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2000年
スモーキーマウンテン号回航記
7月8日 新幹線京都駅で 鍵さんと待ち合わせしていた。
公衆電話をかけていると 偶然に鍵さんがトイレのためにズボンの前を押さえながらあらわれ
”おう おう”が二人の挨拶。
ハーバーで良く見なれているヨレヨレ鍵さんと ちょっと様子が違う。
うすいブルーの背広を着て おまけに派手なネクタイまでしているではないか。
今日は学校の同窓会があってその頃心をときめかした女の子(今では孫がいるらしいが鍵さんの心の中では少女のまま)
に会ってその時の思いを遂げる予定が 木村さんの
”伊東へ はよ 来い” との非情な命令のお陰でパーになったとの事。
19時45分発こだまで熱海まで 3時間程の電車の旅だ。
早速 車内販売のオネエチャンからビールを買うが、鍵さんはオネエチャンに
”また 売りに来てね”とお願いしている。
ビール3本飲んだ所で 熱海で乗り換え伊東へ向かう。
ビールを飲んでいるとどこでも天国になる鍵さんだが おしっこが近くなり、電車の中で体をくねらせ必死でこらえている。
伊東を降りると今回の主役木村さんが迎えにきてくれている。
主役の意味は 彼が廃船寸前(はっきり言ってゴミ)のフォルモサ50ftを買いエンジンを積みデッキをはって伊東から
伊勢まで臨時回航する為の特攻&決死隊の船長だからである。
車で着いた所は伊東港らしいというのも始めてきて辺りは暗く 乗る船さえはっきり見えない。
船で待っていたのは どんな話題も女性の話題に替える才能を持った木原さん 鳥羽で木村さんに引きずりこまれた
水先案内人の南垣内さんの二人だった。
船に乗りこみ今後の相談をしようにも座る所もないので立ったまま作戦会議を開く。
”木村船長 何時間で伊勢まで着くと考えてんねん?”
”10時間や” と 明快シンプル自身ある答
”南垣内さん 夜になっても入港はダイジョウブでっか?”
”明るい方がええな” もっともな御意見。
”港を出るのは 地形を覚えてるか?出る自信あるか?”
”問題ない問題ない問題ない” 一気に3回続けて一語の様に言うのが木村さんの口癖
”台風の影響で波は有るか?”
”全然無い ベターとした海や 問題ない問題ない問題ない”
又しても 船長のわがままでいいかげんな自身ある答に 夜間出港をためらっていた 木原 南垣内さんの
心配は無視されこれっぽちも考慮の対象からはずされる。
”よっしゃ ほな いこか” 私も半ばやけくそで同意し 儀装もエンジンも何のテストもせず 錨をあげにかかるが
昨夜の台風のせいか一本が根がかりして抜けない。
出発から不吉な前兆だが もう”いけいけの勢い”だけがたよりの4人は 自動車回航担当の鍵さんに
今生の分かれの様に必死で手を振りつづける。
9日 午前2時出港、エンジンの回転数を最大に上げると船は10ノット近くでているようだ。
GPSは調子が悪く 拾ってきたコンパスはアルコールが抜けてしまって どれもくるくると独楽のように回り
見ているだけで眼が回りそうで使い物にならない。
月はでていないが 星は出ていて天気は良さそうである。波は2〜3m程で絶好の回航日和である。
大島を左手に見ながら 船は波を受けて大きくローリングとピッチングを始めなかなか止まらない。
バウから波しぶきがデッキにかぶってくる。
10分後 もう木村船長はデッキで気楽にのびている。
時々むくと起きあがりスタンションの無い危険な所でゲロゲロやっている。
デッキは拾ってきたマスト 電信棒 材木 はしご 発砲スチロール フェンダー ビニールシート その他
& 食べ物(これはスーパーで閉店間際に買ってきたものらしく半額シールつき)が山盛りに
縛りもせず そのままで おまけに 燃料は灯油 と デイーゼルオイルの混合で走る為大量のポリカンが
ロープで縛られているだけで ローリングの為その全てが音を立ててデッキ上をごろごろと動く。
船内は これまた拾ってきたものが乱雑においてあり休息する所どころか足の踏み場もない。
船内に暫くいようものなら FRPの削りカスが空中乱舞していて素肌に刺さりチクチクするのである。
午前3時一回目のエンジンストップ。
船酔いでのびている木村船長を叩き起こして エンジンのチェックをさせる。
”あかん 燃料に水が混じってる。拾てきた燃料タンクに水が残っとった。”
約15分漂流 水抜きに木村船長といまや奴隷に格落ちの木原さんが油まみれで修理にかかる。
再度 エンジンスタート 快調に走るが 一時間ほど走るとエンジンストップ 叉 漂流し水抜作業だ。
“下田へ入港して 点検しま〜す。”との木村船長の状況把握していない命令を船酔いのよれよれの声でのたまうが、
”今頃 何いうてんねん。暗い中 知らん港に入港できるか、今更 点検は無いやろ いけいけや”
と全く船長命令を無視し奴隷の反乱が起きる。
石廊崎をまわる頃 夜が明けてきた。
ラダーは油圧で動いているらしいが 舵が回らない。 油圧システムに問題があるが今更修理はできない。
伊勢に到着するまで 少しだけでもまた硬くても回ってくれるのを祈るだけだ。
オイルが抜けてラダーがきかなくなると緊急用ラダーシステムは無くおしまいだ。
外が明るくなって船内を見ると エンジンの下まで水がきている。
拾ってきた家庭洗濯機用ポンプ作動させるが、デッキの高さまで上げられない。
こうなれば人海戦術 奴隷の出番だ。船長は奴隷に持ち場を指示する。
木村船長は一番下でバケツで水汲み、階段の途中で南垣内奴隷が受け取り デッキで木原奴隷が水を撒く。
ところが デッキは水の抜ける所が無く いつも水がデッキの上をゴミと一緒に波を打って行ったり来たりしている。
なんとか 排水するが 奴隷達と 船長は船酔いと疲れでしゃべる元気もないようだ。
”どや もうこの船 浜へ打ち上げよか?” と 最終解決策を胸に秘めて舵をにぎっている私は
船長に内緒で南垣内さんに相談するが、
”まだ ダイジョウブ いけるやろ” と気の良い奴隷達はまだ頑張ってくれるようだ。
こんな作業が計7回ほどで ようやく渥美半島の先端が見え出したのは17時ごろでもう日が暮れそうだ。
何の事は無い せっかく夜間航行してきたのに入港は また暗くなってしまった。
しかし 南垣内水先案内人の的確な航路指示で暗い中 叉真珠筏がいたる所にあるなかを 一度も迷わず着岸できた。
結局 木村船長の計算 10時間は大幅に狂い 20時間掛かった事になる。
それでも 船体以外で唯一購入した中古エンジン200馬力のお陰で無事乗りきることができた。
”木村さん この船 マストはいらんで これだけエンジンで走ったら セールなんか揚げても辛気臭うて走られへんで
マストはデザインでええで そうしたら一人でもジュウブン操船できるやんか”
と馬の耳に進言する。 着岸すると 鍵さんが待っていてくれた。
生きて再会できた喜びをかみしめる暇もなく、鍵さんは 明日 出勤の為に京都へ帰らなければならない。
しかし もう電車は無く 木村さんがまた自動車で送って行く事になり 残りの奴隷達はそのまま放逐だ。
木村船長は 自分の事で文句はいえないが 今回の特攻&決死奴隷隊の皆さんだけでなく船を修理に遠い所を
手伝いに来ていただいた工作奴隷隊の皆様も本当ご苦労様でございました。
いろいろと文句を言いながらも困っている人をほっておけないシーマンシップというか人の良さはみごとなものです。
私は旅館での朝飯時 京都から帰ってきた木村さんに
”友人の気の良さを利用するな そんな事しとったら友達なくすぜ”との苦言を再度 わがまま馬の耳に
唱えておきましたがどうなる事でしょうか?
なお 鳥羽港到着時 木村船長からこの船の船名発表があり ”オアシス号”となりました。
名前に負けない きれいでさわやかな船になることを望みます。
なお仮の船名 ”スモーキーマウンテン号” 命名者 ユキさん。 フィリッピンのゴミの山の意味です。
その他候補名 “お寺の縁の下号” 命名者 福井さん
”亀頭丸” 命名者 木原さん 前の船名亀遊丸から
の中から 今回”スモーキーマウンテン号”を盗用させていただきました。
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