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      フィリッピンレポートNo.10                           2000年1月13日

    前半:家村ファミリー&長谷川さんホリデイ イン フィリッピン
    後半:ネグロス島、尻皮剥けバイク旅行記
                                                              
1月13日 京都駅で長谷川さんと待ち合わせ”はるか”に乗る。長谷川さんはフィリッピンは始めてだ。
       寒いところが苦手な私は、さっきまで ”サブイ サブイ”といっていたのに 3時間半程でセブ空港に到着した途端、
       ドーと汗が噴出してきた。
       ”オバタはん 私等みたいに年とってきたら暖かいほうが体には、よろしゅおまっせ”
       と、長谷川さんは腕の血管が膨張した所をしきりにみせてくれる。
       ”そ〜ですな、人間もトカゲみたいに やっぱり日向ぼっこしてエンジンがかかってきたら調子がようなるんですな”
       と、ちょっと 筋違いの返事をしてしまった。
       ホテルにチェックインして マジェステーの中華料理を食べに行こうという事になりトライシクルに乗るが 始めての
       トライシクルにカルチャーショックを受けておられるようだ。
       綺麗で大きなエンジンを乗せた車しか走っていない日本に比べ 小さいエンジンで最大の仕事をさせる人間の知恵に
       感心されたのだと思う。 
       私も サンフェルナンドに最初にフィリッピンに上陸したとき、頭をガンと殴られるようなカルチャーショックを受けたものだ。
       レストランに入り ビール ツバメの巣のスープ イカの鉄板焼き 鶏のレモンソース 豆腐の味噌煮こみ 焼き飯を
       食べて二人でチップを入れて500ペソ(1200円)に、またまた びっくりしておられる。
       これからの1週間は、長谷川さんは ビックリフィリッピン旅行記になるだろう。
       
  14日 朝9時半のオーシャンジェットでタグビラランに向かう。
       タクシーを降りて波止場の乗り場まで歩く間に物売りの子供やおばさんに取り囲まれる。
       ”なんか 戦後の私の子供時代の頃を思い出しますな〜。”
       と,なんとも言えない複雑な表情だ。
       タグビラランに到着すると、ニールの手配でビクトリアの娘メラニーが自動車で迎えに来てくれている。
       ビクトリアの娘が迎えに来てくれているという事はニールとビクトリアも仲良くしているらしく結構な事だ。
       それじゃと 有り難くボホールトロピクスまで送ってもらう。
       1月6日から 家村ファミリーと泉大津のヨット仲間山本さんが 遊帆 UFO の泊めてあるボンボノンまで行き、セーリング
       しながら タグビラランまで来て待っていてくれたのである。
       泉大津のお友達は 入れ違いに帰られたらしい。
       昨日 夕食でも一緒にと思いホテルをチェックしたが会う事が出来なかった。
       夕飯のついでに、ニールが建造中のヨット造船所に見学に行くが、ヨットのプロフェッショナルである家村さんと
       長谷川さんはしきりに感心している。
       殆ど工具らしいものを使わずこれだけの船をつくるという事に驚いているらしい。
       細かい所まで丁寧に仕事をしてあり、この様に人手のかかる仕事は日本では考えられないという事のようだ。
       帰り途中にマンガ市場で夕食を取るが、急に大きな声で豚が悲鳴をあげている。
       家村さんの息子ジュンがビックリして声のするほうへ行ったのはいいが、縛られて計りに乗せられている豚を見て固まっている。
       ジュンも5歳位に日本に来てタガログ語も完全に忘れ 肉というとスーパーでショウウインドウに入っている肉しか
       見ていない日本の子供になってしまっているので、ショックを受けたらしい。
       ”可哀想やな。こいつも自分が食べられるいうのんしってるんやな”
       人間は生き物の命を奪って生きているという原点を見るのはよい事だろう。
            
       ヨット造船所                     マンガ市場

  15日 家村さんと長谷川さんはニールの Tiki21に乗り、奥さんとジュンと私は遊帆 UFO に乗り pangurau島の南5マイルの
       バリカサン島で会うということで出発する。
       ”今日は 風が強いから 3人は波をかぶってビショビショになってるで”
       ”私は お金やるいうてもニールの船には のらへんからな”と奥さん。
       ”心配せんでも すぐパニクル奥さんは誰も乗ってくれとはいわへん。”
       途中島の手前でお互いを確認するや、Tiki21は猛スピードで遊帆 UFO に近づいてくる。
       ニールの船は12ノット位出ているだろう。遊帆 UFO も8ノットでているがウサギとカメくらい差がありそうだ。
       ”カメでも 僕はこっちの方がええもんね”とジュンは少し船酔い気味だ。
       強風でバウから波をかぶりながら案の定3人はびしょぬれになっている。
       島の南側の浮きフェンダーに遊帆 UFO を舫うが Tiki21の様子がおかしい。
       テンダーで近づくと ニールがパニックになっている。
       船外機(2.5馬力)のエンジンがかからないらしい。
       ”ニール 心配ない。プロが二人もいるから 修理しよう”
       ”いや ビクトリアと約束してるし はよ帰らなあかん”
       ”けど 空を見てみ。 益々 風波は強くなるで。今日は ここで泊って明日帰らな危ないで。”
       船外機を修理した途端 チョット 考えてやはり帰るといって聞かない。
       向かい風 強風20ノット以上を無視してパングラウ島まで帰ってしまった。
       海での約束は命取りになるのを、経験不足のニールは知らないらしい。
       私など 約束した為何度痛い目に会っているかわからんのに。
       ”こりゃ あかん。ニールは、ビクトリアがそうとう怖いんやで”
       島に1つしかないリゾートに今日は泊ろうという事で、値段の交渉をする。
       ちょっとおかまっぽいマネージャーは 最初は1400ペソだと言ってくる。
       ”高すぎる、もう一度考えてきて。”
       こちらは、ビールを飲みながら 時間はたっぷりあるし最悪 船に泊ってもOKだ。
       今度は1200ペソに朝食付きといってきたのであまりからかうのも悪いし承諾する。
        
       強風の中のTiki21           バリカサン島のリゾート

  16日  今日も朝から北の風 進行方向には絶好の風向きだ。
        最初はエルドラドで泊るか、アポ島で泊るか考えていたが、20ノット以上の風に どんどん押されて、
        ナイスセーリングで ボンボノンまで 一気に帰ってしまった。
        途中 ワンポイントリーフ(縮帆)して、ジャイブの時にメイントラベラーのシャックルが飛んでしまった。
        行程約45マイル、6時間、平均7ノットのスピードだった。
        湾内に入ると懐かしいヨット仲間が手を振って歓迎してくれる。
        勿論 エンリケもアンドレアも喧嘩しながら元気でいた。

  17日  湾内の小高い丘に立っているエリックの家を見学に行く。
        いつもの様に2匹のドーベルマンと1匹のシェパードがしきりに吠えるが、アヒルちゃんは何処に行ったのか鳴かない。
        なんと 自分の小屋で卵を暖めていて、忙しいからあんたら相手にできんもんねといった感じでジロと睨むだけだ。
        フィリッピンに移住したい家村さんは 奥さんにしきりに
       ”こんなとこやったらええやろ。”と誘い水をだす。
       長谷川さんは 木を自然の形のまま使って家を作っているのを見てしきりに感心する。
          
        エリックの家でそれぞれくつろぐ

       つぎは マイケル(ドイツ人)がカタマランを作っているのを見に行く。
       木で骨組みをし外側を合板をはりFRPを貼るらしいが、プロのお二人の眼鏡にはこの船はあかんという事だった。
       まずは あまりに重すぎる。そのわりに 外側が薄く 合板の為水はけを考えないとすぐにアウトになる。
       その他 色々。。。
       それを 聞いたエンリケはニヤリとして
       ”それみろ 僕の言ったとおりやろ。”
       しかしドイツ人の性格なのか、マイケルは我ヨットクラブの木村さん並に人のいう事を聞かない信念の人なのである。
       昼ご飯は灯台のレストランへ行こうという。
       テンダーで対岸まで渡り、牛の糞を避け豚に挨拶しながら山を登り下りして約15分やっと灯台レストランに着く。
       ここは いつもお客はないので我々が入っていくと テグスネひいて待ってましたと従業員はニコニコと笑顔でサービスしてくれる。
       ほんとによくこんなにお客が無くてやっていけるもんだと感心する。
       注文するが、いつもの通り1時間は出てこない。
       ”注文聞いてから材料仕入れに行ってんのとちゃうか?”
       エンリケが気を使って 珍しく文句をいいにいったら出てきた。
       ”みなさん カンパ〜イ ご苦労さんでした。もうはや 明日からドマゲッテイーに行きセブに戻らなあきまへん”
       ”あ〜早いな。 え〜な。 こんなんしてたら 長生きできるのにな”と長谷川さん
         
       アドバイス中の二人            ミンダナオ島を見渡せる灯台レストラン

  18日 昨日 フィリッピンNo.9で記述した、旦那はタイの坊主になってしまい一人帰ってきたフランス人の奥さんオデールが
       家村さんがヨットの仕事をしているというのを聞きつけ、自分のカタマランを売ってくれと頼んだ為、朝に長谷川さんと
       二人で一応格好だけとカメラを持って見にいった。 帰ってきた二人は
       ”ありゃ あかんわ。すごい内装やで。片方はインド風で御香が焚かれてるし、もう片方は日本のお寺みたいや。”
       ”旦那は 見んでも想像できるわ。”
       一体 船なのか修行の道場なのか、チョトどころか至る所に個性が出すぎて売れんという事らしい。
       ドマゲッテイ行きの車を頼んでいるので、寝坊助のエンリケを起こしに行く。
       皆さんとエンリケとアンドレアは車で一時間半、デコボコ道を越え、次ぎはハイウェイを通ってドマグエッテイに向かう。
       残ったは私一人、急に静になり寂しくなるが、当分間は持ってきた本を飽くまで読もう。

  19日  ”今日出来る事は明日まで延ばすな”というトーマスジェファーソンだったかの生活信条を仕事をやめてからは、
       ”明日でも出来るものは今日しない。”に変ってしまったので、今日も1日ご飯を食べる事と本を読む事に決めて
       ごろごろ うとうとして船の上で過ごす。
       ”海外クルージングしています。”というと大抵の人は
       ”すごいですな。羨ましいですな。”と感歎とあきれ返ったお言葉をいただくが、後者のあきれ返ったお言葉は正解だが、
       前者の感歎のお言葉は不正解だ。
       ひとつも すごくないのであって 毎日ただのプータロウ(娘の言葉を借りれば)怠け者なだけである。
       もともと よ〜し 世界一周でもしてみんなをビックリさせたるぞという鹿島郁夫さんのように大それた事も考えてない、
       堀江謙一さんのように何か記録に挑戦というわけでもなく、植村直己さんのような冒険家でもなく、
       (立派な人ばかりを引き合いに出して申し訳無い)
       なんとなく南の方は暖かくのんびりしてて、 ええやろな位から始ったのである。
       最初の心構えからして なってないので今更シャンとするわけがない。
       考えてみれば落ちこぼれ、はみだしもので、お金はかせがないし、どうしようもないおっさんだろう。

  20日  家のカミ様に電話すると、
        ”マニラで学生がデモして騒いでるけどそっちはダイジョウブか?”
        ”へ〜。マニラではそんな事になってんの? ここは ニュースも入ってこんから全然 知らんわ”
        ここは一種ロストワールド 閉ざされた世界 老人ヨットクラブだから 世間のことは一切分からないのである。

  21日  エンリケがドマグエッテイで借りてきたバイクを股借りして、ネグロス島の北西にあるバコロド方面に行ってみようと
        思い、今日はドマグエッテイまで戻って来た。早速 ニュースを仕入れると大統領が昨日一日で替ってしまっている。
        エストラーダは前回選挙で自分でも本当は大統領になるとは思っていなかったのではないかと私は考えている。
        立候補すると悪役をやっつける映画スター時代のイメージ人気の勢いに乗ってというか乗せられて大統領になってしまった。
        それが今度は自分が汚職の為大統領の座を追われるとは、皮肉なものだ。
        人間というのは権力欲 金欲 性欲には弱いものなのだ。
        日本でも汚職した政治家にはデモを実行して政治資格剥奪するくらいの勢いは日本国民にはもう無いのだろうか?
        日本国民は政治家なら 汚職してるのは当たり前位しか考えてないし、そんな政治家を再度選挙で当選させ、
        政治家もみそぎを済ませましたと大きな顔して国会に登庁したりするのは異常を通り越して白けてしまう。
        人間としての根っこの品性が欠けた人間ばかりになってきた。
        いわゆる昔は ”えらい人”と呼ばれる人達が”えらい地位”について、それぞれに”えらい事”をしていたんが、
        最近の”えらい地位にいる偽えらい人”は品性が欠け犯罪を犯す為 その下で働くまじめな人々が道連れで
        どれだけ迷惑しているかわからない。
        政治家 官僚の汚職はいうに及ばず、医者の医療ミスと秘匿 大学教授の試験問題漏洩 会社社長の私腹を
        肥やした挙句の会社の倒産等 社会のトップにいるだけ犯罪の影響は甚大だ。
        私の友達は人生を”そごう”に托して30年間頑張ってきたのに、バカなトップのお陰で倒産リストラの危機にあっている。
        私腹を肥やし会社を食い物にした社長の家へ社員全員デモでもしてやって意地をみせてやったらどうか?
        ”私等はあんたの決断指示で言う通りまじめに働いてきたのに、あんたは会社赤字でも高額給料とった。
        責任をとり、私財を社員の為に投げ出せ”
        こんなデモをしたら、町の皆から拍手喝采貰えるのと違うかな?
        最近流行のリストラという赤紙がくるのをじっと待ってるだけとは、戦時中の赤紙と変わらん状態でおとなしく
        御上意を待ち 受け取ると一人寂しく去って行き気が付けば殆ど全員がいなくなっていたなんて事がまた起こるのかな。
        日本人は一ヶ所に集めた瞬間にもうおとなしく御上意に従うか、あるいは、農協団体ツアーで旅の恥じは書き捨てになったり、
        成人式で馬鹿騒ぎする様に皆で集まれば、怖いもんなしで公共マナーをなくす国民なのだろうか?
        犯罪の中でも、まだ 泥棒の方がずっとかわいく見える日本社会はこの先明るい未来はあるのだろうかな?
                
  22日  朝9時半ドマグエッテイをバイクで出発、Bais近くまでは前回エンリケと船を揚げる所を探しに行った事がある。
        海岸沿いの道は舗装されていて、加速して90Kmで走っても気持ちが良い。
        Baisを過ぎた辺りからどこかで左に入らないとならない。それらしき道がでてきたので道端のおじさんに聞くが
        英語が通じないのか一向にハッキリしない。
        地図を見せ指でIIogを指すとうなずくので間違いないだろう。
        今度は ヘアーピンカーブになって山道を登って行く。
        砂糖黍を満載したトラックとよく出会う。
        このトラックの後を走るとしょっちゅう砂糖黍の切れ端が落ちてくるので危ない為どんどん追い越しをかける。
        どうやら、この道は砂糖黍積みだし道路だったらしい。
        昔はこんな山道をどうして運んでいたのだろう。
        荷車にして牛に引かせていたくらいだろうか、牛も無い貧乏人は肩に担いで運んだのだろうか?
        Hinigaranという町まで3時間半程走って 腹ごしらえに道端のレストランへ入る。
        ここから Bacolodまであと1時間位だろう。途中でエンジンストップ 陸にいてもいい加減な性格と行き当たりバッタリ
        出たとこ勝負の性格ゆえガス欠になってしまった。
        ”押してガソリンスタンドまで行かなあかんのかいな。まてよ どっかにスペアーレバーがあるはずや”
        あちらこちらを捻って見つける。 すぐにガソリンスタンドでガソリン補給だ。
        Bacolodは大きな町だ。ホテルのボーイに
        ”どこかうまいとこないか?”
        と聞いたら、
        ”空港へ行く道を真直ぐ行くとゴールデンフィールドというところがあります。そこはなんでもあります。(ニヤリ)”
        との事だが、いかにも名前が良すぎる”金の畑”なんて思いながらバイクを飛ばす事15分、突然、畑の中に
        ネオンがチカチカ いたる所 娯楽施設総合集合村に着いた。
        ホテルは勿論 カジノ カラオケ バー デイスコ ボウリング場 マッサージ レストラン ハンバーガー屋等何でもありだ。
        砂糖黍畑に比べればそりゃ金の畑に間違い無い。グッドネーミングだ。
        入口にあるイタリアレストラン ”カルロス” という所に入ると、7組の客の内3組が我、日の丸旅行軍団で占領している。
        味はまあまあ旨い方だ。
        船に帰ったらエンリケとアンドレアと一緒に食べ様と思い、野菜の酢漬けをお土産代わり買って引き上げる。
                     
        今回 デジカメの3脚を持って行ったのでこれからどんどん自分の写真がとれるようになりました。
        手始めにネグロスの広大な砂糖黍畑の風景をじゃまする私を取って見ました。
        
        お詫びに絵葉書的写真バコロド市内のサンセバスチャン教会

   23日 今日はカンラオン山(Kanlaon)標高2,465mの麓にある温泉リゾート、マンブカル(Mambucal)温泉に向かう。
        バコロド市内はゴミゴミキラキラしていて嫌いだが、バイクで10分も走ると火山噴火の裾野の稜線がなだらかで素晴らしい。
        富士山ほど高くないけど、いつも山頂は雲がかかって見えない。
        マンブカル温泉まで約1時間半 入り口のサリサリストアーでコーラを飲む。
        犬は道の真ん中で日向ぼっこ兼、文字通りあお向けに木(尻尾があるため)の字で昼寝、この辺のフィリッピンの犬は肝っ玉が
        太いのか、虐められてないのか、のんびりしている。
        お店のオネエチャンとオニイチャンはニコニコして道を親切に教えてくれる。
        私は、同じ道は通りたくないので ここから東海岸にでる近道があるかないか聞く。
        ”あるけど この道は 途中デコボコでスリップして危ないのやけど。。。”
        ”この モーターバイクでは 行けんかな?”
        ”行けん事はないけどな。。。”
         と、あまり お薦めでは無さそうだ。
        ”山登りはせえへんのか? 二日の行程でガイド引きうけるけど。。。”
        ”ナニ、 2日も歩くてとんでも無い。私は、歩くのは苦手やからやめとくわ。”
        ナマケモノには、温泉がぴったりだ。
        ここマンブカル温泉では、近くで源泉が地下から湧き出していて硫黄の臭いが立ち込めている。
        ここは、フィリッピンの温泉では珍しく家の形になっていて周りの戸を開けると更衣室とシャワーになっている。
        中はプール風温泉になっていてここも男女混浴だ。
        源泉温度は45度位、 少し白く濁っているのを水で薄めているので40度くらいで日本人にはチョットヌルイ。
               
        温泉(またまた出演してゴメン)      道を教えてくれたサリサリストアー    川の中で気持ち良さそうにしている水牛

        昼ご飯はチキンチノレック(鶏のスープ)を食べ教えてもらった道を行く。
        途中の町、ドンサルバドーレまでの道はなだらかな登りだ。
        燃料メータを見るとガソリンが少ない。
        昨日痛い目に会っているのでどこかにガソリンスタンドないかと探しつつ登っていくが全然民家すらない。
        行き交う自動車も少なく全く我道を行くだが、ここでガス欠はチョットまずい。
        いやいや 大問題、へたすると野宿せなあかん。
        走る事一時間半、ドンサルバドーレらしき町(戸数約30軒位)に着く。
        ガソリン屋を探すと前歯の抜けたオッチャンがコーラのビンに小分けして売っている。
        地獄で仏とはこのオッチャンの事かと納得する。
        ”オッチャン ガソリンチョウダイ”
        歯抜けの仏さんは 今度は両耳を押さえて聞かザルのしぐさをする。
        耳でも悪いのか痛いのかと考えたがそうではなく 英語がわからんという意味のようだ。
        それじゃ もう一つの得意技 世界共通指差し手話で身振り手振りに簡単語を混ぜて話す。
        ”オッチャン コレネ ヒトツネ ココヘネ アカン タラン コレネ モウヒトツネ ココへネ アリガトネ”
        右手ヒトサシ指一本で、これだけの事が通じるのだ。
        これからはゴールドフィンガーと呼ぼうか?マジックハンドと呼ぼうか?
        ”う〜ん 両方とも もうひとつやな。”
        ガソリンの補給も歯抜けの仏さん顔聞かザルのお陰で満タンになりもう怖いもの無でイケイケだ。
        さあ 次ぎはサンカルロス目指して出発だ。
        この行程はサリサリストアーのオニイチャンが心配していた様に所々造成中の道になる。
        ブルドーザーが道を作ってくれるのを待って通り抜ける。
        雨が振ったりしていたら 泥んこでスリップして行けなかっただろう。
        空気は澄み切って気温は20度位か、気持ちがよく、高度はすでに900mほどになって殆ど椰子の木は見ることは無くなった。
        そうか、この道は未だ完成していないので車と行き会わないのだ。
        サンカルロスに到着したのは4時近くになっていたがこの道は絶景だった。が、お尻の皮は痛くなってしまった。
        お宿はSkyland Pension P275−値段は安く 部屋は綺麗で オーナー(ドイツ人らしい)&従業員が親切。
            
         見渡す限り我道               西部劇風道路標識              日本風棚田

   24日 サンカルロスからドマグエッテイまでは海岸沿いの平坦な道で 右手に砂糖黍畑 左に海とセブ島を見ながら走る。
        走り出して 10分程、後ろのタイやがパンクした。 止まった所の家のオジサンにパンク修理屋は無いか尋ねると
        1Km程 戻った所にあると教えてくれた。自分の家の中に向かって子供を呼び自転車の空気入れを持ってこさせた。
        この空気入れで子供がポンピングしていれてくれるが一向にタイヤが膨らまない。
        よく見ると、ホースのところをテープでまいてあり、そこから スースー空気が漏れている。
        これでは 明日までかかっても膨らまないので 誠意だけ受取、お礼を言って道を、トボトボとバイクを押して戻っていく。
        古タイヤを看板代わりに置いてある家があるので声をかける。
        ”オバアチャン パンク修理出来るか?”
        オバアチャンは孫にご飯を食べさせながら、バイクを中へ入れろという。
        若者3人 子供でもなさそうだが道具を持ってタイヤを点検してくれる。
        細いオニイチャンがリーダーの様で、マシュルームカットと 黄色パンツの腰振りニイチャンはお手伝いのようだ。
        タイヤを外し 水の中に入れて穴を見つけたら、爪楊枝を刺し 周りをヤスリでこすって ゴム糊を塗ってゴムを貼る。
        ここまでは日本の自転車修理と同じだが、ここで火の着いたコテプレス機を持ってきた。
        これで 貼った所に熱を加えてゴムを密着させるわけだ。
        穴は二箇所あった。空気入れの仕事は黄色パンツ腰振りニイチャンの担当だ。
        このニイチャン ラジオのデイスコ音楽に合わせ なかなか上手に腰を振るので みんなから笑いを取るのだ。
        空気入れを上下させながら 腰をクニャクニャ振った姿は絵になっている。
        そんな余興を見せてもらいながら一時間ほどでなおった。
        受付嬢兼経理担当は孫の子守も兼ねているオバアチャンらしく、料金は コーラ込み75ペソ。
        昨日の我山道でパンクしなくてよかった。どうやら 鍵さんが持ってかえったツキが戻って来たかな?
        けれどパンクしたから やっぱり、ついてないのかな? これくらいだったら、どっちでも ええか?
        快調に走り出して今度は腹の具合が悪くなり出した。
        トイレを探すが、そんなものは当然無い。
        バイクを止め道路から5mほど入って、日ごろよく食べているバナナの木に恩返しに野糞をする。
        ”これ食って また おいしいバナナを作ってね。バナナチャン”
        この辺は、やはりどこでも砂糖黍畑で、人間が蟻のように肩にかついでトラックに積み上げていく。
        記念撮影と思ってカメラを向けると、ヤンヤの歓声で手を振って答えてくれる。
        こんなキツイ仕事しても労働賃金は本当に安く(約200円/日)位だがそれでも明るいフィリッピン人。
        こんなに沢山砂糖を作っても、貧しいのは砂糖の価格が低いからなのだが、価格を決めるマーケットは
        シカゴかどっかで、先進諸国民によって開かれ、生産者フィリッピン農民の知らない場所で決まっている。
        物の値段と労働の過酷さの関係は反比例していて、これを買い取る一部シンジケートが実に甘い汁を吸っている。
        フィリッピン人という名前も貰っていないその昔 先進国代表のマゼランが最初にやってきて略奪と征服の歴史が始り、
        いわゆる先進文明の中にキリスト教という人々を従順と服従を強要する神を派遣し、もろ刃の剣で植民地化していった。
        今尚、その末裔は理由もわからず貧しい暮らしをさせられているのである。
        頭から宗教を信じていない不埒者の私は、絶対唯一の神等 人の精神を縛り付け奴隷にする役目しか
        持っていない様に思える。何故 神だけが 唯一絶対になって他を絶対認めないのか?
        答えは勿論 認めたら絶対唯一自分だけが神で無くなり信者を縛る事が出来ないからだろう。
        こんなにおとなしく服従するように教育されたうえに、まだ貧しいフィリッピン人からミサで寄付金を集め、貧しい国に不似合いな
        立派な教会をつくるせこい神など必要無いと思う私に、神の罰なるものがあったらいっぺんあててみて貰いたいもんだ。
        もっとも お前の様に文句たれるだけで、何もしないよりはしてる方がましやろというお言葉をかえされると、
        私自身、何もしてやれないといって欺き、安い砂糖の恩恵を受けている文明人の欺瞞を持った一人であるのは間違い無い。

        ドマゲッテイでブルーチーズ 鶏のパテ パン ワインを買って船まで戻る。
        Nicky Houseでは顔馴染と新入りヨッテイーが集まっている。 
        今日はAilineがピザを作ってくれるので、みんな揃ってピザパーテイーだ。
             
        熱を加えてゴム糊密着させる        肩に担いで蟻のようにトラックへ運ぶ

   今回 バイク(カワサキ125)で走りまわったコース全工程 約450Km? 日本のバイクの性能は燃費もよく抜群だ。
   日本と大きく違う所は、道路舗装がコンクリートで出来ているのだが、所々に大きな穴が開いている。
   もっと違うのは 警察がいない、信号が無い 殆ど標識が無い。当然 免許提示を求められたり、ネズミ取りスピード違反もない。
   その為 穴に突っ込んで事故が起こっても、注意して走らんかった奴が悪いのであって、国に賠償を求めたりする事はない。
   ”ここは 穴がありますよ。ここは警笛鳴らしなさい。ここは道が曲がってますよ。ここは狸が出ますよ。”
   等と、日本の国は親が出来の悪い子供を扱うように、何でも親切丁寧 注意喚起してくれるが、 ここは その対極にある国なのだ。
   日本社会は国が母親、国民は子供の おんぶにだっこ社会はお互いもうちょっと親離れ子離れするときが来ているのではないか?
   そういえば、外国で電車に乗ったら車内アナウンス等無く静かなもんだが、日本の電車は、しょちゅう親切らしく、
   おせっかいなアナウンスがある。また このようなマニュアル通りのアナウンスをサービスと思い違いしている。
   ”次ぎの停車駅はXXです”位は、有難うねと聞いていられるが、
   ”棚の上の荷物を忘れるな。 カーブがあって揺れるから捉まれ。後何分で到着や。携帯電話は他人迷惑にならんように使え。
   トイレと自動販売機と電話はXX。。。”
   うるさくて、ゆっくり、寝ることも本を読む事もできん。
   JALになると言葉は丁寧だがサービスは最低で、乗客を駄々子をあやすが如く扱いで、マニュアル通り慇懃無礼極まりない。
   どうも日本のサービスはマニュアル化されすぎていて こちらもちょっとマニュアルに合わない事を言うと対応に困り融通が聞かず面白くない。
   私も欲求不満なのか、年いったせいなのか、どうも 最近くどくどと文句が多いと自省する。
   もっと 明るく楽しく行こうぜ。
    
    赤線がバイクで走った道
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