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      27番 マレーシアNo.2 クチンからシンガポール              2002年

3月28日 バッテリーが上がった状態なので、水門の事務所で充電してもらう。
       クチンの町まで自分の車で送って行ってくれたり、色々と世話になった 水門のスタッフにVHFで 
       お礼を言ってバイバイだ。
       マレーシア人も日本人には一般的に好意的で、親切だ。
       今回、川を溯ったが、私は川は好きではない。
       いろんな物がながれていて水は汚く。汚水の臭いがするのと蚊が多い。
       干満の為 水流は速く船を係留するには良くない。
       午後3時充電してもらったバッテリーでエンジンスタート。
       ここクチンの緯度が1度代だから赤道までは、あとわずかだ。
       鍵さんから頼まれた宿題が一つある。
       それは赤道を越えたら、湯船の栓を抜くと右渦で流れるかどうか実験してくれとの事だが、いつか
       越える事ができるだろう。
       ここからは北上して、Subi Besar島(インドネシア領?)へ向かう。

   29日 バッテリーの充電が異常だ。
       バッテリーはNo.1とNo2.の2つあり、サイズが違っているが小さい方のバッテリーが過充電気味
       (熱くなってくる)
       オルタネーターコントロールは、エンジン1800回転で 10AP程充電を示している。
       熱くなる小さいバッテリー(No.1)を外すと No.2は2AP程充電しているようで、大きい方は正常だ。
       No.1側の電圧を測ると18V No.2は14V 位だが、どうして充電電圧が違うのか分からない。
       もし、お分かりののかたはメールで教えてください。
       とりあえず、No.1側のバッテリーは外しておく。

       日暮れ前に島が見えてきた。綺麗な砂浜も見える。民家は海岸線に並んでいる。
       19時 Serasan島にアンカーを降ろす。
       上陸すると、若いオニイチャンが、話しかけてくれる。
       殆ど、英語は通じない。ここからは手話がメインとなる。
       ”何か食べるもの?”
       ”ついてこい”
       100m歩いた所に3坪程の店があり、地元のオジサンやらオニイチャン達がチェスをしたりドミノを
       している。
       ここもモスリムの国だから、さすがに酒を飲んでいる人はいない。
       ”オバチャン、食べるものある?”
       ”ミー。 ミー。”
       これは多分インスタントラーメンだ。
       ”OK、2つに卵入れて、お茶とね。”
       食べ終わって 支払いだが勿論インドネシアルピアは無いので、マレーシアリンギットを見せる。
       そこにいたオニイチャンやらオバチャンやら,オッチャン達が、交換レートの会議を始めたようで暫らく
       ワイワイやっていた。
       どうやら、意見がまとまったようで、10リンギットという。
       ラーメン2つ卵2つ入り 紅茶に冷たいソフトドリンク 約300円 こんなもんか?
       やはり どうやらインドネシア密入国(聞こえが悪いから、知らんまに入国に変更)したようだ。
       人々は温和でフレンドリーである。
       夜なので分からないが、他に店は全くないようだ。
       若いオニイチャンの名前はデビッドだそうで、
       ”ジーゼルオイル買えるか?”
       ”問題無い。 明日朝買いに行こう。”

   30日 朝、8時デビッドが自分の船でタンクを取りに来てくれる。
       ここの船は、細身で櫂を立って手前で交差して押して漕いで前に進むシステムだ。
        一緒に、村へ上陸して燃料入れてもらってる間、村を見物する。
       家は海へせり出した作りでゴミ 使用済み水は海へ落ちる仕掛だ。
       海からの風が床から入り快適そうで、家全体は小奇麗にできている。
       庭に筵の上に沢山の丁子(グローブ)を干している。
       島は丁子の木は勿論、椰子 バナナ、パイナップルその他で緑がいっぱいだ。
       その昔は宝島だったのだろう。
       地元の人達は、これをタバコの様にするのだというが、良く言葉が通じないので分からない。
       インドネシアの子供達は、フィリッピンの子供達のように目がパッチリとしてニコニコしていて、
       かわいい。。
       デビッドが燃料を運ぶのを助けてくれる。
       燃料をタンクに入れていると、ポリスが3人やってくる。
       その中の一人は、あんたほんまにポリスか?と聞きたくなるほど、制服が似合わない。
       さっきまで、そこらで魚とってたんと違うか?
       とりあえず、例の手だろうと思い暫らく様子をみる。
       ナンヤカヤと言っているが、スーベニアー(お土産)ないか?
       ハイ。ハイ。要約核心に来ましたね。という感じでサンミゲル小ビンを1本づつあげる。
       その中の一人は、もうビールの栓を歯でかじっている。
       そんなに、急がんでも栓抜きあるから使いな。
       モスリムもエエカゲンな所があるなと、変な所で親密感を覚える。
       ニコニコしながら帰っていく。
       この手で インドネシアはクルージング出来そうだ。
       これからは、タバコも用意しておかんとあかん。
       本当は、インドネシアはヨットのクルージング許可は難しいというような事をヨット仲間が話していた
       のである。
       世話になった、デビッドには、シャツとビールとジュースをあげる。
       
       真ん中制服きてないのがデビッドで、ビールの栓を歯でかじったポリスがその左横

       ここからは、シンガポールまで330マイル程で障害物無し、折角燃料を買ったけどセーリングにする。
       出港して一時間程して、船底でドンドンと音がする。
       ナンと80cmX4m程の流木を跨いだ。
       次ぎは3時間程して、マタマタ ドンドンドン。
       もっとでかい奴がマタグラを抜けて行った。
       それにしても、セーリングでドライブ揚げててラッキー。
       無傷で被害無しだ。
       急ぐ旅でも無しシンガポールまでセーリングで ピーターの苦労を味わおう。
       遊帆 UFO との会話
       ”ほんまに 運だけで行ってるみたいやな。”
       ”これだけ広い海でここ2回も流木ぶつかったから、確率的に言うともう当たらんで。”
       ”ピーターの苦労を味わうやなんて いうてるけど、
        ピーターの船は、船外機付き7m程の鉄製で、鉄板の上のタイヤキ君状態やで。
        お前の場合、日除けネット二重に張って、涼しい所で居眠りしながら天国やないか。”
       ”それにしても ピーターとジョアは無事にコタキナバルに着いたんやろかね?”

  31日 3月も今日で終わりか?日曜日らしい。誰も気付いていないが、地球の回り方が速くなっているに
       違いない。
       02:00頃 良い調子でセーリングを続けていたが、前方に例のエンリケ雲が見えてきた。
       夜なのでジブだけ縮めるが、ドンドンとスピードアップする。
       オートパイ子チャンは、ヒイ、ヒイ、ゼイ、ゼイ言いながら
       ”もう、あかん。あんた 自分でラダー持ち。”
       ”ヘイ。分かりました。ご苦労さんでした。”
       一時間程、8ノット程で走ったあと、パタと風が止まる。
       もう、辛抱できん。エンジン始動。
       朝は、ピータン粥と、鰯のトマト煮込みと聞こえはいいが、ピータンは皮をむいたらOK.鰯のトマト煮込みは
       缶を開けたらOK。
       やはり、クチンでキムチを作っておくべきだった。
       シンガポールに着いたら、美味いもんタラフク食べたるからな。
       北京ダックのマンゴーソース和え。エビの蒸し煮。魚のネギ油蒸し。子豚の皮の蜂密塗ってパリパリに
       焼いた奴。 シュウマイ。ブタマン。etc.
       19:00 マタマタ エンリケ雲襲来。今度はシンガポールからの風向きだ。
       南へ向けて逃げる。暫らくガマンすれば又北風になるはずだ。
       夜は、ドライブを引き揚げて、帆走(5〜6ノット)し、私も寝る。
       ドライブを引き揚げられるこのシステムは、プロペラの抵抗も無いし、流木等にも安心、ペラに何かが
       絡まっても手を伸ばして、掃除する事ができる、優れものだ。が、イギリスのメーカーシレット社の作りが悪い。
       この辺は、普通は風向き一定で風力も10〜15ノットと帆走するには最高のコンデイションだ。

4月1日  シンガポールまであと約120マイル位の所。
       ピーターが作ってくれた トローリングの仕掛2本を流してここまで来たが、1匹もかからない。
       遊帆 UFO で魚は取れないというジンクスは、海外でも通用するらしい。
       良い風でセーリングを続けるがシンガポール入港時間が真夜中になりそうで、時間の調整を行う。
  
   2日 03:00 シンガポール海峡の最初の浮標を通過、時間調整の為セーリングをしているがまだ速い。
       前方、シンガポールの島の上が明るくなっている。
       シンガポールとマレーシアの間、地図では橋があるので通過出来るかどうか分からないが、そこまで行く。
       この水路は水上警察船が何隻もいて、守備範囲を決めているらしく、私の船の先回りをして、
       二隻がくっついて待っているが、わたしの船がそこまで行くと又先に行って待っている。
       そうでなかったら、左に上がればシンガポール、右に上がればマレーシアだから、無断で入国できるわけだ。
       橋のある所はやはり通過できないので、そこにアンカーを降ろす
       バッテリーは充電されていないので、ここでスイッチを切ればエンジンはかからなくなる。
       ここで、オルタネーターの修理と配線の点検。ラダーのガタツキ修理。ステイ類の緩みの締め直し、をやる予定だ。
       それにどこかで洗濯したい。
       今日は、バッテリーもあがって電気も使えないので、ホテルに泊る。
       船から上がった所は、水路に沿ってレストラン(屋台風)が並んでいて、奥はシンガポールとのフェリー乗り場で、
       免税店が並んでいる。
       ここで、酒とお土産用タバコを買わないといけない事はないが、やはり買わないと。
       ここ何日間か船の上ばかりだったので、何かウマイモン食べたい。
       海鮮タイ料理(屋台風)へ入る。
       オニイチャンが注文を聞きにくるが 英語は一言も分からない。
       しかたがないから、人の食べてるのを見て注文し名前を聞き、メニューのどれか聞くがこれまた一向に要領を得ない。
       食べてるお客さんの方が、親切にこれですとメニューを指差してくれる。
       ”オニイチャン。要領分かったやろ。この調子で頼むわ。”
       と言う事で、やっと聞き出したのがNasi Darging Merah (鶏肉と玉葱の煮こみをご飯に掛けたもの)
       Mee Goren(ソバ焼き) Tomyam Campur(シーフードミックスのトムヤンクンスープ) 紅茶 合計 15RM
       (約500円) どれもとても美味い。しかも安い。
       タクシーに乗ってそこから5分位の所に町(Johore)がありそこのHotel(65RM約2000円)にチェックイン。
       カウンターにいるオカミさんがパスポートを見せてくれという。
       ”ゴメン。船に忘れてきた。”
       ”あんた、パスポート持ってなかったら、密入国者と同じで、もし何かあってポリスに提示を求められたらどうするねん。”
       ”そうやね。オカミさんのいう通り。これからフォトコピーを持ってるようにするわ。”
       私も、日本という純粋培養の中で育っているので、パスポートなかったかて、日本人て分かるやろ。と思っていたが、
       ここマレーシアは多民族国家で 顔や肌や姿や言語でマレーシア国民と判断できないのだ。
       今も、ホテルに入る前に、町を歩いたら、ヒンズー寺院の前に屋台が大集合していて、作っているものも人も、様々だ。
       小学生の時、私は神戸に住んでいて、その当時は新開地というと、繁華街だった。
       友達の家が新開地に沢山いたから遊びに行った時に、ついでに湊川公園ヘ行くと、道で人を集めて蛇を出したりしながら
       何か薬を売っていたが、ここでも、同じスタイルで中国語で啖呵を切っているのを見ると懐かしくじっと見てしまった。
       文化と人種のゴッタ混ぜ状態で刺激的だ。
       とりあえず、今日は船が座礁したり船にぶつかったりする夢等見ずに、ホテルでタップリと寝よう。
       
       沢山の神様が屋根に並んでいるヒンズー寺院の前は、各人種の屋台大集合。
         
      
   
  3日 朝に船の係留場所に戻ると遊帆 UFO は異常無し。
      すぐ横に、パワーボートが3隻係留してあるのでそこへ行ってオルタネーターの修理場所を聞く。
      ガードマンがいて警備が厳しいが事情を説明して、エンジニアを呼んでもらう。
      ここは、king of Johore の個人的ヨットハーバーだそうだ。
      最初はどこかの会社の社長と、思っていたら、マレーシア国王らしい。
      そりゃ、どうも 失礼致しました。
      エンジニアは、親切な男で、わざわざバイクで先に行って、名刺を貰ってきてくれた。
      船に戻ろうとすると 潮は退いて、50m程テンダーを運ばなければならない。
      うまい具合に 小学校6年生位の子供がいたので、手伝ってくれとお願いする。
      ”10リンギット OK?”
      ”チョット高い。5リンギットにまけて。”
      不平そうに手伝ってくれたが なかなか しっかりした子供だ。
      船に戻ってラダーのボルトを締めなおし、オルタネータを外し、教えてもらった所へ修理に持っていく。
      そこから 今度はシンガポールに行こうとバスに乗る。
      Johoreの町で橋の袂で、マレーシアの出国手続きを済ませ 皆さんの後をついて行き又バスに乗る。
      橋を渡ると又皆さんの後をついていって、シンガポールの入国手続きを済ます。この間約20分。
      入出国は簡単だけれどパスポートのページがすぐ減ってしまう。大きい判子を4個も押すのだから。
      バスに又乗って、地図も無いので行く所まで行く。 
      町は、舗装されて、道路脇に木が植えられ、ゴミも無く、住民のアパート 家は、日本より大きく綺麗なようだ。
      終点はビクトリアストリート。
      シンガポールドルにお金を換えて、安いHotel81 (42S$ 約3000円)へチェックイン。
      こじんまりして清潔で、私には充分だ。いつも 行き当たりバッタリで、運と勘だけが頼りの旅だ。

 4日   シンガポールでの主な用事の一つ、Citi Bankでお金を引き出しする事だが、カードで日本語ATMで簡単にできる。
      ここは金融自由化の国で各国銀行が高い金利を出して競っている。
      日本の銀行は預金高世界的規模らしいが、預金者に還元する金利、その他サービスは雲泥の差だ。
      ここでは お金を貯めて高い金利の銀行に預けて、資産運用し国民は豊かになる。
      けれど、日本でも私が、30代の頃、皆 将来の希望を持ち、お金を貯め、年金と保障で老後はゆっくり暮らせる筈
      だったけど。。
      いまや リストラに 年金支給繰り上げ 健康保険はだんだんと自己負担が増えてくる。
      せっかく 貯めた預金と退職金は、金利ほぼ0%。
      ぼやきの漫才師、生き返ってもう一回 ぼやけ、 このネタでやれば、おおうけすると思う。
      それに、シンガポールの町はゴミが殆ど落ちていない。チョット プータローには気持ち悪い位に清潔だ。
      ここは政治のアクセルとブレーキを上手く踏みこなしているようだ。

 5日   オルタネータの修理を取りに行く。
      色々考えた結果片側だけしか充電しないのはアイソレータに問題あるのと違うかと思い点検する。
      結局、これも修理を頼み、電気部品関係の店を紹介してもらい見学に行く。
      日本なら 同じような店が並んでいるので見つけ易いが、ここはレストランの間にあったりして、ゴチャ混ぜなので
      探しにくい。
      遊帆 UFO の泊めてあるすぐ近くにDuty Freeのショッピングセンターがあるので、ブラリ見学に行く。
      入口の所で、オニイチャンが二人机に紙と鉛筆 ボールペンを用意して、頼むと似顔絵を10RMで、書いてくれる。
      デフォルメし風刺の効いた、プロの仕事だ。
      名前はKulat & Ram だそうで、ビンラーデインのマンガ絵は最高に上手い。
      話を良く聞くと、マレーシアで賞を取って、現在は作家として活動しているがお金が無いのだという。
      ”アーチストは貧乏でなかったらあかん。金持ちのアーチストはダメよ。”
      と、慰めてやりすっかりお友達になってしまった。
             
        Ram& Kulat              私だそうだ。        紙飛行機を持ったウサマビンラ〜ヂン  

      ここはDutyFreeZoneとかいてあり、酒タバコが免税らしいので 缶ビール3本、赤ワイン2本 タバコ1カートンを買う。
      出口から出ようとすると、税関職員が検査するという。
      免税店で買ったのに何で検査が必要かな?と思っていると、税金を払えという。
      分けが分からんから、なんども事情を聞くと、Duty Free Zoon内は免税、ここから出ると税金がいるらしい。
      ”そうかわかった。全部飲んでから出る。待っててな。”
       といって 缶ビールを プシュ〜と開けて飲む。
      税関職員は、分かったもう行けといって無罪放免だ。

 6日  アイソレータの修理とバッテリーを買いに昨日の店に行く。
     アイソレータは修理が出来ていないし、来週水曜日までかかるらしいので、直結する事にした。
     船に戻り修理する事5時間、前のオーナーの配線がどうなっているのか分からないのでテスターで
     調べながら修理する。
     一応、考えられる問題点はクリアーしたと思うが、未だ少しおかしな点がある。
     第一番目の不審点。のNo.1とNo。2が何処かで繋がっている。
     第二番目の不審点。No.1とNo2の充電電圧が違うのだ。
     いくら 考えても頭がこんがらがってしまって、解決できない。
     いっそ、もう一度配線しなおした方が、良いがそこまでの技術力無しだ。
     また、充電アンペアーが流れすぎる様に思うが、これは今までバッテリー放電状態だったからだろうと
     勝手に納得して切り上げる。
     問題あれば、その時対処するしか技術力の内私には方法が無い。
     夜は、屋台が集まっている所へ行く。
     知らない土地で、食事を注文するのは、なかなか大変な事なのだ。
     私は、暫らくじっと待って、大体 多くの人が食べているものを注文する。
     それと、何でも作っている店より 1品だけで勝負している店が、平均して旨い。
     今日は、土鍋で鶏肉とご飯を焚きこんだものにタレをかけたのを、メインにして、別の店でオデンと野菜の
     少しスッパイスープを注文、 この店は、各種オデンが並べてあり自分で好きなだけ選んでスープにしてもらう。
     飲み物は、大勢の人が飲んでいる砂糖黍ジュース 全部で8RM(250円)を払い、食べるが、皆旨い。
     特に、この鶏肉焚きこみご飯には、マイッタ。
     鶏肉がカスカスでなく身は引き締まっていて、タレがウナ丼のタレの感じに似ている。
     腹1杯になって、ブラブラと町を歩いていると、”AOMORI”と看板の上がっている日本料理店があり、メニューを
     見ると、ザルソバ 15RM オコノミヤキ8RM等と書かれているが、先程の店とは値段でも勝負にならない。
     気の毒な事に、この時間帯でお客はいないようだ。
     口の肥えた中国人の住む香港で、回る寿司がまだ頑張っているようだが、食材は既に香港式にアレンジされている。
     伝統+アレンジが、生き残これた理由かもしれない。
     中国料理の強みは、各国料理の旨いものをすぐに 取りこんでしまう事だろう。
     ベトナム料理が人気があれば、それを取り入れ、カレーが人気あれば、カレーの味付けにする。
     オイシイモノなら何でもOK、リアリステイックでこだわらない中国人の気質か?

  7日 先にシンガポールに到着していたコンパスローズのウエインが、メールで連絡とれたと思ったら、ここへ行くから、
      待っていてくれとの事。
      昼頃、到着した。
      ”ウエイン。久しぶりやね。”
      ”クチンでは、ヒドイ目にあった。船を止めて町に行ってたら、ハッチを壊され泥棒が中に入って、GPS、
       コンピュータ 食料から 服まで根こそぎ取られたよ。”
      クチンの市内へ入る所で今は堰きとめられている辺りだそうだ。
      私もそこへ一度はいったけど、結局水門の監視所の前でエンジンストップした為そこでアンカー降ろして3日間いた。
      ラッキーだった。
      ”ウエイン。 私は警報装置を付けていて、一度スイッチオンになると3分間位 サイレンとパトライトが
      つく仕掛けにしてある。”
      ”私も、懲りて同じ仕掛にしたよ。”
      後で、彼の船に行くと、踏み板がスイッチになっていて 派手にサイレンとパトライトが作動した。
      ”これなら、大抵 ビックリして逃げて行くよ。”
      彼は、今までここへ入る入口辺りを右に曲がって川を上ったところにヨットハーバーがあってそこに止めていたらしい。
      けれど、買い物に不便らしく、その上 係留費が安くなかったそうだ。
      ここは、安全だし 買い物便利だし良いとの事だ。
      ただ、水の補給ができない。
      と、思っていたら、昼から久しぶりの雨だ。
      洗濯 体洗い、ヘッド剃りと忙しくこなす。
      30分位であがってしまった。
      仕方ないか。まあ チョットの雨でも感謝。感謝。

  8日 今日は月曜日だが、King of Johore のお誕生日の為国民的祭日なのだそうだ。
      お友達になった、King of Johoreのヨットハーバーのガードマンが、私に得意そうにIDカードを見せてくれて 
      王様と同じ誕生日なのだ、と自慢している。
      ”そうか、良かったね。 それじゃ誕生日祝いに、この缶ジュースをあげるからね。”
      ”オー サンキュー、マイ、フレンド”
      と、感謝される。
      お昼頃、エンリケ雲襲来。
      1時間位、雨だ。
      早速、両タンクに水を満杯補給し、ついでにテンダーに溜まった水で洗濯もする。
      エンリケ雲、アリガトウ。これで又2周間位大丈夫よ。
      昼からは、例のオルタネータとバッテリーの問題解決にかかる。
      試行錯誤の結果、やっと納得のいくようになった。
      前オーナーさんは、どうして、こうも複雑怪奇な配線にしたのか?
      私の、配線はシンプルで分かりやすい。
      暫らく これでやって見て問題無ければ大成功だ。
      Wayneは、自分の船のエンジンをマレーシアでヤンマー3GMに入れ替えたらしく、私のエンジンと見比べにくる。
      価格は80万円程で買ったというから、日本の定価より安い。
      日本のヤンマーでは、何か特別セールでこの価格位になる。
      地元日本の方が価格が輸出価格より高いというのは、他にも時々ある。
      

  9日 やり直した配線をサイドチェックする。 
      ナント、No.2のマイナス側のケーブル接続を忘れているではないか。
      ア〜ア。なんて アホなんや。
      それで、No.2へ充電してなかった。
      この3日間は、何をしてたのか?
      けれど、分かりやすい配線にしたから努力のかいはあったかな。
      早速、エンジン始動してテスト。
      今度は No.2にも15V程電圧がかかり 充電しているが、エンジンの回転数でアンメーターが振れる。
      オルタネータのベルトを締めなおしサイドテスト。
      NO.1は、暫らくすると10AMP位まで落ちて正常だ。
      NO.2は、最初50AMP位で 暫らくすると、25AMP位流れている。
      NO.2のバッテリーは弱っているのかなと考えこれで暫らく様子を見ることにして、明日 ここを出発する事にした。
      次ぎは、ランかウイ島だ。

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