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             第127番 TOSAの船出     2011年7月20日〜

集中してメンテナンス


大きなメンテナンスは、一応終わった。

インナージブのシート用ウインチを取り付け、メインハリヤードの操作もハードドジャーの天井にウインチを取り付け、1箇所でセールのアップダウンとリーフも出来るようにした。

燃料系統(タンク)の掃除をしたので、後はフイルター交換だけである。

中のものを整理し、積込みにかかる。

明日は、船検を受け航行区域の変更で沖縄までの航行許可を受ける。

この船は船型が御椀のようで、キールが小さいように思う。

何よりもキールの付け根が細く薄くなっていて、少し強度に心配があるので、荒れたときには追手で逃げるように航行するのが良いようだ。

遊帆(UFO)カタマランと比べれば、モノハル艇の為、長期クルージングはヒールの連続で大変だと思うが、船はシンプルで、一人でコントロールしやすい船である。

今回は、新しいルートと場所(四国南部と九州東)を訪問したい。

室戸岬の東側で、前回鯨の群れに出会ったが、今回も会えると事を祈ろう。

それと、空海が室戸岬から日の出前の明星を見た所、口に飛び込んできたという話なので、私も見てみたい。


臨時航行許可の船検終了

沖縄までの臨時航行許可をもらうために、法定装備品を揃え船検終了し、予定通り21日大阪湾に降ろせる状況となりました。

これで沖縄までは大手を振って行くことができます。

沖縄に着いてから、再度、出国の勝負することになりますが、今から心配してもしようがない。

まさに乗りかかった船、何としても目的地まで行きます。

久しぶりの、日本領海の航行で少しワクワクしている。

嵐に会えば、ヒーヒー言うのだが。。。


陸送積込み終了

午後1時、クレーンがやってきて、マストを降ろし、ハードドジャーも降ろし、陸送の為、ギリギリのデッキの高さまで障害物を外す。

午後2時、浜寺ボートから陸送車が到着。

船体を釣り上げ、トラックに乗せ次にマストを横に乗せる。

船底塗料は、残り物やら友人の寄付なので、紺色が少しまだらになっているが、これも愛嬌である。

これで、明日10時浜寺ボートでマストを立てハードドジャーを乗せて、午後4時ごろにはケンチョピアに向け出港予定である。

後の細かい所は、航行しながら直していかないと今は分らない。

ケンチョピアまで、Nさんが同乗希望で、陸側からはこちらのヨットクラブの人が2名ほど車で行き、顔を出すからとの伝言である。

沢山の方が来られてパーテイ好きの私は、こんな嬉しいことはない。

  


この船の弱点

陸送するのに、船台に揚げこの船の弱点を考えたので、今回の航海に際してしっかりと注意しなければならない点をもう一度確認しておこう。

キールの形状が前後からみると底にバラストウエイト(約1トン)が集まった滴状になっていて、船体との付け根が薄く僅かな幅でしか、繋がっていない(ドラフト1.5mをカバーする為か)。


そして船体はお椀状なので、過度のヒールした時は船腹を支点にキールの先端部分に力が加わり、付け根に非常に負荷がかかり、キール取り付け部分からひび割れ、あるいは破損という可能性が大きい。

次にマストの高さが約11m弱に対して、ステイワイヤーが6mm位の為、強風に無理にマストに負荷をかけるのは危険なようである(この点はインナージブを主に使用を考えているので一応対策はできたと思う)。

以上の事から、この船はセールは常に小さめに、ヒールはできるだけ避けるという航法を優先し、風に逆らったりスピード重視は決してしないようにしよう。

天気の良い時を選び、目的地は風任せとする以外にないが、8月は南西風或いは西風が多く黒潮には逆らって航行する事だろう。

目的地台湾への進行方向と同じという所が、今回の航海は精神的忍耐が必要になる。

8月21日 浜寺ボートから出港

午前10時 マストを立てる為に準備開始。

16時 浜寺ボートを出港し、風速20ノット少し荒れ気味の為、インナージブとメインセールを2ポイントでアップ。

同時にオートパイロットのテストをするが、強風では梶きりのタイミングが遅れる為横波をうけるので、ラットを握る。

約3時間強風と雨が激しいが、その後雨も上がり風も収まって順調にケンチョピアをめざす。

一寸早く着きすぎたので、ケンチョピアの前で1時間程時間をつぶして、5時前に入り口に部位に向かう。

ケンチョピアゲストバースに着岸するのに、エンジン回転数を落とし、スターンにギアを入れ替えようとしてエンジンストップし、あわてて降りて船を止める始末である。

この船は回転数と落とすとエンジンがそのままストップするので、アイドリング位置を、音と体で覚えなければならない。


8月22日 琵琶湖のヨット仲間が来る

朝は市内に中島さんと出て、うどん定食を食べに行く。

四国のうどんは太くてこしがあってうまい。

昼ごろ、サブちゃんがきてくれて、前のハッチの水漏れを修理してくれる。

久保さんは、カタマランの見学のついでに様子見に来てくれて、ブランデーを置いて行ってくれる。

鍵さん、池田さんがビールとミネラルウオーターを持ってきてくれる。

徳島に住んでいるオザ坊さんが、来て夕方阿波オドリ(地鳥料理を差し入れてくれるので、皆さんで早速頂ながらおしゃべりをする。

皆さんに色々頂きながら何もお返しするものもない。


洗濯干場のTOSA

8月23日

オザ坊さんが、声をかけてヨット仲間(海遊人さん、りょうちゃん、エルミタージュさん、ステランさんとクルー2人)が集まり、夜に徳島駅の近くで宴会となる。

初めて顔を合わせた人が殆どなのに、昔から知り合いのようである。

10月には関東地方のヨットマンも集まり大宴会を計画中らしいが、参加できないのが残念である。

皆さん、ペナン襲撃しついでにクルージンとB級グルメツアーをオザ坊さんが計画中との事。

クルージングをするなら、最低2週間は取とらないと、ペナンーランカウイープーケットは周れないだろう。


8月24日

エルミタージュさんが船に泊まったので、朝はうどんを食べに行き、9時頃に戻る。

ケンチョピアにいれば環境が良すぎて動きたくなくなるので取りあえず出港することにした。

天候は怪しいが、長い航海なので良い時も悪い時もあるだろう。

18時、入港候補地の日和佐が前に見えているが、距離を稼ぎたいのでそのまま通り過ぎて室戸岬をめざす。

25日、午前3時に室戸岬燈台を右手に見ながら超える。

空海が修行をし宵の明星が口に飛び込んできたそうだが、私の場合は雨だけであった。

ここから、候補地は高知港と土佐清水港だが、迷ったが高知に行ってみたいので梶を切る。

13時入港するが、ケンチョピアの様にゲストバースなどないので、遊帆(UFO)流岸壁係留にする。

遊帆(UFO)には、格好のよいヨット用フェンダーではなく、発砲スチロールの大きなドラム状のフェンダーを2個積んでいたので、本線岸壁でも、漁港でも大丈夫だったがTOSAはヨット用フェンダーだけである。

OpenCPNで潮位表をチェックし、舫ロープを斜め遠くに取る事と、左右斜めの舫の長さを同じにして、フェンダーを支点にしても、バウ(船首)とスターン(船尾)が岸壁に当たらないようにする。

雨がしとしと降るので、市内に出るのはあきらめ初めての自炊にした。

石釜で米を炊きサバ缶と海遊人さんに頂いた讃岐名物しょうゆ豆をオカズに昼飯とし、食後は睡眠をとる。

TOSAの舵を3回とったが、やっと手のうちに入りつつある。

プロペラシャフトからの水漏れは締めこんでみたが駄目で、グランドパッキンの交換が必要である。

8月26日

TOSAの船名がついたこの御婆ちゃん船、土佐の思い入れと縁があったのであろう、それ故高知へ寄港した。

船も納得し、喜んでいるようにも見える。

彼女の言い分を聞きながら、修理をしたり変更したりして、婆ちゃん船にすっかり良いように使われながら私は只乗せてもらっているようである。

私は土佐見学に自転車で出かける。

40分程漕ぐとはりまや橋にでたので、アベック二人の写真を撮ってあげたので、替わりに私も坊主頭で撮ってもらう。

  ・恋の架け橋 あなたにかけりゃ 海の果てより 遥か先 



次は高知城見学だが、階段がきつい。

天守閣は以外と狭いが見晴らしは良い。

山之内一豊になった気分で高知市内を見下ろす。



坂本龍馬が育った土佐だが、今は町おこしに活躍していて、どこでも何でも坂本龍馬が顔をだす。

駅前ではよさこい応援隊が踊りを披露していた。



又自転車を漕いで帰るが、食糧を買い込み船に戻り午後4時出港。

行先は未定で、食糧と天候次第ということにした。

夜8時満天の星、舳先で波を切ると夜光虫が光る。

こういう時は風がなくうねりだけである。

エンジンの回転をスローにして、セールに風を受けるようにスピードを調節する。


8月27日

夜明けに足摺岬沖7マイル付近に到着するが、うねりが4mほどあり、波頭が白く崩れている。

TOSA婆ちゃん船は、横波を受けると尻を大きく持っていかれて危ない状態になる。

早めに舵を切らないとコースと態勢が維持できない。

尻軽婆ちゃんなのだろうか。

頭が重く尻が軽いので、アンカーチェーン等後ろに移動する事にした。

このまま、九州を目指そうと思ったがこの波ではオートパイロットが使えない為、舵をズーッと持たなくてはならないが、それにしては、眠たすぎるので、土佐清水港に入港する。

着岸して即1時間程眠った。

街へ自転車で出かけると、こじんまりとして、お風呂屋さんが2軒もある私の好きなタイプの街である。

2時間位風呂屋さんで時間をつぶした。

さて、台風情報は断片的にしか入ってこない。

明日、外海のうねり次第であるが、台風を避けるとすると1週間位はここを動けなくなるかもしれない。


8月28日

コンビニで新聞を買って天気図をみると、2つの台風が発生しているので、暫くここに避港する事にした。

土佐清水は天然の良港で海の透明度もよく、かつおと鯖が旨そうである。

鰹のたたきは高知で食べたが、臭みが少しもなくおいしかった。

町で一番大きなスーパーで土佐清水鯖の刺身を買って帰り船で食べる事にしたが、生き締め刺身のように身がコリコリということはなかった。


8月29日

台風11号は中国方面へ、台風12号は東日本方面に向かいそうだが、係留している港内にもうねりが少し入ってきている。

今日のTOSA婆ちゃんからの指示は、ハリヤードがマストステップに絡むのを何とかしろとの事である。

マストステップは便利なようだが、実際の所ハリヤードが絡んでシングルハンドではトラブルの元である。

航海中にマストにトラブルが起こったとしても、登っていける状態ではない。

結局はハーバーでマストに上がるということであれば、ブロックをいくつも使って自分の力で上がる方法の方が実用的かもしれない。

とはいえ、今はあるのでステップの端にタコ糸を張る事にした。

土佐清水にも図書館があり。インターネット接続ができるようなので、受付のお嬢さんに訊く。

「土佐清水に住んでいらっしゃる方、又はお仕事で来られている方、又は前の病院に長期入院されている方だけ利用可能です。」

「それじゃ、私のような者は利用できないんですか?」

「はい、申し訳ありません。」

と、後は何を言っても、申し訳ないだけである。

公共の図書館でも利用者制限あるとは、公共とは言えないのではないか。

日本は一体どうなっているんだろう。

マレーシア、韓国、台湾では、ファーストフード店などではフリーでインターネットにつながることを思えば、これに関していえば、日本は随分と遅れているというのが私の感じである。

魚は美味しく、風呂屋はあり言うことないのだが、インターネットに繋がらないのは困りものだ。


8月30日

コンビニで新聞を買って天気図をみると、台風11号は中国地方へ行き影響ないが、12号が小笠原諸島付近でゆっくり進んでいるようだ。

9月中に台湾に到着位で良いので、12号が通り過ぎるまで腰を落ち着けることにした。

バッテリーNO.1が弱っているらしく、インバーターを使うと警報音がなる。

その為、船内では本を読むのもLEDヘッドライトだけ使用している。

水も出来るだけ使わないように、食器洗いは、まずキッチンペーパーで綺麗に拭き取りそのあと洗うと随分水の使用量が減る。

風呂屋さんの横にコインランドリーを見つけたので洗濯も手洗いしなくてよいので楽になった。

洗濯に簡単なのはTシャツ(ニット系)より、ワイシャツ(織物系)であり、日よけ防止と夜間の寒さ防止用に長袖が私のスタイルである。

自転車で10分漕いで、ジョン万次郎資料館へ。

彼の伝記は本で読んだことがあるが、鳥島に漂流しながらも諦めない、前向きな精神をもちアメリカで学業を修め、動乱の日本に帰国した初の国際人で、同時代の人々に与えた影響は計り知れない。

ここの館内案内お嬢さんが、お昼ご飯に土佐清水鯖漁師漬け飯が旨いからと薦めてくれる。

刺身とは違って、トロリとした味で美味であった。

  


8月31日

天気は良いのに、外海は波浪、高潮、雷注意報が出ている。

今日は、ケンチョピアで四国のヨットマンからの差し入れ、道後焼酎「刻太鼓」を讃岐名物黒川のしょうゆ豆を肴に飲んでいる。

道後焼酎「刻太鼓は香りとまろやかさがよく、しょうゆ豆はそら豆の醤油漬けで、私にはそら豆は子供の頃の味の思い出である。

TOSA婆ちゃん船も、やっと住みやすい環境になってきた。

コンパクトな空間でシングルハンドで航海するには十分な大きさだろう。

何人かの地元の方が話をしに来られ、ちょっと言葉のわからない時が多いが、

「最近はヨットで旅をする人も少なくなったの。」

との事である。

そういえば、沖縄と北海道を渡り鳥の様にクルージングされていた「どんたく号」も、とうとう船を降りるという事を聞いた。

日本のヨットマンも団塊の世代が中心だが、すでに歳も重ねている。

その後の、若い世代は育っているのだろうか。

海という自然を相手に、自己責任で各地をクルージングするという面白さは是非知ってもらいたい。

旅をするならパック旅行で旅行社任せ、旅行社責任でピンポイントで観光をするというのも、ひとつの方法だが、全て自分で危険も承知の上で旅をするというのも、本来の旅のスタイルではないだろうか。


9月1日

台風12号は最も西寄りにコースをとると、この辺りは直撃されるが、風向きは東から北に変わっているので多分東側をぬけるのではないだろうか。

情報はNHKラジオ放送を聞いているのだが、今日からインターネットラジオ放送が始まったとの事。

海外で日本のリアルタイム情報を知ろうと思うとこのインターネットラジオは有難いが、こんな簡単な事が日本はやっと始まった所である。

世界各国では、リアルタイムのラジオ情報は発信されているが、日本は海外向け情報発信は全く考えていないようである。

明日が台風の最接近となるだろう。

ここ土佐清水で1週間係留していたので、次は鹿児島志布志湾まで直行する予定である。


9月2日

今は東の風なのでまだ四国沖位、この風が西に変わると上陸した事になるだろうが、台風中心の西側になるように願う。

港内は波が入らないので有難い。

本を読んで10分もすると眠たくなって、眠ると1時間もしないで目が覚めるという繰り返しである。

クルージングでは、この眠り方の方が良いかもしれない。

今日は、雨の為風呂屋さんには行けない。


9月3日

午前6時 気圧計は975mbを示していて、上空は雲がないので台風の中心の左隅あたりかもしれない。

風向きも西に変わり山場は越したようであるが、外海が収まるのは2日位後かもしれない。

同じく避港してきた漁船のお兄ちゃんと話をしていると、魚をとるのではなく宝石珊瑚をとるのだという。

海底に網を降ろし底引きで珊瑚をとるとの事、黒潮の影響で珊瑚も発生しているのだろう。

TOSAのハードドジャーが強風で飛ばされる心配があり、ロープでウインチをかけ縛っておいたが、意外に強度はある。

という事で幸運にも台風の左側であった為か、被害は無である。

何人かの地元漁師さんとも、顔見知りになっているので、車で来ては、

「未だ外海は大波だぞ!」

と、声を掛けて行ってくれる。

西の空は雲が厚くどす黒い夕焼けである。


9月4日

外海は未だ波浪注意報がでているようだ。

明日の未明に出港し、志布志湾を目指そうと思う。

朝9時、防災隊員が2名船に来て、場所を移動してくれとの事。

理由はヘリコプターが降りてきて砂がかかるだの、消火訓練で水がかかるのだという事をいうので、へそ曲がりの私は砂がかかろうと、水がかかろうと文句は言いませんので、ここに係留しますと返事。

というのも、他の場所では潮位が下がると、階段がない為船に乗り降りできないのである。

二人は諦めて帰って行った。

さてその防災訓練だが、小さな町にこんなに消防車があるのかと思うほど集まっているし、隊員も沢山いるのには驚いた。

土佐清水の町は漁業だけの様で、これといった工場もないので、若者の職場確保の意味もあるのかも知れない。

 


9月5日

朝、知り合いになった若い漁師さんが外海の情報を持ってきてくれる。

土佐清水の南方20マイル付近に観測塔のブイがあり、日向灘情報が分るという。

北の風15m/秒、波の高さ2m〜3mでうねりがあり天気は良くても未だ荒れている。

風呂屋があり、コインランドリーがあり、スーパー、コンビニ、ホームセンターがありと便利で、魚が旨い好きな街だが、出港する事にした。

オニイチャン漁師さんとも握手して別れ、南へ向かう。

外海に出るとエンジンを切り帆走すると7ノットで走るが、オートパイロットが不調で、舵を持っていないと直ぐに向きを変え危険な状態になる。

これでオーバーナイトするのは、辛いがトライしてみるか、という事で南進する。

尻を追波で振られて、船内は物が飛びまわっている。

しかし、舵(ラット)を離す事も出来ないのでそのままで、水とそのまま食べられる弁当とスナック類だけ取りに行けるだけである。

リウマチか痛風か分らないが手の節々が痛いのに、長くラットを握っていると腫れてきた。

こうなれば、足で回しながら行くしかない。

さすがに、深夜になると眠たいので、進行方向は無視し、風に向かって上るとスピードが落ち進行角度が落ちるようにセールの出し方を考えて、舵を固定し、10分程度睡眠をとり、又調節するという、中々ハードな一夜を過ごす。

9月6日

夜明けになると短い睡眠の繰り返しだが、琵琶湖の友人Kさんの差し入れヘネシーブランデーを二口ほど飲み体を温めると一応元気も出てきたので、進行方向をきっちりと合わせて、油津港か志布志港を目指し、今日中に入港出来る方にする。

ヨットマンはラムかブランデーが氷も要らないし、雨に当たって寒い時等体を温める酒が良いようだ。

前方に九州山並みが見えてきたが、次第に風が落ちて波とうねりだけが残る嬉しくない状態になり、午前10時エンジン始動し、機帆走にする。

午後2時、風は落ちて8馬力のエンジン頼りの機走だけとなるが、進行方向に目的地の山並みが見えるが近づかない。

午後6時半、油津港にやっと入港する。

取りあえず船内の掃除をしないと、寝る事も出来ない。

マグロ漁船で働いているインドネシアのオニイチャンがきて、漁業組合の風呂があり案内してくれるというが、場所だけ聞いて後で行く事にする。

向かいの岸壁にシングルハンドでケッチパイロットハウスヨットに乗ったKさんも話しかけてきて、宮崎の地鶏を食べに行こうと誘ってくれるが、掃除が終ってから行くという事で場所を聞く。

ひっくり返った物とビルジが混じった嫌な匂いを掻い出し、寝る所を確保し、Kさんに聞いた焼き鳥屋へ行くと、町は焼き鳥屋だらけで、物忘れのプロの私は先程聞いた店の名前が出てこないので、適当に店(黒ちゃん)に入る。

2日間、ロクなものを食べていなかったが、宮崎の地鶏と生ビールが実にうまい。

仕上げに鮭茶漬けを食べ、幸せな気分で船に帰り眠りにつく。


9月7日

オートパイロットを京都の中島さんに送り、修理を依頼し、船内の食器と洗濯に2時間程かけて、やっと、元の状態に戻った。

カタマランと違って物の収納を飛ばないようにネットでカバーもするようにしなければならない。

油津の町まで自転車で見学に行くのに、運河を超える途中に飫肥杉で作った和船が2隻係留してある。

スーパーマルショクという所を見学すると、アジの握り寿司が旨そうなので1パック買って、レジのオバサンに、どこか食べる所がないか訊くと、運河の傍に公園があるとの事。

行ってみると運河に「夢見橋」という、飫肥杉を曲げ釘を使わない工法で造った素晴らしい橋があり、そこで食べる。

飫肥杉は、粘りがあり曲げる事が出来て強度もあるので、昔から和船に使われていた。

食後はカンポの宿の温泉に行く。

入浴料500円で、館内は広々として、人も少なく2時間程、サウナ、水風呂、露天風呂と入り航海の疲れをとる。

温泉があれば、私にはここは素晴らしい港なのだ。

自転車で帰り道、偶然に和歌山から2カ月位かけ、九州をクルージングし、油津の同じ港で係留しているKさんに、又ばったりと出会う。

こんなに上手く出会うのも縁ある人であろうと思い、御一緒に夕食を焼き鳥屋さんに行き大いに飲み楽しい時を過ごした。

  
 夢見橋                 飫肥杉                 カンポの宿


9月8日

朝9時自転車でスタート、飫肥の町まで漕いでいく。

川を渡ると飫肥の商人町と飫肥城大手門にでるが、街並みは昔の家を保存し、電信棒を無くしているので、本当に江戸時代にタイムスリップしたような感覚になる。

案内所で親切なお嬢さんが、1000円で入場券に食べ歩き券5枚付きのパスポートがありこれがお得との事。

すぐ横に四半的射場があり、300円で10本の矢を半弓で狙うのだが、2本が的に当たりオバサンが太鼓を鳴らしてくれる。

帰りに飫肥城内四半的射場の名誉初段認定書の手形をくれる。

  

大手門をはいると石積みが関西で見慣れている自然石を積むアノウ積みではなく、きれいに切ってある。

天守閣はないのだが、松尾の丸、歴史資料館、小村寿太郎記念館、商人の家等見て歩き、姫アイス、厚焼き卵、コーヒー等を食べ歩く。

昔のお殿様奥方様は6畳の間位で質素な生活をしていたようで、和式便所と蒸し風呂が大変興味深かった。

  

昼は「冷やし汁」を注文するが、味噌汁を冷やしたものをご飯にかけて食べるというもので、私の得意料理と同じだ。

どこに入っても地元の人はあたたかく受け入れてくれて、気持のよいこじんまりとした町で気にいった。

浮世絵師歌川広重が油津の絵を描いているが、本当にここまで来たとは思えないが、江戸時代から天然の良港で飫肥杉の積み出し港として栄えたという事であろう。

帰りは、途中カンポの宿で温泉に入り帰ってきた。




9月9日

舵(ラット)を回すのに重くて手に豆ができたので、ワイヤーとブロックを点検していく。

グリスが硬化して餅のようで抵抗になりブロックにも引っかかって重いので掃除し潤滑油を塗って行く。

汗をかいていると岸壁で海上保安庁の職員3名が臨時航行許可検査証と免許証を見せろという。

「これでは、19日まで沖縄までしか行けませんが、1日でも過ぎれば違反になります。」

「君達も分かるように、台風発生が続き動けないのに、その日は考慮されないのか?
それじゃ、航行許可日が迫ったら海上警報が出ようが出港せねばならんね。
同じ条件で1日過ぎて、船の航行に何の変化があって違反になるのかね?」

「私等は法律の事しかできません。」

「どんな法律でも、出来てしまえば、ハイ、それまでね。 奄美海上保安庁にも油津から検査終了の連絡をしといてよ。」

私としては分っているが嫌みの一つも言いたくなるのである。

昨日飫肥で市内観光中、南天箸を頂き、岡本商店の旦那さんと楽しく話をする事があったのだが、今日は御夫婦で船を見に来られた。

鰹の生節を手土産に頂く。

何もお返しできないが出会いにより友人ができるのは嬉しい事である。

午後5時、先程の海上保安庁が又来て、再度臨時航行許可書を見せてくれとのことで、一体何が問題なのかと、問うと携帯電話が無いのが問題だという。

私の場合携帯電波が届く範囲を航行するとは限らない。

その為に小型船舶検査協会から装備品を買い足すように言われて揃え、許可をもらったのに何を今更問題があるのか。



9月10日

地元伊勢海老漁師さんの田原さんが北郷温泉に一緒に連れて行ってくれると、後ろに係留中の岡崎34ftのIさん御夫婦から連絡がある。

油津の港から車で20分位、自転車では無理。

天然温泉かけ流し湯で、硫黄泉でヌルヌルして肌がすべすべになる。

漁師の田原さんに伊勢海老の事を訊くと、3匹ほどで5千円で生きたまま翌日配送できるとの事で、家と親戚に送ることにした。

Iさん御夫婦とは、夜に焼き鳥店へいき大いに飲み食べ語った。

一期一会の出会い、それだからこそ悔いないようにヨットマンの友情が芽生えればうれしい。


北郷温泉


9月11日

鹿児島県内之浦へ向かう。

距離は30マイルほど、外海はうねりがあり、波高2m位か、しかし、昨日、ラダーのワイヤーを掃除して軽くなったのに、又、急に大変重くなってきた。

ワイヤーに掛かっているブロックが回っていないのではないか。

少し回すのにキーキーと音がするが、今は切れないように誤魔化しながら行くしかない。

回らないラットを足でかけ少し回しながら、岸壁に係留した。

修理は明日からで、小学生が5人ほど自転車できたので、電話のある場所と風呂の場所を訊く。

スーパーで冷えたビールをまず1本、次は鹿児島のヨットマンOldboyさんに電話連絡を取り、風呂屋を探すと温泉で大きな施設で、しかも、朝6時から午後10時までやっていて、休憩所があり、テレビがあり、しかも300円と格安であった。

夜に、Oldboyさん御夫妻で見えられ御一緒に近くで食事をし、ラダーの固着の原因をあれこれ話し合いをした。

明日から、ラダーの分解である。


9月12日

ラダーに抵抗がかかる原因は、ワイヤーとブロックでそれを点検していくと、原因はブロックが回らずワイヤーに抵抗がかかっていると判断した。

ワイヤーにはモリブデングリスをたっぷりと塗り、ブロックの中心にも浸透油とモリブデングリスを差し込めばなおる見通しがついた。

昼にグリスまみれになったので、温泉に入っていると、OldboyさんがT先生と御一緒に修理の為にかけつけて下さり、呼びに来られた。

何とか修理できるめどが立ったのは良いが、臨時航行許可の期限が19日までであり、再度延長したらどうかと思っていたら、臨時航行は1年に一度しか許可しないとの事。

では、沿海許可を受けようと思えば、装備の準備と船を上げて検査が必要で随分と費用がかかる。

結果、必ず19日までに沖縄に到着しないと動けなくなるという結論になった。

この為には、どうしても17日に奄美大島出港出来るようにしなければならないが、台風14号と15号の動きが心配である。

錦江湾に面して建っているTさんの家に行き、夕陽を見ながらビールを飲むと最高気分だ。

夜は、K先生も加わり4人で中華料理を食べながら大いに飲み食いし楽しい時を持ち、Oldboyさんの家に泊めていただく事になった。



9月13日

昨夜は、Oldboyさん御夫妻に大変お世話になった。

船まで送っていただき、沢山差し入れを頂くが、頂くばかりで何のお返しも出来ない。

日にちが無くなったので、準備ができ次第鹿児島内の浦から奄美大島名瀬港まで2日間位、ノンストップで航行予定である。

出港しようと、エンジンスイッチを入れると、ウンともスンとも言わない。

2つのバッテリーを点検すると、No.2バッテリーを置いてある所に、荒れた海を航行した為、清水タンクの蓋から吹きこぼれて水が使っている。

アイソレートとかその他スイッチ類も水に浸かって電圧も下がっている。

水を掻い出していると、Oldboy御夫婦が昼飯の差し入れに戻ってきて下さり修理を手伝ってくれて、エンジンは掛かるようになった。

次は、ラットを分解し蓋をあけたのでそれを元通りに直していると、今度は志布志海上保安庁から2名職員がやってくる。

「台風15号が沖縄方面に向かい、奄美大島付近はうねり4mで警戒警報が出ていますから、出港しないでください。」

との事。

「臨時航行許可期限が19日に迫り、1日でも過ぎれば違反で罰金、しかも、臨時航行許可は1年に1回の許可だけというじゃないか。

これなら、どんなに荒れようが出港するしかないだろう。

こんな法律では、役所の都合のよいように作り、国民を守る為になっていると君達は思うかね?」

「鹿児島の小型船舶協会に電話して、海上保安庁から相談するように言われたと言ってください。」

と言いながら、電話番号と自分たちにも連絡するように電話番号等パンフレットを置いて帰る。

どうやら、事前に小型船舶協会と特別処置を相談していたらしい。

公衆電話に行き電話すると、

「滋賀県の小型船舶協会に連絡を取りましたので、鹿児島で臨時航行許可申請書と変更手続き申請書と郵便局で手数料1万円程振込済みの証明書を送っていただければ、検査はせず再度臨時航行許可書を発行します。」

との事。

今回は台風12号から15号まで、殆ど避港ばかりで、航行している時間は1カ月には全然ならない。

勝手に有効期間を決め、切れると再度金を取って許可、許可を取らなければ違反罰金とは、恐喝と同じである。

何故同じ許可を延長するのに2重に手数料を取る必要があるのか、全く権力を嵩に言いたい放題取り放題ではないか。

こんな勝手な法律に縛られ、親切顔をしながら、違反事項がないか訊きとり調査をし、少しでも違反事項があれば、違反罰金だと恐喝し、国民を飯の種にする役人とその下請け天下り団体等、何故必要なのか。

そのうちに、自転車でもバイクでも走行区域制限をつくり、それ以上走行したい場合は臨時走行許可をお金を出して許可という時代が来ないとは限らない。


9月14日

幾ら文句を言おうが一度できた法律に逆らうと違反罰金なので、手数料の2度取られだが臨時航行許可を再度取るしかない。

そうなると、今週末3日間は休日との事で、結局来週まで動けない。

何故、役所の都合に振り回されなければならないのか。

自由な海を色々と制限を加え、役所の海の様に管理しようとする日本領海には全く嫌になる。

近くのかなえの湯へいき、ゆっくりと温泉に入り、休憩室に行くと、お年寄り4組の御夫婦団体が休息し、焼酎を飲んでいる。

色々話をしていると、焼酎は飲め、栗と高菜の漬物は食べろと皆さん親切にしてくれる。

私も結構焼酎を頂きいい気分になった。

この団体さんは鹿児島志布志方面から来られたとの事で、こちらの人々は何て人情があついのだろうか。

内の浦は小さな町だが、スーパーがあり、コインランドリーあり、温泉有り、、なによりもインターネット接続が、温泉と同じ施設の国民宿舎で繋がり、私には住みやすい所となった。

ここ内の浦はロケット発射台があり、大きなアンテナが2台山頂に立っているが、種子島に移設した今は観光客も来なくなりすっかり寂れた感じではあるが、私は静かなこじんまりとした人情の篤いこの町がすっかり気に入っている。

ロケット発射台建設時に国から補助があったのか、立派なアリーナと武道館、多目的ホール等建てられているが、あまり利用されている様子はない。

昔なら、ここは四方を山で囲まれ海からしか来れないような隔離された所だったようで、町の中心部の鹿屋に行くのに、山越えしか道が無かったのを、今はトンネルが通っているが、それでも車で1時間はかかる。

Oldboyさんに鹿屋の航空自衛隊記念館に連れて行ったもらったのだが、ここは零戦特攻隊基地で、若い兵士の国を思い、父母を思い、恋人を思う手紙が展示されている。

そういえば、油津は回天特攻隊基地があった。

団塊の世代の私は、全く戦争を知らないが、人を殺す事も殺される事もない平和な時代に生まれた幸運に感謝するだけである。

余談だが、特攻隊記念館のトイレに下記の様な張り紙があった。

「一歩前進 捧げ筒 君のはそんなに長くない」


9月15日

風は強くなり、空はヒューヒューと鳴っている。

しかし雨ではない。

ここ内の浦(かなえの湯の国民宿舎ロビー)ではインターネット接続出来るので、台風情報も取る事ができる。

朝から温泉に入り、エアコンの効いた休憩室でテレビを見て、朝寝、昼寝をする。

夕方帰ると、風が一層強くなり、港湾内にも波が立っている。

若い漁師さんが来て、ここは、風がまともに吹き岸壁にあてられるから、漁業組合の所に移動した方が良いと、アドバイスしてくれる。

漁業組合の前では、漁船が出入りするので、横の槍付漁船に横抱きさせてもらって良いかと聞くと、問題ないとの事。

前の舫を伸ばし、頭を風のくる南にして横抱きして貰おうと準備していると、Oldboy御夫妻が絶好のタイミングでこられた。

手伝ってもらって、舫も2重に岸壁からも取り、どこにもあたらないようにして、これで台風が来ても大丈夫だ。

今回の旅も、危なくなるギリギリのタイミングで何故か良い方向に動いている。

13日に奄美に向け出港していたら、今頃大波、強風で船をコントロールできたかどうかわからないが、それを考えると、出港直前に海上保安庁職員の臨時航行許可再発行の話があったのは誠に幸運であったと思う。


9月16日

朝から強い雨が降る。

滋賀県の中島さんから、メールで鹿児島小型船舶協会で船検手帳が必要との事、車でここまで来るという。

どちらにしても明日から3日間は休日だから、ここ内の浦から郵送で十分だと言っても、本人は来るとの事で大変ご苦労な事である。

それにしても、小型船舶協会も自分勝手で初めから必要な書類言っておけば無駄な手間をかけなくて済んだのである。

温泉に入って外の庭を見ていると、クロアゲハ蝶が枝の間をスイスイと抜けていく。

長い間、さなぎで蝶になっても誰から教えられたのでなく、自分で飛ぶ方法を知っている不思議に思わず、凄い事だなと感心する。


9月17日

相変わらず天気は悪い。

どうやら、台風15号16号と発生し、沖縄辺りで居座って私を待ち構えているらしい。

ここ内の浦に避港して、はや1週間になると、生活のリズムかできて、過ごしやすい。

朝6時半、運動を兼ねて少し離れたIショップへ焼きたてパンとミルクを自転車で買いに行き、帰りに国民宿舎かなえの湯で1日入浴券(500円)を買い、トイレを使い、朝1回目の温泉後、ニュースをテレビで見る。

船に帰り本読みで昼ごろになると、お昼ご飯を作って食べ、コインランドリーへいき、かなえの湯で1時間程風呂に入り、休憩所でインターネットをつなぎ、テレビを見ながら昼寝をし、5時頃Aコープで夜のおかずを買い、船に戻ると飯を炊き、缶ビール1ハイと、焼酎のオンザロックで夕食。

夕食後は電子本を読みながら夜8時には寝るというパターンの繰り返しである。

この年になって感じるのは、人恋しさがあるのに、自分だけの誰にも干渉されない生活空間が無ければ息苦しいと思う事である。

これは、年老いて自分の残り時間の少なさを感じる為故だろうか。

その為に相手には失礼だが、自分勝手な行動をとる事が多いのである。

今は自分の時間というのが何よりも一番大切に思うのである。


9月18日

朝6時、花火が何発か揚がる。

後で聞いたところ、中学校の運動会を知らせる花火だったらしい。

今日もかなえの湯で1番風呂、いつもの会う風呂友のオジイサンとここの温泉話に花が咲く。

オジイサンは家族と別れて今はこの近く(故郷)に帰って独り住まいらしく、私に遊びに来いという。

昼前、一旦船に戻り昼飯、再度、かなえの湯へ。

中島さんからメールが入り、今は都城辺りを走行中との事。

本当にご苦労さんな事で、何とかして内の浦から指宿位まで船に乗ってもらおうと考えている。

彼も私と同じように、船という悪女に魅入られた男になるようだ。

9月19日

台風15号は未だ奄美大島の南東に居座っている。

中島さんに、この船の問題点と修理必要箇所を話し、今後の彼の希望を訊く。

彼は1級船舶免許ではないので、私が沖縄までこの船を持っていったら、免許をを取り直して沖縄付近を暫く航行し、以後、台湾、フイリッピン、マレーシアとクルージングを楽しみながら行くのもよいという。

その為に、宜野湾マリーナで再度上架し手直し、限定沿海航行許可をとるという。

それもクルージングを楽しむ方法だろう。

折角、遠路遥々九州まで車で来たので、ここ内の浦から指宿まで(約60マイル)でも航海を楽しんでもらいたい。

この範囲なら沿岸航行になるので、今の免許で問題ないのである。

そして私が彼の車を運転し、指宿へ行くという事にし、昼前に車で鹿屋へ、ここで昼飯(黒豚入りうどんとおはぎ)を食べる。

錦江湾側にでて、高須港でOldboyさんの伊呂波丸(TOSAと同じ船種Yamaha29)を見学、船首の沈み込みもなくTOSAより、バランスが良さそうである。

TOSAもスタボー側の水タンクから、水が噴きこぼれるし、バランスが悪いので水を抜く法が良い。

錦江湾を南に下がり、根占港に行き、指宿行きのフエリーの時刻表を貰う。

23日頃、中島さんに内の浦から指宿まで回航して貰い、私は彼の車を運転しフエリーで指宿で待つという事にした。


9月20日

鹿児島県南栄町にある小型船舶協会に臨時航行許可書を貰いに行くというので、鹿児島観光を兼ね車で出発。

垂水港からフェリーに乗り半時間、鹿児島鴨池港に到着。

南に下がり小型船舶協会へ。

臨時航行許可書は10月20日までとなったが、許可書貰った後は嫌みの一つも言わなければ気が済まない。

又、壁のポスターに2級免許で日本1周ができるような事が書いてあるので、職員に質問するか、要領を得ない。

「結局、2級免許で沖縄まで行けるのかどうか?」

「こちらでは免許の事は、よく分かりませんので運輸局に聞いてください。」

と逃げ口上で終わった。

中島さんは、沖縄でTOSAを暫く係留し、付近をクルージングし、沖縄と滋賀県を飛行機で行ったり来たりしたいとの事。

そうすると、沖縄で限定沿海航行許可位は再度取らなければならないし、彼も1級免許を取り直すとの事。

彼がその積りであれば、今回の回航は沖縄まで、私は台湾か香港経由ペナンに飛行機で戻るという事になった。

台風も通過したので、ペナンは10月5日頃となりそうである。

鹿児島市内見学だが、おぼろげながらに天文館という名前を覚えていたので、そちらに向かって車で通過しながら見学し、帰りは桜島の山裾の対岸までのフェリーに乗ってみる。

降りたところが、足湯公園となっていて本当の温泉かけ流しで流れている。

台風の為小雨が降って、誰もいないので足湯を全身湯に変更し錦江湾、鹿児島市を見ながらの露天風呂に大満足であった。

鹿屋まで行き、夜はOldboyさん宅で焼き肉パーテイでまたまた大変お世話になってしまった。

台風の為、1週間程鹿児島にいる間にすっかり太ってしまった。

Oldboyさんへの仕返しはペナンでしかできないようである。

    

足湯公園                  足湯露天風呂風           山頂が見えない桜島


9月21日

天気も良くなってきたので、明日の出港に向け整備を始める。

今できる問題点で修理できるのは3箇所。

1.オートパイロット

  これは中島さんが修理をしてきたのでセットする。

2.前後ステイの緩み。

  ファーラーの中のターンバックルを締める。

3.水漏れの原因を調べ修理。

  まずは清水タンクから船がヒールすると噴き出すので全て抜く。

  水がビルジに溜まる原因は、スタンチューブ、冷却水系統、シャフト支えかキールボルト。

  スタンチューブは見てわかるので明らかだが、エンジンをかけた時の水の量が多い。

  冷却水系統だとエンジンを回した時に起こるのでこの可能性が大きい。

  一番問題点はプロペラシャフトの支え、キールボルトからの水が入る。(それにしては量が多いので可能性は低い)

夕方まで掛かって、最後のかなえの湯へいき、明日に備える。


9月22日

私は朝4時半起きて、飯を炊き朝と昼の食事を準備をし、中島さんを夜明け前5時半に起こす。

キャビン内の物が飛びそうなものは箱に入れて固定する。

出港は出来るだけ朝早く余裕を持って走らないと、目的地到着入港を暗くなる前にしたいと焦って速く走らそうと無理をする事になる。

彼のパソコンにOpenCPNはインストールしているが、GPSを旅レコというレシーバーでないのを準備してきているので、私の使っているGPSレシーバー(Gosget)をセットするが、ドライバーのインストールが必要なのかGPSを認識しないようである。

もう一つGarminのハンデイGPSを用意しているようで、それをセットするのに手間取った。

結局、6時半出港。

港の防波堤から、岬を超えるまで見て、私は彼の車で根占港へ最も海側の道を選んで海象をチェックしながら行く。

外海は波もなく穏やかで天気も良い。

11時発の根占港出港フェリーに乗るのに時間があるので、昼飯にする。

フェリーは30分程で指宿の少し南の山川港へ到着。

私は携帯電話を持っていないので、公衆電話を探すが最近は公衆電話のある所が少なくなり、見つけるのが苦労だ。

中島さんに電話をすると、オートパイロットは動かないが佐田岬少し手前で予定より早く着きそうだとの事。

2度目に電話をすると、インナーステイを破損、キャビン内は物が散らかり、少しまいっているようだ。

この状態ではこれ以上航行不能と判断し、数日前に鹿児島の南で見たボートヤードへ向かう。

鹿児島小型船舶協会の横にKMSというヨットを上架できる所の社長さんに面会し、事情を話して料金を訊く。

再度指宿に向かい、時間があるので弥次ャ湯(270円)という、木造の昔ながらの温泉に入る。

この温泉は硫黄泉で風呂の底から湧き出していて底には板を沈めている。

45度程ありかけ湯しかできないが、中々良い温泉で、横に自炊できる宿もあるらしい。

  
弥次ャ湯表               風呂場                二階

午後6時、指宿港に到着、船内のビルジを掻い出し、物を整理し、中島さんも風呂に入りたいとの事で、風呂屋を探す。

彼は熱い風呂は入れないので彼の車のGPSで温泉を検索すると、鰻の湯というのが出てきたのでそこに決定。

山の中にある区営温泉(200円)で西郷さんも来た事があるとの事。

ここも42度程あり、私は湯に浸かったが、中島さんには熱すぎるようであった。

今夜が今回航海最後の夜となりそうなので、ヨットマンからの情報により、指宿駅前の「青葉」という料理屋で薩摩セットと焼酎(利衛門2合)を注文する。


インナーバックステイアイ破損

9月23日

中島さんは今後のTOSAをどうするか、迷っている。

11月完全に退職すれば、TOSAを限定沿海航行許可(鹿児島錦江湾内と枕崎〜内の浦〜屋久島間航行可能)で乗り、海に慣れる事にするという。

山川港と今回係留依頼するKMSマリーナに車で見学に行く。

中島さんが、ずっとTOSAに乗っているなら1カ月係留していてもよいが、離れるとなると問題発生した時に困るので、KMSマリーナに係留費を出して預ける事に決める事にしたらしい。

指宿の砂湯(砂楽)で、海岸の砂浜に埋まって温泉に入りながらうつらうつらする。

  
砂楽温泉                 砂湯


9月24日

午前7時インナーバックステイアイ破損の為、中島さんが機走で指宿から20マイル北のKMSマリーナに向かい、私は心の湯でゆっくりし、指宿道の駅でお土産にさつま揚げ、利衛門焼酎等買い、KMSマリーナへ。

セールを全て外し、船内ビルジをくみ出し、TOSAを降りる。

午後5時、中島さんの車に荷物を積み込み帰路につく。

約12時間、高速道路を交代で運転し、25日朝9時に家に戻り今回の回航は終わる。


今回の回航まとめ

8月

21日 浜寺ボートーケンチョピア 60マイル 14時間

24日 ケンチョピアー高知港  120マイル  27時間

26日 高知港ー土佐清水港  70マイル   22時間

9月

5日  土佐清水港ー油津港  120マイル  32時間

11日 油津港ー内の浦港    30マイル  10時間  

22日 内の浦ー指宿港      60マイル  12時間


結局、大阪から鹿児島県南端まで距離460マイル航海120時間となった。

約1カ月のうち、台風待ちの時間の方がながったが、お陰で沢山の方ともお会いでき楽しい時間を過ごす事が出来ました。

私は、10月2日頃ジェットスターでペナン遊帆(UFO)まで帰る予定です。
長い間、応援して頂き大変ありがとうございました。







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