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    60番 ネッシーテスト航海   2004年6月21日〜更新中


6月21日 ユキさんは、ナコンサワンから一人バスに乗ってプーケットまで帰ってくる。
    昼過ぎ、ネッシーさんも石垣島から帰ってくる。
    石垣島から帰ってくるといういう言い方は変の様だが、この言い方の方が今回の彼には合っているだろう。
    明後日の、テスト航海の後、ピーピー島、ランカウイ島へ船を持って行って、売買手続を完了後、来年5月位まで
    この辺りを航海しながら、ヨットライフを楽しむ為である。
    勿論、テスト航海には私もユキさんも乗り込む予定である。
    ”今日は、パトンビーチでタイダンスショーでも見に行きませんか?”
    と、ネッシーさんに誘われた私達二人暇人は勿論頷くのであるが、
    ”そんなタイダンスのショーをやっている所なんてあったかいな?”
    と、私は不思議に思うのである。
    イタリア料理後、8時からの開演に合わせて車はバトンビーチから北へドンドンと進んでいく。
    カマラビーチ辺りで、ファンタシー(Fantasea)というデイズに−ランドを小型にした様な所へ入っていく。
    ”ネッシーさん。これは タイダンスとはチョット違うけど、これの方が面白いと思うよ。”
    舞台装置も中々立派で、客席は千人以上は入れそうな大きな劇場である。
    ショーはタイの古い物語を題材にした劇あり、イリュージョンあり、空中ブランコ、象の曲芸、鶏、鳩、犬、牛まで
    出演してくるのである。
    30匹程の象が参加する曲芸で、数匹の象は、緊張の為か腹痛の為かウンコとオシッコを漏らすのがいる。
    すると舞台の袖から塵取りとブラシを持ってきて掃除して回るのである。
    フィナーレに全員がでてくると、総勢100名以上の大所帯であった。
    見ごたえのある面白いショーであった。

23日 ボートラグーンヨットハーバーで10時に待ち合わせの為ユキさんとレンタバイク二人乗りで向かう。
    ネッシーさんとブローカーと売り手3人が 電話をしながら長引いている。
    決済の問題で手間取った様である。
    11時ごろ、取敢えずテスト航海と言う事で当事者3人+プータロー2人の5人で出港する。
    遊帆UFOと同じプラウト37ftの新型で、エアコン、冷蔵庫、温水シャワー付きで豪華マンション並みである。
    ”大分、遊帆UFOと違うな。”
    と、木造4畳半アパート並み遊帆UFOに馴染んだユキさんの言葉は的確である。
    外海にでると、風速20ノットを越える時もあり、テストセーリングにはもってこいである。
    マストも13m程あり、高く太くなり、リギンも改良補強されている。
    船体のFRPの厚みが遊帆UFOの3分の2位薄く作られているのが、問題になるかも知れない。
    インナーファーラー、ジブファーラー共余裕のあるサイズであり、メインセールはフルバテンにレージージャック付きである。
    但し、ドライブは同じシレットのソニックドライブであり、慣れるまで問題を起こす可能性がある。
    電気系統のトラブルでジェネレータが動かなかったが、売り手が責任を持って修理するとの事である。
    一応、問題なく終了し、シャロンビーチまでレンタバイク3人乗りで帰り、近くの韓国料理店で祝杯をあげるのであった。
    これで又プータロー同盟軍追加である。

24日 ユキさんが今まで借りていたレンタルームは8畳1間にシャワーバスがつき、エアコンがついて5000バーツ/月である。
    はや、1ヶ月になるので、どうするか考え所である。
    近くに、タイ人向けレンタハウスがあり、平屋の1つ屋根に6軒程区切られていて、ここは、入ったところが3畳程あり、
    次が6畳程の寝室、その奥が又 3畳程ありシャワーとトイレが付いている。
    裏が洗濯、料理などができるようになっていて、2500バーツ/月である。
    電気、水道は使用した分を1ヵ月後に家主から請求される。
    こちらの方が随分と安く使いやすいのでこちらに引越しする事にした。
    遊帆UFOから、使っていない畳編みマットレスやら布団、ガスボンベ、食器類を降ろし部屋に持って行く。
    ユキさんは、扇風機、フライパン、鍋、掃除用具、ガス炊飯器等を、買い揃え自炊生活できるようにした。
    ”あと、5000バーツ程で冷蔵庫、売ってた。”
    と、本格的長期滞在を考えている様子である。
    タイ語の片言を覚え、私より不自由なさそうである。
    これで、タイプータローの出来上がりである。

29日 ネッシーさんの船は6月1日に、船長とクルーを雇って、ランカウイ島へ向かうらしい。
    私も、来週にはランカウイからペナンへ遊帆UFOを持って行き、クオさんの所かJabatanハーバーに繋留して
    お盆の一時帰国をする事にした。
    アンカーチェーン50mを売りに出している情報を得て、ユキさんとボートラグーンまでレンタカーで取りに行く。
    新品の10mmチェーンでウインドラスの歯に合うか心配だが買うことにした。
    持って帰ってセットしてみると、ウインドラスにピッタリのサイズであるので、これからはチェーンが噛む事もなくなるだろう。
    ユキさんがレンタハウスを借りたので、料理がし易くなり何かにつけ一緒に食べる機会が増えた。
    一昨日は、私が蛎炊き込み御飯に野菜炒めを作り、昨日は昼にユキさんがスパゲッチイを作ってくれた。
    今日は、ネッシーさんも混じって酒盛りである。
    天気の悪い日は遊帆UFOは波に叩かれて居心地が悪いが、ユキさんのレンタハウスのお陰でこちらまで
    落ち着ける場所が出来たのである。
    ユキさん、今度は、どうやらバイクを買うことを考えている様である。
    
7月1日 ”わし、プーケットにきてから、もう1ヶ月以上たつな。はやいな。”
    と、すっかりタイの暮らしに馴染んだユキさん。
    ”ユキさん。私なんか、もう半年やで。何にもしてないのにな。”
    ”2歳の子供の1年は自分の生きてきた人生の半分やろ。そやから長いけど、50歳の大人の1年は
     自分の生きてきた年の50分の1やで短いやろ。それで年が行くと速く感じるんや。”
    と、ユキさんの見事な理論に関心する。
    私は、時間は相対性変化理論というのを考えている。
    色々な状況により時間が速くなったり、遅くなったりするという理論である。
    特に神経が集中すると、時間は遅くなり、散漫すると速くすぎると思っている。
    その為、我々の様なプータローは、アッとい馬に時間がすぎるのである。

 4日 出国手続きも終え、午前9時アンカーを揚げる。
    毎日、強い西風に時々雨が降る雨季特有の天気が続いていたのに、今日は風が吹かない。
    ピーピー島まで6時間程、途中、新しいアンカーチェーンをセットする。
    新しいチェーンが50mに古いチェーンも約50m合計100mにロープが100mあるので心強い。
    普通、カタマランの場合、水深5mから7m位の所にアンカーを打つので、いつも使う所は30m位である。
    午後3時、ピーピー島に到着、新しいアンカーチェーンを降ろし、読みかけの本を読む。
    5月に団体旅行で上陸した時、蕎麦打ち名人行方不明事件があった。
    その時、蕎麦打ち名人は必死になって我々を探したが見つからず、心細くなって通りにある日本人向け
    ダイビングショップでインストラクターをしているユーコチャンという人に世話になったらしい。
    そこで尋ねてみると、本人が出てきた。
    スキンヘッドに怖い顔の私を見て一瞬引いたが、事情を説明すると思い出してくれたようである。
    伏見から来た子供連れの夫婦のお友達5人一緒にイタリアンレストランに行く。
    私は子牛のビーフカツ、ガーリックトーストを食べ、皆さんは3種類のパスタにピザを食べる。
    ユーコチャンの家は佐世保だが、もう2年間帰っていないらしい。
    この島は、レンタルームも高く、スーパーマーケットがないのが困るが、それでも、この島が気に入っているらしい。
    伏見からのお友達もこの後コタキナバルからシバタンの方へ行く予定だそうである。
    久しぶりに、楽しい食事ができたのである。

 5日 新しく降ろしたアンカーチェーンをウインドラスで巻き上げると、チェーンのサイズとジプシーがピッタリ合って、
    噛む事無く、スムースにチェーンストッカーに収まっていく。
    今日は、KoKradan島(約45マイル)へ行く。
    小さな島にリゾートが1つとジャングルバーというヨッテイーがやっているレストランバーが1つあるだけである。
    水の透明さはピーピー島等より綺麗で汚されていない。
    ヨッテイーの間では、イセエビが手掴みで取れるという話があるらしい。
    昨日に続いて、お天気が良く、風も弱いが、途中2時間程約3ノットのスピードを得たのでセーリングにする。
    目指す島の東側に回りアンカーを降ろす場所を探そうと思うと、既に2艇がアンカーを降ろしている。
    間に入って行くと、右はペナンのJabatanヨットハーバーであったアメリカ人夫婦の船で手を振っている。
    左から大きな声で私の名前を呼んでいるが、誰だか分からない。
    デインギーを降ろし、近づくとドイツ人のHeinsである。
    ”オバタ。コンピュータのシステムCDの件、有難う。彼等は本当に親切な人達だった。”
    ”そうだろう、日本人の気配りは素晴らしいだろう。”
    彼の持っている富士通のコンピュータのOSを入れ替えるのに、ヨット仲間の望月さんに私が頼んだ所、
    フォローを親切にしてくれたので、その件でお礼を言っているのである。
    ”家内が、タイフードを作っているから、一緒に食べよう。”
    ”氷と酒を持ってくるからチョット待ってて。”
    プーケットで買った氷が未だ解けずに残っていたのである。
    彼の船は、バガボーン47ft台湾製でカンタンで船底塗装をしてランカウイからプーケットへ戻る所だったのである。
    ウイスキーの水割りを2人でグイグイと飲む。
    彼の年は、70代でアメリカ嫌いであり、日本がイラクに軍隊派遣を何故したのか、しきりに憤っている。
    モスリムやら民主主義やら世界情勢やら酔っ払い特有の大きな話で最後は支離滅裂である。
    彼は、ピーピー島へ私はランカウイへとすれ違い、明日離れ離れになるのだが、ヨッテイーの世界はなんて狭いのだろう。

 6日 朝7時、Heinsの船アルバトロスが静かに遊帆UFOに近づきながら敬礼をしている。
    我々二人はであうと、どこでも直立不動で敬礼をすることにしている。
    ”Heins,10月にプーケットに戻るから、又 飲もう。”
    ”待ってる。メールを出してくれ。じゃ。”
    私も、船を動かそうとするとセルモーターがウンともスンとも言わない。
    最近の遊帆UFOはセルモータを金槌で軽く叩いて起こさないと動かないのである。
    今度は、冷却水が出ていない。
    ベルト交換して、出発すると8時になっていた。
    遊帆UFOには、船長の私の言う事を聞かないものが、3つある。
    一つは、セルモータが寝ボスケで朝早いと動きたがらない。
    2つ目は、アンカーライト用にしようと庭で使うライトをマレーシアのスーパーで買ったのだが、
    ソーラーバッテリー内臓で、光センサーが付いていて暗くなるとスイッチが入って灯りが点くものである。
    ところが、辺りが暗くなっても点かず、午前3時頃から夜明けまで点くのである。
    3つ目は、船内にある時計のうちの一つが、かって気侭に動いたり止まったりするのである。
    ネッシーさんの船は、ランカウイのテガナヨットハーバーに入っている筈なのでそこの前の防波堤で
    囲まれたただ繋留場所を目指す。
    結局、到着は夜の9時、真っ暗である。
    防波堤に椰子の形の電飾が綺麗に光っていてその左にハーバーの入り口を示す浮標がある。
    どうも、ランカウイの到着はいつも夜間入港という癖がついてしまった。

 7日 ネッシーさんの船に行き、今日から離岸、着岸、浮きブイ拾いの練習を開始する。
    全てを3回程、繰り返し練習をして何とか一人で出来るようになった。
    これさえ出来れば、もう一人で船を動かせるのである。
    ここテガナヨットハーバーは波も入ってこないいい環境であるが、周りにスーパーマーケットも無く、
    レンタバイクでも無いと不便でしょうがない。
    物価も安くなくレストランも数件あるだけで、値段も高い。
    ネッシーさんが船に慣れるのを待って、早々にペナンへ向かう積りである。

 8日 午前中は、セールの出し入れと、メインセールのリーフの練習をする。
    ワンポイントリーフは比較的簡単だが、2ポイントは、スライダーをマストから抜くのに、ドライバーでカバーを
    外さなければならず、蝶ねじスクリューにした方が速く出来るだろう。
    操船になれるまでは、始めからワンポイントリーフのままにして荒天になればセールを降ろす様にする。
    午後、クアの中華系の金物店にネッシーさんの船のアンカーチェーンとロープ、シャックル類を買いに行く。
    ここテガナハーバーは環境が良すぎて回りは何も無い所である。
    レンタバイクで二人乗りし、曲がりくねった道を走る。
    夜は、中華料理を食べ、明日の夜用にニュージーランド産ステーキ肉を買い込む。

 9日 ネッシーさんが、昨日買ったチェーン類が届いたので、10m毎にマークを付け、先をロープでスプライスをしてセットする。
    デインギーを出して膨らませて、3.3馬力船外機をセットしこれからは常時ダビッドに揚げて直ぐに使える様にする。
    久しぶりの大仕事に昼からはお休みにして、夜は遊帆UFOでステーキを食べる事にする。
    夕方、ネッシーさんがデインギーに乗って遊帆UFOの泊っているハーバーの外の湾までデインギーの初航海である。
    星を見ながら、ワインにポテトサラダにステーキにグッドミュージック付きの豪華なメニューである。
    帰りは、彼にとってデインギーで初の夜間航行である。
 
 10日 クアの町でイミグレとカスタム、ハーバーマスターに私と遊帆UFOの入国手続きをする。
    次はクオさんとIsaacと自分用にビール24缶入りを5ケース、ラム3本 テキーラ3本 タバコ2箱を買い込む。
    昼からはアンカーリングの練習と、2ポイントリーフの練習をする。
    明日、午前中に全部の練習を再度して午後からクアに船を回して月曜日の夜明けと共にペナンに向けて出港する
    予定である。
    ネッシーさんは一人での処女航海となる。

 12日 午前6時アンカーを揚げて、ペナンに向かう。
    待ち合わせ場所のペナン港の一番北側の浮標辺りを目指して機帆走5ノット弱で進む。
    ペナン港へ入る頃には辺りは真っ暗で、遊帆UFOが先導してC−Mapと水深器を頼りに進んでいく。
    無事、ペナン大橋の下をくぐり、Jerajek島に沿って南に進路をとると、漁船がフラッシュライトをこちらに向けて
    点滅させている。
    岸から、魚網を降ろしているのだろう、外側を走る。
    午後10時30分、クオさんの桟橋の前にアンカーを降ろし無事ネッシーさんの処女航海を終える。

 13日 朝7時、起きて外を見ると、ネッシーさんの船が大きく移動している。
    彼が、アンカーを打ち直したのだろうと思っていると、まだ、ドンドンと流されている。
    クオさんも自分の船で私の所まで来るが、挨拶もそこそこにネッシーさんの船を見に行く。
    ”ネッシーさん。アンカー打ち直したの?。”
    ”いや、朝起きてみると動いているのね。止まった様に思っていたんだけど。”
    ”アンカーがスリップしてる。どこにもぶつからんでラッキーやったね。取敢えず、クオさんの浮きアンカーに止めよう。”
    水深8mの所なのにアンカーを揚げると、チェーンが10mも出ていない。
    水深の最低3〜4倍はチェーンを出すように言っていたのに、実に危ない所であった。
    Jabatan Yacht Harbourに1艇しかスペースがないので取敢えずネッシーさんの船だけ入れに行く。
    ここは狭い所でポンツーンに入れるのに皆さんに手伝って貰って押したり曳いたりして入れる。
    これで一安心、これで後はネッシーさんが少しずつ経験を積んで行けばすぐベテランセーラーになるだろう。
    Jabatanハーバーの職員が係船料の計算の為船の長さを計りに来る。
    ”バウからラダーの位置までの長さに、1ヶ月以内の場合1日2rm、1ヶ月以上なら1rm、カタマランもモノハルも同じね。”
    ”この船はラダーの位置が見えるから9mね。10日間で180rmです。”
    遊帆UFOは1ヶ月で270rmである。
    他の船はラダーの位置が水面から見えないので、長さを大幅に少なく計測しているらしい。
    他のハーバーに比べれば、安い係船料である。
    夜、IsaacのLeeさんとHwanさんと久しぶりに一杯やる。
    ユキさんに電話をしたけれど生憎つながらなかったが、2日前は元気で問題なく過ごしているという事だった。

 15日 ジョージタウンへ日本へ往復航空券の安いのを探しに行く。
    2〜3軒旅行社へ飛び込んで、料金を聞くと、一番安いのはシンガポール航空でペナンー関空往復で約58000円
    位で、但し 日本での滞在期間は1ヶ月である。
    滞在期間2週間だと、もっと安いのだが、いくらプータローオヤジであっても、2週間ではオヤジの影が益々薄くなる様で
    1ヶ月滞在の航空券で出来るだけ安いのを探しているのである。
    もっとも、オヤジの影等、自分がある様に思っているだけで、既に無いのかもしれない。
    ジョージタウンに戻ってくると、食べなければならない店があり、昨日はモツ入りシコシコ麺、今日は、インドカレーに
    帰りに、夕食様にクオさんとビールを飲むあてに、琵琶鴨(ローストダック)を買って帰る。
    イン、ブライアン、その他 漁師が屯していて、これでビールを飲もうと誘っても、モスリムの彼等は酒も鴨も食べないらしい。
    結局、クオさんと二人でビールを飲みながら、半匹をたいらげてしまった。
    無宗教の私は、ブタ、イヌ、蛇、昆虫等何でも美味しければ食べるのである。

16日遊帆UFOをクオさんの桟橋から、Jabatanハーバーの前にアンカーを降ろす場所を変える。
    クオさんの所は、外海の波に叩かれる時があり、あまり気持ちが良くない。
    Jabatanハーバーの前はJerajekの島影になり、デインギーもハーバーの桟橋につければ良いし、何よりも無料である。
    今日は、ジョージタウンの益和茶室で飲茶を食べなければならない。
    帰りは、ガマスーパーマーケットにより、鮭の切り身を買ってかえる。
    ペナンは食材が豊富で自分で料理してたべるのも忙しい。
    プーケットのユキさんに電話が繋がった。
    ”ワシのビザの期限がきて、ミャンマーへ又行ってきた。”
    ”私は、8月始めに帰るけど、ユキさんはどうするんや?”
    ”プーケットのタイ航空へ行って、予約の変更をしてくるわ。”
    と、私が心配する事もないほど、ユキさんはプーケットの暮らしに馴染んでいるようである。
    ユキさんの場合、長年私と同じようにプータロー生活をしてきたので、それが日本であろうがタイであろうが
    変わりがない為、すぐに馴染む事ができたのだろう。
    いくら、条件が整っても海外で暮らせる人と日本でしか暮らせない人があるようである。

18日 ペナンに着いてから、単調生活のリズムが戻ってきた。
    夜明けと共に起き、朝と夜は遊帆UFOで食べ、昼だけ買い物とインターネットの為に町へ行き、桟橋で洗濯と
    体を洗い本を読んで寝る。
    ランカウイよりペナンが私には住みやすい空気が漂っている。
    モスリムの国にあってペナンには何でもごちゃ混ぜの自由な風を感じるのである。
    私にとっては自由という感じが最優先事項なのである。
    その他の生活する為の不自由は我慢できる事なのである。
    ジョージタウンにはリトルインデイアもチャイナタウンもあり、ヒンズー寺院もモスリム寺院も仏教寺も教会もある。
    立派なレストランもあれば屋台もあり人の好みと宗教にに合わせて中華料理、マレー料理、インド料理が同じ
    屋台村にあり、宗教の違った友達同士でも一緒に食事ができるのである。
    宗教を越えた誰にでも受け入れられる生活様式がここにあるかも知れない。
    日本人は純粋培養で無宗教だから抵抗が無いように思われるが、多くの日本人がこの様な異文化との接触状況に
    馴染めなくなるようである。
    ところで時計のあまり必要のない私だが、遊帆UFO船内の時計を時々チラッと見て、他所の時計を見ると、
    どうもいつも時間が速く過ぎているのである。
    今日、やっと気がついたのが遊帆UFOの時計はタイ時間のままであった。
    早速1時間進めてマレーシア時間に合わせる。

20日 ここではIsaacがいるので、Hwanさんにお願いして、パーキムチ(葱キムチ) と 白菜のキムチを作ってもらったり、
    貰ったりしている。
    自分でも作るのだが、やはりHwanさんの方が、味が良いのである。
    私のメニューにはこの2つのキムチがあれば、オカズ無しでも食べられるくらいである。
    ここガマスーパーで昆布ダシの素を手に入れることができたので、大根とキュウリを塩もみし、水洗いした後
    昆布ダシを振りかけ揉んでおくと浅漬けになり美味しく食べられるのである。
    現在考慮中なのが、冷蔵庫を常時使えるようにソーラーパネルを増やそうかと思っている。
    1枚85wを2枚にすれば、可能かどうかが問題である。
    冷蔵庫は5A時間当たり消費するようであり、ソーラーパネルは85wは最大値であるから2枚では無理かもしれない。
    ソーラーパネル1枚が6万位するので、今の私の船上生活水準から行くと贅沢品の部類に入るのである。
    冷蔵庫がなければ、今のソーラーパネル1枚で船内の消費電気は充分賄えているのである。

23日 ネッシーさんの船のスタボー側窓から雨水が染み込んでくる。
    シーリングをし直してなんとか止まった様である。
    私と同じで最初は修理の方法も分からない様だが少しずつ覚えて何でも修理できるようになるだろう。
    幸いどこにでもヨットマンがいて、殆どのヨットマンは自分の分かる事は親切に教えてくれるからである。
    私はレンタバイクも返して、これからは市内ミニバスか自転車で動く事にする。
    今日始めてIsaacに教えてもらって、バス番号29番に乗りジョージタウンのコムターから帰ってきたが
    速いし、安いし(0.8rm24円)快適である。
    コムターはバスの中継センターになっていて、市内の各所にミニバスが走っていて便利である。
    昼はリトルインデイアのベジタリアンカレーの店へ行く。
    バナナの葉をお皿にしてライスと4種類のカレーを持ってきてくれて3rm(100円)である。。
    全てが辛いわけではなく、1種類はヨーグルトと玉ねぎのカレーなのだが、これが絶品である。
    インドベジタリアン料理は、毎日食べても飽きのこない味で本当にこれが野菜だけなのだろうかと、
    思うほど、こってりとした味である。
    夜は、ネッシーさんが今日ランカウイに向けて出港予定していたのが、風が強く明日に伸ばした為、
    用意したチャーハンと焼きそばを肴に酒を飲む。
    いよいよ、本格的に一人でのクルージングが始まるのである。
    時間の余裕を持ってクルージング計画をたて、ペナンとランカウイの間の小島でアンカーリングする予定らしい。

24日 朝8時、ネッシーさんの船の舫を解く。
    ここのハーバーは狭い所なので、出入りが大変であちらこちらに人を配置して船体を当てないように出さなければならない。
    ネッシーさん、元気に手を振りながら出て行った。
    幸運な航海を望むだけである。

    隣のオーストラリア人カタマランからの情報(オーストラリアのウエストマリン版 カタログ販売会社)
      http://www.glascraftmarine.com.au

    

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