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第62番 お盆が終わりペナンに戻る    2004年9月〜

8月30日 台風16号とすれ違いながらシンガポール経由でペナンへ戻る。
    京都の家を出てペナンの遊帆UFOに到着するまで、待ち合わせ時間も入れて13時間である。
    本当に速くて便利であるが点から点の移動なので外を見る事ができないが、
    機内では赤ワインを飲みながら映画鑑賞という贅沢さである。
    マレーシアのイミグレもカスタムもノーチェックで外へ出ると沢山のモスリム家族が出迎えている。
    モスリムの人は聖地メッカへ行くのが何よりも重要な事なので、お年寄りも車椅子に乗りながら
    巡礼にいくのである。
    メッカ巡礼をした人は、特別扱いで周りの人々から尊敬されるらしい。
    日本でいうと江戸時代の伊勢参りのようなものであろうか?
    手荷物カウンターにはポリタンクに入れた聖水が次から次と出てくる。
    偶像を書く事も彫ることも出来ないモスリムでも、御土産物はモスリム宗教グッズがあるに違いない。
    勿論、子供から孫まで親族全て出向かえに来ているようで大変な混雑である。
    その中を私は一人タクシーに乗ってヨットハーバーまで帰る。
    遊帆UFOだけが私の帰りを待っていてくれたのである。

9月1日 コンピュータのキーボードの一部文字が打てなくなる.
    コムターのコンピュータショップでUSB外付けキーボードを35rm(1000円)で買う。
    接続しテストすると問題無い。
    海でコンピュータを使うと故障が多くなるのは仕方が無い。
    コンピュータは潮風に弱いのである。
    ハーバーで出会う人達は、日本で楽しく過ごしてきたか?と聞いてくれるが返答はチョット複雑である。
    実の所 日本よりこちらの方が住み易いのである。
    日本の物価の高さと何か全てが型にはまった感じが私には合わないのである。
    今回 外付けDVDドライブを持ってきたので、DVDムービーを6RM(180円)で買ってきて
    見て楽しんでいる。
    小さなデイスクに映画が2本入っているものもあり、字幕も6カ国語が入っていて選択できる。
    生憎と日本語字幕は無いが英語字幕であればそこそこ理解できるので映画より見やすいのである。
    しかも、日本のレンタル価格で買えるのである。

 3日 日本で買ってきたソーラーパネル50w 2枚を据付するのに隣のノルウエー人 イメイルに
    アドバイスして貰う。
    ヨットマンは何でも良く知っているし、何でも自分で修理するのが普通である。
    チョット分からない事があると近所の船に聞くと誰かが親切に教えてくれるのである。
    彼は私と同じくシングルハンドでクルージングしていて、60歳代である。
    船のデッキには訳の分からないものを満載していて、年季の入った感じである。
    遊帆UFOも無いものは無い位色んな物を積み込んでいるが彼の船程ではない。
    彼は自転車の後に草刈機のエンジンを載せてチェーンで動力を伝える様に改造している。
    ギアーの問題が未だ解決していないらしく毎日修理している。
    オリンピックの競輪競技を見ている時、先頭にこの様な動力付き自転車で先導しているのを見た。
    電気モーターで動く自転車はあるが、電気補給の問題があるので難しい。
    バッテリーとソーラーパネルが改良されて、小さなパネルで日光があれば永久的に走れるように
    なれば、ヨットも風と太陽で何処までもいける夢のヨットができるだろう。

 5日 ここ2〜3日時々風速40ノット位の風雨が雷と共に30分位続く。
    Jabatan Yacht Harborは、防波堤がないので波が直接入ってくる。
    東側には メガヨットが3隻繋留されているが、風でポンツーンに押し付けられ、且つローリングの為
    クルーは勿論近所のヨットマン総出でフェンダーを挟み込むのを手伝う。
    9月中はこんな天気が続くだろうが10月からは乾季に入り、風も北東に変わりよくなるだろう。
    そうなれば、再度プーケットへ行こうと考えている。
    クオさんが新しくバイクを買って私にレンタルしてくれている。
    ホンダの台湾製らしく 4サイクルエンジンで少し大きいが乗りなれれば、なかなか乗り心地がよい。
    クオさんの奥さんが建売住宅の広告を見ているので、いくら位か聞く。
    日本円で200万円から300万円で、日本で買うと10倍位はするだろう。
    日本人は家を建てるのが、人生の目標の一つであり、その支払いに一生掛かるのである。
    支払いが終った頃には、家はボロボロという状態である。

 7日 遊帆UFOのエンジンの燃料漏れを探すと以前に燃料ポンプを交換した時に、銅ワッシャーを
    落としてしまいそのまま接続していた所から漏れている。
    ペナンの金物屋はチョット高目だが、小さな部品でも何でも揃う。
    金物屋のスタッフに顔を覚えられているので、何故そんなに色んな物を買いに来るのかと尋ねられる。
    船の修理中だというと、納得している。
    銅ワッシャーを交換し、スターターのリレースイッチの通電を修理し、エンジン関係は今の所問題なしである。
    ソーラーチャージャーはコントローラーとアイソレーターを入れて、日中は6アンペア流れる様になり、
    これで日中は冷蔵庫を使う事ができる。
    バッテリーが設定ボルトになると、コントローラーが働きスイッチが切れる為オーバーチャージの心配はなくなった。
    夜は、保冷材をいれているのでスイッチを切って冷えが続くかどうかである。
    インナーシートを引き込むのに、ウインチを両側に付けたので、インナーセールも扱いやすくなった。

 9日 このハーバーにいるドイツ人ルデイは高血圧で軽い脳梗塞で3〜4日入院していたそうである。
    左半身が痺れるといいながらも、割と元気に歩いている。
    私も注意が必要なので、極力運動をするという方針に切り替え、バイクはクオさんに返し、自転車で
    何処でも行くようにした。
    ハーバーからジョージタウンまでは約40分、始めは海岸遊歩道を走る中々の良いコースであるが、
    街中に入ると、バイクと自動車に挟まれながら行かねばならない。
    以前は水上生活者の居住地区であった所は、どぶの匂いと大量のゴミが海に流れ出し汚れるので、
    海岸を埋め立て、そこに高層アパートを建てている。
    その為か、今年は去年より海にに浮かんでいるゴミが少なくなっている。
    最近気がついたことだが、女性の町子巻きスカーフ姿が減っているように思うのである。
    モスリム宗教の決め事の中で、この女性の町子巻きから崩れていくのではないかと考えている。
    女性のファッションに対する要求をモスリム教義でどこまで押さえられるかが見ものである。
    日本でもミニスカートが流行だといえば、パンツが見えようが関係なくミニスカートを履く女性の
    ファッションと美を追求する熱意をマホメット様は計算に入れていなかったように思えるのである。

11日 自転車でジョージタウンへ材木を買いに行く。
    町へ入る入り口の所にチャイナタンが固まって集まっている。
    殆どの家が何か商売をしている。
    材木屋を見つけ材料を探しにかかると、年の頃60台聾唖のオッサンが手振りで話しかけてくる。
    このオッサンは大変気働きが良く、こちらが欲しいマリンプライウッドを見つけ出してきて、
    小さく切断する所までしてくれる。
    自転車の後に括りつけるのに紐を持ってきてくれるし縛るのを手伝ってくれる。
    最後、切断料まで請求するしっかり者である。
    自転車では一度で運べないので、明日又来るからというと残りを保管していてくれるのである。
    チャイナタウンを通り抜けるとリトルインデイアで、昼御飯にカレーを食べる事にする。
    カレーは2種類あって、日本のカレーライスに似たものとベジタリアンカレーである。
    日本のカレーに似たのはメイリンホテルの下の角店で、オッサンばかりの店である。
    ここはチキン、魚、蝦、イカ、卵 野菜とあって 味は絶品である。
    昼時はお客が溢れている。
    もう1軒は町の真ん中にあり、ベジタリアンカレーが主である。
    このカレーはヨーグルトカレー、椰子カレー、野菜カレー チャパテイ、ドーサ、プーリー等
    その他色んな種類のカレーがある。
    アンダマン諸島のカーニコバル島で約1ヶ月間毎日3度食べたカレーがこの店のカレーなので
    今となっては、何故か時々無性に食べたくなるのである。
    私の独断で、このカレースタイルはインドの南部地方の物であると決め付けている。
    日本で普茶料理があるが、インドベジタリアン料理から伝わったものであると
    これ又決め付けている。
    インドベジタリアン料理のコッテリした味付けと、野菜食材の上手な使い方に感心し、
    何とか真似できないものかと考えながら食べているのである。

12日 遊帆UFOの迎えのポンツーンにニュージーランドから来た、ダブルエンダーのパイロットハウスという
    個性的なヨットがあり、緑を自分のカラーにしている。
    年齢は夫婦共60代後半にしか見えない。
    船名は”デユエット”お二人にピッタリの名前である。
    勿論何をするのも夫婦一緒でシャワーを浴びる時でもお互いにシャワーを掛け合い
    毎日夕方5時頃になると、テーブルに向かい合って座り、ワインを1時間かけて喋りながら飲んでいる。
    彼等の様なヨットライフは何故私にはできないのかと、何度繰り返し考えた事だろう。
    独りぼっちのヨットライフはやはりどこか変なのである。
    喜びも苦労も一緒に味わってこそ夫婦であろう。
    どこで譲歩し妥協点を見つけるか難しいのである。
    年を経た愛の在り方は若い時の愛以上に人格の幅が必要な様である。

19日 ここJabatan Yacht Harborも狭い上に安い繋留費の為、出港する船が少なくいつも満杯状態である。
    ポンツーンに繋留するとなると総出で押したり曳いたりしながら入れなければならない。
    このハーバーの南側には水上警察のハーバーと官舎兼宿舎が建設中である。
    又、ジョージタウンの近くに本格的ヨットハーバー(料金高目)が来年当たりにできるらしい。
    モスリム1本のランカウイと自由度の多いゴチャマゼペナンでは断然ペナンの方が良い。
    そのランカウイからネッシーさんがペナンへ自分の船でやってきたが、繋留スペースが無いのである。
    私は毎月20日で1ヶ月の契約期間が切れるので、出港しようかどうしようかと迷っている。
    自称他称共認めるレージーセーラーの私は、ここを出る踏ん切りがつかないのである。
    ここで出ないとズーッと居ついてしまいそうな怖さを感じるのである。

 21日 Issac と ネッシーさんと4人で相談の結果 インドネシアへ行こうという事になる。
    皆さんはマレーシア滞在3ヶ月ビザが切れ掛かってもいる為もある。
    そうなると2回もインドネシアに行っている私が案内役となる。
    23日のペナン発べラワン港行きフェリーの切符を買いに黄(Issac夫人)さんとバイクに乗っていく。
    フェリー乗り場はジョージタウンの北側にあり、往復切符160RM+Tax10RM+バス代4RM、
    合計174RM/人を支払う。
    受付のオネエチャンに、23日朝8時までに必ずここに来てくださいと念をおされる。
    帰りの予定は未定、目的地はトバ湖とし、帰りは一応バラバラ好きに行動するという事にする。
    勿論 帰り道は黄さんとシコシコ麺を食べて帰ったのである。

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