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          暇人ジジイの笑って許して 日本編 ♪〜  NO5

その1

4月後半から2カ月間ほど、ヨットのクルージングをし、色艶都々逸から離れていた。

潮気に晒され、赤錆びだらけとなってしまった。

クルージング最後の上陸地、オーストラリア、ケアンズはコジンマリとした、良い街で何よりも感心したのは、砂浜を入れた人口プールで、周りは木が生え、椰子があり木陰もあり、かつ、無料と言う日本では考えられない施設がある事であった。

帰国して鈴虫寺の上流(華厳川)が私の毎日の散歩コースだが、こちらは川原にバーベキューをした後のゴミの多さに情けなく思った。

この場所は京都に住む人でも知らない良い場所であって、ゴミなど一つもなかったのだが、、

何だか自分の庭を汚されたような気になり、腹を立てる閑人ジジイであった。

笑って許して♪〜



その2

帰国して直ぐに蕎麦粉を注文し、蕎麦を打ち食べているが、腕が悪い為、切り残し等がでる。

それを集めて、水で溶き卵を加え、鉄板に薄くのばし洒落た名前で言うとガレット、蕎麦粉クレープをつくる。

クレープなので、野菜やらベーコン、チーズなどを巻いて食べるのもよし、ジャムとか蜂蜜で食べてもよい。

小麦粉のパンケーキと違い、腹に持たれないし、健康食の様である。

と言う事で、カミサマにも煽てられ巧く使われる閑人ジジイである。

笑って許して♪〜




その3

夜寝ていたら、私の左腕を取ってふとんの中に潜り込んでくる。

抱き寄せ背中をそっと撫でてやると又眠りについたらしい。

カミサマではなく6歳になる女孫である。

上の男孫9歳は、もうジジイ相手では物足りなくなったのだろう。

女孫が20歳になる時、私は80歳等と歳の計算をすると、何だか楽しみというより、さて生きているだろうかと考えさせられてしまう。

それまで思い切り遊んで、どの子孫達も、「うちのジジイ程の遊び人にはなれん。」と言わせてやる積りである。

笑って許して♪〜




その4

あまり見ないテレビだが、カミサマが「さんまのほんまでっか?」とかいう番組をみていた。

どこかのその道のスペシャリストが、面白くコメントしている。

その中で、「夫婦仲は少しのリスペクト(尊敬)があれば長持ちする。」というような事を言っていた。

私は、これ見よがしに、又、独りごとのように、

「そうやそうや! 少しのリスペクト(尊敬)!これはいるな!

とテレビに向かっていう。

今更、愛まで求めはしないが、少しの事で

「わ〜! すご〜い!」

なんて言われると、男というのは途端に空気が入って機嫌も良くなるというものである。

子供にかえっていると思い、何でも褒めれば自在に動かす事ができるのにね。。。。

笑って許して♪〜



その5

ヨットのクルージングは、薄暗い早朝に出て日暮れまでに次の港につくというのが普通である。

知らない土地で、そこの美味しいものを食べるというのも、大きな楽しみである。

ヨットというのは、生活用品を積み、ある意味家ごと引っ越ししながら動いているともいえるので、気にいった場所であれば、市場に行き自炊し、風呂屋に行くという地上の生活と同じライフスタイルになる。

その為か、周りの人とも関係ができ友人となるというのも、面白さのひとつであろう。

海には道路がないので、陸上の地図の代わりに、海図と言うのを頼りに、自分で道を決めていく。

その判断により、嵐にあったり痛い目に逢うのも自分の責任で、しかも、誰の助けも呼ぶ事も出来ない海の上、自分で何とかするしか方法がない。

こんな所にヨットのクルージング旅の魅力があるとも言える。

パック旅行で現地ガイド付き、フアーストクラスで星の沢山ついたホテルの旅とは全く違う面白さがある。

懲りない閑人ジジイのヨットマンの戯言、、、

笑って許して♪〜



その6

帰国して嵐山の山から、始めて大阪梅田へカミサマのお伴でいく。

大阪駅北側に新しくオープンしたグランド??というショッピングビルが目当てである。

何とこれ程の人が大阪にいるのかと驚くほど混み合って、私は他人様にぶつかる事しきり。

沢山の店舗に豊富な品揃え、2〜3時間見て回っても飽きない。

レストランも沢山あり、昼食事も迷うが、そこはカミサマの意向を尊重しスペイン料理と言う事にした。

それなら、イベリコハムを使ったパエリヤだろうとアドバイス。

それにアリオリを混ぜて食べるとうまい。

この店のアリオリはニンニクとマヨネーズを混ぜたものが出てきたが、これは簡単に作れて旨いので、クルージング中のバター代り保存食にしようとアイデアをお土産に頂く。

今日は久しぶりに歩いて運動になり、喉も渇いたので、最後の仕上げは、岩牡蠣に生ビール。

それにしても、フイジー、バヌアツのスーパーマーケットを見て買い物をした私には、日本の商品の豊富さには驚くばかり。

世界中でこんなに物が豊富にそろっている国は無いだろうな。

そこに住んでいる国民は幸せの筈だが、、、、

笑って許して♪〜



その8

今日は辛い日であった。

大学時代から45年以上付き合い、退職後も私の勧めでペナンで暮らしていた2年後輩のOさんが神戸の病院で亡くなった。

全身癌と肝硬変で、余命があと無いのは本人も承知の上、結局、自宅で倒れている所を発見され病院に運ばれたものの、次の日には心臓が止まってしまったらしい。

最後まで病院での治療は受けるものの入院せず、自宅で酒だけを飲んで蝋燭の火が消えるような死に方であった。

勇気あると言えば、おかしく聞こえるかもしれないが、やはり、彼は勇気ある選択をしたと私は誇りに思っている。

一生独身で、友人も少ない不器用な男だった。

  数年前、彼がペナンで住みアルコール中毒になりかけたころに、病院に入院させて、アルコールを断たせようとして、結局大喧嘩をしてしまったのが今となっては悔いが残るのだが。。。

友人とて私ともう一人Mさんしかいず、葬斎場は彼とお兄さん2人とお姉さんだけという寂しさ。

ペナンで暮らしていた時に世話になり、気にかけていてくれるカニヤのオヤジとチャンさん、韓国ヨットの李&黄さんに連絡する。

声もなく、黄さんは泣いてくれたそうだ。

彼の事は兄姉様より、私の方がよく知っているので、彼の生き様の一部を話して思い出にしてもらった。

お兄さんの話では、時々日本に帰国した時の様子では、ペナンで生活している時が一番嬉しそうでしたとの事。

そんな彼の事を書くべきかどうか、悩んだがこの世に生きた証を残そうと思い、遊帆(UFO)航海記に書く事にした。

もし、次の世があるなら、又 出逢おう!



その9

別れがあれば出逢いもある。

私は遊帆(UFO)航海記というのを16年位、グダグダと書いているのだが、航海と題をつけているので、ヨット関係者の人が多数見てくれているようである。

内容は、航海記というより、自分自身の記録というもので、読んでも何の役にも立たない。

それでも、海外クルージングの様子を聞きたい見たいという事でペナンの遊帆(UFO)に来られたりする人が年に数人はある。

昨日もHさん姫路お住まいの方と御逢いした。

海外クルージング希望の方で、私なりのアドバイスをし昼食を共にした。

お互い同じような年頃であれば、数年先の事は分からないけれど、夢を追うのは素晴らしい事、目がキラキラ光っているようであった。

夢は叶えるのも良いけれど、追っている時が一番楽しいのかも。。。。

笑って許して♪〜



その10

帰国中に行く所といえば図書館なのだが、最近気付いた事に、大活字本というのがある。

この本は老眼鏡をかけなくても読めるのは有難い。

出版社も3社ほどあり、普通字本が3冊位に分かれている。

1冊の単価が高いのに3冊買うのは、個人では無理であろう。(例、文庫本約600円のが大活字本約3000円x3冊)

図書館で揃えて貰うしかない。

海外にいる時は紙本を見つけるのは難しいのと、電子本を購入すると、やはり字を拡大して読めるので良いのだが、海外からの購入は著作権法でできないらしい。

しかし、これも建前だけのようで最初の購入時に日本で一度支払い登録実行していれば、海外からでも買える。

日本にいて本を買う時、紙本と電子本が価格が同じなら、読後古本屋に売れる紙本を買うか、捨てる手間がいらず、字を大きくして読める電子本にするか、迷う所だ。

図書館へ行かなくても、電子書籍で読めるという時代がくるのは私が生きている間では無理だろうな。

老眼鏡をかけなければ見えない私だが、色眼鏡で見る事はしないようにしたいものだ。

色艶は都々逸だけに。。。

笑って許して♪〜



その11

孫が泊まりに来て七夕の笹を切ってきて来てほしいとの事。

上の男孫と裏の竹山に行き2m程の竹を切り、短冊を作る。

短冊には沢山の願い事が、閑人ジジイも書こうとするが中々浮かんでこない。

次の日、昼は華厳川の川原でバーベキュー。

去年より、数倍の人がそれぞれバーベキューを楽しみ、子供達は魚を追っかけ、堰の上から飛び込んで遊んでいる。

私達家族の堰が下流1番目で一番高く8m程の高さがあり、高学年の子供達の肝試し場になっている。

ここに、3人の男の子が来て、ジャンケンで順番を決め、トップの男の子は下を覗いては躊躇している。

私もこの男の子と同じような歳に、大きな岩から飛び込み腹を打った覚えがある。

閑人ジジイはお節介、

「飛び降りる時は足から、閉じていかな、金玉打ってヒーヒーいうぞ!

左は岩があって下は浅くて危ないから、真ん中からちょっと右へ落ちろ。」

頷いて何度も深呼吸をし、やっと覚悟を決めたか、飛び込んだ。

一度壁を破れば2度目、3度目は怖さはなくなるのである。

恐怖心に打ち勝つ、その経験が何かの訳に立つだろう。

若い命はキラキラしていていいな。。。。

笑ってゆるして♪〜



その12

カミサマは、毎年沖縄ゴーヤという苗木を買ってきては、植えている。

勿論ネット張りは私の仕事で、枯れた後の掃除も担当である。

少しでも太陽の光を受けやすいように、高い所へ、そして伸ばした蔓が触れればそこが頼りなくても巻きつき次の高い所を目指す。

どんな場所でも文句は言わず芽を出し、それなりに伸びて花を咲かせ実をつけ種を残す。

連日猛暑の日差しにも負けず、蔓をネットに何重も巻いて上に伸びていく姿は、けな気であり、植物力と言うのを感じる。

散歩する華厳川の両岸には私の両手では回らない程の樹齢何十年もの老桜が並んでいる。

幹は緑色の苔がついて威風堂々。

春には桜の花を咲かせ散っても毎年花を咲かせる。

さて、閑人ジジイは一生に一度位花は咲かせたのだろうか、、、

笑って許して♪〜



その13

男とは、いや雄(オス)とは何なのか、という事を考えさせられるテレビ番組をみた。

「ライオンの王交代劇」というNHKの番組であった。

ライオンのオスはメスに受け入れて貰う為にメスの仕掛けた他の雄ライオンとの闘争に勝たなければならない。

理由はオスライオンは自分の子孫でなければ子ライオンを殺してしまうので、王の交代の可能性の少ない強いオスライオンを選ぶのだそうだ。

一度王になると、メスが狩をしてきた餌を独占する権利を貰えて、寝ているだけであるが、一旦他のオスライオンが近づいたなら勝たねばならない。

オスライオンの絶対条件は我子妻達を守るために強くなければならないという事である。

このライオンの世界をみるに、草食男子等という男性がもてはやされる日本は、それなりに平和で安全なのだろうな、、、、

群雄割拠戦国時代とライオンの世界では閑人ジジイは生きていけないかも。

やはり、歌麿、北斎が生きた浮世絵時代が良いな。。。。

笑って許して♪〜

浮世絵:喜多川歌麿 婦人相学



その14

去年の寒風の吹くころ、渋柿の皮を剥き防虫ネットの中に。

初めは喜んで食べていた干し柿も、そのまま半年以上経って忘れられ皺も深く白い粉が吹くようになった。

さて、どう料理しようか、、、

そうだ、羊羹にして今週の竹山の流しそうめんの時に、皆に食べて貰おう。

という事で、干し柿をきざみ鍋に入れ火にかけトロトロに。

それを裏ごしゼラチンで固めて冷蔵庫へ。

食えない渋柿も腕次第。

閑人ジジイも相手次第で、、、

笑って許して♪〜

浮世絵:菊川英山 傘に美人



その15

夏はそうめん流し、竹を切り割って節を抜き冷たい山水を引いてそうめんを流すと最高!

のはずが、、、

川床でのすき焼きになってしまった。(詳細は日記京都嵐山にて)

悪戯好きの閑人ジジイ、笑って許して♪〜

浮世絵:鈴木晴信 暖簾 

どこか現代の漫画風もっといえば下手ウマの元祖ではないかと思っている。



その16

真っ暗で車1台がやっと通れる位の山道を、懐中電灯と網を持って、木を見て回る。

右側は綺麗な川が流れていて水音だけが微かに聞こえ、その他は無音だが、時々獣の鳴き声だけが聞こえる。

孫にカブトムシ捕りに行こうと張り切って出てきたものの、1匹の虫もいない。

数年前、電子紙芝居を作った時は、5匹程捕まえたのになあ、、

ここはカブトムシの有名ポイントになったのか、丑三つ時にかかわらず二組の競争相手にであった。

孫は爆睡、結局、閑人ジジイとパパだけ、くたびれ儲けの夜だった。

笑って許して♪〜

浮世絵:渓斎英泉

題:見立吉原五十三対 島田 契情道中双録 尾張屋内 長尾



数年前に作った電子紙芝居風日記:http://www.youtube.com/watch?v=P9zHOAo0rd0

その17

私の朝の散歩コースの途中、嵐山の麓に月読神社というのがある。

松尾大社に比べて小さな神社であり、月に関係している為か安産の神様らしい。

古事記の話では、イザナギが右目を洗ってツキヨミ、左目を洗ってアマテラス、鼻汁がスサノオとかいう事でなかったか。

アマテラスは伊勢神宮の立派な社で参拝者も多いし、スサノオも有名なのに、人間でいうなら3姉妹弟の姉でありながらツキヨミは何て知られていないのだろう。

同じ安産祈願でもわら天神の方が有名で境内も大きい。

こちらはコノハナサクヤヒメとか、アマテラスから2代位後だから孫である。

カミサマも人間の事情、都合によるらしい。

私はいつでもカミサマの僕(しもべ)ですが、、、

カミサマに関する閑人ジジイの深イイ話。

笑って許して♪〜

浮世絵師 月岡芳年

垣根で隠れて覗いている男に、裸をみせているのでしょうか、、



その18

桂川の上流、渡月橋で小舟を浮かべ篝火を焚き鵜飼をしている。

周りは沢山の屋形舟がふたり船頭で棹さしながら、後を追う。

嵐山は昼間の観光団が帰ってしまい、通りを歩く人も殆どいなくて、店もしめている。

日が暮れた桂川にかかる渡月橋は好きなのだが、さすがにひんやり、気持ちが良い。

カミサマにアッシーとボデイガード任せてと誘い出し珍しく見学に来た。

鵜匠は操る紐で鵜を潜らせて鮎をのみ込ませ舟上で吐き出さす。

旦那さんなら稼いだ金を隠しポケット等に隠す事もできようが、鵜は呑み込んだ全てを出す。

イヤイヤ、旦那さんも、最近は銀行振り込み、屁をかます事さえ無理なら鵜と似たような、、、

鮎さえ捕れない歳とった鵜なら、放し飼いか、、、

閑人ジジイの恨み節になっちまった、、、

笑って許して♪〜

浮世絵師 月岡耕漁

能楽百番 鵜飼



その19

馴染みの上桂湯は地下水がでなくなり廃業になった。

今朝散歩途中に寄ったら銭湯建物は壊し、住んでいた家も一緒になくなっていた。

今は、桂駅の南側の銭湯に行っている。

番台にはおかみさんが女湯の方にいて、めったに顔を出さない。

壁には御主人が作った色んな時計が展示されている。

将棋の駒、花札、サイコロ、缶ビール、軍手等々。

小さいサウナと浴槽が3つだけだが、落ち付き長く入っていてものぼせない。。

4時のオープンを待って入りに行く。

カミサマは暑いのに、、との事だが、暑い時程熱い湯に入るとサッパリするこの気持ちが分からないらしい。

他人と裸どうしで入るのは、韓国と日本だけのようであり、これは浮世絵の時代から続く文化であろう。

江戸時代の銭湯は風呂上がり将棋をしたりしてゆっくりできたそうな。

やっぱり、歌麿北斎の浮世絵の時代の浮世風呂へ旅してみたいものだ、、、

本当は江戸時代の混浴が狙いだろうって?

風呂好き閑人ジジイの夢、

笑って許して♪〜

浮世絵師 鈴木晴信



その20

京都は園部の奥府民の森ひよしで今年も恒例の親戚を集めてのロッジで遊ぶ事に。

去年はこの近くの宇津峡のロッジを借りた。

親戚も段々と縁遠くなると、子供達の世代はもっと離れてしまうので、出来るだけ親戚を集めてはこの様に遊びをしている。

今回は大人子供で総勢20人位だろうか、バーベキューにカレー等、子供にも料理の準備をさせながら、それを遊びにしている。

山はカブトムシやらクワガタの好きなドングリ、コナラ、クルミ等の木がはえている。

川は上桂川で、水も綺麗で魚も泳いでいる。

子供の時の遊びは大人になっても、忘れない。

パソコンゲームより、ズ〜と面白い筈。

金儲けもしなくなった閑人ジジイ、もう世代交代で息子の代に任せるのがよい。

それにしても、もう我息子の世代は「やわ」になってしまったなあ、、、

閑人ジジイの繰り言である。

笑って許して♪〜

浮世絵:葛飾北斎
北斎漫画



その21

う〜ん! 頑張っても、たたない。

足は震える、、、、

腰は抜けたようにガクガク、、やりすぎたか、、

きっと、数日前の激しい動きがこたえたようだ。

まだまだ若いと思っていたが、久しぶりの無理が祟ったのか、、

薬を飲んでも効き目はない。

川遊びのぎっくり腰である。

こういうのを年寄りの冷や水というのかな。

閑人ジジイはふとんの中で唸るだけ、、

明日から山中温泉いけるかな、、、

笑って許して♪〜

浮世絵師:鳥居清長 平吉 大谷広治



その22

山中温泉にある、「こおろぎ橋」という名は粋だな、という思いがあったので、山代温泉に行ったついでに行ってみた。

実物は見た事がないのだが、川柳マイフレの一人がこの近くに住んでおられて、漆器関係の仕事をしている方がいる。

その方がアップしてくれた冬、雪の積もったのこおろぎ橋の写真が印象的で下手な絵を書いた事があり、その為細部まで覚えている。

どこのアングルからの写真か、あちらこちらから見て場所を特定できたので、一度もお逢いした事がないマイフレさんがそこでカメラを構えておられるような気がした。

もっと大きな橋だと思ったが意外と小さい橋であったが、その姿は緑に囲まれた夏でも美しい。

下を流れる川の勢いも素晴らしい。

こんな所に住んでいる方は羨ましいと思いつつ、その辺を探せば出会えそうな気がして橋のたもとの漆器屋さんを覗いてみた。

奥さんが一人で店番をしていらしたが、どうも違うようなので声をかける事なくそのまま店を出た。

趣味人倶楽部のコミュで知り合うと、顔は知らないのに、何かよくわかったように思い自分で勝手なイメージを作ってしまう。

このコミュで知り合った友人は、逢わなくて顔を知らなくてもいいんじゃない。

いや、その方が良いような、、、

閑人ジジイの逢いたいような逢いたくないような乙女心?、、、

笑って許して♪〜

浮世絵師:橋本周延 隅田堤の雪景

こおろぎ橋:インターネットから拝借しましたが、アングルはこの位置、殆ど同じ写真でした。



その23

夕方俄雨。

私は、友人のヨットへ避難するが、ハーバーで席取りしている人は気の毒な事だ。

この日は日ごろ会わないヨット仲間もやってくる。

花火見物の為もあるが、友人に会うというのも来る理由である。

空が暗くなるころ、始まりの合図の花火が数発、続いて大玉があがると、歓声があがる。

大津の花火は見ごたえがあるな〜。

ペナンで日本の花火をペナン大橋を背景に見せたいと、数年前に日本領事館に話し合いに行った事があるが、閑人ジジイの世迷い事と相手にされなかった。

当たり前〜?

イヤイヤ、日本の役人が駄目ならマレーシアの政治家を口説けば、、

閑人ジジイの世迷い夢、、、

笑って許して♪〜

浮世絵:歌川広重 両国花火



その24

阿波踊りのリズムは聞いているだけで心ウキウキ。

鐘、太鼓 笛、三味線に掛け声、もう体が自然と動き出す。

踊る阿呆に見る阿呆とはよく言ったものだ。

見物人が気軽に参加できる阿波踊りを見直した。

女踊りをするおなごはん、襟を抜いたゆかた姿は清楚なお色気があり、皆美人に見えるのはアルコールのせいだけでない。

民族衣装はやはり綺麗にみえるものだが、いい年頃のおとこはん用、粋で、着易く、洗濯もしやすいトータルな和装というのがあれば、おなごさんも連れて歩いても良いと思わないかな、、、

閑人ジジイの儚い希望、

浮世絵師:歌川豊国



その25

毎年、家から遠くの大文字焼きをみる。

地獄の釜もお休みのお盆が終わり、仏様も浮世の人々も帰っていく。

あの世から来る時はきゅうりの速馬、帰る時はなすびの鈍牛だそうだが、ホットケさまの閑人ジジイは飛行機でより速くペナンへという所か、、

愚痴言わぬ仏さまになると、カミサマもきゅうりの馬、なすびの牛を用意して下さるだろうか。

私の仏さまの場合は、お足はないし、三途の川の渡し賃のお足もないので、風向き次第のヨットに、行きっぱなしのロケットだろうなあ、、、

閑人ジジイのあの世行き帰り考。

笑って許して♪〜

浮世絵師:葛飾北斎 提灯お岩



その26

暦を見ると、週の2段下に浮草に戻るマークがついている。

そこには、風、波、海、孤独、自由がある。

そして、それをくれる最高の悪女がペナンの海で待っている。

この悪女も、私と同じように老けてしまった。

走ることも今はできない。

けれど今まで荒海を共に切り抜けてきた、いざとなれば腰の強い、ねをあげないしたたかな悪女だ。

いつの日か新たな旅をしよう。

未だ行ったことの無い世界へ。

暇人ジジイの見果てぬ夢、、、

・ おれを育てた 悪女じゃないか

        三途の川で ランデブー ・・・ゆうほ

笑って許して♪~

浮世絵師:河鍋暁斎  地獄太夫と一休



その27

カミサマは旅行グルメ番組がお気に入り。

三田村なんとかさんの嵐山の鵜飼いと、蕎麦コースを食べる番組を見ていたが、効果てきめんアッシー君の御用がまわってきた。

最近のテレビは、食べることか、品の良くないお笑いバラエテイ番組が多いので滅多に見ない。

別に教育番組が良いというのではないが、何だか薄っぺらな日本人になっていくような、、

暇人ジジイのグルメ&お笑いバラエテイ評、、

笑って許して♪~

・みざるきかざる いわざるわたし

     寄せるお愛想 はらわざる・・・ゆうほ

浮世絵師:橋本周延(ちかのぶ) 時代かが見



その28

京都の中心地臨済宗禅寺相国寺に、こんなに静かで落ち着いた場所があると思わなかった。

ここは、有名観光地でもないので、観光客も少ない。

ここに伊東若冲の水墨画が展示されている。

好きな浮世絵師、葛飾北斎、喜多川歌麿より、若冲は少し早いが、

阿吽一対の鶴の羽 虎の毛並み等、墨だけで線を引いただけなのに本ほぼ同じ時期に天才画家が次々と世に出てきたのには驚く。

若冲と言えば鶏を多く書いているのだが、松鶴図襖絵の鶴、竹虎図などもある。物のように感じた。実物の若冲の水墨画、どれをみても唯唸るだけ、こんなに素晴らしい筆遣いはどうしたら出来るのだろう。

自由奔放な中に、迷いのない、しかも力強い線。

当たり前の事だが、簡単そうな線一つでも、私は同じ様に引けない。

暇人ジジイのプチタイムトラベル、、、

笑って許して♪〜

・ 闇夜ふたりで こぎだす舟は

             あうんの呼吸の 棹さばき

浮世絵師:伊東若冲 松鶴図襖絵 竹虎図



その29

若沖に続き、私の好きな絵師、喜多川歌麿は女性を美しく描く事に命を懸けた反骨の町絵師だと思っている。

(敢えて浮世絵師と呼ばないのは、浮世絵師一門のバックもなく個人で禁制をかい潜ったから、、、)

松平定信の寛政の改革の見せしめの標的にされ、手鎖の刑にされたのである。

春画も多く描いているのだが、歌麿と初めて出逢ったのは大学教授の家でみた秘蔵された歌麿春画であった。

(その当時は今と違ってチャタレイ夫人の恋人が裁判になるような時だった。)

歌麿は禁制に反抗し、はんじ絵をかくのだが、粋な江戸町民はそれを読み解きもてはやす。

結局、そのはんじ絵の為に刑をうけるのだが、、

現代はこの時代のように、禁制がジワジワと迫ってくるような、しかも読み解く粋な江戸町民もいなくなって、常識良識迎合コメンテータがもっともらしい事を喋っている時代のようである。

今日は風邪でもひいて熱があるのかって?

暇人ジジイのストレスかなあ、、、

笑って許して♪~

・風になびける やなぎの枝じゃ

     嵐こようと おれはせぬ

浮世絵師:喜多川歌麿

 [高名美人見立て忠臣蔵・十一段目]

歌麿自身を描いたはんじ絵?

ゆうほも歌麿に敬意を表し下手なはんじ都々逸もので、、、



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