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                      旅の思い出写真 川柳入り3                                        

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マレー式結婚式  2010/3/6

今日は、先程まで吹いていた風もやみ、夕日も西の空に落ちようとする頃、マレースタイルの新郎新婦のお出ましである。
グレーの衣装にビーズをあし らった花嫁衣装、頭にテイアラとレース。
同じ色と模様の花婿衣装は頭にマレー式冠と服を着て腰にナイフをさしている。
ハーバー長屋の連中 も普段はTーシャツに半パンなのに今日は一張羅の格好で出てくる。
一応揃った所で、挨拶であるが、何故いつも最も英語の下手な私がしなければなら ないのか。
まあ、パーテイオーガナイザーだからしょうがないか。
今回、ジョセフ教会に結婚式の依頼をして見たが、クリスチャンでないので 無理という事であった。
信者でないと式も執り行わないのが本当であろう。
ハワイ等で教会で式をあげるというのは、旅行会社と組んでのイベ ントとして商品化されたものかもしれない。
そんな訳で、ハーバー長屋参加してくれた全員がサインをし、結婚したのを見届けた証人という形をとる事 にした。
長屋の連中が全員心から二人の結婚を祝福してくれた事に感謝するのであった。
参加証人:ケン&マユミ、Yuuji&家族(日 本)、李&黄(韓国)、Yukee(香港),emeil(ノルウエ―)、Voivoi(ノルウエ―)、Famos(スエーデン)、サム(マレーシア)、ア リ(マレーシア) RogueWaveファミリー(英国)、遊帆(UFO)
敬称略約15人

不思議な事に誰かスリッパ1足忘れて 行ったようだが未だに分からない。
追記:7日朝、遊帆(UFO)の前をFamosのオイビンがキョロキョロウロウロしているので、
「ス リッパ、探してるんやろ!」
と声を掛ける。
スリッパもやっと主人に会えて安心。
写真中:一張羅の服に互いに照れて笑い あっているeva&黄さん


久しぶりに高島屋へ行き、新京極から錦通りをブラブラ歩く。
高島屋の正面玄関に、振り袖姿のマネキン2体が立っていた。
2組の外国人男女カップルが珍しそうに写真を撮り、値段表を見て
「ワオー!」
と目を丸くして見つめている。
私も横目で価格表を見て見る。
「ワオー!」
振袖が80万円台、帯が80万円台であり、その他小物を準備すると、200万円程掛るかもしれない。
これでは、服といえるのだろうか?
日本伝統のファッションと言えども、簡単に着るという事は出来ないだろう。
海外で、この様な民族衣装はあるのだろうか?
等と考えながら実際のファッションを見ると、何か変に見える
ファッションが横並びで、化粧も横並び皆同じ様に見える。
ファッションは個性的に見せる為の筈だが、日本では飛び抜けた個性的ファッションは嫌われるらしい。
友達同士は良く似た姿であれば安心するという感じである。
男性ファッションといえば、黒かグレーか、茶色で目立たない地味なものが多い。
江戸時代の浮世絵等を見ると、男性でも随分と派手な着物を着てファッションさえ遊びにし個性的だったように見える。


今年も半分は終わってしまった。
新たな旅をスタートして1ヶ月になろうとする。
最近はかかってくる電話もメールも、ほとんどなく一般社会から隔絶した修行僧のように孤独な生活になる。
しゃべる人がいないのでテレビとかラジオに合鎚をうち、一人でしゃべるようになってきた。
このホームページを見てくれる人のカウントがあがるのを見て、かろうじて自分の存在感を確かめる今日この頃だ。
琵琶湖柳ヶ崎で自分のヨットに1日中いられる大塚先生なら、きっとこう言われるだろう。
”あんた、まだまだ修行がたりまへんな。”  
雨のため、牛深市内観光に行く。
サブマリン号にのって牛深海中公園へ行こうと思ったら、私1人だけだ。
それでも出港してくれた。
今は満潮時であるが船長は岩の30cm位上で、珊瑚、チョウチョウ魚、シマ鯛、メジナ等を見せてくれる。
船長は2〜3日前の嵐で、水の透明度が悪いのをしきりにあやまるが、勿論船長の責任ではない。
漁船からこの船に乗ったとき、いままでは暗礁を避けながら航行するのに、今度は近寄っていかねばならない。
それが怖くて怖くてと話しておられたが、同じく船に乗る私は気持ちはよく分かる。
潮の干満と波で高低差もあり 何の目印もないのに、あたかも船底を見ているかのように操船するのだ。
牛深町は、ハイヤ祭(4月)を、阿波踊りの様に盛り上げて町起こしを考えているようだが、海と海岸の美しさ それだけで名所になっている。

写真は古いものでHP様に小さくリサイズしたものを再度大きくリサイズしたものです。


エンジンオイル漏れがあまりにひどいので、串木野港でエンジン修理のため12日まで滞在予定。
コインランドリーは町の方へ坂を登った左にあった。
風呂は国民宿舎さのさ荘があるのだが、泊り客だけで入れてくれない。
何の為の国民宿舎か?
私の場合 日本国民と思われなかったかものと、あきらめて近くの元祖湯〔250円)へ行く。
帰るとき おばあちゃんはにこにこして10円かえしてくれる。
”おばあちゃん 看板に250円と書いてるで。なんで10円返してくれるんや?”
と 変に抗議しても取り合ってくれない。

今日は町内相撲大会があるので 昨日お友達になった勘場さんが見に来いとすすめる。
串木野は相撲が盛んで、普通の町ならテニスコートなどがあるのだがここは本格的正しい土俵がちゃんとあるのだ。
試合に出る人も、義理で町内運動会にでる感じではない。
相撲取りの卵か、それらしき人達が真剣に勝負している。
小さい町に、こんなに相撲取りの卵達がいるとは驚きだ。
勘場さんが後で船まで缶ビール1ダースを届けてくれた。
どうしてこんなに親切なのか、勿論 御返しは韓国焼酎真露しかない。

10日間も、串木野に滞在してしまった。
その間バスで羽島方面の途中に白浜温泉(250円)があり通う。
ここの湯の暑さ加減は最高だ。
ゆっくりと長く入っていてのぼせない、大人が2人入れるくらいの大瓶が据えてあり、
水風呂(地下からくみ上げた井戸水)になっているがまたこの水温がひんやりと適度で気持ちがいい。
温泉好きの私には、毎日が極楽だった。


玉泉洞(鍾乳洞)見学に行く。
地下に長い年月をかけてできた造形に時間の長さを感じ、人の一生の時間の短さを思うが、生物の中にはもっと短い生命体はたくさんあるのだと考え”時間”を意識させられる。
時間の不思議さを考えながら歩いていると、突然かわいい女の子が英語で話し掛けてくる。
私の格好をみて日本人に見えなかったのだろう。
福岡から船に乗って沖縄へ旅行に来たらしい。
好奇心旺盛で活発でやさしくわずかの時間で友達になってしまった。
別れるとき何度も挨拶をくれた。
伊平屋島の子供達も友達になったが、彼等は、小学生から中学生まで男女一緒に海で泳いだり飛び込んだりして、夕方まで遊んでいた。
勿論子供達だけで親はいない。
が、大きい子は小さい子を良く面倒みていた。
今の親は、何でも危ないといって、海で子供達だけで遊ぶのを許したりはしないだろう。
沖縄では子供達は本当に子供達で愛嬌があり、好奇心があり、人なっつこいので私はすぐ友達になってしまう。



この続きは 江戸の浮世絵師と都都逸風日記になります。

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