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          98番 ペナン雑記帳2       2009年2月

  はや、2月である。
  今日は2月2日は福建人のお祭りで海岸通りの先祖廟らしき所にろうそくを灯し、電飾し子豚の丸焼きを供えて、
  花火を12時になると打ち上げるならわしらしい。
  福建人はやはり海の傍に集まっているのか、電飾しているのは海に近いところばかりである。
  そういう意味では、中国人はどこの国に行っても中華街を作り、伝統を守ってその国に小中国を作って中国人にとっては
  住みやすい場所にしてしまう能力がありそうである。
  ペナンにも沢山の日本人がいる筈だが会う事は稀である。
  もっとも、私が特殊な場所にいるからかもしれないが。
      

  ミャンマーで日本人記者が射殺されたというニュースと、インドネシアのアチェに100人以上のミャンマー難民が
  漂着したが20人位は死んでいたという両方ともミャンマーに関係する悲惨なニュースがあった。
  よく食べに行く経済飯屋で働いているミャンマーのニイチャンも国から逃げてきているのである。
  勿論、アウンサンスーチー支持の為に大学にいられなくて、マレーシアに脱出してきている。
  軍事政権側は武器と権力の行使し放題で暴行、勾留、拷問はいうまでもない。 
  軍事政権をバックアップしている中国政府はチベットと同じくミャンマーに民主政治等考えていない。
  国の舵取りを間違うと、このような悲惨な事になるのは日本も経験しているのだが、そこは忘れやすく
  お人好しで、従順な日本人はいつでもまさかそんな事にはならないだろうと考えているのである。

  遊帆(UFO)の前に繋留しているお向かいさんのタッチがタイのバンコックで結婚式をあげて、
  奥さんを連れて帰って来た。
  ”タッチ、それじゃ土曜日にお披露目お祝いパーテイをセットしよう”
  という事で、お節介&お人好しの私がオーガナイズすることになった。
  頭の痛いところは、お祝い金をどういう形で集めるかである。
  習慣、言葉、個人事情に違いがあるので、陶器の貯金箱を買ってきて、メッセージを書いて
  順次回してもらう方法を取ることにした。
  強制して集めるのでなく、各自の気持ちで自分で入れてもらうので誰がいくら入れたかもわからない。
  という事で無事貯金箱も戻ってきた。
  私は当日米を1升程炊いて、ウナギ、キュウリ、かんぴょう、レンコン、ニンジン、シイタケ、錦糸卵を入れて、
  バラ寿司を釣る予定である。
  Isaac黄さんは韓国料理チャプチェ(ビーフン炒め)とケーキを作ってくれるらしいし、他の船も色々と準備して
  くれそうである。
  タッチも奥さんと2人組になり、一人者は私だけになってしまったのである。
  2人組の所にはこちらからは気軽に声をかけにくいのである。
 
  フィリッピンボンボノンで一緒だったビル&シルビアがペナンのタンジョンマリーナに入港したので、
  タッチが連れてきて総勢15名程集まり新婚お披露目パーテイとなる。
  勿論、李&黄さんも同時期に彼等とボンボノンにいた組であるが、ユキは我々が出た後にいたので顔を合せてはいない。
  タッチのNEW WIFEのアトムもお披露目され、ここの小さなコミュニテイの住人になる。
  世の中は忙しいので日にちの計算は合わないが、近い将来もう一人小さな住人が増えそうである。
  小さなコミュニテイを出来るだけトラブル無く気持ちよく過ごしたいと考えている私なのだが、
  国が違い文化が違い考えが違っているので一纏めは難しい、しかし人間の基本的な心情は同じだと信じて事を起こすのである。
  私はお節介過ぎる所があり、無理押しになるのを気をつけなければと考えるのであった。
  


  今月はインドもお祭りがあり、プーケットベジタリアン祭りと同じく、顔にナイフやらフォークを刺し、背中に30個位フックを刺して、
  神様の屋台を引っ張ってパレードしている。
  色々祭りを見るが、これほど奇怪は物は無い。
  思い出せばフィリッピンのルバング島だったかで、キリストになったつもりで鞭で打たれ背中を赤あざにしたり血を流したり
  しながらパレードするのもあった。
  神様は人間の為にあるという私の考えからすると、奇怪にしか見えないのである。
  インド民族衣装を着飾り、髪をおろして花飾りをつけているインド女性は本当に美しい。
  今日は私もリトルインデイアのインド料理店でドーサとヨーグルトに浸したケーキを朝食としたが、
  向いに座っている小さい男の子や女の子の綺麗な黒眼は自分の汚れた瞳と比べるべくもない。
  インド人と中国人は隣同士混ざり合い住み分けながら、しかも文化を守り上手に生きているのには感心する。
  大国の為懐が深いのか島国日本ではとても考えられない。
  
  神様屋台の前の上半身裸のオジサンの顔はナイフとフォーク?、背中は鉤フックだらけで引いて元気に歩いているが、
  周りの世話人は道路の釘を拾って足を怪我しないようにしているのが面白いのである。
   
  インターネットニュースで麻生首相の発言で下記の様な記事があった。
  ”アフリカ・ソマリア沖の海賊対策のための海上自衛隊派遣について、「ソマリア沖では1年間に2000隻ぐらい
  日本の船が通るが、海賊の強盗、誘拐がビジネスみたいになっている。船を守るための対応をするのは当たり前だ。
  強盗しているんだから、やられたらやり返さないとしょうがない」と述べ、新法制定も含めて対策の必要性を訴えた。(読売新聞)”
  ここまでおっしゃるなら、この近辺を通過する船舶に手榴弾、バズーカ砲、小型武器の装備許貸与し、それを公表すべきである。
  自衛隊船舶派遣よりずっと安上がりであるし、自衛隊船舶が全船の護衛について航行できるわけがないのである。
  広い海上を僅かの自衛艦でカバーできる範囲は60マイルとしても、海賊船は漁船と区別出来ないため、実際に
  日本船舶被害にあってからの出動で連絡を受けても最高スピードで現場到着に何時間もかかるのである。
  その時は事は終わっていて結局は囮の役目にされるだけである。
  それ故,自衛措置しか自分の生命を守る方法はないのであって、日本到着時に武器は返還すればよいのである。
  船長が全責任を持って管理すれば済むことで、それが出来ないのは日本国民を信用していないからである。
  日本政府が全船舶自衛措置を公表するだけで、海賊は日本船籍の船は敬遠するに違いない。
  麻生首相が実際に日本船舶の心配をしてくださるなら、是非上記のような措置を取ってもらいたい。
  憲法と他国の関係で難しいなら、バズーカ砲式照明弾を開発し、安全装備品にすればよい。
  少なくとも各船の考えで人質になるか、戦うかの選択肢が持てるのである。
  人質に取られず、ライフラクトで海に放り出されても、広い海上で発見される確率は少なく、どちらにしても、
  悲惨で、みじめな状態になるのである。
  自衛隊派遣問題の日本船舶護衛は大義名分で、これ以外の本当の目的があるのかもしれないが。

  ファンさんから電話があり、リリー、シャーリー、サリー女3人が上海、香港から、シンガポール経由クアラルンプールにくるので
  久しぶりに逢いたいとの事である。
  皆さん30年位の友達であり、私もクアラルンプールまでバスで行く。
  今ではすっかりオバサンになって、娘連れである。
  逢えば時間はタイムスリップして若き日の話に花が咲く。
  シャーリーは元々男の様な性格だが、次のような言葉で乾杯しようと私にせまるのである。
  ”友逢、我知酒千杯少” 
  見れば分かるように殆ど女性軍で広東語+早口で人が喋っている上にかぶさって喋るので賑やかを通り越すのは
  いつもの通りである。
  私は1日クアラルンプールで次の日はキャメロンハイランドへ行ってみようかと考えていたが、そこはあまり良くなさそうなうえ、
  ファンさん夫婦が自宅で泊るように勧めてくれるのと、娘のメロデイーがピンポン勝負をしたいとの事で、泊まることにした。
  ”オジサンは高校の時代表選手やったから無茶うまいんやで”
  と、彼女は2か月前から始めたらしいのでこれ位脅かしておけばよいだろう。
  実際は殆どやったことが無い。
  そんなに多く逢わなくても話はしなくても友達は友達、何時も逢っていても友達になれない人はそのままである。
  それにしても友達は好いものである。

  
 
  次の日、メロデイとのピンポン勝負は負けて、昼飯(魚頭麺)を奢ってバスの停留所まで送ってもらって別れる。
  バスの切符売場は沢山あるので、適当にペナン行きのバス切符を買う。
  プラットフォームとバスの番号を書いた紙を渡されて、バスに乗り込む。
  来る時のバスとは、程度がだいぶ落ちるが金額は同じである。
  出発時間が来ても客が一杯になるまでなかなか出発しない。
  これは悪いバスに乗ってしまったなと思うが方法が無い。
  予定時間を30分も遅れてやっと出発する。
  私はバスが動き出すと寝てしまうが、高速道路をはずれてターミナルに停車した。
  年をとるとトイレが近くなるので慌てて小用を足しに行く。
  そこで20分程停車したのち動き出し高速道路に戻るが、次はIPO(イポー)の町で再度停車、
  ここでも慌ててトイレへ駆け込む始末である。
  その間、荷物はバス車内にそのまま置いたままだったのである。
  5時間かかってペナンバス停留所に到着し、バイクの鍵を探そうとバッグを見ると、パスポートを入れた赤いネットバッグが無い。
  このバッグにはボールペン、小さい電卓、電話充電線、薬が入っていた。
  全財産はポケットに紐で縛ってあるので無事であった。
  もう少し奥を探せばカメラがあったのに泥棒も時間が無かったらしい。
  結局、金目になりそうなものはないので残念な事であろう。
  そんな事ならお菓子と飴が一杯あったのでそれを持っていけばよかったのに。
  次の日、近くのポリスステーションへいき被害状況を話すと、証明書を書いてくれて2リンギット払う。
  これを持ってジョージタウンの日本領事館へ行くと、再発行の手続きの仕方と、被害状況を今後の為に教えて下さいとの事である。
  担当の若い領事は日本の官僚とは思えない程気さくな良い感じの人であったので、今回は不平、悪口は無しである。
  ”日本の戸籍謄本1通、写真2枚あれば、4日間でパスポート再発行します。もっと急ぐなら、領事館に戸籍謄本を
   FAXしてもらうと、すぐ手続きに入ります。パスポートをお渡ししたら、ペナン大橋を超えた所にマレーシア入国管理事務所が
   ありますから、そこで前回マレーシア入国の日と便名を言えばスタンプを押してくれます”
  ”私は次は3月末までペナンにいますから、ゆっくりでも大丈夫です”
  という事で1件落着であるが、今年に入ってからどうも悪いことが起こりすぎるのである。
  ついこの間も、李さんと大西さんと加二屋で酒を飲んでハーバーに戻ろうと腰を上げると、チャンさんが来た。
  すぐに帰るわけにもいかないから又腰をおろして飲むと随分と遅くなってしまった。
  バイクで李さんと二人乗りでハーバーへ帰る途中少し道を脱輪し土管の上に乗ってしまった。
  別に大した被害はなかったのだが、暫くは気をつけねばならない。

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