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      39番 スリランカ ガレ(ゴール)

3月6日 入国手続きの為に代理店の事務所へ行く。
     担当は、Nuwan(あだ名はニューワン)という、30才位の好青年である。
     ”これで、スリランカの何処でも行けます。なにをしたいですか?”
     ”まず、お金を交換と、何か食べたいな。”
     と、言うと、40歳位の小太りのオッサンがコピーした紙を持ってやってくる。
     ”私は Marlinです。ヨットマンのサービス業をやっています。”
     紙には、洗濯 国旗製作 運送 Fax 電話 インターネット ホテル紹介と何でもOKと書いてある。
     チョット、怪しげであるが、どちらにしても訳がわからないので、暫らくはこのオッサンと付き合って、
     見極めるしかないのである。
     乗り物は、タイと同じツクツクという125ccnバイクを三輪車に改造したものである。
     マリンオッサンは、途中で雑貨屋へ寄ったかと思うと、ここでお金の交換が出来ると言う。
     交換レートの何の情報もないので、US$30だけ交換してみる。
     US$1=96ルピーである。 1ルピー=1.3円位と考えておけば良いようである。
     ツクツクは10分位東に走って、細い道を入って海岸にでる。
     湾になって 綺麗な砂浜が連なり、沖には岩礁があり そこで波が立つのでサーフィンをしたりしている。
     いわゆるリゾート地で、ゲストハウスやらホテルが並んでいる。
     ここでも、お客は殆どがヨーロッパ系の人々である。
     ”何を食べます?”
     ”私は食べられない物は何もないから、あんたに任せるわ。ビールだけ冷たいのを頼むね。”
     スリランカ産のビール ”ライオン”を一気に飲む。
     やはり、冷たいビールはウマイな。
     40分程して出てきたのは、焼き飯である。
     ニューワンとマリンと3人で食べて、800ルピーである。
     ”この店は高いね。”
     ”ビール4本も飲んだからね。ビールを店で買うと安いけれどこんな所で飲むと高いんだ。”
     これからは、マリンオッサンにはチョット気をつけなければならない。

 7日 遊帆UFOは、港の入り口のポンツーンに繋留しているのだが、後ろにオーストラリアからきた、
     フレッドと奥さんのヨットが前からここに泊まっていて、来週にチャゴスへ向うらしい。
     何でも、親切に色々と情報をコピーして教えてくれる気の良いオーストラリア夫婦である。。
     私は、久しぶりに沖縄で買ったアルミ製折りたたみ式自転車を引っ張り出し、
     85Kgsの体重に負けない様に、タイヤに空気を一杯入れる。
     この港は、ゲートに守衛がいて、通行許可書を持っている者しか入れない。
     その点、ここは安全で煩わしくない所である。
     私は、一度許可証を見せるだけで、次ぎからは、ツルツル頭が許可証代わりである。
     ゲートでは、マリンオッサン達がたむろしていて、
     ”オバタ。何処行くの?”
     ”自転車で運動を兼ねて、町を見物してくるわ。”
     マリンオッサンは、ツクツクでアチラコチラ案内がてら商売しようと思っていたのでがっかりしている。
     自転車でゆっくりと走ると、前を牛の家族が5頭程もっとゆっくりと道の真中を歩いている。
     後ろから来た自動車、ツクツクは私には警笛を鳴らすのに牛の家族には道が開くまで待っている。
     スリランカは大部分仏教国で牛は神様扱いらしい。
     動物も神様の都合で、汚い動物にされたり、神様扱いになったりするのである。
     と言う事は、マレーシアでは豚肉を手に入れるのは難しかった様に、ここでは牛肉は手に入りにくい
     と言う事である。
     所々に綺麗に色づけされたお釈迦様の塑像が座っている。
     道は概して幅が狭く、店の看板は英語で書いてあるものしか分からない。
     道端で石垣島のパイナップルに似た小振りのものを売っているので、1つ切ってもらって味見する。
     アクがなく甘くて香りもよいので、4個を75ルピーで買う。
     次ぎにスーパーマーケット(30坪程の大きさ)へ行って、コーヒーの粉、豚肉、ケチャップ、
     アイスクリームをバニラと蜂蜜&ナッツ入りのを買って、これは店で食べてしまう。
     インターネットカフェを探すが、今日は回線の調子が悪いらしく明日にもう一度来る事にする。
     次ぎに 果物屋でリンゴ2個 ブドウ みかん オレンジ 等を買い、隣でキャベツとトマトを買う。
     八百屋のオッサンは、筒になった布を腰に巻く伝統的男の衣装を着ている。
     ”あんた、この下はパンツはいているのか?”
     ”いや何もない。”
     ”色々と便利で良いな。”
     オッサンと二人笑いあう。
     わたしも、これを1つ買って着ると便利な上に洗濯も1つで済む。
     日が暮れて腹も減ってきたので、レストランを探すがチャイニーズとかいてあるのは、2軒程見たが、
     スリランカ料理と書いてある店は見つからない。
     諦めて、鉄板の上で何か炒めているのを、注文する。
     自転車は店の中に入れて、カウンターのオニイチャンにワッチする様に頼む。
     お茶も注文すると、ミルくテイーがでてきて、これがとても美味しい。
     ”ニイチャン、もう1つミルクテイーな。”
     これだけ食べても70ルピーである。
     これだけ買い物をしても、ルピーはなかなか減らない。
     スリランカ人は、一般的にフレンドリーで、特に商売になると思うともっとフレンドリーである。
     自転車で道ですれ違っても、ニッコリ笑ってくれたり、声をかけられたりすると、
     ”あれ、この人会った事があったかいな?”
     等と、考えさせられるのである。
     スリランカ人見なれていないせいで、顔が同じに見えるのが困るのである。
     彫りは深く、目はパッチリとして大きく黒い瞳で、私の様にアンパン型ではないのである。
     
     テイーハウスの娘

 8日  自転車に乗って、郵便局へ行く。
      普通の家にあっさりとした看板にPost Officeとかいてあり、中ではオバサン1人がいるだけである。
     親戚に2件とクオさんとで3通の絵葉書を出す。
     今回は、インド洋航海中飛び込んできたトビウオ2匹が主役である。
     切手は3通で50ルピー、図柄は仏教の音楽を奏でる天使が描かれていて綺麗である。
     次ぎにインターネットを探しに行く。
     本屋さんの2階にコンピュータが1台あり、1時間150ルピーである。
     終わって支払いのレジは女の子でお揃いのサリーを着ている。
     ”ビューテイフル、写真とらしてよ。”
     ”ダメ、ダメ”
     変なオッサンと思われているのだろう、拒否されてしまった。
     昨日、目をつけていたレストランは市内中心バス停留所の前、2階にあり、
     自転車をさげて店に入る。
     初めて、レストランらしい雰囲気が漂っている。
     店員は皆自転車が気になって、私の所にオーダーを取りに来ない有様である。
     ”良い自転車だ。これは、いくらだ?”
     と誉めてくれるが、さっきの事さえすぐ忘れるのに、5年も前だからすっかり
     ”記憶に御座いません。” 
     ”この店でスリランカの料理はどれだ?”
     お薦めは、ビーフン麺のフライ(160ルピー)で味はマアマアであるが、ボリュームが有りすぎる。
     2人前はあるだろう。食べきれないが残すのは何か気が引けるのでツイツイ食べ過ぎになってしまう。
     冷たいライオンビール (70ルピー)を注文して、一気に飲む。
     デザートにアイスクリーム(40ルピー)を食べて、もう腹ポンポンである。
     運動と観光の為、城砦の中へ入っていくと、中は町になっていて、ホテルがあったり、
     私設博物館兼土産物売り場になっていたりする。
     店の担当者は、サファイアを薦めてくれるが、猫に小判、ブタに真珠、犬にネックレス(?)みたいなもので、
     一向に興味がない。
     この町の名前は Galle なのでガレと思っていたら、ゴールだという。
     かっては、ここが町の中心だったのであろう、至る所、古い風格のある建物が立っている。
     段々とルピーの価値が分かってきたのである。 
         
     旧ゴール市内               古い建物で木と同化している 町の道路を一般車と一緒に自転車レース

 9日 遊帆UFOが一番涼しく環境も良いので、大半は船の中にいる。
    スリランカは社会主義国らしいというのが、今日分かった。
    それで、役人は誰でもお土産を欲しがるし、横柄な奴が多いらしい。
    一般国内消費品は安く、輸入品はとても高いのである。
    港湾は夜は閉鎖して、漁師の船も入口の所で、出入りの度に申告と検査を受けている。
    時々とんでもないでかい音がして、夜中など何か衝突したのではないかと、慌てて外を
    見まわしても何も無い。
    不思議だなと思って、後ろのオーストラリア夫婦の物知りフレッドに聞くと、
    ”ここの港湾内に、ダイバーが潜入してこない様に、時々水中で爆発させているんだ。”
    ”へ〜。こんな平和な田舎の港で、何てことをするんやな。”
    まだ、分からないけれど、親切そうな奴は、何でも商売にしようとするし、気疲れで嫌になってしまうのである。
    1ヶ月分の繋留費は、払ったから我慢しているとして、気晴らしに列車で旅をする事にしよう。
    もっと、気疲れするかもしれないが。。。
    ここへ到着するまで、スリランカに来るとは思わなかったので、何の情報もない。
    地球の歩き方スリランカ編みたいな、本さえないので、またまた出たとこ勝負旅になりそうである。
    昨日のレストラン(South Cylon)で、チキンカレーを食べるが味はマアマアである。
    帰り道、果物屋で直径25cm位深さ8cmくらいの素焼きの土皿に豆腐のようなものがあった。
    ”これは、何かね?”
    ”水牛のミルク”
    ミルクにしては、固まっている。
    ミルクで出来ているなら、問題ないだろうと1つ買って帰る。
    店のニイチャンのご指導通り蜂蜜をかけて食べると、ヨーグルトである。
    朝食にクラッカーと一緒に食べ様と思っていたが、ウマイので、夜に全部食べてしまった。

10日 朝の涼しい間に、ドライブシステムの再修理をする。
     8mmのワイヤーに交換しブロックを入れてテークルにする。
     これでドライブの上下をコックピットから出きる。
     問題なさそうである。
     次ぎに、燃料フィルターの取り付けである。
     問題点はエアー噛みの為、高速回転するとダウンするので。位置をタンクよりなるべく下にして、
     エアー噛みを防ぐ。
     ギア−オイル、エンジンオイルを点検補充しOKである。
     2番バッテリーは、充電すると、ブクブクと泡が出てくるので交換しなければならないだろう。
     入口の繋留場所から移動して、奥の桟橋に横付けする。
     夕方、日が落ちてから、旧市内城郭内のダッチレストランホテルへ夕食に愛車で行く。
     ビーフステーキとライオンビールを注文する。
     ”このホテルは一泊いくらかね?”
     ”1200ルピーです。 部屋を見ますか?”
     如何にも重厚な階段を上がると、天井は高く、部屋は16畳位にベッドが2つ、次ぎの部屋は8畳くらいで、
     バスタブ、トイレとなっている。
     ”このホテルは、出来て300年ほどになります。”
     表の看板には、1683年設立と書いてある。
     安いし、記念に出港までに、一泊してみる積りである。
     今日ランカウイ出港時に作った白菜キムチは食べ終わってしまったので、ハーバーへ帰る道で、
     八百屋へ寄って、キムチの仕込材料を買うが、白菜がないので、大根と葱キムチを使って
     作ってみる予定である。

11日 昨日買った大根と大根の葉と葱(多分韮だろう)で白菜と同じ方法でキムチをつくる。
     次ぎに、スリッパと麦わら帽子の修理である。
     底と鼻緒の取り付け部分の糊が外れてしまっているので、セール修理用糸と針で縫い合わせる。
     私も、段々と何でも直して使う典型的ヨッテイーになってきた様である。
     仕事現役時代の私を知る人なら、あまりの変わり様にビックリするだろう。
     その頃は、1万円が1000円位に、感じていたのに、今は、10万円位に思えて、
     100円、200円のお金の使い方に神経を使う私に、自分であきれる時があるのである。
     各国貨幣価値と、物価の落差に、一体貨幣の価値基準相場は正しいのだろうかと考えさせられるのである。
     ハーバーで洗濯とシャワーを浴びに行く。
     全部脱いでバケツに入れてジャブジャブ洗う。
     水をジャバジャバ使えるのは、気持ちが良くて洗濯は好きなのである。
     洗った後バケツからコロンと懐中時計が出てきた。
     ”アイタ。シマッタ。”
     と、時計を見ると、水が半分程はいってしまっているが、まだ 弱々しく動いている。
     遊帆UFOに帰って、裏ブタを開けて水を出し、CRCをスプレーしてみる。
     この懐中時計は、カンボジヤのアンテイ−クマーケットで、1912年ものローレックスのコピーもん
     (多分中国製)を1000円程で買ったものである。
     毎日ネジを巻いてやらないと動かない所が気に入っているのである。
     クオーツでないので、問題なく動いている様である。
     今日は、色々修理屋さんの日であった。

12日 バッテリーのシステムを3個まで切り替えできる様にしようと、町へスイッチ、ケーブル、ターミナルを
    買いに行くが、まともなものがないのである。
    こんな事ならマレーシアで、準備しとけば良かったと思っても後の祭りである。
    沢山買いこんでいたカセットガスボンベが無くなってきたので、プロパンガスボンベ5Kgsとレギュレータ
    を買い、町までコンロを買いに行く。
    それらしき店を何軒か回っても、出してくるのは中古でレバーが錆付いて動かない物だったりする。
    何のデザインも無い一口コンロを470ルピーで買って、これからは、こちらを主役に使う事にする。
    同じ桟橋の向い側にスリランカのシュンセツ船が止まっている。
    船長は52歳で家はコロンボにあり、私に一緒にコロンボへ行こうと誘ってくれる。
    1週間の内、金、土、日曜日は家に帰るらしい。
    悪くないアイデアであるが、出きればレンタモーターバイクで気侭に旅をしてみたいので、
    価格を交渉中である。
    夕方になって、この船の船員若い者3人が、クリケットを始めた。
    野球に似ているが、打ちそこなうとアウトになるらしいが、ストライクゾーン等なさそうで、ワンバウンドやら、
    バッターをめがけて投げたりするのである。
    デイナー(イカの醤油甘辛煮と大根キムチ)も終わり、夕涼みに桟橋に上がると、向かいのスリランカ
    シュンセツ船の船員が、魚と大きなカニを罠網で取っている。
    どんな仕掛か見せてもらう。
    円錐形の網の上に小魚を釣るし、魚かカニが入ってきたのを見計らって一気に網を揚げるのである。
    これなら、私のモンドリ網の方がずっと効率が良いだろうと思い、彼等に貸してやる事にする。
    段々とスリランカ人を見慣れてきて、顔付き態度で怪しげな奴を判別できるようになってきた。
    何処の国に行っても、最初に出きる友人次第で印象が随分と変わってしまうのである。

13日 レンタバイクを探しに町に行く。
    いろんな所で、相場を探ってみると、125ccバイクで1日500ルピーの様である。
    親切なのか、商売にし様としているのか分からないオジサンは、私の希望通り10日間で3,000ルピーで
    大丈夫だといっているので、明日朝用意する様に約束して遊帆UFOに引き上げる。
    結局遊帆UFOに入るのが、一番涼しいし何でもできるので、大半船の中にいる事になる。
    夜8〜9時には寝てしまい、朝7時ごろに起きる。
    昼に30分〜1時間昼寝であり、起きている間はご飯の支度と後片付けとシャワーと洗濯と
    お買い物と忙しいのである。
 
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