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       37番 ペナン島でのウマイ食べ物レポート 2002年11月

ペナン島にこんなに長い期間(半年)アンカーを降ろすとは思わなかった。
     やはり、クオさんが船を 預かってくれるので動かなくなってしまったのである。
     ジョージタウンの町まで、クオさんのレンタバイクで、インターネットカフェと昼ご飯を食べに行くのが
     日課になっている。
     そこで、ペナン島ウマイモノ No.1は リトルインデイアの入り口にある、インドカレーをあげたい。
     通りの角にあり、主人は40代の愛想が良い、インド人である。
     この店は、女性スタッフは一人もいなくて、年寄りのオジイチャンインド人スタッフからなっている。
     約10名のオジイチャンインド人の仕事の役割は決まっている様で、人の仕事を侵すことはない。
     主人のインド人は、私がバイクを停めると誰よりも早く
     ”ハーイ、マイフレンド”
     と、呼び込んでくれる。
     メニューの相談をするわけだが、今日はこれを一度試してみろと色々と新しいカレーを薦めてくれる。
     一番ウマイのが、チキンカレー、次ぎに魚のフライカレー、エビカレー 。。。
     野菜のつきあわせとセンベイみたいな物を一緒に持ってきてくれる。
     この店はナンはないのである。
     味は、日本のカレーに近い。それぞれ少しづつ味が違っている。
     このカレーを手掴みで食べるのがとてもウマイのである。
     スプーンとフォークも出してくれるが、右手でカレーとご飯をつまんで口に放り込むのが、絶妙にカレーと
     ご飯がまとまって
     一番ウマイ食べ方である。
     沢山のインド人オジイチャンの中で、食後のテーブルの片付け担当と、皿をテーブルまで運ぶ担当の二人が
     私はとても気に入っている。
     彫りの深い顔で、決して笑顔を見せないが、長い間の人生を皺に刻み込んだような味のある顔をしている。
     いつも写真を撮ろうと思って食べるのに夢中になって忘れるのである。
     (3種類程カレーを取ってご飯とアイステイーで400円まで)
     
     二番目は、フェリー乗り場の近くリトルインデイアのはずれに店がある、例の内臓入りシコシコ麺である。
     ここは、20代半ばのオネエチャン2人とオバサン1人の3人構成である。
     オバサンは洗物担当、もう一人のオネエチャンは 注文と運び担当である。
     オネエチャン一人が、この麺を作っているのである。
     まずは、色んな臓物を湯がいて、切り分けてトッピングの用意をする。
     まだ、若いカワイイオネエチャンがゴム手袋をはめて、内臓を包丁で切って行く姿は、何かミスマッチではある。
     ダシを作って、客の注文に応じて、トッピングと麺の内容を変えて作るのである。
     ダシの味はこってりとして、内臓はよく湯がいていて臭みは全く無く、絶妙の食感である。
     (大240円 小180円)

     三番目は、チャイナタウンにある飲茶の店(益和茶室)である。
     ここは、午前中しか、開けていない。
     サービス係はオネエチャン2人でこなし、厨房は男2人の4人構成である。
     店は、ブリキで出来た丸いテーブルと椅子があり、椅子は人のお尻で磨かれていてピカピカである。
     適当にお尻の形にへこんでいて座りごこちがよいのである。
     席につくと、オネエチャンが急須とグイノミコップ2つを熱い湯に浸して持ってきてくれる。
     一人なのに、2つコップを持ってくるのである。
     何故、2つ持ってくるのか、他の客をじっと観察してようやく分かったのである。
     2つのコップは、お茶を自分の好きな温度で飲む為である。
     お茶が用意されると、オネエチャンは、大きな蒸篭を両手で抱えてテーブルまで持ってきてくれる。
     中には、シュウマイ 饅頭、オコワ、等、色んな種類のものが入っている。
     味は、香港一流飲茶並である。
     適当に3種類程選んで、お茶を飲んでいると、又、中身の違う蒸篭をもってきてみせてくれるので、また食べてしまう。
     見ていると、他の中国人客は、大きな声で喋るばかりで、そんなに私の様にパクパク食べていない。
     オネエチャンは、私が、食いしん坊である事を見ぬいているから、新しい蒸篭は必ず持ってくるのである。
     私も誘惑にすぐ負けて手を出してしまい、腹がポンポコポンになってしまうのである。
     ここは、お年寄り客が中心である。
     その中でも、かなり年のいった、歯が半分無く 手は長い間仕事をしてきた職人の手をした90歳近いオジイチャンが
     ヨボヨボと一人で飲茶の店に入ってきた。
     暫らくして、30代後半のオッサン風が入ってきて先程のオジイチャンの横の席に座る。
     先程まで、ヨボヨボだったオジイチャンは、シャンとして、はっきりと大きな声で喋り始め、オッサン風は丁寧に頷き
     教えをこうている感じである。
     どうやら、師匠と弟子の会話と言った所である。
     この店は、近所の暇なオジイチャンとオッサンが全部きているのではないかと思うほど、一度座ると最低2時間は
     席を動かないのである。
     回転率の悪さからいうと No.1である。
     それでもこの店のオネエチャンは愛想よく蒸篭を両手に抱えて、客に薦めてまわるのである。
     (10種類程食べてお茶で400円まで)

     次ぎに、どうしても福建蝦麺の事を書かねばならない。
     同じ麺はどこでもあるのだが、この店はチャイナタウンの北にあり、福井&ユキさんがペナンにいるときに
     見つけた所である。
     この店は、ダシがさっぱりしてこくがあり、麺の湯がき加減が絶妙である。
     ここは、夫婦の2人だけでやっている。
     オトウチャンが仕込みから、料理まで全てをやっているのであるが、オカアチャンの方は、あまり商売熱心でないような
     感じ椅子に座っている。
     オカアチャンが、出来あがった麺を持っていくのが遅かったりすると、オトウチャンは怒りながら自分で客の所まで
     運ぶ有様である。
     仲のいいような悪いようななかなかのコンビである。
     (70円)

     おまけに、船を泊めている桟橋をあがった所に沢山の食堂がならんでいるが、その中のモスリム料理の店の
     事を書いて終わろう。
     この店は、50代のモスリムマレーシア人オカアサンが一人でやっている。
     背は低いが、それをカバーするように横幅があり、目が大きく 笑うとなかなか可愛らしい顔だちである。
     モスリムの為 勿論、頭はスカーフでマチコ巻き(?)である。
     朝早くから、一つ一つモスリム料理を作っては、パッドに入れ昼までに15種類位を用意する。
     昼頃になると近所の工場やら、ハイウエイ(?)からの客が沢山やってくる。
     ここで食べられるのだが、大部分持ち帰りである。
     客は、最初に、まず ここで食べるのか持ち帰るのかを言わなければならない。
     ここで食べる人は普通の皿にご飯を入れてくれて、その後、自分で好きな料理をご飯の上に乗せて行くのである。
     持ち帰りの人は、皿をビニールの袋でくるんで、ご飯を入れてくれるのでその上に好きな物を乗せていき、ビニールを
     クルリとひっくりかえして おかずとご飯ごちゃ混ぜになったのを、さらに新聞紙で巻いて持って帰るのである。
     ここでも、勿論食べ方はスプーンとフォーク無しで自分の右手で食べるのである。
     慣れてくると、この食べ方は何故かウマイのである。
     このオカアサン料理の中でも、気に入りが小さい鰯を干したものを玉葱とニンニクと唐辛子で醤油で炒めた物が
     好きなのである。
     モスリムカアサンの味といった感じである。
     モスリム料理はビールがないので、袋に入れて持って帰ってビールのツマミに最高である。
     (ご飯と置かず4種類にアイステイーで200円まで)

このページの題とは全く関係ないが、今日のマレーシアの新聞(THE SUN 22 Nov.)に、下記のような内容が掲載されていた。
     ”JAPAN'S BUDDIHISTS ADAPT TO SURVIVE”(日本仏教僧の生き残りの為の改造)
     日本の仏教の伝来、日本の歴史上の仏教の役割 等 要するに大乗仏教の説明があり、現在お寺は 
     8万軒 仏僧は15万人いて、このままでは、寄進だけでは成り立たず、若い人が仏僧になりたがらない等と説明がある。
     その為にインターネットで信者を集めたり、大阪の南でバーを開きビートリズムでお経を読んだりするのであると書いてある。
     ある中国人観光客は、奈良東大寺を観光してショックを受けた。
     というのも、中国 インドでは仏教僧といえば、出家して世捨て人のように修行するのが、日本仏教僧は妻帯し肉を食べ、
     したい事は何でもしているというのである。
     それに対して、中村何某さんが、日本の仏教の色々な言い訳と何故こうなったかを書いている。
     私は、タイの仏教を見て、感動したのは確かである。
     タイの仏教は 僧はひたすら厳しい戒律の中で、個人の修行と解脱を目指し、
     一般タイの仏教信者は、現世と来世のご利益を願い、ひたすら寄進するという、相反する2つ原理があり、
     信者は物的価値(寄進)と精神的価値(救い)を交換し、又、それによって社会的に貢献(福祉活動)しているというのを
     目の当たりに見たのである。
     お寺の中で露店があったり、チェンマイでは、境内で演壇を作ってコンサートをやっていたが、お坊さんは我関せず
     といった感じである。
     又、お寺が公民館になったり、学校であったり、よろず相談所であったりする。
     お坊さんには、付き添いみたいな人がついていて、食堂に入ってきてもお坊さんは椅子に座っているだけで、
     付き添いの人が全て世話をしているが、お坊さんはこれまた我関せずといった調子である。
     即ち、歩く仏様であると考えれば全ての行動が理解できる。
     その歩く仏様が、忙しい信者の為に市場や食堂に出かけて行ってあげているのである。
     日本仏教の場合は、檀家宗教であり、税金は優遇され、時の権力下に組込まれ、迎合しながら仏教を
     存続させてきたのである。
     その為 宗教においても 日本は管理社会の枠組みから抜け出せないわけである。
     又、自分は妻帯、肉食、なんでもありで、悟りの境地に達してもいないのに、インターネットで信者を集めて、
     説教して、どうして人をひきつけ悟りを与える事が出きるのか?
     日本は情報化社会で教育程度も高い国にあって、人を引き付けられる全人格な説教ができなければ、
     小手先の理論に人は耳を傾ける事はないのである。
     たちまちのうちに賢い日本人は本質をみぬいてしまい、同じ穴のナンとかじゃないかと見破ってしまうのである。
     自分の信者を増やし寄進を集め様としている下心まで見透かされているのが分からないのである。
     そんな事で日本仏教の改造やら解決が出きる筈がないのである。
     宗教が良いにしろ悪いにしろ 権力下で存続する事は既に宗教でなくなっているのに全く気がついていないのである。
     マレーシアがモスリム宗教原理の為に、外国人の裸に近い水着禁止法案を作ろう等という国家利益よりイスラム原理が
     優先する国と両極端な所に日本仏教はあるのである。
     即ち、マレーシアでは、宗教が政治より優先する事があるのである。
     日本教の日本では絶対にない事である。
     だからこそ モスリム(イスラム教)が、まだ宗教の初期の力を持っていて、アメリカのブッシュが軍隊で圧力をかけながら脅し、
     何処かの国が援助で宥め様が聞く耳持たず、ただ、アッラーだけが最高なのである。
     善処解決方法はアラー神に人殺しは他人も自分も含め絶対禁止という様に全ての原理と教義と大義の上に持ってくるよう
     考え方を改めてもらい、また、それをイスラム信者に示す為に再度出現していただくしかないのではないか?
     ついでに、豚肉禁止をはずして、タバコ禁止と入れ替えてはどうでしょうか?
     この方が、人間にとってはより健康的であるとおもいます。
     そうそう、もう一つ犬からのお願いがもう一つ、
     ”そんなに猫ばかり可愛がらないで、我々、犬もイスラム社会で生きる事が出きるようにお願いしますワン。”
     神様の力をもってすれば簡単な事だと思いますが。。。。

マレーシアの新聞(TheStar Nov.25,2002)の記事からもう一つ。
     ”Foreign Yachtsmen can help promote Malaysia"
     ”あちらこちらの沿岸を行ったり来たりしている海外ヨットマンは、沢山の否定的見解を持った西洋旅行アドバイザーに
     マレーシアは安全な目的地である事を示す役割をしている。
     彼等は自分の目でその国を見てまわりながら、旅行を続けている。
     それゆえ、国の仲間にどれほど美しい国かを情報提供しているのである。
     最近のバリ爆弾テロに拠る影響が来年の国際レガッタにどう響くかが問題である。
     来年3月11日から、16日の間、ロイヤルランカウイヨットクラブ主催による国際レガッタが初めて計画されているが、
     勿論、マハテイール首相杯なるものも用意され、彼の来年10月引退を記念して行われるものである。
     約50〜60隻の参加が予定されていて、開会式には20才以下チーム、オールウーマンチーム等が地元ヨット促進の為
     パレードをする。”
     ざっと、この様な、内容である。
     これには、マハテイール首相は来年引退するのであるが、タイ王室主催のプーケットレガッタを意識したものであり、
     尚且つ、彼の出身地はランカウイ島の近くであり、彼は特にマレー人優遇政策の見本がこのランカウイ島で行われていて、
     観光開発に力を入れ、タックスフリー地域指定したりして何とかランカウイ島を発展させようとしている事。 
     タイのプーケットから何千ものヨットをランカウイ島に引き寄せヨット関連産業をマレーシア ランカウイ島に持ってくる
     ビッグチャンスであると、考えている事。
     この2点を割り引きして読んでも、日本のヨットに対する社会的環境と違って好意的である事には間違いがない。
     その為ランカウイ島での イミグレーションと入出港手続きはお役所仕事でありながら、何処かの国のお役人と違って
     非常に好意的である。

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