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     26番   マレーシアNo.1    ボンボノンからコタキナバル           2002年

3月5日 Dumaguteでの出国手続きは4日に終え、出発するだけになった。
      ここBonbononにこんなに長く居座るとは思わなかった。
      世界の動きから隔絶された天国のようなここも、係留費徴収の話がCiaton市から出てきて、ヨッテイー代表で
      ロンとビルが話し合いに行ってきたらしい。
      ヨッテイー相手の交渉は一筋縄ではいかないだろうが、いつかはタダでは済まなくなる日がきて
      我々は又新しい天国を探す事になるだろう。
      3月は皆さん動き出す時期のようで、7m満たない鉄製ヨットのPeterもマレーシアへ いくらしい。
      彼の船は 勿論 風任せで 足も遅い為、いつ到着するか全く予想がつかない。
      そんな船でも 何日もかかって大海原を渡ろうという勇気に同じヨットを乗るものとして尊敬するばかりだ。
      一旦 離れれば二度と会う事が無いかも知れない人達に、”じゃーね。又ね。”
      と、チョット隣町へ行くように簡単に挨拶して港を出て行く。

 12日 マレーシア コタキナバルまで 約480マイル ノンストップで風向き良ければ、4日間位のクルージングか。
      午前9時ごろ、警笛(鶏の泣き声コケコッコー)を挨拶がわりに鳴らしながら出港。
      エンリケ ジェリー ロン ダイアン アイリーン ニッキー  金田夫妻 ボフガング等が手を振ってくれる。
      皆さん元気でね。いつかどこかで会おうぜ。
      久しぶりに動かす遊帆 UFO の為、動きが何かぎこちない。
      何かするのに、一々手順を確認しなければできない。
      出港後1時間程して、後ろから60ftカタマラン Cosmos フィルの家族の船が近づき、コタキナバルで
      会おうと叫びながらアット言う間に追い越して行った。
      この船は、テレビ VBD 冷凍庫に食料豊富 電気 水道 ガス完備でホテルと同じで、ピーターの船とは
      天地の違いだ。
      昼は、パン エンリケが差し入れしてくれたゴルゴンゾーラ イタリサラミ スペインハム。ウ〜ン 旨い。
      夜は、鰯の缶詰キムチ鍋 これまた旨い。
      夜食は、アイリーンが餞別にくれた キャロットケーキとコーヒー。
      Syilviaが買ってきてくれたオーブンがあり、レシピも聞いたので落ち着いたらキャロットケーキ作りに挑戦しよう。
      追い風セーリングで5ノット程でていたが昼2時ごろから風が止まる。
      ピーターの苦労を味わおうと我慢するが暑くてやってられん。
      機帆走にあっさりとチェンジしてしまった。
      一度5ノット程で走り出すともうスピードダウンできない。
      もともと、怠け者クルージングが私の主義だから、雨ざらし日ざらしでラダーを握ってセールを微妙に調節しながら
      セーリングは出来ない。
      ラダーはオートパイ子チャン任せ、セールはたまにしか見ないで日除けネットはしょっちゅう貼りかえ、
      殆ど音楽聞きながらうつらうつらするか食べている。
      ピーターあんたはやっぱりえらい。どこかでビールを冷して待ってるからゆっくり来なさい。

 13日 朝飯は、急にソバが食べたくなったので、海苔入り卵かけソバ ウ〜ン やっぱり旨い。
      夕日が沈むと金星が輝きを増し、そちらに向かって船は走る。
      夜になって 風が少しでてきたので帆走する。
      相変わらず他の船は、会わない。15マイル位離れた所で2隻程見ただけだ。
      360度見渡す限りには、今 私しかいない。
      空は 新月の為月は無く無数の星が輝いている。
      北斗七星と南十字星の両方が見えるが、生憎その他の星は分からない。
      ゴルゴンゾーラを舐めながら赤ワイン、音楽はセリーヌの透き通るような声がピッタリだ。
      これは、やっぱり やめられまへんな。

 14日 だんだんと体も神経も海様になってきて、昨日はワッチは夜に4回起きて見ただけで寝てしまった。
      しかし 今晩は夜中にBalatic海峡を通過する予定だ。
      ここは、海図で見るとリーフが多く コースを決めてGPSできっちりと航行しなければ乗り上げそうだ。
      しかし ワッチはもう頭の中に全然なくなってしまって、遊帆 UFO が動いているのさえ忘れている有様だ。
      午前10時半鵜のような海鳥がただ乗りしにきて、半時間程 周りを気にしながら気持ち良さそうに
      風に吹かれて飛び去った。
      
      夜 又満天の星が私の為にだけ輝いている。
      赤ワインに ピアノジャズ 羊の乳のチーズ イタリアンサラミ ウ〜ン 最高&幸せ。
      アイリーンのビジター記録ノートに、Koo Koo’s NestのSunset風景の絵と次ぎのような文章を書き残した。
      ”I meet you now only one chance crossing time and space.
       Someday I must say "See you again" but I don't know for certain.
       So, I do my best for you to not regrets."
      ”一期一会” を 英語で書いたつもりだが、こんなにながくなってしまった。

 15日  午前4時 Balbac島東 後はマレーシア コタキナバルまで130マイル程だ。
       もう マレーシアの海域に入っているが、海に線を引いてあるわけでない。
       人間は、財産と家族を持ちだした時から、国家と民族の問題を抱えて生きてきた。
       国家と民族を超える大きな概念を持てる日がいつか来て世界が平和共存できる時が来るのだろうか?
       屁のようなプータローの私が国家を論ずるのは面映いが、私にとって国家と国境は邪魔なだけだ。
       マレーシアの夜空もフィリッピンと変らず、満天の星空だ
       海の水は、青みがかっている。味はマイルドな辛さだ。
       海が世界中に広がりつながっている事に感謝。
       
        Bonbonon―――Balatic海峡-----Kotakinabalu 約480マイル

 16日  朝6時夜明けとともにコタキナバルの町が見えてくる。
       町の前にあるGaya島の東側へ近づく。
       湾の奥にリゾートらしき建物が見え、ヨットも1隻アンカーを降ろしている。
       とりあえず 近づくとアンカーブイがあるのでそれを取って 船を止める。
       
       ここは Gaya Ecology Resort というところだ。係留費15RM(約450円 水道設備使用代込み、
       &市内送迎Ferry無料サービス)/日
       Ferryで町へ行こうと乗り、桟橋から船が50m位はなれた所で、一人戻って来る様に手を振っている。
       Ferryは、もう一度桟橋に着く。
       乗りこんできたドンクサイ奴は、ヨッテイーのDavid(Sea Feather)だった。
       乗客は先ほどまではブーイングだったのが、乗ってくると態度をコロッとかえて拍手をしている。
       Davidは手を振り頭を下げている。
       ”David 久しぶりやね。どうしてたん”
       ”プエルトガレラからパラワンを南下して1ヶ月掛かって来た。夜はアンカー降ろして”
       ”そうか、長かったな。私はBonbononwo12日にでてNonstopで16日朝到着したんや。”
       ”町へ何しに行く?”
       ”Immigration と Custom やけど今日は土曜日やから月曜日に行く事にして 換金とインターネットカフェへ
        行きたいけど。”
       ”分かった。一緒に行こう”
       と、思わぬ所で案内人ができて便利になった。
       
 17日  私がシャワーを使いに行くと、今日到着したヨットの奥さんが声をかけてきた。
       ”あなた 日本から来たんですか?私は南アフリカから来た、クラウデイアでこちら夫のフィリップです。
       この後、日本へ行きたいのですが、情報が欲しいんです。”
      ”お安い御用だ。任しとき。”
      私は、簡単に言うが、大抵最初の寄港地は石垣島で、これまた私同様親切で仙人みたいな人(辻さん)を紹介するだけだ。
      辻さんにしてみれば、
      ”なんでこんなに外国のヨッテイーが私のとこへ尋ねてくるねん?”
      と、不思議に思うだろうが、そこは 人のいい辻さんの事、うまく世話をしてくれるだろう。
      夜は、Davidのおごりでビールを飲むが、マレーシアは回教徒の国だから、アルコールはメッチャ高い。
      小ビン10Rm(300円)も、するからしばらくは禁酒しよう。

  18日 今日は月曜日なので、真面目に税関申告と入国管理に行く。
       何と先に到着してるはずのCosmos フィルも同じ様に申告に来ていた。
       私は3日間サバよんだだけなのに、彼は5日間はサバよんでいるが、お互いそんなことはおくびにも出さず、
       ”今 何処に船止めてる?”
       ”私は Gaya Ecology Resrortや”
       とだけ 言う。
       税関申告も フィリッピンのポートクリアランスはあるかと聞かれたが
       "そんなもんは 無い”で通ってしまった。
       入国管理は、間違って市内の方へ行ったら、そこの役人が親切に自分の車で事務所まで連れってくれて自分で
       判子を押して、
       ”3ヶ月間ビザOKやからマレーシアを楽しんで行って。”
       と、これまた考えられん位親切だった。
       コタキナバルの町の繁華街は大きくなく、歩いて30分もあれば、端から端まで行ける。
       町は、勿論モスリム信者の為、女性はスカーフみたいなものを頭に被っている。
       この点では、私も赤のバンダナを常にしているので似たようなものだが、宗教心が全く無い。
       男は小さい帽子を頭に載せ、首だけ出したしまりの無い楽そうな服を着ている。
       このファッションは私は気にいっているのでどこかで買って着ようと思っている。
       と言う感じで、昼はイスラムレストランへ入った。
       トルテイというメリケン粉を広げて中に卵を包んで焼いたインド料理のナンによくにた餅とエビ 野菜を注文する。
       ナカナカ いける味だ。特に トルテイは気に入った。
       デザートはテプンゴンバックという大福餅(中はピーナツ ゴマ 砂糖) 餅大好きな私はウレシイ。
       Gayaへ戻ると フィルのCosmosも私の横にアンカーリングしているが、風が強くなったので、湾の奥へ移動する。
       夜は Davidが寂しそうに桟橋にいたので、
       ”お互いシングル同士や。ビールと飯食べよう。”
       という事で、雰囲気抜群の海の上のレストランで、むさくるしい男二人で、片方はネーテヴな英語
       片方は、文法も発音もメチャクチャの日本語訛りの英語で、分けの分からん事を言いながら飯を食うと夜は更けて行った。

  19日 Cosmosのフィルが燃料入れるのに行くのだったら、下見に一緒に乗せて行ってくれという。
       Gaya島とコタキナバルの中間位にガソリンスタンド船は浮いていた。
       ここへ行くのに北からのコースは浮標に沿って行く方が安全だろう。勿論 遊帆 UFO は大抵の所はダイジョウブだが。
       横付けしてデイーゼルを200リッター 140RM で 洗い水はタダでタンクに入れてOKだ。
       フィルを向かいの魚市場の岸壁に鼻付けして降ろし、次ぎはTanjung Aruを目指して、入った所は
       間違ってSutera Harbourだった。
       
       ここは高級ホテルとヨットハーバーで プータロウの私には敷居が高い。
       昼を食べに行くと、バイキングスタイルで、料理は洗練された飾り付けと味で満足できるが 未だ値段が
       フィリッピンモードなので、これやったら2日分位やのに。。。と、物価の高いのに溜息が出る。
       とりあえず、風呂替わりにプールにつかると水風呂でもなかなか気分が良く、周りの雰囲気も高級感があり
       久しぶりに贅沢気分を味わう。
       これが良ければあれが悪いと、世の中 中々上手いこといかんもんや。
              
  20日  タンジョンアルーも一度見ておこうとアンカリングスポットへ行く。
       4隻ほどの船がブイを取っているがここはこの季節は、波が入ってきてあまり良くないだろう。
       とりあえず、風向きもいいし南西に向かう。
       今日は Tiga島の南西側が湾になっているので、入っていき、岸から200m位の所でアンカーを降ろす。
       海底は砂のようだ。波 風とも防いでくれる。
       上陸すると砂浜はキメノ細かい白砂で水のきれいな事、鳥の鳴き声はあちこちから聞こえと木には猿がいる。
       Tiga Survival Resort と Tiga Parkという2箇所しかなく、その為だけに人が住んでいる。
       とりあえずリゾートへ行き、ビールでも飲むか。
       従業員らしいオバチャン2人オネエチャン2人が出てきて相手をしてくれる。
       ”あんたら 名前は何や?”
       一番年を食ったオバチャンが少し日本語ができるようだ。
       ”自分はヒロコ あれはイクコ あれがアジノモト あっちがトヨタや”
       ようするに、知っている日本語を全部並べたらしい。
       ”あんた、名前は何や。アブサヤフとチャウカ?
       私の赤のバンダナと一見怖そうな顔の為にそういっているらしいのでバンダナを取って毛の無いのを見せてやる。
       夕飯は、オニオンスープ 青野菜のオイスターソース炒め 牛肉の黒胡椒炒めを注文し、ビールを飲む。
       1本目はTigerビール。2本目はカルスバーグ。3本目はGuiness。
       勘定は、ビールが45RM 夕食が15RM。
       そうや、ここマレーシアは酒類が高いのを忘れてた。
       明日は Lubuan島(DutyFree)で 酒を買いこもう。
       これからは ビールをやめてマルガリータにしよう。
       これなら ポケットにテキーラを少し持って、オレンジジュースに入れて飲んだら美味いし安いもんね。
       ウ〜ン。グッドアイデア。
       
       左からヒロコ、トヨタ、イクコ、アジノモトだそうだ。

 21日   テキーラを買いに、Lubuan島のビクトリアハーバーへ入る。
       北西の風を遮るものも無く、ボートや漁船が引き波を立ててとおるし、ガソリンの臭いもするし、係留するのは良くない。
       買い物をして用事が終われば早く去る方が良い
       DutyFreeの島の為沢山の買い物客がフェリーで到着している。
       空港もあり頻繁に離発着している所を見ると観光客が多いのだろう。
       町並は整然としていて、綺麗だ。
       夕方になると、遠くからコーランの祈りが聞こえてくると、ここはモスリム世界だと改めて感じさせられる。
       
       突然ながら、今からは遊帆 UFO と私との夜話である。

       ”おい、遊帆 UFO よ。日本の家から電話があって お前はもう日本の子供ではなくなったらしいで。”
       ”なんで?何も悪い事もして無いのに。”
       ”日本という親に、お金出して子供にしてもろたけど、この親のいうのには お前は子供になって以後1回も
       盆、正月に検査料というもんも持ってこんし、挨拶にもこんかったから、お前はもう日本の子供と違うということや”
       ”そんな事いうたかて、ずーっと家を出て旅してるから 行けるわけ無いやん。もし家へ帰ったらどうなるんや?”
       ”多分 親の手先が見張ってて、お前が玄関に入った途端、どこにも動けんようにするやろな。
        詫びを入れてもう一回、金ださんと許してくれんやろ。”
       ”ほんなら 私は日本には帰れんな。よその家の子になったらどうやろな?”
       ”その時は 日本親は、よその子まで足止めするわけにはいかんから、監視をするだけやろな。”
       ”ほんなら、すねてよその子になったろか。”
       ”馬鹿で薄情な親を選んだのが、お前の不運と思わなしゃ〜ないな。”
       
       上段は下段の内容について遊帆 UFO との会話だった。
       夜に日本の家へ電話をすると、遊帆 UFO の船籍取り消しの通知がきているとの事。
       役所には半年ごとに何度も理由書(長期海外運行の為検認延期依頼)なるものを出しているし電話で何度も事情を
       説明しているのだが、 このように長く海外にいるとそれも出来なくなる。
       その為、今回の船籍取り消し通知と言う次第だ。
       私は、出港時英文で船籍表を書いてくれと依頼したらそんな例はありません。
       ということで日本語ばかりの船籍表を持っている。
       海外で提示すると日本語分かりませんと首を傾げ苦笑するだけでなので、私が下段に英語で翻訳して出す有様である。
       要するに 日本の船籍表等意味不明の為海外では通用しないどうしようもないのである。
       今回 かってに船籍取り消しで私は不都合は一切無いけれど、厳密には遊帆 UFO は船籍無し無国籍船になるのか?
       或いは、これからも日本語の船籍表を必要とあらばだすが、その場合私は公文書偽造ではなく公文書かってに
       使用罪と言う事にでもなるのか?
       船尾に日の丸の旗を揚げたら、無許可日本国旗使用罪になるのか。
       何も、悪い事はしていないのに勝手な法律を適用され罪人にされてはたまらない。
       日本国内では、効き目のある船籍表かしらないけれど、海外では珍しそうに見て苦笑の対象になるだけの書類だ。
       相変わらず杓子定規なお役所仕事本当にご苦労さんな事です。
       何の為、誰の為の船籍表なのか(役所の管理し易い為だけじゃ無い)意味を良く考えて、もうチョットスマートに
       出きんもんかね。
       ま〜いいか。どうせ 日本国旗はニッキーの家に記念に置いてきたし、それほど愛着も無い事だし。
       この海域では日本の国旗を揚げていると、逆に海賊に狙われやすいらしいから、
       その時々アニメの旗又は鯉のぼり位を揚げとくか。
       日本の国旗がアニメか鯉のぼり程度であり、権威ある県知事の判子を押した船籍表が外国では通用しないのであれば、
       日本の国もしかり、お役人さんしっかり頼んまっせ。
       
  22日  Bruneiは寄らずに通過しようと思っていたら、珍しく風向きが南西で行き先変更だ。
       距離はわずか30マイル足らずだ。
       Brunei Muaraの港の奥にヨットが止めてあるのでそこでアンカーを降ろす。
       地元ヨットが6隻程係留されていて、北側の建物がレストランだ。
       波も静か、地元のスピードボートもそんなに行き来しないから、昨日に較べると天国と地獄の差だ。
       ここはRoyal Burunei Yacht Clubという所で、 HarbourMasterの Empiにお金無いけど何か飲ましてくれと頼む。
       20ブルネイドルのチケットを2束くれて、後で換金したら返してくれたらいいとの事だ。
       早速ビールとステーキを注文したらビールは無いとの事。
       そやった。ここはマレーシアよりもっと厳しいモスリムの国なのだ。
       とりあえず、クラブのレストランは味はGoodの感じだ。
       クラブにビジター登録をするとすぐ上の段に CompasRoseのWayneの署名がある。日付は2月4日となっている。
       今、シンガポールにいるだろうが、彼もここを訪れたのか。
       Immigreation Customは勿論関係無しだ。
       換金は、Muaraの町のフェリー乗り場でしたがこれが失敗だった。
       新聞では 1ブルネイドル=70円 が90円も取られてしまったが、他に選択肢が無いのでしょうがないか。
       このクラブは地元ヨットクラブのメンバーが主にに利用しているようで、大体歓迎ムードでフレンドリーだ。
       レストランで会った地元のヨッテイー、ジョンは デインギーレースで江ノ島へ2周間行った事があるが、日本の物価の高さに
       驚いたそうだ。 ここBruneiはマレーシア、フィリッピンに比べて高いけど、日本には負けると言う事だ。
       明日 彼はジーゼル60L買ってきてやるとの親切なお言葉 有難う。
       レストランの下はシャワー室で、暖かいお湯が勢い良くでるがな。
       この勢い良くが、フィリッピンではナカナカお目に掛かれなかった。
       頭からお湯を浴びながら、お洗濯とヘッド&ボデー洗いだ。
       最近はお洗濯が好きになって、一番楽しい時間だ。
       夕食は、タイ料理を注文して見る。鶏のフライとキャベツ炒めタイ米付きと、トムヤンクンをオーダーする。
       やっぱり う〜ん旨い!
       しまった。昨日買ったテキーラを、持ってくるのを忘れた。
       周りの客を見ると、各自自分でワインやらビールやら出して飲んでいる。
       やっぱりな。みんな何処の国の人も考える事は大体似てるな。
       ここBruneiでは 鍵さんは絶対いきていけんな。酒は勿論。、タバコも禁煙と違うかな?
       プータローの私も、どこかの国に似て何でも政府の管理下にあるブルネイでは生きていけないな。
       
       tigi島---lubuan島---Brunei
                

 23日  イギリス人のジョンが約束通り9時にヨットハーバーで待っていてくれた。
      スペイン人のエンリケと大違いだ。彼の場合30分の誤差はふつうで、待ち合わせをしてもスッポカス事もあるくらいだ。
      車でガソリンスタンドまで燃料を買いに行く。
      ”僕はイギリスからブルネイにきたのは1987年で、その時は、住民の家は殆ど木造だった。
       今はこんなに立派な大きな家がならんでるけど。
       ここは、全てが政府の管理下で、国民も殆ど国家から仕事を貰っている。
       その為、若い人達は、働く意欲を無くし、社会は硬直化している。”
      ”日本でも今の若者は、定職につきたがらず、アルバイトしてお金が溜まったら遊びに行くフリーターというのが多いんや。
      ブルネイの物価も高いし、国家公務員が多いとは日本と良く似た所があるな。”
      ”ここ数年前までは、観光客も規制していたんです。政府は豊富な油田の為 別に観光客が来てお金おとして貰わなくても
      良いとの事でした。
      けれどいつかは枯渇する油田の将来に気がついて、産業を興そうとしたけど、若いブルネイ人は政府の役人に
      なりたがって、新しいビジネスが生まれてこない現状です。”
      ガソリンとデイーゼルは日本の価格の四分の一だった。
      イスラム教では、豚と犬は嫌われ者らしく、フィリッピンの様にどこでも犬に遭うことは無い。
      政府で定期的に毒入り餌をまいて、処分しているとの事。
      そう言えば、ペルシャ猫というのはいるけど、ペルシャ犬というのはおらんな。
      ペルシャとイスラムは関係無いか?
      ブルネイとマレーシアの陸側の国境付近にもLubuan島の様に、Duty Freeの所があって、一人タバコ1カートンと
      ビール12本位は 認められているので、バスで行ったり来たりして買いに行くのだそうだ。
      幾ら宗教で禁じられていても、人々の嗜好品まで規制すると、不満が爆発するから、空気穴を開けているのだろう。
      昼は、ヨットハーバーのレストランでサンドウイッチを食べ、皆さんに挨拶して出港する。
      次ぎは、クチン 350マイル位。3日間 ノンストップだ。

 24日  今夜は下弦の半月だからこれから満月になっていく。
       海上は油汲み上げの井戸施設があちらこちらに建っている。
       電気が明るくついて24時間仕事をしている。
       明け方少し前、船底でドンと音がしたので慌ててエンジン回転数を落としドライブををニュートラルにして
       ドライブとスクリューを点検する。
       何か、流木を跨いだようだ。
       そう言えば、Maybeのエンリケがこの海域は流木が多いから注意せよとのアドバイスだった。
       悪い事に限って、Maybeでなくなるのには不思議だ。
       またまた遊帆 UFO との夜話
       ”遊帆 UFO よ。エンリケもたまには確かな事言うな。けど、真っ暗な海で流木ワッチするのは難しいで。”
       ”明かるなってきたから、周りを見てみ。流木だらけやがな。”
       ”あれ、あそこにある3m位の奴、あれがお前のマタグラ入ったらただではすまんで。”
       ”どないしよう? もう少し沖だしするか、夜はエンジン止めるのはどうや。”
       ”エンジン止めたら バッテリーが心配やしな。得意手の運を天に任すというのでどうや?”
       ”ほんまに、ええかげんな プータローやな。この所 船籍表以来、どうもついとらんな。。。”

       18:40 sunsetこの時間帯が大好きだ。
       今夜も月は少し膨らんで明るく輝いている。
       禁酒を1日間で破って赤ワインとアンチョビ、豚の肝臓のパテでチビチビと最高の幸せの時間だ。
       音楽のメニューは、最初RayCharls、Oscar Peterson、Julio Igrlesias、 Celine。
        またまた遊帆 UFO との夜話。
        ”遊帆 UFO よ。今日は大分沖だしてるし、風もアビームで10〜12ノット、少し出てきたからドライブ揚げて帆走しよう。”
        ”約 5ノット位で、走れるで。夜はこれで行こう。もし、流木マタグラに入っても急所を引き上げてるからダイジョウブ”
        ”やっぱり、南の海でロングクルージングは、やっぱり遊帆 UFO が1番や。ワインのビン立てたまま、走れるやろ。
         Nomi3は、この状態やったらビンを持ってな、たおれるもんな。
         それに、船底掃除と塗装は何処か揚げんとできんけど、遊帆 UFO は遠浅があったらOKやもんな。
         何、言うてもキールの80cmこれには、ほんまに有り難いと感謝してるで。”
        ”それやったら、いつもゴロゴロ ダラダラしとらんと、もうチョット、掃除や手入れしたらどうやな。”

  25日  01:00 うつらうつらと寝ていて、何か海に異変があるのを、感じた。
       前方を見るが500m位はなれた所に1m位の発砲スチロールが浮いている。
       張ってあるワイヤーのような、感じのものを跨ぐというか少しショックがあって乗り上げる。
       続いて ラダーのスケグを乗り越えるショックを感じる。
       こんな海のど真ん中に魚網のワイヤー等ないやろ。ライトも何もついていない。
       遊帆 UFO は80cmのキールでラダースケグは60cm位だから今のは乗り越えたけれど、モノハルヨットなら
       キールとラダーの間に入って抜けられなくなるだろう。
       しかし、不思議だ。寝ていて急に危険の予感がするなんて、私は予知超能力があるのかな?
       夜が明けると船の周りに、イルカが寄ってくる。
       バウで手を叩くと、目をこちらに向けて見ている。
       ここのイルカは少し小型で お腹のあたりは白くなって模様がある。引き締まったスマートな形だ。
       10分位、イルカと遊んで、手を振ってバイバイというと何処か去って行った。
       07:00 あと 160マイル位で クチンの町の湾の入り口に到着だ。
       クチン(Kuching)の町は、そこから川を15マイル溯った所にある。
       時間的に、夜になりそうだし、潮汐が逆になりそうだ。
       エンジンを1800回転に上げて、走ってみてそれでもダメなら何処かでアンカーを降ろして、次ぎの日に入るか?
       ボンボノン出るとき、ピーターがトローリングの仕掛を直してくれた。
       ”オバタ。これで魚取れたらシェア〜な。”
       ”OK。けど 遊帆 UFO では魚はとれんというジンクスがあるんやけどな。”
       と言う事で、船尾から2本仕掛を流しているが、一向に掛かる気配無しだ。
       ジンクスはまだ生きている。
       18:45 一番好きなSunset。今日は昨日の残りの赤ワイン最後のコップ1杯とサーデインで乾杯。
       飲み足らんから、Isaacが餞別にくれた韓国焼酎真露と岩海苔で再度乾杯。
       20:30 7ノットでて 快調に走っていると思ったら、直径1m長さ5m位の流木が左舷に当たった。
       1m違っていれば遊帆 UFO のマタグラに挟まってドライブ破損しただろう。
       ”こりゃ まだツキがあるでな。遊帆 UFO や”
       ”何言ううてんねん。呑気な事言うて。はよ ニュートラルにしてドライブ引き揚げて帆走にせんか。”
       ”ハイ。分かりました。帆走しても5ノット越えてるで。”
       ”ほんまに、酒飲むか。寝てるか。どうしようもないプータローオヤジやな。”
       ”腕のないぶん、運でカバーしてるやろ。”

  26日  夜明けとともに、クチンの町へ行くのに溯るSarawak川(Sungai Sarawak)の河口が見えてきた。
        Maybeのエンリケのもう一つのアドバイス、
        ”黒い雲が見えたらセールダウン。急に嵐になるから。”
        その黒雲が見えてきたのでセールを全部降ろす。
        風速20ノット位、雨は叩きつけるような降り方が15分位続いて 又からりと晴れてくる。
        久しぶりのシャワーだが、気温も下がるので寒い。
        川は約18マイル位は溯らなくてはならない。
        潮は午前10時頃転流でそれからは増えて行く方だからピッタリだ。
        
        クチン市内に入る所で橋が出来水門があり高さ12m制限になっている。
        とりあえず 遊帆 UFO を止めてテンダーで上陸して事務所へいく。
        ”君の船は高さは何mか?”
        ”水線から13mです。”
        ”明日、9時〜10時の間に VHF68で連絡しなさい。 許可しよう。”
        干潮時に通してくれるらしい。
        タクシーを呼んでもらって、市内へ行く。
        町は、古い建物が多く、落ち着いた感じの町だ。
        映画で見る、18世紀位の東南アジアの港町の風景が残っている。
        昔は、この町は港町として栄えていたのだろう。
        あちら こちらに猫のモニュメントが建っている。
        犬は1匹も、見ない。
        ここも中国人(客家)が多い。
        Internet接続はHoliday Inn Kuchingのビジネスセンターでできる。
        今日の夕食は 台湾家庭料理の店を選ぶ。安くて旨いのがいい。
        明日、入ってきて遊帆 UFO を止める所を探しにSarawak川 WaterFront メインバザールへ行く。
        川に沿ってライトアップされていて、レストランやら飲料水やら デザートやらの屋台が並んでいる。
        フレッシュジュースを売っている屋台に、オレンジジュースを注文して、持参したテキーラをいれて
        マルガリータにして飲む。
        川は、水が汚く 色んなものが浮かんでいるのは残念だ。
        市内の為便利は良いが、係留するにはよくなさそうだ。
        
        猫のモニュメントが市内に沢山ある

  27日  水門を越えようとエンジンスイッチを入れるがウンともスンとも言わない。
        バッテリーが充電されていない。
        原因はベルトの緩みの様だ。
        ここクチンで、部品はありそうだから一度整備するか。
        VHFで水門監視事務所に連絡し、入港を諦める。
        この水門を越えてもチョット先に又橋ができておりこちらは6mの高さしかないから越えるのは無理だ。
        事務所の役人が市内まで自分の車で送って行ってやるとの事、ラッキー!
        待っている間、ここで働いているオニイチャンが3人私の所へ来て色々としゃべる。
        ”僕は 日本のアニメ ドラエモンとアウトメンが好きだ”
        ”ドラエモンは分かるけど アウトメンて何や?”
        彼は、頭の上で十字に手を交差して説明するが良くわからない。
        どうも、ウルトラマンの感じだ。
        日本のアニメはフィリッピンでもTVで良く見た。
        なかなか人気があり、貿易摩擦も無いのでドンドン輸出するのが良い。
        チャイナタウンで ベルトとオイルフィルターを買い今日はHotelに泊る事にする。
        華麗飯店1泊70RM 部屋はTV エアコン 浴槽 電話がありインターネット接続可能でHP更新ができる。
        久しぶりの熱いユブネに浸かって頭を剃り、体を洗うと手ぬぐいが黒くなる。
        さっぱりして睡眠不足解消の為昼寝をする。
        夜になってブラブラしていると、珍しく日本料理の店があったので入ってみる。
        メニューを見ると親子丼 牛丼 肉じゃが コンニャクの田楽等がある。
        オーナーは日本(東京)の人で日本とクチンを行ったり来たりしながら商売をしているそうだ。
        私の偏見と独断では、中国人とスイス人は海外でどこでも根を降ろしその国に溶け込んで、それなりに
        商売しているが、日本人は片足が日本に残っていて、日本式を強調しすぎて上手くいっていないようだ。
        ここクチンも船をとめるには、良くないので、食料を買いこみ次ぎに動く事にする。
        この先、パラダイスは有るのだろうか?
        この先シンガポールを目指す。

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