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       42番 マドラスへ      2003年4月


6日 またまた、コンピュータの故障である。
   海の潮風にコンピューターは弱いらしい。
   Tuticorinを出てマドラスへ向かう。
   随分と歓迎されたが、石炭の積み降ろしの為港湾内は、粉が舞って遊帆UFOはどこも真っ黒である。
   午前10時、出港して北方面(マドラス)へ向かう。
   距離は、約300マイル。
   スリランカと接する所インド領内に大きな高い橋が架かっているらしいのでそこを通過する。
   スリランカ側はJaffnaという反政府組織の支配下で危険地域である。
   18時、夕暮れなので、橋手前40マイルの小さな湾にアンカーを降ろす。
   浅瀬やらリーフがあるので要注意である。
   湾内は、静かで空気も綺麗し、星も沢山見える。
   500m位に砂浜があり、漁師船が2〜3隻泊めてある。
   スリランカ、インドへ来てから、陸側には行きたくなくなってしまった。
   町に おいしい物を見つける事ができない為である。
   遊帆UFOで自炊するほうが旨いのである。

7日 朝6時、漁師が地引網を降ろしている。
   やはりこの海底は砂に海草が生えているのだろう。
   8人乗りで前4人若者が漕ぎ手、後ろに長老が乗って網を降ろす指示を出している。
   網を降ろすと、村人総出で網引きである。
   遊帆UFOの傍に、2人乗りの漁師がやってきたので、魚は無いかと聞く。
   サヨリ(約20〜30cm)を見せてくれる。
   魚を売ってくれというと、バケツの中に8匹も入れてくれる。
   3匹を貰って後を返すと、そのまま行ってしまう。
   チョット、待って。お金を渡すからと、言うと戻ってきて受け取って帰っていく。
   呉れるなら貰っとこうといった感じである。
   スリランカの漁師の様に、寄ってきてはタバコをねだったりはしないがまだ分からない。
   夕方に野菜を仕入れに浜へあがる。
   12〜15歳位の少年、名前はペデイが村の雑貨屋まで一緒に案内してくれる。
   玉葱,ニンジン、トマト、オクラ、卵を買い、二人でコーラを飲んで30ルピーである。
   少年は、遠慮してコーラはいらないというが、一緒に飲もうというと喜んで飲んでくれる。
   この村は、椰子の間に家が点在していて勿論細かい白い砂地で気持ちが良い。
   村人は、殆ど英語を話せ無いが、雰囲気は非常におとなしく、親切である。
   インドは危なそうな奴は、とんでもなく危ない奴がいたりして、懐が大きいというか、深いというか
   スケールが大きく玉石混合である。
   夜は、ピザを食べたくなったので、ついでにブドウパンもつくるが、このメニューに関して、最近はプロ並みである。
   パンも米と同じで何度も作ればうまくなるのである。

8日 風向きがやっと南西に変わったので、いつでも行けるが、ここは、アンカーを降ろし振れ回しにしているので、
   前のハッチから風はいつも入ってきて、日中でも涼しいのである。
   ガスと水の心配があるが、水は、洗物と体を洗うのは海水を使う事にしているので大丈夫である。
   南の海は塩分が少ないので海水で体を洗ってもサラサラである。
   勿論、頭に毛が無いからかもしれないが。
   朝7時、漁師が魚を取って戻ってきたので、呼び止めて魚を見せてもらう。
   京都では、グジというが、赤鯛約40cmがあったので、30ルピーで買う。
   昼は、メインをグジの塩焼きにして食べ、骨と皮を少し焼いて醤油ををいれ、日本酒は無いが、熱いお湯をかけて、
   飲むと最高の味のはずでるある。
   昨日もそうであったが、値段は私の言いなりである。
   少ないとも、多いとも言わないで、にっこり笑ってポケットに入れて去っていく。
   午後3時頃、遊帆UFOの周りで何か叫んでいる。
   髯をはやしたオッサンが、クラゲのように泳いでいる。
   何をする為に来たのか分からない。
   テンダーに上がろうとするので、怒鳴って追い払うが、しつこく遊帆UFOにしがみつき、
   上がろうとする。
   竹ざおで打つ素振りをみせると、またクラゲの様に岸へ戻っていった。
   遊帆UFOがアンカーを降ろしているのは、岸から500m以上はあるが、船は無くても泳いでくるのには油断ができない。
   全く、インドは気の休まる時がないのである。

9日 今日は橋の手前まで行き様子を見るつもりである。
   距離約30マイル近くである。
   インドの海は、エンジン付漁師船が、少ないので、滅多に出会わない。
   この付近は浅瀬、リーフ等いたる所にあるので、海図で正確にコースを決めなくてはならないし、常に水深計を
   注意してみる必要がある。
   橋のフモトの村に帰る漁師船がちょうど前を走っていくので、後をついていく。
   問題の橋が見えてきた。
   高さは十分あって下を通れそうだが、その向こうにもう一つ橋のようなものが見えて、真ん中が跳ね上がるような、
   構造に見えるが、遠いのでわからない。
   石積みの港の外でアンカーを降ろす。
   夜になって、7〜8人乗った漁師船が1隻やってきて、アットいうまに、遊帆UFOに横付けし、カスタムだ、と言っている。
   ”カスタムはツチコリンの港で全てクリアーしている。”
   彼らは、私の言うことも聞かず、一方的に事を運ぼうとする。
   こうなれば、へそ曲がりの私は、カスタムであろうがなんであろうが、喧嘩腰になる。
   相手は、明日朝6時に来る。と言い残して去っていった。
   本当に、カスタムかどうか疑わしい連中であった。

10日 昨夜の事もあり、10時まで待っても誰もやって来ない。
   それじゃ、橋の近くまで行ってみるかと、動き出す。
   途中、ちょっと浅いかなと思いながらも海底は砂地であるのは分かているので、進んでいくとやっぱり砂地に乗り上げてしまった。
   まあ、潮が満ちてくれば抜けられると、お茶を沸かして飲んでいると、コーストガードらしき船が近づいてくる。
   救出するといっているが、こちらはどちらでもよいのでじっと見ていると、一人オジサンが海に飛び込んでロープをもって、  
   こちらに向かってくる。
   こうなると、知らん顔もできないので、協力することにする。
   砂地から引っ張り出してくれて、そのまま港へ逆戻りである。
   港では、白い制服をきちんと着たカスタムが、乗船許可を求めてくる。
   そういう態度であれば、こちらも丁寧な対応にすぐ変化するのである。
   40才前位の堂々とした体格の係官で、研修のため横浜、鹿児島の海上保安庁に行っていた事があるらしい。
   好意的にテキパキと下の者に命令しながら、処理していくが、インドは書類重視の国である。
   彼に、昨夜の件を苦情を言い、安全なアンカーポジションを聞く。
   地元漁師のモリを警備に推薦し、アンカーポイントは、少し西のホテルの前を教えてくれて、一緒に乗って案内してくれる。
   これで、インドに来て、やっと安心して上陸できるのである。

11日 モリに、今日から旅行に何日間か行ってくるから船を頼むといい、ホテルのマネージャーにどこが良いか聞く。
   彼は、コダイカナルが良いところだと薦めてくれる。
   そこは、2000m以上の高地で、寒いらしい。
   ここ Pamban から 路線バスで Maduraiまで約4時間である。
   Maduraiは大きな町で、人と牛とヤギ 犬 等がゴチャマゼにウジャウジャいる。
   失礼ながら、この言いようしかないのである。
   ちょっとシャレたホテルで食事をと思い洋食を注文してみるが、インド料理のほうが美味い。
   インド料理といっても、チャパチー プーリー ドーサという粉を焼いたか揚げたかしたものに、何種類かの野菜料理が
   ついてくるのである。
   普通はベジタリアン料理と書いてあって、本当にこれが野菜ばっかりで料理されているのかどうか、疑う位こってりとして
   美味いのである。
   日本で普茶料理というベジタリアン料理を食べた事があるが、それよりずっと味がバラエテイにとんでいる。

12日 相変わらず、早起きなので、町を散歩する。
   一般家庭の玄関先を、女性が掃き清めて白い砂で模様を書いている。
   家によって、模様は違っているが福を呼び込むマジナイのようなものであろう。。
   7時位になると、ミルクテイーを売っている店がオープンするので、甘いケーキかパンと一緒に食べる。`
   ミルクは家の裏で牛の乳を搾ったものを釜で炊いて、濃い紅茶をいれて器用に容器を入れ替えながら、
   泡立ててクリミーな味にするのである。
   コダイカナルへは、やはり路線バスで、4時間程山道を登っていく。
   車線は、殆どの所が狭く対向車が来れば、ぎりぎりかわしながら山道を登っていく。
   土地は赤土で、痩せている。
   途中何度か休憩ポイントがある。
   着いた所は、涼しく、池があり、道は殆ど坂道ばかりである。
   沢山のインド人が、観光に来ていて、ホテルやらゲストハウスやら、自分の予算に合うところはいくらでもある。
   所が、2〜3箇所あたって見て、どこも部屋が無いといって断ってくるのである。
   どうも、私の格好が胡散臭いように思われているらしい。
   麦藁帽子に赤のバンダナにジャスミンの花輪を載せて、肩からは小さなバッグ一つで着替え等持ってきていない。
   ”これは一寸何か手を考えなあかん。”
   そこで入るなり、日本から来たと名乗ると、今度は荷物はどこだ?と聞かれる始末である。
   パスポートコピーを見せてやっと、150ルピー(500円)部屋を貰うのである。
   部屋はどこでも清潔で、ネズミが出たり、ゴキブリが出たりはしない。
   
13日 周りに滝があったり景色の良いところがありそうだが、私の場合は景色より、人間に興味がある。
   人を見ているだけでも実に様々で面白いのである。
   露天商が何軒か固まっているが、私と良く似た人達である。
   向こうもジッと私を見て、中国人かと聞いてくる。
   いや、日本人だというと、ニッコリ笑って、我々は、Independence of China で10年前にここへ来たと言っている。
   年齢は、30代男女若者たちである。
   中国支配を嫌いチベットから、インドへ逃れて来たのだろう。
   道を歩く人は良い格好をしている人がいれば、地べたに座って物乞いする人あり、日本人のようにある水準と言うのが
   無いのである。
   遊帆UFOをとめている浜で漁師が取ってきた魚を2〜3匹素早く盗んで取っていくオッサンがいる。
   漁師も追い払うだけで、獲られたらしょうがないか。と言った感じである。
   ここインドでは、生きると言う事は、小理屈ではなく、生きるか死ぬかという事であって、
   日本の様に、ある水準以後の生きるとは何ぞやという事とは違うのである。
   町を歩いていると、殆ど裸で毛は生え放題、口に十文字に串を刺して、手に物乞いの皿を持って、店を回っている。
   口を串刺しにして開かないようにしているのなら、食べなくて良いから、物乞いもしなくて良い様なものだが、
   これまた訳が分からず、面白いのである。

14日 旅行社があって、大きな町なら観光マイクロバスがあるが、料金は路線バスの4〜5倍である。
   帰り道も又路線バスを利用する。
   バスの車体バネは、効かず凸凹山道を走ると振動と騒音がすごいのであるが、遊帆UFOで嵐の中を進んでいる事より、
   乗り心地はまだ良いのである。
   途中、5〜6台前方で、追い越しをしようとしたジープとマイクロバスが鼻を突き合わせて衝突している。
   人に被害はなかったようだが、2台とも動かない。
   我バスは、その横をすり抜けて、前方のバスを追い越そうとしている。
   4時間乗って45ルピー(120円程)である。
   Maduraiの町に戻り、どこでも良いので適当に歩いてホテル(170ルピー)にチェックインする。
   地図も無いので、ここがどこか分からないが、インドはどこでも同じ町並みなので一向に構わない。
   町に出て、バッテリースイッチを買いに行く。
   電気屋らしき所へ行き、注文すると、一人ニイチャンが走って出て行く。
   2種類のスイッチを持って帰って来る。
   良さそうな方は、450ルピーもしたが、品質は良さそうである。
   
15日 朝7時、ホテルの前はヒンズー寺院で、前の道は人で一杯である。
   所どころで水やら、ライスやらをふるまっている様で、そこは大変な人盛りで取り合いの為半ば喧嘩腰である。
   色とりどりのサリーを着た女性の後姿は綺麗である。
   日本の僧が着る袈裟にそっくりである。
   路線バスに乗って遊帆UFOの泊めてあるところまで戻ろうとするが、行くのはどこへ行ってもよいので、簡単だが
   戻るのは難しいのである。
   バスのステーションまで、ツクツク(3輪車バイク改造)で行き、路線バスに乗り4時間で戻ってくる。
   モリは、しっかりと見張りをしていたようで、大きな問題は無い。
   ホテルのスタッフ全員も無事戻ってきたのを喜んでくれる。

16日 ホテルのマネージャーが、新聞記者が大勢取材に来ていると知らせに来る。
   どうやら、3社の様で、型通りの質問の後、写真撮影である。
   テレビカメラを回して何かしゃべってくれというので、一寸イタヅラ心がでて、優等生の発言にする。
   ツチコリン港でも、取材されたので、慣れたもので、どうせ日本人は誰も新聞読まないだろうからと、
   日本を背負って立つ様なコメントをしてやる。
   やっと、終わって暫らくすると又違う新聞社がやってくる。
   同じ事を何度も言わされて嫌になってくる。
   有名人の心境が良く分かるのである。
   野菜と燃料を買い、水をタンク一杯にして、ガスも充填してもらい、明日橋を抜ける準備をする。

17日 モリに舵を持たせて橋の手前にアンカーを降ろす。
   モリを警備に残し、地元の漁師が浜まで送ってくれるのでポートパイロットの事務所へ行く。
   ポートパイロットの係官は2人いて、そのうちの一人のオジサンが異常に親切なのである。
   一緒に、橋を管理している駅まで連れて行ってくれて、途中コーラを奢ってくれる始末である。
   オジサンはスタスタと町の写真屋さんへ入っていき、
   ”ここで一寸待っていてくれ制服を持ってくるから。”
   と、言い残して近くの家まで行って戻ってくる。
   オジサンは白い制服に着替えて、白い帽子を被り、私と記念撮影をするのである。
   私の載っている新聞を2誌見せてくれる。
   私が、新聞に載っているので有名人と勘違いしている模様である。
   恥ずかしい気分であるが、書類重視のインドでは、これが幸いしているようである。
   長い間 遊帆UFOを守ってくれたモリにお金と服の着ない物と遊帆UFOサイン入り帽子を渡して、
   別れの挨拶をする。
   彼は口数は少ないが、私の意図するところを読み取りいい仕事をしてくれたのである。

18日 朝、例の親切オジサンが娘二人を連れ、ミネラルウオーターとビスケットを差し入れに持ってきてくれる。
   11時、アンカーを揚げオジサンがラダーを持って、鉄橋が跳ね上がるのを待つ。
   ”あの橋は、モーターで動くのか?”
   ”いや、人力で15人で動かすんだ。”
   ”料金165ルピーは安いな。”
   道路の橋の方は、観光バスやらマイクロバスやらが止まって、上から遊帆UFOが通過するのを見ている。
   11時30分、オジサンの舵取りで無事に橋を通過すると、橋のあちらこちらで一斉に歓声があがる。
   親切オジサンに何度もお礼を言って、マドラスに向かう。

20日 15時マドラス到着。
    港は2つあり、大きいほうは、ツチコリン港と同じで石炭積み下ろしをしているので、小さい港に入る。
   こちらは、地元漁港で、真ん中にアンカーを降ろす。
   勿論、色んな奴が、やってくる。

21日 朝、2人組みの漁師が材木を6本寄せた筏船でやってきたので、遊帆UFOの警備を頼む。
   彼らが、警備か泥棒か区別がつかないので、デッキにあるものは全て中に入れ、ドアーはチェーンで2つ鍵をする。
   ツクツクで町まで出るが、マドラスの町は大きいのである。
   鉄道の駅の近く、City Tower Hotelに680ルピーで泊まる。
   お金も沢山余りそうなので、贅沢に良いホテルにしたのである。
   フロントで、怪しまれないように新聞を見せると、待遇は一変するのである。
   新聞は、取材されるときは、何度も同じ事を言わされて、閉口したが、書類重視の国インドでは、これは以外に
   効き目があるのであちらこちらで使う事にする。
   部屋は、テレビがあり、CNN ニュースやら、HBOが見れる。
   イラクの戦争は、ほぼ終了のようである。
   アメリカは石油利権を手に入れて、膨大な軍事費の元もとれ、大儲けである。
   戦国時代歴史を見れば、勝組に入った方が、栄え、負け組みはお家断絶、取り潰しになるのである。
   その観点から言えば、日本の決定は正しいのに違いないが、その後国益に繋がっているのだろうか?
   戦後復興等と聞えの良いお金のいる仕事ばかりやらされて国益になっているのだろうか?
   民主主義、資本主義は、富も力も大きく、数の多い方がドンドンと集中して大きくなる仕組みなのである。
   この度の件でも、自衛隊派遣で議論沸騰だったのであろう。
   政治家も大義名分、奇麗事ばかりいって、国民に嘘を言うのはいい加減に止めにしたらどうか。
   自衛隊は軍隊ですとはっきりいって、出動する権限は、首相のみ全責任を負いますと言えばよいのである。
   小手先の憲法解釈で動かすほど危険な事はないのである。
   等と、政治家の様な事を考えながら、暑いシャワーを被るのである。
   シャワーは、熱いお湯が出てくるのは、3ヶ月ぶりだろうか?
   感激して、30分位シャワーをかぶる。
   レストランのインド料理も味がよく、大変満足である。
   フロントで、大きなスパーマーケットを教えてもらいツクツクで行くのであるが、ツクツクが大変なのである。
   一々料金の交渉をしなければならず、こちらは距離は分からないので、料金もいい加減に交渉する。
   教えてもらったところは、スペンサープラザという寄り合い所帯のデパートのような所である。
   本屋に入りDanielle Steel の Bittersweetを買い、コンピュータのフロッピーデスクドライブを買おうと見てみる。
   どうせ、ルピーは余りそうなので、使おうという考えである。
   
22日 食料とコンピュータフロッピードライブを買いに、もう一度スペンサープラザへ行く。
   遊帆UFOに一度戻り、荷物を置いて、出国手続きに行くが、港のイミグレションは、入港許可書がないと入れない。
   どうすれば、良いのか聞くと、市内本部へ行ってくれとのことである。
   市内本部のイミグレで、書類を書いて出すと、
   ”あなたは未だビザの期間が残っていますから、そのまま出て行って結構です。”
   ”けれど、飛行場だと、出国の時にハンコを押すやろ。”
   ”飛行場では、そうですが、船の場合はいりません。”
   と言って、聞かないのである。
   骨折り損だが、考えて見ると、入国は審査がいるが、ビザの有効期間内だとインドに滞在してよいわけだし、
   例え、その人が出て行ったとしても、インド政府の関する事ではないのかもしれない。
   そういえば、ヨーロッパ等も、パスポートにハンコを押したりはしなかった。
   遊帆UFOに帰り、17時出港である。

   出港して2日間は、風があってセーリングできたのに、200マイル程はなれた所で全く風は無くなってしまった。
   エンジンで走るが、問題発生である。
   回転数を上げると、1時間位して止まってしまうのである。
   エンジンだけで回転数を上げても問題なく回っているようである。
   原因を考える。
   1:燃料系統のエアー噛み。
   2.負荷がかかると止まるのだから、ドライブ異常。
   結局 1のエアー噛みしか考えられないが、場所は、メインタンクからエンジンまでの間に燃料フィルターがあるので、
   これが、問題である。
   メインタンクから、直結して問題解決であるが、どこかで、リザーブタンクを手に入れて、リザーブからメインの
   間に、フィルターをつけ、重力でフィルターを通過させるようにするのが、良さそうである。

   目的地は、一応アンダマン諸島のポートブレアーか、タイのプーケットを考えている。
   ミャンマーは、ヨットではいけないのであろうか?
   ポートブレアーに着いたら、調べて見る積りである。
   今日は27日、エンジントラブルやら無風の為距離は出ていないが、食料はまだあるのでゆっくり行くつもりである。
   昼は、暑いが、夜になると涼しく、夜空も大変に美しい。
   インド洋は、水の透明度は、良く、色は明るいブルーで水に入っても気持ちが良い。
   エンジントラブルで止まっている時、船の周りに沢山の魚が泳いでいるので、竿を持ち出して、今晩のオカズを
   釣ろうとする。
   2回、食いついたのだが、2回ともばらしてしまった。
   やはり、釣りは下手である。

   今回インドについて、遊帆UFOの為にゆっくりと、見て回る事もできなかったが、独断と偏見でまとめてみる。
   やはり、インドは、最初の印象通り、玉石混合、面白&不思議の国である。
   是非とも、カースト制とヒンズー教について、誰かと、話し合いたかったが適当な人物がいなかったのである。
   カースト制については、教育システムの無い昔は、親の職業を受け継ぐのは、ノウハウ伝授も簡単な為だったのではないか。
   又、昔の日本でもイギリスでも、一部貴族等は、高い教育を受け、事が起これば国の為に働くシステムがあり、この様に、
   身分差別がありながら、効率的社会システムになっていたのではないだろうか?
   人間は本能的に差別を好む所があり、段々と差別化が進んでいったのではないか?
   民主主義は、ある教育水準がなければ、国民は、自己利益のみ主張して愚集政治になったのではないか?
   日本は、民主主義だと思っているが、自分で勝ち取った民主主義でないため、民主主義は自己の権利のみ主張するものだと、
   勘違いしているのである。
   政治家も、地元やら、支援団体(族議員)利益追求の為に活動し、税金を分捕ってきたりしたら、もうエライ先生なのである。
   日本は民主主義国家ではなく政府主導管理の社会主義国家である事に気がついていないのである。

   ヒンズー教については、全く分からないが、寺院は沢山の神様が、祭ってあるところを見ると、日本の八百万の神的、
   土俗、自然発生宗教で、一神教ではなく、多神教のようである。
   そして、生活に密着した御利益ありの宗教である。
   コーランやら聖書やらお経があって修行したりする必要など無く、難しい理屈はなさそうである。
   一神教の場合、神に同等の力を持つ悪魔がいて、滅ぼすべき存在であるが、
   多神教の場合、いたずら小僧か、鬼位のもので、殺したりせず、懲らしめる程度である。
   私の独断と偏見では、次世代新宗教は、多神教で、キリストもマホメットも釈迦もヤーべもみんな認め、自分だけが
   絶対唯一の神であるなんて事は言わないように、神様同志でよく話し合って折り合いをつけてもらいたいものである。

   インドの人々の生活を見て、無の思想、輪廻の思想等、素直にそのまま受け入れられるのである。
   今、食べて生きるのみで、明日も昨日も意味が無いのである。今を一生懸命生きるのみである。
   人としての誇り、自尊心、恥等も生きた後の事である。
   男の人は、海岸の波打ち際でウンコをし海水でお尻を洗って、ウンコはプランクトンが食べ、プランクトンを魚が食べ、
   魚を人が食べるのである。
   インドは、殺生しない国の為、食事はベジタリアンである。魚と鶏とマトンは食べて良さそうである。
   もしインドでこの事が守られていなかったら、牛等はとっくの昔にインドからいなくなってしまっていたのではないだろうか。
   何でも食べてしまう中国と対照的でありながら、どこか似ているのである。
   インドでは、食事は自分の右手で食べるのは、衛生の問題があるためではないか?
   水を飲むのも、口を大きく上に開けて、コップから、流し込むのである。
   人が洗ったものは、信用できない為ではないか?
   中国でも、綺麗なレストランで食器がでてくると、各自熱いお茶で全部洗ってから食べるのである。
   もし、日本のレストランか割烹屋で、この様にしたら、店の主人は怒るだろう。
   日本人は、純粋培養からか、他人を信用しやすいのかも知れない。
   この為私も痛い目に何度かあっているのである。

   インドでは、やはり女性の働く姿を殆ど見ない。
   レジやら、レストランやらバーやら仕立て屋でも全て男性か男の子の仕事である。
   バスに乗っても、男女の席は分かれていて、男女相席はしないのである。
   これは、女性差別なのか、女性保護なのか。
   インド人に聞きたいところだが、多分、宗教か習慣でこうなっているのだろう。
   先進国といわれる所では、男女平等ということで女性の社会進出が普通になっている。
   一方家庭崩壊と離婚と少子化の問題も抱え込んでいるのである。
   日本でも電車の女性専用車を作ったような事をニュースで見たが、良く考えて見ると、一寸矛盾しているのである。
   痴漢防止の為ということで、車両を分けるのだが、インドのバスを見て何か変な事に気がついた。
   もし痴漢がいるなら、被害にあった女性はその場で徹底して、痴漢と戦えば良いのであって、保護して貰うのは、
   既に、女性差別になっていないか?
   男女平等、自立とは、そういう事なのではないか?

27日 アンダマン諸島ポートブレアーまで、残り320マイル、4日間位の感じである。
   Vベルトが切れたが、エンジンは調子よく回っていて問題ない。
   カツオがアチラコチラで飛び跳ねているが、一匹も釣れない。
   1匹でも釣れたら、新鮮な魚が食べられて、何日でも苦にならないのだが、今は缶詰食メニューになっている。

28日 相変わらず無風である。
   15時頃、前方30マイル位の所に雨雲が出てきている。
   その端を掠めたが、突然の嵐で、風速30ノット以上、船足9ノットでているが、風を逃がすのに風下に走っているので、
   距離はプラスにはならないが、気分は爽快である。
   風が風速以上に重い感じである。
   うねりは大きく本格的な嵐になる事を想像するとと、油断できない海である。
   30分位南に逃げて、嵐は過ぎていった後、イルカの訪問である。
   彼らを見ると、一遍に笑顔になり、嬉しくなるのは何故だろう。
   イルカがクラゲの大群ならゾッとするのである。
   イルカと人間は通じ合うのだろうか。
   口笛を吹き、船を叩いて呼ぶと必ず船首に来て、一緒に泳いでいくので、犬に近い動物ではないか?

29日 全くの無風が続いている。
   14;30分 ギアーが滑ってスクリュウが回らなくなる。
   こうなると、風を待つだけで1日30マイルほどしか進まない。

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