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    61番 お盆帰国     2004年7月28日〜準備中

7月28日 今回7ヶ月ぶりの一時帰国となる日が近づいてきた。
     遊帆UFOも久しぶりに船体を洗い、アウトボードエンジンを水洗いし、デインギーを貝落としをして
     日除けテントでカバーする。
     幸いIsaacは、8月中はまだこのハーバーにいるとの事なので、来月分繋留費270rmを預かってもらう。
     ハーバーの職員に2ヶ月分まとめて払うといっても受け取らないのである。
     それに例えば50日間繋留する場合、当然1ヶ月以上だから、50日(繋留日数)x1rm(日当たり)x9m(船体長さ)=450rm
     の筈が、30日x1rmx9m+20日x2rmx9m=630rmという計算になるらしい。
     遊帆UFOはカタマランの為、どこのハーバーでもモノハルの1.5倍増しの料金をとられるので、
     600rm/月以下の所は殆ど無い。
     水と電気を心配なく使える生活ができるので、このハーバー少々の不便と波に叩かれる事は問題にならないのである。
     食料も買い足しをせずに、出来るだけ使い切るように料理をする。
     
 29日 冷蔵庫が使える生活は、独り生活の私には大変メリットがある。
     殆どの食材特に肉類が1パックの量が多すぎて使い切るのに苦労するが、冷蔵庫があると保存ができる。
     勿論、冷えたビールは格別ウマイのは言うまでも無い。
     船に乗っていると、足腰の運動が足りなくなり弱ってくる。
     隣の、エニグマとテキサスの船の奥さん方は、夕方ジョギングをしている。
     寝転んで本を読みながら、足を上下させている人もいる。
     レージーな私は、この様な運動は3日も続かない。
     今は、レンタバイクがないので、折り畳み自転車で動いている。
     これは、強制的に運動する事になるので私には、いいようである。
     クオさんの所まで約20分、近くのスーパーマクロとインターネットまでも約20分、ジョージタウンコムターまでは
     40分かかりこれは大変な運動になる。
     この頃、日本は36度にもなるそうだが、こちらは爽やかで直射日光さえ受けなければ過ごしやすくなってきている。
     京都は特に暑く、暑さに慣れた私でも参ってしまうかもしれない。
     今、雷と共に雨が降り出した。
     天からバケツをひっくり返した様な雨の降り方で30分もすればからりと晴れるのである。
     私は、水の補給の事もあるがこの雨が好きである。
     けれど雷にはピカッと光り、近くに落ちる迫力ある大砲の様な轟音には首をすくめてしまうのである。

     7月26日付 Star Maritime 新聞の海賊情報抜粋
     マラッカ海峡とインドネシア海域で海賊多発生
     2004年1月から6月までに下記の様な海賊の被害報告がされている。
     インドネシア 50件、 マラッカ海峡20件、 マレーシア 5件、 シンガポール 7件、 南シナ海 7件、
     バングラデッシュ 9件、 インド8件、 ナイジェリア13件、 ガーナ 5件、
     分析によると、攻撃目標 タンカー33件、 バルクキャリアー(コンテナー船を含む)26件
     今年最も深刻な事件は1月5日インドネシアタンカーがマラッカ海峡で武装した海賊に襲われ、
     13人のクルーが人質となり身代金の要求を1ヶ月に渡って交渉中 8人のクルーが海へ逃れたが
     4人が撃ち殺された。
     当局の発表では、特に危険地域はスマトラ島の北端アッカ(Aceh)海岸である。
     海賊情報サイト: www.icc-ccs.org

8月1日 午後7時、クオさんがペナンの飛行場まで送ってくれる。
     ”オバタ、その格好で帰るのか?簡単だね。”
     小さいリュックに着替えが1枚、パスポートと本位しか入っていない。
     服は、ズボンとシャツにスリッパ姿である。
     1時間程でシンガポール空港に到着し、フリーのインターネットでメールをチェックすると、カミサマから
     化粧品の注文が入っている。
     フリーのインターネットが高くついてしまった。
     シンガポールから関空までの機内は、久しぶりの映画ビデオに寝るのを忘れてしまう。
     眠たい目をこすりながら、税関でのチェックで怪しまれてしまう。
     ”今回、どこからですか?”
     ”マレーシアからです。”
     ”荷物それだけですか?何日間ですか?”
     ”半年ぶりです。”
     小さなリュックから、服のポケットまで調べられる。
     相当に怪しい奴と思われたようである。
     京都に帰り、お土産と夜のおかずを届ける理由で孫の顔を見に行く。
     もう少しで1歳になろうとする孫は、前は寝たままだったので今回が初めての御対面みたいなものである。
     人見知りの為に泣かれるかなと心配したが、顔をみるなり手を伸ばしてきて、泣かない。
     我が子の場合と孫ではこちらの心構えも違って並列関係のように思うのである。
     これから1ヶ月できるだけ一緒に遊びたい所である。

 8日 毎年恒例の大津花火大会が始まる。
     柳が崎ハーバーからは、花火見学は特等席である。
     K先生は、肉を仕入れて来て準備万端である。
     生肉をオオトロに見立てて握り寿司を作ってくれているが、絶品である。
     この時は、普段会えない人も花火見学に集まるので一度に会えて便利である。
     今年の花火は天気も良く、西からの微風で花火が綺麗に見え、又 規模も少し大きくなったようである。
     勿論、去年から花火打ち上げ中は、ビアンカ、ミシガン等営業船以外個人の船は、琵琶湖航行禁止で
     水上警察の船がパトロールする始末である。
     親が子供に注意するように
     ”危ないから、これはしてはいけません。”
     と、言っているみたいなもので、国は国民を子供扱いである。
     又、観客も自分が出したゴミも誰かが後始末してくれるだろうと、無責任にそのままに帰っていくのである。
     未だに国民は子供のままが居心地がよく、大人になりたくないらしい。
          
 15日 アテネオリンピックを見る為に徹夜である。
     どの国の選手もいい顔をして入場行進をしている。
     初めて耳にする国も沢山ある。
     主催者側の演出により、世界平和の中のオリンピックが強調される。
     開会式の間だけでも、世界の人々が平和の重要性を認識できれば意味があるだろう。
     日本の終戦記念日に重なるオリンピック開会式は平和な世界の大切さを思い起こしてくれる。
     私も、沖縄からフィリッピン、マレーシア、インドネシアをクルージングし始めて日本軍の侵攻と
     その戦いを知ることになった。
     戦後ベビーブーム第1団塊世代の我々は学校では第2次世界大戦の細かな顛末も知らされなかった。
     各国の戦争博物館で資料をみると、侵攻された国の人々も侵攻した日本軍人もお互い悲惨で
     胸にこみ上げてくるものがあった。
     人類は戦争の歴史であり、同じ間違いを繰り返す地球上で最も馬鹿な生き物なのかもしれない。
     しかし、一方で光り輝くような素晴らしい面を見せる2面性を持っている。
     今回のオリンピックは我々団塊の世代の子供達が主力となって競技するのである。
     オリンピック代表選手は、今から一生思い出として残る物語が始まるのである。
     それが笑顔なのか涙なのかは大して問題では無い。
     国のお金で出場しているんだから何が何でもメダルを取らなければならないという政治家もいる。
     しかしスポーツは勝ち負け順位があり、全選手がメダルを取れるわけではないし、
     プレーをするのは選手自身であるから自分を100%表現できれば良いのであろう。
     自分のオリンピックにすれば良いのである。
     日の丸と国歌に馴染の少ない若い世代の人々に国家の威信を背負わせ競技の結果を望むのは無理である。
     政治家の言う国家の威信と国益の為には政治家自身がオリンピック選手と同じくらいの汗と血をと涙を
     流しながら努力すればよいのである。
     それが政治家という職業に課せられていることであり、責任であろう。
     オリンピック選手の様に、国の威信と国益の為の外交交渉に負けて涙している政治家を見たことはないのである。

 19日 ”ユキさん、K先生 晩飯おごるし 王将の餃子、ラーメン、マクドナルドの3択のどれにしょう?”
     ”マクドナルドは外して回転寿司にしてくれ”
     との3択にならない要望に答えることになる。
     琵琶湖のヨットハーバーの近くに回転寿司の店に行く。
     K先生は行きつけているのか、店内に入ると直ぐに名前を書いている。
     ”席、開いてるてるから、何処に座ってもええのんとちゃうの?”
     と、言っているうちに
     ”何人様でございますか? ハイ、3人様、こちらへどうぞ。”
     席に着くなりマニュアル通り録音したかのように喋って行く。
     ”なんや、マクドナルドと一緒やないか。”
     ”早口で喋って何言うとんのかわからんな。”
     最近のこういう店はどこへいってもこの様にマニュアル化されていて面白くない。
     経験豊かな我等の世代退職者を雇って見たらどうか。
     若いオネエチャンより味のある応対が出来ると思うのである。
     かって、フランスへ行ったときレストランでは経験豊かなオジサンが言葉の不自由な私の気持ちを
     察して、気を使いメニューを薦めて何の不自由もない様にサービスをしてくれたものである。
     さすが伝統文化の厚みがある国は違うと思ったものである。
     日本も伝統文化の厚みはあるはずであるが、それにこだわるフランス人と、何でも捨てたがる
     日本人との気質の違いであろうか。

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