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    48番 ペナンへマストを取りに戻る。  2003年10月12日〜10月30日

10月12日 長らくいたChalong湾ビーチから満潮10時に離れる。
     久しぶりにエンジンをかけ、120マイル先のランカウイ島を目指すが、ダイナモの異常と、
     配線ミスの為再度、水深器 オートパイロット GPSが故障する。
     ダイナモの過電流と過電圧が消費配線側に直接繋がっているためと思われる。
     それを防ぐ為には、充電中のバッテリーと消費中のバッテリーを切り替える方が安全な様である。
     オートパイロット故障は、私には一番痛手である。
     腕の良いクルーが一人病気で寝込んだみたいなもので、ラットを放すことができない。
     上手に直進ポイントをセットすれば5分は真直ぐに走ってくれる。
     明日まで眠ることが出来ないのである。
     GPSの故障で、現在ポシションが分からないので、コンパス進路を頼りに、船速5ノット
     24時間の計算で、明日の10時にランカウイ島へ着く予定で走る。
     オートパイロットが無いと食事の支度もできないので、簡単にパンをかじるだけにする。
     
 13日 朝8時ごろ 沢山の島が見えてきたので、見慣れたランカウイ島を探すが、見つからない。
     GPSが無いと何度も行き来しているのに見つけることが出来ないなんて、
     こんなにも情けない自分なのかと、頭の悪さにあきれる。
     時間的にも、もう着いても良さそうなものだし、第一ランカウイ島の後は、ペナン島まで島は無い筈である。
     大きな島だし消えるわけが無い、
     双眼鏡で見覚えのある所を探すが、一向に見つからない。
     諦めて、リゾートらしきもんがある湾にアンカーを降ろす。
     昨日からマトモなものは、食べていないので、上陸してリゾートのレストランへ行く。
     ”ネエチャン。ランカウイ島はどこや?あっちか?こっちか?”
     と、海の方を指して聞く。
     ”ランカウイ島はコッチ。”
     と、ネエチャンのかわいい指は下を向いている。
     ”エエー。 ウッソー。ホンマカイナ。”
     ウエイトレスのネエチャンはニッコリ笑って頷いている。
     ”あなたは日本人でしょ、あの船でどこから来たの?”
     ”プーケットからや。昨日からまともに食べてないの。冷たいビールとピッツア頼むね。”
     確かめる為にパンフレットを貰うと、Berjyaya Langkawi Beach & Spa Resort と書いてある。
     食べ終わって、支払いしようとお金を出すと、このネエチャンは不思議そうな顔をする。
     ”これは、マレーシアのお金じゃなくて、フィリッピンのお金よ。”
     私は、船に7カ国位のお金があるので、マレーシアリンギットとタイバーツを持ってきた積りが間違ったらしい。
     ”じゃ チョット待っててね。船へ行ってお金持って来るからね。”
     無事支払いも終わり、船に戻って睡眠である。
     夕方5時半頃起きると、急に鷲の塑像のあるところへ行きたくなった。
     アンカーを揚げて走り出すと、10分もしないうちに、黒雲に覆われ前方も暗く雨が降ってくる。
     自分の時計は、もう5時半(タイの時間)だがマレーシア時間は6時半である。
     暗い中湾内の小島やら浅瀬を避けて鷲に会いに行くしかないのだが、GPS、水深器と故障で使えない。
     双眼鏡を食い入る様に見ながら、感で進んでいく。
     ”しまった。何で出てきたんや。今晩はあそこにいたらよかったのに。”
     自分の頭の悪さ、軽率さ加減にあきれる。
     無事、鷲の前にアンカーを再度降ろして、反省しながら又寝るのである。

 14日 周りを見ると、ヨットの数が少ない。
     前は沢山いたのにどこへ行ってしまったのだろう。
     雨のやむのを待って、上陸しイミグレと税関へ申告に行く。
     ここは、チップも請求されないし、親切で非常に感じが良い。
     出国時タイの税関でポートクリアランスを忘れてきたのだが、
     ”無いか。そうか、問題無い。問題無い。”
     と、ハンコをポンと押して全くごねたりしないのである。
     ランカウイ島は免税なので、酒類が安いので買いに行く。
     タイと違って、ゴミも落ちていないし、犬もいないので、ウンコが転がってもいない。
     女性は殆ど頭からスカーフを被ったマチコスタイルで、服は民族衣装が多い。
     夜は、レストランで食事をしても、タイの様に、冷たいビール 1本ということはない。
     テーオーアイス(アイステイー)を飲んで食事して ハイ終わりで寝るのである。
     夜も、10時にもなると、飲み屋等無いので、町はひっそりとしてしまう。
     何とも、清潔すぎて、面白くない島なので、ここは私には何かなじめないのである。

 15日 午前6時アンカーを揚げて、70マイル先のペナンへ向かう。
     12時間かかる予定である。
     順調な航海でここまで来たのに、ジョージタウンの北側の本船航路上でエンジンの音が変わる。
     エンジンルームの中を見ると、V−ベルトが切れている。
     時間は午後6時半、周りは暗く、ジョージタウンの海岸に面した道路で海鮮レストランの灯りが見えるところである。
     もう200m北側だと水深は5mでアンカーを降ろすのに絶好のポジションなのに、ここは本船航路上なので、
     水深は15mはありそうである。
     それでも、船を止めるしか方法はないので、アンカーをあるだけ降ろす。
     今日はここで寝て、明日朝クオさんの所へ行く事にする。

 16日 ペナン大橋の下を通り小島を回り込んでクオさんのジェッテイーに近づくと、スピードボートに乗って、
     クオさんがやってくる。
     ”ハーイ。オバタ。マストはどうした? マストが無いから、オバタの船に似てるけど、
     わからないので迷っていたよ。”
     取り合えず桟橋に上がり、冷たいビールを買ってきてここを3月に出た後の経過説明である。
     ”ビールは、私の払いだ。今日は君は客だ。”
     と言って、薦めてくれるのでビールを2本も飲んでしまう。
     裏のレストラン街に行くと、モスリム料理のオカアサンは大きな黒い目を輝かしてニッコリ笑ってくれる。
     私の好物を覚えていてくれて、鰯とニンニクの炒め物を指差し、握りこぶしを作り親指を口に入れるようにして
     ”飲み物はテーオーアイスね”
     と、隣のモスリム喫茶の兄ちゃんに注文してくれる。
     豚にそっくりの顔をした中華のオニイチャンは不渡りで店はしめたそうである。
     このニイチャンの中華は安くて旨かったけど、あんまり安すぎた為に不渡りになったのと違うのだろうか?
     夕方はインさんやら仲間の漁師とお茶飲みパーテイーである。
     みんなモスリムで酒はのまない為、いかつい男ばかりで、コーヒー、ジュースとチョットしまらないのである。
     ペナンはチャイナタウン、リトルインデイア等混じっていて面白い町で私の気に入りの町の一つである。
     ここへ来た目的のマストの件を阪急交通社のマレーシア支店に電話を入れてみる。
     ”荷物は、今日到着で通関終了は来週の月曜日の予定です。”
     日本を出るとき到着予定日をお願いした通りである。
     今回お世話になった神戸の阪急交通社のMさんとは、もう30年位の付き合いになるだろうか。
     私が現役で仕事中は、彼は私にとって信頼できる人であった。
     リタイアーした現在は仕事での付き合いの人は殆ど縁がきれてしまったが、彼とはお互い時々消息を
     確かめ合っている数少ない仕事を通して友情が出来た一人である。
     
     モスリムレストランのママ

 17日 バイクでジョージタウンへ行く。
     朝は益和茶室の飲茶から始めなければならない。
     ここの飲茶は香港飲茶と変わらないぐらいに旨くて安いのである。
     高い素材を高く食べさせるのは当たり前で、旨い刺身等、素材させよければ料理人の腕はそれ程影響しないだろう。
     そういう観点から飲茶をみると、安い素材をシュウマイやら肉まんにして、美味しく安く食べさせるのが料理人の腕であると、
     私は常々料理に対する独断と偏見をもっている。
     次にインターネットカフェへ行くとマレーシアは通信回線が整備されているのだろう、タイに比べてアクセスが驚くほど速い。
     チャイナタウンで工具と部品等を買って、昼は勿論リトルインデイアのはずれにあるインドカレーへ行かねばならない。
     食べるのに忙しいのが、ペンナンの良いところである。
     ”久しぶりだね、どこへ行っていた?”
     と、インドカレーのニイチャンマスター。
     ”あんたの国、インドだよ。南の方とマドラスへ行ってきた。”
     ”料理はどうだった?”
     ”勿論、ここのカレーの方が旨いよ。”
     お世辞半分、本気半分である。
     実の所、ペナンへくると必ず行かなければ気の済まないコースになっている気に入りカレーなのである。
     ジョージタウンのフェリーにバイクごと乗って向かえのバターワースにある阪急交通社ペナン支店を訪ねる。
     こじんまりとした事務所にマチコ巻きの女性が3人程いて、お水を出してくれる。
     Mr.Nizamとは、メールで何度もやり取りしているので、初対面で無いような感じである。
     彼と一緒に税関へ行き荷物の申告をする。
     ここの税関も非常に好意的である。
     マレーシアの役人は威張るでもなく、サボるでもなく、賄賂を請求するわけでもなく、仕事をしすぎるわけでもなく
     いい感じである。
     帰りに カリフォーというスパーマーケットで買い物をして、ペナン大橋を渡って戻ってくると、
     端の袂によいヨットハーバーが出来ているではないか。
     ポンツーンに電気、水道の設備があり、ヨットは15艇位止められそうである。
     クオさんの所にいたルデイのカタマランも泊まっている。
     船をノックすると、タイ人の奥さんが出てきた。
     ここは繋留費は無料で、電気水道だけ別払いらしい。
     ヨッテイーの横の連絡は速いので、すぐに、ペナンで人気のハーバーになるに違いない。

 18日 朝から遊帆UFOの配電を手繰って1本ずつ確かめて整理していく。
     ダイナモからの充電回路と消費回路をスイッチで選択できるようにして、充電中のバッテリーから
     電気、機器類を使わないようにして、過電圧、過電流で故障するのを防ぐようにした。
     テスターで調べていくが、まだどこかで変な接続箇所があるようなのだが一人ではチェックしにくいのである。
     この際色んな所を徹底的に修理をする積りである。
     

 20日 阪急交通社マレーシア支店のMr.Izamから荷物を5時半に届けるとの電話が入った。
     20ftコンテナーの中に木でしっかりと梱包してありばらすのに苦労する。
     クオさんが、荷物を運ぶのを手伝ってくれる。
     どしゃ降りの雨の中、船外機6個と、マストをクオさんの桟橋まで運ぶ。
     やはり仕事は二人の方が良い。
     遊帆UFOに積み込んで、タイまで戻ってそこで修理する積りである。

 21日 ジョージタウンのインターネットカフェへ行くと未だ開いていないので、飲茶でも食べながら時間をつぶす。
     益和茶室へ行くと、入り口に、紙屑をポイポイと何の躊躇も無く捨てている高齢のジイチャンがいる。
     このジイチャンチョットボケが入っているようで一人でブツブツ喋っているが、一般的に中国人は
     いらない物はポイと何処でも捨てる傾向があるようである。
     飲茶は大きな丸テーブルを囲んで、近所のオッサンとジイチャン達が最低1時間は座って喋っている。
     それでも、大きな蒸篭を抱えてシュウマイやら饅頭を売り歩くネエチャンは嫌な顔をせずに愛嬌を振りまいて売って歩く。
     日本にも家の近所でこの様な飲茶コミュニケーション広場があれば、ジイチャンも社会から切り離される事なく、
     ボケずに毎日元気に過ごせると思う。
     海外はどこでもそうだが、持ち込みは自由だし、隣の店に注文して食べてもOKである。
     町で、船の部品やら工具を買い、クオさんのジェッテイーに戻り、昨日到着した船外機のチェックにかかる。
     6個の内4個は全く問題なしであるので、私のテンダー用に8馬力を装備した。
     テンダーが小さくて前が上がってしまうので、遊帆UFO修理時にテンダーも後ろをたして浮力を着けなければ、、
     バランスが取れないようである。

 22日 バッテリー120Aとステンレスチールパイプ1”径6mを10本 1.5”径6mを2本 溶接棒、V−belt
     その他、エンジン部品等、ペナンは安くて品数が豊富なので色々と買う。
     ステンレスパイプはパルピット修理とダビッド(テンダー吊り上げ)用である。
     3月クオさんの所にいたヨッテイーのドイツ人ルデイはステンレスを買った工場で、アドバイザーとして働き
     漁船用ドライブをユニットで試作している。  
     エンジンの割りにプロペラが大きく、プロペラ上部を覆うように半円径にラダーが作られている。
     エンジン効率を高めようと言う構造のようである。
     ”ルデイ、私はエンジニアーでないから、何処がええのか良く分からんけど、マレーシアの漁師船には
      向かんのと違うか? 海が浅いからプロペラを傷めるのと違う?”
     折角、明日試乗するというのに水を差すようで悪いが、思ったことは何でもいうのが私の主義である。
     ”次は、プロペラシャフトが折れるようにして上へ油圧で揚げる様に考えてる。”
     マレーシアではガソリンが約40円位なので、漁師はエンジンの効率、燃費まで考えるだろうか?
     ガソリンの値段が3倍もする日本だったら、燃費は大きな選択肢になるところである。

 24日 今日からリトルインデイアは正月休みだそうである。
     良く分からないが、どうやらヒンズー教の暦ではそうなるらしい。
     リトルインデイアに入る道路は昨日から通行止めになっていて、ジョージタウンの狭い道路は
     自動車の渋滞が続いていた。
     今日、もう一度町へ行き祭りを見学しなければならない。
     ヒンズーの祭りは食事の施しがあるそうで、沢山の人々が集まるらしい。
     日本の地蔵盆等はこの辺りが源なのかも知れない。
     私の子供の頃は、大きな袋を持って、お寺やら近所のお地蔵さんのある所へ遠くまで回りお菓子を一杯貰ったものだ。
     今でも、地蔵盆はやっているが、町内の子供だけに配り、誰でも布施をするという事は無くなってしまった。
     地蔵盆の町内会議等では、いかにも正しい事を言っているようだが、何処かゆとりが無いというか、愛がないというか
     日本人は世知辛くなったのか、或いは、小粒になってしまったのだろうか。
     遊帆UFOがアンカーを降ろしている所は、上がった所が、屋外レストランが集まっているが、
     その中に、カラオケ装置を置き、舞台を作ってあるところがある。
     毎晩、夜明けまでやっている。
     今日は朝3時に目覚めたので、軽く食べるついでに覗いて見た。
     覗くといっても、勿論屋外舞台なのだが、客はジョッキーの指名により、舞台の上で歌っている。
     朝3時なのに、宴タケナワといった感じである。
     モスリムの国なので、酒は一切無しで、ジュースかコーヒー、紅茶を飲みながら歌うのである。
     シラフで舞台の上での演技なので真剣なのか下手なのか、叫ぶようにして力一杯歌っている。
     甘いラブソングといった感じではなく、どの歌も怒っているように聞こえるのである。
     酔って音楽に合わせて踊りだすということも無いようである。
     結局、酔いつぶれない為に、夜明けまででも歌っていられるのかもしれない。
     
 27日 昨日26日午後4時にクオさんの所からアンカーを揚げる。
     日本では殆ど使うことも無かったアンカーも外洋へ出てからは毎日つかっているので、
     アンカーチェーンも随分錆びて劣化してしまい、サイズが細くなって、巻き上げるときに
     チェーンが噛むようになってしまったので、次回来た時にペナンで新しく変えなければならない。
     クオさんはいつもの様に名残惜しそうで、タイのカンタンで遊帆UFOを揚げて修理している間に一度
     寄るからということである。
     久しぶりのナイトセーリング、今日は新月の為、星だけが無数に輝いている。
     年のせいか、夜は眠たくなるので、途中3回ほどアンカーを降ろさずそのまま揺られながら寝る。
     電子機器は全て故障の為、勿論現在位置も分からない。
     コンパス角度だけを頼りに進んでいく。
     到着したところはいつもの入り口より西側でそこから入港し、油船で横付けして燃料の補給である。
     100リッターで90リンギット(2700円)安いので、みやげに持って帰りたいくらいである。
     ランカウイはいつも鷲の前だが、デンギー船外機が8馬力の優れものを設置したので上陸までの距離は
     考えに入れない。
     8馬力は今のデインギーにはチョット大きすぎるが遊帆UFO修理時にデインギーも後ろに浮力をつけて改良する予定である。
     船外機も重くなって遊帆UFOに引き上げるのが一苦労なので、ダビットも良いのを考えて作る積りである。
     ランカウイに上陸すると、殆どの店が閉まっている。
     今日から、モスリムはラマダンで食事をしないので、中国系のレストラン以外は全て閉めている。
     人も車も少なく、町はひっそりとしている。
     昨日までは、ヒンズー教の正月 今日からはモスリムの断食と宗教は月と関係が深いようである。
     月が人の生活リズムに合っている様で、天候も潮の満引きも漁師、農夫には大いに関係があるし、又 空を見上げれば
     今日は何日か分かりやすい。
     スーパーマーケットを除いてみると、ブルーチーズがあったので、メニューはステーキとオリーブ、玉ねぎとニンニク炒めで、
     遊帆UFOで、ジャズミュージックを聴きながらワインを飲んで寝る。
     陸からは、モスリムの歌っているような祈りの声が聞こえてくる。
     
 28日 Reback Marinaで水の補給をする。
     このマリーナもラマダンの為、人々はマトモに働いていない。
     仕事は速く切り上げて事務所は閉まっている。
     ラマダンの間は、朝6時から夜7時まで食事も水もタバコも何も駄目で、それが1ヶ月続くのだそうである。
     マトモに仕事は出来るはずが無い。
     露天の屋台街もどこのレストランも閉まっていて、町はゴーストタウンの様で、異様なムードである。
     宗教の在り方は日本と違って、政治、経済、何よりも優先するのである。
     この辺りが本来宗教というものであり、又、私が理解できない所である。
     その方が楽な生き方かもしれないが。。。
     距離58マイル、角度350度、コンパスを頼りに進むが、このコースは小島の間を通り抜けて行くので迷うことは無い。
     プーケットのバンガー湾と同じ石灰岩で出来ていて、海から切り立った様な造形は自然のアートである。
     円柱のような形をしていたり、鋸刃の様に鋭く尖っていたりする。
     ランカウイからプーケットまでの風景は日本の松島を広く大きくしたような感じである。
     午後5時、そろそろ日が暮れるので、どこかでアンカーを降ろさねばならないが、この辺り水深は深くても12m位である。
     1マイル程先の切り立った小島の1箇所に小さなビーチがあり、小さい漁船が浜に揚げていて、
     休憩所か作業場になっている。
     景色がよく、ここでアンカーを降ろそうかと考えるが風が正面なのでもう少し先の島でアンカーを降ろす。
     今晩は、スパゲッテイーツナマヨネーズあえにワインとマテイニーである。

 29日 カンタンのシップヤードは川の上流(約5マイル)にある。
     河口からブイが青 赤と順番に並んでいるのでそれを目標に進むが、コースをわずか20m右にはずした所、
     泥にキールが刺さって動けなくなった。
     テンダーを降ろし8馬力船外機を積んでアンカーを降ろしに行く。
     8馬力船外機に未だ慣れていないのと、テンダーの後が沈んでいる為戻ってくる時転覆してしまった。
     目を開けるとテンダーと船外機が頭の上で逆さまに浮かんでいる異様な光景である。
     冬の琵琶湖で焼肉屋でウイスキーのボトル半分程飲んで湖族の末裔に戻るとき、自分だけ転覆し
     沈んでしまった事はあるが、今回の様にテンダー毎一緒に転覆は初めての経験である。
     あの時は、桟橋に這い上がって暫くすると服が凍り始めたがそれに比べると未だ良いかもしれない。
     とりあえずテンダーのロープを持って、遊帆UFOまで泳ぐのだが、流れがあってなかなか進まない。
     船外機はしっかりとテンダーに固定して、尚且つロープで結んでいるので沈む心配はない。
     苦労して遊帆UFOに這い登って後、テンダーと船外機を引き上げるが重いのである。
     ”アホ、バカ、マヌケ。何でこんなに失敗ばかりするんや。”
     と、一人で怒って当り散らして済ますより方法が無いのである。
     川をクネクネと上り、川幅の広い所へでたが目指すシップヤードは何処にあるのか分からないので、
     アンカーを降ろして、上陸し朝昼飯を食べる事にする。
     上陸した所は、小さな町になっていて、確かにタイの雰囲気であって、マレーシアの感じではない。
     取り合えず腹ごしらえに、レストランに入ってチキンライスと、スープを食べる。
     ”ここは、何処や。オッチャンはここに書いてあるシップヤードへ行きたいの。”
     ”ここがカンタンよ。”
     私は、カンタンは通り過ぎていると思っているのと、上陸した所は川の中の島だと勘違いしているので
     一向に話が噛みあわないのである。
     ネエチャンに電話を渡してシップヤードに電話してもらうが、プリペイド料金不足と充電不足でかからない。
     ”あそこの店で、プリペイドカード買えるわよ。”
     と、教えてくれる。
     携帯電話ショップで、プリペイドカードを買い、充電をしてもらいながら、ここのネエチャンにも同じことを聞く。
     ”チョット、待って。”
     と、自分の携帯で電話している。
     暫くすると、バイクに乗ってオジサンがやってきた。
     ”この人は私の友達、連れってて貰いなさい。”
     オジサンは私が考えているのと反対の方向へバイクを走らす。
     小さな町の外れの川沿いにシップヤードはあった。
     オジサンにお礼をいうとニッコリ笑って帰っていってしまった。
     タイ人は親切でフレンドリーで、タイが好きな理由の一つである。。

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