トップページに戻る
目次に戻る
前のページ(37番 ペナン島グルメレポート)に戻る。
次のページ(39番 スリランカ)

         38番 インドへ向かって       2003年1月〜3月5日


1月16日 次の航海はペナン島からランカウイ島ープーケット島へ、ここから 西に向かって
       インドの海軍基地の島 アンダマン諸島へ、補給後 インド洋を西へ目指して 
       スリランカ インド南西部コーチンへ行く予定である。
       距離約2000マイル 又、寂しい一人旅である。
       インドからどうするか、南に下がって南アフリカを回るか、スエズ運河を通り
       地中海に入るか、マレーシアに戻るか、未だ決めていない。
       インド入国の為に大阪久宝寺町のインド総領事館へ行く。
       ISビルの10階にエレベータで登ると、受付のお嬢さんが親切に応対してくれる。
       一般の観光客は、通常の観光ビザは申請して3〜4日で許可がおりるが、
       私の場合は、個人ヨットで海軍基地アンダマン諸島のポートブレアーに、
       寄る予定である。
       ”領事に話してみますからチョット待ってて下さい。”
       大きな黒い瞳と笑顔で 好感の持てる受付嬢である。
       暫くして、領事が出てきたので、アンダマン 入国ビザ申請事情を話す。
       ”本国へ問い合わせしますから、一応申請書だけ出しておいてください。”
       ”まあ 無理かも知れんな。その時は 直接コーチンへ行くか。”
       と、半ば諦め心境で帰る。

 21日  るるの鈴木さんから、るるHP立ち上げのメールを頂いた。
       暫くご無沙汰していて、健康状態を案じていたのだが、お元気そうである。
       3月15日から 大阪メルボルンダブルハンドヨットレースに参加されるのである。
       距離約5500マイル 2〜3ヶ月位の船上生活者となる。
       3日もすれば、体も心も慣れてきて見渡す限り誰もいない海に幸福感が満ちてくるのである。
       私と違って、速く走らなければならないかも知れない。
       自分のクルージングと思い無理をせず十分に楽しんでください。
       贈る言葉は "頑張らないで。”
       自然相手に人が頑張る事は、危険極まる事だから。

 23日  心配していたアンダマン諸島への 特別入国ビザも付けて許可を貰う。
       これで、カミサマの無罪追放処分待ちだけなので、多分2月10日頃
       出発可能だろう。
  
 24日  沖縄にエンリケが、ピーターの船を買い取りにやってきた。
       私も、大変気になってもし処分できない場合を色々と考えていたが、
       エンリケが買い取ってくれるなら、ピーターも喜ぶに違いない。
       ピーターと日本の人達の善意が、フィリッピンの小さな村ボンボノンの
       子供たちに、届けられる可能性が出てきたのである。

 28日 エンリケが沖縄から電話をしてきた。
      近所の漁師さん達にとても親切にして貰って居心地がよさそうである。
      ピーターの船は、メインセールは破れ、ハルにダメージがあり、大阪からここ沖縄までの、
      航海の厳しさを残しているらしい。
      船の中の荷物は殆どアメリカ領事館員の手により運び出され、ピーターの遺族の指示で、
      姉さんやChona &フィリッピンの孤児施設に贈られたそうである。
      Bonbononの子供たちの所には届けられなかったけれど、ピーターと皆様の善意は、
      届けられたようで、安心した。

 30日 Wayneがマレーシアのペナン島へ戻り、遊帆UFOのすぐ後ろにアンカーをおろしているとの
      メールが入り、船の無事を伝えてくれたので安心した。

2月18日 遊帆UFOに戻る。
      アンカーロープが2度程切れそうになったのを、クオさんが修理したとの事。
      その他は異常無しのようだ。
      ここの日中気温は、32度あって、何日か前のあの寒さは同じ地球上とは思えない。
      飛行機で旅をする時、地球上には色んな所があり、その大きさを感じる。
      けれど、遊帆UFOで走った航跡を振りかえり、こんな小さなヨットで行ける事を思うと、
      何だか地球は小さく感じるのである。
  
 次ぎの日、満潮を利用して遊帆UFOを前の浜へ揚げる。
      クオさんも、Wayneも何か手伝うといってくれるが、何度もやっているので一人で充分である。
      波打ち際から30m位で後ろにアンカーを落とし、惰性で浜へ揚げて前にアンカーを打つ。
      ここは、貝の繁殖し易い環境なのか、びっしりと付いている。
      ついでに船底塗装もしておくか。

 朝7時から、船底藤壺落としをするがカタマランはモノハルの2艇分の仕事をしなければならない。
      藤壺落としだけで、ギブアップである。
      怠け者の為、肩と腕が痛い。
      船底塗装は次ぎの機会にする事にする。
      Wayneが何度も様子を見に来て、今日南へ下がってルムナット(パンコール島の前)に
      行くそうだ。
      予定は、シンガポールからインドネシアを通り過ぎて、ココス島からモーリシャスに寄り
      南アフリカを回る予定らしい。
      私もそうだが、ヨッテイーの予定は殆ど変更されるのが常識である。
      せいぜい次ぎの寄港地ぐらいが確かな予定なのである。
      お互いの無事とヨットライフのエンジョイを挨拶代わりに何度も手を振って再会を期待する。
      大抵の場合、二度と会わないのが普通である。
      その為、今回の様にWayneと何度も出会うと、お互いもう親戚の様に思うのである。
      23日か24日頃、ランカウイ島へ向う予定だ。

 22日 風、潮 天気全て良い為。出発する事にする。
      世話になった、クオさんや奥さんやインさんに分かれの挨拶をする。
      アンカーよりも重い人の情に、いつのまにやら半年もアンカーを降ろしてしまった。
      15時、エンジン始動。
      ペナン大橋を通りすぎ、通いなれたジョージタウンの町にもさようならだ。
      町にも沢山知り合いができた。
      インドカレーの店、飲茶の店、福建ラーメン屋、洗濯屋のインド人、インターネットカフェ等。。
      又、戻ってくるからね。
      暫らくして、バッテリーの充電が異常である。
      いつまで経っても、充電電流が下がらない。
      このままでは、バッテリーが過充電でやられてしまうので、エンジンを止めて、ジェネレーターの
      レギュレーターを分解する。
      マグネットの接点の隙間が無く離れない様なので直してテストしてみる。
      暫らくすると、充電電流が下がって問題なさそうである。
      やはり海の上は気持ちがいい。
      綺麗な夕焼を見ながら、出発前に作ったキムチと、キュウリ にんじん ブロッコリーの
      酢漬けを味見する。 なかなかの出来だ。(自己満足)
      19時、帆走にすると、4〜5ノットでている。
      夜は、風が落ちる事もあるが、殆ど北西の風15〜20ノット吹いている。

 23日  ランカウイ島の鷲の塑像の下にアンカーを降ろす。
      前回は、入港目前でエンジントラブルでセーリングで何時間も掛かって到着したのである。
      この島は、小さな小島が散らばっていて景色が美しい。
      もし、芭蕉がここへ来て句を読んだとしたら、
      ”ランカウイ、ああランカウイ、ランカウイ”
      と、残したような風景の島である。
      かっては、海賊の基地だったらしいが私が海賊の親分だったとしても、ここを基地にするだろう。
      マラッカ海峡を通る船は山頂で見張っていれば一目瞭然である。
      形勢不利と見て逃げるにしても、この島影はいたる所隠れる場所がある。
      ここで、ビールとワインと燃料と水を補給し、出国手続きを明日月曜日に終えて出港である。
      フランス産ワインが300円程なので、思いきって4本仕入れる。
      安いが味は大変私にはあうので、もっと買っておけばよかった。
      ジーゼルオイルは、湾内に油船が浮かんでいるので、横付けして入れてもらえるので、
      簡単で楽で良い。
      価格は、32円/L と安いので、370L入れてもらった。
      先週は29円だったらしく、オッチャンが”残念だったね。”
      と言ってくれるが、32円でも充分安い。
      今日は、国際トライアスロンレースの日らしく、鷲の下がゴールになっていて、到着した人の
      名前をしきりにアナウンスしている。
      運営係の人に聞いてみると、ハワイの国際マラソンの様に、毎年イベントとして開かれているそうである。
      今年は、去年より1割程参加者が増え、400人にもなり、その内なんと日本人は100名も参加しているらしい。
      そんなに、参加者があれば、ランカウイ島主催者はドル箱行事にしなければなるまい。

 24日 ランカウイでの出国手続きは、いつも親切で簡単である。
     水の補給の為、Rebak Marinaへ寄る。
     入港すると、Ferdinand一家が、手を振っている。
     ”オバタ、会えて嬉しいよ”
     ”奥さんも子供も元気そうじゃない。子供はちょっと太り過ぎじゃないか?”
     ”そうだろう。大きくなったら日本の相撲レスラーになれと言っているんだ。
      お金も、沢山はいるしな。”
     ”Ferdinand. あんたは金持ちだね。このマリーナでは、私の船は42Rm/日だったよ。”
     ”私の船でも、28Rmだよ。友達に会いに、2日間だけ泊めているんだ。”
     ”私も、水を500l積みこんで、洗濯が終わったら、明日、スリランカかアンダマン諸島へ行くよ。
      それじゃ、ここで 奇跡的に出会ったわけか。”
     ”スリランカは、いい所らしいが、係船料がUS$200/月もするらしいぜ。それで私達はやめたんだ。
     ”これから、南に下がって、ボンボノンへ帰る予定だ。”
     ”それじゃ、又 どこかで。”

 25日 マレーシアのお金も残り少なくなってきた。
     このマリーナのインターネットカフェで、メールのチェックとHPのアップをすると、市内の7倍
     15RMもするのでやめて、ビールと氷とミンチ肉をマリーナの売店で仕入れる。
     10:30 出港。
     Ferdinandの一家が手を振って見送ってくれる。
     風向きは西からか、無風である為、機走で 1800回転 5ノット。
     仕入れたビールは暖かくならないうちに、腹の中にしまっていた方が良いかと思い2カン開けて飲む。
     夕方に、パンを焼いてみる。
     初めてにしては、上出来である。
     船内の時計はマレーシア時間なので、1時間位遅い感じである。
     一日目の夕日を見ながら、周りは陸地も船も見えない様である。
 
 26日 02:00から帆走。進路角度を目的地角度より30度南へ向けて走る。
     船足は約5ノット出ている。
     船体が軋む音とオートパイロットのヒーヒーという音、水の流れるシャラシャラという音が聞こえるだけである。
     月は新月前なので、満天の星が見える。
     北斗七星も下の位置にあり、南十字星も見える。
     ミンチ肉でカレーとトマトソースを作りおきする。
     朝晩火を入れれば3〜4日は大丈夫だろう。
     ダイエットをする積りが、食べるのが忙しくなってしまった。
     モーニング:キャベツピクルスにパルメザンチーズ添えクラッカー、ブラックコーヒー
     ランチ:アンダマン風カレー。カルスバーグビール
     デイナー:韓国風キムチ&タイライスのチャーハン。シャンタン麺添え。赤ワイン2カップ
     ミュージック:松本英彦テナーサックス

27日 オーパイがヒーヒーと唸って私を呼んでいる。
     今まで順調に吹いてくれた風が止まってしまった。
     スマトラ島の北端に近づいている影響かもしれない。
     エンジン始動。機走5.5ノット。
     10:00 始めての雨がデッキを綺麗に洗ってくれる。
     雷を伴って嵐に変わった。
     雷は迫力がある。
     カツオが三匹程水面を跳ねる。
     これは、釣りを試して見る価値があると思い、ボンボノンでピーターが作ってくれた
     仕掛を流しているうちに、落としてしまった。
     ”ピーター。ゴメン。バイバイ。”
     木村さんがコルクに布着れで作ったイージーな仕掛を一応流してみる。
     多分ダメとは思うけど。。
     13:00嵐もおさまり、視界が広がると、両側に大型コンテナー船がすれ違っている。
     このスマトラ島の先端を越えればインド洋である。 
     スリランカ ガレ港まで残り900マイル。
     モーニング:キャベツとキュウリのピクルスにトマトソース添え クラッカー、スマトラテイー。
     ランチ:インド洋風カレーにニンジン、キュウリのピクルス と 韓国風キムチ添え。カルスバーグビール。
     デイナー:タイライスにほうじ茶かけ、赤貝の焼き鳥風缶詰、韓国風キムチ添え。赤ワイン2カップ。
     ミュージック:オスカーピーターソンジャズ

 28日 船内時計は、マレーシア時間のままなので、実際の時間とは3時間程の差があるようだ。
     06:00 船足7ノット 残り785マイル
     夜はバッテリーの為エンジン1600回転&帆走している。
     メインセールは日暮れにはワンポイントリーフをしておく。
     風は律儀に北東から15〜20ノット吹いて船足は7ノット前後でている。
     波も追い波となり、見渡す限り真っ暗な海を遊帆UFOはすべる様に走っている。
     カタマランの良さを今回のクルージングで再認識した。
     船内はチャブダイに急須とコップを置いたままである。
     モノハルなら20度はヒールして寝るのもどちらかに傾いて寝なければなるまい。
     その状態で二週間の船内生活はつらいものがあるに違いない。
     ここは、本船航路ハイウエイ−を走っているのだろう。
     東向いの大型タンカーやコンテナー船が10マイル南を通り過ぎて行く。
     西向きの本船は、遊帆UFOの両サイドを通り抜けて行く。
     名神高速道路で、大型トラックが走っている横を、自転車で走っているようなものである。
     4回目夕日が沈む。
     今日は多分新月であろう、空には星達が輝き、船べりには夜光虫がキラキラと光っている。
     眠くなるまで星を見ながら、とりとめの無い事をぼんやりと考えていると、北へ流れ星が1つ落ちた。
     20:30 船足 7ノット 残り685マイル
     モーニング:インドりんご&オレンジサラダ、クラッカー、ブラックコーヒー
     ランチ:トマトミートソーススパゲッテイ、パルミジャーノトッピング、赤ワイン。
     デイナー:カレー挽肉入りお好み焼き。カルスバーグ。
     ミュージック:福井さん差入高橋真梨子

3月1日 月が変わった。
     船内はマレーシアの旗屋で貰ったカレンダーしかないのだが、マレーシアのカレンダーは、
     縦書きになっている。
     列に日曜日から土曜日まで並んでいて、英語 中国語 マレー語 太陰暦とイスラム暦ともう一つ、
     何かわからない暦に競馬開催日等が表記してある様である。
     北東の風10〜15ノット 追い波。
     始めの二日間程は、夜に寝ても30分に1回位目が覚めていたが、もう、3時間に1回、
     チョット周りを見て又寝てしまう。
     人間は環境に慣れやすいのか、或いはどうにでもなれと思いきってしまえば楽になるのか、
     この状態だと、食料が続く限り、いつまでも、何処までクルージングを続けても
     良さそうな気がしてくるのである。
     夕日に向って、遊帆UFOは走るのであるが、時々この船は、自分で意志を持っているのではないかと、
     錯覚するほど、私が何もしなくても自分で良い様に走っているのである。
     オートパイ子チャンは、私がラダ−を持つよりうまいのである。
     そういえば、今までラダ−を持ったのは嵐の間 3時間程だけだった。
     デッキにトビウオ約10cmが転がり込んでうまい具合ヒボシになっているので
     明日モーニングに頂く事にする。
     モーニング:インド風カレー、ナン。
     ランチ:パンベースにナポリタンソース、モッツアレラチーズトッピングオーブン焼き、カルスバーグビール。
     デイナー:最後のトマトソースナポリタンスパゲッチー、パルミジャーノチーズ、赤ワイン。ナスとキャベツのピクルス。
     ミュージック:Celine Dion。 Kenny G。

 2日 燃料補給をしていると、トビウオがもう1匹、デッキに飛び込みヒボシになっている。
    始め飛び込んで来た方が少し体が小さいので、彼女で、後追いしてきたほうが男のほうだろう。
    彼等は、星を見ながら恋を語っていたら突然、遊帆UFOという怪物が現れて、
    パニックになった彼女は、方向を見失い遊帆UFOに乗り上げてしまった。
    恋魚の男の方も、慌てて彼女を追って同じ運命になってしまったのかもしれない。
    この様な美しい魚達の恋物語を想像しながら、オリーブオイルで火葬しお昼のオカズに頂く。
    もし、私の想像が当たっているとすると、女の方は、ともかく男の方は命を賭けて恋魚の後を追った事になる。
    なかなか、魚にしては天晴れな奴なので、二匹一緒に骨を水葬してやる。
    昨日、1匹ではなんとなく寂しい気分だったので私としては大変ウレシイ物語となったのである。
    木村さんの仕掛は、相変わらずヒットしない。
    
    風が弱まってしまった。
    長い間、カミサマに近況報告していないので、衛星電話を取り出してみる。
    衛星をキャッチしないのであちらこちらを探しまわって、やっと分かった。
    インド洋の赤道上なので真上にいたのである。
    ”まだ、生きてるで。ほんならな。またな。”
    モーニング:クラッカー、青リンゴ、ブラックコーヒー
    ランチ:恋魚トビウオ達のガーリックオリーブ揚げ、キムチ、タイライス。
    デイナー:四川風キャベツとナスの麻婆炒、タイライス。
    ミュージック:フリオ イグレシアス

 3日 0:00 コックピットで無数の星達を飽かず眺めている。
    星座の名前は殆ど知らないけれど、星を見ていると、何故か哲学的になるのである。
    今見ている星は、何億光年も前の光を見ているらしい。
    何億光年等、計算し理論上では理解できても、人間の短い物差しではイメージする事すらできない。
    今、遊帆UFOに乗って社会と切り離された状態で、自分の中の時間を中心に物事を処理してみると、
    不思議と、時間の経つのが非常に早いのである。
    1日が、アッというまに終わってしまうのである。
    時間は非常に主観的で、人或いは生き物により長さは違っているのかもしれない。
    11:00 前方1マイルの範囲に鳥山があり、水面に時々飛沫が立つ。
    エンジンを止めて、バウで待っていると、イルカが来た。
    綺麗な流線形で、透明の青い海を自由に泳いでいる。
    遊帆UFOのバウの前をジグザグコースを取りながら、私を見ている様だ。
    中には親子イルカらしいのがいて、子供を真上でかばいながら同じコースで泳いでいるのもいる。
    
    インド洋の海の味はやはり日本近海より塩辛くないのである。
    色は明るいブルーでゴミも無く素晴らしい海である。
    昼から風が少し強くなってきた。
    帆走で6.5〜7ノット出ている。
    波も追い波の為なんて素晴らしいセーリングなのか。
    こんなに風向きが変わらないのは日本近海では考えられない。
    食料も充分あるし、誰かが待ってくれているわけでもないので、急いで着く必要もなく、
    帆走を楽しんでいる。
    モーニング:最後のカレー、クラッカー 、ブラックコーヒー
    ランチ:イワシとマシュルームのトマトベース、モッツアレラ&パルメザンチーズのグラタン
    デイナー:イワシキムチ鍋にラーメン入り、タイライス、タイライス焦げスープ。
    ミュージック:ホイトニーヒューストン

 4日 09:00 9時間ぐっすり寝ていた。その間帆走で5ノット。
    風も落ちたのでエンジンスタート。
    スリランカ ガレ港まで残り165マイルとなった。
    風向きが4月になると、南西風に代るらしい。
    モルデイブはこの進路をほぼそのままスリランカから450マイル位の位置である。
    先に、モルデイブまで行ってしまおうか等と、考えているのである。
    今でも朝と昼は風力10ノット以下に落ちてしまうようである。
    お昼を作っている時に、エンジンの回転数が時々落ちる。
    13:00 ご飯を食べて後片付けをしていると、エンジンが止まってしまった。
    多分燃料のゴミつまりか何かだろう。
    取り合えず帆走にする為ドライブを引き上げ様としたら、テークルのロープが切れてしまった。
    プロペラに巻きつくと問題なので、パンツ1丁で、ライフジャケットを着けて、体にロープを縛り、
    船の下の切れたロープを取りに行く。
    最初は、パンツが濡れるので勿体無いから、裸で行こうかと思ったが、もし、流されて
    後で発見された時、パンツはいていないとチョット格好が悪いかと思いなおしたのである。
    インド洋は気持ち良い海の温度と透明さである。
    燃料フィルターを掃除したりするが、燃料の送りに問題があるようである。
    修理して、エンジン回転数を1500回転に落としていれば問題なく動いてくれている。
    今回のクルージングの最後の夕日となるだろう。
    日が沈む1時間前程が一番好きな時間である。
    風が出てきて船足が伸びるので、明日はガレ港到着であろう。
    モーニング:クラッカー ブラックコーヒー
    ランチ:手作りパン、キャベツ、オニオン、ポーク炒め
    テイータイム:抹茶 小倉アン付き
    デイナー:ポーク入りヤキソバ 赤ワイン
    ミュージック:マライヤケリー

 5日 07:00 風向きが前に回ってきた。
    途端に埃っぽいような、独特の陸地の臭いが風とともにしてきた。
    スリランカの最南端の岬まで約50マイル、ガレ港まで70マイル位の位置である。
    後、2時間程して夜が明ければ、きっとスリランカの陸地が見える筈である。
    13:30 風向きは、相変わらず前に回っている。
    霞んでいたのが、10マイル位の所に、うっすらと陸地が見える。
    ラジオをつけてみると、スリランカ語らしい歌と、英語版ミュージックを放送している。
    しきりに、スリランカインドFMと言っている。
    人が話しているのを聞くのはやはり嬉しくなるなと、変な所で感心してしまうのである。
    敬意を表してスリランカの国旗を前のステイにつける。
    この辺りの海になるとゴミが浮かんでいる。
    上陸すると、又、人との係わり合いが煩わしくなる。
    出発するまで、スリランカ、ガレ港に行くとは思っていなかった。
    その為、スリランカの情報は全く無い。
    まあいいか。いつもの通り、出たとこ勝負旅とするか。
    アンダマン諸島のポートブレアーかインドのコーチンが目標だったのである。
    結局、風向きにより、ここスリランカになったが、欲を言えばやはり12月〜1月の出発が、
    風向きと、風の強さが良かったようである。
    これからの予定は勿論分からないが、時期と意思が合えば、今度は南西の風の時、6〜7月に
    ポートブレアーへ向えば、最高のコンデイションではないだろうか?
    入港直前で、沢山の漁師船と出会う。
    入れ替わり船が寄ってきて、魚とタバコを交換してくれといっているようである。
    見せてくれたのは、アジ サバ キハダマグロ(大きな奴である)である。
    人懐っこい笑顔を見せて、手を振って去って行く。
    どこの国でも、漁師は、同じだ。
    ここの船は船体は極端に細く、片側にアウトリガ−をつけている。
    殆どが船外機で、10m未満の船に7人ほどが乗って1つのチームになっているようである。
    遊帆UFOは結局、トビウオ二匹だけだったので、やはり漁師を釣る方がはやそうである。
    
    スリランカの漁師船片側アウトリガー

    ガレ港の入港は直前で真っ暗になってしまった。
    C−Mapのデータ−を全幅の信頼をして、コースを決めてその通り入港しアンカーを降ろす。
    到着祝いに、赤ワイン。お祝いでなくても赤ワインであるが。。。
    デイナーは、スパゲッテイーガーリック チリ オニオン炒めのものだが、ウマイのである。
    ミュージックは、スリランカFMミュージック(少し音程が外れたような感じがとてもスリランカらしい。)
    明日、どうなるか分からないけれど、一応入国手続きをする予定である。

6日 夜も明けたので、ヨットのマストの見える方向へ向かうと、入り口にロープがはってあり、岸壁で
    入ってはダメというように手を振っているので、元に戻り、ポートマスターを呼び出してみる。
    ここで、審査官到着まで待つように言っている。
    この港はヨーロッパがアジアへ進出していた頃の面影を残している。
    北側には要塞が作られていて港の守備をしていたようである。
    太陽の暑さは、5分間あたっていると、肌がチリチリと焦げるように痛む。
    張れるだけの日除け用テントやネットをはり、中はクリップ扇風機を回す。
    これからは、この扇風機が離せなくなりそうである。
    現地時間は双眼鏡で対岸の要塞の時計を見た結果、日本と3時間遅いということが分かった。
    船外機を修理していると、3人がボートに乗ってやってきた。
    いつもの様に、船内をあちらこちら見ながらお土産はないかといっているので、タバコをプレゼントする。
    後は、もう 簡単にOKである。
    入港すると、代理店(Gulf Agency Company)が、入国、その他のサービスを全てやってくれる。
    価格は、係船料とその他手続き込みで、最初の1ヶ月はUS$200. 次ぎの月からはUS$170である。
    Ferdinandの情通りである。

次のページ(39番 スリランカ)