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第130番 2012年謹賀新年 2011年12月〜
今回帰国の重要案件終了
今回帰国の重要な案件である、娘の結婚式を無事終える事ができた。
結婚とは縁あって本人同士が決める事だが、私にすれば新たに息子が一人増え、これから晩酌相手ができて嬉しいというのが本音である。
それにしても、自分の家族構成をみて私が最長老でこれだけ沢山の家族親戚を持つ事が出来たという事に幸せを感じ感謝しきりであった。
夫婦ふたりだけになり、周囲からはいい加減に海外生活はやめたらどうかとの声も出始めた。
この点は妻(カミサマ)の意向を伺いながら、添わせて行く事にしなければなるまい。
それまで、自由を頂ける間はその自由時間を満喫したいと思っている。
将来、子孫達が
「うちのじじい程遊び人はいないな!」
と言ってもらえるように。。。
神戸ルミナリエ
娘の結婚式のお礼と歳のいった親戚の挨拶を兼ね、明石、神戸へカミサマと出かける。
神戸元町で降りると、ルミナリエ見学の為、大勢の人が行列を作って歩き、あちらこちらに道路を柵を立てて警備をしハンドマイクで指示している。
数年前に明石花火大会で事故があり警察の監督責任が問われた為、厳重な規制をしているようだ。
勿論、事故があってはならないがこの大規模規制行列を見ると、物悲しい気分になるのは私だけであろうか。
事故があれば、何でもかんでもお上の監督責任を問い、お上は事故予防の為、仕事と権益を増やし規制を強化していく。
監督責任も必要かもしれないが、日本人には自己責任という言葉は無くなってしまったのだろうか。
各個人が自己責任を胸にしまい、事前に危険を回避していく能力は無くして、子供のように常に親(お上)に守ってもらわなければならない民族になってしまったのか。
闇夜に阪神淡路大震災復興希望のイルミネーションが警備費用が掛かり続けて行く事ができなくなるとは、日本社会を象徴している様で輝くルミナリエを見て物悲しく思うのであった。
日本を住みにくい国にしているのは我々各個人かもしれない。
今年も終わりだな。。。
今年も、無事終わりそうである。
この歳になると、健康でいれば
「ああ、良かった!」
と、思えるようになった。
来年も、海で遊べて仲間とワイワイ仲良く飲んで、たまに、家族のもとにふらりと帰れれば最高である。
ヨットの与太話その1
ヨットの楽しみ方は色々ある。
このシーズン寒くなれば、宴会船になり、仲間と一緒に狭い船内で鍋を囲み無駄話をするのが楽しい。
肩を寄せ合い、人の暖かさだけで船内の温度は上がる。
そこでは、社会のしがらみからは離れ、海の男&女として相手を認め、同じ目線で物を言いあうのである。
シーマンシップ、それは、ある距離がありながら困った時があればお互い助けあうという気持ちがあるのではないだろうか。
例えば、私の係留しているペナンのハーバーでは、係留しようと来たが、狭いので仕方なく外にアンカーを打ってテンダーで上陸し、そのまますぐに買い物に出かける人がいる。
天候が変わって、アンカーが抜け船は滑り出し、放っておけばペナン大橋の橋げたに衝突するようである。
こうなると、皆で出きて使える船に分乗し救助に向かうのがシーマンのようである。
広い海での出会いは、港から出て離れれば再び会うかどうかわからない。
それだからこそ、出会いを大切に、又共有できる時を悔いないように過ごすという事になる。
ヨット与太話その2
「海」のイメージで最初に浮かぶ言葉は私の場合「自由」である。
この青い海の先はどんな人が住んでいるのだろうと思い行ってみたくなる。
しかし、飛行機で行けば僅か数時間の所を、何日もかけて行くのである。
目的地だけに興味があるなら、飛行機が良い筈だが、船乗りは何もない海原を時間をかけて行く方を選ぶという変人なのである。
だが、行く意志があれば、地球上、海のある所何処にでも行ける。
例え大嵐に逢おうと自分で対処できる事は少なく、船の性能を信じ運を天に任すか、天候の神様を脅すか、お願いするか位である。。
それも自己責任で誰にも文句を言えない。
所が最近は、そんな自由な海も国の権力とエゴが及びだしている。
日本領海に入れば日本海事法により、船の安全装備により航行区域に制限が加えられている。
インドネシア領海はクルージングビザ取得が必要であり、各国領海では滞在許可制限等もある。
ソマリア付近では、海賊によるヨット襲撃でヨーロッパとアジアの航行ルートが危険にさらされている。
この傾向は15年前、私が日本を離れた頃より、段々と厳しくなっている。
いつまでも国境の無い自由な海であって欲しいと願う。
ヨット与太話その3
今まで海で出合った生き物は沢山いる。
北からだと北海道納沙布岬沖、畳3枚ほどあるマンボウの大群が昼寝をしているのか、海面に横になって浮かんでいた。
遊帆(UFO)が近づくと、
「昼寝の邪魔ものがきたな!」
と、ゆらり立って泳いでいく。
厚岸の沖ではラッコが島から船まで泳いで私の顔を見て行った。
四国沖で鯨が潮を噴き上げるのをみて暫く追った。
イルカは群れで泳いでいて、見つけるとエンジンを切り舷を叩くと寄ってきて船と暫く並走しながら、どんな奴が乗っているのかと見ていくようである。
フイリッピンでは真っ暗な夜に航行中、周りでボー!ボー!と音がする。
夜明けに見てびっくり、シャチの大群の真ん中にいた。
同じくフイリッピンの小島に入港しようとすると、突然海女さんが頭を突き出し、慌てて舵をきってよく見たら海亀だった。
出来れば、乙姫さまか人魚に出会いたいものである。
ヨット与太話その4
ヨットでクルージングするというのは、生活道具を積んで動くので、一般観光客とは少し違っている。
所謂ホテルにも泊らないし、グルメレストランにも行かず、地元の人々と同じ生活をしながら旅をするので、カルチャーショックを受ける事が度々ある。
最初にフイリッピンに上陸した15年ほど前は、三輪車タクシー(トライシクル)に10人はお客を乗せ走る姿に驚いた。
貧しい漁村で村人全員が総出で地曳網を引き小さな魚を平等に分け合う姿にも感動した。
物は無くても心暖かい人々に接し、幸福度、文化度とは一体何で図るのだろうと疑問を感じた。
時速5ノットはゆっくり漕ぐ自転車位のスピードのために、景色もゆっくりと変わっていく。
地図で振り返ってみても線で繋がっていて、自分の足跡が残っている様な気がする。
各地のヨットの溜まり場では、各国のヨットマンが集まり、夜になると浜辺で持ちよりパーテイをする。
彼らは生きる目的をはっきり持っていて、自分の人生を楽しんでいるように見え、日本人は生きる目的より、生きる手段に多く心をとられているように感じたものである。
だからと言って彼ら全てがお金に余裕がありクルージングをしている人達ではなかった。
ヨット与太話その5
ヨットという乗り物は、乗る人の個性、考え方があらわれる。
乗り手が何を優先していて、どんな乗り方をするのかという事までわかる。
自動車と違って、耐用年数も何十年と持つもので、故障、破損をしても修理しながら乗り続け、結果、愛着が湧き、のめりこんでいく。
「船は最高の悪女」とは私が、よく使う言葉だが、お金も時間も体力も使わされるのが落ちである。
彼女の魅力の虜となり海へ出て、得られるものは自由と孤独だけなのである。
私も最初にヨットに乗り琵琶湖を機走で沖に出てエンジンを切った時、帆が風を孕み静かに湖面を滑って行った時の感動が忘れられない一人である。
スクリューも櫂もないのに進む事ができ、これで何処にでも行けるという喜びを感じた。
広い海でもクルージングをしているヨットマンの考える事はよく似ていて、良い係留地があれば、そこへ集まる傾向がある。
沢山集まるヨットの中で、見るからにクルージングするのに無理そうな小さなヨットに乗ったヨットマンを尊敬の意味を込め「ビッグセーラー」と呼ぶ。
燃料も食料も十分に積みこめない小さなヨットで、風任せのクルージングの苦労を誰もが知っている為である。
だが、そんな苦労をしても海から離れられない魅力があるのだ。
私も暖かいペナンの海に戻れる日が、秒読みになった。
年明け早々、ペナンーランカウイープーケットの往復1週間位のクルージングにでる。
ウイルスメールの緊急お知らせ
12月28日 友人海外ヨットマンからビデオメールが届いた。
その人の名前は良く知っていてメールのやり取りをしている仲である。
開けてみると、彼が送りそうな内容でないのですぐ削除したが、遅かったのである。
登録しているアドレスに自動的に同じようにビデオメールの形で送信された可能性がある。
名前は私の名前なので同じように開けるとウイルスに掛かる可能性があるのでそのまま削除をお願い致します。
不注意により、迷惑をおかけしたと思いますのでお詫び申し上げます。
又、私のメールもアカウント削除されていて、復活させるのに暫く時間がかかりそうです。
大晦日都々逸、川柳いじくり
卯年も終わり来年は辰年です。
人は心に区切りをつけながら生きていかないとならないようです。
新しい年が来て目出たいと思うのですが、良く考えてみると崖っぷちに近づいている。
私の場合10年前が1週間くらい前の様に短く感じられます。
これからの10年、毎日精一杯遊ぶ決意を新たにしました。
良いお年をお迎えください。
・ さしつさされつ
雪舞う夜は
たつを待ってる
大晦日
・ お年玉 手にもつジジイ 大好きと
・ めでたいと ジジイ挨拶 おめでたい
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