トップページへ行く                                                                   

目次に行く
前のページ(さらの旅日記)へ戻る

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中


         第108番  ペナン風景      2009年9月    

薬草スチームサウナ

温泉、サウナと聞くと、どこにでも出かけていく私ですが、YUUJIさんの案内で淡文(Tambun)の中華系お寺がやっている薬草スチームサウナに行きました。
サウナ部屋は男女別々になっていて、広さは3畳程でスチームがもうもうとたっている。
裏では大きな釜に、メンソール、レモングラス、トウガラシ、その他薬草を煮て蒸気をたて、パイプで部屋に引き込んでいる簡単な造りである。
このお寺の山は薬草だらけで、高血圧に効き目のある葉があるので取って毎日2〜3枚苦いのを我慢して食べている。
お茶は生姜茶と普通のお茶があり、休む為のテーブル、椅子も置かれている。
これで3RM(90円未満)である。
すぐ横はタイ式マッサージとオイルマッサージ、足マッサージがあるがいずれも、1時間1000円程でみっちり揉んでくれる。
これから週に1回は通う積りである。

イランでは下着マネキンも服を着ないと監獄行き

”女性用下着をショーウインドーに展示することが禁じられたほか、体の線が分かったりヘッドスカーフをしていないマネキンの使用、欧米のブランド品や不道徳な写真、ネクタイや蝶ネクタイについても、展示しないよう警告した”

この様なニュースがイランの新聞に掲載された。
マネキンは全て体の線が分からないものだとドラエモンなら良いだろう。
ドラエモンにヘッドスカーフをしてブラジャーを着せて出す位のユーモアのある店は出てこないかな?
女性のオシャレを厳しくしては、女性のしっぺ返しの怖さを神様はご存知ないらしい。
私の予測では、いつの日かモスリムも女性の力で変わらなければ信者を確保する事が難しくなる時代が来ると思う。
美しいものは美しいのでありそれを無理に隠してそうでなければイスラム宗教警察によって罰する等、日本人には理解しがたい。

子育て終われば離婚法を制定
これは何かと言いますと、夫婦離婚、親子喧嘩問題を突きつめると、こういう考えはどうかなと言う事です。
夫婦とは不思議な縁で、最初はアカの他人が恋人になり、離れ離れに生きていく事など死ぬより辛いと結婚し、愛の結晶の子供ができると、愛は子供に移り親としての責任を果たさなければなりません。
子供が成人すると、愛と思っていたものは責任感に変わっていて、夫婦二人だけになった時、ポッカリ心に穴も開き一体何のために自分の人生はあるのだろうなどと迷い始めます。
それで財産分与と親子問題を法律で制定できれば子供が20歳位になったら親は一旦離婚するという法律を制定します。
子供もそれまでに自立しなければなりませんし、夫婦も財産分与をして線引きをし離婚しなければなりません。
再度仕切り直して相手が良ければ再婚すれば良いというのはどうでしょうか?
人生50年付近でけじめをつけるという緊張感が家族関係を正常にするかもしれません。
人生50年を過ぎたらどう生きるか嫌でも考えなければなりませんので、その為に今どうすべきかと言う事も分かってくるかもしれません。
又、それを機会にお互い綺麗に離婚して、自分の人生を見つめ直し違う再婚相手を探すのもよし。
社会全部がそうであれば奇妙な感じはなくなるのではないでしょうか?
この法律に賛成多数の場合、鳩山君に提案致します。
多数のご意見を期待いたしますが、最後は笑って許して。

ハーバーの職員移動
ヨットハーバー職員の中で我々の担当はリリジュアンという30歳少し過ぎたマレー系の青年である。
仕事不熱心なマレー職員の中で結構真面目で感じがよいとハーバー長屋連中の間で評判がよかった。
今日は薬草サウナに行き戻ってくると、ルデイの奥さんタイ人のモンが
”リリジュアンがルムットへ転勤するので家でパーテイに招待されてるから行く?”
との事で早速準備してアパートへ行く。
ハーバーからは、ルデイ、モン、Issacの李&黄さん、タッチ、リタ、キャスパーである。
アパートはJabatanハーバー職員の為のアパートで部屋は3つで玄関入った所に奥さん手料理のマレー料理、ラクサ、菓子、果物が並んでいる。
ラクサは魚の臭いがきついからあまり好きじゃないがと思っていると、黄さんが、
”このラクサうまいわよ”
との事で、食べると味が店の味と全然違うのである。
7時から我々は食べ始め30分ほどして、何か外が騒がしい。
外の廊下に沢山の人が集まって待っている。
リリジュアンと奥さんに挨拶しそうそうに後の客にバトンタッチする。
リリジュアンはルムットへは給料も上がるので栄転という事になるらしいが、ペナンが良いのに残念だとの事であった。
日本も昔は近所親戚がよく集まったものだが、今時こんな風景は日本では見られない。

ラクサ料理の説明
麺の一種でスープがミキサーにかけた煮干し魚の味べーすである。
トッピングにチキン、卵、シュンサイ、レモン等を入れて食べる。

  
   リリジュアンの奥さん料理に忙しい                          リリジュアンと息子

9月30日夜のインドネシア沖地震
9月30日夜のインドネシア沖地震があった。
夕食を食べに行き、大西さんと会い酒を飲んでいて帰って見ると、ドイツ人のルデイが遊帆(UFO)の空き缶ベルを思いきりよく鳴らす。
”インドネシアで大地震があって、津波が来るか見てたけど、2時間経ったし大丈夫や”
と、教えてくれる。
船長の腕の悪さを運だけが頼りの航海をしている私である。
プーケット津波も台湾花蓮地震もラッキーだけで被害もなく今まで来た。
多くの人から電話を貰ったりして心配をして頂き大変有難うございます。
今はインターネット接続がホットメイル等はすぐに切れてしまう。
が、この趣味人倶楽部は今は繋がるので、この日記から遊帆(UFO)航海記にアップし安全である事を知らせようと思う。

遊帆(UFO)はフローテイングハウス
Issacの李さんに手伝ってもらってシレットドライブを取り外す事にした。
海中で自分の体を支える為に2本のロープを張る。
李さんと手順を確認し、私が海中に李さんは遊帆(UFO)の上で仕事をする。
と言ってもナットを外しひっこ抜いて蓋を作って閉めるだけの事である。
藤壺がびっしりとつき手に傷があちらこちらに出来る。
暫くすると、ハーバー長屋の連中も何事かと出てくる。
出てくれば手伝わざるえないという事で大仕事も終わった。
ついでにアウトになったバッテリーも全部はずし次の航海前まで入れない事にし陸電から全て取る事にした。
これで津波が来ようと、自力エンジン走行もできないので、遊帆(UFO)と運命を共にする事にし、完全なフローテイングハウスとなったのである。
さて次の航海が始まるきっかけは何だろう?

タコ捕ったから刺身パーテイ
私が公営プールへジョギングと水泳に行き、福建麺を食べて帰ってくると、タイ人タッチが手を振って私を呼んでいる。
”タコが又取れた。刺身にして”
と、結構大きなタコが未だ水を吸ったり吐いたりしている。
”ワシャ、もう飯食ってきたがな”
と言いながらも、塩とメリケン粉をタコ君に振りかける。
これでタコ君マッサージである。
ひとしきり足のイボイボも綺麗にマッサージしてから、頭をじっくり返す。
タコ君は勿論息が止まりそうになるから足をバタバタさせている。
”タッチ、その包丁で内臓を切れ。タコ君、恨むんやったらタッチを恨めよ”
と言い聞かせて手術完了である。
後は水で綺麗に洗い、お湯を沸かしてお風呂に入れてやると、ええ湯加減なのか良い色にあがる。
この間5分ほどであった。
スライスする頃には長屋の連中がゾロゾロ集まってくる。
”サム、こうなったらタコ刺しパーテイや”
Isaacno李&黄さん、サム、タッチ、ファモウス夫婦、ボイボイのジイチャン、リタ、ルデイ、ユキ夫婦等である。
タコ刺しはIssac夫婦と私だけが食べた経験ありでその他は化け物を食べるように、怖いような興味あるような風情である。
一人がワサビ醤油で食べると
うまいというのを聞き皆が食べだす。
韓国風コチュジャンとサムが作ったタレ(スーパーで買ってきたチリソース)の3種類である。
スエーデン、ノルウエー、ドイツ人等ヨーロッパ系にはタコは怪物で出てくるくらい評判が悪い生き物である。
マレーシアでもタコは食べないので結構大きなタコが捕れるのである。

写真:私のオリンパスカメラ


Three pictures from our party with the unlucky octopus caught by Touch,
cooked by Obata and eaten by the nine of us last night.

Regards,
Oivin in FamOs

写真:という訳でOivinの1眼レフのカメラ
ヤッパリ随分と写りが違うな。




友人の還暦パーテイ
ペナンにリタイヤーされハーバーの近くに住んでおられる友人(旦那Kさん、奥さんMさん)がいる。
1週間後位にM奥さんが還暦を迎えられるというので、早目の還暦パーテイを秘密で準備していた。
場所をどこにするか迷ったが、酒飲み友人の集まり易い加二屋にした。
加二屋の主人Tangさんとも不思議な縁で今ではペナン親友である。
「何かいつもと違うパーテイ用のメニューはないか?」
コック長を呼んでメニューを相談したのが3日前であった。
今日は中華系は秋夕(旧暦8月15日)で満月の筈が夕方から土砂降りの雨である。
迎えに来てくれたYuujiさん一家の車にIssac夫婦と共に乗り加二屋へいく。
テーブルは準備され、加二屋Tangさんと張さんのプレゼントの花が既に置かれていた。
Issac黄さんは真っ赤なインナーをプレゼントである。
男性呑み助軍は
「はよ挨拶して始めろ」
と言う事で祝辞も短く
「還暦おめでとう!」
で乾杯すると、主役はもうほったらかし、後は飲み会に変わってしまう。
丸いテーブルに呑み助が固まり、対面に奥様陣と綺麗に分かれている。
こうなれば、酒が無くなるまでパーテイが終わる事はないのであった。



益和茶室
昨日秋夕で中華系は大きなお祭りの日だった。
今日は殆どの中華系食堂は店を閉めている。
ここの益和飲茶は開いていた。
この店の主人のネエチャンと、インドネシアの蒸籠運びのネエチャンとも5年位の顔馴染みになってしまった。
店の広さは30畳位か?
テーブルが大小合わせて20位?
テーブルも椅子も長年使っていて、お尻で磨かれて鉄の椅子はピカピカ、少し凹みお尻の形にジャストフィットして座り心地が大変良い。
朝7時から昼まで近所の人達で混む。
店が狭いので現在の香港式ワゴンで運ばず直系1mもあろうかという大きな蒸籠に点心を入れて客に勧めて回る昔の飲茶スタイルである。
私の顔(禿げ頭?)をみると、鉄観音茶と湯呑箸を持ってきてくれる。
私はシュウマイ系が好きで、5皿程食べると満腹(200円〜250円)、この間長くて30分である。
中華系客は食べに来たのか、喋りに来たのか分からない程、手ぶり身ぶり大声で弁論大会のようである。
彼らは1時間から2時間は座っている。
これでは客席回転数は悪い等と考えるようでは未だ日本人である。
日本でも朝からこんな所があれば爺ちゃん婆ちゃんトウチャン、カアチャン、家族みんなで、或いは近所どうしワイワイ言いながら、安く食べられていいのにな。
”朝からそんな事してたら会社クビになるがね。。”
御尤も、日本では無理か!


ラマダンが終りハリラヤ
モスリムではラマダン(断食月)が終わりハリラヤ(断食明け祭り)である。
イスラム暦というのがあり、それに合わせて生活しています。
「セラマット ハリラヤ」(ありがとうハリラヤ)
と挨拶し、握手したあと胸に手をやります。
意味はお互いの過ちを認め許しあう意味です。
子供達は近所の家を回って日本でいうお年玉を貰いに行きます。
大人も親戚に挨拶回りに出かけます。
その為各家庭ではハリラヤ料理が準備されます。
日本で言えばお節料理です。
お菓子類(ビスケット クッキー煎餅等)があり、奥さんが手作り料理を玄関に用意して待っています。
親戚でなくても、
「セラマット ハリラヤ」
と言えば、
「マカン、マカン」(食べて行きなさい)
誰でもOK,オープンハウスで我が遊帆(UFO)カフェと同じになります(笑い)。
夜は子供達は花火を楽しみます。
線香花火ではなく結構大きな花火をあげます。
ここで私の提案ですが、マレーシアに進出している企業の寄付を集め日本の花火大会をやってはどうでしょうか、という事を数年前からHPに書いています。
儲けるばかりでなく、現地に奉仕するのにこれほど目立って皆さんが喜んでくれるものは無いと思うのです。
ペナン大橋の横の無人小島を花火の設置場所にすれば、ペナン島側、本土側からと何万人の人が見て驚き拍手し喜んでくれると思うのです。
日本のイメージアップ間違い無しです。
写真は滋賀県大津花火大会(こんな花火が上がればマレーシア人の語り草になるだろうな)
モンキーナッツさんの写真拝借



ハーバー長屋ハリラヤ招待される
Jabatanハーバーから係留中のヨット連中にハリラヤパーテイの招待があり、テスコの近くの事務所まで行く。
門の前で正装をした日頃はあまり仕事をしないスタッフがニコニコ顔で出迎えてくれる。
”セラマット、ハリラヤ”
と言いあい、握手して胸に手を当てる。
事務所の広場の横にテントを張り、テーブル約30隻総勢200人は座れそうである。
大きなアンプでお祈りが始まり、無宗教の私も敬虔な気持ちに変えながら、料理等チェックする。
サテー(鶏肉、マトン等を竹串に刺し炭火であぶったもの)
マレー風カレー各種
アイスカチャン(かき氷)
マレー風デザート各種
ドリンク各種
ラクサ(魚だしのうどんマレー風)
等々である。
確認が終わりそうな頃にお祈りも終わり、皆さん一斉に料理を取りに行くが、私はお祈りの間にちゃんと食べる順番を決めていたので、そこへサッと行く事が出来るのであった。
男はマレーの正装である確かバジマラユという上下の服にソンケという腰巻をしている。
女性はあまり体型の出ないマレー伝統的服にマチコマキ(ツドン)である。
(皆さん知らないと思いますので大体こういう発音表記にしておきます)
これは写真で見た方が速いので説明を終わります。
一通り食べ終わった所で、招待者は子供に日本のお年玉のように袋にお金を入れてプレゼントします。
子供は一気に笑顔になり走り回ります。
大人はカラオケかお祈りの歌かはっきりしませんがマイクで歌い始めます。
「結構ええ喉してるがな」
と、思って見ると、毎日ハーバーで釣りをしているスタッフで私はフィッシャーマン(漁師)と渾名しているオッサンです。
総勢200人以上は参加していたようです。
何はともあれ、楽しい一日でした。

写真右:食事コーナー
中央:マレー民族衣装と子供達(体型がでないからいいでしょう?)
左:マレー男性達(チョット顔が日焼けがきついので写りが悪いです)
   


マレーシア風テイクアウト
日本のファーストフード店等で飲物を注文し、持ち帰りというと発砲スチロール系のコップ状のものに入れてくれる。
デパ地下のお惣菜屋でもプラスチックバックか発泡スチロール系ではないか?
東南アジアでは写真の様にプラスチックバックに飲物も惣菜(おかず)でもいれて、細いビニールの紐を輪に結び、プラスチック袋口を手で絞って、輪をクルクルと3回巻きつけ端を通し引っ張ると締まってぶら下げる事が出来るようになる。
惣菜(おかず)は全開して皿又はバナナの葉に入れればよいが、こちらでは普通そのまま端を下に織り込んで皿の形にして食べている。
マレー、インド系の人々は右手3本指
で食べるのが正式の食べ方であるので、フォーク、箸は必要ない。
飲物の方であるが、飲む時はビニールの口を緩め片端をつまみ直し、ビニール紐を先程と同じように3回巻いて引き絞りストローを刺せば飲める。
至ってシンプル、日本の様に過剰包装などしません。
それでもこのプラスチックバックがゴミとして散乱するのは困ったもんです。

以下は上記私のコメントに他の人からのコメントに補足したものです。
その1
勿論食前食後は手を洗います。
食堂では必ず手洗い石鹸と手洗い場が用意されています。
ピクニックなど外で食べる時はプラスチックボトルに水を入れ手を洗います。
日本でもオニギリ、寿司を握る時手を洗うのと同じです。
時々日本人旅行者が手掴みで食べているのを見て、「野蛮とか文化が遅れているな」等と言われる場面に遭遇し見聞きする時、他国の文化、他人の考えを理解できなくて自分の物差しでしか判断できない方なのだと残念に思います。
その2
文化の違いがあっても、相手を理解し思いやる心があれば分かりあえる筈という信念で今まで各地を航海してきました。
それにより各国各地で沢山の人に出会い一期一会の付き合いをしてきました。
時が始まり、かつ広い宇宙の1点で何かの縁で人が出会う時、それは奇跡的な確率です。
それを機に悔いを残さないように努力すべきであると考えています。
不幸にしてお互い理解し合えなくても
それでいいのだと、相手を包み込む様にするのがよいのではないかと考えています。
私も肝に銘じ残り少ない人生を、少しでも世界に通じる海の男を目指していきたいと思います。

写真右:飲む前
写真左:飲む時

  


夢のペナン花火大会に向かってエンジン始動!。。
数日前に夢のペナン花火大会を実行する手は無いかと日記に書きました。
昨日、日本領事館に電話を入れ相談に乗って貰いました。
私は唯の海上生活者で何のバックもお金もありませんが、話があれば一応聞いてくれます。
そこで色々とやり取りし、いい所の話になってきた時
「ペナンでマレーシア人特に子供達に日本の様な打ち上げ花火を揚げて見て喜んでもらいたいのです」
と、私
「日本人会で盆踊りの時に小さいけれどやっていますでしょう?」
と、領事館員
「いや、私日本人会には入っていないんで知らないんです。私のこの話はマレーシア人が喜ぶという事ですので、やはりハラリヤがいいのでは?」
「ハラリヤ? ? ?」
「ア、イヤ、ソノ 間違いです、ハリラヤです」
と言い直す有様。
しかし、色々話しているうちに分かってきた事がある。
目的はマレーシア人が喜ぶ打ち上げ花火大会にする事。
無理に日本友好とか日本企業に拘る必要は無いという事。
最も問題点は花火を輸送できるか?
日本側輸出許可、マレーシア側輸入許可が出来るかどうかを調べるのが先であるという事であった。
我が遊帆(UFO)本船は長い間出港していない。
夢を追う遊帆(UFO)を出港させる為心のエンジンスイッチオンと言う所であるが、エンジンがボケてウンともスンとも言わない状態である。

上記の私のコメントに対して他の人に対する追加コメントです。

船に乗って海外に出る事も仰る通り勇気がいる事でしょう。
何かを切り捨て未知の世界に足をふみ入れるのですから。
それとて日常の行為と同じ日々が続くのです。
場所が船か陸かの違いであって、海にいるからという理由は何処にもありません。
漁師さん、船舶関係の方は沢山いらっしゃいます。
私と同じ世代の人々はリタイヤーされ年金生活を始めるのに、今までとは違った世界に飛び込むのです。
どのような選択肢をとるかについても、やはり勇気ある決断をしなければなりません。
何も私が特別な勇気を持ってしたわけではないのです。
結局、日常生活でも同じ事、明日何が起こるか分からないのに分かった積りだと平凡だと感じるのではないでしょうか。
日常生活の中でも、何かの決断に迫られた時、決断する勇気がいるのは言うまでもありません。
世の中全て凡人で、誰にでも勇気はあります。
尊敬する人はあっても、その人も凡人だと思いますし、人として卑下する事も傲慢になる事もなく同じく対等に付き合っていこうと思っています。


明日の自転車ツアー準備
明日、ペナンのジョージタウン北のガーニー通りから、自転車ツアーがあるらしい。
らしいというのは、いい加減だが、ハーバー長屋の物知りサムからの情報である。
あるというだけで、何処をどれ位走って何人くらい参加するのかも知らないが、いけば分かる事である。
私は最近バイク専門で走り回っているがバイクの前は電動自転車で、その前は普通の折りたたみ自転車であった。
段々と文化的生活に戻っているというか、横着者になっていっているようである。
とりあえず船内から電動自転車オフタイムを引っ張り出し、バッテリーを充電し組み立て、タイヤに空気を入れて油をさす。
試乗して見る。
問題なさそうである。
これで距離20km位坂道あってもヘッチャラである。
どうだか分からないが皆さんは自分の足の力だけで走るのだろうが、私には電動アシストという強い味方があるのである。
年寄りだからこれ位のハンデイは貰っても誰も文句は言わないだろう。
明日が楽しみで今日は オヤスミナサイマセ。

ペナントップクラスのホテルで
小雨降る朝7時、サムと二人で自動車に自転車を折りたたんで2つ積み込み、Gホテルへ行く。
このホテルは今年になって出来たホテルでペナンで一番大きいガーニープラザショッピングに隣接している。
星の数も結構多い筈である。
しかし自転車ツアーをしそうな人は誰もいない?
「サム、暫く待ってたら誰か来るで」
と言いながら、今後の為に部屋のパンフレットと料金表を貰いにフロントに行く。
マネージャーはパンフレットは今切らしていますといって、メモを呉れる有様である。
気を使ったのかサムが
「コーヒーでも飲もう」
二人でレストランの外側のテーブルに座る(サムはタバコを吸う為)。
暫くしても誰も注文を取りにもメニューを持ってくる様子も無い。
突然女子スタッフがコーヒー2つを持ってくる。
「君、長い間客を放っておいて、お客の注文も聞かずコーヒーを持ってくるとは何かね?」
と、パンフレットの件もあり、怒りだすが言葉は丁寧で表情は少し硬いだけである。
日本でうるさい客だと大変である。
マネージャーが来てサムが冷静に怒っている理由を説明し、マネージャーも納得したようである。
「彼は現地マレーシア人、私は日本人、彼は5つ星をつけているホテルのサービスを恥ずかしく思ってあなたに注意しているんですよ。
彼は日頃からマレーシア人の仕事に対し真剣さが無いのを嘆いています。
このホテルが設備だけでなく、働く人も含めて5つ星であるように言っている事を分かってくださいよ」
と、フォローしてお互い握手をしホテルを出る。
私に言わせれば、これ位はまだいい方であるが、若くて真面目なサムにはマレーシア人のこういう所に我慢がならないのである。
少し短気ではあるが、決して表情に出さず理論的に話す彼には私は好感を持っている。
そして長年の付き合いで話をしていて分かっているのは、彼の不平を言いながらも国と人とに対する愛情と繁栄を願う思いである。
彼の様な若者がマレーシア国家にいつの日か貢献する日があると思うのである。
と言うような訳で自転車ツアーは雨で中止の為に急遽マウンテンバイクの方へ行き、1時間ほど自転車をこいで帰ってきたのである。

以下は上記の私のコメントについて、ある人がマレーシアと言う国を理解されていないのでそれに対する返答です

ここは多民族多言語多宗教国家です。
国でイスラム教を国の宗教と決めていますが、中華系、インド系と色んな人達が混じり合って暮らしています。
宗教も、文化も違う人々が互いに認め合い理解し合わなければ国はバラバラになります。
建設的な目的に向かい話し合い批判し、改善していくのは良い事でしょう。
しかし誹謗中傷で相手を傷つけ始めると憎しみの泥沼にはいります。
そこからは何ら光も見いだせず、憎悪と人に対する不信感しか残りません。
同じ文化的土壌を持ち閉鎖的な日本人同士でも理解しあえるのは難しいならば、一体どうすればよいのでしょうか。

ハンドルネームについて
私の遊帆(UFO)航海記のHPでは既にくだらない事を10年以上書き続けています。
私は、本名も隠さず書いて、返信希望者の為にメールアドレスも入れてあります。
私の場合、返信して来られる方は殆どが実名で送ってこられます。
それが実名であってもなかってもどちらでも宜しいが、やはりそれは礼儀なのだろうと思っています。
最近のHPサイトはよく出来ていまして、国別アクセス数、どのページを何人見たか等全て分かるようになってきています。
即ち逆探知装置がネットの世界に持ち込まれだしたのではないかと思います。
これはいくらネット上とはいえ、発言者が何者かを自分で明らかにして責任ある発言をしなければならないという状況を作り出していくのだと思います。
殆どの方が本名、性別、年齢を隠してやり合うこの趣味人倶楽部に最初は違和感を覚えました。
その意味でハンドルネームと言うのは、最初慣れませんでしたが、最近はハンドルネームがその人であると考えるようにしました。
この趣味人クラブの規定がそうである以上、それに従わざるを得ません。
一つ言える事は、何らかの理由で本名を明かせ無い人は他人の誹謗、中傷、批判はやめ、誠意で接触して少しずつ理解してもらうという方法が宜しいのではないでしょうか。
お互い気心が通じればそれがハンドルネームであろうが、実名であろうが気にする必要は全く無いと思います。
即ちハンドルネームがその人の人格となり、本名以上に相手に通じるようになった時、それは逆に自分の力と努力で作った立派で何処にでも通用する本名になったのだと思います。

冒険家達
前回のコメントで冒険家の話がでたので今日の日記のテーマにします。
堀江健一さんは現在西宮ヨットクラブに所属され私とほぼ同じ年か少し上の筈です。
太平洋横断をされる時、「最も怖いのは海上保安庁だった」と言うのを本で読みました。
彼は密航(密出国)して行ったのです。
そしてロスアンジェルスに到着した時、市長から勇気を称えられ歓迎され
「あなたならパスポートが無くても大歓迎です」
と言う様な意味の言葉を掛けて頂いた。
彼は密航してでも太平洋を横断したい、その為にヨットを買うのにお金を貯め食料を積み込み夜に出港していったのです。
何も名誉やら、賞賛の声やら、お金がが欲しくてした行為ではありません。
ある日、ヨットで太平洋を渡ってみたいという夢の火がついて、それを消す事が出来なかっただけなのです。
私の仲間にも彼の様な海の男はいます
我々の間では大きな船で良い装備を備えた船で海を渡ってきたセーラーより、小さな船で来たセーラーをビッグマンと尊敬します。
セーラー誰もが、その苦労を知っているからです。
私の親友の一人アメリカ人のピーターと言うセーラーがいました。
彼とはフィリッピン、ネグロス島の南端にある天然の良港でヨットマンの隠れたハーバーボンボノンで出会いました。
私の船の横にアンカーを入れていたと言う事もあって、よく夕方彼の小さな船(全長6m程の鉄船で5馬力の船外機だけ)で夕日を見ながらビールを飲み話をしました。
彼は日本で船を新たに買う事を決断し、私は友人に探して貰い何とか修理して大阪から出航予定までこぎつけました。
フィリッピンへ帰るなら、ネグロス島の子供達にお土産を持って行こうと二人で話し、私のヨットクラブの人々に話しかけ色んなものを船に詰め込みました。
私は、大阪から南下して父島から、ガム島、フィリッピンのコースを推奨しました。
距離の近いのは沖縄ー台湾ーフィリッピンルートです。
もし、フィリッピンから来るならこのコースですが逆に取れば波も風も向かってくるので大変な苦労です。
その後私はタイに戻ったのです。
彼が出港したという便りを友人から受けましたが、コースは沖縄へ向かったとの事、黒潮の流れに逆です。
普通機帆走なら1週間を見れば到着する筈が2週間しても到着したという連絡はありません。
その頃私はタイ北部をバイクで旅行中でした。
日本の友人からメールが入りピーターが沖縄で死体で発見されたとの事です。
数日経ち死因はアメリカ領事館の調査で判明しました。
彼は、2週間以上の殆ど嵐の航海をひとりで終え沖縄の漁港に到着した時ほっとして、船内でお湯を沸かして飲もうとして疲れから寝てしまったのです。
そして酸欠状態で亡くなったのです。
船内のフィリッピンの子供たちへのプレゼントはアメリカ領事館に彼の意思を伝え届けてもらえる事になり、彼も喜んだ事と思います。
このコースの逆を寛平さんは海を渡って来る事になります。
この海域は荒れだしたら台風並みです。
スポンサー、マスコミの都合に合わせず、海の天候に従うという決断は海の掟です。
安全に帰還される事を願うものです。
このピーターの事を書いたサイトは下記に記します。
お暇な方は見てください。
彼が生きた証が残っていて思い出して頂く事が供養になると考えるからです。
あるヨットマンの思い出  http://ufoboat.sakura.ne.jp/eotomonaru/peter.htm

エアコン故障!携帯問題!
6月に3年程使っていたエアコンが故障し、7月に新しいエアコンを買いに行った。
ペナンでは日本製も売っているが、製作地は中国、マレーシアが多い。
それでも、今までの経験から日本製(名前だけ)の方が長持ちする事は分かっているので、シャープユニットタイプにした。
これだと、コンプレッサーユニットを船の後部邪魔にならない所に設置できるからである。
前は日立製ウインド型をキャビン上のハッチに取りつけていた。
この方法だと、キャビン内が暗いのと、航海中は一々取り外さなければならない。
ペナンの電気屋では購入時メンバーになると100リンギット(3千円)で5年間の保証をつけるという。
これで5年は大丈夫だろうと安心していた。
数日前から時々キャビンで変な音(ミシ、ミシ、バキ、バキ)がするようになった。
どうも、マストのすぐ下、室内ユニットの辺りである。
ハーバー長屋の韓国の御主人を呼んで来て私は中で、彼は外でマストを揺らして音がするか確かめた。
何の音もしない。
原因が分からないが、船体ではないようである。
昨日、室内ユニットが突然ガラガラバシャという音がし、何かが吐き出された。
手さぐりで何が降ってきたのかさわっても、硬いものはなく、少し濡れている。
「分かった! 冷え過ぎて凍ってユニットのファンに当たって氷が砕ける音だ」
と、原因究明できたと同時に動かなくなってしまった。
以前なら暑さ等平気であった私だが、文化的生活に戻った今は、キャビン内はすごい暑さ(32度)でいられない。
昨日はプールへいって水に入っていようという事にした。
今日、エアコンメンテナンスに電話して来て貰わなければならない。
所が今度は携帯電話が問題である。
マレーシア携帯電話はプリペイド式で30リンギットを買うと、勿論この分使えるのだが、持っていても掛って来る事も掛ける事もない生活なので、料金が貯まったまま、有効期間(1カ月)だけが過ぎる。
そうすると、暫くは受信可能だが、発信ができなくなる。
どうも、ツキが逃げて行ったようだ。
仕方がないので、今日は薬草サウナで1日過ごすか。

材料:白菜、ねぎ、にら、生姜、ニンニク
米の粉(なければ片栗粉、小麦粉で代用)
調味料:トウガラシ粉(赤い干しトウガラシをミキサーにかけ顆粒にしておく)、ナンプラー(又はオキアミ塩漬け)塩、砂糖、カツオ昆布だし(顆粒)

作り方
1.米の粉に水を加え弱火で練り糊状にする(写真1)
2.ねぎ、ニラを小さく刻む。
3.生姜を千切り(白菜1個に親指位の大きさの生姜)
ニンニク(白菜1個にニンニク玉1個位)も叩いて千切り又はおろす。
4.1にトウガラシ、2.3.で用意したニンニク、生姜、ニラ、ネギ全部入れよく混ぜながら、ナンプラー、砂糖、カツオ昆布だしを入れ自分の好きな味にする。
5.白菜を縦に4つ切りにするが、根元に包丁を入れ、後は手で裂く。海水程度の塩味の水で少しつけた後
6.塩をふりかけるが葉の部分はうすく、根元部分は濃い目にする。
7.この白菜を水が出るまで(目安30分位)置く。
8.30分程したら流水で良く洗い水気を切る
9.水気が切れた所で白菜の葉の間に4を間に入れて行く。
最後の葉で全体を包み完成。
by isaac
これが基本的な造り方ですが、梨、リンゴ等も千切りにして砂糖の代わりに使う等替えてもおいしくなります。

オイ(きゅうり)キムチのつけ方 
材料:キュウリ、ネギ、ニラ、生姜、ニンニク、大根
調味料:トウガラシ粉、砂糖、ナンプラー、カツオ昆布だし

前のページ白菜ボッサムキムチの場合と違い、こちらは米の粉を糊状にしたものは使いません。
作り方:1.キュウリのへたをとり、洗い塩をふり10分ほど置く。
2.水洗いし真ん中縦に切り目、90度回して切り目をいれる。
3。千切りにした大根、ネギ、にら、生姜、にんにくに調味料を入れ良く混ぜ自分の味つけにする。
4.2のキュウリの切れ目(縦に十字)に3を詰めて完成
by isaac

キュウリの歯ごたえは塩の分量と塩を振って置いた時間によります。

自家製ポン酢の作り方 
材料;スダチ(またはユズ等柑橘類)
米酢、醤油、味醂、昆布、鰹節

作り方:
1.スダチを絞る(皮に香りが強い汁があるのでできるだけ皮からも絞る)
2.絞った汁を100としますとこれに米酢を100(同量)加えて200とします。
3.これに味醂を加えますが、分量は2の分量(この場合200)X0.8で、160を加えます。
4.これに醤油ですが分量は2の分量(この場合200)X1.2で240を加えます。
5.全部で分量は600になりますが、これに昆布を入れて20分程置き、ゆっくりと火にかけ沸騰前に昆布を取り出し、火も消します。
6.ここに鰹節を入れてそのまま冷めるまで置いておきます。
鰹節を濾しとりビン詰めします。
完成です。

自家製なので防腐剤なしで美味いです。
店頭で売っているものと比較出来ぬ位うまいです。
日本はもう、鍋、マッタケのシーズンですね?
冷蔵庫に入れても出来るだけ速く使い切りましょう。

遊帆(UFO)のいたずら
海外ヨットマンはカップルが殆どである。
私の様に、いろんな所にアンカーを降ろしながらクルージングをしている日本のヨットが少ない10年程前フィリッピンでの事である。
殆どがオーストラリア、ニュージーランド、欧米人ばかりである。
皆で1週間2回ほど誰が言うともなくパーテイという声がかかる。
皆、何故か仲が良かった。
近くの浜辺であったり、レストランであったりする。
レストランといっても海中に竹を打ちこみ床を作り、屋根を作り、壁も全て竹である。
パーテイと言っても各自持寄りで一緒に食べ、誰かがギター等弾きだすと歌ったりダンスをしたりである。
沢山いる仲間でも特に気があうシルビア(オーストラリアカップル)がいた。
彼女とは、よく冗談を言っていた。
ある日、日本にクルージングしようかという相談があった。
真剣に日本語を教えて欲しいというのである。
「シルビア、私はスタンダードな日本語を使うから教えたる(私は関西弁)」
「それじゃ、まず、挨拶からな。
ハロ〜は、おい!こら!、さあ、言うてみ」
その後本当に、九州(ハウステンボス)、和歌山等へ行ったが、無事であったかどうかは聞いていない。

シルビアはプロフィールに貼っている似顔絵を描いてくれた人で思い出して書いたのである。


怪物捕まえた!

「怪物捕まえた!」
と、何人かがポンツーンで騒いでいると、思ったらサムが船に取り付けているビールの空き缶を鳴らして私を呼ぶ。
「何や? 何捕まえた?」
もう、カメラ持って4〜5人が遠巻きにして海中に沈めた蟹取り用の罠を見ている。
「前のより大きい!」
タコ君かさんである。
彼等は気持ち悪がって触りもしないから私を呼んだのである。
もう、何度か手術に立ち会わせている助手のタイ人ニイチャンタッチに
「それじゃ、すぐオペ用意!」
という。
手際良く小麦粉、塩を振りかけ足もみから始める。
助手のタッチは
「ドクター、女の子です!」
「どこで、そんな事分かるんや?」
と言いながら、足から全身綺麗にマッサージ終わる頃にはもう、タコさんはグッタリで、好きなようにしてと抵抗しない。
無慈悲にもタコさん腹をめくられ
「ドクター、ここメスお願いします」
私は
「恨むならタッチを恨むように」
と最後の引導をわたしてやる。
「それじゃ、風呂の用意をするから、後綺麗に洗っといたげて」
と、大騒ぎ。
これで、今晩もタコ刺しとタコ&わかめの競演in Vinegar(わかめ酢ダコ) というメニュータイトルでハーバー長屋にニュースを流したのは言うまでもない。
その後 オイビンから写真とJabatan World Newsとしてメールが送られてきた。
ヨーロッパ系人に口を性器だと言い、だから女だと騙して説明している助手タッッチ


フィリッピンのジプニ―に乗った時の事

私はクルージング中に、船のアンカーを降ろし、各地を動き回るのだが何度もトイレでの失敗がある。
フィリッピンの交通機関は小さい方から列記すると、バイクタクシー、トライシクル、ジプニ―、バスと言う事になりそうである。
バイクタクシーとはその字のごとくバイクに人を乗せて運ぶのだが、乗員数が日本では考えられない位多い。
少なくともドライバーを含め5人は乗る。
多い時は7人乗る事もあり、これでデコボコ道、クネクネ道、丸木橋の様なトライショウでさえ通れないような所も走っていく。
トライショウはバイクの横に1輪車をつぎたした姿を思い浮かべて貰いたい。
これはもっと多い人が乗る。
私は11人位数えた事がある。
ジプニ―とは車になるが、派手な絵と色、電飾、飾りがついていて、後ろから乗客が乗リ降りする。
ドライバー一人だけで営業しているので料金は前の人に渡すと次の人へと渡りドライバーの手元に届く。
お釣りも又人の手渡しで戻って来るのである。
路線は大体きまっているが、お金を支払えば勿論何処にでも行ってくれる私営大型タクシーと言った所である。
最後にバスだが、これは路線がほぼ決まっているが、勿論路線範囲であればどこでも乗り降り自由である。
日本と違って定員乗員数等無いので、車内が一杯になればバスの天井に乗る事になる。
勿論、田舎では舗装されていないのでデコボコ道である。
ここでは、雨が降ろうと、へばりつき振り落とされないようにしっかりと持っていなくてはならない。
これだけの動き方があるので、不便なようだが慣れると便利な交通手段である。
ある時バスに乗ると満員状態であった。
乗って暫くすると、おしっこがしたくなってきた。
「どうしよう?降りたら次のバスがいつ来るか分からんしな」
と、我慢。
段々と下腹に圧迫感が強くなってくる。
「あかん!もう、我慢できん。降りて次のバスが来るのを待つしかないな」
と、思い定め降りる意思表示の天井をドンドンと叩いて知らせる。
勿論、バスは止まってくれる。
私は、直ぐに降りて田んぼの道で立ちションベンである。
「もうバスはいってしまうやろな」
と、思いきやまだ動かない。
客が私の動きを見ていたようで、
「どうも、あいつは小便の為にだけおりたようやで」
と言う様な話をして、待っていてくれたのだろう。
バスに戻ると、皆が拍手で迎えてくれる。
中には背中を叩き
「グッド、ウェルカムバック!」
と声を掛けてくれる人が3~4人程いた。
私は恥ずかしいやら嬉しいやら。
フィリッピンの人達の優しい、ゆとりのある心使いに出会ったのである。

九皇大帝祭

今ペナンは九皇大帝祭の最中で町中に黄色い三角の旗が風になびいている。
旧暦の九月一日から九日(10月28日)でこの日は頬やら舌に金串を刺し町をねり歩く奇祭で有名です。
数字の9が重なった9月9日が縁起の良い日とされています。
この期間は採食の期間で、町のあちらこちらでベジタリアンフードの屋台が並びます。
九皇大帝と人が交流し悩みや苦しみが取り除かれるという祭りなのです。
中国人らしい宗教観だと思っています。

写真左:プーケットも同じく奇祭で有名ですので、この写真を使います。
毎年、数人串刺しにした傷の為、救急車が出動します。
これ以外に爆竹を体中につけて火をつけながら、平気な顔をして歩く人もいます。
勿論、後で介添人がバケツに水を持ってついて歩く事は言うまでもありません。
ここまで来ると、神聖を通り越し、何だか我慢大会の様な気がしてきます。

   

自転車ツアーフェステイバル
朝6時ハーバーを出てジョージタウンまで、電動自転車遊帆(UFO)Uで30分掛った。
もうすでに沢山の人が各自いろんな自転車に乗って待っている。
今日の主催は緊急消防隊もしくは救急車連合体(勿論こんな名前ではない)である。

そのうち特に目立った自転車を紹介しよう。
みんな自慢の自転車のようです。

1.写真左:相当の高齢者と思うが、マウンテンバイクをフル装備してスタイルも決めて参加されている中華系爺さん

2.写真中央:英国のクラシック自転車写真でしか見たことがなかったが、このオジサンモーニングに皮ハットでこの自転車に乗っている。多分自作なのだろう。

3.写真右:パパの自転車の後ろにベビーカーをひっぱている。
ベビーカーには扇風機が回っていた。これも多分自作だろう。横はママさん

挨拶は日本の様にえらいさんが出てきてグダグダ喋るのではなく、デイスコ風に、そして中国太鼓が一斉にドンドンドン。。。
「アーユーレデイー! レッツ ゴー!」

道路を封鎖するでもなく一般の自動車と一緒に走る。
白バイが1台と救急車が1台並走するだけである。
所々に案内人が矢印の紙を持って立っている。
私が殆ど最後尾を走っているようで
「お前 最終か?」
と聞かれる。
「多分な!」
後ろを振り返ると、オジサンは矢印の紙をしまって引き上げている。
メインメンバーはもう何処にに行ったか一台も見えない。
ガーニーショッピングを過ぎメトロジャヤの交差点で左に曲がろうとすると、矢印のオジサンがまっすぐ行けというが、私は
「今からお茶飲みに行く」
という合図で、笑いながら手を挙げ納得している。

いつもの通り勝手に走り勝手にリタイヤーしてミルクテイを飲み帰ってきた。
それでも、30Kmは走っただろう。

ペナンの人々は遊び好きだ。
今回の写真の人達、なかなか粋な趣味を生活の中に入れているようで微笑ましい。
ハーバーの横の空き地では夕方になると、ラジコンカーのマニアが集まってレースをしているし、ラジコンヘリコプター、飛行機も飛ばして遊んでいる。

今回の自転車ツアーを仮に日本で企画するとしたら、事故が起こったりしたら責任問題で大きく取り上げられる為、警察が許可しないだろう。
日本では安全第一、勿論だが、それにより、主催者、関係当局も余程の事がなければ許可しなくなっているのでは?
許可して事故が起こり責任問題が起こる位なら、許可しないという方に流れるのは人情だろう。
全ての責任を主催者、関係当局に任せず、参加する方も自己責任という事を少し考える必要があるのではないか。
日本の暮らしが何故か窮屈に感じるのであった。




ハーバー長屋の新住人
私の前の船には去年12月に結婚し今年の6月に子どができたタイ人夫婦タッチがいる。
赤ちゃんの名前はマンタ4か月、少し計算が合わないようだが別に未熟児ではない。
私の隣には、イギリス系で、オスカー5歳、ジャック2歳がいる。
夕方は、シャワータイムでオスカーとジャックは裸で桟橋を走り回っている。
二人とも桟橋から落ちたのは何度もあるので目が離せない。
オスカーの両親はベジタリアンで飴玉をやっても、睨まれるので、オスカーに
「ここで食べてから行け!」
と言って口に入れてやる。
所が、前歯が抜けている。
やはり、飴玉はまずかったかなと思い、最近は
「もう、ないの」
と、言っている。
この二人の年齢は、わが孫と同じだ。
オスカー位になると、遊び相手になるので、新聞紙を巻いて刀を作り、チャンバラの手ほどきをしてやると、帰ってジャックを相手に叩いているようで、ママの怒っている声と、ジャック、オスカーの泣き声が聞こえてくる。
タッチのマンタは未だチャンバラは早いので、シャワータイムに頭から水をかけてやるが、泣かない。
「おお、タッチ、マンタはシーマンや水がかかっても泣かんな」
等、というのがサンセットタイムである。

写真:左からジャック、オスカー、マンタ、オスカーのパパ、タッチ


温泉が好きだ
私は温泉が好きだ。
温泉があるというと、行ける所なら行ってしまう。
インドネシア スマトラ島の中央部火山の陥没した後にできた湖、トバ湖、中に島があり、細いながらも西側は陸地と繋がっている。
大きさは琵琶湖位だろうか。
だから、車も走っていない。
ここに渡ってくると全く音がない。
時間が止まったみたいに感じる。
インドネシアの昔からの木造家がゲストハウスになっている。
1軒丸ごと借りて1日500円程だ。
イスラム教が国教であるがここは昔ながらの伝統と宗教観が残っている。
先祖は自分の庭に墓を造り家を造り、先祖と共に生きる生活様式を守っている。
インドネシアの人々もトバ湖は心の故郷だと言う位である。
戦時中日本軍が占領していた所である。
日本軍が占領していた所は温泉が作られているのは面白い。
近くの峠の町ブラスタギもにも、コタキナバルの麓峠の要衝の地にも日本軍が作った温泉があった。
山から湧き出る温泉を引き込みトバ湖を見渡せる位置に岩風呂が作られている。
私はここに裸でいつも入り、お盆にビールを乗せ、景色を見ながらゆっくりと飲むビールは最高である。
最低1週間は何もしないでいると、いつもリラックスしている私でも未だねじが緩んでいくように感じる。
この島には伝統工芸もあるが、生命力あふれる造形である。
又、音楽もトバ湖だけの伝統民族歌のようなものがある。
メロデイーは優しくハワイアンの感じがする。

写真左:湖面は静かゲストハウスは木と花があり、ハチドリが花の蜜を吸いに来る。
写真中:トバ湖に来る峠町ブラスタギという所で日本軍が作った温泉
写真右:トバ湖民俗芸能で人形を使って物語を展開する。衣装、家の形、踊りを見ていると古代卑弥呼の時代に戻ったような気がする。



しまった!
日課となっているPISA公営プールにジョギングと泳ぎにマイバイク遊帆(UFO)Vで行く。
入口でインド系のオジサンに1RM(会員の為30円)払い、入場者リストに名前を書いて入る。
着替え室はあるが2階のスタンド席で着替えて軽く早足で歩きだす。
スタンド席の一番上は日陰で涼しい。
約30分音楽を聴きながら軽く汗が流れてくる。
これでシャワーを浴び泳ぎに入る。
横では水泳教室なのか、色んな年齢の子供たちが泳いでいるが若鮎のようにキビキビ、ピチピチした泳ぎだ。
私はカバ泳ぎ、水中に3かきいて息を継ぎ又水中へ。
ユックリ泳ぎすぎていつも眠たくなる。
このようにして1時間程過ごし帰るのである。
バイクの所に行くと鍵がない。
「しまった。どこかで落としたか?というてもこの中だけや」
もう一度引き返し、歩いた後と服を脱いだ所を探すがない。
「こりゃ 困った、何処で落としたのだろう。しょうがないからサムに電話して船からスペアキーを持ってきて貰うか」
とリュックを探るが携帯電話を船に忘れてきている。
万事休す。
トボトボ歩いて入口まで戻ると、インド系のオジサン
「これ君のキーと違うか? 入場者リストの横にあったぜ」
「オッチャン ありがとう、助かったわ」
何の事はない、名前を記入するときに右手に持った鍵を置きペンをとって名前を書きそのまま忘れていたのである。
もう、生きていく自信ない。
気落ちしてバイクに乗ると、もうこの事は忘れている。
忘れっぽいのもええもんや。
という事でハーバーに戻ると、海上保安船のクルー達がタックローという、サッカーとバレーボールをミックスした競技の練習中である。
ボールを地上に落としたら負けはバレーボールと同じ、使うのは頭と足だけなのはサッカーと同じである。
ボールは竹で編んだ直径20cm位のボールである。
どうやら、男性の競技の様で、いまだ女性がこれをやっているのに出会っていない。
一度見てみたい気はするが。。。




次のページ(第109番 ペナン風景2)へ行く