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        フィリッピンに戻り再修理後パラワン、ネグロス南西回り

3月31日 韓国 香港と回り 明日 マニラへ入国する。 香港でジブファーラーとメインとジブセールを受取り荷物が多くなった。
      夜店のある通りを見て歩くが、何でも安い。どこからこんなに安く仕入れてくるのか不思議だ。
      韓国は大統領政治システムの為、政治効率が良い為か、経済危機を抜け日本より速く景気回復に向かっているようだ。
      香港は中国が開放政策を取りはじめてから 貿易窓口の地位を失い一時ほどの好景気は戻らない。
      しかし 相変わらず人と車とネオンが多く、海の暮らしにはやく戻りたい。
      
      香港で見つけた亀と薬草を煎じてジェリー状に冷やしたものに黒蜜をかけて食べる。

4月1日 心配していた セールとジブファーラーの持ちこみも問題無く、マニラヨットハーバーに到着、出会う人達が、声をかけてくれる。
      ハーバーの海のドブ臭いまで懐かしく感じられまるで ホームポートに帰ったようだ。
      スクリュウーは 現地にてブロンズで製作することにした。約二週間はかかりそうだ。
      マスト とラダーはそれまでに修理完了するだろうから 結局中旬には出港可能か?

4月4日 マストの全ステイとHood800ジブファーラーを取りつけた。今度は前よりステイの太さも6mmから8mmに替え、
      数量も8本から、14本になってみるからに丈夫そうになった。
      

フィリッピンこぼれ話
  退職者向けビザというのがあって フィリッピンは55歳?以上の人を対象にいくらかお金をフィリッピンに預金する事を条件に
  ビザをおろしてくれる。私の年代はぼちぼち退職対象者になり 老後の身の降り方を決めねばならない時期に来ている。
  頼れるのは退職金と年金で老後をいかに過ごすかが問題だ。
  私は相談をうけるたびに、フィリッピンか韓国釜山海雲台あたりでの生活を薦めている。
  フィリッピンはマニラの街中ではなく地方が断然お薦めだ。
  物価は安く 環境は抜群に良いからだ。青い海ときれいな空気ゆったりとした時の流れ、フレンドリーな人々。
  もし、日本が懐かしかったら、飛行機で往復しても4万円強で、北海道、沖縄より安い。
  韓国の場合 フィリッピンに比べ少し物価は高いが日本へかえりたかったらビーグル船だと3時間 約6千円位だったと思う。
  限られたお金で 生活レベルを維持するには、円の価値が全然違う外国で生活するのが一番です。
  しかしながら、良い考えも奥方を納得させられるかどうかですが。。
  人には薦めていますが勿論私もカミ様を納得させることはできませんでした。女性は環境の変化に不安を感じ、デパートと
  スーパー レストラン & お友達から離れることが難しいらしい。
  世の中はうまく行かないものですね。御同輩。。。。

4月5日 フィリッピンは昼からは暑くて仕事はできない。午前中の涼しい間に仕事を済まして、昼からは昼寝が一番だ。
      このホームページの更新の件ですが、私は 日本IBMブロバイダーに登録し 海外からの接続で ホームページの
      更新とメールの送受信をしているのですが、最近になって IBM &ATT&T から 海外での長期使用は禁止との
      警告を受け、海外でのアカウントの取得をせねばならなくなりました。 その為 フィリッピンと日本に2つのアカウントを
      持たなければならなくなりました。当初ブロバイダー選択肢の条件が 世界中でアクセス可能の IBM AT&Tだったのに
      今になって長期使用は認めないとは、あまりに顧客を馬鹿にした事と憤慨しつつも方法がなく2つのアカウントを持ちました。
      どなたか いい方法叉は ブロバイダーがあればお教えください。
      前のアドレスでも転送されます。

4月10日 細かいところをチェック&修理の日々。 昼からは暑くて船の中にはいられない。
      18日から 再度 福井 西村さんがセブ島 南西コースクルージングに参加していただけるそうだ。
      しかしながら この暑さをお二人はご存知だろうか?
      船の中にいると サウナにはいったようで汗が ポタポタと落ちてくるし かといって外の日のあたる所にいると
      肌がじりじりと音がするようにみるみるうちに 真っ赤になってしまう。
      まるで 火の釜に入った北京ダックのようだ。

4月12日 船の中を掃除していたら どうも様子がおかしい。ホットケーキの粉の袋やごま油のキャップが一部破れている。
      どうも ネズミとゴキブリに占領されていてあっちこっちでゴキブリの大きいのやら子供やらが走りまわっている。
      もう完全にネズミ&ゴキブリ連合国になってしまっている。
       ”このままでは済まさんぞ. まず殺虫剤噴射攻撃、その後はスモーク毒ガス室で皆殺しや”
      とヒットラーの如くネズミゴキブリ民族殲滅作戦を迅速に立て実行に移した。

4月13日 昨日の作戦成功のようで、ゴキブリは1匹も行進していない。ネズミの攻撃は激しかった為、被害が意外と大きい。
      お米をいれたプラスチックのふたの回りを噛んで蓋をあけて米を食べている。
      叉 何を思ったか、電線のビニールカバーも噛んでいる。危うく配線を切断される所だった。
      
フィリッピンこぼれ話
  今の暑い季節は、ハロハロが最高だ。ハロハロとはいわゆる”かき氷”の事で中に木の実 ゼリー アイスクリーム プリン
  ウベ(紅いものアイスクリーム) ナタデココ などたくさんのものが中に入っていて、美味しい。
  フィリッピンは ケーキ アイスクリーム パンなどは どこで食べても美味しく作っている。
  フィリッピン料理はどこか沖縄料理に似ていると思う。素材でも 紅いもを沖縄でもフィリッピンでもウベといっている。
  沖縄のゴーヤも良く使われている。フィリッピンのカラマンシー(柑橘類)は沖縄にもあって料理に何でもかけて食べる。
  私も自分で航海してみて フィリッピンがルソンと呼ばれていたずっと以前から 人々は沖縄などと簡単に行き来していたに
  違いないと確信するようになった。

4月15日 待ちかねたプロペラができてきた。アルミに比べブロンズは重い。アルミ約2kgに対しブロンズ20kgくらいはあると思う。
       とりあえず据え付けてエンジンスタート。あれ? エアー噛みか かからんがな。
       いろいろ調べるうちに噴射ノズルが詰まっているのが分かった。
       やはり前回ガス欠でサラダオイルや天婦羅油やら混ぜた後遺症がでたか。
       3つのノズルを掃除してスタート。今度はご機嫌さんに回っている。
       明日プロペラがバランス正確に出来ているのを天に祈って試運転にでる。

4月16日  試運転は短時間なので分からないが ドライブのバイブレーションも感じられず一応安心した。

4月17日  12日のネズミ&ゴキブリ殲滅作戦は、我軍完全勝利で終わった様にみえたが、本日 彼等のリベンジ(復讐)
       攻撃を受けた。船内に入ると 叉様子がおかしい。 
       あちこちを歯でかじった後があり、ゴキブリも小さいのが走りまわっている。
       再び 戦意に火がついた。
       前回の薬と毒ガスは効き目が無いので次ぎの作戦はおびき出し一網打尽作戦を立てた。
       早速 スーパー マーケットに行って、足を踏むとべたべたの糊が死んでも取れないコックローチキラー &ラットキラー
       なる新兵器を購入配備した。
       これで我軍の完全勝利で終わるだろう。
       
       日ごろ交通渋滞の道路が歩行者天国になってマラソンレースが行われた。

4月18日  敵軍の首領格のネズミの哀れな姿を見るのを期待して船内調査するが 一匹も捕縛できていない。
       それどころか、新兵器のラットキラーを横に蹴飛ばしているではないか。
       ”う〜ん もう なんと頭のええやっちゃ。完全に怒ったぞ。何故捕まえられんかったんや? 
       そうか もっと 美味しそうなものを置いとかんとあかんかったか。”
       と 自分の作戦の失敗原因を反省して 早速 チーズを買いに行った。
       午後になって 福井 西村さん無事到着。
       ”今晩が勝負や。”明日からは出港するから そうなったら我軍と敵軍混戦になり同じ船内で兵糧攻めが出来なくなる。
       夜にゲリラ作戦を実行されると、我軍は防御できなくなる。

4月19日 捕獲作戦失敗。再度自動捕獲籠式新兵器購入し 餌をもっと美味しそうなものに代える。

4月20日 またまた失敗。捕縛はあきらめ出港。
      マニラ湾入口にあるコレヒドール島の南ドックの浜でアンカーを降ろす。入場料100ペソ/人 船の長さX10ペソ
      ジプニーで島を案内してくれる。日本軍とマッカサーの祈念公園となっている。
      島の建物は10cmおきに弾痕の跡があり、その戦闘のすさまじさに背筋が寒くなる。
      戦争になると人間とはこんなに非情で残酷になってしまうのか?
      国家の大義名分の陰で他国を侵略しフィリッピン人を強奪 殺戮した事実は隠せないし、その為に戦争に参加した兵士
      一般人の多数の犠牲を思うとき国家エゴの恐ろしさを改めて思いなおす。   
      ヨットで訪れる事の出来る時代に 感謝。二度とこんな時代が来ない事を祈願。
         

4月21日 小野田さんで有名なルバング島PortTilikへ。13日から1周間イースターで その中心の 聖金曜日とかいうお祭りのため 
       木の葉で顔を覆い竹の鞭で自分の背中を打ちながら町を行進している。
       背中に塗料を塗っているのでいかにも背中から血が噴出しているようで痛そうに見える。
       夜中にネズミがデッキを行進する音を聞く。
       どこから 船内外を行き来しているのか?船長の私よりネズミの方が良く知っているのに腹が立つ。
       しかし 敵にあせりの色が見て取れる。
       逃げ様とデッキに上がって行った所見渡せど海の真ん中で、船という閉じられた世界に動揺しているのだ。
       何処かに兵糧を確保しているのか、仕掛けた餌には見向きもせずに頑張っている。
       今なら 捕獲後の敵軍首領のネズミの運命は 罪1等減じて遠島かペットとして飼ってやってもよいと考えているのに
       これ以上抵抗したら 本気で毒饅頭を食べてもらう事になるぞ。
       なかなか敵ながらあっぱれな奴だ。
           
      ハロハロを食べる           聖金曜日祭で自分で背中に鞭打ち行進

4月22日 ミンドロ島 サンタクルズ〔SantaCruse)アンカーリングには不向き。

4月23日 ミンドロ島サンホセ(SanJose) 洗濯&洗体のため町中でホテルに泊る(シングル450ペソ)たまった衣類を全部洗濯。
      夜に下の食堂でバンドが入り歌を歌っている。ビール6本&フライドポテトで240ペソ

4月24日 近くのAmbulong島へリゾートホテルはお客がないのか営業していない。
       村は1kmくらいの漁村で車は一台も走っていない。道は砂で家は竹で囲いをしていてきれいな村だ。
       子供達は私達の後をつかず離れず笑いながらついてくる。ユキさんはこの村がえらく気にいったそうだ。  

4月25日 カラミアン諸島のBusuanga島 Coronへ。
      桟橋にレストラン&ダイバーズインがあり、市場もある。
      トライシクルで20分位の所にマキニット温泉がある。
      海のそばに温泉約40度が沸いている。久しぶりの温泉で気分は最高。
      フィリッピンの温泉はどこでも男女混浴だ。勿論水着着用だが。
      小さな子供を抱いた若いお母さんがいて、話しかけると日本人だった。
      横にいる御主人とは日本で知り合い結婚してこの島の近くに住んでいるのだが、もうじきこのブスアンガ島に引越しするのだそうだ。
      国際結婚に加え 生活に不便な事もあるだろうが、若いし愛があれば大丈夫よ。
      ヨットで来るには、最高の条件だ。即ち港は静かで 買い物も便利でその割に都会化していない。
      
   コロン港ダイバーズイン     民俗衣装のおばさん       マキニット温泉          ご機嫌な2人

4月26日 少し南の湾にアンカリング。子供達にアメをプレゼントする。
      実はこの島へ上陸したとき 島の家は10軒まで住人は50人もいないのだが、サリサリストアーにビールを買いにいくと
      年の頃は30歳くらいのオネエチャンが出てきた。普通は最初は挨拶だが、オネエチャンの第一声は
      ”あんた ヒトリモンかえ?”
      ”ううん 私はヨメさんあるけど ヒトリモンやったら あそこの 髭はやした やせたおっさん(ユキさん)や”
      と説明する。 何も知らない ユキさんが近寄ってくると オネエチャンは子供に椅子を持ってこさせ ウチワで扇いでいる。
      もう サービス満点。
      ”ユキさん 一年したら戻ってきて回収してあげるさかい このオネエチャンとこの島にいたらどうや?”
      一瞬 オネエチャンの顔を 見なおし 
      ”そんなん いやや” 

4月27日 今回の第一目的地 エルニド(Elnido)へ到着。入港時右手側は浅瀬のため西側を通り浜の500mくらいの所で
       アンカーを降ろす。地の利が悪い為か、観光客も少なく浜に沿って2kmくらいが商店 リゾートホテル レストランがある。
       Lally& Abetというリゾートコテージに宿泊(430ペソ)
                    
   コテージの娘Jeniferと”仲良しになる”ユキさん?     Elnido港内の奇岩(波で削られている)
   (このコメントは 当初 ”嫌われる”になっていましたが ユキさんのクレームもあり名誉の為に変更しました)

4月29日 ミニロックアイランドが近くにあるので 昼ご飯を食べに行く。水上コテージで我々の泊っている所とは大分差がある。
      日本人スタッフも2人いて、ランチバイキングになっている。
      選択肢はそれしかないから、”ほなら 食べよか”と言う事で腹一杯食べた後、
      ”1人なんぼ位か賭けるか?”と支払い担当のユキさん
      ”300ペソ位とちゃうか?”
      ”ぜ〜ん ぜ〜ん。 一人900ペソや”
      ”ええ!! そりゃ むちゃくちゃやな わしら泊ってるホテルの2倍以上やて。。。。
       もっと 食べてたらよかったな。晩御飯分も詰めて帰ったらよかったな。。”
      帰りの船上で さんざんミニロックリゾートの事をけなしながら 懐かしいElnidoの430ペソコテージに帰る。
          

4月30日 パラワン島の北東Linapacan島へ。入港時 アカウミガメが船首から突然浮き上がって来た。
      私は潜水夫かと間違い驚く。
      村はコーラが買えただけで、食料は手に入らない。
       
5月1日  出港時 右に寄り過ぎドドーンと2回程座礁して止まる。スタボー側キールが少し破損する。
       ドライブが岩に当たったのかとめていた 4mmボルトがちぎれてしまった。
       Cuyo島の手前 Mananoc島へ向かう。周囲が浅瀬で海岸から3km以内に船をいれることが出来ない。
       しかたなく アンカリングをしていると、漁師のバンカーが近寄ってきたので、鯛を2匹50ペソ(150円)で買う。

5月2日  Cuyo島へ、島にホテルらしきものは無く 学校の寄宿舎みたいな所に泊めてもらう(100ペソ 300円/人)
       今日は 大潮で海が3km先まで干上がり 貝拾いをしている。
       

5月3日  出港時 ドライブの音が異常だ。ドライブブランケットが割れてしまっている。
      ワイヤーでドライブを縛り船底から回して左右のブレを押さえる。これでなんとか走れそうだ。
      これからはセーリングで進む。 
      
      Cuyo島を離れナイトセーリングの前の夕日 

5月4日 早く着いても入港できないので一晩中セーリングをする。
      (2.5ノット)夜中に船の回りでバチャバチャと水のはねる音と、ブオー ブオーと呼吸をする音が聞こえる。
      夜が明けて回りを見ると 先の曲がったセビレが群れになって回遊している。
      シャチか鯨か確認できなかった。
      途中漁師が 船上で帽子を取り左手側に振っているので 
      ”なかなか礼儀正しいやっちゃな。”と思いこちらも手を振りそのまま直進すると、一層激しく振っている。
      ”あれ〜 えらい喜んでるで。”等としゃべっていると、様子がチョットおかしい。
      あちらこちらに魚網の浮きが見える。慌てて舵をきる。
      挨拶ではなく あちらに行けという合図だったのである。
      その後 この挨拶信号は分かったのだが 面白いので見つけると無理に突っ込んで行くふりをすると
      帽子を取って挨拶してれる。それで船首を振って暫らくして又船首を戻すと挨拶してくれる。
      こんな いたずらをするようになってしまった。
      パナイ島の南端 SanJoseDe Buenavistaへ入港する。
      泊ったホテルの庭にジャックフルーツがなっていた。大きな木から実がたくさんなっていた。
       
       ジャックフルーツ

5月6日  パナイ島を離れ、ネグロス島へ夜間セーリング。新月で真っ暗の中 追い風で帆走。
       夜が開けて Port Catalinaに入港する。
       漁民が浜辺を網船を押しながら、小さい魚をすくっている。
       それを養殖池に入れて大きくして売るのだそうだが 何度魚の名前を聞いても分からない。
       上陸した所からトライシクルにのって Bayawan市まで行ってホテルに泊る。
       市場でジャックフルーツを発見。
       マニラヨットハーバーの食堂のおばちゃんが
       ”私みたいなまるまるしたジャックフルーツを パラワン島で食べて見なさい、美味しいから。”
       とお薦めだったので、
       ”一回 味見してみよ” 
       ”なんじゃ そんなに甘くも無くおいしくもないやんか”
         
        漁師の子供 3分間で簡単な仕掛けで魚を釣り上げた。

5月7日   ネグロス島を東に回りこんで Dumaguteの南20kmくらいのDauwinと言う所にあるリゾートEldoradoに宿泊。
        スイス人の経営で、こじんまりとしたいいリゾートだ。

5月8日   Dumaguteまで市内見物に行く。大きな町でショピングにデパートに入る。例によって髭をはやしたおばはんの
        ユキさんはお買い物に熱中する。
        ”ナイキのT−シャツ160ペソ これは安いやろ 日本やったら この3倍くらいはするで”
        と、あれやこれやと結局2000ペソ位買い物をしてしまった。
        ホテルに帰ると、ガードマンが 
        ” キャプテン あんたの船、流れてましたぜ”
        ” ええー そりゃえらいこっちゃ”
        ” けど ダイジョウブ 近所の漁師が 引っ張って来てつないでまっさ”
        ” サンキュー サンキュー サンキュー ベリーマッチ”
        船のもやいの位置が 500m程北に変っている。
        漁師いわく
        ”沖の方へ流れてましたぜ”
        ”浜の方でなくて良かった。”
        漁師にガソリン代とお礼をする。
        なるほど この海底は砂地に海草がびっしりと生えていてアンカーが滑っていたのだ。
        当初アンカーを打つのは不安で何度も確かめていたものだが、最近は どこでもアンカーを掘り込んだら
        ”OK OK ダイジョーブ”
        とさっさと上陸してしまう様になってしまった。慣れとは恐ろしいもんだ。
        ” ほんまにこの船 運のええ船やな” とユキさん。
        ” 船長がええかげんな分 船の運でカバーしてんねん” と 私。
        
        Dumaguteの町

5月9日  船に乗りこんだ福井さんが
        ”ネズミの奴 毒入り餌 食べよりましたぜ”
        ”やった やった。これでもう出てきよらへん”
        ”けど どっかで死んでたらいややな”
        ”いや 臭いでわかりまっせ”
        という事で 長期にわたったネズミゲリラ戦争にも 終止符を打つ事が出来た。
        それにしても ネズミとりに仕掛けたおいしそうな餌も食べず頑張った、実にあっぱれな敵首領ネズミだった。
        私なら 腹へって目の前に御馳走があればふらふらと罠のなかには入っていくのに最期まで自由と誇りを捨てない
        ネズミに長い間戦ったもの同士だけが分かる敬意を払いたい。
        いよいよ ボホール Tagbilaran港へ入港

5月10日  ボホールは町でもなく 田舎でもなくちょうどいい感じの町だ。
        市場で屋台のバーベキューが50軒位並んでいて、それぞれ味とサービスを競っている。
        その中で 若い16〜17歳位の女の子でやっている所で焼き鳥と豚の串焼きでビールを飲む。
        いい調子になった頃 雨が降り出してきたので慌てて屋根の下に避難する。
        にわかづくりのテントを張っているが 我らヨットマンの習性から こういう事はほっとけず手伝う。
        今年は天候不順でもう雨季に入ったらしい。

5月11日  セブに行く為 船に帰ってみると 叉 ネズミのリベンジを受けている。船底に貼ってあるアルミ箔をかじっている。
        あの毒入り餌は効き目がなかったのか 一同 一瞬声が無し。
        ”このネズミ バケモンみたいなやっちゃ”と福井さん
        一応最終目的地 セブに到着。
        セブの町は 小さなマニラのようで私には合わない。

5月12日  浜近くまで船を引いて 干満の差で 船を揚げて ドライブを修理する。
        本格的修理は マニラへいく必要があるが 再度ワイヤーを張り直して これでオイル漏れはあるもののマニラまでは
        なんとか行けそうだ。
        試運転がてら 迎えの島オランゴ島の東に海上レストランがあり 魚 貝 蟹 エビを出す所があるので昼ご飯に行く。
        にんにく苦手の福井さん、お買い物すきなユキさんには いつもの事ながら出たとこ勝負 計画はアバウトで、
        食事も選択肢が無く 遊帆 UFO は故障するのに、楽しんで戴けたか心配だ。
        
        昼に水上レストランで海鮮料理を食べる。

5月15日   ネズミとのゲリラ戦争は我軍の敗北に終わり、船をネズミに明渡し食料を処分後撤退脱出、 
         もう 勝手にどこでもかじってくれ。
         マニラから日本に戻る為 一同国内線セブエアーラインに乗る。   

5月18日   マニラから戻って船に入ると 入口の所で体長20cm位尻尾までいれると30cmくらいのネズミが倒れて腐敗している。
        食料攻めと毒餌作戦が効いて絨毯の上で死んでいるので臭いがすごい。
        水葬にして 絨毯を洗う。それでもまだ臭いが残っているので換気して船を離れる。
        それにしても 手強い相手だった。これからは ネズミの侵入には気をつけよう。
        猫はヨットの守り神という意味は良く分かった。

     ネズミゲリラ攻撃による被害状況報告
      1.スタボー床 約 10cm穴開けられる。
      2.スタボー 奥壁 約10cm かじられる。
      3.水道パイプ 切断
      4.各所 電線かじられたり 切断2箇所
      5.マットレスカバー 2箇所破られる。
      6.各所にうんこ多数

     
      
     今回のクルージングコース
 マニラーコレヒドールールバングーブスアンガーパラワンークヨーネグロスーボホールーセブ

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