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            久しぶりの日本滞在記                    2001年

1月30日 鍵さんに、リストラのお祝いのメールを出す。
      ”ウェルカムプータロー2号
      鍵さん 長い間 お仕事ご苦労さんでした。これから死ぬまでは鍵さんの時代です。
       私などは、思い通り、だんだんと家での地位を失い、おってもおらんでもええような状態になりつつあり、
       喜ばしい限りであります。プータロー1号より”
      という、内容である。
      当たり前の事ながら、これからは 鍵さんや私の様にプータローがどんどん増えてくるなと気がついた。
      ”う〜ん これはこのままほっとけん、彼等に安住の国がいるんとちゃうか?”
      というような 壮大、崇高、お節介な考えにより、プータロー国をつくろうと思いはじめた。
      まずは、プータロー国民資格は、なりたい人は国を問わず全てOKでいいだろう。
      従って国境はなく人種という言葉すらなしでいいだろう。
      国民として権利義務は無しでいいだろう。国民の自己責任においてかってに行動する事とする。
      税金は無い代わりに福祉も保証も無しでいいだろう。
      お話ししたければ、基本的にメールで、連絡すればいいだろう。
      これくらい考えておけば、暇なプータローがお互い知恵を絞れば国の繁栄発展は間違い無しだ。
      人間は弱いもので、何かに属していれば安心感が得られるのではないだろうか?
      社会的責任(いまの場合は仕事)を終わった人にとって、今までの交際関係が変わってしまって、
      一人取り残されたような孤独感を味わってすねて老け込んだりしているのではないか?
      プータロー国民は 肩書きも必要無いし 名前も必要無いし 一般社会から相手にされなくても、個人で勝負し、
      何処でも生きていくし、何を食っても生きていく、ゴキブリの如く、しぶとく自分のペースで生きていく国民なのである。
      このように深い考えを含んだメールの鍵さんからの返事は、
      ”私はプータロウ2号になりましたか? 勤務地が大阪になりました。 2月いっぱいは最後の仕事です。
      3月いっぱいは 休暇の消化でサンデ-毎日です。4月から天下晴れての 素浪人です。”
      という、あまりお祝いして欲しくないという感じで、うれしくなさそうな返事だった。
      ”プータローという言葉がいやなんかな? 2号さんが嫌なんかな?別に 28号でもええし、
      天下の素浪人となのってもええのんやけどな”
      日本人は欧米人と較べると、仕事をし過ぎだ。何故だろう? 
      欧米人は一般的にあなた何の為に働いてるの?と聞いたら 勿論人生を楽しむ為さと答える。
      仕事は人生を楽しむ為に金儲けをする手段であるとはっきりいう人が多い。
      日本人は口では金の為に働いているとか、仕事いややとかいっても本当は好きで仕事の中に生甲斐を求めているかもしれない。
      お金だけ貰えて仕事しなくてもよければバンザイなのに、窓際族になると針の筵に坐らされた心境という。
      日本人は根が農耕民族である為仕事は村挙げての共同行事であり又社会の全てがそこにあり、仕事がなくなるという事は
      その社会から全く必要無い人間と扱われ村八分にされて不安が募るという先祖伝来の生活習慣があるためじゃないか?
      決してお金だけの問題ではない。心のよりどころがそこにある為だろう。
      それなら、今までの社会がなくなったから代わりに新しい社会に入ればいいのだ。
      こりゃ やっぱり プータロー国を建設せなあかん。
      と、また 考えさせられる今日でした。

2月1日 日本に帰って又風邪を引いてしまった。
      夜中中咳込むため、離れて寝ているカミ様が
      ”お父さん うるそうて寝られへん” と、クレームをおっしゃる。
      原始生活に近いリズムになっている私の体は日本に帰っても夜8時になると布団へ潜りこむのだが、
      カミ様には毎日 夜遅くまでテレビを見たり電話されたりしている為に私の方こそ普段睡眠の邪魔をされている。
      ”よっぽど こっちのほうが寝てられんわ。ナア〜 ジャック”
      と13年目のトイプードル ジャックに同情を求めるが、ジャックも留守ばっかりの御主人様には冷たく反応無しだ。
      いまや家庭での地位を着実に失いつつあるプータローオヤジは
      ”咳、でるもんしょうないやろ”
      と、ふてくされて 風邪薬をこれみよがしに飲むのがかってのオヤジの権威を示す精一杯のしぐさだ。
      気を取りなおし、久しぶりに熱いサウナ温泉でさっぱりしようと、今 流行りの近くの健康サウナランド××湯 550円へ行った。
      オープン当初は、ごった返して、子供も大人も大衆浴場の入り方も知らず、子供は走りまわり、
      親もプールと間違っているのか子供を泳がせたりしてプレイランド状態だった。
      ある時等、信じられないが うんこが転々と5M程転がっていて、あまり驚かない私もゲエー&ギョとしたものだ。
      一体 どんな奴が どんな格好で うんこを撒きながら皆裸で注目の中を通って行ったのか?
      ガニマタで歩きながらうんこをだしていったのか?一旦しゃがんでうんこをして又、場所を変えてしていったのか?
      それほど切羽詰まった状況までどうして我慢していたのか?又 出掛かったうんこを今更もう一度腹の中に
      納める事もできないあきらめと恥ずかしさと開き直りの気持ちの心の分岐点はどうだったのだろうかと本人の気持ちになって
      考えたりしても未だに分からない。
      入浴者の中には、腕に時計をし、首に金のチェーンを巻いた、ええ年こいたオッサンが入っている。
      素っ裸の人々の中で、時計と金チェーンをした人間は、裸が常識のゴリラの群れの中で、時計と金チェーンを
      したゴリラがいる錯覚を起こし思わず笑ってしまう。      
      ”オマエ、金持ってるのは分かるけど、風呂の中までしてくる事はないやろ。盗られるのんが心配やったらしてくんな”
      と、思わず言いたくなる。
      私の子供の頃は 家に風呂は無く洗面器に石鹸と手ぬぐいを入れ 神田川の歌誌の如く近所の風呂屋に行ったものだ。
      その為、年季の入った私など 風呂のプロと自称している。
      ところが 今流行りの健康サウナランドXX湯にくる連中は、アマチュアのため自分の事だけ考えて、人の事を
      全く気にせず、金を払ってるからそれだけの事せな損やという根性丸だしで、事を済ましてさっさと帰ってしまう。
      柳ヶ崎ヨットハーバーの近くの近江湯は昔ながらのオバチャンが年取った犬とすわっている番台がある伝統的小さい風呂屋であるが
       来る客は、殆ど顔馴染だ。
      別に自己紹介しあったわけでもないのでよく分からないが、話している感じから、タクシーの運チャン、テキヤ、その他自由業らしいが、
      風呂の中で目をあわすとそれなりに挨拶してくれる。
      相手も たまに来る丸坊主で人相が悪い私を
      ”時たまベッソウに出たり入ったりしてはるんやな” 位に思っているかもしれない。
      上記 健康サウナXX湯などは体中刺青を入れたオッサンやらは出入り禁止扱いになっているので、お目こぼししてもらえて、
      気軽に来れるこういう昔からの風呂屋に足を運ぶらしい。
      刺青で思い出したが、韓国のサウナに行った時、子分を2人引き連れた若い韓国人ヤクザが入ってきた。
      兄貴分らしいヤクザは子分2人にエラソウに色々と命令し 子分はぺこぺこしながら周りをうろうろして世話を焼いている。
      そのうちにエラソウナ奴が服を脱いだら背中に刺青をしていたのだが、その刺青が88年ソウルオリンピックの時の
      子虎マスコットアニメで民族衣裳に身を包んで棒を振って笑って歩いている、かわいいホドリだったのである。
      日本ならドラエモンの刺青を背中にしていたようなもんである。
      これを見た私はオマエはエライと思い、何故か嬉しくなってニタニタして、このかわいいヤクザもんを抱きしめてやりたくなったほどだ。
      私も、琵琶湖の船にいる時は近江湯を利用するのだが、4人入るといっぱいになる小さいサウナ室でも、入っていくと誰か必ず席を空けて
      ”ヘイ ここへどうぞ”と言って代わってくれる。
      また みんな 自分のは勿論他人の使った桶と椅子をキチンと元通りにして 湯を撒いてきれいにして出て行くので、
      ”ここの客は誰も言わへんのに、チャンとしていく。みんな風呂のプロばっかりやで”と、大塚先生といつも感心している。
      どんな事にもプロが少なくなりアマチュアばかりになった事を嘆く今日でした。      

  3日 日本に帰って来て会う人に
      ”あんたは 好きな事できてよろしいな。私もしたいけどでけまへんわ”
      というお言葉を戴くので、”私もしたい”のやったら出きるはずやのに何故"でけまへん”なのか、
      今日 ここで この言葉の意味を考えてみようと思った。
      この言葉に含まれている意味
      1.あなたは好きな事を持っていた。
      2.あなたは経済的に恵まれているからできる。
      3.あなたは家族をほったらかしてもできる。
      4.あなたは時間があるからできる。
      5.あなたは好きな事ができる体をもっている
      と言われているように思う。
      そこで、
     1については逆に問いたい。”私は持っていますが あなたは本当に好きな事はあるんでしょうね?”
        そして好きな事に対して一種の後ろめたさをかんじてませんか?
       私は勿論全然感じていませんが、好きな事=遊び=悪という方程式に捕まっている人が日本人には結構多い。
     2について お金は勿論準備しましたが、自分の命の長さが分からないので、数年はどうにかなるがその後は分かりません。
      もっと悪い事に、私は年をとっても国から頂けるものは何もありません。
      現在は健康保険すらない。 病院へ行けば実費支払いという有様。
     3について 幸い子供達は独立して家内だけになってしまったので、お金の問題を抜けば情の問題だけである。
     4について 仕事をやめたときから時間はいくらでもある。
     5につては 私の場合ヨットを扱うには体力と気力がいるから、あまり年を取りすぎてしまってはできなくなる。
     という事は結局、お金と体があれば出きるのですがという事か。
     それなら サラリーマンを退職する人は退職金と各種年金があり大抵食う事ぐらいは、なんとかなるとおっしゃる。
     私の如き数年先はどうなるかわらん位の蓄えは、今の日本社会では平均的財産であって、
     上記のお言葉を戴く人の中には、私よりず〜とお金持ちで別に仕事をやめても一生食うに困らん人達がいる。
     では、何故 私が出来てお言葉の人達はできないのか。
     それは、私は自分の人生の目的を最優先に考え、 それに絡む家族の情と仕事をしていた時の地位と収入も捨て
     直線的にアホかダダッコのようになって1歩を踏み出したからだと思う。
     最初の1歩踏み出せば高い所から飛び降りたみたいなもんで後戻りできませんから気楽なものです。
     という事は、今の平均的日本人なら誰でもその気になれば、いつでも好きな事が出きるという極めて普通の答えになる。
     結局は その気 本気 最初の1歩を踏み出せる勇気というか或いは冒険心といえば大袈裟かな、または思いきりかな、
     それとも ヤケクソかな、要するにその問題だけだ。
     確かに海外ヨッテイーを見ても、そんなに金持ちはいない。私よりも金を持ってない奴もたくさんいる。
     じゃ どうして欧米人の方が、人口比に対して相対的に海外クルージングをしている数が多いのか?
     私の知る限り私の様に海外クルージングしている日本人ヨッテイーは、数えるほどしかいない。
     日本国内にあるヨットの数はアメリカ ニュージーランドまではいかないとして結構沢山あると思う。
     海外クルージングしているアメリカ人 オーストラリア人 フランス人なんて、そこらじゅう、アッチコッチで出会う。
     遊び心を悪と見る日本的風土か 又、遊びはパチンコかテレビかお手軽旅行といったもので、冒険心を容認できない底の浅い
     文化しか育っていないからなのか?
     ”オハラショウスケサン ナンデ シンショウ ツブシタ アサネ アサザケ アサユガ ダイスキデ”
     そういう私も彼に較べるとスケールが小さいと感じさせられる。
     まだ まだオハラショウスケサンの足元にも及ばないなもっとガンバラなくっちゃと思う今日でした。

  4日 今日は昨日に続いて、海外クルージングではなく、日本国内でヨットで遊ぶ時の障害を考えてみる。
      まず
      1番目は、ロケーションの悪い係留地 と高い係留費だろう。それでも係留地のある人はラッキーだ。
      2番目が、遊びをエンジョイするのを白眼視する社会の目。
      3番目は、日本の法律規制だ。 小型船舶法 と 船舶職員法による操縦免許 外洋に出る船は電波法による無線免許等。 
      4番目は、船舶の価格とその大きさにより高くなっていく維持費と手間。
      5番目は、海の環境
            (海の汚さと日本近海の気象変化の激しさ)
      6番目は、危険が多い。
            (時化で魚網が見えず帰りを急ぎスクリューを引っかけ転覆して家族死亡の記事が毎年何件かある)
            (本船や漁船が多い。たまに潜水艦もうろちょろしている。)
      7番目は、ホームポート以外への寄港の難しさ
            (特に関東から以北太平洋側漁港に入る時はしょっちゅう喧嘩になる)
      8番目は 体育会系スキッパーが多く初心者を難しく厳しく指導するので修行しに来たみたいで面白くない。。
      と言う事で一挙解決方法はやはり日本脱出しホームポートを、空港からも海からも近いロケーションの良い外国にする。
      日本の高い係留費は無し、船検 免許無しの為その費用と面倒な手続き無し 海上保安庁の御指導もなし 全く自己責任で
      海を満喫して誰からも文句言われない自由で綺麗な海で遊ぶ事ができる。
      時間的にもハーバーまで3時間それから海の綺麗な所まで?時間くらいかかるとすれば、その時間で飛行機なら
      相当の範囲まで行けるだろう。
      私は現在フィリッピンに船を置いているが、朝は10時 家を出て夕方には船に乗っているし、釜山においている時でも
      3時ごろには、船に乗っていた。
      最近は海外航空運賃は世界中の航空各社競争が激しくなっているので、規制された国内航空運賃より安い。
      例えば、石垣島(往復8万円位したかな?)へ行くよりもっと遠いガム サイパン フィリッピンの方が安い。
      あるいは南太平洋の島位かニュージーランド位行けるかも。
      勿論年間何回行くかだが、そこで物価の安い国を選べば、さらに割安になり別荘気分で海外で遊べて、
      バカ高い係留費を払うよりこちらの方が安いかもしれない。
      と、おせっかいな事を考えた今日でした。

 10日  日本では賃貸公団住宅に住んでいるのだが、トイレの中は私のお気に入りな所だ。
       便器にはウオシュレットが乗っていて、これは出始めの頃に買ったものである。
       ウンコをしたあと 湯で尻の穴を洗うのは気持ちが良いと思うのだが、家族で使っているのは私だけらしい。
       便座がヒーターで暖められているのだが、坐っていて気持ちの良い温度というのがなかなか難しい。
       トイレの空間というか距離感というか、これまた広さの具合がちょうどいい。
       何よりもよいのは、正面に日本地図、右横に世界地図を貼ってある事なのだ。
       家では、おしっこの時もウンコの時もとりあえず坐って日本地図に書かれた何本もの線をたどって見る。
       そして、じっと見ていると、日本一周クルージングの当時の港の様子や海の様子が浮かんできて、ひとり ニターと笑っているのだ。
       横にある世界地図に書かれた線を見るときは まだこんだけしか進んでないのかと思いその先を考えている。
       うちのカミ様はそのうちに海に飽いてヨットをやめると思っているのだ。
       ”そうは、いきませんよ〜だ。まだまだ、この線をどんどん伸ばすもんね”
       そして、未だ見た事のない海と入港地を宇宙空間から探す様に目を大きく開いて イメージを沸かしているのだ。
       そうやって、長い間1人パラダイスに遊んでいると、たまに カミ様に
       ”もう オトウ はよ 出てんか”と、現実の世界に引き戻される。
       トイレでなく便所で思い出したが、今から15年くらい前に中国へよく仕事に行っていた。
       その頃は、未だ日中国交正常化以前で、赤い手帳を大事に持って毛沢東先生万歳といっていたような時代である。
       上海の町から少し離れた工場の便所にうんこをしに入ったのだが、ビックリしてしまった。
       広い便所は奥の壁に沿って50cm位の深さの溝になっていて、そこを全員同じ方向を向いて跨いでしゃがみこんでするのだが、
       仕切も壁もないので、当然 人民服を着た前のオッサンの体から今まさに出てくる状態をいやでも見せられるのである。
       私の後ろにも人民服オッサンがいるから、同じ状態を見られている訳である。
       オッサンは全部人民服だから、一見して区別がつかないが、私だけ違う服なので晒し者状態で、次々入ってくる
       人民服オッサンも、一瞬こちらを注目して後、悪い物でも見たように目線は宙に浮く。
       色んな国のトイレへ行って見ると、それぞれバラエテイーに富んでいて、面白いが、その中でも
       この中国直列跨り式公衆便所は、ダントツ金賞である。
       トイレというか便所というか人間が生きていく必須アイテムの事を考える今日でした。
       
      

12−21  久しぶりの韓国旅行記
       ソウルは 大雪が降った(50cmほど)ので あちらこちらで道路は大渋滞である。
       しかたが無いので地下鉄で漢南地区の貿易センターの大地下ショッピング街へ行く。
       ところが 地下鉄で切符を買おうと自動販売機へお金を入れても受け取らないで又吐き出してくる。
       これは 故障だろうと思い 横の自動販売機に行っても 同じ状態だ。
       ” なんじゃ みんな 故障か?”と今度は改札口で駅員にお金を出しても返してくる。
       ”? ? ? どうなっとんじゃ”
       駅員はそのまま行けと言っているようだ。
       なんと 大雪の為 今日はサービスで無料らしいという事が分かった。
       ソウル市民の為に今日1日は 市民の足になって 全線開放になっているのである。
       なかなか 粋なはからいをするやないか。
       ソウル地下鉄、あんたは えらい!! 
       公共 公僕の意味をよく分かってる表彰状もんや。
       どこかのエコノミック国もちょっと見習えよ。

       ソウルから セマウル号(ソウルー釜山 鉄道)に乗って テグ市まで約3時間の旅だ。
       電気ではなくジーゼルで動く電車で 昔の日本の駅の感じが残っていて好きなのである。
       食堂車も綺麗でサービスも良く、お昼にちょっとはりこんでステーキを注文する。
       車窓からは田んぼの風景が続き、日本の田舎を走っているみたいだ。
       慶尚北道に位置するテグ市は、町はこじんまり纏っていて、かっての朴大統領の出身地で男は男気が強く、
       食べ物は一般的に辛口である。
       テグ市では、28年位の付き合いの人達がいて、到着して夕飯は一緒に名物ミノ焼きを食べに行く。
       この町のミノ焼きはソウルの様に網焼きでなく、鉄板でにんにくと焼き ゴマ油と塩につけて食べるのだが
       美味しくて行くと必ず1回は食べに行くことにしている。
       その他 ポゴミヨンタン(ふぐの唐辛子ちり鍋) アグチム(アンコウと唐辛子蒸し)等 辛くて口の中は火事の様になるが、
       食べなれると、辛さのため食欲が出て、体も熱くなり、汗は噴出し、一回口にするとやみつきになってしまう。
       町のあちらこちらの店を覗くのが面白く、特に地下街とか裏通りの1坪位の小さな店は少ないスペースでお客の興味を
       引く様によく考えている。
       私が若い時に、ここで仕事をし、遊んだ第二の故郷ともいえる想い出深い町で、その当時の町並みはすっかり変って
       しまってはいるが、 友人は年はとったがそのままだ。
       何年も会わなくても、会えば又元の友人だ。
       その友人も若い時は町の名士で何処へ行っても好き放題ブイブイいわしていたが、既にジジイばかりでもう70歳に近い人達ばかりだ。
       昔は、仕事に政治 女と酒にゴルフの話しであったのが、今では、糖尿に 癌 呼吸不全に高血圧だのと病気の話しが多くなってしまった。
       その為 順番にあの世へ行き、だんだんと減ってきて寂しい限りである。
       
       セマウル号

       テグ市から釜山までは高速バスで行く事にする。
       釜山では ヨットの友人達 全さん夫婦 Isac夫婦と久しぶりで会う。
       ヨットハーバーも少しずつ船が増えている。
       釜山ヨットハーバーも数年後には 係留場所の確保が難しくなるかもしれない。
       釜山市内にある国際市場へ 光センサー付きライトを6個買いに行く。
       この市場は 韓国産から各国輸入品まで日本に無いもの等 何でもあってとにかく面白くて1日いても飽きない。
       工具 電気部品 服 カバン 登山用品 食べるもの等 とりあえずここで無ければ 韓国じゅうどこを探しても
       無いといっても良いくらいだ。
       この光センサー付きライトは マストに付けておくと夜だけ ライトが点滅してアンカーライトの代わりになる優れものだ。
       乾電池1個で1ヶ月はもつし、防水になっていて価格も600円程である。
       帰りにチャガルチ市場(魚市場)に寄って、カレイ2匹 赤なまこ4匹 イカ3匹 ホヤ5個を買うが、今日の夜は、
       全さんの船に集まりみんなで 刺身パーテイーするのだ。
       ここでも あちらこちらでエイを売っているが、この料理はゲテモノ クサイもの何でも来いの私でも白旗を揚げた
       数少ない料理のひとつだ。
       エイを瓶に入れて 発酵させるのだがその臭いがアンモニアの臭いで目が痛くなり鼻が曲がるくらい強烈である。
       子供の時にポッチャン便所で下から上がるアンモニアが目に沁みるあの臭いがダブって思い出されるのだ。
       鼻を摘んで口に入れてもアンモニアの臭い=おしっこの臭いで目から涙がボロボロ、呼吸は止まり グエーとなって吐き出してしまう。
       しかしこの料理(ホンオ)は 日本でいうと鯛と同じ扱いで 冠婚葬祭には 必ず出てきてこの数によって宴会の豪華さを競うのである。
       何度挑戦してもこれだけは食べられなかった苦い思い出が残る料理だった。
       全さんは 朝鮮通信使節団の研究をライフワークにしていて、年に1回 日本の集会(朝鮮通信使節団と雨森芳洲の
       末裔?or関係者?集会というのがあり、結構沢山の人が各地からバスで乗りこみホテルで集会をするそうである)に、 
       韓国から民間人では彼1人だけと大学教授が数人いつも参加しているらしい。
       彼の熱心な研究に拠ると、韓国内では 朝鮮通信使節団は日本へ貢物をしに行ったと国辱的に扱われているそうだが、
       実際はそうではなく、朝鮮使節団も沢山の文化人が参加していた為、日本各地で歓迎され、その地方の日本の文化人も
       沢山文化交流の為面会にやってきて、饗応接待された為、行程は少ししか進まない有様だったそうだ。
       又、琵琶湖の東に朝鮮人街道というのがあって、この街道は朝鮮通信使節団と天皇勅旨しか使わない街道だったそうであるが、
       韓国内では この朝鮮人街道という呼び名を侮蔑的に誤解して扱われているので 彼はそれも誤解を解きたいのだといっている。
       私も 彼と知り合う前に朝鮮人街道とか百済寺とか言う名前が滋賀県に残っているのは知っていたが由来までは知らなかった。
       韓国内では朝鮮使節団の件は国辱的扱いの為、研究者も少なく大学教授が時々論文を出すのだが、その論文の誤りの個所を
       彼は色んな資料をだして指摘するそうだ。
       日韓の歴史上でも 珍しく友好善隣 民間レベルまでの交流があった事は注目に値する事で彼はもっと世に知らしたいのだそうだ。
       私は 朝鮮通信使節団の正しい認識を韓国内でもっと広める為に、実際に釜山を出港して江戸までを実験航海してみては
       どうかと彼に薦めている。
       船はかって彼が中国製木造船(31m2本マスト)の中古を買ってきたのがあり 今は他人の手に渡ってしまったが、
       同じ釜山ヨットハーバーに係留されているので それを借りて動かせば昔の雰囲気がでるだろう。
       但し、帆走は難しそうだし 天候が悪ければどうなるか心配はあるがやって出来ない事はないだろう。
       対馬から福岡 下関 関門海峡を抜けて 瀬戸内海(寄港地牛窓等)を通り 大阪淀川河口まではその船で、
       後は 江戸まで歩きの行程になる。
       どちらにしても個人でできるイベントではないのでに日韓テレビ局辺りがスポンサーでやってくれると面白いと思うのだが。
       日韓友好と正確な歴史認識の為にも役に立つ企画になると思う。
       彼は 大阪からは江戸まで歩くか自転車かバイクで足跡をたどって見たいらしいが、今の中仙道は車が多く到底無理だと
       アドバイスしている。
       彼の夢が実現する事を願うのみである。
       そんな事やら フィリッピンにある遊帆 UFO の話しやら、わいわいがやがや夜が更けるまで全さんの船で
       飲み食いしゃべり状態でお口が大変疲れる夜でした。
          
       何でも売っている国際市場         魚介類の事ならチャガルチ市場


  28日  もう今日で2月はオワリだ。当然の如く明日からは3月だ。
       毎日プータローオヤジには、何月何日何曜日かは、既に必要ない。
       こんな生活していれば 毎日 暇があって身をもてあますでしょう、と言われるが実際は1日が短くてしようがない。
       日本にいると、生活の時間帯が夜のほうへずれ込む傾向がある。
       というのも フィリッピンの船での1日は、
       太陽が上がるのを待って朝5時30分にゴソゴソと起きだし 6時朝ご飯自分で作って食べる。 
       午前中は仕事(洗濯or買い物or掃除o水汲or修理or読書等)の1つを出きるだけこなす(こなさない日が多いが)。
       12時 昼食andビール 約1時間以上は必要、 後 読書or昼寝
       午後5時 体を洗い 
       午後6時ごろから 晩飯andビールを飲む。
       午後8〜9時には 寝てしまう。
       たったこれだけでもう1日が、おしまいである。
       船では、電気がバッテリーしかないのでできるだけ電気は使わない生活がこのような時間割り振りになるわけである。
       これが 日本に帰ってくると 電気の事は心配しなくてよいので、夜遅くまで本を読んだり たまにテレビを見たり
       何よりもカミ様が深夜まで ゴソゴソしていらしゃるので、3時間位 夜側に遅くなるので、腹も空かないし
       体の調子もどうも良くないのである。
       そして自由時間が増えてくると(或いは年寄りなる為だろうか?)、かえって時間が短くなるのではないかと思う。
       家には13年目になるオスのプードルがいるが、もう年寄りなので 私のそばに来てはだいたい丸くなって寝ている。
       彼にしても 私よりもっとプータローであるが、別に退屈そうでもないしノイローゼにもなっていない。
       犬の年は5倍すると人間の年と考えられるそうだから今は65歳で私は追い越されてしまった、という事になる。
       そうすると 20年も生きると、犬の金サン銀サンみたいになるという事だから、彼をとりまく状況の変化は人間の5倍の
       スピードで時間が飛び去っている事になる。
       彼がしゃべれて この辺の事情を聞けたら面白い事をいうかもしれない。
       ”人間の5日を1日で、ギューと濃縮して寝たり起きたりしてるんや、どや、えらいやろ”
       そう言われると、私の様に薄めの人生よりも 彼の方が濃縮犬生で充実しているから”えらい”のかもしれない。
       もっと 時間の伸び縮みをはっきり感じたのは、何度もある。
       私は剣道をやっていたので、1瞬の動きが伸びてスローモーションに見える事があるし、若い時交通事故を起こしたのだが、
       前の障害物にあたる数秒は本当に長く感じた覚えがあり 衝突後は意識不明なのか意識明らかなのか分からない状態で
       不思議な体感をした。
       その時は結構重症だったようで 病院に担ぎ込まれたのだが、痛みも苦痛も無いパラダイスにいたのである。
       時間が長いような短いような、あってないような、現実離れしていながら 妙にリアルな体感をしていたのである。
       所謂 はっきりと意識が戻った時、エラソウな事をいうようだが、
       ”成程 生きるとはこんなもんか。”
       という体感であった。
       宇宙もビッグバンが誕生でブラックホールは死と考えれば、なんとなく私等頭の悪い凡人は分かったような気がする。
       誕生した時に時間が光と共に始り、死で時間と光が圧縮されて落ち込んで行き、次元の違う向こう側で再度
       ビッグバンが起こっていると考えたら、宇宙も人間も犬もそれぞれ時間の長さは違うが同じようなもんだと思えてくる。
       暇人が 暇に任せて 暇を考える今日でした。

3月5日  久しぶりの父親の仕事も無事にこなし、カミ様の御機嫌を伺いながらセブ行きの予約を早速入れる。
       11日予約OKだ。エヘヘ ヤッター。勿論顔は難しそうにしたままだ。
       今度は密かに長期家出(最長5ヶ月はいけそう)を計画していて、暫らくカミ様の御託宣が出ないのを祈るだけだ。
       やっと寒さと花粉に悩まされる国にバイバ〜イ。

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