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    57番 プーケットでツアーコンをする。    2004年5月〜更新中

4月30日 ここJabtan Harbourを離れる日が来た。
     明日から、ここも繋留費徴収となる為、料金表が提示される筈である。
     いつもの事だが、一度長期に繋留すると出港するのが億劫に感じられるのである。
     動き出すと何の考えもなしに次々と動くのである。
     隣のインド人の船もプーケットで内装する為に今日ここを出るらしい。
     彼は船が未経験で今は危なっかしいが、1年もすればベテランヨットマンになっているだろう。
     午前11時、氷を積んで同盟軍やらここのクルー、その他ヨッテイに手を振りながら離れると、
     ハーバーのオフィサーが料金表が上部団体から来たと紙をヒラヒラさせている。
     戻るのは邪魔くさいので、こちらは手を振りながら出てしまう。
     沖合いに先に出港したインド人の船が待っているので一緒に走るが、1時間もすると見えなくなってしまった。
     何かトラブルで戻ったのだろう。
     長くいたペナンを離れると、気分は又変わって、自由の風を感じ嬉しくなってくる。
     日暮れ以後、強い雨風がくるので、速目に御飯を炊いて夕食を済ます。
     午後、7時、嵐が始まる。
     マストをプーケットに行って補強したいので、今は風に逆らわないようにする。
     1時間位で終るのが分かっているので、セールを降ろして、エンジン回転1200で3ノット程のスピードで
     風下に向かう。
     予想通り1時間程で風も落ちる。
     ランカウイのクアに又夜間入港である。
     どうもここはいつも夜間入港というジンクスが出来てしまったようである。
     前回はGPS故障で、水深器と自分の目と勘がたよりだったが、今回はコンピュータプロッター付きGPSがある。
     C-MAPで水深を選んで、コースを取って簡単に入港できるのである。
     入港してから、暗闇の為、ランカウイのシンボル、鷲の塑像が見えない。
     仕方が無いので適当な所にアンカーを降ろすと、5月1日 午前3時であった。

5月2日 ランカウイはペナンと違って、酒以外の肉、野菜、等を買うのに苦労する。
     酒は免税なので、ビール1カートン、テキーラ2本、マテイニー2本、ウオッカ1本、ウイスキー1本を買いだめする。
     遊帆UFOはどんどん重くなるのである。
     船は、いつも何処か故障して修理している。
     今日は、デインギーの上陸時引き車の足を修理、昼からプレッシャーウオーターポンプを修理する。
     ここクアはアンカーを降ろし振れ回しにしているので前ハッチから風が入ってきて涼しいのである。
     近くに他の船もいないので洗濯の水を節約するために、フンドシ姿でいるのである。
     余り布に紐を付けただけのもので、後と前が僅かにカバーしている状態である。
     丸裸だと何か不安定さと恥ずかしさで落ちつかないが、布切れ1枚あるだけで気分は違うのである。
     モスリムでは、他人に裸を見せると罪になるらしく、前に誰もいない滝で水浴びをしていると、
     下流に住んでいるオバサンがわざわざ登ってきてクレームをつけられた事がある。
     この姿だと、急に誰かが来たとしても 日本の伝統的パンツであると言う事で一応説明がつく。
     しかしながら、あまり人前に晒せる姿ではないのでこの様に周りに誰もいない時しかしないのである。
     子供の時はこの姿で前にソラマメをぶら下げて、海で1日中泳いだり潜ったりしていたものである。
     
  3日 現在修理できる所は全て修理したので、チェックアウトの為、イミグレ、カスタム、ハーバーマスターで手続きを終る。
     デインギーで、クア湾のあちらこちらにつけて上がると、バイクで動いているように便利になる。
     少々波があっても、安定して波を切って走り、8馬力の威力で時速30kmは出ているようである。
     上陸場所の条件を、砂浜、遠浅、横付けと想定して、砂浜には引き車をだして波の来ない所まで引き上げる。
     遠浅の所は、後にアンカーを落とし、ブロックで前にロープを引き、上陸後岸から離す方法を取る。
     後の心配は盗難ということなので、プーケットへ行ってフレキシブルワイヤーをビニール管で通したものを買い、
     これをチェーンの先に繋いで鍵をかける方法を考えている。
     ここに、ウエストマリンの代理店があり、カタログ価格で購入できる。
     運送費も輸入関税もいらないのである。
     Peninsular Yachts
     Timothy J. Wight
     106 JalanPersiaran Mutiara Pusat Dagangan Kelana Mas. Kuah 07000 Langkawi Malaysia
      Tel: +60 4 966 8711 Fax :+60 4 96 2827
     Mob:+60 12 474 6677
     e-mail: tim.wight@penyachts.com

  4日 燃料補給の為近くに浮かんでいる油船スタンドへ行こうとエンジンを掛けると、暫くしてエンジンが止まってしまった。
     燃料タンクが空で、エアーを噛んでしまっている。
     遊帆UFOの燃料タンクはエンジンの位置と同じの為、少量の燃料では吸い上げるのが大変なのである。
     出来れば燃料タンクをエンジンより高い位置に持って行きたいのだがスペースがないのである。
     それにしても毎日次から次へとしなければならない事ができるものである。
     ヨットライフは綺麗なオネエチャンが水着を着てデッキの上で寝そべり、夜になると、ワインを飲みながらギターを
     奏でるような、ロマンチック&優雅であるように思うのは、加山雄三、石原裕次郎の世界で、現実は、汗水垂らして
     毎日どこか船の修理に、リュックを背負って安い物の買い出し、料理、後片付け、洗濯、掃除、雨が降れば
     バケツとタンクに水を集め、デインギーに溜まった水を掻い出し、お日様が出れば、洗濯物干しと言った感じである。
     
     ペナンのハーバーでもオーストラリア人が家族4人(5才&3才男の子)でクルージングしていたが、ここクアでも
     5歳にならない男の子の2人連れの家族4人が2馬力のデインギーで岸に上陸するのに通り過ぎていく。
     前を通ると、上の男の子が小さな手を振ってくれるのでこちらも手を振る。
     夫婦カップル位までは、私の考えられる範囲であるが家族全て同じ船で生活するなんて何て素晴らしい事だろう。
     夫婦カップルでも、お互いがヨットライフが好きであれば言う事なしである。
     私の場合、自分の楽しみと生き方にカミサマを巻き添えにする事ができなかったのである。
     これが良かったのか悪かったのか未だに分からないのである。
     今となっては、嫌な事を押し付けてまで、同じ船に乗せる事ができなかったのを悔やみ、もはや諦めているのである。
     クルージングをしている殆どがカップルであるのを見る時、その点で羨ましく思うのである。
     それ故、カップルの船に食事等招待されると、嬉しい反面、寂しい気持ちが起こり遠慮したくなるのである。
     カンタンで会った、癌と戦うシェリーに付き添うテリーを見る時、夫婦愛とはこんなに深くて素晴らしいものかと
     思わされたものである。
     最近、白人系のカップルで気がついた事は、お互いが徹底して話し合っている事である。
     どんな事でも、妥協点をみつけるまで話し合う努力をしている。
     それは、結婚前の恋人同士のときから、始まっていてそばから見ると喧嘩しそうな位話し合っている。
     日本人では、一々細かい所まで話し合わなくても、愛があれば腹をわって話せば分かると思っているのである。
     その為、言葉少なくどちらかが相手に服従する形で一応けりがつくのである。
     日本人は主従関係なのであるが、白人系は同等関係のようであり、そうでなければ既に別れているのかもしれない。

 5日 エンジン燃料系統の修理する為に、ジェリー缶5個をデインギーに積み、1km程先に浮かんでいる油船スタンドに
     買いに行く。
     ジーゼル用ガソリンが1.09rm(30円)なので、いつもここで燃料タンク一杯とスペアー100リッターまで買う。
     長期保存となる可能性があるので、ウエインがくれたBio Diezelという薬品を少量入れておく。
     ウエインにいわせると、油の中にいる菌が増えて品質を落とすのを防ぐのだそうである。
     8馬力船外機の威力で、重くなったのも平気で走って帰ってくる途中に、ガス欠で止まってしまった。
     近くの4人家族の主人(年は未だ若そうで30歳前後に見える)が、自分の2馬力デインギーで助けにきてくれる。
     重くなった私のデインギーをロープを持って右左に振られながら引っ張って行ってくれる。
     オールで漕いで帰れば、腕がなまってしまう所であった。
     何事も良い所と悪い所があるもので、8馬力船外機で、長距離は平気で行けるのだが、ガソリンの消費量が
     今までの2馬力船外機と大分違うのである。
     遊帆UFOでエアーを抜かねばならない。
     ついでに、燃料フィルターを交換し、燃料噴射ノズルをはずし掃除をし高圧部パイプのエアーを抜く。
     燃料も積み込んだし、マレーシアのお金も無くなったし、明日天気が良ければプーケットに向かう積りである。

 6日  朝7時アンカーを抜いて、クア湾を通って取り合えずプーケット方面へ向かう。
     風向きにより、KoTalang(006−29-291N,099-17-823E)の浮きブイを拾って遊帆UFOを止める。
     ランカウイの海はゴミだらけになってしまって、途中プロペラに袋が引っかかり問題となる所であった。
     ここはランカウイから北東に位置し未だ30マイルしか進んでいないがタイ領である。
     水は綺麗で、いたるところ珊瑚がありデインギーでも岸に近づけない。
     食料は、色々と準備しているので、船で作ってたべるが、贅沢の習慣が身についてしまって、
     氷だけは欲しい所である。
     氷があればマルガリータをチビチビやりながら、星を眺め幸福になれる所である。
 
 7日  一応、プーケットを目指し、7時に浮きブイを離す。
     この島、 Ko Talongもこの小さな島だけ人が住んでいてその他大きな島は無人島の様である。
     午後2時風が出てきたので、エンジンストップセーリングにする。
     平均4ノットのスピードで走ってくれる。
     今日は、どこをネグラにしようかと思い、前に行ったKo Kradanが近いが、出来るなら違う所をいこうと考える。
     C-Mapでみると、 Ko Rok Nai(007−12-513N, 099-04-130E)という島が風を避けるのによさそうである。
     近づいていくと、ここも浮きブイがあちらこちらにうかんでいるが、船はヨットが1隻アンカーを降ろしているだけである。
     今日も、浮きブイを拾い上げて遊帆UFOを止める。
     海底は珊瑚と魚が底まで見えるのである。
     残りパンを撒くと、うじゃうじゃ寄ってくる。
     パン屑でおびき寄せて網で掬い取ろうとするが、魚の方が賢く数段素早いのである。
     何度か失敗すると、魚もここは危ないと思ってか寄ってこなくなってしまった。
     この島もほぼ無人島のようである。
     観光化されていないこの島は珊瑚が綺麗で海も透き通っているが、何年か後にはここもピーピーアイランドの
     様になってしまうかもしれない。
     クオさんと交換して手に入れた3WAY冷蔵庫をガスで使っているが、14KGガスボンベが1週間で無くなってしまう。
     これでは不経済なので、オーストラリア人テリーが使っていたケロシンを燃やして冷やす方法に変えたいのである。
     ガスより安全で、ケロシンは手に入れるのに何処の国でも安く、持ち運びも簡単である。
     下部にタンクをつけ細い管で引き込んで芯をつければ出来ると頭の中では完成しているのである。
     ヨットに必要な製品に関して、オーストラリアの船を見ていると、クルージングの為に本当によく考えられた物を
     使っているのに感心させられる。
     沢山のヨットが海外クルージングしていてマーケットも大きく又ヨットマンの経験から使いやすい物が作られるのであろう。

 8日  夜明けと共に、浮きブイを離しピーピー島を目指す。
     天候は少し悪いが、大した事は無い。
     昼は、ベーコンガーリックスパゲッテイをつくる。
     午後3時ピーピー島へ到着である。
     ランカウイからプーケットへ来るルートは、Isaacの場合これがよいのではないか。
     1日目;ランカウイからKotalang(006-29-291N,099-17-823E)
     2日目;Ko Rok Nai(007-12-513N,099-04-130E)
     3日目;Phi PhiIsland(007-43-790N,098-46-015E)
     4日目:Chalong Bay
     毎日、30から40マイル程走っては、浮きブイを取るというコースはウインドラスの無いIsaacには良いだろう。
     水も綺麗だし食料さえ3日分程積んでおけば、上陸する必要も無い。
     ここピーピー島だけは観光客が一杯であるが、その為それなりに便利ではある。

 10日 シャロンベイにアンカーを降ろし、イミグレとカスタム、ハーバーマスターで入国手続きを終える。
     タイの法律改正で、ヨットがタイへ入国しても6ヶ月間は銀行へ保証金を置かなくても留まる事ができるようになった。
     この法律は、ヨットをここで関税無しで売買するのを防ぐ為のものであった。
     しかし、ヨットマンには大変不評で、マレーシアに動く船が多く、プーケットのヨット関連産業の仕事がなくなる
     事態になり、この度の法律改正となったのである。
     ヨットマンの世界は狭く、情報交換は速いので問題あれば直ぐに移動してしまうのである。
     又、手続きもここシャロンベイの事務所で全て出来るようになり、今までの様に、プーケットタウンまで行く必要
     がなくなった。
     オフィサーも親切に対応し賄賂請求することもなくなったが、上記のように、イミグレ、カスタム、ハーバーマスター
     以外に、もう一つデスクがありそこに若いオネエチャンがニッコリしながら座っている。
     終ったので帰ろうとすると、このオネエチャンが手招きしてここに座れと言っている。
     ”プーケットの水面使用料をお願いします。1週間300バーツ、1ヶ月1000バーツです。どちらにします?”
     ”水面使用料て、ここシャロンベイにいるときだけの事か? 他所へ行ったらどうなる?”
     ”他所は必要ありません。”
     どうも、この水面使用料なるものが良く理解できないのである。
     こちらとしては、ゴミもだすことだし、お付き合いで300バーツ位払っておこうかと思い
     ”1週間にします。”
     と、言うのであった。

     去年の6月に銀行へ保証金として預けた21000バーツを解約にプーケットタウンまで行く。
     プーケットタウンのイミグレでオリジナルの銀行保管証を返してもらい銀行へ行くとお客が一杯で長蛇の列である。
     列に並んで待つこと30分やっと順番が来てお金を返してもらう。
     金利150バーツ付きである。
     日本なら客からクレームがつくだろうが、タイ人はやはりのんびりしているのか、皆さんおとなしく列に並ぶのである。
     ランカウイからプーケットに来て、今回はっきりと意識したのはタイの国のどこかのんびりとした空気である。
     マレーシアでは、ペナン以外の町はどこか緊張感があり何か息苦しい感じがするのである。

     今日、オーストラリア人テリー&シェりルから訃報のメールを受け取る。
     数日前、シェりルはテリーの介護の甲斐も無く癌の為彼の腕の中で息を引き取ったそうである。
     癌と闘うシェりルの勇気と付き添い介護するテリーの優しさには何度も胸が詰まるような気がしたものである。
     又、彼等は年を経た夫婦愛の在り方をみせてくれたのである。
     彼は今は何も考える事等出来ないそうだが、彼らの船はランカウイに未だ売れずに置いてあるそうだから、
     落ち着いたらテリーはきっと二人の思い出深い船に戻ってくるだろうと思う。
     結局、ヨットマンの居場所はそこしかないのである。
     彼は船の名前(Drifters)通り一人だけでこれから世界の海を目的地も無く漂流を続けていくことになるだろう。

     ここシャロン湾は盗難が多く、ヨットの中に入られたり、デインギーが盗まれたりするのを去年に
     数件ヨットマン達から聞いている。
     我高価なデインギーも買ったばかりで新しく、エンジンも8馬力でこれを盗まれたらクルージングを続けていけない位の
     ショックとなるので、もやいロープをチェーンと5mmフレキシブルワイヤービニール管入りに代えて簡単に
     切断できないようにし、鍵をかけるという私にしては厳重な安全対策をしている。
     そうなると、いつの間にか沢山の鍵束になってしまっている。
     今朝悪い予感が閃いて、もしこの鍵束を落としたら困った事になるなと思い、フローテイングを鍵束につけて
     これで落としても浮かんでいて大丈夫だろうと思っていたのである。
     夕方、マーケットでオカズと御飯を買い遊帆UFOに戻ってマルガリータを飲みながら食べようとルンルン気分で戻ってきた。
     デインギーの鍵を外そうと、リュックから取り出したとたん海へ落としてしまった。
     ”しまった。けど、浮きを今朝つけたから大丈夫やもんね。”
     5秒程浮いていた鍵束は無情にもユックリと沈んでいくではないか。
     鍵が多く重くて浮力が足りなかったのである。
     スペアーは遊帆UFOにあるが、デインギーのキーを外さなければ帰ることもできない。
     途方にくれていると、丁度横にとめてあるデインギーの持ち主が帰ってきたのである。
     "すみません。鍵を海に落としてしまってスペアキーは船にあるので取りに行くのに乗せてて行って貰えませんか。”
     ”OK。ノープロブレム。私の名前はスーパーマンのクラーク。アメリカから着ました。”
     ”新聞記者のクラークね。いい名前やね。今の私には本当にあなたがスーパーマンに思えるよ。”
     彼の名前の通り、グッドタイミングに困った時に現れるスーパーマンクラークのお陰で無事戻る事ができたのである。
     私の場合、不思議と悪い予感は的中するのだが、対策をたてながら尚且つその予想通りになるという場合が多いのである。
     結局、生来の横着者の為に避けられないのである。

     去年の今頃カーニコバル島で遊帆UFOはマストを無くし、竹を切ってマストを立てプーケットへ戻る準備をしていたのである。
     毎日、サイクロンによる悪天候を恨めしく見つめながら、天候が良くなったら必ず帰ってやるぞと思ったものである。
     ペナンで毎日夕方になると強風と雨が降ったのに、今年のプーケットは、天気が良く雨も降らない。
     夜には南十字星が輝き、爽やかな西風が前ハッチから入ってきて天国である。
     もうすぐ、団体さんがやってくるので、皆様に喜んで貰えるようにオプショナルツアーを考えている。
     ジャングル象乗りとラフテイング川下り、シーカヤック洞窟探検、ジェームスボンド島、遊帆UFOでピーピー島クルーズ、
     勿論、タイフード、サウナ、マッサージ、オカマショー等を考えている。
     この天気が続いてくれれば、何処へ行っても楽しめるだろう。

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