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落書帳(GraffitiNo.3)スリランカにてへ

     40番 スリランカバイク旅行  2003年3月

14日 アチラコチラで聞きまわった結果、レンタバイクは、Galleの町の東側2Km位にある町(Unawatra)と
     西側10km位行った町(Hikkadua)という所で貸しているらしいという事が分かった。
     愛車で行ける所というと、Unawatraなのでそこへ行き、道端のオジサンに聞くと、
     どこからか、ツクツクのオニイチャンを連れてきた。
     ”ニイチャン、1日300ルピーで10日間かりるのはどうや?”
     ”ダメダメ、ベストプライス。 1日500ルピーよ”
     もって来たバイクはホンダ250ccで、コンデイションは良さそうである。
     ”そしたら、6日間 3000ルピーで借りるわ。”
     このニイチャン、車については、うるさそうでガソリンスタンドへいきエンジンオイルはこのブランドのを
     使ってくれ、次ぎに 警笛はバッテリーが揚ってならないので充電しに行くと言うのである。
     ”走っている内に、鳴るようになるから心配いらん。”
     11:00 出発 実を言うと250ccのバイクはもう30年も乗った事がないのである。
     さすが、250ccもあれば馬力が違う、スピードは出る。
     Gallの町から西側海岸沿いに走らす。
     沖合いに岩礁がありそこから波が立ち始めるのでサーフィンには良いだろう。。
     潮風が 気持ち良い。
     昼に、食事の為、道端のレストランによる。
     1階は、パン屋兼喫茶、2階はビュッフェスタイルである。
     ビュッフェを選んで2階へ上がり、オネエチャンに紅茶のミルクの無いのを注文する。
     オネエチャンは、聞きながらしきりに首を左右に振るのである。
     ”ネエチャン 分かってるのかいな。”
     どうも、この首を鈴を鳴らす様に左右に振るのが、日本式だと、”ふん、ふん”と相槌を打っている
     感じである。
     ドンドンと北の方 Colomboへ向う。
     途中海岸沿いに至る所リゾートホテルが立っているが、お客は無さそうである。
     Colombo市内の入口10Kmの辺りで、海側へ出てゲストハウスを探す。
     小奇麗な所があり750ルピーで宿泊できる。
     荷物を降ろし、身軽になってバイクで夕食を食べに行こうと市内に向う。
     途中、大きなスーパーマーケットがあったので、覗いてみると、チーズとハムの良いのがある。
     これを買ってゲストハウスで食べようと、ワインにフルーツを買い込んで帰る。
     またまた、帰る道が分からない。
     タイでもそうだったが、出るときは良いのだが、帰る時は道が分からなくなるのである。
     こんな事もあろうかと、名刺を1枚持ってきたのが良かった。
     何度も人に道を聞きながらやっと帰ってきたのである。
     

15日  7:00 ゲストハウスから50mの所に鉄道線路があり、線路を越えると海岸である。
     海岸の砂は、細かく足で踏んでも沈まない。
     裸足で歩くととても気持ちが良いのである。
     遠浅の為、沖合い500m位から波が立ち始め、浜に打ち寄せるのである。
     遠くに、Colomboの町のビル群が霞んで見える。
     8:00 出発 まず敬意を表してColombo市内へ行く。
     排気ガスと人込に参ってしまい、すぐに次ぎの目的地(Kandy)へ向う。
     Colomboは大きな町で排気ガスと人が一杯いるという印象で終わりである。
     Kandyに行く道も渋滞で排気ガスを吹きかけらながら、バスやらトラックを追い越して行くが、
     追い越しても追い越してもトラックとバスは前にいるのである。
     4時間も走ってやっと車も少なくなる。
     段々と登りの道である。
     Kandyの手前5km位の所で象の見世物とレストランがあるので寄る。
     ”象に乗るか?”と言われても、散々バイクに乗って尻の皮がむけそうになっているので、
     乗る気は全く起こらない。
     Kandyの町は、Kandy湖が町の真中にあり、その傍のゲストハウス550ルピーが今日の宿である。
     夕食は歩いて町に行き、古そうなレストランで取る。
     ここスリランカは、紅茶がおいしいので、ポットで注文してゆっくりと何杯も飲む。
     この町は、何処か英国風で、町の中心に大きな時計台があり、レストランでも何百年も前から営業している様である。
     

16日 6:00 湖の周りを散歩する。
    静かな湖面に周りの景色が映って美しい。
    若者が20人位、グラウンドでクリケットをしている。
    日本なら、2〜3人いれば、キャッチボールを始める様に、少しのスペースがあれば子供達はクリケットのバットと
    ボールを持ってきて楽しんでいる。
    泊まっている所の正面に大きな仏寺が建っている。
    中はお釈迦様の歯があるらしく1日何回か開帳するらしい。
    スリランカの仏教はインドから伝わったと言う物語が壁に絵を書いて描けてある。
    延暦寺は鐘を、室生寺も何か寄進しているらしい。
    沢山の人々が花を持ってお参りきて、手を合わせて拝んでいるのを見ると、日本の葬式或いは観光仏教とは、
    様子が違っているのである。
    
    町に行き昨日のレストランで紅茶とパンを食べる。
    ゲストハウスに帰る途中、3歳位の女の子、もう一人は6歳位の女の子を連れた家族4人が
    いつのまにかそばに来て話し掛けてくる。
    親子共身なりは悪くない、普通の家庭の様である。
    大きい方の女の子が、
    ”お金が欲しい。お金が欲しい。”
    と言っているのである。
    親は止める様子も無く、むしろ言わせている様で貰えるまで付いて行くぞという雰囲気である。
    仕方が無いので、さっき買ったリンゴを一つやるが、一体どうなっているのだろう。
    フィリッピンのストリートチルドレンは、理由は良くわかる。
    親の無い子が集まって、物乞いしているのである。
    この人達は、親子一緒になってねだっているのである。
    子供にあげたリンゴはどうなったのか、子供が食べたのか、親子で分けたのか後ろを振り返る気もしない。
    何とも後味の悪い光景に出会ってしまった。
    この事と関係あるか無いか分からないが、ここスリランカはカースト制度があるそうである。
    何故、宗教の中でこの人を差別する制度が存在するのかを解くのが、一つの目票ではある。
    マリンオッサンにこの事を聞いてみたが、もう一つハッキリとした答えは返ってこなかった。
    現在の若い人には無くなりつつあるという事と、同じカーストで固まって生活すると何かと
    便利な事であるような事を言っていた。
    9:00出発、次ぎはNuwara Eliya という高地(2,400m)へ向う。
    道は登りばかりである。
    周りはいつのまにかお茶畑ばかりになっている。
    勾配60度もありそうな所を開墾してお茶畑にしている。
    良く見ると、それぞれに所有者(地主)と管理人がいて、看板が立っている。
    茶畑の隙間に立っている民家は、土地は殆ど無いのである。
    粗末な家に住み、裸足で歩いている。
    朝、道のアチラコチラに座って、茶摘の仕事を待っている様である。
    道端の茶畑で、茶摘のオバアチャンがいたので写真を取らせてくれというと、お金をくれというので、
    10ルピー渡すと、歯が2本しか残っていない口をニッコリと開けて、猛烈な勢いで、茶を摘んで
    後ろに背負っている籠に入れて行く。
    ”バアチャン、もう OKよ。有難うネ。”
    バアチャンは、他の茶摘のバアチャン、オバチャン、ネエチャン連中にお金を見せて何か言っている。
    社会主義国でも民主主義国でも共産主義国でも大義名分は人民国民の為なのにこの有様である。
    
    5時間位登り続けていると、本当に天国に近いような気がしてくる。
    雲は、手を伸ばせば届きそうな所にあるし、空気がなんとなく天国に近い感じがするのである。
    この辺りで標高200m以上である。
    目的地Nuwara Eliyaは、景色が英国風に変わるのである。
    ホテルは綺麗な色をした、コジンマリとした英国風建物であり、周りにゴルフ場と競馬場がある。
    私は、勿論750ルピーのゲストハウス泊まりである。
    昼でも涼しくバイクで走るときはジャンバーを着なければならないし、夜は寒いのでシャワーは温水である。
    日本を出てからお湯を使うのは久しぶりである。
    ここは、日本の援助により、水道設備を提供したような事が町のあちらこちらに看板が立っている。
    日本の資金援助で水道局のコンサルタントのもと、T建設が施行した事が書いてある。
    政官民一体の紐付き援助である。
    援助資金は日本の建設会社に戻ってくる仕組みである。
    政治家は名誉と、? 建設会社は 実利を得るうまい仕組みになっているのである。
    こういう皆様の努力のかいあって、スリランカ国民の日本に対するイメージは悪くない。
    
    
17日 Nuwara Eliyaを出発、取り合えず南に下がって海に出ようと考える。
    地図を見せて、この山を越える道はあるか?と、色んな人に聞くが例の首振りである。
    Hattonという町を通り過ぎ、Norwoodという町までは地図にかいてあるが、そこから山を越える道が、
    書いていない。
    首を振るのは大丈夫という事だから、何とかなるだろう。
    Norwoodまでは道路標識はAと数字が書いてあり、日本で言うと国道にあたり、一応2車線ある。
    ここから山越えの道はB325とかいてあり、1車線で対向車がくると困る位の幅である。
    道は茶畑の中を走り、谷には川が流れて、女性が衣類を岩に打ちつけて洗濯している。
    高度2000m以上あっても交通手段は、自分の足とバスだけである。
    民家は、急勾配の茶畑の隙間に建っている。
    こんな所まで、人が暮らしている。
    それでも、人を見かけるのが、少なくなってきた。
    最初は余りの人の多さと黒い大きな目で見つめられ戸惑っていたが、スリランカ人も大分見慣れてきて、
    よくみると、田舎のオッサンでも彫りが深くショーンコネリー風で、男の子は目がパッチリとして
    なかなか男前であり、女性は、スタイルがよく、サリーを着て風になびかせて歩いている姿は美しいのである。
    すれ違う人々は大抵手を揚げて挨拶してくれる。
    茶畑を過ぎると、本当に山道に変わりすれ違う人も車も無くなった。
    こうなると、チョット寂しくなる私は、どうしようもない。
    マイロードを1時間程走ると、雲が山の斜面を登っている。
    私も今雲の中を走っているのである。
    雲が切れて視界が眼下に広がると、やっと山を越したようである。
    山道を降りてくると、暑さが戻ってくる。
    周りの景色は茶畑から、水田に変わっている。
    Balangodaという町に着いたようである。
    雲行きが怪しくなってきたので、ゲストハウスを探し、3軒目に220ルピーの所に決める。
    部屋に荷物を入れた時外はドシャブリの雨になっていた。
    ゲストハウスのニイチャンは今日の夕飯はいるかと聞きに来てくれる。
    ”メニューは何?”
    ”ライス&カレーです。”
    ”冷たいビールはあるか?”
    ”ここには、無いけど買ってきます。済みませんが部屋で飲んでください。”
    このニイチャン、私に気遣ってくれているのか何度も済みませんと言って、ビールを買ってきてくれる。
    ”ここは、モスリムのゲストハウスかね?”
    ”そうです。”
    それなら、そうと、言ってくれれば酒のみの私ではないのだから、コーラでもお茶でも良かったのである。
    インドネシアでもモスリムゲストハウスに泊まったが、清潔で安い所が多い。
    その代わり、禁酒である。
    スリランカレストランの代表メニュー”ライス&カレー”は、ご飯と四品の小皿がでてくるが、
    全てがカレーではない。
    メニューの中には、各種カレーが別にあるが、このライス&カレーより、割高である。
    どうも、このライス&カレーというのは、日本の幕の内弁当に相当し、例えば、
    誰でも幕の内弁当というと、マア、アンナモンカ、と言う風に納得する感じである。
    四品の中身は店によって違うけれど、イメージはライス&カレーなのである。
    
18日 06:00 ニイチャンが、ミルクテイーを持ってきてくれる。
    07:00 道を聞いて出発である。
    A18道路なので、舗装され道幅は広く、快適にバイクを走らす。
    3時間程して、海岸に出た。
    海の匂いがしてくる。
    漁師のオッサンにスリランカの海の状況を聞く。
    ”4月になると、南西から風が吹き、20ft位波も立って、わし等は7月まで、漁が出きんよ。
    9月になると、又 波はおさまるよ。”
    20ftというと約6m程である。
    これは、大変だ。9月まで動けなくなるのか?
    海岸沿いは、リゾートが並んでいる。
    昼飯を食べようと途中のリゾートに入ってみる。
    スタッフが出てきて、説明してくれるが普通のリゾートではない様である。
    ”このリゾートは アーユルベーダという、マッサージが主になっていて、
     最初に医者が診察して、その人に合ったマッサージ治療をします。
     1日860ユーロ或いは8600ルピー 食事と部屋と治療とマッサージ全て込みです。
     普通 皆さん1週間位います。 何日にします?”
    ”私は、1日860ルピーもしない所に泊まっている貧乏な日本人やから、こんな高い所はダメね。
     所で、客はいるの?”
    ”ハイ、今、ドイツからのお客が12名ほどいます。”
    尻尾を巻いて退散である。
    次ぎのリゾートは、全くお客のいる気配がしない。
    適当に、注文して横のソファーで出きるまで昼寝をする。
    食事も終わって、走るともうハーバーまで あと少しなので遊帆UFOゲストハウスに行く事にする。
    戻ってみると、やはり遊帆UFOが一番良い所である。
    夕飯は、大根キムチとカニ缶、タイライスにほうじ茶かけ豪華メニューである。
    今回、バイクのメーターは壊れて何キロ走ったか分からないが、約2,000km位走った様である。
    事故もパンクも無く、尻の痛さと排気ガスを除けば良い旅行であった。
    レンタバイクのオニイチャンの話によると、スリランカでは、免許証はいらないそうで、その代わり
    バイクの登録書を渡され、警察に聞かれたらこれを見せたらOKと言う事であった。  
    
19日 レンタバイクのニイチャンは我愛車を売る気は無いか?としつこく聞くがその気は全く無い。
    250ccバイクから、久しぶりに愛車に乗ると、急に小さく感じられてサーカスのゴリラが自転車に
    乗っている様に感じられる。
    ここスリランカで気のついたことは、女性の働く姿を見かけない。
    勿論、茶摘は全て女性であるが、例えば店員は、殆ど男性の仕事であるし、
    レストランのコック、サービス、レジと全て男性である。
    バーとかお酒を飲む所は、格子越しに酒を買っての立ち飲みか、よくても座る所があるだけである。
    しかし、大きなスパーマーケットのレジは、女性店員であった。
    これだけ沢山の人がいれば女性に仕事が回ってこないのかもしれない。
    レストランでも、男女カップルは殆ど見かけないし、家族連れというのも少ない感じであった。
    女性の社会的地位は、低いようである。
    エンカルタの情報によると、スリランカの広さは北海道位であり、人口は1900万人程いるらしい。
    産業は、茶 ゴム ココナッツ コプラ グラファイト 宝石 であり、皮肉な事にあれだけ高地まで
    茶畑が開墾されていながら、米は自給できないらしい。
    

20日 遊帆UFOが一番良い場所となってしまって、食事の材料仕入れとインターネットの為に
    町に出る以外は、船の中である。
    同じ桟橋に30m位の木造2本マストの船が泊まっている。
    オーナーは40代のイギリス人で、クルーは8人殆どがインド人らしい。
    韓国のチョンさんが一時これに良く似た船を買い、維持できずに売却したが、
    このクラスの船だと、常にメンテナンスの必要があるだろう。
    見ていても、クルーはセールの修理、船体の塗装、ブロック ロープの整備を常にしている。
    その内のインド人ジイチャンクルーは、セールの修理と、ロープのメンテ、編込み等の担当の様で、
    綺麗に麻縄を編んでロープの保護を作ったりしている。
    哲学的顔立ちで絵になるのである。
    ”インドのコーチンの港はどうかね?”
    ”船が多いし、ゴミゴミしていて余り良くないよ。”
    そうだろう。スリランカの兄貴みたいな所がインドの感じがする。
    ペナン島で一緒だった、フランセとグラントからのメールでは、モルデイブは72時間しか滞在許可が
    下りないような事である。
    困った。行き場所がないのである
    スリランカシュンセツ船の船員が、今日、アメリカがイラクを攻撃し始めたと教えてくれる。
       

21日 アメリカはイラクをどうしても、石油利権の為に押さえたいのであろう。
    同じく問題の北朝鮮には、キンジョンイルが挑発しても土俵にあがろうとしない。
    北朝鮮は、韓国、日本、中国との問題で、何が始まっても、アメリカに影響するものはなく、
    状況をみて、判断すれば良いと思っているのである。
    ほっておいても、北朝鮮の国際的立場はドンドンと不利な方へ追い詰められるだけで、仮に
    北朝鮮から手を出せば、反撃の絶好のチャンスとなるし、日本からの要請があれば、莫大な金額の
    戦争援助資金が提供されるはずである。
    お金持ちで御人好しで、アメリカいいなりの日本は、脅しか、オダテでどうにでもなると考えているのである。 
    夕食も終わり、船にいると、シュンセツ船の船員がイラク攻撃のテレビニュースをやっているから見に来いと
    呼びに来てくれる。
    行ってみるともう終わってしまっている。
    船員の説明では、アメリカ人も21人程死んだが、サダムフセイインは、まだ死んでも捕まってもいないそうである。
    遊帆UFOに帰り、キャンデイーで買ってきた、紅茶を飲みながら、茶畑であった茶摘バアチャンが
    摘んだ葉っぱかも知れんと思いながら飲むと、何かホットして味があるのである。

23日 スリランカ男性の腰巻を買おうとUnawatraの村へ愛車で行く。
    道端でオバアチャンが布地と足踏みミシンを置いて商売をしている。
    色々な柄の布地を出して薦めてくれる。
    シンプルな色と柄のものを選ぶと、私の腰のサイズも測らずに両端を縫っていく。
    出来あがったものは、幅90cm長さ2m足らずの筒になっている。
    ”バアチャン、どうして着るのや?”
    バアチャンは身振りで頭からかぶって、前で余った所を畳んで上部から折り返していけと言っている。
    和服と同じで誰が来てもフィットするようになっている。
    着てみると、ゴムが無いだけ楽で、胡座をかいても大丈夫だし、オシッコ、ウンコともめくったらすぐできる。
    寝る時は腹の上まで持ってきてパジャマになる。
    勿論、手ぬぐい兼用で、洗濯も簡単、乾くのも早い。
    暑い国にはピッタリの衣装である。
    女性用サリーは、どうなっているのか、着方も何通りかあるようであるがわからない。
    サリーの美しさは流れるような布地のラインと風に靡く姿である。
    色も多様で、オバアチャンでも赤いサリーを着ていると、良く似合っている。
    民族衣装はその国の気候と人にあった知恵が詰まっているのである。
    日本女性は、黒中心、男性はグレー中心の洋服で、誰もが同じ色と同じスタイル同じ化粧で、個性は感じられない。
    日本社会では、目立つ事を嫌う村社会なのである。
    伝統的民族衣装を捨てた日本人は、何人になっていくのか?

24日 ハーバーの入口にツクツクのオッサンやらニイチャンやらが沢山たむろしている。
    私は、愛車でどこでも行くので彼等のお世話になったことはない。
    一般情報を残して置く事にする。
    買い物は、野菜果物は町に行けばマーケットが沢山あるから、2〜3軒声をかけて相場を調べてから決めるのが良い。
    野菜は、ハーバーをでて道路を左へゴール市内に向って行くと国道はゆるやかに左へ曲がるがまっすぐの道は市内に
    行く道である。この道の分かれる所の八百屋が正直そうである。
    インターネットはその道をまっすぐ市内に入る所に大きな本屋(Gunasena Book Store)が 1時間150ルピーで一番安い。
    国際電話は、3分間140ルピーで1分毎に45ルピーで、これは大体何処でも同じである。
    肉類、ソーセージ、ハム、チーズ等、ガス、両替など、スリランカではチョット手に入りにくそうなものは、
    Mike Yacht Service Centerが一番正直で、価格も安く、親切である。
    マリンオッサンは自分の店は無く紹介手数料で食っているので、余り信用できないが、Mikeは自分の店に
    仕入れて販売している。
    場所はハーバーを出て、国道を右手に少し(10m)行くとそのまま、まっすぐ渡って300m(Udugama Road)
    程行った所である。
    魚、イカ、エビ等は国道沿いに沢山店がでているので、不自由しない。
    今日は、20cmまでの小さなイカを1Kgs(150ルピー)買ってきて、大半を塩辛にした。
    味は見ていないが、対馬であった、イカ釣り船の漁師に教えてもらった方法である。
    燃料のサービスはGACの事務所で頼めば少しの手数料で船まで配達してくれる。
    金具、工具類は、ゴールの町のバス停留所と電車駅の間の川に沿って右手に曲がって300m位の店である。
    近くのリゾートでゆっくりしたいなら、Unawatraビーチが湾になっていて眺めもよく、ゲストハウスも色々なタイプがある。
    イタリア人オーナーコックのシャレタゲストハウス兼レストランもあった。私は覗いただけで食べていない。
    スリランカでお気に入りは、例の素焼きの大きな皿(30cmサイズ 60ルピー)に入ったヨーグルトに
    蜂蜜をかけて食べるのである。
    毎日1つ買ってきて、半分を夕食のデザート、残り半分を朝の1品にしている。
    素焼きの皿が勿体無いので色々使うが、余り沢山あると、船が沈みそうになるので、処分している。
    何故、素焼きの皿なのか、あれこれ考えた結果、
    1番目、ガラス、プラスチックよりも素焼きの皿が安いから、ガラスやらプラスチックを造る工場が無いかもしれない。
    2番目、ヨーグルト菌が呼吸をするのに、素焼きだと空気を適当に通すから都合が良いのではないか
         という推理であるが、当たっているかどうかは分からない。

25日 船の代理店GACのニューワンが、夕食を誘いに来てくれるが、何か外へ出るのと、人と接触するのが億劫になってしまった。
    スリランカ人は、全てフレンドリー過ぎて、玉石混合良い奴か悪い奴か判断をつけにくいのである。
    殆どのスリランカ人は、利用しようとするか何かねだるかで、対等に付き合える友達が未だ見つからない。
    あと、10日程で、スリランカを出るが、このまま良い友達も出来ずに終わりそうである。
    インドも期待できそうにないが、折角ビザも取ってきたので、一応コーチンに行く事にする。
    遊帆UFOを見る為にスリランカ人、中国人 フィリッピン人 インドネシア人 インド人と色んな人が岸壁から話し掛けてくる。
    決まった質問は、何処から来た?と 独りか?である。
    始めの質問は、日本で簡単であるが、次ぎの質問、独りか?には困るのである。
    見ての通り独りであるが、奥さんはどうした? 何故独りか?との質問が次ぎに来るからである。
    大抵のヨットはカップル又はもっと複数である。
    たった独りは、余程の変わり者か、寂しい友達も無い奴か、家庭に問題のある奴位にしか思われない。
    誰よりも自分自身が一番見にしみて感じている事なのである。
    自分でも何故独りでクルージングをしているのか分からないのに、人に説明できるわけが無いのである。
    カップルで航海しているのを見ると、夫婦共余程の覚悟か、諦めかがいると思う。
    ヨットでの生活は、不自由なのである。
    水 電気共充分には使えないし、船の為に行動は制限される。
    おまけに、足やら頭をぶつけるのは常である。
    航海中は、嵐が来る時もあれば、風の強い時もある。
    船に弱い人なら、船酔いはつらいものであろう。
    この様に書けば、何が良くて航海をしているのか自分でも分からなくなるのである。
    結局この質問には、”No way”としか答え様が無いのである。

27日 海外長距離航海を続けてきて、どうしても必要な物をまとめてみる事にする。
    1番は、GPS 海図は、C-Mapが詳しく潮汐表も付いていて一々紙の海図を買いに行く必要もない。
    紙の海図は整理保管に困るのである。
    2番は、オートパイロットまたはウインドベーン
    3番は水深器 南の海は浅い所が多いので必需品である。
    4番は、テンダーと船外機。テンダーはフレータブルタイプが場所を取らずに便利そうであるが
    ハードタイプの物の方が、海外向きである。
    海岸はさんご礁やら、マングローブやらあり、パンクする可能性がある為である。
    船外機は、3馬力位が適当な様に思う。
    南の海はさんご礁の為,岸から離れた所にアンカーを降ろす必要があり、結構長い距離を走る必要がある。
    5番は、ソーラーバッテリー。もし冷蔵庫を使わないなら、毎日使う電力はエンジンを回さなくても、まかなう事ができる。
    冷蔵庫は三方式の物が便利である。
    12vと AC110v或いは220vと、プロパンガスのどれでも冷えるタイプである。
    私は、Iglooの物を使っているのが、ガスボンベを買ったので、これからはガスで冷やす積りである。
    ガスの場合は換気に注意しなければならないので、遊帆UFOの場合コックピットで使っている。
    6番は、雨水を集めるシステム。海水を真水に変える装置はエンジンを回さなければならず実用的でない。
    南の雨は、綺麗で10分も降ってくれれば、300l位貯める事ができる。
    7番は日除け対策。 私は日除けネットを多用している。強い風でも抵抗が無いのと、風を通す為に涼しい。
    その他、日本との通信手段は、E-mailが実用的である。
    携帯電話は、フィリッピン、マレーシア、タイ等どこでも普及していて、電話機を1つ買えば、それぞれの国で
    ICチップを購入し差し替えればプリペイドカードで国際電話は可能である。
    アンカーのウインドラスについて、殆どがアンカーを降ろす事になるので、チェーン50m+ロープを装備しなければ
    ならず、引き上げるのに人力は大仕事になるので、電動ウインドラスは有る方が良い。
    装備とは関係無いが、海外で野菜、果物等買って船内に直接持ち込むのは、ゴキブリ、蟻等も一緒に
    入ってくる可能性が大きい。
    私の場合は、買ってきた野菜は、コックピットの出きるだけ外側で雨も日も当たらない所に吊るしておく。
    遊帆UFOは、デッキとコックピットに給排水流し台、ガスコンロがあり、外で料理も全てしてしまうので、
    この頃は問題無い。
    以前は、ゴキブリと蟻にネズミまで同居する始末であった。

28日 海底工作船にフィリッピン人4人程が出稼ぎにスリランカの船に乗っている。
    夕方になり仕事も終わると、網を仕掛けてカニを取っている。
    網といっても、80cm四方の網の上部にエサを吊るしているだけである。
    昨日は、腹のサイズだけで、20〜30cmもありそうなカニを5匹も捕まえたそうである。
    ”今日、カニを捕まえたら買うから持ってきて。”
    30分もしないうちに、
    ”オバタ、コレアゲル。”
    そんな訳にいかんから、150ルピーを渡す。
    フィリッピン人は、釣りに関しては、天才的である。
    貧弱な仕掛でも上手に取ってしまう。
    我古い兵器には、全く掛からない。
    私は、釣りは向かんタイプであると諦めている。
    早速、鍋に塩を入れて、釜茹での準備をし、良い湯加減の所で、カニに入ってもらう。
    カニは、片側の足を一杯に伸ばして、釜の淵に引っ掛け何とか逃れようとする。
    私は、その足を箸で摘んで入れようとする。
    逆の立場なら、”人で無しの極悪人め”と叫ぶ所である。
    カニは真っ赤になって、綺麗に茹で上がり、身はしっかりと詰まっていて、御腹に子も持っている。
    可哀想な事であったが、味は最高で久しぶりのご馳走である。
    今日はGAC(船の代理店)に頼んで、燃料100リッター(4000ルピー)を岸壁まで運んでもらった。
    マレーシアより、価格も高く運搬に不便である。
    これで、いつでも出港可能であるが、一応4月3日位までいる事にする。
    この港には、バスで小学生から中学生位までの子供がいつも社会見学にくる。
    先生の誘導により、岸壁から、黒い大きな瞳を輝かして各国のヨットを覗きこんで行く。
    私は、動物園のゴリラになったような気分である。
    ”先生、このゴリラは日本の旗があるから日本産ですね?”
    ”そうだよ、このゴリラは1匹だけだから、カワイソウなゴリラだね。”
    ”先生、このゴリラ頭に毛が無いし、エサ食べてる。”
    ”ほんとだね。何を食べているのかな?良く観察して見ましょう。”
    と言うような会話をしている模様である。
    私は、コックピット内で皆に背を向けてエサを食べているのである。
    動物園のゴリラがふてくされたような態度をとるのは良く分かるのであった。

29日 この港を軍隊が防備しているのだが、朝晩に入口と奥にネットを張って潜水侵入者を防ぐのだそうである。
    おまけにボートで港湾内を走りまわって、時々炸裂弾を放り込むのである。
    この港には、船底に爆弾を仕掛けなければならない軍艦等無く、仮に上陸しようと思えば、ワザワザこんな所に
    上陸しなくても、横に上陸しやすい浜が沢山あるのである。
    国から予算も貰っているし、決められた炸裂弾を消化しないと、職務怠慢に見られるか、来年度の予算を削られると、
    言うような、まるで何処かの国そっくりである。
    ハーバーの出入口は、警察が警備していて、これまた通行許可書がなければ、通過できない。
    社会主義国の監視システムが私に敏感に反応して、何か息の詰まるような感じがしてならない国である。

30日 カミサマに電話をすると、風邪をひいたような声である。
    ”今日は、花粉症がきつうてこんな声やねん。”
    今からこれでは二ヶ月間ほど、毎日可哀想な事である。
    海外で杉花粉症なんて病気はまだお目に掛かった事はない。
    これは、明らかに公害といえるのでは、ないだろうか?
    政府行政指導により、山を広葉樹林から杉山に替えた結果である。
    その為山の保水力も落ち、雨は一気に流れてしまい、川には栄養分が減り、又水の浄化システムも落ちてしまい
    その影響は海にまで広がり、貝やら魚にまで影響するのである。
    陸地では、風が吹くと杉山から黄色い煙が立つように散らばり人にアレルギーを起させるのである。
    子供の時は、山に入ってクリやら、ドングリ、柿、山葡萄等色んな物を取ったが、杉は下草を日陰にしてしまうので、
    他の植物は育ちにくくなるのである。
    現在、沢山の人が花粉症に悩んでいるのに、裁判沙汰にもなっていない。
    オカミにとっては、御しやすいおとなしい国民なのである。
    4月3日頃、一応出港して、インドコーチンへ向う積りである。
    着いた所は、モルデイブになっているかも知れないけれど。。。。
    どちらも、約400マイル程、約3〜4日間の航海である。

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