51番 ダラダラクルージング イン プーケット 2004年1月〜2月
1月5日 日本にいても居場所を無くしたプータローオヤジは予定をはやめて、遊帆UFOへ帰艦である。
シンガポールからプーケットへ乗り継ぎ時間は45分しかない。
広いシンガポール空港内をジョギングするはめになってしまった。
勿論、機内で下着は脱ぎ夏用に脱皮したが、それでも汗だくである。
プーケット空港まで飛行機で1時間程、タクシーに乗ってプーケットタウンまで40分、ホテルに入ったのが、
タイ時間の午後7時なので、日本をでてから9時間程で到着した事になる。
遊帆UFOなら何ヶ月いや何年もかかる所、僅か9時間しかからない時間と距離に不思議と感動を
感じるのである。
プーケットの空気は暖かく何か甘い花のような匂いがする。
8日 プーケットからバスに乗って、トランへ、トランから6人相乗りタクシーでカンタンへ戻る。
バスはお客のいる所は何処でも止まり、主要な停留所では、何人もの売り子が、焼きそばやら
焼き飯、フルーツ、飲み物を持って売りに回る。
なかには、小学生位の子供も混じっている。
学校へ行かず家計の足しに働いているのだろう。
日本では見ないが、東南アジアでは、子供が働く姿は見慣れてしまっている。
何処か当たり前の様な気がする自分の感覚も少しずつずれてきているのかもしれない。
9日 シップヤードの皆が笑顔で迎えてくれる。
ワークショップの皆が、午後5時終業のサイレンがなると、ビールを買ってきて遊帆UFOでパーテイである。
言葉は殆ど通じないにも関わらず、何故か気持ちが通じ、喋った気持ちになるのである。
12日 シップヤードの迎えで葬式をしている。
町内の広場に金銀細工の棺が置かれ、供え物とローソクが立てられている。
据えられてもう、2〜3日程たつが、暑い国の事、中の主は大丈夫なのかと心配になる。
どうやら、今夜が山場のようで、町内の人々が60〜70人集まって、食事をしたりお茶やビールを飲んだり
音楽をかけたりしながら、談笑していて暗い雰囲気が無い。
近所総出で食事を作ったりお茶を用意したりしている。
あるテーブルでは、くじ引き等が始まりお祭りのようである。
こんな楽しい葬式も良いんじゃないかと思い、私の葬式はこれで行こうと考えさせられるのである。
喪服を着て参加するのでなく、普段着で楽しく食べて飲んで遊んで帰ってもらう様な葬式は素晴らしいと
思うのであった。
お悔やみ等いらないしお経も要らない、骨も海に捨てて貰えれば一番嬉しい、何よりも法事も墓参りも不要、
もし、子孫が気が済まなければ海へ花束の一つでも投げれば良い。
先祖を供養しなければ祟りがある等ということは馬鹿な話で、可愛い子孫にどうして祟る様な事をする先祖がいるだろうか。
もし、そんな先祖がいたら私が止めるから心配ない。
人は地球上のあらゆる生命と同じで、人間だけが、天国やら地獄があるはずはない。
あらゆる生命に天国や地獄があれば、面白いと考えるのである。
ある蚊が、人の血を吸って天寿を全うしたとしたら神様はこの蚊を天国へ送るのか地獄へ送るのか
聞いてみたいものである。
13日 お世話になったシップヤードの人々にお礼の意味を込めてレストランに招待する。
ワークショップの奥さんやら孫やら恋人やら参加してくれて11人のパーテイとなった。
料理は、魚 海老 トムヤンクン 焼き飯 等沢山注文し、尚且つ酒やらジュースやら、それでも合計3000円程である。
ここカンタンは、もし遊帆UFOが無ければ陸地に長く住んでも良いと思う場所である。
まず、町がこじんまりとしていて自転車で10分走れば終るような町の大きさが気持ちが良いのである。
全てが安く、特に食べるものが安くて旨いのである。
例を挙げると、タイラーメンはこの町のオバチャンが作るラーメンが今の所タイで一番の味である。
あっさりして何度食べても飽きる事がないこのようなラーメンはここカンタンに来て始めててである。
その他、中華料理のオっチャンは新鮮な魚介類を満足のいく味にして出してくれて値段が安い。
町を自転車で走っていても、沢山の人がニッコリと笑って挨拶してくれる。
今や、プーケットより住み安そうな気がしているのである。
14日 シップヤードの人達が果物 ケーキ お菓子等を差し入れてくれる。
私がお礼すべき立場なのにと恐縮するばかりである。
午後3時、遊帆UFOは水に戻る。
エンジンをかけるがかからない。
点検すると、高圧燃料パイプの破損である。
ワークショップのオッチャンが早速修理してくれて問題無しの状態になるが、もう5時である。
今日は、もう一日カンタンに泊まる事にして、夜は宴会にする。
誰でも、来たい人はOK、ビールと何か摘んで帰って貰う事にする。
ここタイでも毎日宴会であるが、日本にいてもヨットも仲間に誘われて宴会で、私は何処行っても同じ事である。
15日 夜明けと共にカンタンにさようならである。
日本で買ってきたIOデータ社のGPSF2カード差込型(19000円)とYahooオークションでおとした中古パソコン
(17000円)をC−MAP(World Sea Chart)でテストする。
船内でも衛星をとらえ、C−Mapと連動して航跡をプロットしてくれる。
勿論、速度、目的地までの距離等表示される。
C−Mapは潮汐表まであり、これだけで世界中の海図と潮汐表が表示され、これから海外クルージングに行く
予定の方は必需品である。
今日は、Ko Kradanカンタンを出た所にある小島にアンカーを降ろす。
ここは海の水の綺麗な島である。
久しぶりの波の感触を楽しむ。
夜、月は未だ出てこないので、満天の星が綺麗に輝いている。
16日 Ko kadanを8時にアンカーを揚げて、ジブとインナーセールを張って、エンジン1800回転 船速5.2ノットで、
Phuket Chalong湾へ向かう。
ハードドジャーの上にオーニングを張っているので快適なクルージングである。
大きなトビウオが遊帆UFOに向かって飛んでくる。
あと、10cm程高く飛んでくれていたら、デッキに日干しになってくれるのだが、低く飛んだ為、鼻を船腹に打ったようである。
ピーピーアイランドを右手10マイル程の距離でながめながら、プーケットをめざす。
シャロン湾入り口で綺麗な夕日を見る事ができた。
アンカーを降ろす時には辺りが暗く、港内はロープ等多数あり危険を冒すことは出来ないので、適当な所でアンカーを降ろす。
これからは、遊帆UFOをネグラにする。
本を飽くまで読む事にする。
17日 カンタンシップヤードを教えてくれたWalfgangの友達Heinzが港の近くのバーにいたので、お礼を兼ねてビールを
奢る事にした。
”君の船をもう見たよ。マストも立ちペイントもしたのか綺麗になったな。うらやましいよ。”
”Heinz,君のお陰で本当に安く出来たし、カンタンは実に良い所だったよ。”
私より10歳年長の彼は、テレビニュースをみて、日本が軍隊をイラクに派遣した事について驚いている。
”世界中アメリカの言いなりだな。ドイツも今やアメリカナイズされてしまったよ。”
”日本だって、日本文化等は捨て去られ、アメリカナイズされているよ。”
”だから、国を逃げ出し、ヨットにすんでるんだ。”
”私も、似たようなもんやな”
”それじゃ、ヨットライフに乾杯!”
20日 シャロンの町は港から幹線道路まで800m程あり、その通りと海岸に面した通りが賑やかなのである。
観光バスが連ねて入ってきては、観光客がボートに乗ってスキュバーダイビングかシュノーケリングにでかける。
朝夕はそのスピードボートの引き波で遊帆UFOは揺れるのである。
しかし日が暮れるとスピードボートの往来はなくなり静かな海面に7ノット程の風が吹いて気持ちよい。
乾季の為、毎日殆ど雨は降らないし、夜空も雲も無く星が沢山輝いている。
2日後は旧正月の為、月も出ていない。
旧正月はプーケットタウンの中国系住民がお祭りをするので、見学に行く積りである。
スーパーマーケットへ買い物をしにいくと、ペナンで出会ったフランス女性2人組みヨッテイーの
パパラ&パットに出会う。
パパラは日本語を学んだので、はなすのも不自由がない。
パットは日本語が全く分からないので、英語に切り替えてしゃべる。
まずはビールで乾杯し、お互い去年の事を喋り、これからの行き先について情報を交換する。
知り合いのヨッテイーに出会うのはうれしいものである。
遊帆UFOに戻り、星を見ながら、風に吹かれながら好物のオンザロックのマテイニーを飲む。
21日 旧正月の大晦日にあたるのであろう、朝からスピードボートの上で派手に爆竹を鳴らしている。
そういえば、シップヤードから修理を終え海に戻る船の舳先で爆竹をならしながら、レールを滑っていくのであった。
道を歩いていても、家の前にある小さな祠で爆竹が鳴らされびっくりすのである。
日本では輸入許可、販売許可共におりないような強力な音を出す爆竹である。
プーケットタウンは中国系タイ人が多く住んでいる。
移民しその国に根を下ろしても中国文化と伝統を守っていく国民性である。
そして、中華街を作り何処の国にいても、ちゃんと中国を作るのである。
22日 後部を付け足し内部に発砲フォームを入れた小型遊帆UFOU(デインギー)は丈夫になったが
その分重くなってしまって一人の力では 引っ張る事も、持ち上げる事も出来ない。
親遊帆UFOに引き上げるにはダビッドでウインチで引き上げるしかないが、それでもあちらこちらがキーキーと
軋み、折角つくったダビッドが壊れるのではと心配になる。
ハードデインギーは、繋留する場所の環境が悪くても少々の事は心配ない。
インフレータブルデインギーは、軽く波に対する安定性も走行性も非常に良いが、繋留する所に釘があったり、
マングローブが生えていたりすると、穴が開くという心配がある。
全てに良い船等ありはしないのだが、カンタンで出会ったテリーのデインギーはアルミニュームの優れものであった。
軽くて、丈夫にできていた。
毎日同じ行動パターンで5時にサウナ、夕飯を終えて船に戻ると、Wolfgangが友達2人を自分のデインギーに
乗せてやってきた。
”ハイ。オバタ 船は良くなったね。カンタンは安くて良かっただろう?”
”ホント、Heinzの情報のお陰で随分と安くしかもうまくできたよ。”
”今から、一杯やりに行くんだ。一緒に行こう。”
”有難う、けれど今夕飯食って帰ってきたところだから遠慮するよ。”
”明日、ランカウイに向かうよ。”
”私も、2月にはランカウイに行かなければならないから又会おう。”
その何日か後 今までのデインギーが重過ぎてどうにもならないので、シャロン湾に あるインフレータブルデインギーの
工場に思い切って発注する。
20万円程する代物で一大決心が必要であった。
納期2週間を1週間にしてもらい、後ろに大きな車輪を上げ下げ出来るように取り付けてもらった。
これだと、砂浜を一人で転がして引き上げられる。
インフレータブルデインギーは少々の波も平気だし、安定性は抜群であり、何よりも、ダビッドで簡単に
引き上げられる様になった。
後は破れない様にメンテナンスと盗られないように管理の問題である。
良くなったら良くなったで気がかりが増えるのである。
デインギーが出来るまでの1週間は前のレンタルハウスで泊まっていた。
長年(7年間程)使った、ポリ製リョービのデインギーも軽くて良かったが、底をファイバーグラスで巻いたりして
段々と重くなり、船外機を大型に変更したがために後ろが沈む事になってしまいとうとうお別れである。
これだけ使えば元をとったようである。
きつい風邪を引き、咳がしきりに出る。
朝6時起きて、7時に鍋蓋朝料理、メールチェック、本読み、昼飯、本読み兼昼ね、午後5時サウナ、
夜6時晩飯、本読み、寝る、のパターンである。
最近はメールもすっかり少なくなってしまって、娘とカミサマからが時々という、寂しい限りである。
ニュースも入らないし、日本語も英語も本格的に喋る相手もいないので、孤独生活練習のようである。
毎日同じパターンも飽きたので、プーケットタウンの映画館にでも行こうと思い立った。
町の中心、ロビンソンデパートの横のオーシャンプラザの2階に3本程映画館がかたまっている。
看板をみると、ラストサムライが時間ピッタリなので、90バーツを出して切符を買って中に入った。
中は、椅子もリクライニングになっていて、ゆったりとし、風邪を引いている私には寒いくらい冷房も効いている。
筋は明治初期日本が富国強兵の為アメリカに武器と軍事教練をセットに頼む事から始まる。
アメリカ軍の軍事教練担当がトムクルーズで、かってインデイアン虐殺で心に傷を持っているとい設定である。
今までのアメリカ製映画の日本風俗は中国風俗と混じった様な可笑しな所があったが、この映画は
随分と良く見直されている。
日本固有の文化代表者が渡辺健で映画の題名の通り、最後のサムライの役である。
富国強兵の為日本文化を捨て去り欧米化しようとするグループと戦い死んでいくというストーリーである。
今流行の特撮とか、香港映画の空を飛び回ったり壁を走り回ったりする殺陣とか、スターウオーズの戦いの様に、
バットスイング殺陣ではなく、昔からの剣道を基本にしたリアリステイックな殺陣になっていて、
かえって新鮮な感じであった。
多少剣道をかじった私の目からみても、トムクルーズの剣の持ち方、太刀筋は随分と練習したようで合格点である。
この映画をみると、日本時代劇はエンターテーナーの素材になる可能性が充分あるとおもった。
結局は、作り方と巨大マーケットを抱えた、マーケッテイングのうまさでアメリカ映画に負けるのであろう。
2月 はやくも1年の12分の1が終ってしまった。
ここプーケットでヨットでの入出国の手続きはプーケットタウンのイミグレとカスタムで扱っていたのが、
シャロン湾で全部済ますことが出来るようになった。
ヨット専門のイミグレとカスタムの為手早く処理し、前の様に賄賂請求される事もなくなった。
メールをチェックするとカンタンで知り合ったテリーとシャーリーからその後の様子を知らせるメールが入っていた。
12月カンタンを出てランカウイに着いてシャーリーの癌の進行が速く今は車椅子でないと動けない。
二人は、未練を残しながら、船を処分しオーストラリアへ戻る事に決めたらしい。
癌になっていようと何処までも一緒にクルージングを続ける二人の夫婦愛の深さはカンタンにいるときに
分かっていたので、今回船を手放す決断はどんなにつらかったであろうと思うのである。
いつも一人ぼっちプータローには、羨ましい限りである。
けれど、インド洋のサイクロンに出会う様な状況では、一人でよかった、もしカミサマと一緒なら
相手の事を思うと、可哀想やら気の毒やらで耐える事が出来なかったかもしれない。
クラッチは滑りマストが折れた時、漂流を覚悟しながら一人の気楽さからどこか楽しんでいたが、
カミサマが一緒なら、事態は深刻であったろう。
けれど、長期クルージングはやはり夫婦二人が理想的である。
二人だと、ワッチの交代も出来るし、仕事も協力してできる。
素晴らしい景色、美味しい食事、感動する出来事等二人だと倍以上になり、その出来事をお互い分け合う事に
なるのである。
狭い船内にいつも二人が顔をつきあわすので、テリーとシャーリーのように、益々深い絆で結ばれていくか、
お互い顔を見るのも嫌というどちらか両極端になるようである
出港しようと、Rolly Tacker Sailで作ったメインセールを揚げてみると、20cm程長い。
工場へ持ち込みカットしてもらう事にした。
勿論、昨日出国スタンプは押して貰ったので、いつ出港しようとも勝手である。
メインセールを揚げてみる。
メインフアーラーの具合も良さそうである。
ジブ、インナー、共に開いて、ゆっくりとセーリングしながらピーピー島を目指す。
インナーは大きすぎるので次回プーケットに戻ったらカットしなければならない。
お昼は久しぶりにご飯を炊いてカレーであるが、やはり自炊は旨い。
ピーピー島に午後5時ごろアンカーを降ろし、新しいデインギーで上陸する。
後に大きな車を取り付けてあるので、8馬力船外機を積んでいても楽々砂浜まで引き上げられる。
高価な買い物だったけれど思い切って買って良かった。
ピーピー島は今はシーズンの為沢山の観光客である。
ヨーロッパ系のオネエチャンは一様に腰にパレオを巻き、ブラジャーだけの殆ど裸スタイルで道を闊歩している。
また、プーケットのシャロンと違って、レストラン バー ホテル等も洗練されていてお洒落な作りの所が多い。
シャロンはどちらかというとホントに町に毛の生えた感じの町である。
この島には自動車とかバイクは走っていない。
道は幅3m程で、観光客がぶらぶら歩いたりビールをゆっくり飲んで楽しんでいる。
湾内は静かで海の水も澄んでいて空気も良く、又今日は殆ど満月に近く綺麗である。
夜中の3時頃目を覚ますと、岸からデイスコサウンドが風に乗って聞こえてくる。
8馬力船外機をデインギーに積んでいるので、岸から少々遠くにアンカーを打っても苦にならない為
沖合いに泊めてラッキーであった。
5日 Ko Kradan島(007-18-356N
099-14-987E)
今の季節は北東の風なので、島の南西の小さなビーチの前にアンカーを降ろす。
早速、デインギーを降ろし、上陸する。
浜の砂は白く細かくごみなど一つもない。
海の水は透明で底が透けて見える。
丁度、夕日が沈む所で、遊帆UFOが夕日をバックに綺麗な風景であるが、こんな時に限ってデジカメを持っていない。
海岸の南側に対岸に通じていそうな、小道がある。
小島なので、ちょっと歩けば反対側に出るはずである。
道は、10m程急斜面を登り、ジャングルの中を200m程歩くと、小さなレストランのある場所に出た。
ヨーロッパ系、観光客が4組程、談笑しながらビールを飲んだり、食事をしている。
”とりあえずビールね。ここは何が美味しいの。お薦めは何?”
ぼってりと肥えたタイのオバチャンはニッコリ笑って、
”バーベキューはどう? 豚にする? 牛にする?”
”それじゃ、豚、お願い”
ゆっくりビールを飲みながら、出てきた料理は豚のアバラ骨付きを味付けしたものでなかなか結構なお味である。
もう1ポンビールをお代わりして、シャワーのでる小屋で体を洗う。
さっぱりした所で、レモンシェークを注文し持参のテキーラを混ぜてマルガリータの出来上がりである。
食事ができて体が洗えるこのレストランは私には充分である。
浜に戻ると、ほぼ満月が輝いてあたりは明るい。
砂浜に寝転がると、細かい砂がサラサラと気持ちが良い。
誰もいないここは、私のプライベートビーチになったのである。
6日 Ko Talibon島(007-13-068N
099-21-761E)
Ko Kradanから20マイル程南にあるカンタンの入り口の島にアンカーを降ろす。
船外機が強力なので、随分沖合い浜から1Kmもありそうな所に気にもせずアンカーを降ろす。。
デインギーに乗って、夕食に行こうと調子よく飛び出したまではよかったが、浜がもうそこという所で
突然船外機が止まってしまった。
ガス欠である。
そこから遊帆UFOまでオールで掻いて戻らなければならない。
15分もオールで漕げば腕はなまってしまう。
もう一人の自分にさんざん文句をいう自分であった。
もう一度上陸する気もなくなり、船でスパゲッテイを作って食べる。
7日 Kantang
カンタンの近くまで来たので、エンジンの高圧パイプ側燃料漏れを修理するのに、カンタンのシップヤード
マーさんを探して修理を頼む。
ここカンタンに来るのも2度目なので、コースは頭の中に入っている。
それでも、上潮の時を狙い、水深器を見ながら進んでいく。
ちょっとコースをはずすと水深1.5mを表示するので油断は出来ない。
夜は、マーさんと例の中華料理屋で食事をする。
インターネットでメールのチェック後、フードコートでレモンシェークを注文しテキーラを入れて飲む。
ここは、プーケットと違って何でも安くて旨く(例えばレモオンシェークはプーケット30バーツがここでは10バーツ等)、
小さな町なので歩いて町の何処へでも行く事が出来、居心地の良い町である。
タイではチェンマイ、カンタンがお気に入りの町である。
遊帆UFOは、ハーバーオフィースの前辺りにアンカーを降ろしているが、漁船とロングテイルボートの引き波に
昼間は揺られるが、夜は静かである。
川べりに魚介類の加工工場があり、荷降ろしした後、漁船が川を下って漁に出かけるときは舳先で
爆竹を鳴らしながら下っていく。
夕方、タイへ戻って初めての夕立が降った。
早速、デッキを洗い、自分の体も洗い、両サイドの水タンクに補給をする。
10分もすれば、満タンで、恵みの雨である。
カンタンを満潮の潮止まり午後12時ごろアンカーを揚げて、川を下る。
外海に出た所、Ko Liiang Nua (007−06-976N 099−25−868E)の東側 海岸から1kmくらいの所に
アンカーを降ろす。
こんな所でも水深1.5m 海底の砂が見え、蟹が歩いているのが見えるのである。
例の中華のオッサンに弁当を作ってもらっているので、今日はここでユックリと食べて飲んで寝る事にした。
この島は周囲1kmくらい、石灰岩で400m位切り立った岩山であり、東側に僅か300mほどの砂浜がある。
漁師の作業場兼中継基地の様な感じで、沢山のロングテールボートが泊めてある。
岩山に草木がはえていて、所々に洞窟になっていてツバメの巣がありそうである。
この辺りはこの様な奇岩,奇島?が海に突き刺さった様に立っている。
午後6時夕日が美しい、ビールを飲みながら ピアノジャズを聴く。
氷を買ってきたので、マテイニーのオンザロックをチビチビと飲む。
魔法瓶の品質の良いものに氷をいれると、12時間は充分溶けずに保存できる。
デッキも昨日の雨でサラサラしているし、シャワーも心置きなく使う事ができる。
こんなに人家から離れた所に船を泊めても私の天敵 蚊がいるのである。
誰からか聞いた話では、蚊は人間の皮膚から出る炭酸ガスを遠くからでも感じるセンサーを持っているとの事。
昆虫は地球上の生物では、特殊な才能をそれぞれ持っているのに、何故地球の王者に成れなかったのだろう。
私が、蚊の大統領なら、まず、日本脳炎の病原菌を持った、攻撃部隊を組織し、人間が生まれたら直ぐに
1ポンチクリとやって、頭脳を破壊し家畜の様に飼うようにし、特に反抗的な人間にはマラリア特殊部隊を派遣し、
人間を制圧し蚊の天下とするだろう。
こうやっている間も蚊がカミカゼ特攻隊の様に飛んでくるので蚊帳を張った防空壕で、避難寝る事にする。
昨日のアンカーポジションは失敗だった。
アンカーを降ろすときは、南西風になっていたので、島の東側でいいかと思いきや、夜になってやはり
北東風になり波が立ち一晩中揺られ通しであった。
夜明けと共にアンカーを揚げ、セールを全部張ってセーリングを4時間楽しむ。
風力12〜15ノット アビームで約3ノット位で走っている。
15ノット以上の風力になると、ジブを70%位にした方が、走りやすい。
メインファーラーはセールの出し入れが楽になって、直ぐにリーフが可能となった。
今回マスト修理するに当たり。各セールの面積を計算し重心を割り出した結果、マストの50cm〜1m前の
所にあり、船体の重心位置とほぼ同じ位置になっている筈である。、
インナーとメインセールだけでも、バランス良くマストに無理なく走るのでこれからは小さめのセールで走る事にした。
お昼頃から正面の風に変わったので機走にかえる。
ランカウイ島に到着する頃には薄暗くなって今夜のアンカーポジションを探す。
ランカスカヨットハーバーの北側に、立派なヨットハーバーができている。
遊帆UFOはその外側の湾にアンカーを降ろし、デインギーで夕食に行く。
このハーバーは日本なら繋留費年間100万円位取られそうな設備と、雰囲気である。
大型カタマランやらお金のかかったモノハル艇が30隻程繋留されている。
遊帆UFOのように、中古マストやら、リギンを切ったり繋いだりしていない。
レストランはビュッフェスタイルで一人15リンギット(450円)と安いが品数がなく、味が良くないのである。
ランカウイにタイ人とペナンの華僑とインド人が住んでいて、タイ食と中華とインド料理がありビールが飲めて
サウナがあれば、私にとって理想的なアンカーリングポジションになるだろう。
どうもモスリムの人は表面ニッコリしてくれるが、どこかよそよそしいのである。
朝、ハッチのコーキング修理していると、デインギーに乗って、フィリッピンのボンボノンで一緒だったルイがやってきた。
”オバタ、久しぶり。昨日夜入ってきたとき手を振ったけど気づかなかったな。どこからきた?”
そういえば、去年この対岸のリーポックマリーナへ入ったとき、彼の船”WAYOUT”が売りの看板が貼ってあったのを
思い出した。
よく似た名前の船で形も良く似ているとは思っていたが、まさかこちらに来ているとは思わなかったのである。
イミグレとカスタムはここで出来るしレンタバイクもあそこで借りられると情報を提供してくれる。
夜にでも又会おうとハーバーへ向かっていった。
夕方6時、マテイニーを持って、ルイの船に行くと、隣にアンカーを降ろしているトリマランのドンという名前のヨットマンが
一緒にビールを飲んでいた。
彼もやはり6年前フィリッピン ボンボノンにいたそうでルイは勿論顔馴染である。
ボンボノンにいたヨッテイー達の事、特にピーターの話やら、セーリングの事、釣りの事 CーMAPの事等に話が弾む。
ルイが言った言葉、
”我々ヨッテイーはスモールワールドやな。”
実にその通り、皆どこかで繋がっていて、アンカーを降ろす所も似た場所に降ろす共通したアイデアがあるようである。
けれど、各人非常に個性的で、皆どこかストロングマインドである。
ここのヨットハーバーは、昨年10月にオープンしたらしく、名前はTelaga Harbourというらしい。
ポンツーンに繋留すると、遊帆UFOで21RM(650円)/日かかるらしいが、私は外側の湾内にアンカーを降ろして
いて、買い物と食事をする時デインギー留めるのに利用するのでFreeである。
このヨットハーバーの迎えにイミグレとカスタムがあり、手続きに行くが、イミグレはすんなり終ったけれど、
カスタムは事務所に誰もいない。
このヨットハーバーは環境が良すぎて、ハーバー内のレストランとKFC以外にレストランもショップも無く、スーパーの
品数も少なく不便であるので、明日クアの方へ移動する事にした。
遊帆UFOの横に地元漁船がアンカーを降ろしたので、魚を売ってくれと声をかけると、袋に入れてくれる。
お金を払おうとすると、”いらん”と手を振るので、コーラを買って渡すと又10匹程魚をくれた。
明日、捌いて塩をして干し魚にしよう。
ランカウイに来ると、食事が旨くない為か、自然と自炊が多くなるのである。