
近くの豚人形クッショ ンを柱にあてて又眠るのであった。
前は柳生十兵衛と切り合いをして右手でしこたま船内の壁を叩いた事がある。
寝る時も防具をしなければ危 ないかな。。

ヨットと人生(3)
ヨットは二人で乗るといい様になっている。
この事をダブルハンドと言い、私の様に一人乗りをシングルハンドと言う。
海外クルージングヨッ トは夫婦が殆どである。
勿論、現地ガールフレンドを乗せているヨットマンもいる。
ヨットという狭い空間でお互いずーっと顔を突き合わせて いる生活が続くのである。
目的地に向かって進んでいる時は協力しなければならないので、未だ我慢が出来る。
目的地に着いた途端に我が出て 喧嘩になり、奥さんは船を降り離婚と言う事もある。
船では指示を出すのはキャプテンで大抵の場合、夫で妻はそれに従うのは航行中では仕方が無い。
目 的地に着いたら、普段の生活になるので奥さんも黙っていないということになる。
黙っていない所か主客転倒、下剋上で全く逆になったりしている所が 多い。

船を家庭、目的地を子育て、目的地到着を子離れ退職と読み替えると、
これは人生に似ていて、
結婚して当初は
「あ なた以外なんいもいらないわ。二人だけの世界があれば」
最初は楽しい時である。
そして子供ができ
子育てと言う目標ができる。
夫 は金を稼ぐのに必死、妻も子育てに必死で、子供が親離れした時、夫婦は
「あれ? わし等は何のために生きてきた?」
とか思いだし、最初の
「あ なた以外なんいもいらない
二人だけの世界があれば」
がどこかに行ってしまっている。
と言うように、多少無理があるかもしれない が、大雑把に言うとこういう事になる。

この経験を乗り越え、お互いが相手の気持ちを察して、譲る所は譲ると固い絆で結ばれて良い夫婦関係 になるようである。
夫婦関係に損得勘定を持ちこむと、とても夫婦等やっていられなくなる。

「じゃ、お前はどうしてシングルハンド なんだ?」
と訊かれるのが一番辛い所である。
理由は色々あっても、
「そりゃ奥さんに愛されてないんじゃないの?」
等と言 われると反論できない。

海に住む生き物との出会い
ヨットに乗って航海していると、船足は自転車より遅く、歩くより速い位である。
その為海の生き物に良く出会う。
最も良く出会うのはイルカ で、彼等の方がヨットよりスピードが速い。
エンジンを切り帆走にして船腹を叩くとイルカは興味を示して近寄ってくる。
遊帆(UFO)はカ タマラン(胴体が2つの船)の為にイルカは船の真下を同じスピードで泳ぎ、時々上を見上げ私の顔を見る。
暫く並走して飽くと仲間の群れに戻ってい く。
海の犬の様に愛嬌があり遊びを知っているようである。
珍しいのでは、北の方からあげて行くと、まずマンボウとラッコ(北海道納沙布岬 付近)である。
ラッコは泳いできてやはりこちらを確認して帰って行った。
マンボウは大きさ3畳位ある。
数えきれない数で皆横を向 いて寝ているのか浮かんでいた。
船が近づくと、びっくりしたようにユラユラと縦になり泳いで行った。
四国沖では鯨にであった。
南 の方(フィリピン)では、ウミガメの大きいのが船の20m位前で突然顔を出した。
私はとっさに潜水している人だと思いエンジンを切り舵を切った。
チョッ ト見は全く人間の頭と顔に見えたのである。
夜に船を走らせると夜光虫がキラキラとホタルの様に美しい。
追手風12ノット、後ろに満月、穏 やかな海を帆をあげて夜に走るのは素晴らしい時間である。

写真はヤフーで検索してお借りしました。
マンボウとウミガメ


参鶏湯(サンゲタン韓国料理)つくる。
今日は、エアコン故障で船内は34度はある。
暑くて汗をかくと、土用の丑のうなぎの様に、韓国では参鶏湯を食べるのが習慣である。
「よ〜 し、一丁美味い参鶏湯を作って李&黄さんを喜ばしたろ!」
と、思い、まず鶏を買いに市場へ行く。
日本のスーパーの様に上品にパッ ク等入っていない。
裏の庭で生きている鶏の首を切り内臓を取り水洗いしている未だ暖かいのを買う。
「ニイチャン、おばあの鳥はあかん。若 い少女の鶏にしてか!」
「これやこれ!11RM(300円1匹)! 肝と砂ずりつけとくわ」
考えて見ると、
「皆オスとちゃう か?、若ければええか」
これで、材料仕入れ終わり。
船でお尻の穴に手を突っ込んで血と脂をきれいに掃除、腹の中にもち米を入れて、お尻の 穴を竹串で縫って塞ぐ。
考えて見れば残酷なようだが美味しく食べる為には仕方が無い。
写真にある参鶏湯の薬草セットを先に30分煮て味を 出す。
後は先程の鶏に風呂に入って頂く。
時間は45分。
これ以上煮過ぎると、鶏からうまみが出てカスカスになるし、腹の中のもち 米がお粥状になって美味しく無くなる。
これを李さん黄さんの船に持ち込み飲み会で本当に美味しく頂いた。
食べる時に、塩に胡椒を入れつけ て食べるのがコツである。
鶏さんに感謝!!
写真左:漢方参鶏湯材料(ハンバンサンゲタンチェリョウ)
中:上記袋にあるものを軽く 水洗いして30分煮だす
右:腹にもち米詰め込み熱い湯に入いる鶏


折り紙研究会?
前回、ホームで60人分の寿司を作った、Yuujiさん家族、ケン&マユミさんと、折り紙研究会と言う名目で集まり折り紙の折り方を試す。
娘 が折り紙の本を持ってきてくれたが、図を見ても折れない。
「鶴と騙し船、カブトしか折れんな」
「これだけ折れたら後は子供等の方が頭ええ し、図見て折れるのとちゃうか」
等と言いながら、飲み会に突入。
もう、料理がうまい、酒はうまいという事ですっかり、折り紙は忘れてし まった。
「鶴さえ折れれば、後は何とかなるで」
と、気楽な私である。
元々教えるという様な大それたことは考えていない。
折 り紙を持って行って一緒に遊んでくれたらいいな、という考えである。

新しくヨセフホームを立ち上げました。
ペナン ヨセフホームの子供達との交流の場として下記のサイトを立ち上げました。
私、遊帆(UFO)はペナンにいますので、子供達とのメッセージ 配達人として動きまわりたい(1週間に1回位)と思います。
難しく考えず、近所の子供達に声を掛けるようにメッセージを送って見てください。
子 供達が自然に自発的に返事を出してくれるのを待ちます。
ボランテイアの新しい形を実験的にやってみたいと思います。

新しい形と は、物を提供するばかりでなく、愛、優しさ、いたわり等の心を離れた所から交流する方法はないものかと言う事です。
インターネットが普及した現代 ですから、テレビ電話、動画等色々あリ、リアルタイムのやり方もあるかもしれません

そち らにメッセージ(日本語、英語、マレーシア語、絵、写真等何でも可)を書き込んでいただけたら印刷し次回訪問時に手渡し、何かの返事の方法を考えて送りま す。
私をメッセージ配達人(1週間毎位)と考えてください。

子供達は、多くの人々が気にしてくれているのだという事だけでも良い のではないかと思います。

ヨ セフホームの子供達ホームページ
http://ufoboat.sakura.ne.jp/josephhome/top.html

ペナンの本屋はいいな。
ペナンの本屋は店内のあちらこちらに椅子が設置してあり、ゆっくりタダ見してくださいという設備である。
子供コーナーは絨毯もひいてあって遊び場 である。
英語、中国語、マレー語とコーナーが分かれていて、さすがに多言語、多民族国家の本屋である。
又、スターバックスが店内にあり、 雑誌など持って行きコーヒー飲みながら読み可である。
私は、昼の暑い時とか暇な時(いつも暑くて暇)はここでへたり込んで本を読まないで見るであ る。
英語は読めないから、写真とか絵の本を片っ端から見ている。
それでも、月に100RMは何やかやと買っているので、生活費の5%が教 養費に当たる。
エンゲル係数と言うのを習った覚えがあるが、高いのやら低いのやら。
日本の本屋も立ち見だけにせず、椅子等用意したらどう だろう。
書籍離れといわれる昨今、日本の本屋は売れ残り本は出版会社に返品するのだとしたら、客サービスをする方が人気が出るのでは?
喫 茶コーナーで自由に本読み可等と宣伝すれば、リタイヤーして行き場の無くなった男性陣が時間をつぶせるサロンになるのではないか。
1杯500円程 するようなコーヒーはペナンでは考えられないから、十分採算も取れるだろう。


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