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53番 もうはや3月 2004年3月〜更新中
3月2日 1年の6分の1が終ってしまった。
子供の時は、正月の来るのが遅かったのに、年を取るに従って時間が速く過ぎていくようである。
人生の終着駅ではなく、突然線路が無くなっている所へ向かって加速度で走っているのである。
それでも、私の様に時間にとらわれないプータローは幸せである。
カレンダーを見なければ今日が何月何日何曜日か分からないし分かる必要もない。
本当は、カレンダーではチェックもしていないので分からない。
唯一、コンピュータを動かしたときに今日は何日か分かるのである。
海上生活をしていると、太陽より月が重要な情報を与えてくれる。
毎日、月を見ているので月の形で今日は新月から何日目位か、又、潮の大きさと時間は何時かなどが分かってくる。
アンクルクオのアンカーリングポジションは、向かいの島と挟まれて水道になっているのに加えて、
浅瀬の為、潮の流れが速く3ノット位の速さで流れている。
アンカーで振れ回しにしていると、風の強さより、潮流の強さの方が勝っていると、風向きと反対になる。
又、風と潮流のバランスが崩れると、風に対して立たずに横向きになるときがある。
そうすると、横揺れが激しくなり乗り心地は悪くなるのである。
けれど、私は静かな湾内であれば、ポンツーンに繋留するより、振れ回しの方が断然好きである。
風が前のハッチから常に入ってきて涼しく、陸と距離を置いているので、蚊と騒音が少なく、安全な為である。
ペナンの町の中心コムターの横に、ガマスパーマーケットがあるので覗いてみる。
日本食品コーナーがあり、結構品数が揃っている。
それらを見ていると今日は納豆飯を食べてみようと思い立った。
シシャモもノルウエー産の冷凍物がある。
梅干にズボ漬け沢庵、新鮮な卵に、麦茶を今日のメニューの為に買う。
いつの日にかの為にカレールーを2種類、緑のたぬきのカップラーメンを買ってレヂーに行く。
50代オジサンが、日本語で
”有難うございます。こちらには長くご滞在ですか?”
と、愛想よくしゃべりかけてくれる。
成る程、これだけ日本の食材をそろえているペナンは日本人客が沢山いるようである。
私の場合、少し普通のルートでは無いので、全く日本人に会わないが、日本レストランにでも行けば、
結構いるのかもしれない。
ペナンはウマイ物が多いので、自分で作るより食べに行くほうが良いのだが、今日の様に日本食材が
あったり、うまそうなチーズがあったりすると自分で作る事になる。
まだ、食べに行かなければならないのは、海南鶏飯と書いた中華料理である。
土鍋に照り焼きにした、鶏やら北京ダックが炊いたご飯の上に乗ったものにタレがかかっている。
次に、ベジタリアンインド料理、これはアンダマンのニコバル島で、朝、昼、晩と1ヶ月程食べた為か、
何故か時々食べたくなる懐かしい味になってしまったのである。
それに、イタリアンも食べなければならない。
海鮮料理も、フィシュヘッドカレーも食べなくてはならない。
食べるのに忙しいこの頃である。
マレーシア時間は日本より1時間遅く、タイ時間は2時間遅い為ほぼ同じ経度にありながらタイと1時間の差がある。
これは、マレー半島より東にあるカリマンタン側の位置を考慮しての事だろう。
その為、日の出は7時過ぎ、日の入りも7時と私の感覚と1時間のずれがある。
いつも日の出の6時に起きて朝ご飯を食べ、12時に昼ご飯を食べ、5時に体を洗い、6時に晩御飯を食べて
9時には寝るというリズムが1時間ずつずれていて、几帳面な私は何か朝寝坊と夜更かしをしたような気に
なって、気持ちが悪いのである。
時計の無い島なら太陽の動きに合わせて行動するから、こんなバカなことも考えないだろう。
文明社会では時間が無くては、社会が混乱するだろうが、人間は時間というものを考え出した時から、
区切りをつけその区切りに自分自身が縛られストレスを感じるようになったようである。
何時までにあれをしなければとか、何日までに終らなければとか考え、ハツカネズミの様に、
自分で車を回しながら何でこの車は止まらんのやろ、と思っているのである。
日本からのメールによると、今瀬戸内海にある友人の船を、沖縄まで回航するのに、小型船舶協会に
お伺いを立てた所、イーパーブにライフラクト、それに無線を積まなければ許可できないとの事で延期になったらしい。
全部揃えるとなると、100万円では済まないだろう。
次期船検査の時には、ライフラクト等は開いて中身も交換しなければならず維持費用は多大なものになる。
本来自由な海に航行安全の為という大義名分の為、日本領海に関所があり許可書が無いものは通行禁止
関所破りには罰金が用意されているのである。
航海するものは、何処までも自己責任であり、オカミが助けてくれるものと思っていたら大間違いである。
現法律ではどうなったか知らないが、未だ日本製の小型船舶協会の印のあるものしか認められないのでは
ないだろうか?
何故外国製は認められないのか?
勘ぐれば、メーカーから便宜を図ってもらえるのか、或いは天下りの席を設けて貰っているのか?等と思いたくなる。
日本製は検査済みですから、問題ありません等という話は、おかしいのである。
もし日本小型船舶協会のマーク入りのモノでも、問題あれば証人は生還しないから分からないだけである。
次に、この措置は全て遭難してからの事である。
海での遭難で一番多いのは悪天候による転覆であるが、風より波特に横波に巻き込まれた時である。
モノハル艇で転覆による遭難という場合、デッキで操船している人は転覆と同時に海に投げ出され
船を捕まえに戻るのも難しい上に、転覆した船は捕まる所が無いのである。
そうかといって、どこかにライフラインを結んでいた場合は転覆と同時に船と一緒に水の中にいるので、
溺れてしまうようである。
転覆した船は勿論復元すると言うことになっているのだが、マストやらリギン、それにセールを開いていれば
水の抵抗で復元時間は遅くなる。
結局では、転覆遭難を避けるのにはどうしたらよいのか?ということになる。
この事で家村さんと何度も話し合ったのだが、彼の意見は、スターンからドローグを流し、波に左右45度の
範囲で追手で逃げると言う意見である。
私は、バウからパラシュートアンカーを流し、船を波に立てて、ハッチを閉め船内で酒を飲むというものである。
結局は、天候の状況次第であり、避難できる港があるかないかにもよるのだが。
余談ながら、悪天候の時の入港も危険が多いのはいうまでも無い。
浅瀬になり波が大きく立つのに加え、防波堤の反射波で三角波が立ったりして舵が効かなくなり危ないのである。
日本の海は海岸近くには魚網が張ってあるのだが、波が高くなるとこのブイが見えなくなるのである。
これだけの事を考えておきながら、マストを折るのは、自分のマインドの弱さの為である。
一度パラシュートアンカーを出せば、天候が治まるまで回収不能であり、インド洋のサイクロンのように、
何日も荒天候が続く事が分かっている状況で出すのを億劫がる自分の心の弱さで失敗するのである。
荒れる海に、耐えている事の不安、速くどこか安全な所に避難したいなどと、最も忍耐が必要なときに
あせり無理をする心の弱さを直さなければと思うのである。
54番 ふらりコタバル