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             第129番 再度鹿児島で         2011年11月  

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関空到着し家に帰るまでに

関空到着し、外へ出るとやはり寒い。

ペナンでYシャツ1枚だったのに、3枚着ても鼻がこそばくなりクシャミがでる。

早速、風邪薬を飲む事に。。

ペナンでGPSレシーバ(Gosget)を新艇到着のIさんに渡していたので、新たに発注したが、まだ到着していない。

それで鹿児島行き夜行バスを5日に予約チケットを購入したので6日桜島フェリー乗り場で下車らしい。

天気予報だと来週から寒くなるそうであるが、風邪だけはひきたくない。

元気に修理を終え指宿辺りの温泉三昧したいものだ。


鹿児島シップヤードへ

夜行バスで鹿児島に到着しタクシーでKMSへ。

日曜日でレースでヨットの上げ下ろしを盛んにやっている。

KMS社長さんもどこに行ったか分らない。

TOSAは桜島の灰だらけで、取りあえずシャワーからだ。

綺麗に灰を洗い落とすと、贔屓目で婆ちゃん船でもよく見える。

次は、水漏れの徹底解明を始める。

1.給水コックから複雑に継ぎ目がありそこから漏れる。

2.スタンチューブは締めこんでピタリとこの水漏れは無くなった。

3.排気のホースに穴があいている。(蓋のボルトが当たって長年擦れてそこに穴が開いた)

1はシンプルにして水漏れを止めた。

3は穴のあいている所を切り取りそこを新品ホースで取り換えた。

さてエンジンを回すと全く水漏れはない。

リギンのアイは新品に交換してOKである。

次は、近くの小型船舶協会に行く。

「私の船は平水航行許可ですが、錦江湾の対岸に行くのに臨時航行許可がいりますか?」

「平水許可を取っているなら、根占を越えない錦江湾内であれば航行できます。」

それじゃ指宿、垂水、高須港には行けるという事である。

同時に鹿児島税関に電話してヨットの輸出申告についてお伺いを立てる。

1.売買契約書、インヴォイス、輸出申告書 譲渡契約書、船内の積み込みリスト、印鑑証明等が必要である。

2.TOSAが例えば保税倉庫にない時は、他所蔵置検査申請書を提出して出張検査できる。

3.乗組員と輸出貨物(TOSA)の出港届けを出す。

ざっと、こんな具合で鹿児島で輸出手続きができるという確認が取れたのである。

そうなると、TOSAの行く末について下記にように決定した。

1.来年3月末日まで(寒さと私がペナンでの用事を済ます為)の間、売りに出し、その値段で誰か引き取り手があれば良し。

2.その時になって、誰も引き取り手がいなければ台湾、フイリッピン、マレーシアと南下する。


TOSAと話し合い

エンジン系統は全く問題がなくなった。

セール装備もあと一つクリートがあれば言う事がないので、使っていないクリートを移動するか新たにクリートをつけるかだ。

ステンレス類に錆が浮いていたのでオイルを吹き付けタオルで磨くと光を取り戻した。

明日は、時間もあるので船内ニスを塗ってやろう。

私が出来る範囲で完璧に近いようにする積りである。

デッキのFRPの穴もパテとゲルコートがあれば綺麗に傷シミを直せるのだが、そこまで化粧がいるかい?

「あたしゃ どうせ婆ちゃん船さ。見栄えは悪くても仕方がないよ。」

「心配するな、広い世界にはお前を気にいって、可愛がってくれる主人がいるさ。」

「あんたはどうだい?」

「残念だが、お前を維持できるほどの力も金も無くなってしまったのさ。 これもお前の運だと思ってくれ。」

キャビンでTOSAを相手に酒を飲みながら話をする。

段々と酔いが回って、本当にTOSA婆ちゃんの声が聞こえるようである。

船も出逢いと縁である。

後は彼女の運に任せるしか仕様が無い。


温泉探し

ここ南栄町シップヤードの前は大きな産業道路が通っていて、道端にはコンビニ、チェーン店はあるが温泉、お風呂屋さんはない。

お昼に入った昼食屋のおばちゃんに聞くと、丁寧に手を右に左に揚げ教えて下さる。

鹿児島は道端、通りすがりの人に聞いても皆さん本当に親切だ。

教えてもらった産業道路の西側、坂の上(町名で実際に300m位の高度はありそう)へ10分程自転車を押して上がる。

そこは鹿児島から指宿方面へ行く電車が通っていて、道路もありここには鹿児島行きバスも1時間に3本程出ている。

道路に沿って指宿方面に向かうと、タイヨーというスーパーがあった。

スーパーを見学するのは大好きなので、店内に入り生鮮食料品売り場に行くと魚が全て旨そうにみえる。

今晩のおかずにマグロの中落ちを買ったのでネギトロ丼にするつもりだ。

肝心の温泉(まきばの湯)は見つかったが閉店している。

同じく来た人に近所に風呂屋はないかと聞くと、1km程離れた所にお風呂屋さんがあるとの事。

又、自転車を漕ぎやっと見つけて入口に立つ。

自動扉が開き番台のおばちゃんにお金を払うと、後ろで自動扉が開いて閉じた。

「透明人間がきたんかね?」

「私の背後霊かな。」

「夜ひとりだったら怖いね〜!」

という事で初期の目的お風呂屋さん発見である。


指宿へ  

係留費等を支払い、出港し、指宿に向かう。

昨日までは、天気が良かったのに小雨に風がついてきた。

何故出港するといつも荒れ気味になるのかな。

指宿は外来ヨット桟橋に付けようと思うと、いつもの漁船が舫っている。

横抱きの形で舫って、小雨に濡れたので早速温泉(弥次ヶ湯)へいく。

土から湧き出している湯船に底に板を引いた温泉は少し熱めである。

湯に入ると、何度も溜息が出て、そのたびに頭のネジが弛んでいくようである。

ア〜ア、ゴクラク、ゴクラク。

帰り道に「味」と書いた看板がみえたので、夕食による。

戸をあけると70歳位の好々爺主人が一人の客相手に焼酎を飲みながら、刺身をつまんでいる。

「オヤジさんのと同じで、後は、まあ、適当にだしてか。」

看板御婆ちゃんは酒は何にすると訊く。

「焼酎1合程とお湯を貰おう。」

何故か皆さん意気投合して、と言っても主人とひとりの客と私に看板婆ちゃんだけなのだが、喋りながら焼酎お湯割りを傾ける。

主人は私の奢りだと言って、焼酎を又もってくる。

結局、冷や奴、刺身、豚煮、茶漬け、焼酎と飲んで食べて2千円だけという。

「そりゃ、あかん! 安すぎる。」

と、文句を言っても頑としてそれでいいという。

帰るまでに、焼酎焼酎1本下げて持っていく事にしよう。

そうなると、又、飲みすぎてしまうな。。。


天気晴れ

指宿に入港して3日目で、やっと風もおさまり、晴れた。

朝は8時から、朝湯で1時間程過ごす。

未読紙本は未だ3冊あるし、パソコンに入っている電子本は30冊位はある。

指宿駅の西側に図書館も見つけた。

インターネットカフェなるものを発見して、やっとインターネットに繋がる環境を得た。

こうなると、ここで過ごすのに、不足&文句は全くない。

近くにタイヨーというスーパーがあり、新鮮な魚が買えるし、食べる所も和食「味」がある。

又、旨そうな店は」焼き鳥屋「あっちゃん」、モツ鍋の店等目を付けている所がある。

今日体重計に乗ったら、3KG増えていた。

食べて本読み、温泉寝る生活から少し運動を始めなければならないな。。

和食「味」
主人:上高原さん
住所:指宿市大牟礼3丁目20−14
電話:09030735883


焼き鳥旨い!

天気が良いので、指宿の町を自転車で探検する。

まず、朝8時弥次ヶ湯で朝風呂、涼みながらゆっくり自転車を漕いで図書館へ。

図書館は電子化という事で本は読めないが新聞は見る事が出来る。

久しぶりに世の中の動きに注目する。

イタリア金融不安で株は暴落だそうだ。

世の中は経済中心でまわっているが、お金の無い私には大きく影響する事はない。

持たざる者の強みなのか。

夕方は再度温泉へ。

帰り道、やきとり「あっちゃん」へ寄る。

若いオニイチャンとオネエチャン4人ほどで仕事をしている。

私は、生ビールとやきとりの鳥ニンニク、ネギマ(串6本)と、皮のポン酢和え等を注文、最後にご飯と漬物というメニューで1800円程だった。

味は宮崎油津のやきとりも旨かったが、ここ鹿児島の地鶏もうまい。

これはヨットマンにお薦めの店である。

やきとり「あっちゃん」
主人:桐田 明
場所:指宿市大牟礼2丁目23−19
電話:0993−24−5757
営業時間:PM5:00〜AM12:00
定休日:木曜日


フリーマーケット

日曜日、朝10時位から港の駐車場でフリーマーケットが開かれた。

近くの出店と個人の店のミックスで、お祭りのプロの屋台は出ていない。

こんな企画も、町おこしという名目で各役所の許可が無ければ自由に商売はできないだろう。

早速、見て回ると若い女性が墨で女性をイメージで描いているが中々の腕だ。

黒豚串焼き挟みハンバーガーが旨そうだが、ビールが無いじゃないか。。

先に、近くのスーパーで缶ビールを買ってきて、このハンバーガーをかじりながら生バンドを聞く。

ポカポカして暖かく気持がよい。

後は、クリームチーズリゾットと、鳥おこわ、トマト3個を買い込む。

お客さんも沢山出て来て中々の賑わいである。

タイ、チェンマイのフリーマーケットは市民が自分で作った物を売って売り切れれば終わる小さな商売をして生活している。

大資本に集中すると、経済効率がよくなり雇用が増えるなどというが、私は小さな個人商売の寄せ集めの方が上手く行くように思うのである。

マレーシアペナン等中華街の商売をみても、小さなコミュニテイの中で少しずつ仕事を分けて生活している。

その為、午前中だけとか夜だけとかの商売で生活できる環境である。

日本人は朝早くから夜残業までして、生活が苦しいというのはどこか社会システムがおかしくはないだろうか。。

  
絵を描く女性              魚つかみ取り


開聞岳へ

指宿から山川までは電車が1時間に2本位は走っているが、その先枕崎までは1日5本位しか無い。

11時20分枕崎行き電車に、折りたたみ自転車と一緒に乗車。

西大山駅は本州最南端の駅と言う事で観光バスが電車の着く時間に待ってお客に写真を撮らせている。

そこから2つ目位が開聞駅、無人駅である。

自転車を組み立て、取りあえず開聞岳へ向かって走る。

1合目でギブアップ、大汗をかいて裸になり汗をふく。

高度は930mはあるだろう、見るだけで尻尾を巻いてしまった。

麓にはオートキャンプ場とか各種施設があるのだが、手打ち蕎麦皆楽来(ミラクルと読むらしい)を発見。

こんな所にお客は来るのかな?、名前が嘘くさい?からあまり期待しないで入る。

おばちゃん5〜6人でそば打ち台も完備していて、観光バスでお客が来るから結構忙しいとのこと。

そば打ちをしている所は見られなかったが、板そばと山かけとろろそば各1人前注文する。

そば粉は基本的に近所の物を使っているとの事である。

そば粉の色は白目でこしがありうまい蕎麦だった。

帰りは漕がなくても一気に坂を下って行く。

無人駅で本を読みながら待っていると、おばちゃんが一人やってきた。

「枕崎方面は次はなんじかね?」

時刻表を見てみると、3時間程後である。

「あら、そんなに待たにゃならんとね。。」

今日はのんびり電車に揺られて、おいしい蕎麦を食べ幸せだった。

  
緯度31度11分の西大山駅     開聞駅と愛車            皆楽来(手打ちそば屋)と開聞岳


知林ヶ島ふれあいプラザなのはな館と 

指宿入港時、知林ヶ島の外側を通ってきた、というのも海図では半島と繋がっているように書かれていた為である。

この島は満潮時には島と半島をつなぐ砂の道が消え、干潮時に現れるというものらしい。

訪れた時には道は消え、道であったであろう場所は波が立っている。

半島側には、看板「誓いの丘」が立っていて、ここを訪れた人が貝殻に愛のメッセージを書いたものが立てられている。

途中まで中々ロマンテイックな文言なので書き留めた。

ーーーーーーーーーー

看板の文言

<誓いの丘>

ここは南から流れる黒潮の分流と鹿児島湾から流れ出る海流が出会う場所。

二つの潮の流れは、砂を運び、海底に砂の道をつくる。

月の引力と地球の自転が潮の満ち引きを生み、引き潮になるとその姿を現す。

宇宙の神秘と大自然の力が創造した島への「架け橋」。

同じ道ができる事は二度とない。

一期一会。

「砂の道」は様々な「出合い」が生んだ奇跡なのかもしれない。

そんな奇跡がうまれる島に、この誓いの丘から、願いや誓いをかけてみませんか。

もしかしたら 奇跡がうまれるかもしれません。


ーーーーーーーーー

その帰り道、ふれあいプラザ なのはな館なる異様な建物が広大な公園の中に建っている。

ステンレス製のドーム状の建物と、両側に同じくステンレス製のラグビーボールの形をした建物などがあり、中は多目的ホール、図書閲覧室、プール、浴場、売店等の施設があるが、今年四月から閉鎖されて中には入れないらしい。

周りはゲートボールコースで、沢山のお年寄りが各ホールを順番に回っている。

建設時は莫大な費用をかけて作ってみたものの、利用されず何の役にも立たない日本の公共事業の縮小版みたいなものである。

これなら、建物を立てず芝生を敷き詰めゲートボールコースだけにしたら、どれだけ無駄な税金が使われずに済んだろう。

今日は、2つの対照的な観光地を見て回った。

 
知林ヶ島                 ふれあいプラザ なのはな館


知覧武家屋敷と特攻記念館

指宿からバスで1時間程の距離があり、喜入から山道に入る。

細い山道をあがって行くと、高原になっていてそこが知覧で特攻基地があり、映画「ほたる」の撮影が行われたらしい。

特攻平和祈念館には特攻に出撃した若き兵士(17歳から20歳代)の遺書が残されている。

一つずつ読んでいくと涙が止まらない。

殆どの手紙の形でお母さんへとなっている。

どれも達筆、心打つ文である。

特攻の母 食堂のおばちゃん鳥濱トメさんのビデオは涙無には見れなかった。

「みんな ほたるになって帰ってきなさい。」

私と僅かに20年から30年早く生まれた為に特攻に出撃し散った命、国と個人の関係を考えさせられる時であった。

その先3Km程の所に武家屋敷群がある。

どの屋敷も大きな庭を持ち、凝ったものである。

昔の事なら、自動車も、携帯電話もない事だから1日のんびり、庭を見ながらお茶を飲んで暮らしていたなら、今よりずっと優雅な暮らしだったのではないだろうか。

文化度とは物と情報が多く行きかう程文化度が高いとは、偉い学者さんが言ったのだろうが、こういう暮らしをみると疑わしくなるのであった。

 
映画の撮影に使われた 隼と若き特攻兵士と鳥濱トメさん


  
遊陶という店              知覧型二つ屋            武家屋敷の庭


唐船峡とヘルスランド

唐船峡は実に水のきれいな所である。

チョウザメ、マス等が住んでいて、気温も低いので、そうめん流しの台がずらりと並んでいる。

私が京都の竹山でするのと違い、円形の入れ物に水がクルクル回っていてそこにそうめんを流して食べるようである。

というのも、時間が早すぎてまだオープンしていなかった。

次のバス停留所のヘルスランドで降りる。

前に竹山という大きな石灰岩の岩が立っている麓に温泉が湧き出し、地熱発電も行われている。

今日は木曜日で露天風呂は閉館との事。

景色だけでも見ようと、裏に回って写真を撮る。

景色は錦江湾から開聞岳まで一望できる素晴らしいロケーションである。

結局、普通のスーパー銭湯型温泉に入って帰ってきた。

段々と寒くなってきたので、そろそろ冬眠準備をしなければならない。

明日、Oldboyさんの御好意で高須港に上架させてもらえる事になった。

上架し3月末までにTOSAを販売する予定だ。




鹿屋へ

指宿で親しくなった「弥次ヶ湯」のおかみさん、「味」のオヤジさんに明日出港するのでお礼と別れの挨拶をしておいたら、味のおやじさんがミカンを持って見送りに来て下さった。

何て情が篤いのだろう。

天気は少し怪しいが大したことはない。

指宿から鹿屋は10マイルほど、エンジンをかけてゆっくり対岸をめざす。

鹿屋の高須港へ入ると、Oldboyさんが取っていてくれたスペースは少し狭いので入れにくい。

他の漁船に横付けして舫を整理していると、Oldboyさんが頼んでいてくれた造船所の中村社長が他の場所を指定、再度動かす。

すると、10分もしないうちにクレーンが到着、船台を前に出し、TOSAを釣り上げる準備を始める。

と、タイミングよく滝浦さんが駆けつけて船体のコントロール等手伝っていただき、無事上架終了した。

夜はOldboyさん宅に集まり山海の珍味が並びバーベキューパーテイである。

お喋りしながら食べると缶ビールがドンドン空になって行く。

約4時間飲み食いで、お腹はパンパンである。

帰りは倉田先生宅へ夜遅く押しかけ、再度ウイスキーを飲みながら泊めさせていただいた。

あつかましくもあちらこちらで迷惑の掛け放しである。

夜から強風大雨で既に上架してラッキーだった。


山海珍味バーベキューパーテイ

鹿屋から日当山(ひなたやま)温泉郷へ

お昼まで倉田先生宅で寝ていて、起きると先生がサラダにトースト、コーヒーを準備してくださる。

食べていると、Oldboyさんが迎えに来てくれて、日当山温泉郷に誘ってくれる。

購入されたキャンピングカーで奥さんと3人で出発。

中はヨットと同じくバースにギャレー、トイレと生活に必要な事は全てできるようになっている。

この温泉郷は鹿児島県で最も古い温泉で、西郷さん、龍馬、おりょうも浸かった温泉のようで、宿泊したのは「西郷どんの湯」という所で温泉代込1500円という安さである。

Oldboy御夫妻は6畳の間、私は宴会場で20畳はありそうな所で大の字で寝る事にした。

温泉の前は天降川(あもりがわ)といい、天孫降臨の地高千穂霊峰を源流とし、錦江湾に流れている。

ここは自動車の音もしない静かな所である。


温泉宿「西郷どんの湯」        温泉(250円)           温泉宿から見た天降川

「西郷ドンの湯」
鹿児島県霧島市隼人町内1462−2
0995−43−3870
宿泊素泊まり1500円
入浴料250円
自炊施設完備使用自由


霧島神社と島津家別邸

「西郷どんの湯」で朝風呂、ホッカホッカに暖まった所でホカ鮭弁当を使う事に、朝から幸せである。

今日は、霧島神社へ行ってみましょうという事で、キャンピングカーは川に沿って山道を登る。

到着した所が「蒸気屋」というお菓子屋さんの前、お参り前に味見と言う事で見学、カスタードクリーム入りかるかんが何とも口当たりがよくおいしい。

神社仏閣は階段が多いが、ここも結構階段がある。

次は島津家別邸仙巌園へ。

桜島の景色を取り込んだ庭は素晴らしいし、鹿児島物産(薩摩焼、薩摩切子、大島紬等)が展示即売されている。

所々に鎧に身を固めた足軽が立っていて記念撮影も可能である。

京都のカミサマに電話でお伺いをたてると、「別に何もないわよ。」という事で、もう1日日当山温泉「西郷さんの湯」に私だけ宿泊することにした。

  
霧島神社               桜島背景                鎧姿の足軽


日当山温泉から鹿児島、京都へ 


朝起きると冷え込んでいる。

早速、朝風呂に浸かり暖まった所で自転車で散歩。

天降川の川にかかると、西郷どんと朱(人偏がつく)儒どんの逸話が掛かっている。

西郷どんは有名だが、朱儒どんはあまり有名でない。

日当山の人気者で体は小さいがとんちにたけた人だったらしい。

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話しのあらすじ:

「ある日、朱儒どんが鰻屋の前を通ると良い匂いがしてきた。

朱儒どんは、鰻屋に入って匂いを嗅ぎながら弁当を使ったそうな。

鰻屋の番頭さんは、鰻を食べてもらわないと商売になりません、匂いだけでもお金を払ってください。

そこで、彼は弁当を食べ終え、財布を取り出しお金をチャリンチャリンと音だけさせて、お金は財布にしまったそうな。」

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隼人駅から鹿児島駅まで、鹿児島駅の様子がちょっと違うので、女子学生に訊くと鹿児島中央駅と言うのが次にあるらしい。

鹿児島中央駅から折りたたみ自転車を組み立て町へ、西郷さんと大久保さんとは家は本当に近くだったのに、置かれた政治思想の違いからか鹿児島では大久保さんの人気はない。

次は足の向くまま天文館の方へ、フランシスコザビエルの布教地を見て、横にある示現流資料館へ行くとこちらは閉館だった。

通りを漕いでいると、30年前以上に食べたシロクマの店が見つかった。

懐かしくて店に入り勿論シロクマのベビーを注文、味は、この味でうまい。

鹿児島中央駅に戻ると、あちらこちらから消防車とパトカーが駅の構内に来る。

騒然とした中で火元は駅の横のショッピングセンターの地下のようで、ゴムの焼けた匂いのような煙が充満している。

初めての鹿児島中央駅で珍しい事件に遭遇したものである。

今回、指宿、鹿児島と天候に恵まれ寒くなかったし、行く所で人情に触れ本当に良い旅となった。

特にOldboyさんには格別お世話になり言葉に尽くせない。


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