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         台湾から南下                          1999年9月

         台湾入港情報
          下記台湾ヨットクラブの方に連絡すれば助けて戴けます。
          台湾ヨットクラブ:基隆港
                    郭延祥氏  FAX:886-2-2363-2049 e-mail:sailkuo@tpts5.seed.net.tw
                    陳武隆氏  FAX:    2-2521-6103 e-mail:jimmy@ms1.hinet.net
                    花連港
                    蒋俊華   FAX:886-3-835-0495 Tel: 886-932-559022
          基隆港:できれば事前(1日前)にFAXにてShip's Pre-Arrival Report)を送る方がよいが、無くても港湾入口で
                VHF CH14で呼び出せば水上警察のモーターボートが出迎え先導して入港許可と船員用外籍船員臨時
                許可証を発行してくれるので、上陸可能。
                出港時は、又警察職員がやってきて簡単に終わる。
                係留場所は港湾最奥で 条件は悪い
                係留費用 Docking Fee NT10.80/Hour+ Clearing Fee NT19.70/day 
                手続き費用 自分で申請するので不要
          花連港: 係留費用は下記のように必要
                係留費用 1.Port Charge
                          wharfage 72hrs x NT$27 +5%    =NT$2,041-
                          mooring                  =NT$  600-
                          garbage clean fee            =NT$  889-
                       2.Transportation Charge       =NT$1,000-
                       3.Agency Fee               =NT$3,000-
           以上が 正式入港時の費用で emergency の場合は一切必要無し。
           emargency 入港時は VHF14CHでemargencyと呼んで 信号紅煙でもあげれば可。              

9月15日  約150マイル30時間で基隆港へ到着 3本の煙突が目印で港内に入ると水上警察のモーターボートが近づいてきて
        後に続く様に指示あり、親切なのか逮捕されるのか心配しながら基隆港の一番奥の東の岸壁に向かう。
        奥はプラスチックのゴミが沢山浮いて、水の臭いもドブの臭いがしてくる。
        航海途中にクラッチワイヤーが折れてニュートラルとスターン(後進)が入らないのでエンジンを止めて岸壁に当てる
        感じで着岸させる。
        早速手続きだが、水上警察が事情を聴取して港湾許可の書類を貰い 船員用の外籍船員臨時許可証を貰ってすべて完了だ。
        あれだけ 入国手続きに心配していたのにパスポートに入国の印も押さなかった。
        今度は 新聞社が3社程来て 写真を撮ったり取材される。
        次は 中国電視公司(テレビ局)が来て、コメントを言うように言われる。
        型どおり 無難なところで友好親善趣旨で終わる。航海より取材ですっかり疲れてしまった。
        台湾のヨットクラブの陳武隆さんと郭延祥さんがきていろいろ手助け(クラッチワイヤーの購入)してくれる。
        昼飯も食べずに取材されていたので 夜は早めに町の屋台へ出かける。
        ”鍵さん この蟹 チリソースやと旨いで”
        ”とりあえず ビールで乾杯!”
        新鮮なカニ 野菜が安くてうまい。
        町行く台湾人のエネルギーに圧倒されそうだ。
                 
       基隆港入港前貰った台湾の国旗を揚げる   屋台でエビとカニでビールを飲む

  16日  朝は又昨日の屋台通りへ行く。
       とりあえず何でもうまくて安いので5品ほど注文して食べるがそれでも2人で400円ほどだった。
       食後、中山公園に散歩に行くが 何か日本語で歌を歌っている。
       曲名は古くて分からないがお年寄りがマイクで音量を大にしてカラオケをやっている。
       その前で 何組か社交ダンスをしている。
       実のところ台湾で日本の歌が一般大衆の中でこんなにおおぴっらに歌われているとは思わなかった。
       というのも 韓国では日本の歌が最近まで禁止されていて公の場で歌われる事はなかったのを知っていたからだ。
       また、戦争で侵略した時代があった為 台湾人の対日感情は如何なものか見当もつかなかったのだ。
       到着して日も浅いが台湾人は日本に特別悪感情を持っていないように見える。
       或いは 台湾人のおおらかさか人間の懐の深さから侵略時代の事を許しているのかもしれない。
       どちらにしても、国境を越えた平和はいいもんだ。
       コンビニで新聞を探すと自由新報という新聞に遊帆 UFO の寄港のニュースが大きく写真いりで出ているではないか。
       若い時に交通事故で半分パラダイスに行きかけて新聞に載って以来のことだ。
       特に写真入りで載るのは始めてのことだ。
            
        中山公園              カラオケ&ダンス am9:00     新聞に載った遊帆 UFO 
       
       夜に台湾ヨットクラブのメンバー(5人)が私達を豪華中華料理で招待してくれる。
       このクラブは台湾で唯一のヨットクラブであり そのメンバーの内4人が常時 52ftケッチ(希望号)で世界一周を
       していて、残留組が時間を作って乗りに行くのだそうだ。
       希望号は今は地中海を航行中で、一番若い陳さんは奥さんに反対されながらも来週から乗りこみに行くらしい。
       去年 初めて 石垣島ー花連ヨットレースを行って、今後続けて行く希望だが、ヨットハーバーも無く 係留場所も
       無い為ヨットもないのが、悩みのようだ。
       そんな事情で、台湾から参加するヨットはなく、日本から来たヨットの世話をし 各船に分乗させてもらって参加するそうだ。
          
       台湾ヨットクラブ主催宴会      台湾ヨットクラブ合同クルージング

18~19日 台湾ヨットクラブメンバー6人と基隆 16:00出港  無風状態で潮流は逆のため 19日13:00到着予定が
       遅れる。船上で郭さんから ヨット 船 に関するあらゆることをコンパクトにまとめた自著本を戴く。
       鍵さんは その本を見て
        ”これ 日本語で書いてあったら売れるで。この人 なんの仕事してはんのやろ?いつこんな本書くんやろ”と 感心する。
        琵琶湖より静かな海面をほとんど風も無く機走で 花連港へ入港する。
       途中で入出港届所があって全船舶がそこでチェックする事になっている。
       一時間位 やり取りがあったり 取材を受けたり忙しくした。
       対岸に中国がありその関係もあってかチェックが厳しい為に、台湾も マリンスポーツは大変だ。
       夜は、花連のヨットクラブの蒋さんの家でシャワーを浴びて、全員でパーテイーに招待される
            

  20日  朝食に出かけるのに、港からは距離があるので、水上警察所の人にタクシーを呼んでもらおうと頼みに行くと、
        自分の車で連れってくれた。
        市場の中にあるおばあちゃんのうどん屋が旨そうなので注文する。
        私よりきれいな日本語(標準語の事、私は関西弁)をしゃべるので聞いてみると、
        ”日本侵略時代小学校の時に勉強したからおぼえているの”
        ”ところで おばあちゃんの年はいくつ?”
        ”あなたのお母さん位かな?”
        驚いた、生きていれば、本当に私の母親と同じ年だった。支払いしようとすると
        ”お金はいらない。日本からきたから おごってあげる”
        ”あかん あかん そんな事したら 明日これへん”
        無理やりお金を払うが缶ビールはいいという。
        本当にやさしいおばあちゃんだった。
        鍵さんが 新聞を見て
        ”おお  今日も新聞に載ってるで。今日の方が前のより大きいで”
        気分はすっかり有名人だ。
        花連市の北西にある大理石の渓谷 太魯閣国家公園に観光に出かける。
        山全体が大理石で川の水で侵食されて断崖絶壁になっている。
        今は自動車道路が走っているが、昔、原住民の太魯族は断崖に細い道を切り開いて通行していてその細い道は
        山の斜面にギザギザの形で山に登って残っている。
        橋は最近の台風で大きな石が落ちてきて壊れてしまっていた。
       
  うどん屋のおばあちゃん      太魯閣渓谷全部大理石        花連入港 新聞に載る     花連の町

  21日  夜中に少し揺れを感じて、目を開けると見える風景の位置がおかしい。
        良く見ると横抱きしてもらっている蒋さんの船の舫いロープが切れているので、繋ぎに桟橋に上がるとゆれている。
        ”あれ この桟橋は浮いてたんかな?”
        と、聞くと鍵さんは 私が寝ぼけていると思っていたらしい。
        朝 起きてテレビをみて 驚いた。
        マグニチュード7位の大地震で、建物は倒壊し死傷者が多数でている。
        震源地は碇泊地花連の町から、ひとつ山越した西側辺りだったので、ひじょうに近い。
        その為、コンクリート桟橋に繋いでいた蒋さんの舫いロープが急激な振動でぶちきれてしまったのだ。
        我々はラッキーな事に蒋さんの船に舫っていたので被害は全く無しだ。
        また、遊帆 UFO で寝ていた為、波に揺られた感じしか受けなかったので朝まで全然分からなかった。
        台湾ヨットクラブの連中は大丈夫か心配したが その後メイルで連絡でき 全員たいした被害は無かったらしい。
        昨日 太魯閣国家公園に観光行っているときだったら 頭の上から大理石が降ってきたかもしれない。
        又 海側で地震が起こっていたら 津波で遊帆 UFO は陸上に打ち上げられていたかもしれない。
        まだ 運はついている。腕と頭の悪い分 運でカバーしてきたのがまだしばらくは続きそうだ。

        22日午後から出港してフイリッピンへ海上ノンストップ7日間位の旅になります。

        
        石垣島ー基隆ー花連
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