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絵日記
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36番 memories of one sailer Peter Lesser

       34番 タイ北部ぶらり旅            2002年10月末

船を繋留している場所は、ペナン大橋の南側で、小さな島とペナン島の間にあり、クオさんがコンクリート
       アンカーを沈めてあるのに繋いでいる。
       クオさんは、ここに木で桟橋を作り、迎えの島民の渡し舟の仕事をしている。
       又、沢山の漁師もここをベースに漁をしている。
       スキッパー インは、マレー系で、モスリムであり、相方のブライアンも同じくマレー系である。
       ”イン、次ぎに網を揚げに行く時一緒に連れていってか。”
       ”OK。”
       ブライアンは、日本から中古船を運ぶ仕事で日本福岡へいったことがあるそうである。
       仕事が、終わると小さなスナックに毎日行ったらしい。
       そこのママさんは、とても親切で日本は何でも高いから困るというと、タダで飲ませてくれたらしく、
       お礼に店の掃除やら洗物をしたそうである。
       船は8m位でヤマハ船外機40馬力で向いの島の海岸へ網を揚げに行く。
       網を沈めた場所を、地形で覚えていて小さなフックアンカーで探っている。
       ”何故ブイを付けておかんのか?”
       ”盗られるからダメ。”
       網は幅1m位、長さが300m位ありそうなものを底に沈めて、カニを取るのである。
       ブライアンは、自分の網を引き上げ始める。
       網にかかっているのは、ゴミばかりである。
       体長15cm位のワタリカニが8匹と、20cm位の巻貝が揚がってきた。
       次ぎに、もう1箇所今度はインの網を揚げる。
       今度は、ゴミに混じって30匹以上かかっている。
       ”オバタ、このカニと巻貝湯がいて食べろ。それからこのカニは爪がおいしいぞ。”
       爪だけが体長と同じ大きさのカニである。
       彼の言う様に、爪のカニが一番うまかったのである。
       ペナンの海もプラスチックの袋やらのゴミばかりである。
       海の汚れ方は、酷すぎる。
       余裕のある先進諸国の自然保護の呼びかけに、アジア発展途上(?)国は理屈で分かっていても、
       実行できないのである。
       漁師見習1日目であった。
           
       イン                    相方ブライアン

          
       ワタリカニ                巻貝

今日は、クオさんの桟橋でえらく大勢で賑やかに昼からビールやらブランデーを飲んでいる。
       メンバーはクオさんにスキッパーのイン、ブライアン、マン イタリアヨッテイーのラッフルと
       フランスヨッテイーグラントの奥さん、クオさんの友達らしき人々、の大人数である。
       ショッピングから帰った私にも声が掛かるが、何か空気がおかしいのである。
       どうもクオさんのスキッパー マンに日頃の怠け癖を皆で説教している様子である。
       勿論、外国人ヨッテイーはこの事には参加していない。
       マンはマレー系で年も若く、心の中に何か不満をいつも持っているいる様子である。
       その彼に、クオさんとその友達は宥めたり諭したりしているのだが、同じマレー系モスリムで
       年長者のインとブライアンは、彼を甘やかしていなくて非常に厳しいのである。
       私もお付き合いにビールでも飲むかと裏の売店に買いに行き戻ってみると、マンとインの
       大立ち回りが始まった様で、その他は止めにかかっている。
       マンはやはり負けたようで、しきりに負け犬の遠吠えをしている。
       ナイフを持ってきて、アッラーの神か何かに祈りをし、復讐を誓っているのである。
       大変芝居がかって見ているのは面白いのである。
       私の見た所、年若いマンではインの相手にならないようである。
       それでも、年寄りのクオさんの友達は何とか宥めすかそうと努力している。
       興奮したマンは唸ったり唾を吐いたりどうしようもない状態である。
       ブライアンは私に
       ”彼は人じゃない。アニマルだ。”
       と言っている。
       私も、同感であり日頃のマンの仕事ぶりをみていても、怠け者でどうしようもないのである。
       しかも、精神的に弱く、またそれをカバーする為に、この様な大げさな態度をするのである。
       何処の国でも同じで若い時は、何か心の不満のもって行き場所がなく自分でもマインドコントロールが
       できないのである。
       モスリムの人の喧嘩は、酒を飲んでごまかす訳で無いので、ガチンコ勝負の様である。
       夜になって、シャワーを浴びに桟橋に行くと、10人以上が宴会である。
       数人は既に出来あがっていて、ヨタヨタの状態で男ばかり歌と踊りでワイワイやる。
       この日以後、喧嘩に負けたマンは顔を見なくなった。
       人の感情に何故、憎しみがあるのだろうか?
       動物には、憎しみの為に”あのポチに復讐した。”等とは聞いたことが無い。
       もし、神等がいて人間を作ったというなら、失敗作ではなかったのか?
       それならば、失敗作を作るようなものは神等ではないだろう。
       今、アジア各地に広がりつつあるテロもモスリムテロ組織らしいが、イスラムの神の教えにテロが
       認められているなど、あるわけはない。
       大義名分で、人々を恐怖と地獄に送りこんでいるわけである。
       ”Love 愛”という言葉も、自分が愛する対象、或いは自分が愛する範囲に止まり、その為に排他的な要素を
       含んでいるのか、いまや、世界を救える言葉になり得ない様である。
       色んな宗教が生まれて、随分と日が過ぎているのでこの辺で、新しい世界中の人類が認められる価値観が
       生まれてきてもよさそうである。
       今日は、なかなか気合の入った1日であった。

10月25日バスでペナンからハイチャイ(Hatyai)に行くのに例の如くクオさんに車でバス停まで送ってもらう。
       ”チェンマイでT−シャツ買ってきて。”
       ”御安いご用だ。沢山買ってきてあげるよ。船を頼むわね。”
       何度も行っているので何の心配も無い。
       例によって行き当たりばったりの旅である。
        HaiTyaiについて次ぎの日早速計画変更する事にした。
       今後の為に折角だからサムイ島に行って見ることにする。
       HatYaiからバスでスラータニ(SuratThani)まで行き、そこからフェリーで2時間程である。
       この島も遠浅で船の入れる所は、限られている。
       北側に小さなアントン諸島(Ang Thong)を見ながら、もうすぐ日が暮れる時間なので大変美しい。
       船の中では、ガイドのオバチャンやらニイチャンが、ホテルとツアーをバックパッカーに薦めている。
       私にも しきりに声をかけてくれるが、着いてから適当に探す積りである。
       殆どのバックパッカーは、ガイドが用意したマイクロバスで島の東側リゾートに行ってしまった。
       私は、船着場を歩いて、庭の広いゲストハウスを見つける事ができた。
       子供は、遠浅の海で遊んでいて、男の子は丸裸で笑顔が素晴らしい。
       夕食を食べに町をブラブラ歩くと、禅画と看板に書いてあり、沢山の絵が置いてある。
       書いているのは、30才半ばの太った土産物売りのオバチャンである。
       旦那さんは、同じ様に絵を書いているそうである。
       このオバチャンは顔と体に似合わず、優しい感じの禅画を書いている。
       夕食はスペイン料理の看板が目につ入ったので、エンリケを思い出して食べる事にする。
       思った通りお客は私一人である。
       何故かスペイン料理の店で日本語が喋れるオバサンが色々と話し掛けてくれる。
       ”私はチェンマイで日本の会社で働いていましたが、ここサムイ島にやってきました。”
       ”私はまだチェンマイに行った事が無いのだけれどどんな所かね?”
       オバサンの話は、チェンマイは古い都のあった所で涼しいとの事である。
       期待が持てそうである。     
           
       サムイ島の夕暮れ    サムイ島北側の海岸線     Hatyaiの山車
 
 26日  レンタバイクで島を一周する。
      時計の反対周りで、最初に滝と象の絵が書いてあるのを見て山の中を入っていく。
      ここは、サムイ島でも王様が避暑に来られた所らしく看板(Namuang Waterfall)と記念碑が立っている。
      滝は、そんなに水量は無いが山の中なので涼しい。
      象トレッキングを、観光客相手に店を開いている。
      元の道を走ると、島の東側にでる。
      東側も、遠浅で天然の湾が少なく、船のアンカーを降ろしても波に叩かれそうである。
      海岸に沿って道は続いていて、両側は高級リゾートやらゲストハウス、土産物売りにレストランとバーと
      ここも観光化されている。
      タイ政府はこの様に政府のいう未開発地域を観光化する事業に取り組んでいる。
      だが、その地元の人々は資本も無くノウハウも知らないので、大資本系リゾートがやってきて観光開発を
      やるわけである。
      結局、ホテルで掃除の仕事をもらうか、土産物を売る位の事である。
      彼等にとって観光開発は、プラスになっているのであろうか?
        
      ラン              滝

何日か後 バンコックからチェンマイへ行く為に、スピードボートに乗る。
      この船は、スラータニの川を登って市内に近い所まで行く。
      船の中は大多数が若い白人バックパッカーである。
      5分おきにキスするカップル、殆ど裸の若い白人女性、日焼けして真っ赤な人、牛の様に鼻輪ピアスを
      した男、唇にピアスをした女、臍にピアスをした女、全身フェイクタトウ(刺青)をした男等、
      見ているだけでも面白いのである。
      スラータニからバンコックまで2階建てエアーコンバスで8時間程である。
      
      スラータニ

バンコックに到着して、その日の午後6時30分 Chiang Mai行き寝台車の切符を買う。
      それまで、時間はたっぷりあるのでファラポーン駅から歩いて行くと川に出た。
      渡し船が船尾を舫っただけで、客を乗り降りさせている。
      適当な船に乗って川から市内観光をする。
      切符を切るオネエチャンがやってきて、何処まで行くのか聞いているが、乗った本人でさえ分からない状態である。
      オネエチャンは、ブリキで出来た丸い筒から切符を切ってお金を受け取るとジャラジャラ言わしながら、去って行く。
      川から見る景色は目線が低い為又一味違って町が見える。
      大きなホテルの裏やら市場やらあちらこちらに船尾だけを引っ掛けて船を止めている。
      何でも許可の必要な日本では、こんな事をしたら営業停止と言う事態になるのではないか?
      川を登っていると思っていたら、どうやら下っていたようである。
      大きな本船が岸壁に着いている。
      オネエチャンがブリキの缶をジャラジャラいわせながらやってきて、又切符を渡してくれる。
      船は元来たコースを登って行くが、右手に綺麗な王宮が見えるので次ぎの船着場で降りるが
      ここは、最初に乗った所だ。
      ここから今度は対岸に行く渡し船に乗る。
          
      川からの眺めは素晴らしい。

      上陸して、王宮を見学にいく。
      パフレットも日本語で用意されていて、大変分かりやすい。
      内部は言うまでも無く素晴らしい建造物である。
      タイ独特のカーブした屋根と柱の形の美しさに見とれる。
      回廊に書かれた壁画は物語になっていて、細部まで書かれている。
      王宮を出て、少し歩くと国立博物館の前に来たが、生憎今日は休館日である。
      その向い側は、美術館のようなので、見に行く。
      タイの美術は、仏教国だけあって基本は仏画のようである。
          

       

バンコックからチェンマイまで、12時間程だが、汽車の旅は少しも苦にならない。
      途中駅に止まると、物売りのオバチャンがドットは入ってきて、掛け声をかけて売り歩く。
      プラスチックパックに入った物で中身は分からないが一つ買うと、焼き飯であるがなかなかの味である。
      午後8時ごろになると車掌さんがベッドを作ってくれる。
      今回は、上の段で下より少し安い分狭いのと、頭がつかえるのである。
      夜明けとともに チェンマイに到着する。
      ツクツクというオートバイを三輪車に改造したタクシーで市内に行く。
      時間はまだ速いので、コーヒーを飲みながら町を見る。
      取り合えずレンタバイクを借りる事にし、交渉して1日100バーツで5日間借りる事にする。
      足が手に入ったら地図もないのにもう走りまわるだけである。
      この町は四方を堀で囲われていて、所どころに門と城壁が残っている。
      堀は噴水が吹き上げ土手には木と花が植えられている。
      堀の内側は旧市内と呼ばれている。
      チェンマイはLanna王国のあったところで、町のあちらこちらでこのLannaという言葉が頭につている。
      私の宿になったゲストハウスもLannathai Guest Houseという所で280バーツ部屋も綺麗し、
      人は大変親切で、庭も広いし、便利な場所である。
      市内の西北山の方を目指してバイクを走らせる。
      チェンマイ大学の前を過ぎると、山道になる。
      急勾配の道をドンドン登って行くと、途中見晴らしのよい所にでた。
      ここからチェンマイの町を眺めると、京都を小型化したようである。
      東側に大きな川(Ping River)が流れ旧市内の外側は町と田んぼが広がっている。
      山の頂上付近に大きなお寺(Wat Doi Suthep)が建造されている。
      熱心な信者が靴を脱ぎ、這いつくばるようにして祈っている。
      多数のヨーロッパ系観光客もいるが、彼等は何を感じるのだろう?
      お寺の上り口は、ランの栽培と翡翠工場兼売り場があって加工場を見せて翡翠製品を売っているのである。
          
      堀の噴水            城壁               土産物を欲しそうにしている小坊主

          
      象の顔の神様         熱心に祈る信者        ラン

次ぎの日 今度は東に向う事にする。
      駅の前を過ぎると、両側に、傘の工場、手漉き紙の工場、チーク、黒檀の家具工場、手作りナイフ、
      織物、染色工場と、並んでいて面白いのである。
      加工技術は洗練されていて、素晴らしいものである。
      チェンマイの人はLanna文化というものに誇りを持っていて、日本の美的感覚によく似ている。
      手作り製品の一つ一つに洗練された美的感覚が感じられるのである。
      さらに、東へ約一時間半ほど行くと、温泉(Roong Aroon Hot Spring)がある。
      ここは、リゾートにもなっていて宿泊できるようであるが、私は温泉に入って食事をする。
      温泉は透明で、庭には、地下から噴出した温泉が噴水の様に吹き上がっている。
      タイの道は何処でも舗装がされているのと、車線を車とバイクとに分けて作っている。
      勿論 線を引いてあるだけだがバイクの車線も結構幅があって走っていても気持ちがよい。
      
      吹き上げる温泉

次ぎの日は町の北側を走ってみると、博物館があるので見学する。
      チェンマイの町の歴史資料が展示されている。
      かってランナー王国として栄えたが、ビルマに侵略されて滅びたような事である。
      この時代に手工芸が盛んになり、ランナー芸術が確立されたようである。
      形と色のセンスは、日本人にそのまま受け入れられるものである。
      町に戻り、目に付いたので珍しく日本料理の店に入る。
      沢山の常連客らしい人達が大きなテーブルを囲んで話をしている。
      席をさがしていると、年配の方が”ここへどうぞ”と同じテーブルに相席させてくれる。
      ”昔は日本人は少なかったんですが、この頃はリタイヤー組が多くてね。”
      ”この町は、気候も良いし人も親切だし、落ち着いた町で日本人には住み易いんじゃないですか?”
      ”しかし タイ人とはなかなか仕事ができませんよ。”
      等と、なかなか 厳しいご意見である。
      私は、色んな国で仕事をしてきて、色んな国の人との付き合いがある為、人は国によって違ってはいないと
      思っている。
      違いがあるとすれば、社会環境というか経済的環境というか、そんなものに影響されているのであって、
      仮に日本人が同じ環境に置かれたとしたら、彼等の考えと行動は理解できるものである。
      この町は、夜になるとナイトバザールが開かれる。
      小さな屋台を引っ張ってきて、各自手作りの製品 例えば ランタン、カンザシを売っていたり、シャツに刺繍をしながら
      売っていたり、似顔絵をかいたり、バンドを組んで演奏していたりと様々である。
      屋台の無い人は、道にゴザを敷いて並べている。
      これを見て、日本の町の活性化はこれだと強く思った。
      日本は高度成長時代大量生産とコストダウンの為、大資本で集中化していったのであるが、ここに来て
      行き詰まっている。
      例えば、大資本流通業界は、町の商店に対抗して大きくなっていったようなものである。
      小さな店は廃業する事になれば、新たに事業が起これば空洞化はしないが、個人商店ではそのまま廃業である。
      国としては、大資本系のほうが効率よく税金をとれるが、この様な無職の人が増えるのは、社会にとってマイナスになるのである。
      ここタイのナイトバザールの様に個人が小さな商売をする事によって、景気はよくなり、個人のニーズにあった
      商品が作られ、個人の色んなアイデアが生まれてくるのである。
      個人が儲かれば景気はよくなるわけである。
      その為には、規制をはずさなければ、個人ナイトバザールもできないだろう。

何日か何曜日かわからないある日、チェンライ(Chiang Rai)へ行くのに道路地図を買う。
      距離は180km程ありそうである。
      町の東北から118号線をドンドン走ると1時間ほどの所で温泉(HotSpring)とかいてある。
      支線に入って15分走ると田んぼの真中に温泉が沸いている。
      離れた所に小屋が立っていてそこに温泉を引き込んで水を混ぜている。
      風呂桶などなくどうやら体を洗う為だけのようである。
      そばに、オバサンが焼き飯とミックス冷麺のような物を作っている。
      注文して食べてみる。
      タイも町を離れると、英語も全く通じなくなるので、手話と表情だけがコミュニケーションの方法である。
      オバサンは木臼に10種類位色んなものを放り込んでは木の槌でトントンと叩いている。
      そこへ、湯がいた素麺を混ぜてできあがりで名前はアロイというそうである。
      先ほど注文した卵は温泉卵になっていて、豪華な昼飯となった。
      恐る恐る食べるアロイはトマトやら、唐揚した沢蟹やらが柔らかいものと硬いものが混じって異様な食感であるが
      味はなかなかいける。温泉卵は新鮮な為か、引き上げるタイミングがよかったのか最高の味である。
      道草をしたので、本線に戻って山道をまじめに登って行く。
      川に沿って舗装された道がクニャクニャと曲がりながら登って行き、峠を超えるとまたクニャクニャと降りていくのである。
      結局6時間程かかってチェンライの町に到着である。
         
      登り道             熱くて入れない温泉    冷麺を作るオバチャン    牛の向こうの小屋が体を洗える所

次ぎは、ミャンマーとの国境の町 Mae Saiに向う。
      そこまでは70km程で 平坦な道である。
      田園風景は、視界が広がっている為か、或いは山と木の形がよいためか景色が良く何度も止まって写真をとる。
      村によって、特産物を道路沿いに店を開いて売っている。
      籐製品やら、パイナップルやら、イモ&とうもろこし、凧まで売っている。
         
      凧売り               パイナップル売り

      2時間程で国境の町に到着であるが、ここも国境の町の特徴的な雰囲気がある。
      非常に人気のない所を通りすぎると、突然何かゴチャゴチャした町並みになるのである。
      小さな川(幅5m位)を挟んで橋の両側に門がありここでパスポート検査で橋を渡るとミャンマーである。
      物乞いの人やら、怪しげな物売りやらが沢山ウロウロしていて、早々にバイクに乗って次ぎの目的地
      ミャンマーとラオスとタイの3つの国境が接する所ゴールデントライアングルに向う。
      私はそこは山の中であると先入観をもっていたのだが、川の合流地点だったのである。
      ミャンマーに国境を接する中国貨物船が沢山の果物を陸揚げしている。
      インド洋に面したミャンマーは中国にとっては魅力的な筈である。
      川を挟んで左側がミャンマー右側がラオスで、見晴らしの良い所で、陸揚げされた中国産りんごとナシをむいて食べる。
      ここは、Opium博物館があって、ケシの栽培方法やら歴史、阿片器具が展示されている。
       
      川の向こうはミャンマー   橋の向こうの門がミャンマー

        
      川の左ミャンマー右ラオス  川を下ってきた中国貨物船  なし売りのオバチャン

        
      Opium 博物館       阿片用具パイプ       阿片用具枕等

チェンライの町に戻ってメールをチェックすると、家村さんの奥さんAliceからのメールが届いている。
     英語と日本語を混ぜて書いてある内容は、Peterが死んだとの事である。
     大きな衝撃である。
     彼の死体が沖縄警察によってキャビンの中で発見されたという、第一報である。
     何故、どうして死んだのか?
     船が繋留されているということは、沖縄までは生きていたという事だろう。
     琵琶湖で別れるときは、年はいっているけれど、彼は健康そのものだったのである。
     Peterの事はページを改めて書く積りである。
     チェンライの町もナイトバザールがあって、舞台があって民族舞踊やらコンサートやら無料で見せてくれる。
     
     子供達の民族舞踊

チェンライの町から帰りは 違う道を通る事にする。
     国道1号線をまっすぐ南に100kmほど下がると、Phayaoとい町に着いた。
     この町の西側は大きな湖になっている。
     この町は、お寺の多いタイの町でもとりわけお寺の多い町である。
     小高い丘に登ると、前に湖が広がり、岸に沿ってお寺が並んでいる。
     今日は、ここで泊する事にした。
     お寺と湖以外は観光する所はないが、湖面に面した所でゆっくりとコーヒーを飲むとゆったりとした気分になる。
     たまに、外人観光バスが到着するが、写真と土産物を買うと又バスに乗っていってしまう。
     夜は、この湖面に面したレストランでタイスキなるものを食べる。
     韓国焼肉のジンギスカン鍋で10種類程小皿に入った具を焼きながら、下のスープで炊きながら、食べるのである。
     即ち、焼肉と鍋物を一度に味わうようなものである。
     具は沢山あって1人前100バーツで食べきれない量である。
        
     国道沿いの風景        Phayaoの町を見下ろす。 横なった釈迦の前でゴジラが守っている。   
   
      
      静かな湖面

Phyaoを出て南に10Km程下がって右に曲がり、一山越して、118号線に戻るコースを選ぶ。
     ChiangMaiまで距離は250Km位か。
     寒くて、上は三枚重ね、下は2枚重ねて着る。
     昨日は、平坦な道で田園風景が素晴らしかったが、今日は右手に標高2000m以上ありそうな雲に浮かんだ山頂を
     見ながら山道を登って行くのである。
     空気は、緑の臭いと時花の香りがしてくる。
     バイクに乗って走りながら、Peterと話をしている自分に気づくのである。
     このルートもお尻の痛さを除けば言う事なしである。
      

チェンマイの町に戻りPeterが死んだのを聞いたショックの為か、チェンマイの芸術的雰囲気の為か、絵を書いて日を過ごす。
     町の北に滝があるので、バイクで走って行く。
     山道に入って10分程走るとタイヤがパンクしてしまった。
     さて、近くにパンク修理屋等見なかったが名と思いながら、走ると警察官がいる。
     パンク修理屋は何処か聞くと、少し行った所にあるそうだ。
     タイのパンク修理はゴムパッチの背中に発火して熱が加わる様になっていて簡単である。
     2箇所修理の為80バーツ支払う。
     タイヤはもう溝が無い状態である。
     レンタバイクもパンクだけで大きな事故もなく返す事ができた。
       
     チェンマイの美しい堀の風景

       
    水量は結構あった        パンク修理のオニイチャン

     汽車でチェンマイからバンコック 同じ日にバンコックからバタワース(ペナン島)までの切符を買い、バンコックで
     時間待ちの間、前回 休館日で見れなかった国立博物館に行く。
     ここは、歴史から王様の乗り物、宝飾品、陶器、螺鈿細工 木彫刻 各時代の美術品と内容は充実していて、
     全部をみるのに、時間が相当かかりそうである。
       
     国立博物館内

ペナンにつくと、何か家に帰ってきた様に感じる。
     早速、内臓物入りシコシコ麺を食べると、
     ”う〜ん、ペナンはチェンマイに比べて暑いけれど、この麺と、インドカレーと福建エビ麺は捨てがたいな。”
     等と、思うのである。
     クオさんの桟橋に戻ると、クオさん 奥さん イン ブライアン イタリアヨッテイー ラッフル ドイツヨッテイールイ等
     沢山の猫に2匹のアヒル、皆元気で相変わらずの状態である。
     Peterだけがいなくなった。

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