元へ戻る                                            1999年6月

        南行記

6月1日 釜山ホームポートへ 戻ってきた。
      今からしばらくは知人に会わないと思うので、頭の”できもの”を直すため
      剃り込んだ。実の所、密かに自分の覚悟を示す為もあった。
      これで仕事は終り自分の好きなことをするんだと。
      ところがこの頭を剃るのが、なかなか大変な事だった。
      良く切れそうな2枚葉の剃刀としシェービングフォ―ムを買い韓国大衆浴場へ行き鏡を見ながら剃るのだが、
      頭の場合顔と違って殆どが見えない。
      その為 手探りで剃っていくのだが、剃った後は血だらけになりそれだけ見ると交通事故にでもあい
      頭を怪我して全治1週間位大袈裟に血が出てきて痛々しく見える。
      周りの韓国親子連れは、子供がこわごわ寄って見に来て
      ”オトウチャン あの人見て見て、頭からいっぱい 血ながしてはる”
      といいながら指をさして報告している。
      オトウチャンの言葉は何を言ったか聞こえなかったが、よっぽど血をみるのが好きなのか
      可哀想だと思っているのか何度も頭を見によってくる。
      ”よし 今度来たらいっぺんビックリさしたるぞ”
      と、頭の血を口につけて振り向きざまにニターと笑ってやると、一瞬固まり飛んで帰ってしまい、
      それからは遠くの方からチラチラ様子を伺うだけになってしまった。

     
     誰に似ているか?(メイルの返事を集計 6月16日現在)
      ユルブリンナー 1人  刑事コジャック  4人  松山千春 1人  一見ヤクザ 1人
      韓国の俳優であるチョウ チュンに似ている 1人   坊主 1人  ブッチャー1人

  3日 ここ釜山港ヨットハーバーは一番居心地がよいのでいつまでも出発しないので5日出港と決めた。
      何がなんでも心に決めないと出港できないのである。別に誰に追いたてられる訳ででもないのに。
      居心地の良い港から 出るのは沢山の思いきりとチョトの勇気がいる。
      これからは、この繰り返し、”今日はこんにちわ 明日はさようなら”1日1日が出会いと別れの渡り鳥になるのだ。
      だからこそ人との出会いを大切にして さらりと出港して行こう。
      明日 出国 税関すべて 手続きを終わって、厳原で日本入国手続きをしよう。

 5日 釜山 05:30出発 風向きはよいが、天候は下り気味だ。
     機帆走8時間 帆走5時間 壱岐芦辺港に到着。
     思ったより船足が延びた。
     入港時 正面入口を間違え勝手口から入港するが、マストに電線が引っかかって三色燈のカバーを飛ばしてしまう。
     入口を見誤るなんて、初日から初歩的ミスだ。
     昨日、厳原の出入国管理事務所へ国際電話で連絡した。
     ”明日 厳原へ入港しますのでよろしく”
     ”土曜 日曜は ヘッチョーです。”  久しぶりに聞く日本語が一瞬分からない。
     ”閉庁で 月曜日にしてください。” と言う事を言っている。 こちらは 韓国で出国手続き終わっているのだ。
     月曜日まで どこで何をしていたらいいのか?
     ”わしら 平民は、お上の都合に会わせて入港せなあかんのか?”
     しかたがないので、厳原をとばして壱岐へ入港したという次第である。
     芦辺港は漁港の片隅へ係留、漁師のおばちゃんが2人やってきたので、風呂〔公民館)と食事(トトロ)の場所を聞く。
     おばちゃんは船の名前をみて、頭の上で手を開く(ピンクレデイー)振りで ”ユッホーやね”と笑った。
     まったく 愛嬌のある、かわいいおばちゃんだった。

 6日 芦辺出港  小戸ヨットハーバーへ
    玄海灘がこんなに静かなのは、初めてだ。
    デッキの上にラジカセを出して 日向ぼっこしながら福岡小戸ヨットハーバーへ来た。

 7日 入国&通関の為 福岡へ行っての帰りの地下鉄の電車の中で、今日から5日間位 一緒に乗っていただく福井さんと
     偶然に出会う。
     電話で小戸ヨットハーバーで待っています、とだけで 時間も何も打ち合わせなんかしていない。
     沢山の電車がありながら同じ時間と同じ車両に乗り合わせるなんて我々は 愛で結ばれているのか? 
     こんな不思議な事もあるんだな〜と 福井さんと暫らくビックリしていた。

 8日  遊帆 UFO を湖族の末裔のように 床張り(日本バージョン)に改装した。広く使えて快適だ。
       
     改良 or  改悪?   福井さん

     海上保安庁が臨検にやってくる。
     その後、遊帆 UFO は外向船で国際航路を含む沿海区域の船検を受けているので外洋には行けないと後で電話がかかってくる。
      ”一級の免許取得者一名と6級の内燃機関免許取得者一名が乗っていなければならないとか、なんとか、かんとか??”
      ”堀江謙一さん他色々所先輩方シングルハンドで行ってんじゃないすっか?
      ”エンジンが積んでない船は関係ないが、エンジンのある船は 特別許可申請して認められた人と、場合に限りま〜 す”
      エンジンない方がもっと危険でも法律の枠にはまらんから勝手にしなさいということらしい。
      そういえば、何年か前に高校生が太平洋横断に挑戦するとき、エンジンがついているので免許がとれなくて
      許可がおりないから、エンジン無で航海した事があったな。何の為の 船検 免許 法律なのか?
      エンジン無しの方がどんなに危険か分かってるのか?
      それに比べて アメリカの市長?さんが 堀江さんに 言った言葉はしゃれてるじゃないか。
      ”あなたなら ビザ無でも 大歓迎ですよ”とか言ったらしい。
      ここにアメリカ人と日本人の冒険を取り扱う態度が正反対のがよく分かる。
      アメリカ人は密出国で太平洋横断した堀江謙一を非合法だがその勇気を偉いと認め評価したのに、
      日本では密出国だけを取り上げ帰国したら逮捕するという始めの見解だった。
      次ぎに取った行動はもっとおかしい。アメリカで英雄扱いされたとたん手のひらを返した様に
      いわゆる名士になった為、2度目の冒険からはパスポートも何でも許可になる。上記の特別許可というやつだ。
      彼の最初の太平洋横断場合でも、許可申請しても保留で絶対許可になることはなかった。
      そうだから、彼の本の中に書いてあるのは一番恐れていたのは、嵐ではなく海上保安庁の船だったと書いてある。
      それを、さも許可するようなニュアンスをして許可しないのは 始めから許可しないよりもっと卑怯で悪質なやり口だ。
      また、 何でも 例外 特別規定を設けてどうにもならん場合に適用して官庁の面目を保っているのだ。
      法律はダメならダメとはっきりせ〜や。ちょっとでも法律を 破ったら厳罰(火あぶりの刑くらい)に処す。
      それくらいすると おとなしい日本人も こりや 役人や議員が法律作るとき しっかり 見とかんと たいへんだわい
      と思うに違いない。
      日本は相変わらず何でも許可届け出 生まれる事 ご飯食べる事 から 死ぬまで許可届け出が必要らしい。
      おめでたい事は、日本は自由主義国家であるから自由な国だと思いこんでいる国民が多い事だ。
      もっと、厳しく言わせてもらうと、個人の自由に対して体制権力のいいがかりと自由意志の妨害は、
      憲法の基本的人権の問題まで及んできませんか。
      日本国憲法第13条
      全ての国民は 個人として尊重される。 生命 自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
      公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

      と、いう事で 本日は 唐津港に入港したが ヨット係留にはお勧めできないロケーションだ。

  9日  ガスが出てくる。 レーダとGPSが活躍する。 平戸大橋あたりから今日も風がでてくるが風向き良し。
       佐世保入港 (川を入った公園の横にまた少しへこんだところに係留)
       近くに佐世保港を一望できるサウナ(ペーパームーン ¥1,800 )あり
       中華料理(東風 商店街を西北へ1kmを左折れ)安くてうまい。
       すぐ横で朝市あり
       この辺の潮の干満の差は2m以上はありそうで舫いロープの長さと船の乗り降りに注意が必要だ。
       というのも前回、沖縄まで航海中 岸壁に船を舫い風呂へ行って帰ってきたら船は遥か下のほうにある。
       おまけに雨まで振っていて、飛び降りる事など出来ないので舫いロープにぶら下がりながら
       降りていく決心をした。
       手元足元は雨で滑り、バランスを崩し落下、テッキリ海へジャボーンと思っていたのに、
       気づいたらライフラインに左脇一本で、かろうじてひっかかって落ちずに済んだ。
       しかし、全体重を左脇で細い針金のようなものに挟んで掴まったわけだから、今度は痛みで目から
       涙がジワーと出てくる。
       ”クソ こんなんやったらあっさり 海に落ちてる方がどんだけよかったか。イター チクショウ”
       と、思いきり 自分の運がいいのか悪いのか分からない状態に腹を立てたものだ。
       
        平戸大橋

   10日 佐世保をでて、針尾水道へ向かう。2年前 潮流を考えず進入して怖い思いをした。
        弁天島を越えた辺りで、エンジンをフルスロットルにして6ノットはでているはずが
        一時間しても 岸壁で釣をしているオッサンの位置が変わらないのだ。
        オッサンもニタニタ薄笑いを浮かべ 
        ”もうすぐ あの船も潮に流されて一巻の終わりや。 ヒッ ヒッ ヒッ”
        と、表情が読み取れるほど岸壁までの距離が無い。
        遊帆 UFO はカタマランの為舵効きは悪く回転すると20m無いと回頭できない。
        もし、潮流の勢いに負け船首を振られて態勢を立てなおす事が出来なければ
        岸壁に激しく衝突してオッサンの希望通りになってしまう。
        激流と根競べやっと通過したが、今考えてもゾッとする
        今回は潮止まり一時間前で進入するが それでも3ノットの逆潮だ。
        弁天島と橋の下は流れが速く渦巻いて進まないし船首を振られる。
        舵を持っている福井さんも緊張しているのが見て取れる。
        ハウステンボスに着いた時は極楽に着いたようだ。
        夜は サーチライトとレーザー光線と花火のショウをがきれいだ。
        但し 風向きが悪いとデッキに花火の燃え滓がパラパラと落ちてくる。
        ヨットハーバーの人達は バケツを持って
        ”花火のカス落ちてませんか?デッキは燃えてませんか?大丈夫ですか?”
        と見廻り ご苦労さんな事である。
            
        ハウステンボスの昼           ハウステンボスの夜のショウ

   11日 福井さんとも 今日でお別れ、長崎空港まで遊帆 UFO で送る。水上連絡船の発着所へ船首着けして さようなら。。
       舟津で2年前同様 臨時航行許可書を貰って さあ 矢でも鉄砲でも海上保安庁でも何でも来い。
       この葵の紋が目に入らぬかだ。関所もない自由な海を通行税〔\10,500)を支払って運行させていただくありがたい
       お墨付きに感謝。
       時津港へ入港直前にヨットハーバーがあるがべらぼうに高いので、また出て奥の防波堤の入ったところに係留する。
       料金はFREE。お風呂は長崎へ行く道に沿って自転車で3分くらいで(健康ランド\550)あり。港の南方に幼稚園の
       前にコインランドリー。波もなく買い物も近くお勧めの停泊地。
 
   12日 時津から折りたたみ自転車を持ってバスに乗り、長崎市内観光に行く。
        バスから降りて自転車を組立、オランダ坂から浦上天主堂 グラバー亭 中華街(江山楼にてチャンポンを食べる)を廻る。
       出島の模型を見ると町全体が完全に隔離されていて、軟禁牢獄のようだ。
       昔から 日本のお上は管理体制をひくのが上手だったのだと感心する。
       長崎港は奥深く昔は本当に好い港だったろう。
       
                         
         浦上天主堂                 オランダ出島
   
 13日   時津町で浦郷ペーロン祭が始った。
       一艘に18名くらい乗って銅鑼をたたき 旗を振って沖に浮かべられた旗を一周する。
       スタートと同時に一斉に4艘が漕ぎ出す。勇壮な銅鑼の音を聞いていると、心が踊ってくる。
       1レースを4回競い総合成績を出すらしい。
       1着になった船は竹さおに赤の幟を受け取って、銅鑼を叩きながら意気揚々と引き上げていく。
       心なしか4着(最下位)の船の幟はしおれて銅鑼の音も泣いているように聞こえる。
       私は表情を持ってしゃべっているような銅鑼の音がいっぺんに好きになってしまった。
       レースの間に子供達や、一般の人達が体験させてもらえる。
       私はここのハーバーの諸富さんの船に乗せてもらって見学する。 
       おまけに、弁当にビールまで戴いてしまった。
                

   14日 時津港は居心地がよくついつい長居をしてしまった。
       2馬力船外機を1万円で手に入れる。
       自転車屋のおじいちゃんが整備分解掃除をしてくれたので手順と構造を覚えた。
       これで修理はできる。
       今日はオランダ村をめざして行くが面白くなさそうなので、国民休暇村くじゃく荘へ行く。
       N-33-03-10 E129-49-47 大崎半島の北側を廻りこむと桟橋があるのでそこに係留して、歩いて5分。
       風呂と夕食セットで\2,000- コインランドリーもある。
       風呂好きの私はハウステンボスから船で30分位のここの方が気に入った。(係留費もFREE)
       パーターゴルフ場にテニスコート、プールと設備は大変お金がかかっているがここもお客が少ない。
       オランダ村にハウステンボス、ここと立派な施設すべて閑古鳥が鳴いている。
       バブル最盛期には、繁盛しても 設備産業とレジャー産業の難しさ、何年か後 ゴーストタウンにならないように祈る。
  

今回のコース

釜山港ー壱岐ー福岡ー唐津ー佐世保ー大村湾

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