2000年5月

        BCYCクラブフィリッピン観光旅行記

         参加者:田辺夫人 中岡ファミリー 大田夫婦  私〔現地ガイド) 計7人

5月27日 今日京都から 同じヨット仲間(琵琶湖柳ヶ崎ヨットクラブ BCYC)6人のセブ空港到着予定がキャンセルの電話が入る。
       理由はセブ発フィリッピン航空が整備不良で関西空港へ行かなかった為らしい。
       まあ 皆さん 始めての海外旅行というのに珍しい事にでくわされて運がいいのか悪いのか?
       ご一行様は フィリッピン航空会社費用負担なのでワシントンホテルで楽しんでいるようだ。

  28日 午後6時30分 ご一行様は空港からぞろぞろと大きなサムソナイト旅行カバンを持って出てくる。
      ”こんなにスーツケース持って クルージングはでけんで”
      みんな”暑い 暑い”と大汗をかいている。まだ 体が慣れていない為だ。
      バンをチャーターして セブビーチクラブに到着。
      レストランで中岡さんが ”キャー やもり やもり”と大騒ぎ。やもりの出迎えウェルカムサービスを受けたのだ。
      やもりは フィリッピンではポピュラーな奴でゴキブリと同じ位どこでも出てくる。
      ”夜寝てて 顔の上あるかへん?”
      ”やもりは 普通天井にひっついているけど たまに どじなやつは落ってくるんとちゃうかな”

  29日 セブは物価も高く 観光する所もないので ボホールへ向かおうとスーパーキャット(高速船)乗り場に行く。
      とにかく 7人と荷物が6個ほどあり ちょっとした民族大移動でバンでもぎゅうぎゅう詰めだ。
      セブから 一時間半のスーパーキャットの船旅で ボホール島 Tagbilaranに到着。
      船を降りると リゾートの出迎えのオネエチャンが 別に車を頼んだわけでもないのに 私に手を振ってくれている。
      私のスキンヘッドのお陰で どこへ行っても一発で覚えて貰えるらしい。
      お宿は厳選したボホールトロピクスリゾートに宿泊
      ”やす〜て 眺めはええし ほんまええとこやんか”と ご一行様に喜んでいただく。
      ヒロ&リナはプールへ直行。
      私は 高くついたらあかんと思い 1250ペソの部屋を4部屋予約していたのだが ご一行様は 
      そんな私の親心も一考だにせず、向かえの海が見えるスイートルームの方に変更された。

  30日 朝10時 ボホール観光名所めぐりツアーバンを準備してチョコレートヒル見学に行く。 現地ガイドは私だ。
      バスで2時間位島の中心の高地に高さ300m位の土饅頭みたいな山がずーと連なって不思議な光景だ。
      日本なら チョコレートヒルなど しゃれた名前になっていないだろう 。
      饅頭山  あるいは オムスビ山 オッパイ山(茶色のオッパイは無いか?)くらいかな。
      帰りに小さなネズミかサルのようなタシールという夜行性動物見学。
      それまで 何かあると泣いたりすねたり顔をクシャクシャにしていたリナはタシールを手に乗せてもらって御機嫌だ。
      昼食は 船で川登りしながらのランチで あこがれ椰子のみジュースを飲むがみなさん
      ”ま〜ず〜”。
      しかし チキンバーベキュー等その他料理の味は旨い。
      レストラン船に乗って川登は、ジャングルの中を行くような面白い体験だ。
      この船は前方のレストラン船と後ろの動力船をロープで繋いで押して走るのだ。
      女主人は ママさんで ウェイトレスは娘、動力船で 操船している子供と船首で竹ざおを持って手助けしている子供の
      家族一家総出で仕事をしているようである。
      帰りは町中で デパートでお買い物ツアーだ。
      大田夫人は T−シャツ 両手に抱え 
      ”やすいわ やすいわ日本やったら 3倍はするで” と売り場を走り回っている。
      田辺夫人は ”お父ちゃんのパンツ こうた“と両手にもっている。
      ”なんで ヨメハンというと ダンナにそんなパンツとか靴下とか ばっかり買うねん。どこでもいっしょやな。”
      中岡さんは 2人の子供をかまっている暇はない。
      リナは自分の気に入るスリッパが見つからない為 御機嫌ななめで半べそになっている。
      我旅行団は、もう完全に本来の買い物オバサン状態に戻って店内を走りまわっている。
      午後5時ごろ 店内に音楽が流れ 人々がクリスチャンのお祈りの為一斉に静かに静止するが 
      我旅行団だけ そんな事に一向に気付かず店内で ぺチャクチャ しゃべって 歩きまわっている。
      周りからは非難の視線が集中し、さすがに 
      ”う〜ん なんかちょっとへん”
      と思い、周りを見て 全員、固まってしまう。
              
      タシールを手のひらに乗せるリナ 肩にタシールを乗せた大田夫人   川登りレストラン船

  31日 大田夫妻 中岡さんの3人が ダイビングの練習をプールでする。
      皆さん始めての経験で ワーワーと大変だ。
      まずは落ち着かせる事 水に対する恐怖をとる事から始める。
      中でも大田夫人は ノミコミが速く しばらくすると一人で潜りだした。
      大田主人は メガネの水抜きが難しいらしく 何度も浮き上がってくる。
      ”わし ほんまは 潜るの いやなんや” 
      と 早くも ギブアップ状態半べその大田主人。
      それを 聞いたプールサイドの 田辺夫人は腹を抱えて笑っている。
      昼から アメリカ人友達ニールのカタマランTiki21でセーリング。
      田辺夫人は 海の水のきれいさに感動している。
      紫かかった青色の海に手を伸ばす。
      夜はニールのガールフレンドのビクトリアも参加してアロナビーチでイタリアンを食べる。
      食事も半ば 突然ニールが 大田夫人を見て、
      ”オオタサン トシハ イクツデスカ? 28クライですか?”
      50歳以上?と聞いて ニールはびっくり。
      大田夫人は満面笑み。 
      次ぎに中岡さんがニールに、
      ”わたしは いくつにみえ〜る?”
      ニールはしばらく 熟考。。。。。。
      私に目で 助けを求めているが わしゃ 知らんもんね。
      ”40歳 クライデスカ?”
      “x□◆○▲。。。。”
      後日 ニールの弁 
      “女性に年を聞くもんじゃないな”
      ”そやろ まだまだ 修行がたりんな”
      大田夫人からの”50歳以上ではなく 50歳近く”と書く様変更クレーム要望がありました。
      成る程、”50歳以上”では はっきりと”以上”だし ”近く”では確かに”50歳前後”というニュアンスで、
      大分違うしおっしゃる通りこの言葉の方が適切であるという事が良く分かりました。
      ニールの事はいうことはできず 私もまだまだ修行が足りないと反省しここに深く訂正とお詫び致します。
       
      
      ニールのTiki21で セーリングを楽しむ

6月1日 朝9時 バンカーで前の島パングラウ島へダイビングに出かける。
      水深5m位で 第1回目のダイビングをする。 
      特に中岡さんはインストラクター3人がかりで潜るというよりは 脇をかためて引きずりこむ。
      ”オバタさん 私 5m以上のとこ絶対行かへんゆうといて” と声を震わせ中岡さん。
      ”わしも 5mまでで ええで”と半べその大田主人。
      二人は 怖気づいている。
      私は ヒロを横抱きにし 補助レギュレータをヒロにくわえさせて 潜る。
      30分ほど 潜った後 昼食はホテルでチキンフライ等用意して来たので向かへの浜へ上陸して取る。
      運動して腹も減っているので旨い。
      午後2回目のダイビングで 今度は水深12m〜20mくらいを潜る。
      中岡さんと 太田主人は”いや いや もう絶対行かんもんね。”という感じでこちらの方も見ないように横を向いている。
      大田夫人と 私だけが40分くらい潜った。
      サンゴ礁の壁ぞいに いろんな色と形の珊瑚と魚を見ると水中は別世界だ。
      太田夫人は双子の妹さんがダイビングが好きで色んな所へ行っているのが、今回の経験で分かったそうだ。
      ”私も やっぱり妹みたいにやみつきになりそう”との事。
      夜は ニールの案内で海鮮料理を食べる。
      マンガという小さな市場で魚貝類を仕入れ それをレストランに持って行って料理してもらう。
      大きなエビ 蟹 魚 貝 とどれを食べても美味い。
      御一行 しゃべるのも忘れてひたすら食べる。
      しかも 値段の安さにしきりに感心。
          
     上陸したパングラウ島          海鮮料理で食材を選ぶニールとビクトリア

   2日 ボホールを離れ セブに戻る。バンを夜の8時まで借りきって、大量の荷物を積みこんで ショッピングモールへ行く。
      ”みなさ〜ん 今から3時間ありますが もし 迷子になったら ここへ5時集合ですよ”
      大田夫人は 旅の間のハイテンションが切れ 今は下痢で元気がない。
      その上主人と分かれてしまった。
      ”うちの主人 説明もなにもきいてえへんし 子供みたいな人やから 戻ってくるか心配や”
      なんやかや いいながらも自分の身も顧みず 御主人の心配をしている。
      仲の良い”ほんの少し一部チョット(これ以上少しの表現ができない)”だけうらやましい夫婦だ。
      5時になって ばらばらと帰ってくる。皆それぞれの戦利品を自慢するが、
      大田主人がナイキの時計を見せると 太田夫人と中岡さんも欲しいという事で30分延長して再度買い物に走る。
      やはり 買い物オバサンモードになってしまった。

   3日 出発間際になって 大事な事をころっと忘れてたという。
      帰りの予約の再確認を忘れたというが 今更どうしようもないし、まあ今は客が少ないから大丈夫。
      得意技出たとこ勝負で、むりやりチェックインするしかない。
      ますます重くなった荷物を荷物カウンターへ入れると重量オーバーだ。
      中岡さんは
      ”それやったら 先に中に入ってしまったカバン1つは機内持ちこみにしますから取ってきて。”
      と、頑張っている。航空職員も じゃまくさいのか、仕事不熱心なのか 
      ”ほなら まけときまっさ”
      と、折れてきた。 
      ”それ見ろ。 日本のオトコは 今や使いもんにならんけど 日本のオバサンを舐めたらあかんで。”
      これが最期のドタバタで、 ご一行は無事出国。
      ”それじゃ 気をつけてね〜。バイバ〜イ”
      みんなと別れて 旅行社の仕事も こりゃたいへんな仕事やなとあらためて思いなおす。 
      

  補足説明とその後
   今回 突然ニールとビクトリアが出てきましたが、ニールは年齢40歳 アメリカ シカゴ出身 2年前までJASパイロットを
   していたのだが、私と同じように 海にあこがれ 退職。フィリッピン ボホール島へきてビクトリアと知り合い ただいま
   恋愛中という事にしておこう。 ビクトリアは38歳 子供2人 ボホール各地に 不動産をもっており 金融業もしている
   キャリアウーマンという所だ。ニールは38ft Tikiカタマランを建造中で 後はマストを立てれば完成しそうだ。
   価格は 800万円くらい。今回 帰国するまえに 我 遊帆 UFO でニールとビクトリアの3人で 向かいのスキホールで
   一泊 ネグロスのエルドラドで 一泊して ニールの建造中の船の後ろに舫を取って帰ってきました。
   2人の家は 共に素晴らしく 特にビクトリアに借りているニールの家は 海岸から10mくらい登った所に家を建てていて 
   景色の素晴らしさは 表現できません。私も 一瞬こんな生活もしてみたいと思ったが 
   ”いやいや オイラは旅に出て行かなくちゃならねえ身だ”
   などと安物時代劇ヤクザのせりふを思い出し、11月 マレーシアに向けて
   出港する事にしました。 フィリッピンはあまりにもいごこちが良すぎて あまり長くいると アンカーをずっと降ろしそうに
   なりそうな為です。

 日本帰国時たわ言
   久しぶりの日本は寒く 風邪をひいたのか2週間下痢が続き体重も84kgから80kgになってしまった。
   町に出ると、どこも清潔でモノが溢れ 店員はマニュアルどおり 対応し実に機能的でありながらよそよそしい。
   大人達は疲れた顔で不機嫌そうに眉に皺を寄せて忙しそうに歩き、子供の数は少なく というより 
   忙しくて外で遊ぶ暇が無いのかもしれないが たまに見る顔はどこか無表情で元気がない。
   あのフィリッピンの子供達の底抜けに明るい笑顔は日本の子供に、 もはや見つける事が出来ない。
   彼等の目はキラキラと宝石の様にひかり、顔は好奇心と恥ずかしさと笑顔が絶えない。
   会う人の多くから ”そんなにヨット乗って仕事もせずよろしいな。私なんか死ぬまで働かなあかん” 
   と、半ば羨望と賞賛とあきれかえった感想のお言葉をいただく。
   しかし お金が問題なのでしょうか、それとも 人の心が問題なのでしょうか?
   外国で会う人々は お金が有るのか無いのか知りませんが 実に人生を余裕を持って楽しんで生きている様に見えます。
   フィリッピンレポートNo.6で ちょっと書いていますが、ネグロス島の漁村での話を補足します。
   朝海岸へでると村民(女 子供含む約50名)が地引網を引いている。 村長が浜から大きな声を出して 村民を指示している。
   若い男は小さなボートで網を沖に仕掛に行き、浜では女 子供が網を引く。子供達は泳ぎながら 魚を追いこんだり、
   ロープや網を絡まない様に整理したり全員が村長の指示でテキパキと動いている。
   私も、学生時代に静岡の浜で引いたことがあるので 懐かしい思いで手伝った。
   いよいよ 網をたぐりよせてくると 小さなきびなごがバケツに1杯ほどしか取れていない。
   みんなはそれぞれ鍋を持ってきて 村長の分配をおとなしく待っている。
   一通り分配が終わった頃 村長は私にも 魚を差し出している。まわりの村民もニコニコしながら持って行けといっている。
   村民で分けても充分でない魚を興味半分で手伝った私にまで分配してくれる人達のやさしさに心打たれた。

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