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25番 フィリッピンレポートNo.12
出発前:1月4日 航空券有効期限ギリギリで予約を取った。
勿論 ビンラーデイン氏のお陰でセブ直行便はキャンセルされているので、マニラから国内線乗り換えルートだ。
正月は そこそこオヤジの存在価値をアピールしたら、暖かい南の海へ行くもんね。
今年は 遊帆 UFO にいる時間が少なかった。
アブサヤフ君が、まだ元気にテロをやっているのかどうか分からないので、西に行くか東に行くか決めていない。
2002年は、ゆっくりヨットライフを楽しもう。
日本にいても、勿論毎日ゆっくりしてはいるのだが、暖かい南の海に馴染んだ体は、琵琶湖では寒くてヨットにいる事が出来ない。
図書館で本を借りてくるのと、風呂へ行くのと、愛犬ジャックのお供をする以外は家から出ない。
口の悪い娘から
”ほんまに オトウはプ〜タロ〜やな。”
等と、罵られても
”オトウは、プ〜タロ〜のプロをめざしてるもんね。”
と、開き直って一向に気にしない。
2002年正月
今年も、別に何もしないのに、あっと言う間に終わってしまった。
やはり、毎年 地球が回るスピードが速くなって行く様だ。
仕事のないプ〜タロ〜オヤジは、今年は何したんかな?と自分自身考えて見ても別に何もしていない。
生きている事が儲かった事なのだ。
お互いが信じる正義と愛する人達の為に、戦争とテロが起きている世界で、生きているだけでも難しい人々が大勢いるのは、
悲しい事を通り越している。
双方とも口から出る言葉は一方的正義と狂信的愛で、手にするのは 教典と銃で、後には、怒りと憎しみと悲しみが残り、
次ぎの一方的正義と狂信的愛へと続いていく。
これでは、何時終わりが来るのか分からない。
1月4日:フィリッピン航空でチケットを貰うが、帰りのチケットの提示を求められなかった。
余りの乗客数の減少で、そんな事にこだわっていられないのかもしれない。
現地で航空券を買っている私にとっては、ダミーの切符購入の面倒な事が無くなって良かった。
乗客は少なく、年の差の離れたカップルと子供連れの帰省客が多い。
日本は、8度で マニラは28度だが、神経は未だ寒いはずなのに体は熱いので汗が噴出してくる。
マニラで乗り換えてセブに到着。
タクシーでセブビジネスホテル(500ペソ)に向かう。
ラッシュアワーで渋滞の道を30cmの隙間を残して割り込みながらドンドン走る。
こちらは後ろのシートで目をつぶっているしかない。
相変わらずのゴミゴミと喧騒にセブに戻った事を実感する。
夕食はイタリアン(パウロの店)でピザを注文し、馴染みのストリートチルドレンと分ける。
5日 私は町は嫌なので、早速ネグロス島へスーパーキャットで向かう。
その前に、携帯電話を6ヶ月間使わなかったのでSIMカードが使えなくなって交換にSMショッピングモールへ行く。
勿論電話番号も変った。
円安を反映して 10000円が3700ペソほどになっていた。
明日は、DumagueteからBonbononへ行く。
船を整備して、フィリッピンを離れる前に ニールの所へ一度行かなければならない。
6日 Bonbononへ帰る。
海沿いの崖道を オートバイのタクシー(ハバルハバル)にオバアチャンと女の子の3人相乗りで風を切って走る。
ニッキーの子供達が”ウェルカムバック オバ〜タ”と寄ってくる。
みんな少しも変らない。ここは時間が止まったような所だ。
寝ていた犬も尻尾を振りながら近寄ってくる。
今、ここにいるのは前からの組(エンリケ ロン ピーター ジェリー マイケル テリー等)
新しい船も3隻程アンカーを降ろしている。
遊帆 UFO は船を離れるときに、船内毒ガス作戦を実施した為、ひっくり返っている。
雑巾で綺麗に拭きながら、元に戻して行く。
船外は鳥のウンコ爆弾攻撃で被害甚大だ。
海水で洗い流すのに1時間かかっても未だ全部終わらない。
今日は、これくらいにして休んでいると、ピーターが寄って来て、
”今夜は ブルースのとこで 6時頃パーテイーあるからな。”
と、知らせに来てくれる。
飲み物は別料金で、料理は食べ放題85ペソで、結構品数も多く、味も良い。
最近はニッキー&アイリーン以外にも、ブルースがレストランを始めたようで、我々ヨッテイーには有難いが
所詮10人までの客相手で商売が成り立つなどは、日本では考えられない。
商売ではなく、どうせ自分達の分を作るからついでにヨッテイーを集めて一緒に食べるか位の感じである。
9日 毎日、20ノット以上の北風が吹いている。
湾の東側の岡を登り、外海の見えるほうへ散歩に行く。
ヤギがのんびりと草を食べ、牛は坐って尻尾で虫を追っている。
この辺りは、村人の数より、動物(牛 豚 鶏 ヤギ 七面鳥 水牛 犬 猫等)の方が多い。
山にはバナナが自生していて、房の先は花があり、これも料理に使う。
畑で囲まれた家から、オバチャンが出てきて、手を振って中へ入ってお茶でも飲んで行くように言ってくれる。
一瞬、”お邪魔すっか” と、考えたが、靴が水に濡れてボロボロだし、テンダーが心配で”今度、ね 有難う”と手を振って道を進む。
今度は、後ろからバイクに乗ったオネエチャンが二人、警笛を鳴らしながら、止まる。
”オジサン、今日は魚 要らない?”
”あんたらか、今日はどんな魚や?”
後ろに坐ったオネエチャンが籠の中を見せてくれる。
鰯だ。
”アジはないのか?”
”明日なら、あるよ”
”じゃ アイリーンの所へ届けておいて”
商談成立後、二人は 又 手を振りながらバイクで走り去って行った。
時々、出会う多分漁師の娘サンだろう。
毎日のこの強風なら、アジの開きの干物が上手にできるに違いない。
もう日にちが怪しくなってきた。
何日か後 タグビラランへ戻って、ニールに会い、頼んでいたジブシートを貰わなければならないのでスーパーキャットで行く。
到着すると、いつもの様にボホールトロピクスの車がいるので、今日はチョット贅沢して泊る事にする。
浜の、ダイバーショップの方へ行くと、日本系のブルーコーラルダイバーショップのオニイチャンが
”やあ 久しぶりですね。”
と、声を掛けてくれる。
”景気は、どうね?”
”日本の景気の悪さと、外務省の危険情報のお陰でお客はさっぱりですわ。”
”日本人の替わりに、韓国人旅行者がずいぶん増えてるようね。”
”そうです。隣の前からある台湾韓国系ダイバーショップの向こうにもう一つ韓国系ダイバーショップが出来ました。
多分 そのうちにお隣サン同士はトラブル起きますよ。”
”エコノミックアニマルの日本人の次ぎは、韓国人やな。まあ頑張ってか。”
次ぎの日 ”ニール、久しぶりやな。元気か? ところでパラグライダーはどうなった?”
”自分のは エンジンを背中にかついで走るので、難しい。けど、アニーという友達は下に車をつけて滑走して飛びあがるんや。
今日の3時からテストするから行こう。
アニーは 多分ドイツ系でパラグライダーの経験はあるがエンジンのは始めてで、下の車は自作らしい。
とりあえず、みんなで意気揚揚と草むらの飛行場(ちょっとした広場だけ)に向かう。
アニーを乗せて、ニールがエンジンを掛け、私がサポートしてやる。
始めは うまくパラシュートが立たなかったが、何度かするうちに様になってきた。
近所の子供も大人も犬も見物に来ている。
二人は、慎重にテストをくりかえすが、見ている方は面白くないので、
”アニー、ニール もう パーフェクト、完璧 ダイジョウブ。OK OKよ。もっとスロットルをふかして飛びあがれ!”
と、無責任な応援というか、けしかけてるというか、とりあえず つぎの展開を望む。
飛びあがってしまえば、後は 自分の責任で降りてくるか,落ちてくるかだけだから手間は掛からない。
近くのブッシュに突っ込んで ボロボロになってでてきたりしたら絵になるのにな、などと、密かに心の中で遠慮しながら期待している。
8回ほど、テストしたあと 二人はやめてしまった。明日飛びあがるという。
ニールは高所恐怖症やから、ほんまは怖いのに飛びたがる変な奴だ。
機材をしまって今日の反省会と明日への意気高揚の為ビールを飲みにサリサリストアーへ行く。
”明日は絶対飛べよ。ニールがパラグライダーの話を始めてからもう1年以上になるで。”
次ぎの日 ”今日は絶対飛べよ。カメラ持ってきたで、カッコええとこ写したるから。”
”あかん。アカン。ノー。なのよ。。。 今日は風がキツイ。”
”またあかんのかいな。ほんなら せめて庭で写真撮ったる。”
と、いうような分けで撮ったのが下の写真である。
空を飛ぶスーパーマンのつもりらしい。 この様に懸命に走らなければならないと言う意味? 進歩改良?したアニー。
15日 ”ニール。いくら いても飛ばんから ボンボノンへ帰るわ。”
”マレーシアへ行くのは、延期してもう一回タグビラランへ来たら。”
”まあ 考えて見るわ。”
というような分けで、Dumagueteにスーパーキャットで戻り、市場で買い物をして船に戻る。
たったの4〜5日いなかっただけで、船は鳥のウンコ爆弾の為デザイインが変って見えるほどだ。
また デッキをタワシでこすって海水を流す。
お陰で鳥の健康状態がわかるようになって、中には腹の調子がもう一つ良くなく下痢の奴もいる様だ。
エンリケが、テンダーで様子を見に来てビックリしている。
”この船は鳥には人気があるな。”
もう 腹立つ。明日は番犬ならぬ番魚(鯉のぼりを2匹)デッキに見張りに出そう。
”エンリケ。今日はゴルゴンゾーラチーズを買うてきたから、ジェリーも呼んでシングルモン同士の慰め合パーテイーしようか?
というような分けで、鳥のウンコ爆弾事件以外は、平和な夜が過ぎて行くのでした。
1月の終わりの日曜日
ボンボノン(船を係留している湾)の南側に、去年の12月頃にオーストラリア人らしき夫婦がリゾート&レストランを開店していた。
毎週 1回デイナーパーテーを開いてくれるのだが 今日はここの女主人ニッキーの誕生日パーテイーに招待された。
ここでガイジンというのも変だが、彼等のパーテイーでは、何でもいいから手作りのユーモアのあるものプレゼントするのが習慣のようだ。
ビル&シルビアの夫婦は 自作のブラウスみたいなものと半円形に切って紐をつけたものを2つをプレゼントした。
”シルビア、これは 何?”とニッキーが半円形のものを引っ張り出す。
”ニッキー、使い方はあなたの自由よ。”
ニッキーは、腰の前に当てて エプロンかしら? 片目にあててアイパッチ(海賊がする眼帯)かしら?ブラジャー?と色々と試す。
そのうち、男の連中が、腰の前後につけたらセクシーやで、という事でその後ずーとその格好になった。
わいわいがやがやとやっていると、スイス人のボフガンが遅れてやってきて、皿に乗せたケーキーを持って落ち着かない様子で
ウロウロしている。
”遅れてゴメン。このケーキを作ってた。チョット 失敗したけど。。。。”
ケーキは少しも膨らんでいない。見るからにまずそうである。
とりあえず 蝋燭を1本さしてカットしようとニッキーがナイフを入れるが切れない。
見かねた夫のジミーが鋏をもってきたのでそれで切る。
一応 みんなで少しずつ味を見てみるが、まずくて食えない。
アメリカ人のデイブのヨット犬(スキッパー)にやったら、口にいれて吐き出してから食べたのでみんなで大笑いしこのケーキは犬用にした。
何日か後 今日は、貝を仕入れに歩いて1時間位かかる外海側にある 小さな湾に向かう。
たまに運動するのも体に良いだろう。
前回は、ここまで馬に乗ってエンリケと二人できたのだ。
小柄なエンリケは、小さい方の馬に乗り、私の後をついて来るので、まるで私の従者のように見えたものだ。
村は湾になっていて、砂浜があり至る所で貝が取れるらしい。
出会う村人に ”貝はないか?”と聞いて回る。
色んな貝を持ってきてくれるが私のほしいのはアサリなのだ。
生憎 アサリはなく赤貝が沢山あったのでそれを分けてもらう。
結構大きな赤貝30個程で20ペソ(60円位)でどうだというので、こちらから値段が安すぎると文句をいうわけにいかないのでOKする。
喉が乾いたのでビールを注文すると、家に入って昼飯を食って行けという。
丁度昼だし、今から歩いて1時間はかかるので、いただく事にする。
オカズは、白魚の生を醤油と酢で混ぜたものをつまんでご飯と一緒に食べる。
なかなか 美味である。
支払いはビールの分しか受け取らない。
今晩は この赤貝でスープスパゲッテイを作って食べよう。
2月に入って ラー3世の金田夫妻も無事帰還。
Dumagueteに、Internetcafeが新しく出来て、コンピュータも性能が良くスピードも速い上に、スキャナーも置いているので
ブルースの娘ジャマイカ(4〜5歳?)のスケッチをテストしてみる。
最近はこのジャマイカに私は夢中で、何枚も書いている。
ブルースの井戸には、大体午後4時ごろ洗濯 水汲み 体洗いの3つをこなしに行く。
毎日顔を会わすので村のオカミさんとも顔馴染で、私の簡単横着洗濯を珍しそうにみている。
私は、バケツに入れた洗濯物に洗剤を入れ足で踏みつけて2〜3回すすぎで終わりだ。
オカミさん達は、沢山の洗濯物を一つ一つ丁寧にブラシでこすって綺麗に洗っている。
何日か前、寂しい一人モンの夕食パーテイーを我UFOでやった時、ここで何の商売がええかな?みたいな話になった。
ジェリーはインターネットカフェがあったらええと言う意見。
私は、”露天風呂に入れたら最高やな。風呂の中で月と星を見ながらビールを飲むなんて天国やで。私だけでも毎日くるで。”
と単に自分の希望を述べる。
エンリケは、コインランドリーはどうか? とそれぞれ勝手な意見だ。
日本では想像がつかないくらいに ここでは洗濯は大変な仕事なのだ。
まず家から洗濯物を井戸端まで持ってこなくてはならない。
バケツも盥もブラシも洗剤もいるのだ。
次ぎに 蛇口を捻れば水が出るのと違うから ポンプで何回も上下させて水をくみ上げなければならない。
ここから洗いモードに入るのだが、ブラシで一つずつこすっていると、大体1時間は坐りこんでいる。
次ぎにすすぎモードに入ると 何度も水を汲み上げなければならない。
次ぎに搾りモードは 渾身の力で両手で捻って搾るのだ。
かたずけモードに入ると、洗濯前より水を含んで重くなった洗濯物を家まで運ぶのだ。
文章で書くだけでも疲れてしまうほど大変な事なのだ。
オカミさん達に、”毎日 洗濯ね?”と 聞くと週に2回位らしいが、それでも大変な仕事だ。
しかし ここではコインランドリーは はやらないだろう。
何故なら、現金収入の仕事は殆ど無いので、村人が洗濯にお金を使うこと等考えられない。
と言うようなわけで、我々の ベンチャー企業のアイデアも夢でおわるのである。
韓国釜山ヨットハーバーから去年12月始めに出港したIsaac李夫妻も無事到着喜び合う。
隣に係留しているフランス製ヨット オーナー:ボフガンWolfgangは時々チャーターヨットの仕事をアルバイトでやっているのでもし興味のある方は
Wolfgang チャーターヨットのページを見てください
2月7日 ドイツ人マイケルが今建造中のカタマランがほぼ完成しハルを片方ずつ動かして海へいれる準備を始めた。
ここはクレーン等なくどうやって段差のある垣根を越えて海に降ろすのか、おもしろ半分見物に行く。
片ハルづつ太い竹を組んで倒れない様に足場をつくりソリにして両側から支える。
ハルの底には何本も太い竹を挿し込み滑らせて動かすらしい。
引く力は チェーン巻き上げ2台を準備して少しづつ引っ張って行く。
1m程の段差があるのだが、ここをどうやって降ろすのか?同じくひやかし組のアイルランド人ロンに聞くと
”簡単よ、足でキック”
と、船を蹴る真似をする
どうやら、段差のある所は 道を作ってスロープにして降ろすという。
昔の人はこの様にして動かしたのだろうが、その為の知恵を随所に見せられた。
我々なら クレーン車を呼んできて引っ張り揚げて降ろす事しか考えない。
知恵と根気があれば何でも出きるものだと感心する日だった。
方ハルづつ動かすマイケル
9日 Wolfgangが、最近チャーターヨットのアルバイトをして、儲かったのでみんなに御馳走するという事で、村の豚を1匹買って
バーベキューをすることになった。
今日の朝9時に解体を始めるから興味のある人は見に来いという事で金田さんと見学に行く。
今回の豚チャンは メスの子豚でイノシシの牙のないやつで、もう自分の運命を知っているかのように、落ち着かない様子で
しきりに鳴いている。
押さえにかかると、これが最期とばかりに猛烈な泣き声を出す。
足を縛り耳を押さえて、喉元からナイフを刺し込み、心臓を切る。
大量の血が出てくるが、これは鍋に受けて塩を入れてかき混ぜ固まらせて湯がく。
子豚チャンは、可哀想に血を流しながら眠る様に死んでしまった。
死ぬ時の命等、本当にあっけなく終わってしまう。
Wolfgangも、見るのははじめての様で可哀想ねという表情だ。
私と金田さんは、ここぞとばかりに 子豚チャンに向かって
”Wolfgangが殺人者や。恨むんやったらWolfgangの所へ文句を言いに行けよ。”
と、言ってやる。
彼も、こんなんやったらこの子豚買うんやなかったという表情である。
その後湯を掛けながら毛をそって 内臓を出し、お腹に香草を入れて竹でお尻から口へ突き刺し火で5時間程照り焼きにして、
豚の形の盆に乗ってでてくるのである。
盆に乗ると朝の残酷な光景は綺麗に忘れて我先にナイフを持ってニコニコ顔で舌なめずりしながら切り取りに走るのである。
今夜は、ポールの家で飲み物各自持参で、25人位が集まった。
食えや、飲めや、歌えや、踊れや、しゃべれやの盛り上りパーテイーとなった。
帰りの挨拶でボフガンに
”今夜は有難うね。うまかった。来週もまた頼むわ。”
人間は、本当に一番怖い動物である。
子豚チャン最期のあがき 今回殺人主犯 Wolfgang こんがり火焼した子豚にナイフを入れる
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