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         フィリッピンNo.1レポート (花連港からマニラ)            1999年9月

9月22日  ”水よりビールの方が多くてもええよ”
        鍵さんの希望で勿論ビールは沢山積む。
        台湾花連 15時30分 蒋さんに見送られて出港。
        台風の余波で波は4m 風速15^20ノット しかしながら北東風で
        風向きはよく、遊帆 UFO は平均7ノットですべるように走る。エンジンは充電用にニュートラルに入れている。

  23日  15時50分 北緯22度まで南下 120マイル下がった事になる。この辺から波高2m 風力7ノット 風向南に変わり
        船足は伸びなくなった。

  24日   夜明けとともにフィリッピン最北端の島 Amianamを視認する。相変わらず潮流の影響で3ノットしか走らない。
        この島に吸いつけられたように いつまでたっても離れない。
        ビール好きの鍵さんは、遊帆 UFO に乗る前に ヌルイビールを飲む練習をしてきたそうで、
        朝 昼 晩に 各間もビールを飲む。要するにず〜っと だら〜っと飲んでいる。
        彼の姿を目をつむって 頭の中で思い出すと左手に缶ビールを持ったシルエットが出てくる。
        彼自身も左手にこの缶ビールの重さが無いと 体のバランスがとれん様になってしまったとの事である。
        
        フィリッピン最北端の島Amianam

  25日   鍵さんは 日本経済新聞の切り抜きを持って来ていて、フィリッピン近辺の海賊被害情報を見せてくれた。
        実は海賊が一番怖いのだ。嵐はしのぐ方法もあるが海賊はどのように対処していいか分からない。
        大きな貨物船が行方不明になったり、乗組員が海に放り出されたりしている。
        2人で相談した結果、遊帆 UFO がほしかったらあげる事にして、抵抗しないで手を合わせぺこぺこと頭を下げて
        ひたすら命乞いをしようということにした。
        "けどな鍵さん、 幸いな事に、今日から旧盆で海賊もお盆で 休みやで”
        ”フィリッピンはクリスチャンが、90%というから関係無いのんとちゃう”
        ”え、ほんまか。フィリッピンて盆休みが無いのか。けどな、クリスチャンの海賊なんて聞いた事ないで。”
        という迷推理をして堂々とルソン海峡を渡っている。
        石垣島でアメリカ人ヨッテイーのマイクにフィリッピン情報を聞いたが、アドバイスとして 
        ”日本の国旗は揚げて走らないほうがいいよ。みんな日本人はお金持ちで武器無いの分かっているからね。
        狙われやすいよ。”
        といわれていたので、愛国心より命の方が大事なので、早速に下ろしてB.C.Y.Cクラブ旗を揚げているがアメリカの国旗の
        方が安全ならそれも使うつもりだ。
        海上保安庁も海賊危険海域に行くときは 安全装備品に手榴弾3個 機関銃1丁は 船に装備する事なんて世界中に
        公表し 且つ 御指導が戴ければ 日本の国旗を 揚げて走れば海賊も寄ってこないだろうに。
        17:00 15マイル沖で アウトリガーカヌーが1艘高速で近づいてくる。
        ”やばい 海賊かもしれんど” と 話し合っているうちに20mまで来て、笑って手を振って魚をやるといっている。
        魚(さわら)を貰って 台湾ビールを投げる。
        さっきまで怖そうに見えたが、よく見ると30歳ぐらいの人なっつこい顔をした漁師の兄ちゃんだった。疑うてゴメン。
        ”ああ、海賊と違ごてよかったな”
        ”けど お盆でも仕事してるやんか”
        ”そうやな 漁師の兄ちゃんもお盆休み無しで働いてるから、海賊も仕事してるな”
        と いう事で 私の海賊お盆休み安全説はもろくも砕けてしまった。
                           
        アウトリガーカヌーに乗ったフィリッピン漁師の兄ちゃん  交換した台湾ビールと魚(30分後味噌煮込みになる)

  26日  燃料も乏しくなってきたので SAN FERUNAND港(N-16-36-694 E-120-17-951)へ向かうが あと15マイルくらいの
        ところで 向かい風で進まない。日が暮れてしまって、雨と風が強くなってきた。日本では夜間入港も
        できたが、見知らぬフィリッピンでは 不可能だ。
        沖合い6マイルくらいの所で ヒーブツーで 漂流状態にして一晩中過ごすが 船は止まっているため波で
        揺られて乗り心地はよくない。

  27日   朝 入港するが 日本のように 防波堤 桟橋は無い。本船用の桟橋で何人かが こちらへ着けと指示している。
        大きな タイヤに横付けして フィリッピン上陸 (08:15)する。
        呼んでいたのは、検疫 税関 入国審査官達で、遊帆 UFO に乗りこんで事情聴取とフィリッピンのシステムの
        話合いが始った。
        フィリッピンのシステムの説明は 要するに手数料(賄賂ともいう)をいくらでやるかの交渉だ。
        我々は、日本人で 一般的には 金持ちといわれているが 我々は特別貧乏で安くしてくれと頼む。
        何が高いのか安いのか情報が無く叉ペソの交換レートも分からない為、適当なところでオッケーすると、
        後は船内調査など一切無し。
        書類にサインして、あっという間に終わる。燃料の配達までしてくれる。
        中の一人 エドモンドなる人物は、両替商もかねていてお金を換金してくれるし、ちょっと町へ買い物と食事に
        行きたいというと、フィリッピンではトライスル(バイクに横に客を乗せられるように改造した タクシーみたいなもの)
        を呼んで、一緒に町を案内してくれた。
        始めて食べるフィッリッピン料理は、なかなかいける。フィリッピンの国旗を買い、食料を買って船に帰る。
        エドモンドはしきりに 明日 マニラへ行け 今晩は 自分が町を案内するからというが、船の係留が心配なので
        17:30 エンジンスタート マニラへ向かう。
       
  sanferunandoの町         フィリッピン上陸第一歩      町並み               エドモンドとトライスル三輪車

  28日  昼前に外でワッチしている鍵さんが大きな声で
        ”言葉わからな〜い” と 叫んでいると思ったら、デッキに ゴトゴトと何か飛び込んできたような音がするので
        外へ出ると、鍵さんがトビウオを集めている。
        ”どないしたん?”
        ”又 漁師の兄ちゃんが魚放り込んでくれたから ビールと交換したんや”
        20〜30cmのトビウオなので早速 4匹刺身にさばき、残り6匹はソテーしておかずにする。
        夜に ワッチしていた鍵さんが
        ”オバタはん 起きて! 変な船が着いてくるねん”
        遊帆 UFO の回りを 無灯の2艘の大きめのカヌーが近寄ってきて、行ったり来たりしている。
        2人とも てっきり海賊だろうと思っていたら、30分ほどして離れていってしまった。
        こちらは それでなくても海賊アレルギーなのに、漁師のカヌーか何か分からんけど夜中わざわざ寄ってこなくてもいいのに。
             
        トビウオ手術中            今回 最後に見る夕日

  29日  夜明けと共に コレヒドール島が見える。ここからはマニラ湾内になるが、近辺ごみだらけだ。遊帆 UFO も
        スクリューにごみと木(2m)が絡んでいるので掃除をする。
        鍵さんの、もう一つの目的である、叔父さん(鍵さんのお父さんの弟)の供養をここでしようという事になった。
        叔父さんは レイテ沖海戦で 岸波駆逐艦に乗っていたところ魚雷3発ほど受けて 2000mくらいの深い海に
        沈んでしまった。場所はここからまだ南西130マイルくらい離れている。
        日本軍国主義の最中に国家の為に命を無くした人々の無念さを思い、再び 日本が変な方向へ行かないように
        平和に暮らしていかなければならないとあらためて思う。
                                      
        供養物(日本から持ってきた花 線香 ろうそく 現地調達の酒と まんじゅう)   マニラヨットクラブ

        15:00 マニラヨットハーバーへ到着。完全会員制で警戒厳重でここなら 安心して係留できる。
         手続きを終えてとりあえず 冷たいビールを飲みにクラブのレストランへ行く。
         鍵さんと2人 無事到着できた事に乾杯!
         ”やっぱり 冷たいビールはうまいな〜”
               
         ハーバーのクラブで乾杯        海鮮の店              鶏の丸焼き

  30日  ヨットハーバーマスターのRodyと仲間達5人で彼ら行きつけの店で食事とビールを飲む。テレビが映っていたのが
        カラオケになる。みんなが順番に歌いだすが全部英語の歌ばかりだ。
        全員がプロ歌手みたいにいい声をしているしうまい。
        気を使ってくれてしきりと日本の歌を探している。
        ”あった スキヤキソングがあるで” と いう感じで Rodyが 勿論関西弁ではなく フィリッピン訛の英語で言う。
        ”これやったら みんな知らんやろから 歌詞わからんでもええな” という事で私が 1番 鍵さんが2番を歌う。
               
        底抜けに明るいハーバーの仲間      スキヤキソング熱唱中
        
10月1日  イリジウム電話は 衛星状態が悪いので声が途切れたりするうえに使用料金も高いので、フィリッピンの携帯電話を
        買いに行く。店に行ってBoschなる機種を選ぶが 約7,000ペソ(2万円)を支払うだけで 契約書やら 銀行口座
        本人確認のもの はんこ 等一切不要だ。どうやって料金を払うのかと思っていたらプリペイドカードがどこでも売っていて
        これを買って スピード宝くじみたいにコインでこすると 数字が出てくる。その数字を電話を掛けて番号を押せば
        それで その金額分使える。これを見た NTTの鍵さん
        ”こんなん 始めて見た。これやったら 料金踏み倒されへんし 簡単やし ええやん。
         NTTドコモも なんでこうせえへんのやろ。負けるデ”
        と 急に 愛社精神が沸いてきてしきりに感心している。
        早速 テストをホテルの公衆電話から 携帯電話へかけてみるが公衆電話の使い方も始めてなので何が悪いのか
        分からないまま なかなかつながらない。
        調査の結果、携帯電話回線が混んでいて話中が多いという結論になった。
        ”鍵さんこんなとこまできて、仕事してるみたいやな”
        ”ほんまや 海外電話状況の視察してるのと同じや”
        ”腹減ったし 飯くお” 
        と フィリッピン料理の店にいき ビールと豚のロースト ガーリックライスを注文する。
        これまた美味だ。
        鍵さんがトイレへ行ってから 長い間帰ってこない。
        ”おかしいな? 鍵さん トイレで 誘拐されたんやろか?”
        と 心配して トイレへ見に行く。
        なんと トイレの前で人がたくさん集まって騒いでいるし中からは戸を叩く音がする。
        ”どないしたんや”
        と ガードマンに聞くと、戸が中からロックされてしまって開かないらしい。
        店の人がハンマーを持ってきて無理やりあけると鍵さんともう一人が照れくさそうに出てきて全員無事救出作戦成功だ。
        ”なんで オバタはんの時に ならんと ワシの時になるねん。 もう一人の兄ちゃんが戸を閉めてからなったんや。
        雪隠詰めや ついてえへんな”と嘆く。
        夜に 同じ店へ行くとガードマンがニコニコしながらしきりに頭をペコペコ下げている。
        救出作戦に参加していた人で 我々を覚えていたのだ。
        
        
    2日  マニラヨットハーバーを出港して 40マイルくらいのところ CAYLABNE BAY(N14-16-605 E120-38-891)に到着。
         3方を山に囲まれ 大きくもなく 小さくもない湾になっていて波は入ってこないし、砂浜は遠浅で水はきれいし 
         やしの木には実がなっている リゾート地のようだ。
         早速 湾に面したレストランで 冷たいビールで乾杯!そのうちに暗くなってお客がたくさん入ってきた。
         我々も スパゲッテイ 魚のフライ テイルの煮込みを注文する。
         男3人組バンドで各テーブルを回って 歌のサービスが始る。
         我々のところは日本の歌 "昴"を歌ってくれた。
         そのため あのテーブル客はどこからきたか だいたい分かる。
         こんなにすばらしいところが、始めから見つかるとは思っていなかった。
         あるいは あちこちに  同じように素晴らしいところばかりなのかもしれない。 
                     
     遊帆 UFOを後ろに湾内の景色    同じスキンヘッドトランぺッターのアミーゴ       子供とダンス

   3日  CAYLABNE BAYから 20マイルほど南にMAYAMAYA(N14-06-928 E120-36-702)というところを目指す。
       港の入口は東側に向いて 幅は10mほど 中は狭い。
       岸壁をあがるとすぐMAYAMAYA RESORTがあり、やしの葉でできた ホテルが 20棟ほど並んでいる。
       レストラン  プール ダイビング設備が揃っている。
       波も全く無く 時々 鳥の声がするくらいで静かで気持ちがよい。
           
     やしの葉でできたホテル      MAYAMAYA湾内           やしの葉レストラン
              

  5日  石垣島から2人連れできた鍵さんも今日で日本へ帰る。今回 もし鍵さんがいなかったら、来るのは来たが心細く
       寂しいクルージングになっていただろう。シングルハンドで7日間海上生活は、精神的 肉体的につらいものだ。
       仕事を休んで 参加してくれた貴重な時間を 楽しんでもらえたかが心配だ。
       私にとっても 一生忘れられない 驚きと感動のクルージングだった。
       この間飲んだビールを数えたら約150本位の空き缶があった。
       最後にもう一度ビールで乾杯!

     10月11日から 日本へ一時帰国 11月 1日 再度 フィリッピンに戻り 島々をクルージングします。
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