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            28番 シンガポールからランカウイ島            2002年

4月10日  シンガポールを出港しようと思ったら、Wayneも、ここをでて 前にいたSebana Coveに友達がいて
       エンジントラブルで見てくれとの事で、そこへ向かうらしい。
       ”それなら、一緒に行こう。案内してか。ついて行くから”
       チャンギ空港の前を東北へ川を上ること、約45分。
       位置だけ分かっても川が分かれているので、一人ではチョット難しかったかも。
       着いた所は、Sebana Golf & Marina Resort という所でポンツーンの設備が立派で、
       前はゴルフコース、 ホテル、レストラン インターネット プール ラウンジ etc。と何でもある。
       特に、シャワールームが熱いお湯が勢い良く出てくる。(この頃、熱いシャワーが勢い良くでるのに感激)
       個人別荘が ポンツーン付きで30軒ほど並んでいる。
       まるで、バブル時代の日本がリゾートを作るとこんな感じかな?
       ”いまは、ここでもバブルが弾けて、係留費も交渉次第で安くなるらしいよ。”との、Wayneのアドバイス。
       ここから、シンガポールは、連絡船がでている。
       長期に係留するには、安全で絶好の場所だ。
       但し、値段によるが。
      
   11日 マリーナ事務所に係留費を支払いに行く。
        遊帆 UFO 37ftで 28RM(約1000円弱)/日 640RM(約2万円弱)/月+レストラン割引等
        他のヨッテイーの情報では、ここは まだ安い方だそうだ。
        ランカウイ プーケットはもっと高いらしい。
        次ぎにポートクリアランスの件を聞かれるが、コタキナバルのポートクリアランスは貰わずに出てきたのだ。
        同じ、マレーシアで何故いるのかな?と、思っていたら、これまた私の間違いだったようだ。
        フィリッピンでは、何処へ行くのもポートクリアランスは必要無かった。
        ここの 税関職員も親切で、明日 朝9:00に来なさい。用意しておくからと言う事だった。
        明日、ジーゼルオイルを満タンにして、ここを離れる予定だ。
        Wayneがここのレストランで、御返しに奢ってくれるという。
        私は、ピザを注文し、Wayneはナシゴレンを注文し、待っている間ヨットの事、これから行く所の話をする。
        彼は、私と話する時は簡単で易しいセンテンスと語彙を選んでくれるので90%位は理解できる。
        その点 ブルースは何度 言っても早口で難しい語彙を使うので半分位しか理解できない。
         ここは、川の中なので蚊が多い。私ばかり噛まれてWayneは噛まれていない。
        ”私は、いつもニンニクを食べているし、シャワーもめったにしないから 蚊も臭くて寄って来ない。”
        という事らしいので試してみるか。

  12日  Wayneは今週の日曜日にここを出て後を追っかける格好で、私はSebana Coveを離れる。
       セーリングをしてブラブラしていたら、随分と遅くなってしまった。
       暗くなったので、予定変更して、シンガポールのRepublic of Singapore Yacht Clubへ向かう。
       マラッカ海峡は、 タンカーやらコンテナ船が遊帆 UFO の両サイドを追い越して行く。
       この船より遅い船はない為前のワッチは必要無く、後を向いていれば良い。
       夜、21時入港。
       ここは、1834年に創立されたが、1999年に新しく作りかえられ、ホテルにレストラン、プールに
       ジム、カラオケとレジャー設備は全て揃っている。
       レストランでパイナップル入りチャーハンとエビ入りラーメンを注文するが、高い。
       係留費もムッチャ高い。S$41(約3000円/日)
  
  13日  いや マイッタ。マイッタ。日本の高級リゾートハーバー並かな。
       実の所、遊帆 UFO は、日本一周したときも、殆どヨットハーバーへは入らず漁港か本港に入っていたので、
       価格は分からない。
       朝、出港。マレー半島の西側 マラッカ海峡に入る。
       南先端から、約6マイル位の所に、島がありKukupという所にアンカーを降ろす。
       ここは、養殖生簀があちらこちらにあり、海鮮料理を食べさせる町らしい。
       村は、中国人が移民して出来た所で、床下はマングローブが生えていて、満潮時には海水がくる。
       多分、ここは使い物にならない土地だったのを、高床にして 又 高床の道を作り 水道を引き、
       電気に電話線を引いて 立派な村にして住んでいるのだ。
       中国人の、世界へ出て行って、そこへ根をおろす典型的な例だ。
       テンダーで何処から上がろうかと思案していたら、桟橋の上でオニイチャンがここへ着けろと手を招いている。
       桟橋は板を並べてあるだけで、体重のある私に耐えられるかなと心配しながら進む。
       歩くとグラグラと揺れるので 調子を取って歩かねばならない。
       コンクリートで出来たメインの桟橋は、向かいのインドネシアの島と往復する船の為で、そこまで60RM(1800円)
       程で往復できるらしい。
       インドネシアから来るお客も見ていると大半が中国人で、海鮮料理を食べるまで、マージャンをし、食べるとカラオケで
       歌っている。
       こちらへ来たら、北京ダックのマンゴーソースとか、蟹のニンニク炒めとか 豪華なものを食べ様と思っていたが、 
       やはり 一人だとこのようなものは注文できない。
       結局、チャーハン類 ブタマン類 麺類になってしまう。
       船に帰ろうとすると、テンダーが泥の上に乗っている。
       困ったなと思っていると、又 違うオニイチャンが自分のボートで引っ張ってくれる。
       親切な人々だ。
       
       高床で板敷きの道をバイクが走る

  14日  アンカーを揚げて、北側は浅瀬が多く魚網も多そうなので、入ってきたコースで出て行く。
       今日の 予定は Water Islandだがどうも夜中になりそうなので夜明けまでマラッカ海峡を北上する事にする。
       朝は、3日前に作ったキムチに鰯の缶詰。
       お昼は、新しく見つけた食材(中国産 鴨の煮た物の缶詰)を使って、鴨とトマト ナス スパゲッチを作る。
       これが なかなかいける味だ。
       夜は、まだ鴨が残っているので、鴨卵丼を作る。これまたグードだ。
       音楽は マライヤケリーとテナーサックス ケニー。
       目的地は未だ決まらない。

  15日  夜明けにPort Dicksonあたりまでくる。
       少し南側に、Admiral Harbourがありそこへ遊帆 UFO を泊めてKuala Lumpurへ見学に行く。
       このハーバーは、混み合ってなく(暇な)静かなハーバーでのんびりしている。
       ハーバーマスターはGregoryYap。VHF14Ch
       ポートサイドのターンバックルの一つが割れて、溶接修理しなければならない。
       町の溶接屋まで持って行き、PortDicksonからバスに乗ってKualaLumpurまで1時間半程(約300円)で到着する。
       高速道路は整備されていて、町は近代的ながらどこかモスリム風のビルが立ち並んでいる。
       公園もあちらこちらにあり道路脇は大木が木陰を作っている。
       到着して降りた所が、ヤキソバを露店で作っているので麺食いの私はすぐに入って注文してしまう。
       でてきたのは、色の黒いヤキソバで、この味は、子供の時、新開地のトシヤで食べたヤキソバそっくりだ。
       思わず何十年ぶりかで出会えた懐かしいヤキソバに感激する。
       
       ここで、マレーシアについて、聞き覚えた事を書きとめておこう。
       この国は13州あって、それぞれの州に王様がいるが9人なので、どこかの州は王様がいないらしい。
       9人の王様は5年ごとに輪番制で、国王になる。だから45年に1回お勤めを果たせば良い計算だ。
       首相はマハテイールで、彼の政治手腕はこの国の発展ぶりを見たら分かる。
       30年程前は、大部分の国民は貧しい農家で、輸出品目といえばゴムと錫位だったのが、
       今や、世界の12番目位の、工業品輸出国になり、教育完備、豊富な食事 衛生的な水道完備、家に車に
       コンピューターは中流家庭では揃っている様だ。
       リゾートはあちらこちらに出来て、生活にはゆとりがあるように見える。
       フィリッピンの様にストリートチルドレンは見かけない。
       フィリッピンの貧しさに較べると、マレーシア、シンガポールの政治家の力量の差がよく分かる。
       日本の国も、GNPは世界のトップクラスだが、基本的生活必要品物価高の為生活にゆとりがあるとは言えない。
       この国のガソリン価格は、日本1/3位で、交通機関も安い。
       日本の場合、ガソリンに税金を掛け、高速道路を世界一高くして、それでも公団は赤字を出しぶら下がっている、
       天下り御用聞き会社は、儲かる様にして国民の税金を吸い上げている。
       日本の場合個人商店が減って行く傾向にあるが、こちらではしっかりと個人商店が
       商売をしてそれぞれ儲けて元気にいる事だ。
       大資本のチェーン店もあるが、町の雑貨屋さんもチャンと商売しているのだ。
       町の各個人商店が元気なら、地域は薄くても所得があり、元気になるのは当たり前だ。
       税金を取るほうは、大きい所からまとめて取れる方が、手間が掛からずいいかもしれないが、結局国民が
       貧しくなれば、それだけ社会保障費も増えてきて、また 税金を上げなければならなくなる。
       日本の個人商店のオッチャン オバチャン大資本に負けんようにな。
       日本の社会システムがダイナミックに変らない限り、段々と住みにくい、ぬるま湯状態で国民全員風邪引きになる。
       
       偉い政治家と官僚の皆様宜しくお願いしますよ。

       次ぎに Kualaは河口という感じの意味?Lumpurは砂洲というような意味らしい。
       というのも、Kuala も Lumpurも他の町この名前がついていて、よく見かける。
      
       クアラルンプールのシンボル。Twin Tower

   16日 CitiBankを探しに行き、ツインタワーの近くの伊勢丹が入っているショッピングセンターに行く。
       日本の物は勿論なんでもある。
       色々と感心しながら見学するが、買うものはない。
       次ぎにコンピュータタウンへ行くと、何処産か分からないノートブックが沢山並べてある。
       Cannonのプリンターが7000円程だったので買うかどうかと迷うが、持ってかえるのが結局面倒だからヤメにする。
       ソフト(ノートンユーテイリテイ)を1枚8RM(300円)を買って帰る。
       夜は、チャイナタウンへ行く。
       通りに幾つも露天が並び、レストランも道いっぱいまで広げて出している。
       オニイチャンやらオネエチャンが声をあげて、客を呼び込み、笑っている。
       隣には チャンとインド人がモスリム料理も作っている。
       マレーシアでは、何処でも中国人レストランの横にインド人レストランもあり、共存共栄している。
       また、一つの店に主人が何人もいて違う種類の料理を作っているので勘定は別々だ。
       衣料品から、時計 ボールペン、おもちゃ カメラに望遠鏡 怪しげな漢方薬。何でも並んでいる。
       CDが2枚で10RM(350円)で売っていたので、マトメテ買ってしまった。

   17日 PortDicksonへ行くバスが2時間程またなければならないので、違うルートで帰って見る事にする。
       Sermbanという町まで行きそこから乗り換えて帰る。6RM(200円)
        高速道路から見る景色はリゾート地があちらこちらにあり、40坪二階建て建売の家が約500万円程で
       沢山売りに出されている。
       日本の住宅事情は、狭くて高いのは日本の国が狭いからしようが無いと、我々は錯覚している。
       シンガポール等日本よりずーと小さい島国だが、住宅環境は悪くない。
       日本人は土地にこだわりすぎるのではないのだろうか?
       サラリーマンが一生掛かって稼ぐ金の大半を家と土地に注ぎ込み、資産は増えるが借金も増える事になる。
       その為に生活にゆとりは無く、借金返済に一生を費やさなければならない。
       良く考えてみると、本来、不動産の価格が上がって喜ぶのは、おかしいのではないだろうか?
       何故なら、自分の家と土地が値上がりすれば、資産は増えるが、例えばそれを売って同じ条件の不動産を
       手に入れようと思ったら、やはりそれも値上がりしているのに決まっている。
       では、誰が喜ぶのか? 不動産関係者に銀行と政府だろう。
       評価額が上がれば税金も上がる。
       取引した消費税に所得税、最終的に相続税まであがって、国民は、気分だけお金持ちになっていたような
       気がするだけである。
       不動産価格が下がれば、銀行がバブル時代に抱え込んだ担保が、それこそ泡の様に消えてしまうから、
       政府は、国民生活を犠牲にしてでも、銀行を救おうとしている。
       と言うような事を考えながら、バスの窓から、マレーシアの分譲住宅売りだしを見る。
       ハーバーマスターのGregoryは
       ”もう、行くのか。今度の土曜日はハーバーでカントリーソングパーテイーがあるから終わってから行ったらどうか?”
       ”やっぱり、ランカウイに向かう。 ジャ〜ネ”
       出港して2時間程したら、珍しく携帯電話がかかる。
       ”オバタ。今何処? 私は Melacaへ今日入る。”
       後から、追っかけてきているWayneからだ。
       ”私は、今、Admiral Harbourを出たから、約60マイル程先やね。Melacaはネズミが多いそうらしい。
        注意せなあかん。”
       マラッカ海峡は、船の通行と漁船が、多くゆっくりと寝ていられない。
       今回、作ったキムチは暑さのせいか、カビが生えてしまった。
       いつもは、発酵はするが、カビは生えた事がなかったのだが。。。

   18日 今日の碇泊地は、Pangkor島あたりにした。
       この島は緑で被われいたる所に湾ときれいな海岸がある。
       第二次世界大戦では、日本軍は勿論マレー半島を南下したのでこの島も一時占領下にあったようだ。
       といういのも、パンコール島戦記という名前が、図書館の本棚で見た記憶があるのだ。
       エメラルド湾という名前がついている様に、海の色はグリーンだ。
       私は、マラッカ海峡に入ってからは海の色はずっと鶯色だと感じている。
       エメラルドグリーンまではいかなくても、黒潮の藍がかったブルーとは違う。
       塩辛さも薄いように思う。
       小さな湾(ニッパ湾)にアンカーを降ろし、上陸すると、大資本リゾートではなく町のリゾートが並んでいて、
       食事も出してくれる。
       今日は、モスリムの店に入り、赤ダイを唐揚して甘酢アンカケにしてもらう。
       それに、スープがわりに、ビーフン湯麺 ライス アイスレモンテイー 全部で15RM(約550円)。
       昨日は寝不足だから、今日はゆっくり寝ダメをしよう。
       
       ニッパ湾の海岸

   19日 この綺麗な湾が気に入ってしまった。
       砂浜は細かい白砂でゴミは落ちていない。
       足の裏にあたる感触は、泥のようにソフトだ。
       海岸には、家族連れやら友達同士で泳ぎに来ている。
       モスリムの女の人は、服のまま また 頭のスカーフをしたまま泳いでいる。
       殆ど裸の水着をきているのは、白人だけだ。
       日焼しないし、クラゲにさされないから、良いかもしれない。
       私も、綺麗な海なので船底をチェックに潜る。
       これだけ毎日走っていて藤壺も引っ付く暇がないだろうと思ったが、少し付いている。
       昼からは読書と昼寝。風が入ってきて実に気持ちが良い。
       急ぐ旅でも無し、昼はゆっくりして、夕方からでて次ぎの目的地Penangに向かう事にする。
       大体、夜になると風は南から吹きその上ナイトクルージングは暑くなくてよい。
       夕方5時ごろ、誰かが外で呼んでいるので、出てみると、40才位のオジサンと男の子2人がボートに乗っている。
       ”こんにちわ。私はノンです。”という話から、来る時に通りすぎた島の間に自分の奥さんが働いているから、
       一緒にボートに乗っていかないか?帰りは自分のバイクで送るからという事だ。
       ”じゃ〜.お願いしますね。”
       という感じで彼の船に乗る。
       YAMAHA85Hpの船外機でスピードをだすから、海の上を飛んでいる様だ。
       上陸するとここも沢山のレストランがあるので、奢るから一緒にご飯食べ様と誘う。
       イカを3匹バターを塗ったバナナの葉で包み焼いて貰う。
       もう一品は子供に何が良いか聞くと、エイがおいしいという。
       私は、韓国のカオリでエイには懲りているのであまり気が進まないが、こんな子供がおいしいという位だから、
       間違いはなかろうと、エイもバナナの葉で包んで焼いてもらう。
       ここのエイは全然臭くなく旨かった。
       一人は小学校2年 もう一人は5年位か。
       小さい子がノンの子供で大きい子は兄貴の子供だそうだ。
       この二人、目がかわいいしすぐに私に慣れて、しきりにオバ〜タと名前を呼んでくれる。
       食べ終わって、彼の奥さんの所へいくと、ハンバーガーを焼いて売っている。
       奥さんは体重100KGSはあるんじゃないかと思うくらいがっしりとした肝っ玉カアサン風だ。
       近所の店を見に行くと、二人の子供はずっと付いて来てくれる。
       帰りは、彼の子供と3人でバイクに乗ってニッパベイまで戻ってくるが、この島についてからズ〜と
       花の香りがしていたのが、やっと思い出せた。
       島全体にキンモクセイ(or ジャスミン?)の花の香りがしている。

   20日 島を1周するのに一時間10RMでバイクを借りる。
        今いるニッパ湾から、右回りで走ると坂道になる。
        約500m位の山を登って下ると、東側にでる。
        こちらは、海上にせり出して家が並んでいる中国人街だ。
        ついでに、野菜と果物を仕入れて、昨日のノンの奥さんのバーガー店に行く。
        昨日の 大きい方の子供が、”オバタ。オバタ”と呼んでくれる。
        ここからは、昨日通った道だが、突然綺麗な羽根を広げて2羽の鳥が木の枝に止まる。
        カメラを持って追いかけると、くちばしが黄色で大きく湾曲した鳥だ。
        ”その鳥は、(?忘れた?)で、この山には沢山いるよ”
        と、説明してくれる人がいる。
        よく見ると、セールを畳んでいるし、側に自作のデインギーヨットがある。
        ”あなた、昨日もこの前の海でセーリングしてたでしょう?私はこの前をカタマランヨットで通りすぎました。”
        ”オオ、君があのヨットだったのか。”
        そこは、お互いセーラーだから、暫らく話しこむ。
        彼の、ヨットは手漕ぎボートに貰ったデインギーのマストを立て、キールを両サイドに回転して落とすように付けている。
        まるでBCYCクラブの木村さんかと見間違う程、廃物利用にユニークなアイデアをプラスして作っている。
        ”この前は潮流が結構速いから、流されて行って風が無いと戻って来れなくて困るんだ”
        65歳以上のスイス人だそうだ。
        Walfgangもスイス人だったと思うが、小さな国なのに面白い人が沢山いる。
        どうも、ここが気に入ってしまって今日もまだいる。
                   
        嘴が大きく羽根に模様が有り綺麗な声でなく。   ニッパ湾に浮かぶ遊帆 UFO と夕日

   21日 午前2時ごろから、小嵐になり雷がなり風も強くなり、雨がドバッート降ってくる。
        有難う有難う。両サイドタンクの水補給だ。10分もしないうちに満タンになる。
        これで、又水の心配はいらない。
        なかなか タイミングよくお天気が変ってくれるね。
        昼ご飯を食べてエンジンスタート、アンカーを揚げて、ニッパベイにサヨウナラ。
        この湾は、又来るだろう。
        外海にでると、携帯電話の電波が届き出したのでWayneに連絡を取る。
        ”Wayne 今何処?”
        ”今朝、Luminut Yacht Clubに入ったところ。”
        ”ここ ニッパベイに来なさい。私は、ペナン島に向かう。”
        ”後で寄って見る。”
        外海は10ノット位の風がアビームで吹いているので エンジンストップ、ドライブ揚げてセーリングにする。
        3.7〜4.5ノット位で走ってくれるので、日中はこれで行こう。
        21時完全に風が止まってしまったのでエンジン始動。

   22日 午前3時雷とどしゃ降り雨と風が出てくる。
        この調子だと予定より速く着くので、Pinang島の西側外海を走る。
        夜明けに島の最北端の岬を回る。
        島は高度800m位の山と綺麗な海岸線が続く。
        船からみると島の北側にあるマーメイドビーチは私好みだが、とりあえずGeorgetownの近くまで行って見る。
        Georgetownの北側に湾になっていて町からも近いし波は入ってこないが水深が2mを表示していると言う事は3mだ。
        暫らく昼寝をして、上陸。お昼ご飯を食べに行く。
        町の建物は、イギリス風〔行った事はないが、写真で見た)の、前庭がありどっしりとした建物があちらこちらに
        あり、リース或いは売りに出されている。
        Pangkor島ではマレー料理が多かったので、中華、といっても例の屋台の麺類を食べる。
        ここも食べる所はxxx茶室となっていて、店の前に3台車着き屋台がでている。
        3軒とも麺だけしか作らないのだが、味付けが違う。
        ワンタン麺 炒河粉 伊府麺 歯麺(日本語にはこの文字は無く意味は”煮詰める”とい感じ) 福建蝦麺
        炒果(これに言ベンがついた漢字)麺 福建炒 とこれだけの種類を3軒で分担している。
        この内の違う種類三つを注文し豆乳とコーヒーで10RM (約400円弱)にならなかった。
        ここもやはり隣はインド人モスリム料理の店で、お客はこのxxx茶室で食べている。
        この屋台の収支計算シュミレーションしてみる。
        どう多く見積もっても、一日100杯は無理だろう。
        平均単価を2RMとすると200RMの売上、利益を50%として100RM(約4000円弱)の商売をオカアチャンと
        2人でやっているわけだ。
        それでも、オトウチャンもオカアチャンも実に愛想よく、料理を作るのが楽しくてしょうがないといった風情だ。
        これを、日本で始めるとなると、警察で露店商の許可を貰わなければならない。
        この許可は、建前はおりる事になっているがまずおりないらしい。
        からはじまって、食品衛生保健所の許可、消防の許可等 、スタートまでに沢山クリアーしなければならない。
        中国人の場合、どんなに綺麗に店を装飾してあっても、旨くなかったら流行らないし、非衛生的だと客はパッタリと
        途絶えてしまうそうだ。
        お客自身が厳しい判断をしていることになる。
        
        船を泊めている前が The Gurney Hotelという。
        なかなか、立派なホテルでここでインターネットの接続をお願いする。
        相手してくれたのは、インド人の若者で、打てば響く受け答えと、サービスだ。
        ガイドマップを貰い数件のレストランと、見所を教えてもらう。
        ガイドブックでは、町の中にリトルインデイアがあるので、晩御飯を食べるついでに見学に行く。
        成る程、インドのCD、神様グッズ、服、雑貨。etc。
        インドのTV チャネルで見た映画は、歌と踊りが延々と続く。
        ストーリと関係有るのか無いのか分からないが、出てくる全員がダンスをし、何処でも歌いダンスするのだ。
        服を売っている店で、男者のインド服を買う。        
        この服は頭から被って、足の膝辺りまでのズンドウの形で、腹の出ている私には理想的で、
        締まる所がないので着心地が良い。
        速く言えば、入院した時に着る服と同じ格好だ。
        生地はインドの細番手綿糸を使った縦縞の織り方で、少し透けた良い生地を使っている。
        私のスタイルは大抵半ズボンにシャツ、頭には椰子の葉で出来た帽子、赤のバンダナにサングラス。
        背中にリュックを背負い、出っ腹の短足にスリッパを履いて何処でもウロウロしている。
        こんな格好だから、大抵一発で日本人と当てる人はいない。
        
        次ぎに、インドレストランに入る。
        ”カレーで、オイシイカレーを頼みますわ。”
        ”OK。野菜カレーとチキンカレー。ライス。とナンいるか?”
        ”私は、麺好きだから、ご飯とナンの2つともチョウダイ。”
        出てきた野菜カレーが旨い。野菜だけでこんなにコッテリと美味しく味付けができるのかと感心する。
        ナンがパリとしながらモッチリとしていて味があり、セブのイタリアンの店パウロが焼くピザ生地そっくりだ。
        インド人の若い夫婦と3歳位子供連れの家族が、よこにのテーブルにいて、自分達の注文したものをチョット試しに
        食べてみろとしきりに薦めてくれる。
        ”アリガトウネ。今はこんなに沢山食べて腹1杯だから、名前をメモしておいて明日食べてみます。”
        インド人もフレンドリーで親切だなと感じてレストランを出る。
        私の場合、陸に揚ると自分の短い足だけが頼りだから、テクテクと船のある方向へ向かって出きるだけ直線的に進む。
        道路の真ん中に公園があったので、勿論ショートカットで抜け様と歩いていると泥濘に入ってしまった。
        ”チクショー(ニールなら シット&ファックを3回位は言っている)。このスリッパはよく泥に入るヤッチャな。”
        自分の不注意を棚にあげて、スリッパのせいにする。
        とりあえず、洗わないと気持ちが悪いが、こちらでは水道が外に出ている事はないので洗えない。
        道路に先程降った雨溜まりがあるからそこで足を洗いながら、進んでいく。
        まるで小学生にかえって、雨上がりの水溜りを選んでは、ジャブ ジャブと靴のままで入って家に帰って怒られた時のようだ。
        どこからか、マイクで何か懐かしい歌が聞こえてくるが、歌詞は全然分からないのですぐに思い出せない。
        暫らく一緒にハミングして、”柳が瀬ブルース”の現地語版であるのが分かる。
        ”暑い国で演歌もええがね”とマタマタ 感心するのだった。

   23日 昼頃 WayneからMessageが入る。
        ”今、 Penang Bridgeを通過したが、何処にいる?”
        GPSの位置を返事すると、
        ”私も、カタマランに替えたいよ。”
        彼が、アンカーを打っている所は、遥か先約1Kmは沖合いである。
        ”前に、奢ってもらったから今度は私が奢るから6:30に私の船で会おう。”
        私は、ペナン博物館に出かける。
        ここペナンは、シンガポール マラッカと同じく、交通の要所であった為、イギリスが18世紀に支配地域とした。
        中国人、インド人 マレー人が主で、他にアラブ人もいたらしい。
        香料の中継基地であり、海のシルクロードであり、ゴム 錫を産出して真鍮と銀工芸品は素晴らしい物がある
        また、刺繍 ビーズ 絣技術も中国人移民と共に伝わった。
        日本のコーナーは、勿論マレー半島支配下に置いた時の資料が展示してあるが、写真と大砲の弾 魚雷のような
        物に、軍刀と書類だ。
        書類は何が書いてあるのか見ると、通行証と通行証許可願、一時国境出入証明書下願、身分証明書、
        救傷隊隊員証、特別通行許可書 日本語修練之証 大日本マライ郵便貯金通帳、が展示してある。
        御先祖様も、やはり色々と御許可する事がお好きだったのか、
        と、思うと、納得したり感心したり 呆れたりしながら一人笑うのだった。

        Wayneと海岸沿いにある、海鮮料理の店に入る。
        魚の頭を入れた土鍋とカンコン野菜の黒味噌炒めを注文する。
        ”Pangkor島のLumut Yacht Harbourは値段はやすい(SebanaCoveの半分位らしい)し安全だから
        長期に係留して、一時帰国しているヨットが沢山あったよ。”
        ”そうか、ええ所やったんやな。私も 日本へ帰る時はそこに置こうかな。そこからはクアラルンプールでも
        シンガポールでも汽車でもバスでも行けるもんね。”
        と、いう情報を貰う。 

    24日  お昼頃Wayneは、一足先にLangkawiに向かうとのMessageを残して出発した。
         町のインタネットカフェへ行き、メールを読むと5月8日から、BCYCメンバー 福井さんとユキさんがLangkawiへ
         来てクルージングするとの予定が入っている。
         まだ 先だが、明日私もLangkawiへ、向かう事にする。

    25日 午前9時、アンカーを揚げて Langkawi島に向かう。
         港の入口手前 7マイル位の所で、突然エンジンストップ。
         この止まり方は、燃料系統トラブルだ。
         オイルフィルターを外し、パイプを直結してみるが、すでに高圧パイプまでエアー噛みのようなので、
         エンジンンはかからないので、セーリングで入港する事にする。
         南の入口は島と島の狭い間を通って行かねばならず、尚且つ水深が浅いらしいがこちらは問題無い。
         アビームの風が吹いてきたので、4ノットのスピードで、海峡を進んでいく。
         狭い島影になると、風は落ちる。
         結局そこから5時間程かかって 入港し、アンカーを降ろすと夜中の11時になっていた。
         ”Peter。あんたの苦労良くわかるよ。”

    26日 朝、Wayneと上陸して、町を見学に行く。といっても、ショッピングセンターとインターネットを探すだけだ。
         途中、Wayneが道を後戻りして看板を見に行った。
         ”ここは、ゴミをほかしたら罰金2000RM(8万円)らしい。パナイ島は500RM(2万円)やったけど。”
         その為か、町は綺麗で本当にゴミは見当たらない。
         罰金もこれくらいハッキリしていると、徹底されて良いかもしれない。
         法律は、作るときは、官僚に任せず政治家が自分の責任で、作り、議論する時は建前ばかりいわず、
         本音で例外or 特例の無い、一度作ったら、国民平等に厳格に守らなければならないようにすれば、
         国民もええカゲンに政治家のする事をミテルダケというわけにはいかなくなるから良いかもしれない。

         この島 Langkawiは古くから存在を知られていて、色々な伝説があるらしい。
         名前の由来は、Langとは白頭の鷹か鷲の事で、Kawiは赤茶色という意味らしい。
         この鷲が、島へ宝物を持ってきたのだという。
         現代の鷲(飛行機)は、やはりこの島に宝物〔観光客)をもたらしている。
         遊帆 UFO はその町の象徴の鷲のモニュメントの前にアンカーを降ろした。
         Wayneと別れて私は、ランカウイヨットハーバー見学に行く。
         施設は、揃っていて素晴らしいが、料金は安くない。
         遊帆 UFO で月に2万円程掛かりそうだ。
         この近くにジェッテイーポイントという、島の出入口のターミナル桟橋があり、ここから
         タイ、ペナン シンガポール等へ、船が出ている。
         ここランカウイ島は、DutyFreeなので、あちらこちらに大きなショッピングセンターがある。
         中はクーラーが効いて涼しい。
         お土産様工芸品がなかなか手が込んでいて面白いものがあるが、プータローはミテルダケ〜だ。
         5時ごろ船に戻ろうと思ったら。潮が引いて500m位砂浜が見えている。
         Wayneのテンダーは無いのでもう帰ったのだろう。
         ゆっくり飯でも食って帰ろうとビーチの露店レストランに入る。
         (入るという表現は露店なのでおかしいかも、とりあえず椅子に坐る)
         オニイチャンが、魚介類を薦めてくれるので、ワタリガニ20cm位のをチリニンニク唐辛子炒めを注文する。
         鍋を振っているのは、スカーフをしマレー民族衣裳を着たオネエチャンだ。
         ここマレーシアは、マレーの民族衣裳を着ている女性が多い。
         服はカラフルで、なかなかおしゃれだが、モスリムの為スカーフを頭にしている。
         日本の民族衣裳は、もはや冠婚葬祭位しか着られない。
         今や、若い日本女性は、雑誌のファッションを追っかけ、誰も彼もが同じような格好と化粧をし、
         それが、個性的だと勘違いしている。
         ファッションはもっと自分の考えが表現されるべきで、カタログの広告塔みたいなのがファッションではない。
         全て、海外〔特にアメリカナイズ)のものに替えないで日本の伝統的文化も守るべきだろう。
         というような事を、感じながら、ワタリガニをかじる。
         身は卵を抱いていて、味付けも旨い。
         食べ終わって、オニイチャンに、
         ”私のテンダーあんたの店の後ろ、あそこの海岸にあるでしょ。水際まで運ぶの手伝って。”
         ”アイヨ。”
         という感じで気軽に請け負ってくれるが、本当は大変なのだ。
         一番水に近いところでも300mは運ばねばならない。
         ”オニイチャン これでジュースでも飲んで”
         と、イラナイというのを、無理やり5RM渡す。
         本当に、助かりました。

    27日  それでは、遊帆 UFO さん、手術させて頂きます。
         まずは、Racorのフィルターの交換、次ぎに燃料ストレーナーのエレメントの交換、次ぎはエアー抜きだ。
         低圧部を済ませ、高圧部はノズルのパイプを外して抜く。
         元に戻して、エンジンスタート。ブルブルブル〜ン。OKだ。
         明日は、もう少し西へ移動して見る積もりだ。
         昼間は暑いので、例のショッピングセンターに涼みに行く。
         マレーシアの新聞は、マレー語 中国語 アラビア文字風 英語と各種取り揃えている。
         英語新聞を読みながら、日本の新聞と違うのを見つけた。
         日本の新聞は、どんな大事件でも日本人が、関係していなければすぐに取り上げなくなる。
         イスラエルとパレスチナの戦争でも、日本の新聞では、トップニュースにはなっていないのだろう。
         私は、日本のTVも長く見ていないが、いた頃毎日、野村佐知代の事ばかりやっていた。
         それも、殆ど各局全部が、もっと大事なニュースを取り上げず野村佐知代ばかりをとりあげる、
         報道産業に携わる人達の知性と常識を疑いたい。
         アメリカのアフガン侵攻の時も、各誌殆ど同じ意見なのに、危うさを感じる。
         日本の外交は、ヨーロッパ、アメリカからは見れば
         ”日本は、脅すか、おだてるかしたら、金をだしよるぜ。”
         位にしか、見られていないし、金をだしてそれで尊敬されてもいないのである。
         日本の政治家は外遊すれば、金〔我々の税金)をバラバラと気持ちよく撒いてくるのが仕事と思っているし、
         その金が援助国の政府に入って、国民まで公平に使われているのか、疑わしい限りである。
         フランスのボランテイア医療団は、援助金が国民強制移動の餌として使われ現地政府に
         利用されているのを指摘している。
         日本の新聞でそこまで追いかける会社もなく、各誌押し並べて同じ内容で御用聞きニュースばかりである。
         と、新聞を見ればこれまた、色々と考えさせられるので、新聞も見ないようにすっか。

   28日 朝から、雨が降ってきてくれるので、タンクに水の補給だ。
        一時間程降ってタンクは満タンになった。
        次ぎは太陽がこれでもかと言う位、ギラギラと照りつけてくるので、今度はバッテリーの充電だ。
        西に移動して、Langkawi Holiday Villa の前にアンカーを降ろす。
        他にも、ヨットが3隻アンカーを降ろしている。
        夜は、上陸して晩御飯を食べに行くのだが、ホテルのレストランには日本料理の店があるが、開店していない。
        ここマレーシアも外務省からの危険渡航国なのか?
        フィリッピンは、危険渡航国レベル??らしくて、旅行社も”今は危険渡航国ですからね。”とかいう有様だ。
        お陰でセブー大阪直行便は欠航して、セブのリゾート関係はあがったりで、この頃は韓国人旅行者誘致に
        力を入れている。
        私からみれば、セブのどこが危険地域か、外務省も、もうチョット現地の事情をしっかり分析するべきである。
        ”何かあったら責任問題になるからキツメに言うとくか。”
        位の、ええかげんさである。
        それに、また日本人はどうしてこうも、右にならえで、お上のお達しをよく聞く民族なのか?
        この日本人の特性(お上の御指導のもと、みんなで一緒に力を合わせて)が、明治から急成長してきた
        原因があるのだが、この度平成不況はこの手法では切りぬけられない。
        何故なら、度重なる嘘に国民は厭き、政治家の本音と建前を見ぬいていて、政府を信用していないのが
        大きな原因だ。

  29日 今日はReback Marinaへ行って見る事にする。
       ランカウイ本島から西の島の南側に入り口があるのだが、正面から見たらハーバーは見えない。
       3m位の青燈と1m位の赤燈が立っているだけで、外から見ると狭い水路しか見えない。
       入口手前500mの所で、Wayneから”UFOが見える。”とメッセージが入る。
       後ろの方約1マイルに Compassroseが見え、ここへ向かっている様子だ。
       このマリーナの料金は、モノハル カタマラン関係無くft当たり1RM/日 なので、UFOは37RMだ。
       Wayneも、
       ”飲み水を、補給したら明日出て行くよ。”
       ”私も、飲み水と洗濯済ましたら、別にマリーナにいる必要が無いし、明日でていく積もりだ。”
       我々、貧乏ヨッテイーは、考える事は同じだ。
       ”今日は、晩御飯私が奢るから一緒に食べよう。”と、Wayneが誘ってくれる。
       私は、ヨットの仲間でも、何処の国か、何の仕事をしてたのか、あまり興味がないので滅多に聞いたことがない。
       今回、晩御飯を食べながら、Wayneの話によると、彼はカナダ人で、仕事は石油の掘削技術者で、
       その為に若い頃、アジアからアラブを動き回ったそうだ。
       20年前のマレーシアの話も聞かせてくれた。
       彼は今は鉄製モノハル37ftに乗っているが、UFOの影響でカタマランに興味をもち、このハーバーで
       売りにでているカタマランを一緒に見に行こうと誘われる。
       オーストラリア製10mのカタマランで、状態は悪くない。10馬力程の船外機を2基降ろして走るタイプだ。
       ”オバタ。どう思う?”
       ”この船で ロングクルージングはどうかな?”
       ”そうやろ。この近くをクルージングするにはええけどな。やっぱり自分には、Compassroseがあってるか?”
       ”私も、UFOがどの船よりも一番ええと思ってるよ。”
       結局、ヨッテイは船の話である。
        
  30日  Bill&DianeとPeterからメールを受け取る。
        PeterはBonbononを出て2週間かかってコタキナバルに着いたそうだ。
       風が無く、3日間は、まだネグロス島が見えていたそうだ。
       その間、Chonaは船酔いで寝てばかりで、”Peter、あんたは私を殺す気か?”という目で見つめられていたそうだ。
       けれど、コタキナバルでおいしいシーフードと2〜3日ホテルに泊ったら、ダイジョウブと思う。との内容だ。
       本当に、無事着いて良かった。
       他に選択肢が無いとはいえ、あの船でチャレンジする勇気に敬意を表する。
       Bll&Dianeは、誰もがBonbononを出ていった今、Dianeは、村の子達に英語を教え
       自分はタガログ語を習っているそうだ。
       Reback Marinaを出て、Wayneは私が遊帆 UFO を泊めていたところ、鷲の前にアンカーを
       降ろしたとのメールが入る。
       私は、どこか新しい所を探しに、島を回って対岸に近づく。
       突然、沢山のマストが見えるので近寄ると、浮きブイが浮かんでいるので、とりあえずその一つを引き揚げる。
       ここは、Langkasuka Boat Clubという、手作りクラブで、料金も18RM/日 75RM/周 300RM/月になっている。
       飛行場から、10分かからないし、料金も安いし、一応日本へ一時帰国の時の第一候補だ。
       管理人はジョンで、釜山港であったロシア人にそっくりだ。
       クラブハウスもバラック仕立で、シャワーも手作り、洗濯所もあり、料理も台所で自分で作っても良いらしい。
       氷も自分の水を冷凍庫に入れておけばタダで作れるしマレーシアでは手に入りにくい、肉類も冷凍して売っている。
       レンタルバイクは基本2時間10RMで借りられる。
       今までのリゾート系マリーナと違って、家庭的である。
       BonbononにいたDave&Sundy(Force8)が、私が帰国している時に遊帆 UFO の横にアンカーを
       降ろしていましたとの事で、それからはBonbononの話をしながらビールを飲む。
       良く見ると遊帆 UFO のすぐ後ろにオデイールのカタマランもアンカーを降ろしている。
         
5月1日  インターネットの接続は、電話モジュールがあるので、私には大変好都合だ。
       Attglobalのアクセスポイントがペナンにありこことは市内通話で良いとの事で大変安く接続できるし、
       HPの更新とメールのやり取りも自分のコンピュータを使えるので便利が良い。
       ジョンにモーターバイクをフルデイで借りて25RM、見所を教えてもらう。
       最初に島の西側、滝を見に行く。
       道は舗装されていて信号も警官もいないので、快適に風を受けて走る。
       道に体調1m位のトカゲが首を上げて、こちらを睨んでいるので、慌ててブレーキを踏む。
       時たま、バイクと自家用車にすれ違うくらいで、森の中の空気は緑の匂いがしている。
       最初に滝を見に行くがわずか200m位の坂を、歩いて登るのが一苦労だ。
       船に乗っていると足が弱ってくるのが、自分で分かるので、極力短い足を使うようにしている。
       滝は、大きな岩の上から広がっておちてきて、水の色は落ち葉の色がついて、少しブラウンがかっている。
       現地マレーの子供が気持ち良さそうに泳いでいるので、私も全裸で飛びむ。
       というのも、洗濯するのを出きるだけ減らそうと、ズボンを履くときはパンツをはかないようにしているので、
       この時もズボンを脱げば、ナンにも無しだったのである。
       水は、少し甘く、ひんやりとして気分は最高だ。
       水から上がると、他のモスリム家族が来ていて、全裸の私は赤のバンダナで前を隠して岩陰で慌てて着替える。
       どうも、大変失礼しました。
       次ぎは、島の北西に向かう。
       岩壁の山と緑の森に、野生の猿が道路に出てきている。
       ワニ園と現代マレーシアアーチストの美術館を見て東に向かう。
       この島の北側になるのだが、小さな島が前にあり綺麗な砂浜と湾、素晴らしいところだ。
       ここから、島の中央に向かい一番高い山へ昇る。
       高度は800m程で、山頂は島全体を見下ろす事ができるので、昔なら絶好の見張り場所になっただろう。
       島は湾とビーチが沢山あり又島も100近い島が集まってこのLangkawiを作っている。
       島の北側20マイル程の所にある島は、タイの島々だ。
       空気もひんやりと涼しく最高の気分だ。
       ここランカウイ島は、海賊の島だったそうだが、海賊商売には、絶好のロケーションで、遠くを見張る事ができるし、
       逃げるのも、隠れるのも何処でも沢山あるし、何処でもアンカーを降ろす事が出きる。
       帰る途中にブックビレッジというところがあり、興味が沸いたので見学に行く。
       最初は大きな図書館でもあって、本を貸し出しするのかと思っていたら、
       山の麓に小さな家が点在していて、家ごとに専門分野が分かれて、本を売っていて又買い上げるらしい。
       その内、1軒に入って見ると、各国の有名政治家の自伝本が並んでいる。
       勿論、マハテイールの本も沢山置かれている。
       彼は、現在80歳を超えているのではないだろうか?
       日本も、今彼のような政治家を必要としているのではないだろうか?
       日本の政治家先生も勇気をもって本音で物を言い、決して建前、嘘と詭弁と誤魔化しは言わず、国民の為の
       政治を行えば、日本国民は、馬鹿ではないから、きっとあなたの支持をしますよ。
       党内やら支援団体の顔色を見ず、官僚の言うなりにならず、国民に直接呼びかける政治をやってくださいね。
       と、これまた、はかないプータローの愚痴が出るのだった。
       横に川が流れ森になっているので、沢山の家族が弁当を持って食べたり、川で泳いだりしている。
       そうか、今日は、国民休日だったのだ。
       
       最近コンピュータのウィンドウスのプログラムが壊れかけて、異常が続いていたのがクアラルンプールで買った
       8RMのソフト(ノートンユーテイリテイ)をインストールして、修理が出来何とか無事に動く様になった。
       もし、このソフトがなかったら、オリジナルCDは手元にないのでコンピュータを使えなくなっていただろう。
       チョット、 ツキが戻ってきたかな?

       次ぎは、BCYCメンバー福井、ユキさんとの3人でのタイクルージングになる。
       

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