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フィリッピンNo.4レポート セブ島からマニラへ 2000年1月12日^
1月12日 セブ島に戻る。3時間前までは 5度くらいだったのが ここは26度だ。遊帆 UFO も一応無事のようだ。
13日 マニラヨットハーバーのRudyから 連絡あり アルミニュウムマストの中古が手に入りそうなので 16日にマニラへ
飛行機で戻り研究する予定だ。
17日 アルミニュウムマストのサイズも十分なので 中古にしては少し高めだが 買い取った。
マニラヨットクラブへ戻ると皆声をかけてくれる。
特に従業員食堂のパパとママさんは喜んでくれる。
ママの一番小さい子供(5才)が、私の手を取って自分の頭に持っていく挨拶をされどぎまぎしてしまう。
マニラヨットハーバーは立派な会員用レストランがあり、船のオーナー達はそちらで食事や酒を注文する。
こちらは、スリッパ禁止で堅苦しくて私向きではない。
従業員食堂の太ったママさんの料理が断然旨いし値段も安い。
マストを折った事で、風圧がマストにどうかかるのか、頭の中で何回も考えた。
今度は スプレッダーを3箇所にして ダイヤモンド型にし両サイドと前にステイを張る。
スプレッダーはステンレスパイプで作る様注文し ワイヤーは5/16"に太くした。
ワイヤーの両端はシンブルとクリップで処理し ターンバックルとの接続はアイを作って シャックルで繋ぐ積もりだ。
20日 ウエストマリンにワイヤー&ファーラーを注文したら フィリッピン輸入時高関税に注意との事。
未だ セイルも香港へ注文輸入しなければならないのに困った事だ。
今回はマストを下記のようにする。
今回マストを折ってよく考えた結果 カタマランはモノハルよりもっと風の力をうけるのが分かった。
モノハルだとヒールする為風を逃がすが カタマランはヒールしないため全風圧を受けることになる。
それに加えて 大波を受けると波で傾いた分戻るときの船体の重さも加わることになる。
叉 マスト自身の強度が大切で ハルからテンションをかけると 足の部分が広がるのであまりテンションをかけるのも
良くない。
それで 今度は上記のような設計をしたのである。
これで、マストは折れないが、船がひっくり返るだけだ。もっと状況は悪くなるか?
22日 セブ島へ国内線で戻る
国内航空会社は4社程あるが、セブエアーラインを選ぶ。
飛行場は国際線からタクシーで10分位はなれた所にある。
飛行機に乗りこんで暫らくすると、飲み物とお菓子を配ってくれるサービスはどこでも同じだ。
が、ここからは チョット違う。
にこやかなでプロポーションの素晴らしいスチュワーデスが 簡単な問題を出し答えてくれた
お客を前方のマイクの所へ呼び、歌を歌えと要求するのだ。
アカペラカラオケが始るのだ。
終わると、商品にセブエアーラインマーク付きTシャツを渡してくれる。
このカラオケ飛行機は 1時間ほどで到着するのだが 比較的低空を飛んでくれるので
空から美しいサンゴ礁の島々をはっきりと見せてくれる。
ロッキーの家族と 親戚の子供達とで向かいの側SantaRosa島へ海水浴に行く。
そこは浅瀬にやぐらを組んだ家で海鮮料理を出してくれるfloatinghouseがある。
フィリッピンでは人気のあるラプラプという白身の魚とホタテと巻貝を注文する。
久しぶりの若い人達が来たのでデイブは大張りきりで泳いでいる。
23日 長くいたマクタン島を離れるが 天気がよくないので そこから近くのSantaRosa島でアンカーを打つ。
フィリッピンでは水を補給するのが難しく、雨を集めるしかないと考えている。
デッキを少しせき止めて給水口をあけたらうまくタンクに入っていくのでOKだ。
この辺の雨は、日本で降る雨と違って綺麗なので、食器洗い シャワー用には問題無しだ。
飲料水は20Lタンクでミネラルウオーターを買っている。
24日 昨日は外海でアンカーを降ろしたが 天気がよくないので一晩中揺られ通しで寝不足になった。
30マイル程北側にPortCarmenという港があり こちらは湾内にアンカーを降ろせるのでゆれない。
外国のクルージングヨットが5隻程アンカーを降ろしている。
長期滞在には安心しておけるいい所だ。
25日 セブ島の北端PortBogoへ向かうが この季節はずっと北東の風で進むのが難しく 天候がすぐに変化して大変だ。
入港は赤灯台を目印に250度で進み 石の目印を青と考えて 2つ目の石目印から210度で進む。
石積み桟橋西でアンカーを打つ。海底は泥 水深は大潮干潮時は1mも無い。遊帆 UFO は安心だが
モノハルヨットの場合 ずっと沖合いでアンカーを降ろす必要がある。
町は、大きく一応何でも有りそうだ。
バンカーが到着すると、物売りの人 犬 バス トライシクル等が集まりいっきに賑やかになる。
桟橋にある食堂で ラムのコーラ割で 酩酊中。
この食堂は床下が海で竹を張っているので風が通って涼しく何でも隙間から海に落ちてしまうので
掃除をしなくてもよさそうだ。
勿論 トイレも 穴が切ってあって海に落ちる仕掛けになっている。
下では魚がウンコを食べて リサイクルシステムになっている。
フィリッピンは何故か”おかま”らしきオトコ?オンナ?が多く、この食堂でも愛想よくニコニコと笑顔を送ってくれる。
私は 自慢ではないが”おかま”と子供と犬には好かれるタイプらしい。
27日 ビサヤ海は名前はきれいが風波ともに強く、今日は天気がよいのに波が大きい。
セブ島の北端を廻れないので レイテ島に向かう。
Sanlisidroは湾内は広く 海底はmudで 岩 サンゴ礁ともほとんどない安全な所だ。
夜になってデイブが少し風邪をひいたので薬を買いに町まで行くのにテンダーで町のほうへ近づき上陸した。
1時間くらいして帰るときに 海は干上がっている。
泥の中を20分くらいテンダーを引っ張るのだが、スリッパが泥にとられるのでなかなか歩いて沖合いに出られない。
町の由来となった聖san lisidro像 桟橋から町まで自転車版トライシクルに乗る
フィリッピンこぼれ話 食事習慣について
フィリッピンでは、箸は使わない。右手にスプーン左手にフォークをもって、自分の皿にご飯とおかずをとって混ぜて食べる。
そのため 1皿とフォークとスプーンだけで全て済むのだ。時々 スプーンとフォークと皿も使わずにバナナの葉にとって
手でつまんでたべるのが昔からの習慣だ。
日本人から 見れば奇異な感じがして一般的には お行儀が悪いという事になるのかもしれないが、
私も手で食べるのをまねてみたら そのほうが おいしいのだ。
理由を考えたら 日本にも 手で食べる習慣がある。
例えば お母さんのおにぎり すし屋のにぎり等である。
話は 変るがついでにもうひとつ、日本では 汁物を食べるとき 椀を手に持って 口に入れるが、韓国では
椀を手にもつのは行儀が悪いとされている。
この様に 国によって文化 習慣が違うのを分からずに 日本の習慣という物差で外国の文化度を測るのは問題だ。
28日 ビサヤ海は相変わらず大波と強風が続いている。
レイテ島から マスバテ島まで37マイル位だが、もう一度ビサヤ海を渡らねばならない。
マスバテ島の先端 名前は分からない所の沖合い500mくらいにアンカーを降ろし上陸する。
食堂といっても普通の椰子の葉でできた小さな家にテーブルが2つ 鍋におかずが何種類かいれてあって 、
好きなものを注文して食べる。(バナナの揚げ物 ツナの焼き身 鶏と野菜の煮込み)
水を使わせてもらった家 村のメイン道路 食堂の娘
29日 今日は マスバテ島の南西端 Pulanduta Port でアンカーを打つ。
港と言っても防波堤があるわけではなく 工事中の本船用桟橋があるだけである。
マスバテ島は山は無く平らなため、北風を遮ることも無い上に前のビサヤ海が浅瀬と深場が、交じり合っているので
波が一定でなく大波が立つようだ。
外海なので波風とも影響するので できればアンカリングは避けたい所だ。
上陸して町の食堂を探すがなかなか見つからない。
村の人に聞くと 普通の家が食堂だという。
入っていくと、先客が4人いて、彼等は行商をしているらしい。
料理の種類は無く、オバチャンのお任せデイナーである。
このごろは慣れてしまって少々の事は驚かなくなってしまった。
料理は”えびの炊いたもの、鶏とパパイヤの煮込み、いわしの塩漬けのフライ”
食後 船に戻り ドライブのラバーベロウズの凹みの原因を考える。
それはギアオイル漏れしか考えられず、そうだとしたらプロペラシャフトからしかないので大問題だ。
だましだまし進み マニラで再度陸揚げして修理するしかない。
30日 シブヤン海を渡るが北からの風で上れないので叉パナイ島へ向かう。
ビサヤ海よりは波の性格が一定の方向なのでまだよい。
海図をみて 地形から勘で アンカーを降ろせる所を探すのだが、今日は第一目標 失敗 第二目標 これまた失敗で
結局 Dumaguitという パナイの中間点まで戻る。
雨は降ってくるし日没との競争だ。
なんとか真っ暗になる前に入港して ほっとするまもなく デイブが
”ボス 、右のラダーがグラグラでっせ”
と叫んでいる。 (デイブは日本語は 分からないけれど、かなり訛った英語なのでこんな感じかな?)
叉 トラブルか。 マストは折れて無い。ドライブはオイル漏れでいつ故障するか分からない上にラダーがグラグラでは
遊帆 UFO も満身創痍状態だ。
ほんまに鍵さんが日本へ帰ってから ついてないので、日本へ国際電話をしてみる。
”鍵さん 運も一緒に日本へ持って帰ってへんか?”
”いや こっちも相変わらずついてえへんで。 どっかで落としてきたかも知れへん。”
31日 ラダーの接続部分のステンレスが折れているので、上部ハルをカットして はずしてKaliboまで 溶接しに持って行く。
トライシクルを作っている鉄工所を見つけ、完璧に接続補強をした。
この町は大きく セブに次ぐ有名観光地ボラカイ島の 玄関口Kalibo空港のある所だ。
2月1日 もう2月になってしまった。福井、西村、木村さんとマニラへ到着する7日まで 戻るのは難しくなった。
海での約束はできないのを知りながら、叉してしまった。
天候には逆らえないので、ここDumaguitで待つ事にする。
この港は湾内にある為、風波には安心で、長期アンカリングに適している。
幸い目の前からマニラ行きのフェリーが出ているのでこれに乗って迎えに行けばよい。
今日も雨が降るが、早速デッキをせき止めて、給水口をあけて、水の補給にかかる。
今までは雨の音がうっとうしく聞こえていたのが、”もっと降らんかいな”と思うようになった。
人間とは本当に勝手なもんだ。
2日 ボラカイ島まで ジプニーとバンカーで乗り継いで行く。ジプ二ーが3時間乗って40ペソ(120円)
バンカーが20分17.5ペソ(60円)安いものだ。
到着したボラカイ島は 砂浜は白くきれいだが 外国資本で観光地化されていて物価はなんでも高い。
リゾートもフランス系 日本系 韓国系 インド系 等 どの国でも選べる。
缶ビール普通は20ペソが100ペソである。
100ペソというと、ジプニーでは、Kaliboとボラカイ島を往復半できる距離だ。
別に、ビールとジプニーの料金の物価を比べても意味ないか?
帰りのバンカーに乗ったとき ラダーが故障して舵がきかなくなり後ろの兄さんが直接舵を取り出した。
ラダーシステムは自転車のチェーンと歯車を使っているのだがそのチェーンが切れたらしい。
”それ見ろ、私の今のつきの無さの恐ろしさを見たか? ここでもちゃんと トラブルを起こせるから。”
私の今の運の悪さを何も知らない彼等にちょっと分けてやった。
海は少し荒れて波がでてきたので、手のすいたお兄ちゃんは、船の竹製アウトリガーに手を離して乗り、
アウトリガーが波に跳ね上げられて折れない様に自分の体重をかけている。
これは なかなか難しい技を披露してくれた。
波に叩かれて、海に落ちたら”バイバイ お達者でね〜”だ。
アウトリガーに何も持たずに錘の為立っている ボラカイの白い砂浜 ラダー修理中
3日 係留中の前の桟橋から マニラ行きのFerryがでるので 皆さんを迎えに行く。
午後3時出港 4日 午前6時入港
4日 マニラの入国管理事務所にViza延長に行く。延長は至って簡単で 書類に書き込んでお金を払えばOKだ。
今回は、奮発して2ヶ月延長申請したら 4000ペソも取られてしまった。
久しぶりにサウナに入る。毛穴から汚れがどんどん出てくる気がする。
やはり気持ちいが言い。
20日くらいは風呂に入ってなかったかな?
何度 体をタオルでこすっても白いタオルが茶色になる。
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