第112番 ペナン風景 2月 2010年
もう2月になってしまった
本当に日の経つのが速い。
今日はペナンの珍しい風景を紹介しよう。
最初は消防レスキューバイクとでも呼べばいいのだろうか。
5台ほどが1セットになって、其々色々な道具を積んでバイクで走っている。
発電機風のもの、ホース、化学消火器等々である。
バイクの色は勿論赤でパトライトもついていて恰好が良い。
狭い所でも入っていけるし、渋滞でも行けるが初期消化活動で無いと、戦力不足かもしれない。
日本では見た事がない。
次は、子供のゆりかご。
ゆりかごと言っても横に揺れるのではなく上下に結構跳ね上がるように揺れる。
上部のバネはエキスパンダーのワイヤ―で吊るしてあり、オニイチャンがゆりかごを引っ張って離すと暫く上下している。
オニイチャンはお母さんに言われて邪魔くさいのか一度にきつく引っ張るので揺れが激しい。
赤ちゃんが船酔い状態にならないか心配である。
最後に、椰子の木。
この椰子はチョットしたの方に美味しそうな赤い実がなっているが、食べれないそうである。
何で紹介したかと言うと、マレーシアはいくつかの州に分れていてここは勿論ペナン州で週のシンボルがこの椰子なのである。
マレー半島側の美味い所
初めの店はバターワースのフェリー乗り場の近くに豚の煮込みの美味い料理がある。
ここの豚は、アバラも足も長時間煮て、脂身は抜けてコラーゲンだけになっている。
沖縄料理のラフテーに似ている。
アバラ部分で2人前で300円位である。
次は、薬草サウナへ行く高速道路の出口(Tambun)の近くにある、蟹飯屋である。
注文すると土鍋に炊き込みご飯風と蟹が乗って出てくる。
蟹は、泥蟹の様で身は詰まっている。
ご飯は黒い色をしているが味は濃くなく抜群である。
但し量が多く、3人前はありそうで50RM=1300円と高めである。
写真左:豚の煮込み
写真中:蟹飯
写真右;同じく
日本は節分
私の家は京都壬生寺の近くにもあったので、家族は今日もお参りに行ったらしい。
私は節分の日に1度だけ壬生狂言を見に言った覚えがある。
太陽暦では2月3日だが、太陰暦では正月前である。
今年は2月14日が正月になる筈である。
季節感の無いペナンだが、デパートやらショッピングセンターは中国系のおめでたい軽快な音楽を鳴らして購買意欲を煽っている。
ジングルベルと同じようなものらしい。
日本でも太陰暦の方が季節感はあっている様な気がする。
海では常に月とは大きく関係があり、今日はどの月か夜空を見上げて確認しているし、それで大体時間も分かる。
又、それにより、満潮、干潮時、 大潮、小潮も分かる。
お隣の韓国の船李さんに声を掛け
「今日は満月だから1杯やろう」
という、お月さまの御利益もある。
龍馬人気
NHKで坂本龍馬を放送しているので人気らしい。
坂本龍馬は京都と縁が深いから、観光名所で人気になる事だろう。
新撰組の時も、壬生寺近所の街並みに急に土産物屋さんが出来たり、グルメ雑誌に載って人気になって日頃買っていたものが売り切れになったりした。
話はそれてついでに私も美味いと思うフランスパンのあんバターを売っている店紹介。
壬生川高辻通りを西へ200m程、大きなライオンズマンションの前にある小さなパン屋。
話は元に、龍馬と言えば霊山歴史館を是非一度行かれるのが良い。
http://www.ryozen-museum.or.jp/052.html
この館長をしておられる木村幸比古先生は、龍馬に関する本を研究して書かれている。
何故先生かと言うと、何でも我流で師という方がいない中で「帰国している1カ月短期間ですが」とお願いして、豊剣流居合を習った為である。
幸い家から歩いて10分位の所に神社兼道場があった。
先生は三宮神社の神主さんでもある。
私は、高校生の時に剣道の合間に英信流だったと思うが習っていた事がある。
先生の豊剣流居合は言うまでも無く素晴らしく気品がある居合であった。
書はタイトルにもなった紫舟さん。
世の中素晴らしい才能を持ち磨いている人が沢山いるものだ。
軽自動車転覆
朝はマイロードを散歩するのが常である。
何故マイロードかというと、この道は袋小路になっているので車の往来が少ない。
少し暗いうちから出て朝日がマレー半島から登って来る時、雲の加減で素晴らしいシーンを見る事が出来る。
インド洋に沈む夕日も綺麗筈だが、ここからは山が邪魔して見る事はできない。
帰り道ハイウエイ(幹線道路でハイウエイではない)
の南行きが、えらく渋滞している。
よく見ると、軽乗用車が北を向いて中央の分離帯兼植え込みに逆さまに乗っかり木をなぎ倒している。
レッカー車がきてインド系男4人で又ひっくり返して元に戻してしまった。
道路の横に、インド系の20代の女性が首を抑えている。
「あんたが事故起こしたんか?
怪我なかったんか?
ここは全くの直進道路やのに何で中央分離帯に乗るんや?」
と、お節介な私は警察官の様な顔して事情聴取する。
オネエチャンの言い分は
「南へ向かって走っていてタイヤがパンクしてハンドル取られ、中央分離帯へ乗って木に当たり逆さまになり反対向いて止まったけど、ちょっと首痛いだけ」
という事である。
「それはそれは随分スリルがあって良い経験したね」
と思ったが言わなかった。
車は、完全にお釈迦。
マレーシアタイヤはゴムの品質が悪いのか、直ぐパンクする。
1週間ほど前、薬草サウナへいくのに高速道路(こっちは本当の高速道路E1)をバイクで走っていたら、前方500m位か、車積自動車から何か舞い上がって路肩に落ちた。
私はその後ろを走っていたのだから不審物を見る事になるが、何とボンネットであった。
車積車はゆっくりとまり路肩を、そろそろとバックしてくる。
私もすき勝手し放題だが、このトラックには負けた。
道を走る時は自分だけでなく
「何が起こるか分からんぞ」
位の気構えがいる。
写真はこの時の話ではないが、薬草サウナの帰り道E1でバイクが派手に車に衝突、バイクのニイチャンは痙攣していた。
ハーバーのノルウエ―夫婦
遊帆(UFO)の対面はノルウエ―の夫婦の船が係留している。
彼等はノルウエ―で大型客船の副船長と広報担当嬢で結婚したという。
お歳は70歳から80歳近い。
オジイサンは数年前に大腸癌の手術をして摘出、腹にプラスチックバックをつけている。
オバアサンとは朝の散歩ですれ違う。
私が酒を飲んでいて、オジイサンに
「一杯どう?」
と、聞くと。少し付き合い、
「妻の所に帰らなくちゃね」
と、ハンフリーボガード風に言って自分の船に帰っていく。
私の船の向かいなので、いつ見ても二人は、本を読み、昼から、ビールを飲み、夜は二人でワインを飲み、お休みの時になると、結構長いキスをしている。
おざなりの挨拶のキスでは無い。
本当に「夫婦とはこうである」と見せられるのである。
そのオジイサンが癌の再発をしたらしい。
しかし、毎日淡々として本を読みワインを飲んでいる。
オバアサンは泣く事しきりという隣の船からの情報である。
慰めようもないが、我々ヨットマンはどこか皆覚悟の上の自分のしたい事をしているのである。
オジイサンの淡々とした生き方をジッと見守るだけである。
写真は何事もなかったように二人で夕食をしてワインを飲んでいる。
私が写真を撮るのを見て乾杯の仕草。
いつも水着で、オバアサンは花柄ビキニ姿である。
警官と一緒にアイスカチャン
ハーバーの近くには、警察アパートがある。
そのすぐ近所(100m程)にマレー系警察の奥さんがアルバイトで屋台を出している。
麺(ミーと発音する)、揚げ物(エビ天、イカ天、さつま揚げに近い)、飲物屋(アイスカチャンはかき氷の事)である。
勿論、無許可というか、許可というか警察の奥さんが営業だから、ヤッパリ許可なのでしょう(この点未確認です)。
普通警察と関係の無い一般人は、揉めて閉店させられたり、移動させられたりしているが、しぶとく又商売をやりだすのが普通である。
「彼らにすれば生活がかかっているもんね!」
という言い分なのであろう。
こ
この屋台は、身内の為か警察官もゆっくりと飲物を注文し、麺を食ったり、オバチャンをからかったり(オバチャンも肝っ玉カアサン風で警官など屁(マレーシ
アはこういう表現で正しいか未確認で、下品表現と思われる人は読み飛ばすことにしてください)とも思っていない)、仲間と談笑している。
日本の警察官なら、即日懲戒免職位にはなりそうである。
渋滞の時の交通整理も実にいい加減(彼等にすれば一生懸命世の為に頑張っている積り)で、彼等が下手に信号を止めて交通整理する為に、余計渋滞している。
最近は、正月前なので頑張って交通違反取り締まりに励んでいるという中華系の話(日本の新聞の様に関係者ではなく、ハッキリ、ハーバー長屋の物知りサムの情報源)である。
ここで少し説明をしないと分からないが、マレーシアはマハテイールの時代にマレー系優先政策(プミプトラ ポリシー)を実施し、公務員は殆どマレー系、その他にも色々と特典(教育費無料など、民主党より10年以上早くやっている)があるらしい。
そこで、面白くないのがインド系と中華系の人々という事になるわけで、そういう問題が根にあるのである。
私
は正確に言うと無免許の様だが、マレー警察には一度も免許違反(正確には交通違反というべきだが、私は速度は守っているというか、年寄りだからスピードを
出せない。運転中はバックミラーを見ながらの運転で、ヨットに乗っているのと同じで私より遅いのはいない状態)で捕まった事がないので、自分勝手ながら恨
みも偏見も差別も無い。
アイスカチャンが好きなので、歯にしみるのを我慢して、横目で警察官を観察しながら
「日本ではなかなか見れない(神戸標準語使用 but 東京標準語だと、見られない らしい。各地方に標準語があると思うので細かい所は読み飛ばしてね)経験だぞ!」
と、思いながら一緒に(別に厳重注意も文句も言わず)食べているのである。
追記:出来るだけ正確に書きたい所が文章力がない為、今回(、。)を多く使用、読みにくい所は許してください。
動物は賢いぞ!
ハーバー長屋には、私の前にいるドイツ人夫婦が犬(メス 6歳位)を飼っている。
毎日、5回位散歩に付き合っているのか付き合わされているのか、犬とでかける。
たまに逢うと、
「カモン!、カモン!」
と、英語で言うのだが英語は勉強していないのか、私の発音が悪いのか、ドイツ語しか分からないのか主人の言う事しか聞かない。
言葉はまあよいとして、主人と私をきっちりと区別できるというのが、当たり前と言えばそうだが、すごいと思うのである。
人間なら、家庭内でも誰が主人か分かっていない人が沢山いるのに。。
次に、事務所に住みついている猫の家族がいる。
子猫4匹程は生れてまだ半年位ではないだろうか。
毛の色が3色(白、黒、茶)で、これは日本の三毛猫と同じではないか。
三毛猫はマレーシアではあまり見た事がないが、やはり、福を呼ぶ猫として人気があるのか、餌を貰っている。
その餌を持ってきてくれるのが、ハーバーのスタッフの一人で、バイクに乗って門の中に入ってきた途端、全員走って集合する。
猫は大事な人のバイクの音まで聞きわけているようである。
人間なら、
「オレ! オレ!」
と、声に出しても騙されるというのに。。
又、餌を運んでくれる人が来ても走って集合することはないのに。。。
写真の猫は1匹だけ、私の足に纏わりついてくる可愛い子猫レデイ。今はプラスチックの屑とお遊び中
中華系友人チャンさんが入院
ハーバー長屋で私の三つ向こうは中華系オーナーで、去年肝臓癌で肝臓移植をしたらしい。
その船のメンテナンスをオーナーの遠い親戚になるチャンさんがしている。
一週間ほど前も、ハーバーに来て船を洗っていた。
李さんと私が覗きに行ってビールを飲んだが、その時は元気だった。
所が、その後腹痛を起こし、病院に入院し、大腸一部を摘出し繋ぎ合わせたとの、カニ屋の主人の話である。
カニ屋主人はレストランのオヤジで不思議な縁で共通の友達である。
今日の午後、南華病院に見舞いに行くといない。
顔は可愛いのに、愛想の無い若い看護婦に、どこに行ったか訊くと、
「手術室に午後2時に入りました。手術が終われば集中治療室で会えません」
仕方がないので、カニ屋のレストランに行く。
「マスター、チャンさんと電話通じるか?」
「奥さんが行ってるけど、未だ手術室から出てないらしい」
「もう、8時間も経ってるで、危ないんとチャウか?」
「チャンさんは大腸癌やけど、本人知らん」
ハーバー長屋は前のノルウエ―ジイサン、チャンさんと大腸癌流行である。
チャンさんは、今晩が勝負である。
無事を祈るしかない。
中華系友人チャンさんが入院(2)
朝9時30分南華病院へ行ってみると、やはり、ベッドは片付けられている。
そこへタイミングよく、チャンさんのパパさんと息子さんが来た。
パパはカニ屋で何度も一緒に酒を飲んでいる仲だから顔は分かる。
パパと挨拶していると、息子は看護婦に事情を訊きに行き、結果ICU室へいく。
急遽私も家族になって一緒にICU室に入る。
ICU室と言っても皆一緒一部屋に寝ていて看護婦が見ている。
「おお、チャンさん、未だ生きてる」
顔から体中にパイプやらチューブやらついている。
勿論、お互い話はできないが、目で物を言い、帰ろうとするとチューブのついた左手人差し指がゆっくり動いてベッドの頭の方をさす。
「何か、見ろという事か?」
プラスチックの透明容器に薬品漬けでチャンさんの摘出した腸やらがある。
結構大きな赤ちゃんのこぶし位の塊やらがある。
「分かった。気長にな」
それにしても、昨日9時間の手術で本当によく頑張って生還したものだ。
一瞬胸にこみ上げるものがあった。
これで飲み友は一人減るだろうが、親友は一人増えるかもしれない。
病院をでて、福建麺を食べに行く。
いつもと、同じなのだが、ついさっきチャンさんの大腸を見たので、妙に豚の大腸が目立つのだった。
年末大パーテイ
今日は、日本で言うと大みそか、ハーバー長屋でパーテイを開くも、いつの間にか人が増え総勢20人以上のパーテイになってしまった。
私も誰か分からない人もいるが、だれでもOKなのが、このハーバー長屋のパーテイーである。
こういうパーテイをすると、世の中の偏見とか争いとか何故起こるのだろうか、と思う。
個人で付き合えば、フレンドリーなのに国家というものを背負うと途端に争い、諍いが起きる。
ヨットマンは共通して言える事は国家は海と考えているようである。
だから、昨日逢い、今日ともに楽しみ、明日は離れ2度と会う事はなくてもそれで良いという感じである。
無銭飲食?
昨夜は中華系正月で殆どの店が休みで、バイクに乗ってどこかあいている所はないか探してまわる。
中華系で開けている所があるので、
「シメシメ、やってる所はあるんだ」
と、始めての店に入る。
ホットパンツのオネエチャンが注文を取りに来るので、ついつい気前よく注文。
まあ、朝、昼と船で簡単に食べていたので腹も減っていたのだが。
スープ、野菜、酢豚、オムレツ、ご飯というメニューである。
味も中々うまい。
食べ終わって、太ったオバチャンが女将さんの様で、計算しようと
「オバチャン、いくら?」
と言いながら、財布を開けると、中味は10RM札と1RM札が1枚ずつしかない。
「ありゃ!これは又無銭飲食になるな」
と、思いながらよく見ると、プールの会員カード、ジャスコの会員カード、に混じってHSBC銀行のキャッシュカードが入っている。
「オバチャン、これ預けとくから後で金持ってくるしな」
オバチャンは渋々受取、ブスとしている。
「私は腹の中に納まったもんしょうないもんね」
という、ふてぶてしい態度である。
それを横のテーブルで一人ビールを飲んでいたインド人のオッサンが、
「何ぼ 足らんのや?」
と聞く。
親切に、出してくれるのかと思う。
「20リンギット程、足らん」
というと、黙ってしまった。
バイクで帰って、再度店でお金を払うと、オバチャンはお多福の様に愛想が良い笑顔で、
「有難うね。又来てね」
と言っている。
インド人のオッサンは一人で未だビールを飲んでいた。
失礼な事かも知れないが、チョット肌が色グロの為か顔が赤いという事はなくて、目が赤くなっていた。
これだったら、酔っぱらい運転しても見つかりにくいなと思うのであった。
補足:私の日記に出てくる人は殆どが日本語を使っていません。
ビールを飲んでいたインド人のオッサンも英語ですが、翻訳している人が関西人の為、全部関西弁になっています。
マレーシアの新婚さん
正月も3日もすれば、中華系も開けているだろうと、ジョージタウンの方へ行く積りで、ついでにチャンさんの顔を見に行く。
こちらの病院は部屋の仕切りは無い。
出入り自由である。
入っていくと、先にチャンさんが見つけたようで、右手を弱々しくあげる。
英語版Star新聞を読んでいたようだ。
「どうや、調子は?」
右手指で頭の上を指す。
「何や?このプラスチックバッグ?」
「ミルクや。直接胃に入ってる」
可哀そうに味わえないのである。
ここで
「そこのインド人のオバチャン大きなオッパイしてたから、絞って来たる」
という、ジョークで笑わしてやろうかと思ったが、傷口パックリ何て事になると大変なのでやめた。
「ジョージタウンに行ったら、今日は正月パレードやりよるぞ」
元気な私の事は、気つかわんでもええのに。
「私も暇やから又チョクチョクくるわ」
と言って病院を出る。
ジョージタウンのSUNWAYホテル前の屋台村は皆店開けている。
お粥経済飯(料理5種類、お粥2杯)で6RM(180円)で腹一杯。
バイクで海岸ハイウエイを走っていると、新婚カップルに出会う。
海をバックに写真を撮っている。
新婚のオニイチャンとオネエチャンに頼んで写真を撮らせて貰う。
もう一人カメラマン役の友達も一緒だ。
丁度、シャボン玉を吹いていたので、カメラマン友達にシャボン玉を吹かせて1枚撮る。
新婚さん達は一緒に入って撮ろうというので、厚かましく仲間入りで1枚。
最後に、この新婦花嫁の衣装も綺麗が、顔スタイルとも綺麗なので1枚。
お友達になり、私のメールアドレスと名前を紙に書いて渡すからメールしてきたら写真を送ってあげると言ってバイバイする。
バイクで暫くしてから、
「しまった!彼らの名前訊くの忘れた。」
補足:私の写真はいつも同じ服やて?
着替えは2つで交替で洗ってきていますから、今年は出演衣装はこの格好です。
日本手ぬぐいが赤(唐辛子柄)か、茄子色(茄子柄)に替わります。
花嫁さんに挑戦
ぴゅあさんのコメントを読み昨日から花嫁さんに挑戦しました。
という事でおばあちゃんは時間を掛けてゆっくり毎日会話しながら描いています。
花嫁さんのネックレスは複雑すぎてどう描いてよいのか分からないので、次回絵の先生の所に持って行って教えて貰う事にした。
コーちゃんに教えて貰って早速デジブック 遊帆(UFO)の1日というのも作ってみました。
http://www.digibook.net/d/0695e173b1df9adcfedfb376..
夜は鴨肉と塩豚焼きを買ってきて、李さん黄さんの船に乱入、「一杯飲もう」
李さんと真露焼酎を飲みながら、昔の事を話す。
「今から30年前、韓国も貧しかったけれど人情があったよね」
「今の日本も同じ、経済発展して生活は便利になったような気がするが、人情は無くなり、ドライに」
「生活が良くなればゆとりができる筈なのに、何故にギクシャクするのだろう」
「皆損か得かばっかりで、理屈は一見通っているようだが、何故か寂しい、そんな感じだな」
「経済発展に何の意味があるんだろうね」
「経済発展したからと言って。貧困の人達が少なくなったとは聞かないもんね、余計に貧困の人達が増えてるような気がするよね」
「人間は本当に賢いんだろうか?」
題は「夕日の花嫁」
おお!おまえ無事だったか!
朝は夜明け前にマイロードを海岸まで速足で歩く。
往復、40分位掛るだろうか?
この時間はハーバー長屋のスエーデンのエバと、ノルウエ―のバアチャンも歩いている。
今日は、エバとすれ違ったので、ノルウエ―のジイチャンの事を聞く。
「今年の3月頃、ペナンの病院で癌の再チェックをし、6月頃にノルウエ―に帰るらしい。船はトムに頼んでメンテナンスし、売る予定よ」
との事である。
いよいよ、海と船が本当に好きなノルウエ―のカップルは船を降りる事になるらしい。
彼等は見ていても本当に船の上が良いんだというのがよく分かる。
1日中二人でデッキの上で本を読んだり、飲物、食べ物を食べ、タバコを吸っている。
私が散歩から帰ってくると挨拶はいつも右手をかざして「おはよう!」
淡々とした日々を送っている。
散歩の後、私はシャワーで髭そり、頭そりである。
よく見ると石鹸の所に、蜘蛛が1匹動いている。
「おお、おまえ無事だったか!」
この蜘蛛はフィリッピンから遊帆(UFO)に同乗している仲間である。
前は船内にいたのに、この頃エアコンと、船内締め切りで虫がいないので、デッキに棲みかを替えたらしい。
何より無事にいて良かった。
そう言えば、もう1匹ゲッコーの姿も鳴き声も聞かない。
ゲッコーとはヤモリの1種で体は緑色をしていて、鳴き声は「ゲッコー、ゲッコー」と、カエルの様に鳴く。
こいつもフィリッピンからズーッと一緒の仲間だったんだが。。
遊帆(UFO)に乗る奴はどうもシングル専門のようで、子供も増えていない所をみると、この蜘蛛も男一人モンの様である。
写真の軽石のブラシの所にゴミの様に見えるのが同乗蜘蛛
夜明けの訪問者
明け方5時、外は未だ暗い筈だが、船をノックする音がする。
「誰や、何の用事や!」
と,怒鳴っても返事が無い。
暫くすると音がしなくなり、又遠慮がちに叩く音がする。
「うるさい奴チャ!」
と、デッキに出ても誰もいない。
「こりゃ、アカン。 例の奴か?」
もう一度眠る。
7時頃、再度うるさくノックの音がする。
どちらにしても散歩の時間だ。
行って帰ってくると夜は明けて前のノルウエ―のジイチャンもコーヒーを飲んでいる。
「よう〜し、正体見届けてやる」
バウから遊帆(UFO)はカタマランだから人間で言うと両足の下を覗く様な事になる。
人ならば一番の急所の所に青いプラスチックドラム缶が挟まっている。
これが船底をノックしているのである。
ノルウエ―のジイチャンは指さして笑っている。
海に入ってとる事もない。
今は夜明け大潮近いからもうすぐ潮が変わる筈である。
そしたらノルウエ―ジイチャンの船の方に行く筈である。
昼ごはんの時、読み通りノルウエ―ジイチャンの船の横に浮かんでいる。
ジイチャンがロープを持ってきてくれて、縛り引き上げようとする。
「ジイチャン、無理や!隣のアリを呼んで来るから手出さんでええ」
腹にプラスチックバックをつけているのにこっちがハラハラする。
アリともう一人力ありそうなので引き上げたのが夜明けの訪問者のドラム缶である。
Digibook 第2弾江戸の絵師と都都逸風
http://www.digibook.net/d/6a55c1fb801cba9de218a9508e017273/
おばあちゃんとの長い話
最初におばあちゃんに出会ったのは4カ月程前だったと思う。
コミュの人の写真に写っていた。
何て素敵な笑顔だろう。
優しい顔だろうと思った。
その頃私は絵を描くのを2年程やめていた。
おばあちゃんの手をまず描いて見ようと鉛筆で描いて見た(題はほとけの手)。
それがきっかけで又絵を描くようになった。
今まで、おばあちゃんの顔を鉛筆で陰影を描き、次に色鉛筆で色を考え、パステルで描いて最初は失敗。
昨日から再度描きなおした。
「ばあちゃんの顔、目がぱっちりしてないから最後の利かしがでけん」
「そりゃ、あんたの腕が悪いんじゃ!」
「それに、よう見たらあっちこっちに皺があるから、どの皺まで描いたか忘れてまうがな」
「そりゃ、あんたがボケて来たんやがな!」
「一応、こんな所でどうやろ?」
「似てるようで似てないし、もっと生き生きと愛嬌のある顔に描けんか?」
「やっぱりそれなりにしかな。。。」
というやりとりをしながら。。。
おばあちゃんと向き合ってから1週間、船内に入ると描きかけの顔と対面、話しながら楽しい時間であった。
これからは船内にばあちゃんがいる事になるのだが、大きくて居場所が無い。
そこまで考えてなかった。
ゴメン。
題は「素敵な笑顔のおばあちゃん」
60人前の寿司つくり
昨夜、珍しく呼び鈴がなる(呼び鈴設置している船は珍しい)。
出て見ると、近くに住むケン&マユミ夫妻である。
早速、一杯飲みの拵えをしてデッキで飲み始める。
「実は、相談があって。。。」
ここからの話は、酔いながらの話で延々と続くが、短くまとめると、
「ジョージタウンのキリスト教関係の孤児院をみてきた。
60人位いる子供達に寿司を食べさせてやりたいと頼まれたけどどうしたら。。」
という事である。
「行って子供等と一緒に作ろう、ほんならいつにしよう。次の次の日曜日にしよう」
という事で決めてしまう。
後は出た所勝負である。
材料の分量を計算して見ようと思うがここの米はKgで表示してあるので計算がややこしい。
1カップ200ccの米で1合位とするとこれで巻き寿司なら2個程出来ると思う。
60本の巻き寿司だと30杯=30合になるかな。
何Kgになるかな?
私は電気釜は使わないので大きな鍋なら幾らでも炊けるだろう。
60人前寿司作り(2)
ケン&マユミさんからの話、寿司作りだが詳細が分からないので今日見学に行く事にした。
昼ごろ、とりあえず福建麺を食べてから行こうと、得意の店にいくと、昼前なのにトッピング材料の一部(豚の大腸)が売り切れらしい。
この店は美味くて安い(大盛り3RM約90円)ので人気があって早めに売り切れになる。
腹ごしらえが終わると、ジョージタウンの繁華街にあるST.JOSEPH'S HOMEへ行く。
横に同じ名前の教会がある。
ここに、彼等の知り合いで今はこのホームの世話をしている中華系Jackに会って色々と相談打ち合わせをする。
まずは調理場を見せて貰う。
清潔でさすがに60人分位賄える設備である。
大型電気釜も2つもある。
これなら、簡単だ。
子供達も土曜日で数人遊んでいる。
早速、折りたたんだ紙に名前が沢山書いてあるものを持ってくる。
どうやら、お小遣いを貰ったら書きこんでいるようである。
一人1RMずつあげると喜んでいた。
これは自分が使える自由なお金になる筈である。
次は、いつするかである。
結局、3月8日6時半の夕食にして貰う事にした。
私達は3時から調理場を使わせて貰う事で段取りはOKである。
学校に行っていない子供達がいれば、その子達と一緒に巻きずしを作るか、子供達が帰ってくるまで待って皆で作ってしまうか、準備だけして出来るだけ食べる直前がよい。
メニューは巻きずし&ちらしずし&味噌汁という事にした。
このコミュでペナンに住んでいる友人からも協力の申し出あった。
有難い事でボランテイアではなく皆で楽しく遊んでみようと思っている。
夕食時、チャンさんの病院に顔をみにいくと、殆どのチューブを外してあり、顔色もよくなっている。
「チャンさん、顔色ようなったがな」
「明日、退院するんや。ここ結構金かかるからな」
「後は養生するだけや。前のノルウエ―のジイチャンもプラスチックバックつけてるけど、朝からワインやら飲んでるで」
「医者からは、タバコはあかんと言われれてる」
「そこそこ ようなったら快気パーテイしような」
というように元気である。
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