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 フィリッピンNO.9レポート  遊帆 UFO 空を飛ぶ(飛ばないに変更)   2000年11月

10月20日 私の大学時代の後輩の大西が、今 流行りのリストラになるらしく、今後の生き方を探しに(只の観光と思うが)
       友人の村田さんとセブへ来る。
        別に同じ剣道部でもなく 同じゼミでもなく 同じ学年でも同じ専攻科でもなく ただよく連続徹夜マージャンをした
        仲間の一人だった。
        私の大学生活は、始めから学業をさぼり 剣道とマージャン漬けの日々を送っていた。
        その頃 2日も3日も連続で一歩も外へ行かずマージャンをよくしたが、最期は眠気で意識朦朧となり 
        黙っていると寝ていて呼ばれると牌を捨てるというような根競べマラソンマージャンをしながら、剣道部の練習があると
        そのまま道場へ行き 終わると叉マージャンをするという今の大学生の先駆者的落ちこぼれ&ダメ学生だった。
        金は無く、何か臨時収入(マージャンで勝つか奨学金を貰うか)が入ると、豪華なものを食いに行こうとみんなで
        眠眠へ繰出して、老酒、コーテル(餃子)5人前  バウロ(牛の肝臓と野菜炒め)、 チャーハン、 ラーメンが
        お決まりだったが、何故か充実した楽しい青春だった。
        私は こんな大学生活は理想郷と思い長く続く様に留年&卒業できないことを望んでいたが、
        大学側はこんな学生いつまでも校内に置いておいても風紀が乱れるだけで進歩がないと思ったのか、
        4年目に卒業証書を渡され社会に放り出されてしまった。
        社会に出てからも相変わらず落ちこぼれで、エリートコースを脱線し6ヶ月で会社を辞めたが、
        あれから はや 30年以上あっという間だった。
        
        ”人生一回切りで どう転んでも大西の場合大して変わりないから、もう働くのんやめて物価の安いフィリッピンで
         細く長く生きて、最期は野垂れ死にするなんて なかなかカッコええのとちゃうか?
         少し退職金があれば ここフィリッピンでは大金持ちや。それになにより独身やから 若いフィリッピーナを見つけて
         結婚したらどうや。
         運が良ければ 毎日 幸せに賑やか 明るく楽しく暮らせるかもしれんで。
         ヘンなフィリピーナにさえ捉まらんかったら、死ぬまで行けるで。老後は心配せず はよ 死ぬこっちゃ”
         という、私の全く無責任で 楽観的な口車に乗りその気になって一度様子を見にくることになった。

   23日  Nealも自分の体験からしきりにBoholでの生活を薦めたが、大西は何もすることがないのは堪えられないという事で
        日本での生活に戻る事になった。
        最近はフィリッピンペソが弱く、ドルに対して 約50ペソ 円に対して約48ペソとなり 益々 リッチマンになっていく。
        
   27日  今回 大袈裟に 遊帆UFO空を飛ぶとタイトルをつけたのは、Nealがエンジン付きパラグライダーを1セット買う予定で、
        私は その機材を借りて、ついでにチョット体験パラグライダーをしようという計画なのだ。
        Nealは元JASパイロットだったらしいので、空を飛ぶのは未だ血が騒ぐのだろう、最近はヨットよりこちらに夢中のようだ。
        私も 6年前パラグライダーをしようと伊吹山まで行ったが、講習風景を見てあきらめてしまった。
        急な山の斜面をパラシュートをかついで何度も登らなければならず、もともと怠け者の私は、こんなしんどいスポーツは
        私には合わんと思ったからだ。
        しかし 今回Nealの説明では、エンジンを背中に担いでスタートは20歩も走れば飛び上がるという事なので、
        それやったら私もできるなと 勝手に思いこんだ次第である。
        ”スキューバダイビングをして 魚や蛸になってみたが、今度はエンジン付きパラグライダーで 空を自力で自由に
        飛べるこの機会をおいて、もう死ぬまでないやろ。 それやったら 一度鳥になってみるのもええかな。”
        しかし 張本人のNealは 高所恐怖症なのに大丈夫かいな。ほんまに 自分で言う様に
        ”ヘンナガイジ〜ン”
          
   29日  今日は朝食と運動を兼ねて Roboc川の上流にある”Nut hut”という山中にある山小屋レストランに行った。
         舗装してある道でもデコボコなのに そこから山道に入ると、ほんまにこの道いけるんかいなという具合だ。
         車は、お構いなしに激しくバウンドしながら急な山道を下って行くので、 お陰で腹はしっかりと減ってしまう。
         到着した所は 車が2台程駐車できるだけの広さしかなく、そこから歩いて階段を250段下っていくとようやく
         山小屋レストランに到着する。こんな場所で レストランをしてもお客は本当にあるのだろうか?
         日本的ビジネスセンスで、考える弊害はまだ抜けない様だ。
         損得ではなく まあ お客があったら ラッキー位のセンスでないとやっていけないのだろう。
         川は昨日の雨で泥水になっている。
         別にこれといって名物料理もないのだが、古代赤米を炊いたものにパイナップルとレーズンとピーナッツを混ぜた
         シンプルなご飯を注文した。
         帰りの坂道は泥の為と私の頭のようにつるつるタイヤの為スリップして登らない。
         タタと私は降りて椰子の葉を拾い集めて道に敷く舗装工事員になり、Nealはタイヤの泥を落としては何度も挑戦する。
         椰子の葉舗装の効果があり脱出成功し、一同歓声を上げると豚までが泥の中でブーブー言っていた。
         椰子の葉を集めたり 車を押したり 階段を上ったりと随分いい運動になった。

11月4日   とうとう今日が何日で何曜日か分からなくなった。ボンボノン(Bonbonon)にEnriqueがいるので会いにやってきた。
         彼は、10年位前にスペインを35ftのBenetauで出港して、地中海を抜け東回りで韓国釜山ヨットハーバーに到着し、
         その後日本へ来るというので一緒に大阪港まできて、1年間くらい滞在しガム島からここボンボノンへ来たらしい。
         Tagbilaranを朝5時に出港して概して向かい風の中機走でボンボノンへ向かう。到着前10マイルあたりから
         向かい風は一層強くなるが、セールを張りごまかしながら進んで行く。
         午後5時頃入港寸前にEnriqueがテンダーで出迎えにきてくれた。
         どうして私の船を見つけたのか分からないがとりあえず 6年ぶりに会うヨット仲間に会えて嬉しい。
         ”エンリケ 元気にしてたか?年取ったな。”
         ”オバ〜タ  マタ、アエテウレシイ”  
         と、相変わらず 人懐っこい笑顔で手を振り 後について入港するように私の前を テンダーで先導してくれる。
         アンカーを降ろすと早速 デイナーパーテイーに行こうと誘ってくれる。
         
   5日   ”昼は、灯台の下にレストランがあってそこでランチを食べよう”とエンリケが誘ってくれる。
         彼のテンダーで灯台の下まで行き、崖の階段を登ると、作りかけのレストラン兼リゾートがあった。
         ”メニューは 私に任しといて、厨房の中へ入っていって コックに直接指示してくるから”
         と、まるで自分の家の様だ。勿論 他に客は無く 我々の2人だけだ。
         出てきた料理は イカのリング揚げ とラプラプの唐揚げ甘酢ソース と ラプラプのスチーム醤油ソースだった。
         支払いは 日本では世話になったからと言い、エンリケがおごってくれた。
         夜は Nickyの店でハーバーに泊まっている海外ヨッテイー8人程が集まり 食事を共にした。
         そのうちの何人かは顔見知りだ。
         ここでも 陽気なエンリケは人気者だ。
         ”エンリケ 私は一度バイクでネグロスの山の方へ行ってみたいのやけど”
         ”まかしとき 僕と一緒に行こう。案内したる”
         ヨットに乗る前は、自称スペインでプロのモーターバイクレーサーだった彼はここでも時々レンタルバイクで
         遠出しているらしい。
        
            
         チョット年を取ったエンリケ      灯台のレストランで再会乾杯

   7日   エンリケの友達エリックの家が 湾内の高台にあって玄関はアヒル、ドーベルマン、シェパードが守っている。
        人が近づくとまずアヒルが”ガーガー”走りまわりながらうるさい鳴く。次ぎに3匹の犬が”ワンワン”
        回りは椰子や熱帯植物で囲まれていて 基礎を作ってそのうえに柱を立て屋根はニッパ椰子で葺いてある。
        柱も自然の木をそのまま使い壁も竹で編んである。
        家の中は涼しく眺めが良く快適で文句のつけようがない。が、蚊が多い。
        奥さんのビンは、タイに行ったとき仏教に出会い、それから宗旨替えをしたらしく、私にしきりに日本人は
        仏教か神道かキリスト教かときいてくる。
        ”日本人はだいたい無宗教やな。都合のええように信じてて、例えば 人が死ねば仏教やし、
        正月は神道で神社にお参りに行くし、クリスマスは勿論みんなにわかクリスチャンになる。”
        午後7時ごろになって エンリケが
        ”今晩は Nickyの店で子豚のバーベキューが出てきてパーテイーやから はよ 行かななくなるで”
        みんな 慌てて仕度してテンダーで店に向かう。
        ヨッテイー8人位は もう酒を飲み始めている。
        例の子豚の丸焼きが出てきた。それぞれ皿にとって食べるのだが 気がつくといつのまにか御近所の村人、
        Nickyの親戚、 犬猫が30人程参加していて、食べ終わると音楽が鳴り即席デイスコクラブになり、賑やかに踊り出す。

   8日   午後4時半 各自何かを持って向かいの砂浜でパーテイとの連絡がアメリカ人ヨッテイー、テリー&メリー夫婦からあり、 
        私は日本のチキンカレーを作る。
        エンリケは通り掛かりの漁師から80cm位の大きな魚を買った。
        ”どんな 料理にするんや バーベキューやったら丸焦げになるから 卵の白身と塩を混ぜてパックして焼いたらどうや”
        ”その料理は スペイン料理や。スペインで漁師がそうやって焼いてた”
         ヨッテイー約12人 サラダやチキンのスモーク 果物など沢山の料理が並べられる。
         日本のカレーライスはどの国の人にも口にあう様で好評だった。
         昨日 ニューカレドニアから 到着した フランス人は太鼓をもってきて 浜でドラミングしている。
         ”オバ〜タ ここに長くいたら 毎日パーテイで 体が持たんからそろそろボホールへ行こう”
         ”そしたら 明日テンダーを修理して 風向きが良ければ明後日ぐらいから行くか”
             
           ドラムを叩くフランス人とイギリス人 インデアンスタイルで雄たけびをあげて踊り出すアメリカ人

   10日  エンリケと2人で朝 顔を会わすと今日が何日何曜日か聞きあう。
        ここボンボノンは湾に囲まれていて回りは数軒の人家があるだけで、近くの町Ciatonまででもバイクで30分はかかる。
        町へ出るのも面倒な為、結局1日中船の上か、回りの一応レストランらしき所へ行くだけだ。
        それでも 別に退屈でもなく結構毎日することが出来る。
        底に穴の開いたテンダーもFRPを巻いて修理完了だ。
        私も いよいよ大塚先生の孤独を愛する境地まで達したのかもしれない。
        ボホールへ行く予定は風向きが悪くそう急ぐ事もないし、エンリケと2人で相談の結果、1日延ばしで待っている。
        私の横にアンカーを降ろしている Louis Martyn(船名:Wayout)の船へ世界中の海図と潮汐表が表示される
        コンピュータソフトを持っているので見せてもらいに行く。
        彼は舵に連載で寄稿していた藤村氏と長く一緒に航海していた経験を持っている。
        なるほど神戸港を見てみると、私の持っている海図より細かいところまで記述されている。
        日本は海図は海上保安庁外郭海図協会の独占状態でCDになってさえいない。
        世界にはこんなに素晴らしいものがありながら、官庁主導閉鎖日本は情報独占状態なので未だ民間企から
        安価で素晴らしいものが出来ていない。価格も世界の海図価格と比較して比べものにならない位高い。
        
        bonbonon湾内

  12日  同じボンボノンに長期アンカーを降ろしている50ftポリネシアンカタマランのオーナーの奥さんが帰ってきたので、
       船内を見に行く。
       ニールが建造中のカタマランと設計者は同じなのだが、この船は両船体とデッキの接続部分をスプリングを入れ
       ボルトで締めている。
       私もニールには接続部分をロープで縛るだけの方法は一箇所切れ出した時(多分大時化中である)は、
       再度縛りなおすのは時化ている間は不可能だと何度も指摘したが、この船はその部分を改良している。
       旦那はフランス人だがタイで全てを捨てて托鉢修行僧になってしまい、アメリカ人の奥さん一人がここへ戻ってきたらしい。
       まったく、ヨッテイーは変な奴が多いけど、これほど変わっているのはチョット見つけられないだろう。
       旦那が死ぬより都合が悪い。
       いっそ あっさりと死んでしまえばあきらめもつくし、保険金は入るだろうし 再婚してもいいだろう。
       奥さんの方も 旦那の坊主姿の写真を見せて誇らしげににっこり笑って説明してくれる。
       叉、彼女も東洋趣味で、日本の映画は素晴らしいとか、瞑想は良いとか 宇宙のエネルギーを集めて手のひらで
       病気を治す有名な日本人の大師がいるとかいうので、これは感心するのを通り越して腹が立ってきて黙って聞いてられん。
       ”ちょっと待ちや。宇宙のエネルギーなんかどこにあるねん。もしあったとして何故そのオッサンだけが集められるのや。
       集められたとして、何故宇宙のエネルギーが体にええねん。
       はっきり証明もされてないもんをいう奴は大師やなくて大体詐欺師ちゅうんや”
       他人事ながら、結構ムキに言ってしまった。
       宗教にこだわり過ぎて、対岸のミンダナオ島ではキリスト教信者とイスラム教信者は戦争状態だ。
       お互い自分の信じる神が唯一の神と主張し認め合わないのだから、戦争になって当然だろう。
       大昔のように交通手段が発達していない時代なら 遠く離れてお互いが自分の神だけが唯一と主張しても
       問題はないだろうが、 こんなに地球が狭くなった時代には、既存の宗教は合わなくなっているのではないだろうか?
       もう一度、各 神さんの得意技”復活”で生き返ってもらって”世界神サミット”を開き、誰が唯一の神か公開討論で
       先に話し合いをして貰うか、殺しあってもらうかして、神さんの代わりに人間が殺し合いするのを責任もって止めさせるべきだろう。
       全く、神サン達死んだ振りしてる場合じゃないで。
       また ”もの” があふれる時代にあって ”こころ” を重視しすぎて 上記旦那さんのように突然清貧へ向かう等、
       極端すぎる行動に走るのも 問題だ。
       ”こころ” だけでを重視し、清貧だけで 幸せに生きられるとは思わない。
       清貧が希望なら、わざわざ ”タイの托鉢僧”にならなくても ”フィリッピンのストリートチルドレン”の方が もっと年季が入っている。
       タイで托鉢すれば熱心な仏教国では尊敬され喜んで喜捨され食べる心配は無いが、フィリッピンではストリートチルドレンは
       軽蔑の冷たい目で見られ、たまに数ペソ貰えるか、他人の飲んだ飲料水の残りを恵んでもらえるだけであり、犬のほうが、
       かわいいとか言われ 頭や体をなでられ食べ物を貰えて、彼等より扱いがよいのである。
       フランス人で 生まれた時から、チーズやワインを飲んで育ったのだから、たまには飲みたくもなるだろう。
       全ての欲望を押さえて清貧に生きる価値はどこにあるのか、ストリートチルドレンの本当の貧しさを知らない、
       満ち足りた先進国民の偽善と欺瞞がチラチラ見えるし、只、免罪符を得ようとするような感じがしてしようがない。
       凡人で俗人で欲望を捨てきれない私の穿った見方かな?。
       いかん。いかん。 どうも神さんとか まじめな奴とかには相性があわん。

 13日  ”おはよう エンリケ。ほなら ぼちぼち行こうか?”
       と言う事で、文明とはまったく切り離されたようなボンボノンにバイバイだ。
       他のヨッテイーも手を振って”次ぎの水曜日はまた浜でパーテイーやるさかい はよ戻ってこいよ”と言っている。
       相変わらずの向かい風をELDORADOへ機帆走で向かう。

 14日  Dumaguete市内でモータバイク125ccカワサキを2台借りてCasaroro滝を見に行こうと相談する。
       レンタルバイクは8時間で150ペソ〔約400円)ガソリンは自分持ちでサインするだけで簡単に貸してくれる。
       免許もヘルメットも必要無し、預託金も無しで持ち逃げされたらどうするのか他人事ながら心配する。
       まずはタダの地図を仕入れに観光役場に行く。親切に道も教えてくれて地図もくれる。
       フィリッピンの道を自分で走るのは始めてだが、バイクのスピードと風が気持ちが良い。
       いよいよ山道に入るともうマウンテンモーターバイク並みスリルで、急勾配の坂をスリップに注意しながら登って行く。
       約2時間 高度は600mまで登った所がCasaroro Fallの入口がある。
       そこを今度は谷底に階段を350段程降りて行くと突然大きな滝が目の前に現れる。
       水量も多く流れ落ちる水の力で岩が半円形に削られている。
       誰もいないので、エンリケと2人真っ裸になって滝壷の水に入る。
       子供の様にはしゃぎながら水浴びをするが、冷たくて気持ちが良い。
       フィリッピンではカミグン島でも滝を見たがこちらの方が水量が多く、男性的で神秘的な滝だ。
       フィリッピンでの遊び方法にバイクを借り、いろんな所を回るのを発見した。
       道は通行量も少なく、自然の多い気持ちのいい道を走る醍醐味はヨットと違ってまたいいものだ。
       バイクは続けて何日でも借りる事ができその時は価格はもっと安くなるらしい。
                    
      バイクツーリング出発前エンリケと私       Casaroro滝
 
 15日 今の季節は北からの風が恒常的に吹いているので、Tagbilaranに行くのはやめた。
     もう一つの大きな理由は DumagueteでNealと会った所、パラグライダーのインストラクターが17日から来ると言うのが
     いつになるか分からない為、一旦中止と言う事になってしまって、Tagbilaranに行く理由もなくなりBonbononに戻ってきた。
     当然風向きは良く帆走で2時間をきって帰ってきた。
     デッキの上で Dumagueteで仕入れて来た赤ワインとゴルゴンゾーラチーズをたべながら、追い風に吹かれて
     実に気持ちの良いセーリングだった。
     と言う事で今回のタイトル”遊帆 UFO 空を飛ぶ”は”遊帆 UFO 空を飛ばない”に変更します。

 18日 湾内の前の浜へビーチングして船底掃除とドライブロックシステムを修理する。
      朝は、道無き道を登って灯台のある所まで約往復1時間半かけて散歩する。
      時々村人に会うだけでのんびりと一人山道を歩く。
      この村の家族も貧乏ながら子供が沢山いる。フィリピン人は90%が熱心なカソリック信者であるため、
      教えに従い 産児に対する人工的調節や堕胎はしない。
      生まれた子供は、神から授けられた子として祝福をされるのだが、限られた耕地の労働力となり、
      余った子供は町に職探しに出るしかない。
      町で職が見つけられる等それこそ神の奇跡に等しく、悪くすると ストリートチルドレンかパークファミリィーにならざるをえない。
      産児制限を許していない神様は祝福だけで、その後の人生まで責任を取ってくれるのだろうか?
      最初に神が生まれた時は 地球規模で考えても人口は少なく、人口増加を説く教えは間違っていなかったと
      思うが、過剰人口増加の行く先が見えていれば、そんな教えは撤回すべきだ。
      それとも 未だに植民地主義的発想から、後進国民は掃いて捨てても大丈夫くらい過剰労働力を準備しておかなあかんと、
      考えているのか?
      というのも、キリスト教元祖 牧師が派遣されてきている先進諸国では既に人口減少に転じているのは、
      教えはどこに行ってしまったのか?

      昼からは、遠浅の海で耳までつかり鼻だけ出して浮かんで昼寝をすると、音もなく重力も感じずまるで宇宙空間を漂っている
      感じになり30分位水中で寝てしまった。
      ここボンボノンは文明社会から殆ど隔絶されたような所で、新聞 ラジオ テレビは勿論電話も通じない。
      しかしながら 長くいるとここが天国のように思えてくるのは、やはり私自身がバックに文明を背負った暇人で
      表層しか見ず、いいとこ取りしかしていないからだろう。

 30日 日本のカミ様から急遽 帰国命令を受ける。慌ただしく荷物をまとめる。
      Dumageuteに戻りSupercatの切符を買いに行くとマニラに台風が近づいていて
      出港取りやめになっている。
      ”こりゃ えらいこっちゃ。帰られへんがな。”
      海を見ると別に風もなく海面は波も立っていない。
      フィリッピンにしては珍しくコーストガードの命令により、取りやめになったらしい。
      昨年 私の船のマストを折った時 同じ海域と日時でフェリーの転覆で大勢の人が死んだ為に 最近はこの様な命令が
      度々 出される様になったらしい。

12月3日 結局連絡船スーパーキャットは3日間欠航していた。
       ここまで遅れると、カミ様の命令もクソもない。シャーナイと諦めてしまう。
       大阪行き飛行機は朝8時30分出発なので、7時30分にチェックインカウンターへ行くとガランとして客は誰もいない。
       ”あなたが 最期の乗客で 座席はどこでも開いてますが開きすぎていて、隣に綺麗なお嬢サンと一緒にはなれませんが?”
       関西空港行きフィリッピン航空のエアーバスの乗客は50人も乗っていなかった。
       今は フィリッピンも人気がないのか日本が不景気で客が少ないのかシーズンオフなのか大きな飛行機が自家用機の
       様に使えて結構だ。
       ホロホロ3世の溝田 岸野両氏とも同じ飛行機に乗り合わせていた。
       次回 来年 1月13日に船に戻る予定だ。

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  遊帆 UFO のビーチング