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            沖縄から                            1999年8月
8月27日 再び遊帆 UFO に戻る。船の中はサウナになっている。台湾調査を兼ねた旅行で、幸運にも地元ヨットメンバーの知人と
       連絡できて入国手続きなどを聞く。基隆港なら入港できそうだ。申請用紙をもらい一日前にFAXすればよいらしい。
  
  29日 海技免状の更新を沖縄小型船舶協会で受ける。一時間 \8,200の講習料だ。次は船の検査もしなければならない。
       長崎の小型船舶協会で貰った臨時航行許可書は1か月期間限定で 台風待ちで沖縄にいる間に有効期間は
       過ぎてしまった。こんなに速く有効期間が終わるとはノンスメルの芳香剤でももう少し長持ちする。 
       期間を過ぎて船の安全性のどこが変わったのか?お上がかってに決めた有効期間なるものが過ぎただけで
       船の装備に何の変化もないやないか。船と海の事だから 荒れたりして天気待ちしたら1ヶ月位すぐ終わってしまうし
       ヨットは風まかせやから船足も遅い というような事は お上も当然わかってるでしょう?
       それとも 机の上で計算だけして 1ヶ月で充分てな事になったのか?
       それとも臨時航行許可の時に買い足したお上御指定マークつき安全装備品は1ヶ月しか持たんのか?
       なにも変化はないのに又お金を出して許可証を貰わなければならない。いったい 何回関所料を払ったらええのや。
       こんなに政府が国民に指導監督し、許可届出を要求し、まるで親が子供に接するように親切丁寧おせっかいな国は他に無い。
       海に出るからには 絶対に自己責任で出て行くのに決まっている。
       国の法律を守ってさえいれば安全な海がどこにある。
       このような制度を作ってその関係機関に自分達の権限の及ぶところを増やしているので 許可制度が増えることはあっても
       減ることはないのである。
       また 海上事故が起こるとマスコミも安全基準はどうなっていたとか管理責任はどうとか、いかにも正義の味方らしく
       報道し、次ぎに政治家と高級官僚が尻馬に乗って法律改正か改悪して自分の権限を伸ばしていく。
       彼等はこういう事故不祥事の発生を逃さず、トカゲの尻尾切りの様に一部責任をとらせ マスコミのバカ騒ぎ報道で
       大義名分をつくり、巧みに法律改正(改悪)してしまうのである。
       こういう構図で政治家と高級官僚は上手に自分の縄張りを増やしていくのだ。
       公僕の顔をして自分の権限を伸ばし気がついてみれば、一般国民はがんじがらめ個人の力ではどうしようもなくなっている。
       ゴヨウジン ゴヨウジン。

9月1日  船検のため糸満港へ入る。
       港内は汚水が流れ込んでいてどぶの匂いがする。
       検査は備品検査からはじまったが、沿海セットなど有効期限を3年にしてある為検査の度買い替えなければならない。
       もっとおかしいのは、ライフジャケットに 5cmほどの反射盤付きでないものは再度購入。
       消火器も小型船舶協会御指定品のみ許可。
       ライフラクトは小型船舶協会御指名業者のみ検査可能。
       また 外国産は許可しない。
       こういった独占事業のため 外国産ラクトにくらべて価格はべらぼうに高いのである。
       検査だけで15万円で中身も勿論有効期限切れになっているから 買い替え費用は別途請求される。
       そのため一般のヨットマンは沿海航行区域許可申請するのだが、この許可では沖縄へ来ることは勿論できない。
       私のように臨時航行変更申請(\12,000程)をして近海区域航行許可を申請するのだ。
       屋久島ー奄美大島   沖縄ー宮古島間が沿海航行許可で行けないのである。
       ここから又話はややこしいのだが、同じ近海航行区域でも、屋久島ー奄美大島間はライフラクト無しで行けて、
       沖縄ー宮古島間は ライフラクトがいるのである。
       何故か問い詰めたら、分厚い本を持ってきてその一ページを開けて一番下の注に
       ”但し一時間で抜けられる航行区域はラクトはいらない”と書いてあった。
       即ちこれに相当するのが 本土ー沖縄間で 沖縄より南の島(宮古島以西)には行けませんよ。
       行きたければ臨時航行許可にライフラクトを積んで下さい、という事らしい。
       説明を聞けば聞くほど腹が立ってくるのである。
       これでは 沖縄のヨットは高いライフラクト無しでは、宮古島、石垣島へは行けない。
       逆の石垣島のヨットはライフラクト無しでは殆ど行ける所は無い状態である。
       一時間で抜けられる距離は船によって違うし、ライフラクトが必要なら外国産も認めるべきである。
       大義名分をたて 安全航行のためとかなんとかいいながらしっかりと自分達があまい汁を吸えるようにしているのである。
       というのも小型船舶協会は海上保安庁の外郭団体でここでも天下り受け皿でお互い持ちつ持たれつ助け合いの精神が底にある。
       もういいかげんに全国の船に乗っているみなさん怒ってもえ〜のと違いますか。

   3日 明日、長逗留した沖縄を離れ宮古島に向かう予定だ。
       今日はひめゆり平和祈念資料館へ行った。
       年端もいかない少女達が戦場動員され、戦局悪化の中、投降を許されず 見捨てられて死んでいった気持ちを
       考えながら、一人ずつ顔写真を見て行くと涙が溢れてきた。
       彼女達は投降も許されず、穴の中に隠れて徹底交戦を強いられてる間に、彼女達を守るべき軍隊は撤退してしまったのである。 
       もし、投降しても非国民でないから投降しなさいと命令を出していれば沢山の非戦闘員 沖縄少女達は助かった筈だ。
       その当時、日本中が軍国主義へ向かっているときおとなしい日本人は文句をいわず政府の言うがまま、
       疑念も持たず、御国の為というお題目に逆らわず従っていったのである。
       或いは疑念は多いにあっても狂乱状態の中、発言する機会も 逃亡する勇気も奪われてしまっていたのだろう。
       何でも政府の管理許可が必要な今の日本社会はその当時に似てきていないのだろうか?
       
       国民性もあるのか他国と比べて、日本人は国家権力に従順だと思う。
       動物でたとえると羊の群れのように集団で固まって同じ方向へついていく、そのように感じられるのは私だけでしょうか?
       日本人は”全員一丸となって事に当たる”のが好きで、”一心不乱に、一所懸命”等と 何でも一がいい事で
       まとまっていると感じる様で、 それにはみ出る人を仲間はずれにし、村八分 非国民にしていじめににかかる傾向がある。
       トップ権力者にとってこれほど支配しやすい社会の仕組みと国民はないのに違いない。

   4日 朝7時30分 糸満港を後にして宮古島へ150マイルの航海だ。今日の月は遅くでてくるので星だけが無数に輝いている。
       南東から10〜15ノットの風がふいて平均6ノットくらいで走っている。
       朝8時ごろ宮古島の北端 八重山干潟の有るところに到着した。
       八重山干潟は宮古島から北へ10km伸びたサンゴ礁だ。ここをかわそうと北上するがなんと気がつくと干潟の
       中に迷い込んでしまっていた。どこを見てもさんご礁で波が立っている。
       抜ける道を探すのに 上からみると水もきれいのでよく見えるのだが、浅いところは水深1mあるかないかだ。
       もう運を天にまかすしかない。緊張の連続で喉はもうカラカラだ。
       天も ”こいつは自分の不注意で事を起こしておきながらよくかってに運をまかすやっちゃ”と思っているいるに違いない。
       幸運にも太陽を背に迷路に入ったので水面下がよくみえた為に脱出水路を見つける事できたのだが、
       逆光だと どこが浅いか深いか分からなかっただろう。
       とにかく 天に任したお陰で船体をこする事なく脱出する事ができた。
       宮古島港の東の端に入港して行くと、遠慮しながら地元ヨットが6隻ほど係留されている。
       その近くの空いているいる所に留める。
       ”アー タスカッタ” 自分の不注意を棚に上げ、運がついてると喜ぶ。
       アト−ルエメラルドホテルに17時からサウナがオープンするらしい。       
       
       八重山干潟 (サンゴ礁が宮古島の北へ10km広がっている。)

   6日  宮古島北東部の砂山ビーチへ自転車で行く。
       文字通り砂は細かく白くて素足で歩いても気持ちがよい。服(Tシャツと半ズボン)のまま海へ入る。
       海は遠浅でサンゴ礁が所々にあり、水温は暖かくいつまで入っていても体が冷たくならない。
       ごみもプラスチックボトルも無く、潜ると太陽の光が海中できらきら光っている。
       小さなカラフルな魚が泳いでいる。
       近くに無料シャワー設備があるので、子供の時に映画でみたカウボーイが服のままシャワーをしながら、ついでに洗濯も
       していたのを思いだし真似をする。
       やってみると、石鹸もつけやすく洗いやすい。
       そのまま自転車でかえるが服が風に吹かれて熱をとられるので涼しい。
       おまけに 船に到着する頃は殆ど乾いてしまった。寒い所は出来ないが暑い所では、なんて簡単便利な方法だろう。
       ずぼら人間ピッタリだ。
       
       砂山ビーチ    

  7日  宮古島の北西にある伊良部島佐良浜漁港へ移動する。自転車で下地島にある伊良部空港へ行く。今は採算が合わず、
       路線は廃止され民間空港としては使用されていないが、パイロット訓練飛行場となっている.
       帰りに渡口の浜でひと泳ぎ、ここもこれほどきれいな砂浜はないのだがここはたくさんのごみが
       散らばっていた。
           
       伊良部空港             ハイビスカスと蝶          道に面して立ち並ぶ家のような墓
 
 9日  宮古島でチャーターボートの仕事をしておられる松村さんが、遊帆 UFO に来られた。沖永良部の樫本さんの友人で 
      電話で 私の事を連絡してくれてたようで、家に招待され椰子蟹をご馳走になる。
      ここ宮古島は夜になると椰子蟹が出てくるそうで、彼と彼の息子(小学校3年生位か?)はポイントを知っていて
      そこに行くと沢山獲れるのだそうだ。
      久しぶりの家庭の雰囲気を感じ家族とはいいもんだと思う。
      自分の子供が小さい時は、私自身に余裕が無く良い父親でなかったかもしれない。
      もし、今彼の息子位の子供がいたら、もっと面白い遊びを一緒になってできたかもとチョット寂しさを感じる。
 
10日 松村さんと友人の平田さんが宮古島を一週観光案内をしてくれた。今日台湾から豪華客船アクエリアス号が入港した。
     島興しで 小さい島中に台湾の国旗が印刷された小旗が掲げられている。
     ”ラッキー、台湾へ入港する時あの旗を貰って行こう”
     と、思い 商店街の一軒に 
     ”アクエリアスが出港したらくれませんか?”
     ”かまわんよ。明日 捨てずに置いておくから取りに来て”
     と、言ってくださる。
     アクエリアスは今日、18時には出港するらしい。
     私も明日18時宮古島出港 石垣島到着11日12時予定
           

12日  10日18時宮古島出港 11日10時石垣島入港。 ここで鍵田さんと合流して台湾基隆港へ出発だ。

13日  昨夜は辻さんの所で宴会だ。鍵田さんが横尾さんから鱧とぐじとたこを戴いてきたので鱧シャブをした。
      辻さんの家は風はあって涼しいし料理は旨いし ネエチャンはいないし極楽だ。
      出港のための通関手続き 食料の買出し 燃料補給 特にビールの積みこみはすべて順調に終わった。
      辻さんは、海外必需品といって薬等色々なものを下さるが、中には 鍵さんと私には不必用品もあった。
      明日朝6時 天候さえ問題なければ基隆に向けて出港 15日13時到着予定です。
            
      悠悠自適で石垣島で暮らす上半身から仙人化している辻さん

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