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           第117番 京都でブラブラ     2010年7月

マレー鉄道の旅NO.1
タイのクル―のタッチにバタワース駅まで送って貰い、暫しの別れです。
幅の狭いレールだけを見ていると、倒れないかなと心配になるが、乗ると案外 広く感じます。
バターワースでは客車車両は4台だけで、最初に動き出す時とてつもない大きな音で瞼が重くなっていたのが一度に目が覚めました。
4 人掛けですが、2人ずつ座るようです。
向かい側は眼のぱっちりしたマレーの若い女性でラッキーと思っていたら、最初の停車駅で降りてしまいまし た。
夕方に国境の駅で出国入国手続きを終わると、車内は一気に陽気で開放的な空気に変わります。
マレーシアからタイに入国するといつも感 じる空気です。
早速、取りあえずビールで喉をうるおし夕食を注文します。
日が暮れる頃、タイの南で一番大きな町HatYaiに到着です。
こ の駅を出た頃から、2本目のビールと夕食が出てきます。
ゆっくり食べ終わると、車掌さんがベッドを作りに来てくれます。
私は、下段で、上 は誰もいません。
ゴットン、ゴットンと言う音に誘われてすぐに眠くなります。
では、オヤスミナサイ♪

マレー鉄道の旅  NO1
http://www.youtube.com/watch?v=_ExaZWDC8tA


マレー鉄道 No2 アユタヤ
バンコクのファランポーン駅からアユタヤの切符を買うと15バーツ(50円)程。
「ええ? 安いな!ほんまかいな?」
チョット、タイラー メンでも食べるかと、駅の構内のラーメン屋へ。
発車時間がきたので、プラットフォームへいくと、もう、客は乗りこんでいる。
車内はやはり チョットグレードが落ちるが、別に気になりません。
どこに、座ろうかなと思っていると、オジサンがここに座れと席を作ってくれました。
バ ンコック駅からアユタヤ駅まで3時間程らしい。
早速、干しダラの裂いたのを売りに来たオバチャンからビールとつまみにこれを買い飲みながら行きま す。
バンコック市内の綺麗な寺院と王宮と、貧しい線路側の人々の生活と外の景色はアンバランスです。
しかし、何でもありで雑多な感じ、こ れがタイの風景です。
もう一つは、花と犬が多いのも特徴です。
アユタヤ駅につくと、駅前にレンタバイク屋を見つけました。
オジイ サンと交渉して1日200バーツ(600円)でOK。
早速、市内観光と宿探しとうまい食堂探しに、勘を働かせて走り回ります。
アユタヤの 町が4方を川で囲まれていて、防御し易い地形です。
日本戦国時代に、ここまで来て王様の為に将軍となって働いた日本人が偲ばれます。
昔の 日本人は新天地を求め自分の腕と度胸だけでこんな所に来たのかと思うと、少し羨ましい時代だったなと感じる私でした。

マレー鉄道 NO2  アヤタヤ

http://www.youtube.com/watch?v=zLhDEWl8vtk


バンコックからベトナム経由で関空へ帰国しました
パソコンが不安定になり、データーが消滅し、インターネットにもつながる環境ではありませんで した。
データの消滅では、電子紙芝居の原稿6作をなくしてしまったのが悔やまれます。
写真も最近のものは消滅し、バンコック以後の動画も アップできません。
パソコンOSもまだテスト中という状態です。

図書館通い
帰国して一番嬉しいのは図書館にいける事です。
京都では一度に10冊まで借りることができます。
小説を一度に5冊ほど借りて読むのですが、パソコンで電子書籍に慣れた私には字が小さくて読み辛いのです。
寝転んでページをめくっていたりすると、ゴミが落ちてきたりします。
私としては、電子書籍化してインターネットでみれるようにしてくれたらありがたいのですが。。
図書館も県外の図書館は貸し出ししてくれないらしい。
遠方の人は返却されないからだろうか。
あるいは図書館にも縄張りがあるのだろうか。
同じ書籍を各地で持つのも無駄なような気がするのです。
これとて、税金で運営されているに違いないと思っています。
日本で電子書籍化されても、海外からのアクセスには閲覧できませんというようなことになりそうな気がしますが。。。

海が恋しい
帰国して随分経ちました。
海が恋しいので、家族で神戸垂水の平磯海釣り公園へいきました。
子供の頃にあった海岸は埋め立てをして、そこに海釣公園となり入場料を取って釣りをさせています。
ここは海流の速い所で、子供の頃は沖に出れば流されるという思いがあり気をつけて泳いだものです。
私は、釣よりは銛を持って潜ってベラなどを取るのが得意でした。
今日の仕掛けはサビキで、これなら孫も釣ることができます。
明石海峡を通過していくヨットが6艇程並んで大阪神戸方面に向かっているのが見えます。
風がないので、帆を降ろし機走です。
こういう風景を見ると血がウズウズしてきます。

淡路島の風景も明石海峡大橋ができて随分変わってしまった。
今から40年程前に淡路島に国際飛行場を作る案があり住民の反対で没になり関空になってしまったが、あの時に国際飛行場とセットで淡路島を関税フリー地域にしてたりしたら、随分と違った姿になっていたでしょう。
歴史に”もしあの時”と考えるのは、意味がありませんが、それでもそういう分かれ道の節目は日々の中にあり、見つけにくいものであり、現代でも日々そういう重大な節目を見過ごしているのかもしれないなと思うのでした。

夏風邪ひいた。

日本に戻ると風邪を一度はひくのは覚悟の上でしたが、こんなにひどい咳が出るとは思っていませんでした。
暑いのにマスクをしなければならないなんて、声もガラガラです。
全く日本は私にとって鬼門のようになってしまいました。
どうも愚痴ばかりの日本滞在記になりそうです。

琵琶湖鮎捕り
朝5時半起きて、息子と男孫を拾い琵琶湖柳が崎ヨットハーバーへ。
木原さんに網を借り、松ヶ浦へ行きました。
川の流れこむ湖面には小鮎の魚影が見えます。
「パパ、網の左端をもち拡がれ!」
と指示をしながら、2人で打ち網を一杯に広げてそっと降ろします。
孫はバシャバシャして追い込む役目です。
本当は、打ち網をするのがうまく拡がらないのでこれが効果的です。
結局小指ほどの大きさの小鮎を30匹ほど捕りました。
ブルーギルは琵琶湖に戻します。
10時ごろ気温が上がってくると、さっぱりいなくなりました。
それから、まだ2時間ほど泳いだりして遊び、網を返しに柳が崎のハーバーへ戻り、捕れた鮎は木原さんに晩のおかずにという事であげて帰りました。
琵琶湖の沖合にはヨットが走っています。
今日は、時間がないので乗らずに帰りましたが、次は2日位琵琶湖クルージング計画です。

ようやく、日本に慣れてきました
帰国して1ヶ月少し足らずで、ようやく日本に慣れてきましたが、テレビの番組のあまりの低俗報道に見るのが嫌になります。
テレビに出てくるコメンテーターの言までも、各局同じなのにはうんざりです。
今は、相撲と暴力団との付き合いを取り上げていますが、指定暴力団関係者を叩いている番組は殆ど無く、相撲関係者ばかりを取り上げています。
悪 い元が分かっているなら根元の指定暴力団を潰せば良いのではないかと思うのですがそうしないで付き合いがあるとか無いとか、勿論付き合うべきではないで しょうが、付き合っていた両方とも問題ありとするのが本当ではないのでしょうか(相撲関係者は名前が出ますが、元の方は名前も出ません)。
現在の強力な国家権力で、もし本気で指定暴力団を潰す気ならできないことは無いと思います。
全ての人に全くの善人を期待するのは無理でしょう。
悪をばら撒き引き込む元と、引き込まれる方がありますが、少なくとも前者を潰すほうがより一般国民にとって効果があるのではないでしょうか。
その方が一般国民を守る方法ではないかと思うのです。

近江八幡 長命寺
午後3時ごろ 琵琶湖柳が崎を出港し大橋の下をくぐり、エリをよけて、近江八幡長命寺を目指します。
追っ手10ノット程の風で日没の頃に到着しました。
ここまでくると周りの明かりが無く星が綺麗に見えます。
まずは金星が光り、東の空にはほぼ満月が顔を出すまでに、缶ビールは3本空いています。
ここ長命寺の漁師が差し入れてくれたフナ鮓を薄く切り、これを肴に日本酒を開ける。
フナ鮓には日本酒がよくあいます。
うまいと思って飲んでいたら5合を飲んでいました。

次の日朝は長命寺沖合いで他船もいないし、海岸からも離れています。
船を止め素っ裸で琵琶湖に飛び込みます。
淡水なので気持ちがよく、体を洗って目を覚ましました。

夏はナイトセーリングが一番です。


京都ボストン美術展
京都平安神宮横にある京都美術館へ出かけました。
平日で雨が降っていても沢山の人が見学に来ていました。
日本ではこんなに沢山の人が美術に興味を持っていると言う事に驚かされました。
有名な画家の絵がずらりと並んでいました。
私は小さいときからブラックと、ミロの絵が好きでしたが、今回1点だけブラックの静物画がありました。
私は浮世絵が好きで、旅のアルバムに浮世絵に下手な句をつけて載せています。
浮世絵展等となると、こんなにお客は来ないかも知れません。

久しぶりの日本風景に?
久しぶりの人ごみの中へ行くと、人々の様子が東南アジアと違って見えます。
大部分の人の服装はきっちりとし、街を歩く姿も難しい顔で足早でサッサと行きかいます。
沢山の人がいるにもかかわらず、東南アジアのようなザワザワした声がなく、まして大声で喋っている人もいません。
街はごみ一つ落ちていなくて、オシャレな店が軒を並べています。
しかし、人々にも街にもエネルギーが感じられないのです。
何故なのでしょう。
東南アジアでは人々はどんなに貧しくとも、何かしてお金を儲けて、その日の食事は食べるのだという様なエネルギーがあります。
そして貧しくても笑顔で明るく他人に親切な所があります。
日本では皆さん他人に関わる事を嫌っているようにも見えます。
こんな感じがするのは私だけなのでしょうか。

カブト、クワガタを探して
夜ではなく朝というべきでしょうか、2時に亀岡方面に息子、男孫の3人で車で山に入ります。
山道は車が1台通れる幅しかありません。
懐中電灯を持ってドンドンと登っていきます。
殆どが杉ですが、クヌギ、松など蜜が出ている木の穴を重点的に探します。
天空は満月から5日程欠けた月が光っていて、綺麗な川が流れています。
去年は、このポイントでクワガタと、カブトを見つけたのに、今年は全くいません。
このポイントはカブトムシ業者が目を付けていて、地元の農家のシイタケ栽培の木まで荒らしていくようになったと、こぼしていたのを思い出します。
1cm位のクワガタが1匹だけ見つけましたが、孫に
「小さい赤ちゃんだから、離してあげよう」
と、納得させ帰りました。
昆虫も住みにくい日本の森林になっているのでしょうか。

大人の隠れ家
京都西山の麓に、ヨット仲間の竹山があります。
ツリーハウスを造り、ブランコを作り、池、畑、石釜を作り、大人の隠れ家として遊んでいます。
今日は、私の一時帰国歓迎パーテイという名目らしいですが、その事を聞いたのは帰り間際という有様です。
みんなで、持ち寄りワイワイとやりながら飲んで食べれば幸せなのです。

遊帆(UFO)が日本1周とフィリッピン航海等も参加されたヨット仲間の船(Yamaha30)を1艇、マレーシアペナンに廻航してよいという話が進み始めました。

海に降ろすのは若狭辺りで、廻航時期は来年5月頃がよいのではないかと考えています。
若狭を出港してノンストップで台湾まで行く積りですが、天候とコースを考えなければなりません。

次に出国方法を考えなくてはなりません。
売買契約をし、外国貨物として税関申告し、その運搬という事で廻航できないかと考慮中で、この件も税関と日本船舶協会に問い合わせする必要があります。
最も、難しいのは日本を出国する迄の手続きです。

パソコンの調子を見るためにOS入れ替え後初めて動画を作ってみました。

大人の隠れ家 流しそうめん です。
http://www.youtube.com/watch?v=F-DJaowJYDk

健康診断にいく
我がカミサマ(奥様)が無料健康診断があるので近くの町医者に行ってきなさいとの命令により、渋々行きました。
医者は顔色は悪く、痩せていて腕に点滴の注射後があります。
見た目は私と医者と座る位置を変えた方がぴったりという有様です。
病室には糖尿病は6人に一人とか、癌は何人に一人とか書かれたポスターがあっちこっちに張ってあります。
6人に一人というと、自分はその一人に入っているのではないかと不安になるのを勧めているように見えます。
別に自覚症状もないのならレントゲンやらCTスキャン、胃カメラ等必要ないのではないかと思ってしまいます。
私など病気など探せば何かあるという年になっています。
急な命に関わる病気でなければ、死ぬまで持っていこうと思っています。
私の場合は高血圧と痛風です。

簡単な事が難しい日本の仕組み
ヨットを日本から海外へ持ち出すのに各方面に電話で問い合わせをしました。
持ち出すヨットは琵琶湖にあるので航行区域は平水仕様です。
関係省庁というと、1.税関 2.海運局 3.日本小型船舶協会 の3つです。
こちらの持ち出す方法は
1.名義を変えず日本船籍のまま海外へ自走する。
2.輸出申告をして、日本船籍のまま海外へ自走する。
3.輸出申告をして、日本船籍は消滅して海外へ自走する。

今回は
1.自走するが近海仕様(高額装備が必要)はしたくない。
2.一度出向したら日本領海を離れるまで寄港できないのを覚悟しなければならない。

以上の条件で各省庁に問い合わせた所、各役所は自分の守備範囲しか答えてくれないので、後は自分で考えるしかありませんでした。

要点は日本船籍なら日本の法律が適用されるが、他国の船籍なら日本の法律は適用されないという事です。
日本国籍を失った船(他国籍)は決められた港しか入港できない不便はあるが、どうせ、日本領海を離れるまでは無寄港と決断すれば、どうという事はありません。
何かの緊急避難寄港拒否はできないのだから。

という結果になり、目途はついたようです。


国会中継をTVで見て
帰国中のなので国会中継を見ていました。
論戦と呼べるほどのものではなく、国会議員さん達は、どうも本音を隠しているような気がします。
デフレで破綻的国家財政の問題を解決する方法を誰も口にしないという事は深く静かに進められているような気がします。
最も簡単な円安、インフレに導くというのがその方法のようですが、誰も言わないのです。
こういう時にこそ、危機が近づいているのではないかと思うのは私が下衆の勘繰りというものでしょうか。
私の考えるシナリオは次のようなものです。
消費税を10%に上げても、国民は不満がでるし、それで財政改善とはいかない。
日本国民の高い貯蓄率は世界1であるが、その貯金はゆう貯、銀行、保険会社にあるのです。
預かったゆう貯、銀行、保険会社はリスクはあるがリターンの大きい投資ではなく、安全と思っている日本国債を買っています。
この意味は家族で考えると、怖いお父さんが睨みをきかして借金を家族中でカバーしてふくらませているようなものです。
支えている家族はよその家より利息はすくないけれど、家族だからと我慢しています。
でもいつかは利子をつけて借金を返さなければなりませんが、それもよその家の人が引き受けてくれると言う事もなく、又、家族で支えます。
全額返して貰えば、利子は少なくても減らずに済みますが、家族の中の誰かがやむ負えぬ事情、又は、よその家の利子にひかれて、預けた金を返してくれという事になるとどうなるでしょう。
期日が来るまでは返してもらえないので、割り引いて誰かにその権利を譲ってお金に変えようとするでしょう。
割引競争が起こり、国債相場は暴落します。
水膨れした、国債借金バブルははじけます。
いつの日かそうなる時がきそうで危なそうに見えても、怖いお父さんと家族の絆で今は解約する事もないので、すぐに破綻ということはなさそうに見えます。
即ち、海外ヘッジファンドが手を出しにくいという事で今まで来ました。
外部からカラ売りの脅しをしかけても、成功しませんでしたが、内部から売りが始まると割引競争で一気に暴落が始まるかもしれません。
今はこのギリギリにいるのではないかと考えています。
ではそうなる引き金は何かと考えるのが次のシナリオです。
消費税10%でも財政健全化できず、次に目を付けるとすれば、ゆう貯、銀行、生命保険等の貯金を狙うというのは、自然な方向です。
金持ちから税金を頂くという大義名分もあり国民の支持も得られやすいと政府官僚は考えます。
しかも架空名義預金ができないようにしてきた今は、国民個人の預金額を把握するのは簡単です。
日本の銀行は金融省管理下ですから、後は外へ逃げていく金の流れは外為法で簡単に縛る事も把握する事もできます。
そういう事で貯金に税金がかかるという事を実行したとき、金持ちはどう考えるのでしょうか。
そのまま国の為に毎年減っていく貯金は当然であると考える人がいるのを期待しますが、現実は、もう少し違ってくるかもしれません。
海外の利子の良い銀行に貯金を移すという事になるかもしれません。
そうなると、日本の銀行、郵貯等は解約されて海外の銀行へ外貨預金が増えるという事態は国債を売らなければならず、相場が下がる可能性があります。
この時に、海外ヘッジファンドは一気国債を売り込む勝負をかけてきます。
そこでインフレ、円安という方向に大きく振れ、アジア通貨危機かユーロ危機のようになるのではないかと思います。
うたた寝しながら見る今日のテレビ国会中継でした。
私のうたた寝が悪夢で終わって貰いたい所ですが、日本はそうならないという保証はありません。

話は逆になりましたが、政府官僚がインフレ円安を望むのは、次の理由です。
年金生活者は名目同じ金額でも実質価値が下がり年金問題解決、現在働いている人の給料を上げやすい。
円安で、輸出会社が利益が出る。
インフレになり物価が上がれば消費税収も増える。
以上の要因でバブル国債も償還可能で、超短期だが景気が回復(後、超円安、超インフレ地獄へ)。
というシナリオを期待しているのではないかと思っていますが。。。。
しかし、下手に舵をきると、一気に日本国経済破綻が起きそうです。

世界で唯一成功した日本社会主義国の破綻規模は今まで大きく振らませて来た為に、相当なショックを世界中に与えそうです。

私の杞憂で、真夏の悪夢でありますように。

大津琵琶湖花火大会
恒例の花火大会に珍しく我がカミサマ(奥様)も見に行くという事になり、息子に孫と4人でJRに乗って柳が崎のヨットハーバーへ出かけました。
こうなると時間通りには動けず、ハーバー到着は8時ごろとなりました。
近くなのでパットひらく花火と音は迫力があります。
ひらいた花火が消えていく瞬間のドラマに惹き付けられます。
湖上から吹く風はひんやりし気持ちよく、寿司とビールを口に入れながら素晴らしい時を過ごしました。
日本の花火は海外の花火と違って美しい。
長年の花火作りの職人技と花火を愛する人々のお陰で続いてきた故でしょう。
若い女性の浴衣姿も美しくみえます。
何とかしてペナンに日本の花火を打ち上げたいと思いながら、夏の風物詩花火が上がる限り、日本は大丈夫でないかなと思うのでした。

残念な事にカメラを忘れて行きました。
江戸の絵師歌川広重「両国花火」の絵を代わりにアップします。



ヨット仲間の出会い
趣味人のヨットの仲間、オザポックルさんが声を掛けてくださり、、HemingWayの4人メンバーさん、Hootaさん、Hermitageさんにお会いする事ができました。
皆さん初対面ながら仲間として受け入れてくださり、1分後には旧友の如くなりました。
航海してこられたHemingwayのメンバーは朝早く出港しお疲れだったでしょうに夜遅くまで一杯飲みに付き合って下さいました。
出会いの約束場所が淡路島富島です。
この地は小学生の時から伝馬船で櫓をこぎ銛でカレイを突き、潜ってはキス、ベラを採っていた海で友人、知人が沢山いる所です。
それ以来約45年ぶり、野島断層(阪神大震災)が起こって初めて目にする景色です。
昔あった古い大きな木造家屋は殆どなくなり、全く思い出す事ができませんでした。
ヨット友人に会える嬉しさと、昔の記憶した風景が無くなった寂しさとを味わった一日でした。
今朝は早くから牛窓に向かっていると思います。
台風が近づいてきていますのでご用心。

誰が私のワイフ?
世界地図を見ると国境が引かれています。
直線で引かれた国境は明らかに人間が勝手に引いたものですよと言っているようです。
海を航海する私にとって国境程邪魔なものはありません。
最近になって海外でもヨットにとって航行しにくい国が増えてきました。
航行するにもクルージングビザなるものが必要であったり、
ビザ無滞在期間が非常に短くなっています。
自由と思っていた海に領海付近で警備艇がウロウロしている事もあります。

そんな時、魚やイルカ、鯨が羨ましく思う事があります。
しかし魚でも国の権利が及ぶ海域にいくとその国のものになるらしい。
同じ海でも取れた場所で?国産と呼ばれる事に魚達はこう文句いうかもしれません。
「俺たちの国は海だ!」

海外ヨットマンの言葉より
Sea is my country
ship is my god
duty is my life
who is my wife?

この答 誰が私のワイフ? でしょう

もうじき終戦記念日ですね。
私は12年前に航海を初めてから、この終戦記念日を特に意識し始めました。

最初は沖縄ひめゆりの塔を見て涙が止まりませんでした。
戦争に非戦闘員の無垢の少女が死なねばならなかった現実に衝撃を受けました。

フィリッピンコレヒドール島では蜂の巣状に打ち込まれた弾痕に人間の残酷さを見ました。

マレーシアペナン島 インドネシア各地の塹壕では若い兵士が穴を掘り、圧倒的な火器、兵器の差がありながら、死守せよという命令に従い、飢えに苦しみ、病気で戦う前に全滅した事を知ったのでした。

そして最も印象の深かったインド洋アンダマン諸島のカーニコバル島で、「私は貝になりたい」の舞台になった島に上陸した事でした。
この島で住民が日本軍人による虐殺行為があった事、それにも拘らず島の村長が軟禁状態の私に優しさと援助をくださった寛容に感激したものでした。

各地を実際に見てみて、私が疑問に思ったのは、何故日本人は最後まで命令に服従し自決を強いられたのかという事でした。
理由は捕虜になれば日本の軍事裁判で裁かれどうせ死刑と思い込まされていたようで、かつ家族も非国民になるという恐怖だったようです。
最前線で兵士が一人でも残っていれば未だ抗戦中と報道でき、降伏しては前線士気に影響するとの考えで前線陣地にいる兵士は全員死ぬという運命を課せられたようです。
兵士一人一人を捨て駒にしたのです。

もう一つ重要な事は軍命令系統で、命令は絶対服従という状況に置かれ、命令に従う以外の選択肢は自分が死ぬ事意外なかったようです。
戦後軍事法廷で命令の責任所在を調べた所、多くの上級将校は自分に責任は無いと主張したようです。
実際にそういう過酷な状況になった時命令に逆らえるのかと考えると、私も自信はありません。
ズルズルと地獄に引きこまれたであろうと思います。
複雑な命令系統は現代社会にも見つけられます。
国民が選んだ政治家ではなく、結局官僚が作った法律で誰が責任をとるのか分からないような各種法律ができています。
国家が大きな誤りをしそうな時に我々は何ができるのだろうか?
政治家の質がいかに重要かを再認識せざるをえません。

今80代の方には戦争体験があり、生還され65年程経過した今でも心の傷として残り、苦しんでおられます。

しかし、戦争を知らない世代が大部分となり、戦争をゲーム感覚でしか見ない世代が2度と戦争を起こさないように、その当時の生死の境に追いやられた心情を語り、ゴミのように死ぬしかない戦友がいた事を後世に語り、残して貰いたいと思う日でした。


何故航海するの?
現代では飛行機という優れた移動手段があるのに、私は何故ヨットという乗り物で海を渡りたくなるのだろう。
ヨットは時速6Km程歩くより速く自転車より遅い。
海の上は360度水平線で景色が変わる事はない単純な世界です。
何日間も10mX4m程の空間しか動けません。
何かあっても自己責任で誰の助けを呼ぶ事もできません。
ヨットの性能が格段に良くなった現代では海を渡ったからと言って誰か褒めてくれる人があるわけでも、お金が儲かるわけでもありません。
嵐がきても人間にできる事等大した事はできず限界があります。
何か無理に理由を探すと、波の静かな満月の夜、夜光虫がキラキラ輝く波を後ろに音もなく風で進む気持ちよさかもしれません。
ある時はイルカや、シャチや海の生物に遭遇する事かもしれません。
何より、他国へ行っていながら旅行者でないという感覚もあります。
飛行機の旅行は点から点ですがヨットは平面をゆっくり動いています。
見渡す限り海だけで他船がないと、この地球に私だけしか見ていない世界があり、その時不思議な幸福感に包まれます。
等々です。
未だに何故海を航海したがるのか明確な理由は自分でも分かりません。
それでも海へ、これが私遊帆(UFO)なのです。

船を女性だとこじつけるヨット仲間の話
各国から来たヨットの集まる所には各自持ち寄りパーテイが開かれます。
話の内容は係留地と係留地付近情報、船の話が多いのは当然です。
そんな話の中で何故ヨット(船)は女性なのかというジョーク、俗説があります。

1.体にペンキ(白粉)を塗り、あるだけの旗をマストから飾る。

2.船にはいつも男が乗って船の世話を懸命にする。

3.手に入れる時に沢山のお金がかかり、その後も装飾品を買わなければならなくなり破滅する。

4.船を性能一杯に動かす為にはそれなりの能力のある男が必要である。

5.一度船に魅入られた男たちは、妻と家庭をわすれ戻ってこない。

等々です。

女性にもてない、酔っ払いの海の男達が憂さ晴らしに言うのでしょうか。

航海中の生活
ヨットで航海中の生活を少し紹介してみたいと思います。

目的地へ到着するまで距離を航行速度で割ると計算できますが、ヨットの場合は風向きと潮流、天気等自然の影響で計算通りにはいきません。

それで食料、水は余裕を持って積み込みます。
それでも船は10mx3mx2mほどの空間ですので制限があります。

お天気の良い時は、ルンルン気分で料理をしワイン等飲みながら、海の上を滑って行きます。
嵐になると、料理はできませんので、火を使わなくても食べられるものが必要です。

冷蔵庫が使えませんから、できるだけ保存食を作っておきます。
魚は干物、肉も塩胡椒をして干して置くとビーフジャーキーになります。
バナナは青い房ごとぶら下げておき黄色くなったものから食べるようにします。

食べる方の話は尽きませんので、次は洗う方の話です。
水は貴重品なので真水は飲み水として使うのが優先です。
体は海水で洗います。
私の場合頭に毛がないので潮気は残りません。
服は殆ど裸状態ですので洗濯量は地上とは違って少ないのです。
食器は全て要らない紙で綺麗に拭き取り、海水で洗います。

雨雲を発見したら、デッキに降る雨を集める準備をし飲み水確保とタンクへ貯め、久しぶりの真水シャワーができますので、降る前に石鹸で体を洗い雨が来たら雨で急いで洗い流します。
所が雨の方が気温より冷たく我慢が要ります。

バッテリーの電力維持の為電気(ラジオ、音楽プレーヤ等)は使いませんので航行中は波の音と風の音だけです。

加山雄三&石原裕次郎さんの映画に出てくるギターと美女も無く、こんな生活が続きますが、何が良くてそんな事をするの?と言われるでしょうね。
私も分かりません。


夫婦(ダブルハンド)でヨット
前回は航行中のヨット生活を書いてみましたが、それは一人で航行する(シングルハンドといいます)私の事でした。
私一人の事ですから、食べ物も水不足も納得しています。

夫婦でヨットに乗る関係というのは、寄港地で一緒になる海外夫婦ヨットマンから想像するしかありません。
長い航海中狭い空間で二人きりを想像してみて下さい。
どちらかが船長(意思決定者)にならなければなりませんが、大抵の場合航行中は夫の役目の様です。
航海中には嵐も来ます。
船長の指示で二人協力して乗り切らねばなりません。
又、実に単調で二人以外誰とも話す事なく、24時間顔を突き合わす日々が続きます。
ヨーロッパから出発した東周りヨットはタイ、マレーシア辺りのヨットハーバーがホットする場所となります。
港に入ると立場は逆転し妻が船長という船は沢山(殆ど)あります。
妻が船長でもいてくれる船は未だ幸運です。
一気に互いの不満が爆発し別れてシングルハンドになったりする船も結構います。
他方、嵐や危険な状況を二人で乗り切った為に夫婦仲は固い絆で結ばれた船もあります。
正に 人生というフィルムを速回し凝縮した様な光景に出くわします。

海外ヨットでは子供も一緒に航海している船もあります。
フランスの家族に出会った時、子供達の勉強はどうするのと聞いたら、通信教育を受けているという事でした。
親が時間割をして勉強をさせていました。
厳しいが楽しい海上生活で親と子供達の絆も固いものになっているかも。
日本では親の趣味で子供の教育を犠牲にしていると非難されるかもしれませんね。

江戸の絵師と都都逸風(3)
http://www.youtube.com/watch?v=COd7q9QrHQA


カミサマ(妻)より長生きを意識する日
私は高血圧(180-110、薬服用時150−100)で、カミサマ(妻)は糖尿病予備軍らしい。
息子も糖尿病で京都にある高尾病院という所へ行っています。
この病院は食事方法で自力回復を促す治療法で、食事の仕方を指導してくれます。
要するに、炭水化物(米、パン、麺類、餅類を食べないようにするという方法です。
息子が綺麗に体重が減ったのを見て、カミサマは
「私も行く!」
と、率先していき、どうしても炭水化物を食べなければならないような時(寿司等)に直前飲むとよいという薬をもらってきました。
痩せるのと、この薬を貰うのが目当てだったようです。

忠犬の様な私は、カミサマの食事に合わせる事、又、メニューを監視する立場ですが、
「この薬あるから大丈夫!」
と、言われてしまうと、それ以上の抵抗は無理です。
しかし、この食事方法のお陰で、私の体重は減って健康になってきました。

ここで突然、最近問題の老人介護と関係のある話に飛びますが、
今まで私はカミサマと私のどちらが先に死ぬ方がよいかという事をあまり考えていませんでした。

強いて言うと自分が死んだ後のカミサマの事を考えなかったという方がよいかもしれません。
ただ、カミサマが長生したら、それはそれで幸せだろう位の考えでした。

しかし、私とカミサマを比べると私の方が後で死ぬ方がよいという結論を出しました。
というのも、私なら最後一人身の処し方もありできそうです。
カミサマは病院等入って、我儘も言うだろうし、介護を親身に見てくれるのは私以外にないだろうと思ったのです。
暇な私なら、ずっと付き添う事もできます。
又何の気兼ねもなく命令していれば宜しいという考えです。
服従の練習は今や十分積んでいます。

そんな訳で、できるだけカミサマより健康に生きようかと思いなおすのでした。


家庭に1人便利なヨットマン
好き勝手な事をするヨットマンの為の弁護をしてみましょう。
ヨットマンは一度海に出れば船の故障は自力で直さなければ命に関わる事があります。
その為、どのようなトラブルでも一応の事はできます。
家の水回りの問題、トイレ修理、電気配線、大工仕事、壁の張り替えから障子の破れまで、プロの仕事はできなくても何とか修理はするでしょう。
自分で料理に掃除、裁縫は言うまでもありません。
そして、時々家を出て行ってくれるのです。
家を出て行っても船で酒盛りをする位でお金も大して使わず喜んで帰ってきます。
自由にしておけばご機嫌な手間いらずの人間です。

たまに一緒にヨットに乗りたい等と言ってやれば、ヨットはピカピカに磨き、いかに海が素晴らしいかを体験してもらおうと必死でお客様扱いの世話をしてくれます。
釣りの好きなヨットマンなら新鮮な魚を持って帰ってくる事もあるでしょう。

自分の好きな事にドンドンのめり込んでいく子供のようになり、家でゴロゴロされる事もなくなり、オクサマも目障りな事がなく楽しくなるのではないでしょうか。
何よりも自分が好きな事をしているという負い目があり、オクサマに優しくなるのではないかと思います。

以上、多少大げさでコジツケもありますが家庭の平和には役立つと思います。


エコ時代の旅行スタイル
ヨットの事を色々書いてきましたが、ヨットの旅行は随分とエコではないかと思っています。
飛行機、電車 自動車による旅と比べますと、家をでてから到着するまでの宿泊代はホテルでも旅館でも結構かかるのではないでしょうか?
我等団塊の世代が退職し始め、暇ができた人々は自家用車による車旅を考える方も多い事と思います。
これなら、ヨットと似ていて車中泊、船中泊となり、宿泊費は要りません。
行き先で新鮮な食材を仕入れ料理をしてゆっくり楽しむというのは、全く同じ旅行スタイルです。
どこか目的地に向かって、同じ時間と空間を持ち、同じ感動と思いでを作る事ができます。
最近は道の駅ができてきたように、海にも海の駅ができてきたそうです(残念ながら私が日本を回っている時はなく漁港専門に入港していました)。
燃料費という事になると、帆走だけではないので比べる事はできませんが大して必要はないと思います。

どちらにも言える事は、係留地、車中泊地の整備が進めば私の様な少ない年金生活人間にも夫婦家族で楽しめる新たな旅行スタイルが確立するかもしれません。
その為には、欧米のように、大人の遊び文化を認める社会環境が必要だと思います。


日本を離れる日はすぐそこに
2か月間の帰国もやっと終わりの日が近づいてきました。
日本政治は混乱し円高で大変だという意見が多いのですが、私とっては嬉しい限りです。
というのも、海外で生活する場合円高のメリットは直接受ける事ができます。
しかも、日本にいる人には申し訳ないのですが、消費税の影響は受けません。
同じ状況の海外リタイヤービザで住んでおられる高齢者は嬉しいと思います。
日本国内に住んでいても円高の恩恵はもっとあるはずと思うのですが、ガソリンなど高止まりでどうなっているのでしょうか。
石油輸入企業は小売価格を下げず、ガッポリ儲けてもらっておいて、税金をたっぷり納めてくださいね、というような約束事になっているんじゃないかと勘繰るほど人が悪くなってしまいました。
円高のメリットを報道せず、輸出企業よりの報道が多いのは不思議に思います。
日本は輸出企業が儲からなければ雇用者の給料が上がらないという脅しは今まで何度聞いてきた事でしょう。
しかし、今まで企業に利益がある場合に労働者に給料アップしてきたのでしょうか。
社内留保とかで皆さん我慢されていたのではないでしょうか。
小売サービスにしても、経済効率ばかり優先し地元商店街をシャッター通りに変えてきたのではないでしょうか。
ペナンに住んでいる福建、潮州人コミュニテイのように小さい仕事を分け合いコミュニテイの中でお金を回すという方法は案外これからの日本にも必要ではないのかと思っています。
例えば、京都には無人野菜売り場があちらこちらにあります。
地元の畑でできた野菜を袋に詰めお金を入れる缶を置いてあるだけです。
退職者の皆さんが趣味を生かしたものがあれば、それを販売或いは交換する方法と場等あれば、新たな小コミュニテイ経済が起こるかもしれません。


明日から船に帰るまで10日間程ブラブラ
明日、関空発ベトナム ホーチミンで途中下車(飛行機?)で何日間かブラブラし、バンコックからペナンに戻ります。
その為に、インターネットは繋がる環境はありません。
日本のニュースは殆ど入ってきません。
船には最高の悪女が待っていて、外からの刺激の少ない単調な生活に戻ります。
彼女は私に自由をくれます。
私は自分の好きな事をし、食べる物も好きな時間に好きなものを食べます。
彼女は時々孤独もくれるのですが、長年の付き合いで孤独も楽しめるようになってきました。
彼女の魔力に囚われると中々オサラバできなくなります。

この魔女か、魔男は船だけでなく日本のあちこちに出没するようになったらしい。

ご用心!

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