元へ戻る                                      1999年7月
              奄美大島から
7月19日 今日から袖岡さんと2人連れだ。 
       沖縄、奄美復帰問題を研究している神戸大学院生ロバート君が、ビールを持って
       遊びにくる。
       彼は、奄美大島に、アメリカから日本復帰当時の資料集めに来ているのだ。
       実をいうと奄美大島も沖縄のようにアメリカから復帰した事を私は知らなかったのだ。
       夜に一緒に晩飯を食おうと誘ったが、当地でのお付き合いのため来れなかったようだ。
       今の大部分の日本の大学生が、就職か遊びかの目的でいくのと違って、自分でテーマを
       もって、研究する姿勢に、大学生の本来の姿を見たようで、すがすがしい気分になった。
       
       並んで撮った写真だが私は日焼けで黒くて正体不明(誰だ?)

 20日 名瀬港を出て 古仁屋港へ行くが海の透明度はすばらしい。船の上からは魚が泳ぎ ウニが見える。
      碇泊するのに、船が混み合っていて、スペースが無く、苦労する。
      遊帆 UFO は本港の工事船に横付けしたが、どちらかというと、もうひとつ南にある
      漁港のほうがよいかもしれない。
      風呂は市内にある。
      明日、琵琶湖のヨット仲間の長谷川さんが奄美大島にくるので東回りで空港の近くの
      漁港に行く予定だ。
      風呂はフェリー乗り場から市内歩いて5分
 
 21日  奄美大島空港の北東にある宇宿漁港へ長谷川さんを出迎えに行く。
      この港は暗礁が多く入港が難しい。
      入港すれば波も無く穏やかだが、この港は現在整備中と言った雰囲気だ。
      空港まで歩いて15分、空港からリュックをかついで出てこられた長谷川さんとお互い手を
      振って再会を喜びあう。
      風呂は無し。
 
 22日  風向きの関係で東に位置する喜界島へ帆走する。入港時、私のミスでスターンのアンカーロープを
       スクリューにからめてしまった。
       テンダーをおろしてロープを解こうとしていると、長谷川さんはもうすでに水に飛びこんでいる。
       長谷川さんは何年か前に軽い脳梗塞を患っていたのに、水中に飛びこんで大丈夫か心配だ。
       スクリューに大きなトラブルは無く、係留後 私も飛び込んでついでに船底の貝殻落としだ。
       水は透明であったかく気持ちがよい。
       遊帆 UFO は毎日こんなによく走っているのに船底に着く藤壺貝の吸着力にびっくりだ。
       音もなく人に気づかれずピタとくっつき離れない人の事を
       ”あいつは、スッポンみたいな人”より ”あいつは藤壺みたいな人”の表現のほうがよいかもしれない。
       
8月1日  島祭のイベントでサバニレースがあり、夕方、若い男女混合チームがその練習していた。 
       サバニレースは沖の方へ漕ぎ出して行ってどこかで一度転覆させ、再度乗って
       水をかい出して戻ってくる。
       一度ひっくり返るのは、荒天時の海の練習にとっても良い。
       風呂は港の北 自転車で10分サウナがある。
       コインランドリーは近くに有。
       
  
 23日  徳之島 亀徳入港 3回目の入港だが入り口が狭くて注意が必要。サウナ、
       コインランドリー有り。
       この港に入るといつも私服警官のような人が事情聴取に来る。
       事情聴取後、今回も長く車の中からこちらの様子を見ている。
       自分の役目を忠実に遂行しているのに、文句はつけられん。
       しかし、人を見て こいつは怪しいとか、こいつ大丈夫や とか、一発で見ぬく目を
       養って欲しいものだ。
       もっとも 私の風体を見て、”こいつはムッチャ 怪しい奴”と思われているので、
       見張っているのかもしれないが。
       そう言えば、山陰側の港でもこんな事がしょっちゅうあった。
       密航船、密入国、密貿易をチェックしているのだろう。
       ゴクロウサン ゴクロウサン。
       
 24日  沖永良部 和泊港入港、熱帯低気圧の影響で波 風ともに強く帆走して6ノットで到着。
      長谷川さんの友人であり、BCYCの元メンバーである樫本さんの家におじゃまする。
      彼は、若い時長谷川さん達と一緒に近畿の海をクルージングをした仲間だそうで、
      その当時の話しは聞いていて面白い。
      自分が時化にあったりするのはいやだが、他人のこの手の失敗談は聞いていて面白い。
      その後 ここ沖永良部が気に入り移り住んで生活しておられるそうだ。

 25日  熱帯低気圧通過で時化のため、遊帆 UFO をバウ側に2本アンカーを打ち、
      スターン側を岸壁に舫う。
      しばらくは出港できないのでその間に袖岡さんが遊帆 UFO のコックピットに板張りにしてくれる。
      彼の本職は大工さんなので、プロの技を見学させてもらう。
      成る程 段取りが重要であるのが良く分かった。
      樫本さんの案内で島観光をする。
      田皆岬は断崖絶壁になっていて東シナ海を望む雄大な景色だ。 鍾乳洞の昇竜洞へ
      長さ600mトンネルの中は涼しい。
        
      田皆岬で記念撮影        田皆岬              樫本さんのMARINKO(沖永良部で唯一のヨット)

 27日 熱帯低気圧は台風5号に発達し通過していった為 未だ少し風波とも強いが、出港する。南西風向きの為
      伊平屋島へ到着。風呂屋 コインランドリーとも無く公園で水風呂に入る。
      この島の子供達ばかり6〜7人が海に飛び込んだり泳いだりして暗くなるまで遊んでいる姿に、
      自分も子供時代、明石の海で一日中泳いで唇を紫色にして帰った事を思い出す。
      明石の海は潮の流れが速く危険であったが、朝から日が暮れるまで、腰にそら豆をぶら下げ
      海で遊んで家に帰って怒られたものだ。
 
 28日 未だ風向きが悪いが、宜野湾に向かって出港。途中 GPSが消える。発電機は回転しているが充電をしていない。
      宜野湾マリーナへ入港時、雨が降り 日は暮れるがバッテリーもあがってしまって航海燈も点灯できない。
 
 29日 奄美大島から、一週間ほど乗っていただいた 袖岡、長谷川さんとも今日でお別れだ。国際市場へ行ってマンゴを
      お土産に買い直送してもらって、飛行場まで見送りに行く。
      いつもの事ながら、遊帆 UFO を操船 修理など手伝っていただき私は楽な航海をさせて貰った。
      ここで、発電機の修理 GPSの2000年問題対応 給水ポンプの修理などのため一週間ほど係留し、
      その間沖縄観光をしようと思う。
      台湾の事情がわからないので、今の間にビザも申請しておこうと思う。

8月1日 もう8月になってしまった。今夜半に台風7号が沖縄を通過するらしいが、係留場所も波の入ってこないところに
      移動し、ロープも6箇所張ってこれで大丈夫だ。
      宜野湾マリーナの近くコンベンションホールの前の道路を北へいくと アロマという温泉(1500円)有。
      歓海門の前を国道に向かっていくとコインランドリー有り。 その道の一本南に千房(郷土料理)安くて 旨い。
      スーチーカー(豚バラ肉の塩漬け) ウンチェバター(野菜とハムのバター炒め) トーフヨー(豆腐を泡盛につけた
      チーズの様)
      この店のお母さんの息子さんも現在神戸で仕事をしていて、ヨットが好きで、大きなレース(メルボルンー関空)に
      出ているそうだ。
     
  4日  沖縄観光バスで広大カテナ基地を横目に北へいくのだがバスガイドさんから 終戦占領時から復帰後 基地問題の話を
      聞くと、さらりとした口調から無念の思いが伝わってくる。それにもかかわらず、沖縄人は明るく 心やさしく 親切だ。
      最初に琉球村見学だが、どこか 韓国済州島の民俗に似ている。ここで肝臓によいという 春ウコンを買う。

  6日  今度は台風8号だ。GPSの2000年問題のため フルノ電機がチップ交換して請求書を見ると3万円となっている。
      本社で依頼したときは1.5万円であったが、それは部品代で手数料が1.5万円だという。
      2000年問題は無料でメンテナンスするメーカーや今こそ特需とばかり高いメンテナンス料を請求するメーカーあり
      対応はばらばらだが、3万円もだせば ハンデイGPSが買える時代なので今後はフルノのGPSは買う気がしない。

  7日  次は台湾の南に熱帯低気圧があり台風に変わりそうだ。 
      発電機を修理してもらった知名オートの奥さんが餞別といって泡盛と缶詰を船までもってきてくれる。
      沖縄の話をしているうち奥さんも若い頃東京へ行ったことがあるがそのとき電車に乗るのが怖かったそうだ。
      そういえば沖縄には電車は走っていない事に気がついた。
      軽油も配達してもらっていつでも出港okだ。
      宮古島まで 180マイル 石垣島まではそこから未だ100マイル 合計280マイル 約2日半の航海になる。  

  9日  台風9号が通りすぎた。このところいつも台風にあっている。
      宜野湾に係留している船で須磨からきた”うみのこ "の人達 3人が遊帆 UFO に泊りに来た。
      27ftの船に6人寝るのは無理で 天気がよければテントを張り野営予定が台風のため無理だったのである。
      船は小さくとも気の合う仲間でクルージングすれば楽しいだろう。次ぎの日、慶良間に向かって出港していった。

  11日 玉泉洞(鍾乳洞)見学に行く。地下に長い年月をかけてできた造形に時間の長さを感じ、
       人の一生の時間の短さを思うが、生物の中にはもっと短い生命体はたくさんあるのだと考え
       ”時間”を意識させられる。
       時間の不思議さを考えながら歩いていると、突然かわいい女の子が英語で話し掛けてくる。
       私の格好をみて日本人に見えなかったのだろう。福岡から船に乗って沖縄へ旅行に来たらしい。
       好奇心旺盛で活発でやさしくわずかの時間で友達になってしまった。
       別れるとき何度も 挨拶をくれた。
       伊平屋島の子供達も友達になったが、彼等は、小学生から中学生まで男女一緒に海で泳いだり 
       飛び込んだりして 夕方まで遊んでいた。
       勿論 子供達だけで親はいない。が、大きい子は小さい子を良く面倒みていた。
       今の親は なんでも危ないといって、海で子供達だけで遊ぶのを許したりはしないだろう。
       沖縄では 子供達は本当に子供達で愛嬌があり 好奇心があり 人なっつこいので私はすぐ友達になってしまう。

 12日  マリーナと交渉の結果8月末まで係留させていただけることになり、私もお盆休みで遊帆 UFO としばしお別れする。
      次は8月28日から 沖縄からの航海スタートになります。 

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