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フィリッピンレポートNO.3 1999年12月14日〜30日
12月14日 大修理を終えマニラヨットクラブを出発する日だ。 もやいを解いて出発しようとおもったら ポート側のラダーがフリーに
なっている。メカ修理担当のリコを呼んで 再度 点検させるとボルトが外れている。出発してからでなくて良かった。
デイブとドナと 今日はカイラブネ止まりだ。
15日 05;30カイラブネ出港 アビームで 機帆走で7〜8ノットで走る。
08:15 私が デッキにでて作業をしていると 後ろからドナが付いてきたようで 気配は感じたのに一瞬の間に
ドナがいなくなった。 ”しまった”と 思い船を返し何度も捜索するが 見つからない。デッキから滑り落ちたに違いない。
ドナも一回も”ワン”もいわずにいなくなってしまった。わずか45日間しか 一緒にいなかったが フィリッピンの
犬の愛情の深さにつられ 私も本当にかわいがっていたのに残念だ。 すべて私の責任だ。
本当にかわいそうな事をしてしまった。ドナを貰ったプエルトガレラに16:00着
Goodby Dona See you again ......
貰ってきたとき(11月5日)
12月11日 出港前の最後の写真
後日談。このHPを読んでおられる色んな人からメールを頂くのですが、
”海と犬が大好きな男とかなんとか”というペンネームだけでめずらしく本名を名乗らない若い感じの方から
”ドナが海に落ちてよく探しもせずに行くなんて。”残念だ”それだけでは可哀想で涙がでた。 云々”
という内容のメールを頂いた。
ドナの為に涙を流してくださった事に感謝しましすが、その他の件についてはおおきなお世話だ。
誰よりも ドナを亡くして責任の重さを感じたのは私で他人にとやかく言われたくはない。
ドナは日本の家庭に飼われている単なるペットではなく これから航海を一緒にする同伴者になる筈だったのである。
ドナに対する愛情についてまで、どうのこうのと他人に入ってきてもらいたくはない。
実際の所、食事時になるとドナを思いだし海に食事の一部を放ってやるのだが、デイブに見られない様に涙を拭く有様だった。
デイブは敬虔なクリスチャンで慰めの為に
”神がお召しになった。ボスのせいじゃない。”
と言ってくれるが、無神論者の私には
”神がなんでかってにお召しになるんじゃ”
と、一向に慰めにはならなかった。
自分の船長としての不注意を悔やむ日々が続いた。
以後 デイブも食べ物を海へ捨てる時は 必ず ”ドナへ”と言って放るのが遊帆 UFO
での決め事になってしまった。
ペットに接する態度も、愛情があればそれで良いのであって、たとえ、自分の方法と違っていても、それを他人が
非難するべきものではない。
カヌーイストの野田さんは自分の愛犬の皮を剥ぎ、チョッキにしたて身につけたことでいわゆる愛犬家から非難されたと
本に書いていた。その中で、愛犬だからこそ皮を剥ぎいつも一緒にいたい気持ちは私にはよく理解できる。
犬と一緒に過酷な冒険をした野田さんだからできる方法で、愛犬が一番望み又嬉しがっていると私も思う。
16日 プエルトガレラに碇泊 :プロペラに釣糸が絡まっているので掃除 前回きたときにCDラジカセを修理に出していたのを
受取る。デイブは音楽が聴けるようになって大喜びしている。これからは 46時中 音楽が鳴ることになりそうだ。
17日 06:00 プエルトガレラ出港 途中少女をたくさん乗せたバンカーが寄って来たので アメをほうり投げる。
キャキャと喜んで 何度も手を振って去って行った。
敬虔なクリスチャンのデイブは、食事の時は胸で十字をきって、
”神様、この食事を食べられることを感謝します。”
と、祈るのである。よっぽど
”デイブ、ここは海の上で2人きりだから、ボスに感謝してもいいのとちゃうか?”
と言いそうになった。
17:00 ポートコンセプション着
途中で出会った少女達
18日 06:00 出港 ルデイーのお兄さんとデイブのおばあちゃんの住んでいるTABLUS島 LOOCへ向かう。
しかしデイブもまだ一度もおばあちゃんの家には行った事がないのである。
上陸して 手土産にビールとコーラを買いにサリサリストアーへ行ったところが デイブのおばあちゃんの家だった。
お互い感激して 抱き合って喜ぶ。
ルデイーの兄さんもマニラヨットハーバーで仕事をし退職して後、この島でパナイ島を結ぶ連絡船をもって商売し、
また 簡単な宿泊所も経営している 所謂、町の名士らしい。
夜ご飯をご馳走になり デイブをおばあちゃんの家に残して一人船に帰る。
デイブの親戚{ルデイーのお兄さん) デイブのおばあちゃんとおばさんといとこ
19日 12:00 デイブを迎えに行き 出港するが 雨で前方が良く見えない上に 私が 船内でGPSをセットしていると
船底で ドンと衝撃音がしたので 慌ててデッキへあがると コースが変って浅瀬のサンゴ礁へ乗り上げている。
後ろにアンカーを打って ボートフックで 方向をかえながらソロソロと抜け出る。
デイブは始めての経験でショックを受けている。
”デイブ 心配ない。君の責任じゃない。 君は始めてだけど 私は3度も乗り上げているプロだからダイジョウブ
お陰で デイブはおばあちゃんの家でもう一泊できるじゃないか”
上陸して ルデイーのお兄さんと息子とデイブの4人で 町のレストランでビールを飲み食事をする。
20日 07:30 出港 ボラカイ島を右手に見ながら パナイ島のROXAS CITYに向かう。昼から北東風が吹いてきて
スピード7〜8ノットで走り 日暮れとの競争だ。港の手前には浅瀬があり竹杭で囲ってあるが、注意が必要だ。
フィリッピンの海域は 海の真中でも水深3mの所は至る所にあり、遊帆 UFO がカタマランで1mの水深でも
ダイジョウブなのには助かる。それでも 座礁するのだから モノハルだったら クルージングは終わっていたかも
知れない。Roxas港は 防波堤があり赤青燈がついており 岸壁もある立派な港湾で奥のほうでアンカーを打つ。
上陸して 空タンクを持ってトライシクルに乗ってガソリンスタンドへ行く。
ついでにレストランで夕飯を食べて帰る。
デイブがいるので 自由自在にする事ができる。
フィリッピンこぼれ話 トライシクルについて
トライシクルとは 怪しげなスズキ & ホンダの125cc位のモターバイクにサイドカーをつけた三輪車で
タクシーの手軽版といった所。
相乗制になっていて 途中で乗ったり降りたり 自由にできる。これに 平均7人位乗って 50km/hで走る。
運転手の後ろのシートに2人 サイドカーの中に2人 サイドカーの後ろに立って2人 サイドカーの前に立って1人
サイドカーの横にはみ出して1人という具合で よくタイヤが持つものだ。10分くらい乗っても 10ペソ(30円)
手軽でいいのだが、1等席のサイドカーの中は道が悪いと頭を天井と横にぶつける。
しかし 他人とでも お互い身を寄せ合って 到着するまでじっとがまんをするのは また 風情がある。
22日 今日も フィリッピンにしては珍しく風雨が強いので セブ島行き出港を見合わせている。
子供達が 船に近づいてきたので 竹竿を注文すると カヌーで 港内の生簀のある方へ漕ぎ出して行った。デイブいわく
”ボス 彼らはあそこのエリの竹を引き抜いて持ってきますよ” と言っている。
暫くすると もどってきたが やはり引き抜いてきた様だ。
”これは ダメだ これは返して どこかで買ってきなさい”
もう一度 戻ってきたら こんどは 長さ8mくらいの立派な 竹竿だ。
値段の交渉をデイブにさせる。 初め30ペソとデイブは始めたが 子供達も負けていない。
10ペソ値上げしてくれと言っている。商談成立だ。
23日 いよいよ今日出発しなければ 姪の由美ちゃんと友達をセブ島で出迎えられない。出港するも 風雨と波は強く、
メインを1ポイント ジブもリーフ{縮少)して走らす。
Jintotolo Chanelは浅瀬が多く 波も大きくなってくる。
15:00 舵を持っていたデイブが 突然叫んだのでデッキへ出ると なんとマストが3つに折れている。
回収作業をするが 波がきつく危険だし マストが船体を打ち出したので 全てを海に捨てる決断をする。
こちらは ワイヤーカッターで切ってすぐに終わりだ。
デイブは、今回クルーとして始めての経験だが、相次ぐ トラブルに自分を責めているようだ。
”デイブ 心配する事はない。 海はマストは折って持って行ったけど、船乗りとして一生の内にあるかないかの
貴重な経験を置いて行ってくれたんやから。”
マストが無くなった遊帆 UFO はいまやパワーボートとなり 快調に走り出す。
本来カタマランのため追い波だと結構スピードがでて これも簡単で いいかとやせ我慢で言い聞かす。
24日 オバーナイトで走って 38時間で セブ島に着く。
期待していたのとは違って 安全なハーバーも アンカリング ポジションも無い。
橋の手前のヨットハーバーらしき所へ入港する。
ハーバーにいたおっさんが 日本人かときいたあと 係留費は 1日2000ペソといってきた。
”そんな高い金よう払わん。出て行く”
というと 750ペソにするといっている。
よけいに腹が立ってきて もう結構出て行くと言う。
今度は 一度入港したから 750ペソは払えと言っている。
もう相手にする気にもならない。揉めたら 殴り飛ばす気でいたらさすがにそれ以上は突っかかってこない。
マクタン島をそのまま回って リゾートのある東に回り アンカリングポジションを探す。
レストランで後で聞いた話だが、23日 デスマストした海域で フィリッピンのフェリーが転覆 50名ほどが未だ
行方不明とのこと マストをなくしたが 未だ幸運だったようだ。
25日 由美チャンとあやチャン セブ島に到着 Maribago Bluewater Resort Hotel に泊る。
1泊US$100でやしの葉を使い 民俗調のつくりになっている。
プールとプライベイトビーチがあり 遊帆 UFO はその前にアンカリングしている。
夜は民俗舞踊とアトラクションがありお客を退屈させない。
食事はバイキング式で食べ放題だ。
2人はフィリッピン料理が思ったより美味いと結構食べている。
最近は貧乏性というか もったいない病というか そんな考えになっていて、
4人で思いきり元をとろうと食べて、食べすぎで膨れた腹を抱えてベッドへ転がり込む有様だ。
27日 セブ島で ダイビングとレストランをやっているロッキーRoqueの指導でダイビングに行く。
私とデイブとあやチャンは殆ど初体験 由美チャンだけが10回位の経験者。
ロッキーは朝9:00に浜へ器材を持ってきて、テンダーで往復して運ぶのだが 干潮のため
途中までテンダーを引っ張って行かなければならない。
アシスタントに子供が3人乗ってきた。
近くの浅瀬でRoqueの指導を受ける。
なかなか丁寧に教えてくれる。
水深5m位の所で私のレギュレータの調子が悪く空気が出てこない。
私は子供の頃から素潜り専門だから、パニックになることもなく ロッキーを呼び補助レギュレータで息をする。
あやちゃんやデイブでなくて良かった。
次は 遊帆 UFO でもう少し深い所 10mくらいのポイントでダイビングだ。
そのポイントへ行くまでに遊帆 UFO でキムチチゲを作って昼食にする。
ロッキーは ”Hot! Hot!”と泣きながら 半分しか食べない。
アシスタントの子供の中の一番小さい子{14歳)は やはり からそうでデッキの上を走りながら 食べている。
フィリッピン人は辛いのに弱いのが分かった。
食後疲れてデッキでうたたねの子供達
28日 迎えの島ボホール島のTubigan港へ向かう。途中Bocaboという小島へ寄る。
島は1kmも無いくらいだが 子供達が15人くらい寄ってくる。
どこへ行ってもぞろぞろとついてくる。みんな底抜けに明るい笑顔だ。
この島で子供達と海で泳いで遊ぶ。島を離れる時、何度も手を振って”Goodby”と言ってくれる。
アンカーをあげて ボホールへ 途中は浅瀬が多く注意が必要だ。
そういえば この島の近くに1人の日本人(サキヤマ?)が買い取ったカオハガン島があり そこで小さなリゾートもしているという。
彼は その島を題材に本(なにもなくて幸せな島?だったか)も書いている。
また 島の住民に刺繍を教えたりして出来た商品を日本で売ろうと努力しているらしい。
色々とその島興しを考えているのだろうが、理想と現実のギャプと得る金と失う幸福の矛盾ににめげず頑張って貰いたいものだ。
その島の青年がロッキーの店で働いていてそのサキヤマの事を本当に親切な人だと言っていた。
3時ごろ目的港へ到着する。
港は小さな町で、デイブは大きな町はバスに乗って行くとあると言う。
料金は一人20ペソ 早速バスに乗るが、行けども行けども大きな町は出てこない。
みんな心配になってくる。約2時間ガタガタ道を80kmくらいで飛ばしてやっと終点に着いた。
しかし 町らしい明かりは無い。日はもう暮れてしまった。
こうなったら、船に戻る事もできないので、なるようにしかならない。運を信じるしかない。
今度はトライシクルに乗り換え 一番大きなホテルへ行くように頼む。
10分位で 立派なリゾートホテルに到着。
寝るのと食事が出来れば充分と思っていたのがすばらしいリゾートに到着し、思わず4人は笑顔で 急に元気になる。
Bocabo島やしの木でブランコ 突然現れたリゾートホテル(ボホールトロピクスリゾート)
29日 今 いるところがどこか朝まで 正確な位置が分からない。
地図をみてボホール島の一番南の町(タグビララン)にいることが分かった。
今日は 昨日の反対でまたバスで2時間もどらなければならない。
バスの座席は約60席で満員になると出発するらしい。
途中 客がいると、どんどん乗せるが、もう席がないとバスの天井に乗せている。
それでもバスは天井に人が乗っている事などお構いなしで時速80kmでガタガタ道を走って行く。
よく人が落ちてこないものだ。
天井にも人を乗せて80kmで走る
30日 セブ島を去る日が来た。デイブもレイテ島にママとパパがいてもう4年も合っていないらしい。
デイブは私がいない間は、自分が船を守る為に残るというが、新年は家に帰るように ボスとして命令をする。
その3日間は Roqueが代わりに、子供達と交代で守っているから ダイジョウブと言ってくれた。
遊帆 UFO はどうなるかわからないが、どうなっても所詮は船だ。 それも運命と思おう。
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