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49番 カンタンで修理 2003年11月1日〜12月10日
11月1日 シップヤード
Keatseang Co Ltd.Tel:(075)251065 Fax:(075)251678
Manager:Vim
満潮を待ってシップヤードに入る。
私の計測が余りに余裕が無さ過ぎて、キールのバウ側が船台を少しはずしてしまった。
再度水に戻してやり直しである。
ここのマネージャーVimは親切で、何でも相談に乗ってくれる。
というのも、当初短期間で船を降ろしてくれと言われていたが、
今回、ハルに穴が開いて水が入っている為、乾燥させてからでないとFRP修理が出来ないので
1ヶ月上架を希望したのである。
値段も揚げ降ろし 5000バーツ 上架代300バーツ/日と交渉の結果安くなったのである。
3日 カンタンのイミグレとカスタムに行く。
ここは、田舎の小さな町の役所なのでプーケットと違って賄賂を要求されることもなかった。
今日から、本格的に修理開始である。
マストの長さ12mを10mに合わせて切断し、余った部分を継ぎ目に差込み、ブラインダーリベットで止めたので、
マストブームの位置は2重になって強度が増した事になる。
ダビッド用のステンレスパイプもついでに切ってしまう。
今まで御世話になったベランダも船外機が重くなって引き上げられないので取り外した。
ダビッドを取り付ける為と、キャビン内装もついでにやってしまう事にして、材木を買う。
タイはチークの本場だけあって、良い木があるが重い。
遊帆UFOは益々重くなって最後は沈むのではないだろうか。
4日 船も傷むが私もガタがきているのか、歯の金カブセが取れてしまった。
自転車で15分も走れば行き過ぎてしまうカンタンの小さな町を人に聞きながら探し回って、
ようやく1軒見つけたのであるが、看板を見てもタイ語で書いてあるので分からない。
患者は女性ばかりで、ヒョットしたら産婦人科ではないかと心配になってくる。
1時間程待って呼ばれたので、入っていくと、椅子は確かに歯医者さんの椅子である。
座っているのは、24〜25歳位の目鼻立ちが整い、いかにも賢そうで美人の若い女医である。
”どうしたんですか?”
優しく肩に手を置いて聞いてくれる。
”あの、奥歯の金カブセが取れてしまったんで、ひっつけて欲しいんです。”
美人の女医さんは、私の口の中に恐る恐る指とピンセットを入れて問題の金カブセを外し、困った顔付きで、
”済みません。ここでは直せません。隣のトラン市まで行ってください。”
”ええ!先生。この金カブセにセメントでもノリでもエポキシでも何でもよいからつけて、ひっつけてくれるだけで良いんです。”
”済みません。そのセメントが無いんです。トラン市に発注しないと直せないんです。”
”何日位で届きます? 2〜3日の内ですか?”
”何日か確かで無いんです。私、開業してまだ1週間なんです。この金カブセは大事にキープして置いてくださいね。”
と、奥歯にそのまま戻して治療終了である。
セメントも無い歯医者さんは、穴を開けた後はどうするのか不思議であるが、若くて美人の女医さんなので、
それでもしょうがないかという次第である。
さすがに料金はただで、若い美人の女医さんに会えただけ儲け物であった。
帰り道、メインの海岸通は夜店が道一杯にでていて、歩行者天国になっている。
今週はタイは日本で言うお盆の精霊流しの様な事をする祭りの日らしく、小さな町に似ず沢山の人出である。
野外ステージは市民カラオケ大会やら、ダンス大会が催されている。
時々、派手な衣装にミニスカートを履いたオバアサンが出てくるのはよいが、どうもあがってしまっているらしく
ステージで硬直状態になったりしているのは微笑ましい。
違う野外ステージでは、影絵を生演奏で演じている。
私も見るのは初めてで、裏に回って人形を操る所を見たりして楽しませて貰った。
内容は、仏教説話といった感じである。
町民演芸大会
5日 ワークショップの人達と、知恵を絞りながらの修理である。
マスト、ファーラーは、全て中古品の為、使える様に戻すのが大変な作業で、組み立てるのは簡単である。
ステンレス、ボルト、スクリュー等はさすがに造船所の町だけあって船に関するものは大概揃えることが出来る。
素材類は私が直接店で買って、シップヤードの名前を言うと配達してくれる。
プレス、旋盤等の機械が揃っていて、どんな加工でも出来るので、自分の納得のいくまで手をかけている。
後は、自分の思考方法のミステイクの問題だけである。
プレス機を使うと厚いステンレス板でも飴の様に自由自在に形を作ることが出来て面白いのである。
毎日、食事はカンタン市内へ自転車で出て行くのだが、今日で1週間程いることになるので、町を歩いていると、
”イッキューサン。”
と、時々行くレストランのネエチャンに日本語で呼ばれる。
タイは日本のアニメーション、ドラエモンと一休さんは人気番組である。
小さな町で、スキンヘッドは珍しく、その上日本人はもっと珍しいので、直ぐに覚えられてしまうが、こちらはさっぱり
誰だかわからないのである。
食事しての帰り道、今度は珍しく
”オバタ”
と、呼ぶ2人のニイチャンがいる。
”名前を知っているくらいだから、シップヤードの人達だろうと思い、ビールでも飲もうと誘う。
野外コーヒーガーデン風な所で、自転車と木繋ぐ輪になったキーをかけてビールを飲む。
8時になると、欠伸がでるので、ニイチャン達を残して帰る。
自転車と木を繋ぐキーをかけたつもりが、木にだけキーが掛かっている。
もう、頭はボケはじめているのかも知れない。
6日 Vimさんの紹介でトラン市の歯医者さんへ行く。
トラン市まで26Kmあり、タイの道路は何処でも舗装されていてバイクで走りやすい、
今度の歯医者さんは男性で、テキパキと処置と説明をしてくれる。
”金カブセの横に穴が開いていて、根元から修理しなければなりませんが、私の所では一時的に直しておきます。
1年位は大丈夫ですが、日本へ帰って基礎から修理し直してください、”
中々丁寧で的確な処置治療である。
”所で、私のところを出て道路を回ったところに 良いイタリアン料理のレストランがあるから試して見なさい。”
と、トラン市の観光マップまでくれる。
お奨め通り、イタリアンレストランへ行き、コーヒーとホームメードチーズケーキを注文し、試してみる。
結構いける味で、この分なら食事も先生のお奨め通の様である。
本当に、親切で丁寧な歯医者さんであった。
取り合えず、これで又何でもバリバリ食べることが出来るようになったのである。
7日 いよいよりギンの取り付けに掛かるのだが、木村さんに貰った、3/8"のワイヤー45mを使わなければ勿体無い。
しかし、スゥッジングマシンがないのと、ノーズマンターミナルも手に入れようと思うとこのサイズだと高価で、
ウェストマリンに注文しなければならい。
何か良い方法は無いものかと、考え続けていたがワイヤーのスプライスという手があった。
スプライスなら、ここのシップヤードの引き上げマシンも太いワイヤーをスプライスしてあるので、私のもっている
サイズは簡単にできるだろうと思い、Vimさんに相談する。
直ぐに、専門家のオッチャンがやってきて、
”どれや、これか?こんなもん簡単なこっちゃ。”
という感じであっという間に綺麗に編みこんでしまう。
これなら前回の失敗の繰り返しは無いだろう。
このオッチャンのお陰で、最後の難問解決で全く見通しは明るくなった。
次にウインドラスのスイッチの接触不良を直す。
長年、使いっぱなしのほったらかし状態の為、内部モーターの錆びも酷いので錆び落としの後、ぺンキを塗る。
スイッチも錆が出ているので、ペーパーで綺麗にして修理完了である。
チェーンの落ちる穴がアルミのパイプなのだが、細くてここで噛んでしまうので、ステンレスの口径の大きいのに変える。
また、チェーンを外していく爪の形が問題あるのでここも改良する。
内装は、2人の大工さんに頼んで、天井と横のスポンジの糊が劣化して剥がれてきている所があるため、
桟を入れていく。
ついでに、デインギーの後を30cm伸ばして、浮力を付ける様に改良する。
私は、マスト&リギンの方の仕事をしているのだが、材料、やら スクルユー ボルト の買出しにも行かなくてはならない。
朝、7時から夕方5時まで今までこんなに良く働いたことは無い位である。
8日 日本で買い取ったノーズマンターミナルのワイヤーを噛むテーパーになった重要部品を無くしてしまった。
ワークショップのオッチャンに同じものを見せると
”問題無い。任せとき。”
と、旋盤で同じ加工をしてくれる。
今回も、実によい所で船を揚げたようで遊帆UFOはドンドンと修理されていく。
難しそうに思っていた仕事が皆さんの知恵と技術で解決されていくのは、気持ちのいいものである。
仕事が終わって夕食は中華レストランへ行くが、ここのオーナーシェフと顔見知りになり、顔を見せるだけで、
彼が、適当に2品作ってくれるのだが、どれも満足のいく味である。
中華割烹という雰囲気で価格は200バーツまでで、毎日夕食はここで済ませる。
この店のサービス係りという感じのニイチャンの顔が片岡鶴太郎そっくりなのである。
私は、日本語で
”ツルチャン。ハイネケン1本ネ。”
というと、このツルチャンニッコリ笑ってビールを持ってくる。
ところが、冷えていないのでアイスを注文しても通じないのである。
何とかして他のテーブルのアイスを指差し、身振りで表現してもこのツルチャンは頭が悪いのか一向に通じない。
その内に、よこの客がタイ語で通訳してくれてやっと氷が手に入るといった状態である。
しかし、このツルチャン2回目からはビールとアイスをセットで持ってきてくれる様になったのである。
今や、何もいわずに座るだけでビールからウマイ中華まで自動的にでてくるといった、私にはいう事無しの状態である。
今日は、満月で夜中の12時月は真上になり満潮になる。
ここカンタン市では人々は夜店の並んでいる川沿いで、椰子の葉と蘭とローソクと線香で飾り付けられた物を流す日である。
川には、沢山の灯篭流しがユックリと浮かんで流れて行く。
その為、夜店通はいつもより多い人出で歩いていても人にぶつかる状態である。
私が小学生の頃、エベッサン(恵比寿祭り)になると、ここと同じように屋台夜店が出て、私は1日に何回も
出かけたものである。
ロクロックビのネエチャンやら、蛇女等を見せ物にする小屋があり、子供の私は怖いけれど、見たくて入り口から
何度も覗き込んだものである。
また、神戸新開地には、ガマの油売りやら、蛇を見せながら薬を売る香具師がいて、彼らの滑らかな口上を
聞きにでかけたものである。
今や、日本ではナカナカ見かけることができないが、ここ東南アジアでは、香具師は立派に商売を続けているのである。
マレー半島からインドネシア、フイリッピン、スラウェシにかけて、自家製秘伝の怪しげな薬を売る香具師がいて、彼らは
いつも、移動をしている様である。
夜店
12日 毎日 修理の日々であるが、ワイヤーの長さ等の調整に手間取る。
もうここのシップヤードの人達もスッカリ慣れて、今では彼らがお金を出して、ビールや焼きそばやらを
買ってきたのを、私に食べろと言ってくれる。
”こりゃ、反対や。私が皆さんに奢らなあかんのに。”
”心配ない。心配ない。”
タイ人は、食事をしているとき知り合いが通ると、手招きして
”食って行け。”
と、言うのが挨拶の様な気がする程、誰でも私の顔をみると誘ってくれるのである。
午後5時、仕事が終わるとワークショップの4人を誘って、向かいの雑貨屋でビールを飲む。
仕事が終った後の、冷たいビールの最初の一口は最高に美味い。
その後は、自転車で町に出かけて例の中華レストランで夕食を食べ帰って寝るのだが、
毎日、9時までに寝ていると夜中の3時、4時に目が覚めて困るのである。
13日 ピーナッツ入りの飴を噛んでいたら、折角この前に直した金カブセが又外れてしまった。
5時半仕事が終ってから、又トラン市までレンタバイクで行く。
今日も、1番乗りで他に患者はいない。
愛想の良い先生は今日も色々と話しかけてくる。
”今回は、もう少し硬いもので付けましょう。”
そんな方法があるなら最初からそうして欲しいところである。
前回、先生お奨めの近くのレストランへ行く。
ピッッアにホウレンソウのクリームスープを注文する。
ピッツアはマアマアだが、スープはナカナカの味である。
食べ終わり頃に、歯医者の先生が入ってくる。
アチラコチラの顔馴染らしき人と挨拶を交わしながら私の席に座る。
”先生、この店ナカナカウマイですな。”
”そうですか。有難う。”
”???、 ここのシェフはイタリア人ですかな?”
”イヤイヤ、私のワイフがやっています。”
”エエ、この店は先生の店ですか?”
”ハイ、もう10年になります。”
前回、先生お奨めの店は自分の店の宣伝みたいなものだが、味は満足いくもので納得する。
デザートにアップルパイとホームメードアイスクリームにコーラとこれだけ食べて300バーツである。
内装も洒落ていて中庭まである本格的イタリアンレストランである。
カンタン市では、レストランといっても普通の家にテーブルと椅子を並べただけの作りで、勿論内装など
手をかけていないし、せいぜい、ビールメーカーのポスターが張ってあるくらいである。
日本では歯医者さんは増えすぎて競争が激しく、患者さんのサービスに頭を使わなければ流行らないそうである。
そういう観点からこの先生をみると、歯医者さんの鏡みたいなものである。
何時の日か、医者はサービス産業の部にはいるのではないだろうか?
14日 この頃は私の行動パターンは決まってしまって、朝は7時に近くの店に行き、オカユに点心、中国茶ですまし、
ついでに材料、ボルト類を買いに行く。
朝、8時になると町ではスピーカーでタイ国歌が流れてくる。
ポリスは全員敬礼をし、自動車、バイク、歩く人も全て止まってしまう。
テレビは、国王と、タイ国軍の画像が放映されている。
日本は国歌を歌うのにさえ軍国主義復活と批判の声が揚がるのは問題である。
政治家も、国歌、国旗、皇室の件になると竜の逆燐の様になるべく触らないようにしている。
タイの国王は、国民から親しまれていて、どこでも写真が張ってあったり、カレンダーになっていたりする。
一般の人々も、前の国王はハンサムで大好きとかいう感じで、アイドル扱いであったりする程親しまれている。
私は、自分では愛国主義者というにはほど遠いものであると思っている。
しかしながら、国歌、国旗、皇室等に関しては、こういう象徴的なものを、利用して国民を間違った方へ
導こうとするものが悪いのであって、それ自体は親しまれるべきものであると思っている。
もっとも、日本国民は、この様な象徴的なものがなくても大勢の人が集まれば、自然と”和”ができるという
扱いやすい国民であると政治家は思っているのかもしれない。
それ故、私は”和”の中に批判精神とそれを声に出す勇気を持っていなければならないと思っているのである。
15日 マストの塗装を始める。
ステンレスも錆がでるので、できるだけ塗装することにし、何でも白のペイントを塗っていく。
フアーラー3個は全て使えるようにすることが出来たので、ジブ、インナー、メイン全てフアーラーで
セールの出し入れが簡単になった。
テンダーはリョウビの2人乗り釣り用を7年も使っているのだが、ここカンタンでハルの中にフォームを
入れる事が出来る工場があったので、水が入っても大丈夫な様に加工してもらうことにした。
スターンも30cm程伸ばしたので、ついでにFRPを全体に巻いてもらう事にした。
テンダーもこれだけ長年使えば、値打ちもので新しいものに換えることが出来ない。
シップヤードは5時までで人達は家に帰っていく。
夕方は、涼しくなるのでチェーンの錆落としをするのに、ハンマーでコンコンと叩いていると、ワークショップのオッチャンが
ビールを買ってきて一緒に飲もうとやってくる。
”ハンマーで叩かなくても、近くに錆落としの工場があるよ。薬品の中につけたら錆が全部落ちるよ。”
”そんな工場があるなら、月曜日に持って行って、それから錆止めペイントを塗ることにするわ。”
ハンマーは放り投げて、日暮れの時間をビールを飲んで楽しむのである。
ワークショップのオッチャン達
17日 マレーシア ペナンのクオさんが来て、私の船を見て帰る。
”昨日、トラン市からあなたの電話に何度もかけたけどかからなかったよ。
クオはあんたの事になると、うるさいのよ。”
と、クオさんの奥さん。
”それじゃ、私は、クオさんの恋人みたいなものだね。嬉しいね。”
彼は、わざわざ、ここまで私に会いに来たらしい。
”それじゃ、ビールで乾杯だ。”
と、近所の雑貨屋でビールを飲む。
”12月には、日本へ一時帰国するので、又、ペナンへ戻るからね。”
”OK,ペナンにいる間は船は任せなさい。”
マストはほぼ完成し、後はハリヤード類を通すだけであるが、これはプーケットまで出向いて仕入れなければならない。
又、3色航海灯も買わなければならない。
18日 プーケットへ。部品を買いに行くことにする。
ワークショップのオッチャンが自分のバイクでカンタンの町のタクシー乗り場まで送ってくれる。
タクシーは、相乗りでお客が6人集まったら出発する。
15〜20年前のトヨペットクラウンの形であるが、エンジンその他はもうオリジナルではないだろう。
ドライバーを含めて5人乗りに、7人が乗り、トラン市まで約26Km 20(60円)バーツ/人である。
トラン市からはエアコンテレビトイレ付きVIPバスで約300Km 198バーツ/人とこれまた安い。
お客は本線道路ならどこでも好きなところで降ろしてくれる。
クラビー、パンハー等を経由してプーケットへ行く。
特にクラビーは、車窓から、チョット見ただけだが海岸は綺麗で、落ち着いた感じの町であった。
遊帆UFO修理後は、一度行ってみなくてはと思うのであった。
プーケットに着くと、レンタバイクでオートパイロットの修理に出し、時間が無いから速く直してくれるように頼む。
ついでに、Wolfgangはまだ修理しているかどうか、プーケットのシップヤードを覗く。
船底塗装にかかっていて、プライマーを何度も重ね塗りしているところだった。
彼もヨットの事になると、完璧主義で、私も今回は完璧主義に加えて美しさにも気配りして直しているつもりだが、
やはり、私の場合は”まあ、こんなもんか”とすぐに安易な方に流れてしまうのである。
”カンタンのシップヤードはどうだ?
”ハインスに会ったら、サンキューと言っておいてくれ。彼に安くて良いところを教えてもらったよ。”
近所のヨットマンも集まってきてシップヤードの情報交換である。
Rolly Tasckerの工場で、8mmワイヤー(スエッジ) ハリヤード類、3色航海灯 ウィンデックス、ブロック類を買う。
泊まりは、前回泊まっていたレンタルームの所へ行くが、生憎満室なので、新しいレンタールームへ行く。
肺炎騒ぎもおさまり観光客が戻っていているのであろう、通りの空家がダイバーショップやらコーヒーショップに
変わっている。
通のあちらこちらから
”ハ〜イ。オバタ”
と、呼び止められ、いつここへ戻って来るかと聞かれる。
時々顔を会わした事がある、英国系のヨットマンがやはりカンタンシップヤードの情報を欲しがっているので、
持ち合わせていたパンフレットを渡す。
”私は、つい先日デインギーを盗まれてしまったんだ。何処か安いデインギーを知らないか?”
シャロン湾は泥棒が多いので、遊帆UFOは、今までは見るからに哀れな姿をしていて大丈夫だったが、
今回 多分 立派で美しくなる予定なので、特に気をつけなければならない。
又、デインギーも改造し船外機も8馬力の良いのを乗せたので、ホッタラカシにしておけない。
良くなれば良くなったで、気苦労が増えるというどこまでいっても船に縛り付けられる思いである。
ユキサンが言った言葉を思い出し、全くその通りと一人頷くのであった。
”不自由の自由を楽しんでるやろ。”
19日 オートパイロットの修理が出来たと電話が掛かってくる。
店で何度もテストしたし、今回電気系統も変えたので過重電圧、過電流による故障は無いと確信している。
色々と痛い目に会って一つずつ覚えていっている様なものである。
問題点はやはり自分の性格である事は、身にしみて分かっているのだが、直ぐにズボラに加えて横着な
性格が顔を出すのである。
”今回は、ただでいいよ。”
と、修理のニイチャンが言ってくれる。
これで、プーケットでの仕事は終ったので、カンタンへ引き返す。
帰りも6時間程の道程であった。
20日 マストの関係は殆ど終ったので、来週立てる事にした。
ハルの穴も塞ぎ、テンダーのフォーム入れとFRP巻きも終った。
テンダーはスターンを伸ばし実に良くなったがが、その分重くなって果たして浮かぶのかどうか心配である。
このテンダーは今までの様に簡単に引き上げられないので、デビッドが必要である。
デビッドも明日位には出来上がってくるだろう。
後は、ラダーをはずして締め付けステンレスをチェックしなければならない。
未だやらなければならないことが20項目ほどあり、今月末までに終る自身はない。
22日 毎日手や足のどこかに傷が出来る。
今回は、”こんなもんか”というのは無しにしているので、やれる事はすべてやる事にしている。
バックステイターンバックルのボルトもチェックした事がないのでこの際外す。
ところが後側のボルト2つがFRPの中側にあり共回りしてしまう。
どうしてこの様な取り付けになっているのかわからない。
ターンバックルの形を変えて後でメンテナンスが出来るようにし直す。
今日 オーストラリア夫婦のフェロセメントケッチが修理の為に入ってきた。
重さ22トン程あるらしい。
5年もすると、セメントから水がしみ込んでくるので、揚げて水抜きをしなければならないらしい。
木造船と同じくらい手間のかかる船のようであり、私のようにズボラヨットマン向きでない。
奥さんは癌にかかっているらしく、見るからに元気がない。
主人はテリーという名前で、夕方町で食事をして帰ってくると、ビールを飲もうと誘ってくれるが、
奥さんの事を思うと気が重く彼の船に行く気がしない。
市場で買ってきたスイカを半分食べていると、今度はワークショップのオッチャンが食事に行こうと
誘ってくれるが、もう食べ終わったし、夜は8時になると目を開けていられないのでお断りをする。
最近は朝3時か4時に目が覚めるので、コンピュータを相手に仕事の段取りを考えるか、
マージャンをするか、本を読むかで朝が待ち遠しいのである。
25日 クレーンを呼んでマストを立てることにする。
やってきたクレーンのブームサイズは12mというので、マストの3分の2位のところで、吊り上げるが、
45度程揚げた所で、何故か突然吊り下げている所を離してしまう。
後は、マストが倒れるだけである。
あっという間にマストは倒れ、人々は一瞬息を呑む。
折角、作ったマストの繋ぎ目の所が少し緩んでしまう。
もう一度修理するしか方法は無い。
しかしラッキーなのかアンラッキーなのかクレーン車のブームの上に落ちたので
幸いダメージは少なく、修理は簡単にできそうである。
人々は、色々と慰めの言葉をかけてくれるが、起こった事は元に戻らない。
顔で笑って心で泣くしか方法は無い。
誰に怒るわけにもいかず、自分の判断と指示のミステイクである。
26日 意外と簡単にマストは修理でき3mmのステンレス板をマストの形に曲げて絶縁紙を挟みボルトで締める。
これでアルミ4mmがダブルでステンレスが3mmあり合計11mmで強度も増した。
しかし、小さな町カンタンでは、マストが倒れたのはビッグニュースらしく、至るところで同情を込めて、
私にマストが倒れただろうと、腕を立てて倒れるジェスチャーをされる。
いい恥さらしである。
この町では、私の行動は筒抜けのようで、何をしたかみんな知っているようなのである。
そして、殆ど英語を話せる人はいないのでこの1ヶ月位私は満足に会話した事が無いような気がするのである。
いつも、身振り手振りでお互い推測しながら話した積りという感じである。
それでも、ワークショップの人達とはもう古い付き合いの様になり、私が何をしたがっているか考えてくれて、
優先して手伝ってくれるのである。
ここのシップヤードに1ヶ月位で修理して終る積りがこの調子ではもっと長くいそうである。
インド洋でマストが倒れたときにパルピットが曲がってしまったのを、ペナンで仕入れたステンレスパイプで
作り直す。
デビッドも家村さんに貰ったブームを2つに切って吊り上げブームに使う。
アルミで軽く強いが、これもステンレスパイプで補強ブリッジを入れていく。
デビッドの上に、ソーラーパネルと、スターンライト、VHFアンテナを取り付ける。
ここは、洗濯物干しに絶好の場所になった。
ソーラーパネルをこの位置に移動した為、デッキを全面日除けオーニングを張れるようになった。
遊帆UFOはラダーとドライブに問題があるが、ラダーを外し締め付け金具を改良し、ラダー軸が波で押し上げられる為
消耗して隙間ができガタツキがあるのをスペーサーを入れて直す。
28日 隣で修理をしているオーストラリア人夫婦Terry & Sherry が、彼らの船”Drifter”で 夕食を誘ってくれる。
Sherry は一人でデッキに上がる事もできないらしく、Terryが後からサポートしている。
彼女は最初は乳癌で今は背中に転移して体を動かすのも痛みが来るようである。
勿論、トイレ シャワーも船が上架しているので不便に違いない。
昼間は、船内はサウナのようになるだろう。
それでも、船にいる方を選んでいるのである。
彼女の意思の強さに驚くばかりである。
彼らは、7年前にこの船に乗るまで、バックパッカーをしていたそうである。
バックパッカ−も船に乗るのも不自由で危険も多いはずだが、それでもいつも離れずに二人一緒にいるという
深い絆を見ると、いつも 一人ぼっちの自分が寂しく思われるのである。
30日 もう、上架して1ヶ月が過ぎてしまった。
マストは明日クレーン車を呼んで立てる予定である。
インターネットカフェでメールをチェックすると、
”修理にそんなに長くかかるなんて、船はもうボロボロなんか?”
と、事情の分からないカミサマの質問メールである。
そんなにボロボロではないが、1つ直すのに、ボルトのサイズを計り町まで自転車で買いに行く。
ボルトも1種類ではなく、その上何でも物忘れの激しい頭で仕事をするので、工具を取りにいって
何を取りに来たか忘れてしまって又戻ったり、工具を置き忘れて探し回ったりと、無駄な時間が多いのである。
自分でも嫌に成る程、段取りの悪さ、考え間違いの多さにあきれる思いである。
仕事は一人でするのと、2人でするのでは、倍以上の差がある。
それでも、何とか大きな事は終わったが、細かい仕事が未だ20項目程残っている。
夕方になって、テリーとシェリーが町まで食事に行く為に、彼等の船から降りるのに、体の不自由な
シェリーは自分で梯子を降りる事が出来ない。
ボースンチェアで吊り上げて降ろすのを手伝う。
私が、ウインチに掛けたロープをゆっくりとだし、テリーが梯子に乗りシェリーを支えるという段取りである。
シェリーが体重を掛けはじめた時、上のブロックがバンといって落ちてきた。
ブロックを止めているステンレスシャックルが錆びて割れてしまったのである。
危うい所で、大事故にならずに良かったが、もう少し後で起こっていたらと思うとゾッとするのであった。
11月1日 30m程の長さのブームのあるクレーンを呼ぶ。
マストの頭を吊り上げマストベースにセットしステイのピンを入れていくが、私の計算ミスで長いステイがある。
どうしてこんな事になったのだろうと不思議だが、私の仕事ではこれ位の間違いは日常茶飯事である。
取りあえずバックステイとフォアステイにピンをいれマストが倒れないようにする。
細かい調整は明日からである。
ここのシップヤードで働いている皆がマストが立った事を喜んでくれるのである。
明日は滞在期間終了日で、カンタンのイミグレに滞在延長許可申請をしなければならない。
2日 滞在許可の期限が今日で切れるので、カンタンのイミグレに行き事情を説明する。
Viza の延長は最大15日間で1日だけの延長でも 1900バーツ必要との事である。
そんなに高いなら、Satunまで観光を兼ねて行く方が良い。
10時半、カンタンからトランまでいつものタクシーを利用する。
トランからサトン(Satun)まで相乗りタクシー(180バーツ)で、3時間ほどかかる。
サトンはランカウイ行きの船が出ているが、ランカウイはいつも行っているので行く必要は無い。
バイクタクシーで国境線まで行く事にする。
バイクに乗って、国立公園になっている山を登っていく。
所々に、海でもあった石灰岩でできた奇岩(奇山?)が田んぼの中に突っ立ている。
国境線に近づくと人家も少なく、景色は良くなる。
タイ側のイミグレでバイクのドライバーを待たせて、国境線を100mほど歩いて行ってマレーシアのイミグレでスタンプを
押してもらい、タイ側に戻ってくる。
これで、30日間の滞在許可である。
サトンの町は、思ったより小さくトランよりも小さな町である。
モスリムの人々が多くなり、顔つきもマレーシアに近い。
ホテルも150バーツと安く、夕食は久しぶりにステーキを食べる。
3日 トランへ戻るのにバスを利用する。
路線バスで、あちらこちらで客を拾ったり降ろしたりしながら、進んでいくが、エンジンが大分年が行っているようで、
坂道になると、スピードが落ちる。
それでも、平坦なコースになると、自家用車を追い越していく。
途中何度も路線バスの監視員が乗り込んできて、料金のチェックをしている。
日本の様に人を信用しないのが海外では常識である。
人を信用しないのは、失礼な様に思うのが日本人の弱い所である。
私も何度も痛い目に会って、随分と辛口になったと思うが、まだまだ甘い所がある。
フィリッピンでもそうだったがここタイでも交通機関はバス、ミニバス、タクシー、ツクツク。バイクタクシーとあり、
路線を外れていなければ、バスは何処でも乗り降りできて意外と便利である。
日本のバスのように、決まった所でしか、乗り降りできないというこもないし、車掌も親切に対応している。
日本では、運輸省の管理下で許可され営業可能で、料金もお上にお伺いを立てねばならない。
同じ路線では、料金は同じでなければ運送の品質が落ちるというような、大義名分を持ち出して、
タクシー料金の値下げ申請を許可しなかったりするのである。
料金を下げるのにも許可がいるという不思議な事になっているのである。
お上は、自分の権益(管理)が大事で手放そうとはしないので何でも届出、許可制で、その違いは無く、
各社、お上の顔色を見て、自主規制をするという海外では考えられない程御しやすい事になっているのである。
お上に楯突こうものなら、色んな監査、検査が入り、それに迎合するように報道機関が大義名分を持ち出し、
同じ理屈で袋叩きにするという、村社会構造になっているのである。
社説等いかにも尤もらしく、各社同じ論説であるのは、不思議である。
間違っていてもよいから、色んな切り口を見せるのが報道機関の役目で切り口を見て色々と考え判断するのが
読者側であるはずである。
9日 修理は殆ど終った。
船をこのシップヤードに置いて日本に帰るのが一番安全であるので、Mr.Vimに相談する。
250バーツ/日でOKという事になって、安心して帰国ができることになったのである。
Mr.Vimの奥さんが、私とTerry &Cherlyをお茶を飲むのに招待してくれる。
奥さんは医者で、アメリカに留学し、日本にも招請されて神戸大阪に行った事があるらしい。
話は各国の、良い所悪い所の話しになるが、皆口をそろえて日本の物価の高さは世界一番であるという
うれしくない話になる。
海外から見て、日本の物価高は異常である。
日本人は、その様に物価の高い国に住みながらストライキ一つも起こらない従順な国民である。
オーストラリアも物価が高いとTerryは文句を言っても、日本の物価高には口をつぐんでしまうのである。
結局、我々は、ヨットにいるしかないかという結論でお開きとなる。